第七幕 剣に足る者




 その翌日、一月もそろそろ終わりを迎えようという昼下がり、冬木町を通り掛かると、仕舞屋造しもたやつくりの一軒家から、三味線の音色と共に良く通る滑らかな節回しが響いて来た。

 お登勢とせが弟子に稽古を付けているのであろう。日差しの暖かい春の陽気である。正月のせわしなさもいつしか緩んで、間延びしたような長閑のどかな気配が辺りを包んでいた。

 足を止めようとして躊躇ためらい、兵悟は再び歩き出した。

 知り合って半年、昼の日中ひなかからお登勢の家を訪ねることはしない。常磐津の女師匠は、金と暇とを持て余した大店おおだなの旦那や隠居連中なしに成り立たない商売である。情夫おとこが出来たと知れれば差し障りもあろう。女一人で立派な家に住めるのも、金持ちの太い客がいればこそだ。

 なので兵悟はいつも、日が落ちてからこっそりお登勢の家を訪ねることにしている。まるで間男だなと苦笑いするが、それが兵悟なりの気遣いであった。

 しかし昨夜の文吉の話によると、お登勢と兵悟の関係は旦那連中にもとっくに知られてしまっているようだ。

 「・・・・・そろそろ潮時かも知れねぇな」

 一人の女に深入りはしない。用心棒など所詮は根無し草のヤクザな商売だ。当然、怨みを買うこともある。いつ斬り殺されたところで文句は言えない。そう割り切っている。そんな男が所帯を持つなど考えられなかった。

 剣を捨てて町人になろうかと迷ったこともある。だが結局は捨てられなかった。剣以外に取り柄はなく、剣以外に生きる道はない。己にとって剣を捨てることは死ぬことだと、そう改めて思い知らされただけだった。

 お登勢の器量なら今に大店おおだなの若旦那にでも見染められて、そのお内儀ないぎに収まることも出来るだろう。そっちの方がよっぽど幸せに違いない。そう思った。


 なんとなく晴れぬ気分のまま、富岡八幡宮の鳥居を潜った。

 さすがに不景気の煽りを受けて以前ほどではないが、境内はまだまだ参拝客で賑わっていた。様々な見せ物小屋や露天が立ち並び、客引きが競うように大声を張り上げ、その前を綺麗な着物を着た娘や家族連れ、お供を引き連れた侍や商人、田舎からのお登りさんなど、大勢の人々が往き来している。

 兵悟は気分が晴れないとき、此処へ来てしばらくぶらぶらして過ごす。人々の活気に触れていると、何故か妙に安心するのだ。

 

 拝殿に手を合わせ、富岡八幡宮の別当寺である永代寺の方角へ向かって歩いていると、前方に何やら人だかりが出来ていた。近付いて人垣の間から覗き込む。粗末な身なりをした浪人風情が二人、地面にうずくまってこちらに背中を向けている男を散々に蹴り付けている。

 なんだ、ただの喧嘩か。興味を失ってその場を離れようとすると、羽織の袖を誰かに引っ張られた。赤い着物姿の十歳くらいの娘が、訴えるような眼差しで兵悟を見上げていた。

 「お武家さま、あの人を助けてあげて!」

 「どうせ酔っ払いの喧嘩だろ。ほっとけ」

 立ち去ろうとしたが、娘は兵悟を離さなかった。

 「あの人、あたしの弟を庇って殴られてるの。お願い!」

 参ったなぁと兵悟は頭を掻いた。つまらない厄介事に巻き込まれるのは面倒だった。

 兵悟は口の端を歪め、せいぜい悪人顔を作ってみせた。

 「俺の商売は用心棒でな。無賃ただで人助けはしねぇんだ」

 「じゃあ、これあげる!」

 そう言って娘が目の前に差し出したのは、串に一つだけ残った団子であった。

 真剣な眼差しで串団子を差し出す娘を見て、兵悟は思わず吹き出してしまった。自分が善人だとは露ほども思わないが、悪人に徹するのもまた難しいようである。

 兵悟は娘の手から串団子を受け取った。

 「仕方ねぇ、引き受けた」

 一つだけ残った団子を口に咥えて頬張ると、串を手にしたまま人垣を掻き分け、いまだ狼藉を続ける二人の浪人の背後に迫った。団子を飲み込み、息を整える。

 「よう、その辺でやめときな。神さまの縄張りで罰当たりな真似なんかするもんじゃねえぜ」

 「ああ?」

 二人の男が同時に振り向いた。右に立つ男は上背はないが丸太のような体躯をしている。左に立つ男は上背は高いが棒のように細い。体型は真逆だが、品も徳もなさそうな人相だけは妙にそっくりだった。

