第6話  5

 昨日の夜の回の公演は、客席から観てて血圧上がりっぱなしだったけどな。と田丸さんが朝令で言うと、欣二さんは「申し訳ありません」と大声で返しみんなの笑いを誘った。

 ついに最終の日曜日だ。泣いても笑ってもあともう一回しか出来ない。美代子さんに手伝ってもらって警官の制服を着終えると「奥村警察官、最後だから頑張んなヨ!」とバンと背中を叩かれた。

 舞台に行くと、照明さんが明かりのアタリをチェックしている。舞台監督の松岡さんは増井さんとナグリを持って装置の手直しする所を話している。音響さんはドアピンポンの音やエンディングの音楽を劇場内に響かせている。小道具さんはテーブルの上のグラスや酒瓶をキャイキャイ喋りながら並べている。最終日だからって今までと全く同じで大丈夫だじゃなくて、改善すべきところは直すんだなぁと感心していた。すると、そんな舞台の上にソファに座って客席を見つめている吉田さんがいた。

 「どうしたんですか?」

 「いやー・・・・あと一回で終わっちゃうんだと思うと、寂しくてさ。僕はこの3カ月くらい、このマイク・ダルトン役に没頭してきたからね・・・」

 「はあ。そうなんスか・・・」

 「だからって仕事しないで集中してたわけじゃないけどさ。」と吉田さんはこっちを見てニコリと微笑んだ。

 「でもね、仕事してて、取引先の人と話してる時でも、不意にダルトンが来るんだよねぇ。

  ああこの喋り方はダルトンじゃないなぁ、みたいに。」

 「へー、そうなんですね。」と答えつつ、吉田さんは食品関係の会社の営業だと言っていた事を思い出した。

 「こんな我々みたいに、公演二日で三回です。みたいな素人劇団の素人役者でもこんな寂しい思いになっちゃうんだから、プロの人たちの、一ヵ月毎日公演してます。みたいな人たちは、もっと寂しいのかね?」

 さあどうなんでしょうね、と答えながら、ちょっと疑問が沸いた。

 「じゃあ吉田さん。例えば、次の秋の公演でまた「トラップワイフ」やります。吉田さんはまたダルトン役で。ってなったら、嬉しいですか?」

 え?次で?と言った後、しばらく吉田さんはうーんと考えてから言った。

 「それは・・・いやだな。田丸さんにお前やれって言われても、断るかもしれない・・・何でかって言うとさ、僕としては、今の自分の出せるものは今回出した気がするんだ。そりゃあ、うまくできなかった所もたくさんあるけど、それも含めて今の自分の力だからね。だから、例えば、また秋に同じ物やるぞってなっても、今回の演技にちょっと上塗りしたぐらいのものしか出来ないかなぁ。そんなものをお客さんに見てもらっても、僕がお客だったら「主役の演技ほとんど変わってないじゃないか」って怒るよね。」

 吉田さんがへへへと笑う。僕もへへへと返す。ただそれだけで、また吉田さんは客席に目を向け、じっと見つめ始めた。僕も、この人には何が見えてるのかなぁと客席を見てみたけど、暗闇の中で気持ち悪いほどに整然と並んでいる座席と、大きな生き物の口のような出入口のドアしか目には入らなかった。


 最後の公演の本番。「気合いが入った」ではなく「力を出し切る」でもなく「悔いのないように」とも違う、一種独特の雰囲気がみんなの中をまとっている。熱気とも冷静とも違うこの空気を僕のあまりうまくない表現で言ってみれば「これでおしまい。という事だけを役者も裏方も受付も誰もが共有している、終わりに向けた儀式」という空気だろうか。

 ラストなのだから、さぞかし感動的な展開が起こるのかと思いきや、本当に何のドラマも逆転も起きずに、芝居の幕は流れていった。

 昨日、大ストップした夫婦の前で警部が長セリフを言う場面が近づいた。僕と欣二さんは、舞台袖に置かれたスタンバイ用のパイプ椅子に並んで座った。

 「奥村君・・・セリフ覚えは、いい方ですか?」

 急に欣二さんが話しかけてきた。今まで、稽古中でもほとんど話しかけられたことは無かったから、ちょっとびっくりした。

 「セリフ覚えですか・・・セリフ、覚えたことないから分かりませんね。」

 「ボクぁね、全然覚えられないの。ほら、セリフ一度覚えたら本番までにもう一度忘れた方がリアルな反応ができる。って言うじゃない? だからやっと覚えたものを忘れようとすると、それはすぐ忘れられるの。昨日みたいに。」

 「本番前に忘れる。じゃなくて、本番中でしたけどね。」

 「そうなの。ちょっと忘れるタイミング間違えちゃったみたいなんだよねぇ」

 どう答えていいか分からずに、ハハハ、と乾いた笑いをしてみたら、ムフフと欣二さんも満足そうな顔をした。

 キッカケがあってドアの中に二人で登場し、僕はドアの前で気をつけの姿勢を取った。今回は大丈夫なのか、でももう一度同じところで詰まるのもそれはそれで面白いなぁなんて他人事のように考えながら、長セリフを喋る欣二さんを見ていた。

