14・遭遇
ネットでその新聞を見た北里母。
「むむ……むむ」
彼女は複雑な表情をしていた。
これは勉強会の方向転換か。受験のみを見すえたテクニックの伝授から、もっと広い視点に立とうとしているのか。
記事自体は今回も、ある意味テクニックの塊である。王道の構成、論証の仕方など、高度にマニュアル化され、だいたいこのやり方を踏襲すれば、それなりの点が取れるというものだ。
だが、今回は少し趣が違う。
記事が述べる通り、小論文の技術は、受験だけでなく様々な機会に有用である。よい表現術を学ぶことは、それを通した知の本質の探究活動にもつながることであり、決して凡百の小手先の技術におさまるものではない。
彼らは悔い改めたのか。
「……いや、これは……」
もう少しの間、監視が必要だ。
彼らはPTA、というか北里母の批判に引っ張られ、にわかにすり寄り始めただけかもしれない。
文章では歩み寄るそぶりをして、その実、内心ではまだテクニック至上主義を捨てていないのかもしれない。
実際、今回の記事も、それ自体は技術論である。
今しばらく、本心を見るために観察しなければならない。
「おふくろ、どうした」
ふと顔を上げると、息子が心配そうにのぞき込んできた。
「……ああ、いつもの同好会監視か」
「人聞きが悪いわね。インターネットなんだから、公開のものを見るのは勝手でしょう」
「いや……」
息子は面倒そうに首を振る。
「まあいいや。適当なところにしとけよ」
「まあ、お母さんにそんなことを言うなんて」
「だって、ほっとくといつまでも考え事をやめないだろ。同好会についての」
「生意気ね。勉強でもしなさい」
「ハイハイ」
息子は逃げるように階段を上っていった。
ある日の部活で、比名は言った。
「むむ、早々にネタ切れしてきたニャン」
「そうか?」
竹永は首をかしげる。
「だって、主要教科の勉強の仕方も終わったし、小論文もこないだ取り上げたしニャ。面接……は私、他人に教える自信がないニャン。竹永くんもそうじゃないかニャ?」
「まあ、そうだな」
彼はうなずく。
「そうだ、ネタを読者から募集するのはどうだ?」
「うーん」
今度は比名が首をひねった。
前野が代弁するように言う。
「悪くはないけど、たぶんそんなに有効じゃないと思うよ」
「確かに、そんな気もするな」
小説やマンガなどでも、まれに読者参加型企画が立ち上がるが、かなり苦労していることが、企画担当ページから見てとれる。それこそ、作者と編集者だけでやったほうが楽ではないか、と思えるほどに。
それに、読者は紙面作成の当事者ではない。技量はもちろん、熱心さも違うのだ。
おざなりなネタを放り込まれ、結果として採用に堪えるものが出てこない、ということがありうる。
一同はうなる。
「難しいね」
「まあ手堅く行くとすれば、単元ごとの記事を書くってところか」
「それ、数学や歴史はいいけど、国語とか英語は難しいよね。単元なんてあってないようなものだから」
「特に歴史は暗記ニャン。単元を分けたところでどうなのかニャ」
袋叩きにされる竹永。
「国語なら、古典の頻出作品のあらすじを載せるとか。課題文の背景を知っているだけでも結構違うぞ。英語は……単語の派生の仕方とか。形容詞を名詞に派生するとこうなる、とか」
「ほう」
「あとは、どの教科にも共通するけど、おすすめの参考書とかだな」
「思ったんだけどさ」
不破が口を開く。
「あらすじとか参考書紹介とか、手抜きじゃない?」
「うっ」
竹永は言葉に詰まるが、それでも反論する。
「だけど実際、読者が知って得をする情報には違いないぞ。学校の教師はそこまでしないからな」
「うう」
「そうだよ。僕もぜひ知りたいね、そういうのは」
前野が援護をする。
「うーん、考えてみると、ネタは結構あるものだニャン。読者から募集するのも、やっていいとは思うけど、とりあえずはオリジナルのネタを消化していこうニャン」
「まあそうだな」
竹永がうなずくと、議題はネタの精査に移った。
北里母は近所のスーパーを目指していた。
哲学者にだって、日常の買い出しは必要だ。まして、「哲学者を目指したが、なれなかった者」は言うまでもない。
車は、単身赴任中の夫が通勤用に持っていった。したがって彼女は徒歩でスーパーに向かっている。
しかし、そこで彼女はふと思い出す。
そういえば、息子の好物である「甘辛ごまチキン・真打」は、近所では途中のコンビニでしか売っていないのだった。
迷うことはない。最近は愚かな息子と不和なのだから、たまには買ってやって機嫌を取ろう。
本当は論破して己の過ちに気づかせるのが最善だが、まあ仕方がない。
彼女はそう考え、予定にそのコンビニを加えた。
コンビニで、七里は北里母を目撃した。
この世ならざる、という形容が似合う美貌。きっと通っているのは、血ではなく、ぞっとするような知性とおぞましき理想の大義なのだろう。
吐き気がするような女。最大限の唾棄をもって迎えるべき悪魔。
そう、悪魔。勉強会の面々が大人にこびへつらい、取り入って点数稼ぎをする「悪人」なら、この女は知性などというゴミを崇拝し、その手前勝手な信仰を他人に強制する「魔物」。邪神を奉じ、それをひとかけらも顧みることなどない「邪教徒」。
彼は、ふと横を見やった彼女と目が合った。
――インテリぶった狂信者め!
七里はガンを飛ばしたが、北里母は心底興味なさそうに前に向き直り、また歩き始めた。
その眼には一瞬だけ、軽蔑の色があった。
北里母は、どこの馬の骨とも知れない不良ににらまれたが、無視して買い物の続きをするべく、その場を離れた。
どうもあの不良には、彼女のことを知っているような気配があった。知らないなら、あのような憎悪のこもった視線などよこさないだろう。
しかし彼女には全く身に覚えがなかった。
考えてもみてほしい。幼少の頃より、ひたすら知力、学問、真理、善を追求してきた彼女が、同年代ですらない不良の、頭の悪そうな高校生との接点を有するはずなどない。
きっとあの男は、愚かにも自分の、おそらく日頃のうっぷんを、自分の中に押しとどめることができなかったのだろう。
ガンを飛ばす相手は、きっと誰でもよかったに違いない。
だから彼女は見下した。見下しつつ無視した。
そういえば、羽後沿岸高校には七里とかいう、勉強会を目の敵にしている不良がいる、と聞いたことがあった。きっとその七里も、あの不良のようなクズなのだろう。
自分の知ったことではないが。
……色々考えているうちに、スーパーに着いた。
今はとりあえず、買い物をしなければならない。七里だの不良だのより、やるべきことがある。
彼女は、入り口のカートを一台引っ張った。
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