07・暗躍の始まり

 編集会議を経て、勉強支援だよりは、また発行された。

 不良、特に七里。

 北里母と一部のPTA。

 ついでに生徒会の一部。

 立場の違う人間が、それぞれにこの新聞を敵視している。

 もっとも、北里の母は、生徒会はともかく、不良の勢力と手を結ぶつもりなどさらさらなかった。行動原理が天と地ほどに違うのだから、当然である。

 ともあれ。

 北里の母は、決然にして確固たる意思で生徒会に手を回し始めた。先日、生徒会の目安箱に匿名で投書を出したのだ。

 主張は――受験テクニックでテストを乗り切るのは、知の粉飾であり、知の修業に対する怠慢である、と要約できる。

 建前論は結構なことだが、それで大衆が納得するとは思えない。みんな、やりたくもない勉強をしているのは、知の究極に達するためなどではなく、目の前の受験を乗り切るためだ。憂うなら社会全体を憂うべき。

 ……などと人は言うだろう。

 否、そんなことを言う人など、「人」ではない。

 人が人たるのは、本質に対し真摯な知性を備えているからだ。それを捨て、目の前のテクニックにすがる存在を、どうして人などと言えようか!

 理想とか本質というものは、それが目指すべき価値を持っているから掲げるのだ。それらを捨て去った人など、主体的意思を失っているも同然!

 その言葉を聞く価値もない!

 彼女はいささか厳しい表情で、放課後の「人」の少ない新聞掲示板から離れた。


 そして彼女は、生徒会室を訪れた。

「ぜひ、勉強支援同好会……通称『勉強会』、ですか、……について、生徒会のご意見をうかがおうと、そう思ったのです」

 話し合いという名の論戦。

「勉強会ですか」

「そう。知性を粉飾に堕そうとする悪魔です」

 理想を阻むなら、それは悪魔と呼ぶに値する。

 ちらりと見やると、同じく反対分子とみられる役員二名は、しかし、北里母に対して渋い表情をしていた。

 結論が同じ。しかしそこへ至る経路が違うのだろう。憶測でしかないが。

 ともかく、容易には共闘に至らない。北里母と七里が盟を結ばないのと、きっと同じ。

「悪魔、とはただごとではない言葉ですね」

「それをご説明するためにここに来たのです」

「なるほど……とりあえず、お座りください」

 生徒会長は内心早く帰ってほしいと思っているのだろう。この人物は特段、例の同好会について意見を有していないと聞いている。

 しかし、それに忖度するほど、北里母は甘ったれではない。そう自負している。

「ではお話を始めましょうか」


 受験テクニックは知力ではなく、それをかさ上げしたように見せかける虚飾である。知力の追求ではなく、目先のテストをごまかして高評価を得ようとする、下種の怠慢的行為である。

「と私は考えるのです」

 きっとこの俗物生徒会長は、主張を理解していないだろう。

 理念的すぎる。他の人間がついてこない。抽象論で生徒会が権限を行使するなどもってのほかだ。

 ――考えが手に取るように分かる。

 この俗悪が。よくそんな態度で生徒会長に選ばれたものだ。

 彼女は内心見下しつつも、礼を失しない程度に語った。

 一通り聞かせた後の会長は。

「おっしゃりたいことは分かりました。しかし……」

「理念的すぎる、とでもいいたいのでしょう?」

 北里母はうっすらと怒気をはらんだ言い方をする。

「確かに、今はこの意見は力のない理念かもしれません」

「いや、その」

「しかし」

 彼女は、しかと会長を見すえる。

「正義は勝たなければなりません。勝てば官軍、と人は言いますが、邪悪が勝って長続きしたためしはありません。つまり」

「つまり?」

「力なき正義は、切り捨てるのではなく、私たちの努力によって、『勝てるように』力を増さなければ、育てられなければなりません」

 彼女は燃えるような声で訴える。

「力なき正義が不要であるなら、その『力』を養い育て、力ある正義に昇格しなければなりません」

「なるほど」

「例えば、生まれたばかりの赤ん坊には力がありません。しかしだからといって、その赤ん坊を生まれたそばから捨て去ってしまえば、人類は滅びます」

 正論。これ以上ない正論。

 少なくとも彼女自身はそう思っている。

 しかれど。

「お話は分かりましたが、ただ……部活の廃止は、生徒会だけの一声では決められません」

 部活の廃止は、基本的に校則によって機械的に判断される。具体的には、部員が一人、またはゼロになったときにしか廃止できない。

「例外として、生徒会は職権で、対象となる部活の存廃について聴聞の機会を設けることができます。要は公開の演説で、そこで選挙管理委員会で選ばれた、七人の審判のうち、過半数が理由ありと認めれば、その部活を廃止できますが……今までこの制度が使われた例はありません」

「ほう。そういう制度があるのですか」

 北里母の眼がきらりと輝いた。

 同時に、生徒会長は一瞬だけ苦い表情をしたが、すぐに戻った。

「あるにはありますが、生徒会の裁量権行使、つまり聴聞会の執行には、慎重な判断が求められる、という趣旨のことが校則にあります」

「なるほど、なるほど」

 俗悪な蛇足はともかく、よいことを聞いた。

「まあそういうことで、すぐにどうこうするのは無理ですね。生徒会としても、生徒たちの最低限の自主性は尊重したいですし。これ以上はちょっと」

「むむ……」

 桑浜にごまかされるように、話は閉じた。

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