不意打ち
砂浜海岸の逆サイドにある港に、船が近付いていく。
その影はまだ小さいが、汽笛の音は大きい。
船は毎日、正午ちょうどに港に着く。
これ以上、冒険を続けるのは難しい。
でも明日になれば、ハグのフィナーレが待っている!
「おっと。そろそろ行かないとっ!」
俺より先に、イオが言った。
今日はずっとこの調子だ。
俺のセリフをイオが奪っていく。
「うん。じゃあ、明日だね」
「あっ、そうだ! 最後に教えておかないと」
イオがそう言いながら俺の左に近付いてきた。
その距離はさっきと同じくらい。
少しだけ潮が混じったいい匂いがした。
「こうやって取ればいいのよ。分かった?」
「やってみるよ」
俺はそう言ったあと、右の耳に集中した。
けどこれが、なかなかうまく行かない。
「慣れるまでは、目を閉じた方がいいかも」
「こう、かな……」
俺は言われるがままに目を閉じた。
お姉ちゃんもしている仕草だったから、ごく自然にその言葉に従った。
不意打ちだった。
意識を集中させていたのは右の耳。
一瞬にして左の頬に移った。
何だか分からないけど、やわらかい感触……。
俺は、思わず目を開けた。
そこにあったのは、イオの薄い唇だった。
嫌味のない天然色のピンク、俺は好きかもしれない。
「こら。目を開けるのが早いって!」
照れるイオ。血の色と肌の色が混ざって、どぎついピンクになった顔。
俺の顔も、同じ色になっているに違いない。
「まだ、取れてなくて。だからその、集中しなきゃ……」
訳の分からないことを言って、イオに背を向けた。
頭の中では何度もやわらかい感触がよみがえる。
これって、どう考えたって、俺得じゃん!
「いいわ。短かったけど、私得だったから」
また先に言われた。
「そんなことないって。こっちの方が得だから……」
イヤリングが取れるまでに、どれくらいの時間が経っただろう。
「もうそろ、本当に行くから!」
イオは俺がイヤリングを外すのを見届けると、駆け出した。
嫌味のないピンクのワンピースがなびく。
後ろ姿もたまらなく、かわいい。
これで、ひとまずお別れとなる。
大冒険のヒロインは、走って行ってしまったが、まだ見通せる。
両翼2キロの海岸は伊達じゃない。
どんどん小さくなっていくイオ。
そういえば俺、自分の名前も言ってない。
そう思ったときには、イオの背中に向かって叫んでいた。
「イオーッ。俺の名前は楢原貴介だーっ。覚えておいてくれーっ!」
その声が届いたかどうか、分からない。
船が再びボーッと汽笛を鳴らした。
その音の方が大きかったかもしれない。
ホテルに戻ったのは、12時ちょっと過ぎ。
俺は待ち構えていた妹に捕まった。
逃れることはできない。くすぐりの刑だ。
「きゃははははっ、めんごめんご。許してっ!」
「いいえ許しません。今日という今日はお兄さまには笑い死んでいただきます」
言いながらブロンズの長髪をなびかせて俺をくすぐる妹の舞花。
かなり本気のようだ。
「くっ、くはははははっ。おみ……お土産があるから、お願いだから……」
「お兄さま! そういう大事なことは、先に言ってください……」
妹の手が止まる。お土産の効果は絶大!
俺はそーっとさわやかなグリーンの水中メガネを取り出そうとした。
「……安物の水中メガネとかだったら、許しませんよ!」
水中メガネをカバンの奥にしまった。
ゴソゴソとそれらしいものを探したが、見つからない。
1つだけそれっぽいのがあるにはあるが、これをあげるわけにはいかない。
「あれ……おっかしーなぁ……」
1度は手にしたイヤリングを水中メガネよりも奥へとしまう。
「お兄さま、さては本当に、水中メガネだったんですか?」
鋭い。妹はいつもそう。
これ以上、もたもたしていても、しかたがない。
俺は意を決して、水中メガネを取り出した。
「そう。その通り! 舞香へのお土産は、コレだよ! コレ!」
「そんなバカな。こっちじゃないんですか?」
妹はちゃっかりと俺のカバンに手を突っ込んでいた。
そしてイオからもらったイヤリングを手にしていた。
「ダメーッ! それは絶対に、ダメーッ!」
「そうですか、そうですか。でしたらお兄さま。分かってますよねっ!」
妹の手が俺のそこここを刺激する。
一体、どこでこんなくすぐり方を覚えたんだと感心する。
見舞いに行くまでの30分もずっとくすぐられた。
地獄のようだった。けど俺は、イヤリングを守り抜いた。
俺にとっては人生初のラブコメ展開。
続きが楽しみでしかたがない。
翌朝……。
「きっ、緊急退院だって?」
聞いたことない。
「そうよ。お母さん、ただの食べ過ぎだったみたい!」
笑顔だった。
お母さんが笑顔なのは何より。
だけど、1日早いんだって……。
「じゃあ、なるはやで東京に帰るわよ!」
「今からだと、9時の飛行機に間に合うわね」
と、お姉ちゃん。
「うんうん。それに乗って帰りましょう!」
「わーいっ! 歩くんとも会えるね! 舞香、楽しみ過ぎるわ!」
歩というのは俺の幼馴染。俺とよりも舞香と気が合う。
お互いに旅行したときは土産を買って帰る仲。
こうして、俺はイオとの約束を果たすこと叶わず、東京へと帰った。
奇跡のラブコメ展開は、6月30日の1日限りだった。
======== キ リ ト リ ========
お母さんの緊急退院が2人を引き裂いてしまいました。
天然色のピンク。やっぱこれですよ、これ!
第1章はこれまで。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
この作品、この作者、この登場人物を少しでも応援してもいいって思われたら、
☆や♡、作品フォローやコメント、レビューをいただけるととてもうれしいです。
よろしくお願いいたします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます