08・塾にまで来た!

 北里の母が生徒会に接触した。その報せは、竹永たちの知るところにもなった。

「まさか、この同好会に敵がいるとは思わなかった」

 竹永はつぶやく。

「それだけじゃないニャン。噂によれば、生徒会や不良の勢力にも、反対者がいるニャン」

「不良……はどうでもいいが、生徒会にもか」

 渋い顔をする竹永。

 不良が粋がったところで、この同好会はびくともしないだろう。治安の悪い高校なら、人数の面からいって脅威となりうるが、この羽後沿岸高校はそこまで不良が幅を利かせる場所ではなかった。

 しかし、保護者や生徒会の中に反対者がいるとなれば、それは大いに憂慮すべきである。

「問題は、僕たちからは特に何もできないところだね……」

 前野がつぶやく。

「もし相手が聴聞会をするのなら、対策の活動に移れるけど……」

「聴聞会?」

 いぶかる竹永に、前野は説明した。

「そんな制度があるのか」

「うん。しかもこの制度、開催の決定は生徒会がするんだよね」

「生徒会……敵が自由にできるのか」

「実際には生徒会全体が廃止に固まったわけじゃないから、そう簡単には来ないだろうけどね」

「今後次第か」

「そう。今後次第。だけど」

 前野が言葉を継ぐ。

「北里母のいうように、受験テクニックなしで『たより』を発行するのは難しいと思う」

「そうだニャ」

 比名がうなずく。

「いい点を取るためには、どうしてもテクニックを使わざるをえないニャン。というより、他の学校では当たり前に使われているだろうから、うちだけそれを放り投げると後れを取るニャ」

「そもそも、どこからが『知の本質』で、どこからがテクニックか分からないしな」

 問題の解き方を全てテクニックというなら、きっと、後には何も残らない。

「現状維持しかないね」

「もしあちらが会を挑んでくるようなら、それまでに地道に勉強支援だよりを出して、選挙管理委員会を含む生徒たちの支持を集めるしかない。下手に生徒会に工作をするのは……あまりよくないな」

「その通りだニャン。私たちはいつも通りでいくしかないニャ」

 比名は大きくうなずいた。

 現状維持。それしかなかった。


 七里は、仲間の不良に話した。

「勉強会とかいうやつら、気に入らねえな」

「どうした」

 谷杉という不良が尋ねる。

「だって、あいつらの目的が見え見えじゃねえか。勉強に励むポーズで、教師にこびを売って」

「そうか?」

 谷杉は首をかしげる。

「言っても、竹永と比名は全国ランカーだし、前野も成績優秀、今更教師にこびる必要はねえだろ。強いて言えば不破だが、仮にそうだったとしても、部員の四分の三は、こびる動機が見当たらない」

「しかしな……」

 七里は内心いらだつ。

「いかにも勉強をまじめにやってますってポーズじゃねえか、あいつら」

「まあ、わざとらしく見えるのはそうだけどよ」

「話によれば、PTAの中にも反対者がいるとか」

 言うと、谷杉はあごをなでる。

「おいおい、親どもの尻馬に乗るのか?」

「尻馬だと?」

「だってそうだろ。こびる生徒を駆除するのに、PTAと手を組むとか、おかしいだろ。実際、相手としても俺たちと手を組もうとはしないんじゃね」

「むむ」

「ほっときゃいいんだ。しょせんは優等生たちの道楽。俺たちは俺たちで、自由にやればいい」

 クソが!

 七里は心の中で毒づいた。


 連休が近づいてきた。

 この羽後県では、県内の高校特有のローカルな休日が重なり、六月下旬にちょっとした連休があるのだ。

 ……しかし竹永は、予備校のプチ集中講義に参加する予定である。

 学力を磨いて比名に勝つ。もちろんそれも動機の一つだが、それだけではない。

 勉強支援だよりのネタを探す。

 もちろん、予備校講師の言うことをそのまま盗むのは、下策であるし問題もある。

 しかし、この経験を通じてなんらかの収穫があれば、それを今後の勉強支援だよりにも活かせるのではないか。そう彼は考えている。


 そこへガインの着信。例によって一対一。


【魔法少女ひなちゃん】やっほー あなただけのアイドル、ひなちゃんだよ☆おっぱいで包んじゃうんだよ☆


 頭が痛くなった。


【TKNG】今度は何だ

【魔法少女ひなちゃん】連休の予定をきいちゃうゾ

【TKNG】予備校の集中講義


 やや間があった。


【魔法少女ひなちゃん】どこの?

【TKNG】聖賢塾。トップレベルゼミってやつ


 聖賢塾は羽後県ローカルの予備校である。ローカルなだけに、こういった学校限定の連休にも柔軟に対応できるのだ。

 それはともかく、またやや間があった。


【魔法少女ひなちゃん】ふーん そっか 頑張れ


 なんということはない普通の会話。

 だが、竹永はなぜか猛烈に嫌な予感がした。


 地図を見ながら会場に行く竹永。その眼前にひょっこり現れるのは……。

 ――いや、さすがに妄想だ。

 自意識過剰、あるいは心配のし過ぎ。

 だいたい万一、比名が来ても別に困りはしないだろう。なぜおびえる必要がある。

 竹永は自分の考えを一笑に付した。


 妄想ではなかった。

「おっ竹永くん、こんにちはニャン」

 竹永は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「なんでここにいる」

「なんでって、そりゃ勉強は欠かせないからニャ」

「お前は」

 一瞬、竹永の心に痛みが走った。

「お前は全国一位だろ。これ以上学業に何を望むんだ」

「竹永くんと同じじゃないかな」

 不意に比名は真剣な表情になる。

「竹永くんは一位になりたい。私は一位を死守したい。ただそれだけだよ」

「くっ……」

 竹永は言葉に詰まった。

 自分が一位になりたいことを、なぜ比名は知っている?