欣二さんは、長いセリフを、今回は忘れずに言い終えられた。そこで気付いた。

―ひょっとしたら、欣二さんはあのパイプ椅子に座っていた時に、また同じミスをやるんじゃないかという怖さが突然に襲ってきたんじゃないか。だから、今まで話したことなんてほとんどない隣にいる僕にとりあえず話しかけて、恐怖を少し和らげようとしたのかもしれない―。

 暗転の暗闇で欣二さんと袖に戻る時、「良かったですね」と小声で言うと「良かったよぉ」とおどけたような声で答えてくれた。


 舞台はラストシーンに向けて、留まることなく進んでいく。客席を映したカメラのモニター画面を見てみた。客席では、本当にいろいろな人が座っていて、その人たちの二つの目が舞台の上の動きや言葉をじっと見ている。お客さん達は、昨日欣二さんがセリフを飛んで止まった事なんて知らない。二日前には舞台上に何も建って無かった事も知らない。もっと遡れば、稽古で僕が「チンピラ歩き」と怒られた事も、湯座さんが同じセリフの言い方を6回続けてダメ出しされた事も、吉田さんがプレッシャーで腹痛になり稽古休んだ事も、全部知らない。この今やっている上演が、全てなのだ。観てくれたお客さんに、でも稽古ではうまく出来てたとか昨日は成功したとか言っても何にもならないし、どんな言い訳も通用しない。これは、刹那のような、一瞬のような、儚いのような・・・なんて言えばいいんだろう・・・強いて言えば、潔い。だろうか? うん。たぶん、潔い。だ。


 「カーテンコールっていうのはな、お客さんに「あなたの貴重な時間を使ってこんな所まで来て、こんな私の演技を観てくれてありがとうございます」っていう感謝の気持ちなんだよ。」

 と教えてくれたのは誰だったか・・・まあいいや。とにかく、最後の公演のカーテンコールで頭を下げた。初日のカーテンコールの時に「背中を丸めて頭を下げちゃってるからみっともない」と言われたので、自分の中では、精一杯背中を伸ばして頭を下げた。こんな俺みたいな警察官を見てくれてありがとうございました。と思いながら―。

 楽屋で、警官の制服を脱いで、金髪に染めるための髪染めをシャンプーで洗い流し、汚いGパンとTシャツに着替えるとすっ飛んでいった。

 さあバラシだ。

 バラシ。とは、その名の通り、舞台上に建てたものを全てバラバラにして、元の

まっさらな状態に戻すことだ。だからって闇雲にバラバラにしていったら、壁にした張り物だけでも3m近くあるから危険だ。みんなで声を掛け合いながらやっていかないといけない。

 舞台上では、バールやナグリを持った男どもが脚立に昇って、そっちだこっちだ

持ってろと怒鳴りながら3mほどの張り物に群がっていた。こりゃケーキに集まる

アリの大群みたいだなぁ。

 工具箱からバールとナグリを取り出し、次々と外されて床に置かれた木材に刺さったままの釘を抜いていった。しかしまぁみんな、男どもは仕込みの時と違って、楽しそうに生き生きとバールで装置の釘を抜いて装置を倒していっている。装置の建て込みはセンチやミリ単位で正確な作業を求められるけど、バラシは単純に釘抜いて倒していくだけだから大雑把でイイんだものなぁと考えながら手を動かしていると、一本の釘が引っかかって抜けない。どうやら木の中で曲がっているみたいだ。アレ?アレ?としゃがみながらバールを右に傾けたり釘を逆から叩いたりしていると、頭の上から

 「奥村。お前なにやってんだ?」

 エー? なんでこういう所に気づくの? と見上げるとやっぱり増井さんだ。

 「これは釘がこっちに曲がってんだろう? だからこっちから叩いて、こっちに

引っ張るんだよ。」

 とスルスルと抜いてしまった。

 「まぁったく、頭使えよ。」

 と捨てセリフを残して倒れそうな張り物の方に行ってしまった。なんでなんだ? 若者がミスすると鳴るようなセンサーでも付いてるのか?


 出た木材は次回また使えそうな状態や長さのものは束ねていく。張り物や木材を今度は大型エレベーターで下の搬入口まで下げて、トラックに積み込んでいく。それ以外にも、小道具、衣装、メイク道具、受付で使った事務用品、お祝に届けられた酒瓶やお菓子なんかまで積み込まれる。そんな誰もがバタバタした中で、女性陣は5名ぐらいが電車を使って先に稽古場へと向かう―。「打ち上げ」の準備のためだ。

 エイヤっとトラックに入るだけの荷物を積みこんだら、それらをブーンと稽古場まで運んで行き、稽古場の隣の倉庫に張り物を入れていく。小道具や衣装の入った

段ボールも稽古場の上の階のアパートの一室「いて座専用部屋」に運んでいく。―ここの大家が田丸さんだから出来ていることだ―。こんな事をしていると、もう外は暗くなって夜の7時を少し回っており、みんなの顔にも疲労の色が浮かんでいる。

 「よぉし、じゃあオレはトラック置いてくるから、みんな中に入ってろよ。」と増井さんが言って、ようやっと片付けが終わりとなる。額の汗を拭いながら、芝居って体力勝負なんだなぁとしみじみと思った。

 稽古場のドアを開けると、長テーブルが四角に並べられ、その上には瓶ビールとグラス。そして、ピザや刺身やポテトやいなりずしなんかが僕たちを待っている。

 おお。これが、「打ち上げ」ってヤツか。


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