 「・・・なんだぁ、てめぇ」

 丸太のような男が手を伸ばして、兵悟の胸ぐらを掴もうとする。兵悟は男の手首を掴むと、一瞬の早業でその人差し指と中指の間に串の先端を突き刺した。

 「うぎゃっ!」と男が悲鳴を上げた。串は男の指の間に見事に突き立っている。兵悟は一歩踏み込むと、丸太男の顔面に頭突きを喰らわせた。さらに体勢を落として鳩尾みぞおちに肘で当身あてみを入れつつ、体当たりで吹っ飛ばす。

 おお、と群集から歓声が挙がった。

 「何しやがんだ、てめぇ!」

 棒のような男が腰の刀に手を掛ける。兵悟は反転して瞬く間に間合いを詰めると、その柄頭を抑えて抜刀を防ぎ、さらに掌底しょうていで棒男の顎を突き上げ、足払いで地面に転がした。

 振り返ると鼻血を滴らせた丸太男が、指の間から串を引き抜いてヨタヨタと立ち上がり、抜刀しようとしている。兵悟は一瞬早く棒男の腰から刀を引き抜くと、その切っ先を丸太男の喉元に突き付けた。

 「───まだやるかい?」

 とても敵う相手ではないと見たらしく、二人の浪人はすごすごと引き揚げて行った。「覚えてろよ」という、三文芝居の悪役ような捨て科白付きで。

 と、棒のような男が戻って来て、なんとも情けない表情で兵悟の手にしている刀を指差した。

 「あの・・・・・それ返してくれない?」

 

 周りを取り囲む群集から一斉にわぁっと歓声が挙がった。兵悟の周りに群がって手を叩き、口々に賛辞を投げる。なんだか千両役者にでもなったような気分で酷くこそばゆい。

 「ええい、見世物は終わりだ。けえった帰った」

 兵悟がしっしっと犬を追い払うように手を振ると、人々は笑いながら三々五々に散って行った。火事と喧嘩は江戸の華というやつで、江戸っ子たちにすれば面白い余興になったことだろう。


