05・逢い引き

 その日の夜、竹永のスマートフォンに、ガインの着信があった。

 部活のみんなで共有するトークではなく、一対一の話。


【魔法少女ひなちゃん】やあ! あなたのアイドル、魔法少女ひなちゃんニャ!


 イラッとした。


【魔法少女ひなちゃん】ところで今度の日曜日、空いてるかニャ?

【TKNG】どうした

【魔法少女ひなちゃん】こないだ数学を教えるっていったやつ、日曜にやらないニャン?

【TKNG】別にいいが、他のメンバーは?

【魔法少女ひなちゃん】来れないって。みんな用事があって。

【TKNG】そうか。俺は行くよ。どこ集合?

【魔法少女ひなちゃん】午後二時、沿岸駅でいいかニャン?

【TKNG】よし分かった。日曜の午後二時に沿岸駅な。よろしく頼む

【魔法少女ひなちゃん】よろしくニャン☆


 彼は「数学を教える」の件については、社交辞令かもしれないと思っていたが、どうやら本当に教える気らしい。

 しかし、結果的にとはいえ、女子と二人きりで外出。

 これってデート、では?

 竹永の顔が熱くなる。

 相手は、性格はともかく、容姿だけは可憐。そんな女子と二人きり。

 他のメンバーが来れないというのも、もしかしたら嘘かもしれない。最初から二人だけで外出する目論見だったということもありうる。

 いや、自意識過剰だろうか。尊大な考えにすぎるだろうか。

 様々な思いに、胸が高鳴る。

 ……しかし、竹永はあることに気づいた。

 教える側と教えられる側。今回の勉強会で、否応なく上下の差を思い知らされるだろう。

 上回るものと下回るもの。知のあるものとないもの。教えを垂れるものと、それを従順に受け取る、受け取らざるをえないもの。

 竹永の心が、またちくりと痛む。

 実力の差というものが、質量をもって彼に襲い来る。客観的な離隔が、刃となって彼をえぐる。

 日曜日は、楽しみでもあり、また闇でもあった。


 その日曜日がやってきた。

 服装に頓着しない竹永は、適当に着てきた服で待ち合わせ場所に向かう。

 と、聞き慣れた声が聞こえる。

「あ、竹永くん、こっちニャ」

 見ると、比名が手を振る。すでに来ていたようだ。

 白の長袖に、暗色系の花柄ミニスカート。むっちりした脚がまぶしい。

 普段の制服姿とは違う、オフの女の子がそこにいた。

「ふふ、どうしたのかニャン。じろじろ見ちゃって」

「いや……率直に可愛いと思って」

 言うと、比名は顔を真っ赤にする。

「フニャ……可愛いだなんてエヘヘ」

 竹永は、自分が言ったことに気づき、つられて顔が赤くなる。

「いや、他意はないからな」

「ウヘヘフヒヒ」

 はたから見れば、初々しいバカップルにしか見えないだろう。

 きちっとしなければ。バカップルにみられるのだけは嫌だ。

「じゃ、行こうかニャ。ウヒヒ」

 竹永はうなずくと、比名とともに歩き出した。


 竹永は問う。

「なあ、どこに行くんだ?」

 数学を教えてもらう勉強会。そうであれば、行き先は……。

「図書館とかファミレスとは方向が違うんだが」

 彼が比名に連れられてきているのは、ゲーセン、ボウリング場、カラオケ屋などが立ち並ぶ、繁華街のアーケード。

 最初に市外行きのバスに乗せられた時点で気づくべきだったが、緊張のせいで察することなく来てしまった。

「勉強と遊びのメリハリが大事ニャン。今日は息抜きから始めようニャン!」

「えぇ……」

「まずはそこの『アニメのあな』から行くニャン!」

 言いつつ、比名は竹永の腕を抱く。

「いやいや、えぇ……」

 彼は困惑しながら、店の中に入った。


 比名は熱弁する。

「これは『魔女っ子ストライク・ソラシド』のコスプレ衣装ニャン。可愛いニャろ?」

 彼女が手に取った衣装。可愛いといえば可愛い。

「はあ」

 気のない返事。

 竹永はオタクの世界を全く知らない……わけではない。むしろ彼もオタクである。

 アニメのオンデマンドサイトで、あらかた有名作は見ているし、売れ筋のマンガもそこそこ読んでいる。ライトノベルも例外ではない。

 しかし、彼は魔女っ子や魔法少女を題材にした作品には、あまり興味がなかった。

