16・ささやかな象徴
立ち向かう決意。大きな壁。同好会解散の危機。
いまだかつてない困難に、竹永は向かわなければならない。
しかし。
彼には仲間がいる。これは独りで戦う受験ではないのだ。
論理をがっちり固めて、必ず存続のジャッジを勝ち取ってみせる。
翌日の放課後。部員全員が集まっていた。
前日、北里母の話を聞いてすぐ、竹永がガインで報告を流したのだ。その上で、今日、ここに集まることを提案した。
「やっぱりこうなったニャ」
比名がぽつりと言う。
「なんか、すごく悲しい。この場所がなくなっちゃうかもしれないなんて」
不破もうつむきがちに言う。
「相手の言い分が通るとは思えないけど、なにせ前例のないことだからね……」
そうつぶやいたのは、前野。
「ああ。なぜかこの同好会には、反対者がぽつぽつと出ている。幸いにも選挙管理委員会、つまり審判を下す面子には、今のところそういう噂はないけどな」
「でも、審判の心の内なんて分からない。北里のおふくろさんが手を回しているかもしれない」
「その通り。北里母の性格からいって、そういう不正を使うようには思えないけど、やらないという保証はどこにもない」
一同が静かにうなずく。きっと不本意ではあるのだろう。
「不正無しであっても、この同好会に対する反対勢力が、どれほど選管に根を張っているか、正確なところは読めない。現在、そういった人は確認されていないけど、それこそ心の内は誰にも分からない」
沈黙する一同に対し、比名が口を開く。
「とりあえず聴聞の原稿を作るしかないニャ。前例を経験していないから、どれだけ役に立つかは分からないけどニャン」
「まあ、準備通りにはいかないかもしれないが、そうするしかないだろうな」
「よし、前向きに行こうよ、みんな」
かくして、戦いの準備は始まった。
ひとまず土日を挟んで、それぞれの作戦案を練ってくることにした。
その夜。竹永のガインに着信があった。
【魔法少女ひなちゃん】やあ あなただけの魂のアイドル ひなちゃんだよ!
もう驚かない。
【TKNG】なんだ
【魔法少女ひなちゃん】最近、疲れることばかりだから たまにはパーッと遊ぼうニャ 日曜ニャ
【TKNG】前野と不破は?
【魔法少女ひなちゃん】四人で集まったら作戦会議になっちゃう 二人で遊ぼうニャ
なぜか強引な理屈に感じたが、竹永は不思議と不快ではなかった。
見た目だけは抜群、可憐な比名と、二人っきりで遊ぶのも悪くはない。
「うわあぁ」
自分は何を考えていたのか、と己を叱責する。
しかしまあ、悪くはないのは事実だ。彼は返信する。
【TKNG】おーけー 何時にどこ集合?
【魔法少女ひなちゃん】十時に沿岸駅前 楽しみにしてるニャ
竹永は、ニヤニヤを抑えられなかった。
当日、沿岸駅前。
竹永がそわそわしていると。
「お待たせニャ!」
比名がやってきた。
いつもと変わらない笑顔。
いや、いま目の前に迫っている廃部の脅威も、しょせん部が消えるおそれでしかない。
比名が言ったように、もし廃部になっても、単にいつもの四人で寄り集まって、勉強談義をすればいいだけの話だ。あまり深刻になる必要はないはずだった。
しかしそれにもかかわらず、「いつもと変わらない」と表現したくなる。それほどまでに、彼女の笑顔は竹永の心を温めた。
我ながら、気持ち悪いことを考えるなあ。
竹永は、自己を冷静に批判するそぶりをする。
「どうしたニャン」
「いや、なんでもない」
「ははあ、さては、この比名ちゃんに見とれていたニャ?」
図星だった。
「ち、ちげーよ」
「顔が赤いぞっ」
彼女は彼のほほを、人差し指でつつく。
「正直に白状するニャン、比名ちゃんに惚れましたって」
「ふ、ふざけるな」
「男のツンデレはあんまり人気出ないぞっ」
「ちげーから、ホントちげーから」
彼女はひとしきり彼をいじると、言った。
「元気みたいでよかった。最近、色々あったからね」
「……そうだな」
具体的には聴聞会の申立てである。
色々というか、勉強支援同好会から見ると、まだ戦いは始まったばかりであり、実際に色々動いていたのは北里母や生徒会などである。
しかしそれでも、聴聞会が大きな試練であることは間違いない。
「まあ、たまにはゆっくりしようよ」
ふわり、と優しげな笑み。
竹永の心臓が跳ねた。
「あ、また私にときめいてるニャン」
「ち、ちげーよ。とにかく行こうぜ、近くにボーリング場を見つけたんだ」
彼が早口で言うと、彼女は「ウヘヘヘ」などと気持ち悪く笑いつつ、並んでついて行った。
他方、七里も、聴聞会申立ての噂を聞いた。谷杉から。
「七里、状況はお前の望む方向に転がってきたんじゃないか」
谷杉はニヤニヤしながら問いかける。
しかし彼は首を振った。
「いや……そうでもない」
「なぜ?」
「北里母も同じ穴のむじなだろ」