  「よう、あんた大丈夫かい?」

 兵悟は背中を向けてうずくまったままの男に声を掛けた。

 「いやぁ、お陰で助かった。すまんのう若いの」

 そう言って振り向いた無精髭の丸顔は、あのいつぞやの竹光浪人である。

 「・・・あんた、あのときの」

 「おお、これは奇遇じゃのう」

 面食らう兵悟に向けて、坂下盛右衛門さかしたせいえもんはにっかりと笑ってみせた。

 その盛右衛門の懐から、五歳ぐらいの男の子がヒョッコリと顔を覗かせる。どうやらこの子を庇って袋叩きに遭っていたらしい。

 「なお坊! なお坊!」

 先刻、兵悟に助けを求めた赤い着物の娘が、泣きながら男の子を抱き締めた。

 「この子がさっきの浪人どもの足にぶつかってのう。こんな幼い子を無礼だなんだと小突き回しておるので、儂が見兼ねて止めに入った訳じゃ」

 盛右衛門は二人の姉弟きょうだいに笑いかけた。

 「まぁ怪我はなさそうで何よりじゃわい。さぁ、早く帰りなさい。お前たちの親が心配しているといけない」

 弟の手を引き、何度も頭を下げて去ってゆく娘を、盛右衛門は手を振って見送った。

 その様子を見て、兵悟は呆れたように小さな溜め息を付いた。

 「あんな連中、あんたの腕なら軽くひねれただろ。なんで抵抗しなかった?」

 「あの子が儂の足にしがみついて離れんかったでなぁ。巻き込んで怪我させたらいかんと、とりあえず懐に庇っておった」

 「まったく、お人好しにも程があるぜ。見ず知らずのわっぱを守るために、てめぇが痛い目に遭ってりゃ世話ねぇや」

 兵悟の悪態に、盛右衛門は声を上げて笑った。

 「こう見えて儂は寺子屋の師匠をしておっての。子供は国の宝じゃ。その子供を見捨てるようでは、寺子屋の師匠など務める資格はあるまいて」

 そして顎の無精髭を撫でながら兵悟を見上げる。

 「お人好しはおぬしも同じじゃろ。儂を助けるため、浪人ども相手に大立ち回りを演じたではないか」

 「別に好き好んで助けた訳じゃねぇや。あの娘に頼まれて仕方なくだよ。いいからそろそろ立ちねぇ」

 兵悟が手を差し出す。それを掴んで立ち上がろうとした盛右衛門が「痛てててて・・・」と、顔をしかめて腰に手を当てた。

 「おいおい大丈夫かい? とりあえずそこで休みなよ」

 兵悟は盛右衛門に肩を貸し、近くの水茶屋の店先にある長床机ながしょうぎに腰を下ろさせた。心配顔の茶屋の娘に水を頼むと、さっきの騒ぎを見ていたらしい主人が出て来て、搾った濡れ手拭いを渡してくれた。それからお代はいりませんと言って、茶と菓子を置いてゆく。さらに籠を呼んで、盛右衛門を医者まで運んでくれるという。身を呈して子供を庇った盛右衛門の行いに、いたく感銘を受けたらしい。

 「ほれ、人助けをすると自分もこうして助けて貰える。善因善果。情けは人のためならず、というやつじゃな」

 「つくづくと呑気なおっさんだぜ」

 飄々ひょうひょうとした盛右衛門を見ているうちに、兵悟はなんだか拍子抜けしたような気分になって笑った。

 「まぁ骨はどこも折れておらんようだし、軟膏でも塗って寝ていれば治るじゃろ。なに、若い頃は道場で散々荒っぽい稽古をして来たのだ。これぐらいどうってことないわい」

 濡れ手拭いで腕に出来た痣を冷やしながら、そう言った側から「痛てててて・・・」と呻いている。苦笑いしつつ、兵悟はその隣に腰を下ろした。

 

 先刻の騒ぎもどこへやら、富岡八幡宮の境内は賑やかな落ち着きを取り戻している。

 とりあえず人心地ひとごこち付くと、兵悟は隣で茶を啜る盛右衛門に話し掛けた。

 「ところで坂下の旦那、生まれは遠いのかい?」

 「生まれか? まぁ筑前ちくぜんじゃから遠いと言えば遠いかの」

 「そうかい。俺は水戸だ」

 「おお、水戸か。仕官しておった頃、藩の御用で一度行ったことがあるわ。今の時期は梅が見頃じゃのう」

 そう懐かしそうに顔を綻ばせる。

 「なんで江戸に?」

 「まぁ、色々あってな。藩におられんようになった。逃れる先は江戸しかなかっただけよ」

 「そうか。俺と似たようなもんだな」

 しばらく無言になった。茶を啜ると何かが唇に触れた。ふと見ると湯呑みの中に梅の花が一片ひとひら浮いている。風流だねぇ、とまた一口飲んだ。

 「そういえば仇討ちはどうした。目指す仇敵には行き会うたか?」

 盛右衛門が兵悟に問うた。

 「いや、まだだ。だが目星は付けた」

 「ほう」

 晴れ渡った空のどこからか、うぐいすの下手くそな鳴き声が聞こえた。麗らかな春の訪れが、すぐそこまで来ている。

 少し逡巡した後、兵悟は思い切って切り出してみることにした。

 「なぁ、坂下の旦那。───妖刀って信じるかい?」

 「妖刀?」

 「それを手にした者は心を狂わされて人斬りになっちまう。そんな刀のことさ」

 俺の知り合いが、と言い淀んで、兵悟は言い直した。

 「俺の友達が、その妖刀のせいで人斬りになっちまったかも知れねぇ」

 「友達が人斬りというのは確かなのか?」

 「分からん。何も確かな証がある訳じゃねぇんだ。だが俺の勘は奴だと告げている」

 「そうか。その勘は外れて欲しいもんじゃの」

 盛右衛門は茶を啜ると、少し間を置いてからこう口を開いて断言した。

 「妖刀があるかないかと言えば、あろうがなかろうがそんなものは関係がない」

 少し怪訝な表情で、兵悟は盛右衛門を見返した。

 「どうしてそう思う?」

 「刀とは道具だ。名刀だろうが妖刀だろうが、遣い手がいなければ斬ることは出来ない。つまりは遣い手の心掛け次第だ。」

 「・・・そりゃあ、確かに道理だが」

 「妖刀とやらを手にして人斬りになるなら、それは元々その者に悪心があったということよ。それを刀のせいにするなど、武士としてこれほど不心得なことはあるまい。士道不覚悟というやつだ」