 例えていえば、SFファンに本格ミステリーを勧めても、あまり大きな反応がないようなものである。まさにフィールドが違うのだ。

「それからこれは……」

 快活に魔法少女愛を語る比名。

 その瞳は輝き、ほほには赤みが差し、表情は天使のごとく。

 悪くないな。

「うお!」

 自分の脳裏に浮かんだ感想に、竹永は思わず変な声を出した。

「どうしたニャン。いきなり」

 気づかわしげに上目遣いをする比名。

「いや、なんでもない。なんでもないんだ」

「ふうん。変な竹永くんニャ」

 比名はそれ以上追求せず、また魔法少女グッズを漁る。

 今日の自分は、ちょっとおかしいかもしれない。よりにもよって比名を悪くないと思うなど。

「うう」

 彼は自分の不覚を恥じた。


 その後、二人は映画館で人気作を見たり、ゲーセンでUFOキャッチャーやリズムゲームなどをしてひとしきりキャッキャした後、おしゃれな洋食店に入った。

「いやあ楽しいニャン」

 比名はとてもご満悦の様子。

「あの、一ついいか」

「なんニャ」

「数学の勉強は?」

 真顔で竹永が尋ねると、比名は平然と返す。

「思ったんだけどニャ、本当にそれ必要?」

「えっ」

 比名はまじめくさって答える。

「私も竹永くんも、スポーツに例えれば達人クラス。下手をすればそこらの塾講師をしのぐレベルだよ」

「そうかなあ」

「そうだよ。全国ランカーってのは、それぐらいすさまじい領域だよ。自画自賛みたいになるけども。教師や塾講師の中でさえ、現役時代、その域に達した人はごくわずか。いないも同然」

「うーん」

「で、その域まで達した私たちは、あとはもう自力で鍛えざるをえないんじゃないかな」

 彼女は真剣な表情で続ける。

「もう人から教わる次元じゃない。自力でいかにして学力を極めるか。高みを目指して自分で手を伸ばさなければならない」

「むむ」

 彼女があまりに真剣に語るものだから、竹永は「じゃあなんで勉強会に誘ったんだ」などという野暮なツッコミを失念した。

「私にとって竹永くんは、その領域を分かり合える、貴重な人ニャ。竹永くんもそう思うニャン?」

 聞いた瞬間、竹永の胸が痛んだ。

 確かに竹永も、学力では尋常でないレベルにはある。しかし目の前の「魔法少女」は、同じ領域ではない。彼が全力で手を伸ばしてもなお、超えることのかなわない人間。別世界のさらに別世界。

 分かり合える?

 いや、同じように見えて違う。壁を越えてなお壁がある。

 分かり合えなどしない。

 竹永が押し黙ったのを見て、比名は「ニャハ」と笑う。

「カップルにしては無粋な会話をしちゃったニャ。すまんニャン」

「カ、カップル」

「竹永くんはそのつもりじゃなくても、周りからはそう見えているニャ。たぶん」

 比名は「えへへ」と笑う。

 花の咲いたような笑顔がまぶしい。

「むむ」

 また不覚にも胸がキュンとした。

「カップルはカップルらしく、らぶらぶしようニャン」

「くっ……」

 幸せなのかコンプレックスを刺激するのか分からないこの時間は、静かに過ぎてゆく。


 夕方、お別れの時間がやってきた。

「竹永くん、ここで今日はお開きニャン」

 結局、勉強会といいつつ勉強をしなかった。二人で「カップルのように」遊び歩いただけだった。

 もっとも、竹永は一日遊び歩いたぐらいで、成績に影響が出るような男ではない。すでに受験の全範囲を自主学習で押さえており、数えきれないほどの復習もしている。なんなら、今すぐ受験しても、トップ校――本郷国立大学を狙えるだろう。

 しかし、問題は別にある。

 せっかく全国一位の比名からノウハウを盗める好機だったのに、彼女のやる気がないせいで、おじゃんになった。竹永がやり方を盗んで成績を上げられるのは、全国にただ一人、比名しかいないというのに。

「じゃあな」

「また学校でニャン!」

 比名は満面の笑顔で、手をふりふりした。

 可愛い。

 竹永は思わずほほを染めた。

 まあいいか。デートみたいなこともできたし。……なんだかんだ言って、竹永も男子だった。見た目だけは端整な女子とデートをして、悪い気はしない。

 彼の能天気さを、薄暮の光が照らしていた。

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