七里としては、竹永たちは大人にこびへつらう強欲の成績優秀者である。それは間違いない。彼の中では。
しかし、対する北里母も、言い分を聞く限り、やはり知的権威にこびてケンカを仕掛ける人間と見えた。
こびる対象こそ、実体的な大人たちと抽象的な知的権威とで異なる。だが結局のところ、北里母も、既存の知的権威にこびて、自分を「知」にひいきにしてほしくて、理屈を振り回している。
彼にはそう思えた。
「よく分かんね」
説明すると、谷杉は困惑した。
「お前も知的権威とやらに毒されてねえか?」
冗談で谷杉がそういうと、七里は激する。
「どこがだ!」
一喝。
「俺はあんな連中とは違うっ、こびたりなんかしない!」
「おお……」
「ふざけたことを言うな!」
憤激する七里に対し、谷杉はただ縮こまる。
「分かった、すまん。謝るよ」
「分かればいいんだ、今後二度とそんな馬鹿なことを言うな」
七里はちょうど、引いている周囲を目に入れ、頭を冷やした。
竹永は、比名との遊び歩きを、心からは楽しめなかった。
比名が成績の競争相手であるから……ではない。本来は真っ先に気にすべきところであろうが、もう今の竹永は、そのようなことなど気にならなかった。
つまりは審判の時、聴聞会こそが懸念された。
北里母の思想を噂で聞く限り、より現実を直視した竹永たちのほうが有利に見える。知の本質など、生徒、というより選挙管理委員会は気にもしない……はず。
しかし聴聞会の現場でどうなるかは分からない。
北里母は、経歴からみて哲学の素養がある。また、群集の面前で演説をする経験も、勉強会の面々よりは多いのだろう。基礎的な学力も、比名や竹永と並ぶかはともかく、かなり高いはず。そうでなければ本郷国立大学には入れない。
難しい戦いだ。
「竹永くん、竹永くん!」
「……あっ、おう」
現実に引き戻された。
「もう、デートのときに考え事?」
「で、デートじゃねえし。学力の競争相手とデートなんかしねえし」
そういえば、比名は永遠のライバルであった。
勉強をすっぽかし、最大のライバルと遊び歩く。自分はいったい何をしているのか。
聴聞会といい、デートといい、しょうもねえな。
竹永は自嘲した。
「ま、いいニャ。そろそろ今日はお別れだからニャン」
彼女はそう言って、ふわりと微笑む。
その微笑だけで、悩める竹永はいくぶん救われた気がした。
この笑みのためになら、数々の難事を頑張ってもいい。この微笑が自分にしか向けられないのなら、なおさら。自分は彼女を守りたい。
――俺は本当に毒されているな。ちょっと脳みそが浮ついているに違いない。だいたい、聴聞会には比名も参加するんだ、こいつは一方的に守られる側ではない。
竹永は脳内でブツブツつぶやく。
「竹永くん」
不意に真剣な表情を見せる比名。
「前も言ったけど、勉強会が……もし負けても、私たちの絆は壊れない。同好会として解散させられても、普通に集まってワイワイやればいいんだよ。そこまで教師や保護者たちが何か言うようだったら、そのときにまた対策を考えればいいんだ」
「……そうだな」
それは正論だった。しかし。
「でも、象徴なんだよ」
「象徴?」
象徴。「集まってワイワイ」やる「部活動・同好会」という体裁は、竹永にとって、いわば象徴のようなものだった。
象徴が壊れても、絆は変わらない。それはその通りである。だが、絆の象徴は、だからといって易々と壊してもよいものではない。
仮に内実が維持されうるとしても、象徴を損壊させる行為には、毅然と立ち向かわなければならない。
「だから、俺は勉強会という部活動を守りたい」
彼はそう言い切った。
「そういうものかニャン」
「そういうものだ」
「じゃあ……」
比名は言った。
「私は竹永くんの、その決意を守りたい」
今まで見たことがないほどの、真剣な表情。
「私にとって、竹永くんは特別な男子なんだ。竹永くんの大切なものは、私の大切なものでもある。そう思わせるほどにね」
「……比名……?」
「竹永くんが『象徴』を守りたいのであれば、それは私が守りたいものにもなる。私は竹永くんと、『心』を共有したい」
彼女のほほには、わずかに朱が差している。
「繰り返すけど、仮に廃部になっても、私は竹永くんと疎遠にはならない。でも、竹永くんが部を守るなら、私は一緒に守る。心を共有する」
決意。まさしく決意であった。
「……そうか。ありがとう。すごくうれしい」
「エヘヘ、ちょっと真面目すぎたかニャン」
彼女は一転、照れ隠しとしておどけてみせる。
「さ、ここで今日はお別れだ。……本当にありがとう」
「ありがとうニャ。私は竹永くんの味方だからね。それだけ覚えていてほしいな」
「もちろんだ。じゃあな、風邪とか引くなよ」
「ウニャー」
夕陽が、二人の影を静かに見守っていた。
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