 黙って考え込む兵悟に、盛右衛門は諭すように言葉を続けた。

 「だが、おぬしの言いたいことも分からぬではない。儂も昔、名刀と呼ばれる刀を手にしたことがある。まだ藩に仕えていた頃のことだ。ある縁で名高い業物を譲り受けての。その刀を手にして、何とも言えぬ輝きに心を奪われたわ。そして思った。もしこの刀を存分に振るって人を斬ることが出来たなら・・・と。結局、儂はその刀を手放した。少しでもそのような悪心を抱いた、己の浅ましさが怖ろしくなったのだ。だがそれは刀が悪いのではない。己の心が未熟なのが悪いのだ。儂はまだまだその刀に足る者ではなかった。それだけのことよ」

 盛右衛門の眼差しは遠くを見ている。口元に苦い微笑があった。境内の喧騒がどこか遠くに感じられた。

 「刀工が魂を込めて打った刀には尋常でない光が宿る。人の手で作り出した物で、この世にあれほど美しいものはあるまい。神々しいとすら思う。だが、この世ならぬ美には魔が宿る。神性と魔性とは背中合わせの一つのものだ。手にした者の心次第で、それは神剣にも魔剣にもなろう。故に剣は問うておるのだ。お前はこの剣に足る者か、と」

 盛右衛門は身体中の痛みを堪えつつ大きく伸びをすると、真っ直ぐに背筋を正した。そして堂々たる態度で、一言一句はっきりとそらんじるように言った。

 「剣は心なり。心正しからざれば、剣また正しからず。剣を学ばんと欲すれば、先ず心より学ぶべし。──直心影流じきしんかげりゅう島田虎之助しまだとらのすけ先生の言葉だ」

 その言葉に、背筋が自然にスッと伸びるような気がした。だがそれでも、兵悟はこう問わずにいられなかった。

「だが、正しさとは何だ。いってぇ何が正しくて何が間違ってるのか、誰がどうやって証立ててくれるんだ?」

 「それは己の心に問うことよ。幕府も朝廷も、己の正しさを証してはくれぬぞ。味方する者に褒美ぐらいはくれるだろうがな。何ものにも頼らず、何が正しいのか己に問い続けよ。そして、ただ独り己に依ってのみ立つ。さすれば天命は自ずと拓けよう。剣の道とはそういうものだ」

 風が吹いて、兵悟はふと空を見上げた。晴れ渡った青空に、微かな茜色が差してしる。何故か分からないが、先刻までの胸のつかえが取れていくような気がした。

 「・・・・・剣の道か」と、我知らず独りごちた。


 そこへ籠が到着した。兵悟が肩を貸して、盛右衛門を籠に乗せてやる。

 「儂は熊井町の正源寺しょうげんじで、そこの小さなお堂を借りて寺子屋をしておる。おぬしも今度来てみるといい」

 「わっぱどもに混じって論語の素読でもしろってか?」

 「学ぶことは大事じゃぞ。幾つになってもな」

 籠の中の盛右衛門に、兵悟は笑ってみせた。

 「まぁ気が向いたら行ってみるよ」

 「楽しみに待っておる」


 遠ざかる籠を見送っていると、背後から「犬廻さま」と呼ぶ声があった。岡っ引きの源七親分である。

 四十絡みの男で、上背は低いが岩のような体躯をしている。どんな硬い物でも噛み砕きそうな頑丈な顎をして、左の目尻から頬に掛けて刀傷があった。鋭い眼光と相俟あいまって、一睨みしたらどんな悪党でも震え上がるに違いない。