 ……一瞬疑問に思ったが、よく考えたら分かっていて当然だった。

 全国に、竹永より高成績な人間は、目の前の比名しかいない。彼が努めて学業に励むとすれば、比名を抜き去る以外に目的が見当たらない。二位を維持するだけでも、最高レベルの大学には高確率で受かるのだから。

「というわけで、竹永くんと勉強に勤しむニャン。いくら私が可愛いからって、えっちいことはイヤニャよ?」

「ふざけんな」

「でも、どうしても、なんとしてでもっていうなら、パンチラぐらいは許してあげるニャン」

 そう言って、比名は自分のスカートをまくろうとする。

「うわああバカ、やめろバカ!」

「なんちゃってニャ。嘘だニャン」

「がっ……はっ……!」

 完全にからかわれた。竹永は赤面する。

「さてと、早く会場に入るニャン。おいてっちゃうぞ」

「お前……」

 ふざけた魔法少女と、真剣な二番手は、かくして会場内に入った。


 比名が竹永と同じ講義を受ける。

 ということは、竹永は漫然と講義を聞いているだけでは、比名を追い越すことがかなわないということだ。

 この集中講義で、なんとしても比名以上の成長を見せなければ。

 竹永はそう決意を新たにした。

 ……しかし。

「なんだよ、比名」

 竹永は小声で話す。さっきから隣席の比名が、チラッチラッとこちらを見るのだ。

「なにが?」

「なにがじゃねえよ。なんか用か?」

「全然」

 比名はニマニマする。

「じゃあなんなんだよ」

「……竹永くんからワルゾーンの気配がするニャ。だから監視しているニャン」

 分からない。全く分からない。

 竹永は比名の熱い視線を受けながら、戸惑いつつも講義を聞く。

「現代文の選択肢は、まぎらわしい。しかしある程度なら、見分けることができます」

 講師が話す。

「例えば、『夕食はカツカレーにすべきだが、ジャガイモとニンジンがないときはやむをえずチャーハンにすべき』と課題文に書いてあったとします。すると、回答の選択肢がだいたいこんな感じになるはずです」

 一、筆者はカツカレーとチャーハン、どちらも正当だと思っている。

 二、筆者は原則的にカツカレーを正当とする。

 三、筆者はカツカレーとチャーハンの選択制を推している。

「正解は二です。一と三は、一見それっぽいですが、論理をよく見ると、微妙に正解と異なるわけです。基本的に余計なことを書いている選択肢は間違い。見た目、言葉が足りないように思える選択肢は、正解の可能性が高いのです」

 なるほど、と竹永は思った。

 二の選択肢だけ、チャーハンに言及していない。一見言葉足らずに見えるとは、つまりこういうことだろう。

 国語も、ある程度は解答を定式化できるのかもしれないな。

 竹永は勉強会的な感想を残しつつ、ノートに内容を書いた。


 しかし。

 昼食の時間、竹永は考える。

 今日やったことだけでも、例えば国語の選択肢の見分け方は、テクニックとも知識そのものともとれる。

 これを北里母はどう判断するのか。テクニックだとして切り捨てるのだろうか。

 もしそのようなものも小手先の技巧として否定するのなら、勉強は、というか勉強でやるべきことは、無残にやせ細ることだろう。

 北里母は、テクニックと知力を厳密に切り分けられると考えているのかもしれない。しかし現実はそうではない。そこまで受験界は単純ではないのだ。

「どうしたニャン、難しい顔をして」

 比名が顔をのぞき込む。

「ひゃああ」

 彼女の顔があまりにも近いので、竹永は変な声を出した。

「おや、私のスーパープリティな魔法少女フェイスにドッキリした?」

「し、してねえよ」

 図星だったが、彼は気を取り直す。

「……いや、北里の母は、この集中講義でやっているようなことも、小手先だって切って捨てるのかな、と」

「ありえるニャ」

 彼女はうなずいた。

「理念は立派だけど、あの人はどうもその線引きすらしていないね。基準なき規範。ひどいものだよ」

「あんま悪口みたいなことは言いたくないが、それにしてもあの人は、いろいろ考えていないよな」

「全くニャ。でも……」

「でも?」

 比名は意を決したように告げる。

「もし万一、勉強支援同好会が廃部になっても、こうして私と一緒に勉強してくれると、うれしいな」

 にこ、と彼女は、恥ずかしそうに微笑む。花が咲いたような笑顔だった。

「まあ、考えなくもない。前野と不破も誘ってな」

「私は竹永くんに言ってるんだよ」

「だからって、あの二人をほっとくのはないだろ」

「……もう、竹永くんったら」

 比名はなぜか、すねたように言った。

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