 「おお、源七の親分か。どうしたい?」

 「ちょっとお耳に入れたいことが。例のお旗本の件です」

 昨夜、子分の文吉から知らせを受けて、さっそく調べたのであろう。相変わらず仕事が早い。

 源七は兵悟の隣に腰を下ろした。そして水茶屋の娘に茶を一つ頼む。甘い物は苦手なので菓子は頼まない。

 「辰吾郎たつごろうという、危うく難を逃れた田島屋の番頭に訊いたところ、事件の二日ほど前の夜、堀田さまは田島屋の主、忠平衛を訪ねていたようです」

 辺りをはばかるように声を潜め、源七はそう話した。ヤクザ顔負けの風体ふうていにも関わらず、誰に対しても丁寧な口を利く男だった。

 「用向きは?」

 「それは分かりません。ただ事件の十日ほど前から、堀田さまはたびたび田島屋に忠平衛を訪ねて来ていたとか」

 ふうん、と兵悟は顎に指を当てた。「お藤」で一緒に呑んだとき、堀田は自身が田島屋と知り合いであることなどお首にも出さなかった。

 「で、そもそも二人はどんな関わりなんでぇ?」

 「へい、忠平衛は親父の跡目として店を継ぐ八年前まで、玄武館に通っていたそうです。北辰一刀流の同門として、堀田さまとはその頃からの知り合いのようで」

 「やっぱり繋がりがあったか」

 そこへ頼んだ茶が運ばれて来て、源七は湯呑みに口を付ける前にふうふう息を吹き掛けた。見た目に似合わずの猫舌である。

 「堀田さまのお家は、田島屋からよく金を借りていたようです。返済は滞りなく、関係は悪くありません。ただそれとは別に、堀田さまは田島屋と刀剣を通じた付き合いがありました」

 「ふぅん、堀田さんに刀の蒐集癖があったとは聞いたことねぇな。まぁ侍だから嫌いじゃねぇだろうが」

 刀を集めるにも金が掛かる。旗本といえど金がなくては、たいした業物は集められまい。

 「それは分かりませんが、金を都合して貰う関係上、お付き合いとして仕方なくといった事もあったのかも知れません。身分はお武家の方が上でも、今どきは商人の顔色を窺わねばなりませんから」

 「なるほど。ちげぇねぇ」

 源七は頷き、話を続けた。

 「田島屋はお上にだいぶ金を積んだんでしょう。苗字帯刀を許されていましたから、刀を集めるのに何の問題もなかった。同じ刀剣の蒐集仲間と刀の鑑賞会を開くこともあったらしく、堀田さまもときどき其処そこへ招かれていたそうです」

 兵悟は腕を組んでしばらく考えた後、あまり想像したくないことを口にした。

 「事件前、堀田さんが田島屋をたびたび訪ねていたのは、刀のことが関係してるのかも知れねぇな」

 「・・・と言うと?」

 おそらく源七は分かっている。兵悟に話の続きを促すため、わざとそう言っているのだ。

 「一振りだけなくなっていた刀。孤月蒼正比良だったか。堀田さん、どうしてもそれが欲しくなったんじゃねぇのかい。それで田島屋にたびたび押し掛け、譲ってくれと懇願した。しかし忠平衛は首を縦に振らなかった」

 「それでとうとう殺して奪ったと。しかし、それは堀田さまお一人の仕業でしょうか?」

 「いや、おそらく連れがいたはずだ。田島屋の家族や奉公人は皆、そいつがった。堀田さんの腕なら、忠平衛を斬り捨てるぐらい造作もなかったろう。だが最初から口封じに全員始末するつもりなら、一人より仲間がいた方が助かる」

 「なるほど、それなら確かに筋は通りますな」

 兵悟は源七を振り返った。

 「この話は奉行所には?」

 「先ほど定廻りの同心、片岡さまにお話し致しました。確たる証があるとは言えませんが、おそらく近いうちに堀田さまは、奉行所への出頭を命じられるでしょう。そこで詮議が行われるはずですが・・・」

 心なしか源七の歯切れが悪い。何か気掛かりかい?と兵悟が水を向ける。源七は頷くと、さらに声を潜めた。

 「実は堀田さまは、先の老中、堀田正睦ほったまさよしさまと縁続きのお家柄だとか。そのため奉行所も気兼ねして、あまり厳しい詮議は行われないかも知れません」 

 「なるほど、そういうことかい」

 兵悟は得心した。

 「親分自ら足を運んでくれるたぁ、面倒を掛けたな」

 「いえ、犬廻さまには貴重な助言を頂きましたから。これぐらいは」

 「こっちこそ助かったぜ。ありがとうよ」

 兵悟は立ち上がると、刀を腰に差した。その何かしら決意したような横顔を見て、源七が訊ねる。

 「・・・・・どうなさるおつもりで?」

 「別にどうもしねぇよ。ただ一度話をしねぇとな、とは思ってる」

 そう言って、兵悟は「友達だからな」と、少し寂しそうに笑った。



                (続く)




 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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