第二幕 浪士組




 「近々、上様がご上洛じょうらくあそばされることは知っているな?」

 「まぁ一応は」

 堀田の問いに、兵悟はそう頷いた。

 攘夷を求める朝廷の度重たびかさなる要請に対し、第十四代将軍、徳川家茂とくがわいえもちが、今年二月に京へ上洛するという話は兵悟も耳にしていた。将軍の京上洛はなんと二百三十年ぶりだという。

 「上様ご上洛に先立ち、江戸市中の武家の部屋住みや浪人たちを集め、浪士組という組織を結成することになった。ご上洛の際の道中警護や、京都滞在中における攘夷浪士取り締まりを行わせるのが目的だ」

 堀田は旗本らしく、将軍に関わる話になるとピシッと背筋を伸ばす。忠義に厚い男であった。

 「我が講武所こうぶしょが主体となり、昨年十二月より江戸三大道場を始めとして、各地に募集を掛けている。どうだ、おぬしも行ってみないか」

 講武所とは、幕府の軍備増強の一環として、安政三年(一八五六)に設置された、旗本や御家人子弟の武芸向上を目的とした道場である。

 堀田は北辰一刀流の門人として玄武館げんぶかんに通う傍ら、この講武所でも日々腕を磨いていた。

 「つまり京へ行く道中と向こうで、将軍ダンナの用心棒をやれってことか」

 兵悟が指先で顎を撫でつつそう呟くと、言い方が可笑おかしかったのか堀田は僅かに笑った。

 「まぁ早い話がそういうことだ。用心棒のおぬしにはおあつらえ向きだろう。講武所剣術教授方の松平上総介まつだいらかずさのすけ殿が、浪士取締役の任に就かれる。拙者もその手伝いとして京へ赴くことになった。“忠臣報国の志を元とし、公正無二、身体強健、気力荘厳の者”というのが、募集に際して挙げられた条件だ。浪士組に参加した者は過去の罪を不問とされ、さらには五十両の給金まで出る」

 「へぇ、そいつは豪気だ」

 無聊ぶりょうかこつ武家の部屋住みだけでなく、浪人まで使おうというのは上手い遣り方だと兵悟は思った。浪人どもの職の斡旋になるついでに、江戸からも厄介払いが出来る。これを考えた奴はさぞかし頭が良いに違いない。

 「浪士組か。そういや日野で知り合った薬屋がそんなこと言ってたなぁ」

 土方ひじかたという名で、商人にしては向こうっ気の強そうな男だった。歳の頃は兵悟とさして変わらない。試衛館しえいかんという道場に通っていて、そこの仲間たちと共に浪士組に参加するつもりだと息巻いていた。

 「上様のお役に立てる良い機会だ。働きが認められれば、仕官の道も拓けよう」

 堀田の何気ない呟きに、彼の心情が見て取れる気がした。

 無役の部屋住みなど、ただの穀潰しと変わらない。そんな屈折した思いを抱く旗本や御家人の子弟は多い。己の生き甲斐を見い出せぬ者は内側から腐ることもある。まるで破落戸のように喧嘩を売って歩いたり、辻斬りに及ぶ旗本御家人も珍しくなかった。

 「俺ぁ仕官には興味ねぇなぁ。武家の作法なんざとっくに忘れちまった。いまさら宮仕えしても窮屈なだけだぜ」

 兵悟が冗談めかしてそう言うと、堀田は屈託なく笑った。

 「相変わらず欲のない奴だ。だが、おぬしのような腕の立つ男が、共に来てくれると心強い」

 京の都はいま、攘夷志士が「天誅てんちゅう」と称する、幕府寄りの人物に対する暗殺が横行している。一度ひとたび事が起これば凄惨な斬り合いになるのは間違いなく、少しでも腕に覚えのある者が必要とされるのは至極当然であった。

 

 あまり乗り気でない様子の兵悟を見て、堀田が話の水を向けた。

 「そういえば、おぬしは水戸の出だったな。やはり幕府に味方するようで気が進まぬか」

 安政七年(一八六〇)、桜田門外における井伊大老の暗殺。老中、安藤信正あんどうのぶまさの命を狙って昨年一月に発生した坂下門外の暗殺未遂。それらはいずれも水戸浪士が中心となった凶行であった。全国の攘夷運動に及ぼした「水戸学」の影響も相まって、水戸浪士は今や尊王攘夷の急先鋒と見做されていたのである。

 兵悟も元は水戸藩士である。堀田がそう考えるのも無理はあるまい。

 兵悟は微笑して首を振った。

 「いや、俺に思想はねぇよ。名前と一緒に故郷も捨てた身だ。尊王だの攘夷だのにも興味はねぇ」

 兵悟は己の猪口に酒を注ぐ。銚子はそれで空になった。

 「今の俺は、ただの根無し草の用心棒さ。誰に何の気兼ねもなく好きに生きてんだ。それでいつ野垂のたれ死んだって文句はねぇよ」

 偽りのない本心であった。

 「別に江戸に未練がある訳じゃねぇが、今すぐ返事は出来ねぇ。少し考えさせてくれ」

 「無論だ。二月四日、小石川の伝通院でんつういんで浪士組の選考が行われる。拙者に返事をせずとも、行く気になったらそこに来てくれれば良い」

 

 そこへ堀田の頼んだ鴨鍋が運ばれて来た。兵悟はあらかた食べ終えたので、お美代に二本目の燗酒を頼んだ。

 衝立ついたてで仕切った隣の座敷から、客の話す声が聞こえて来た。

 「そういや田島屋の一家皆殺しの下手人、まだお縄にならねぇんだってなぁ。まったくお上も何やってんだか」

 事件当日の朝、たまたま田島屋の前を通り掛かったことを兵悟は思い出した。むしろを被せて並べられた十一人もの死体。そのうちの二つが酷く小柄なのが、例えようもなく哀れを誘った。

 その直後に品川御殿山しながわごてんやまで起きた、建設中の英国公使館焼き討ち事件で奉行所もそれどころではないのだろうが、町民たちの不安は今も晴れないままだ。

 「・・・田島屋に押し入った賊は、最低でも二人はいるみてぇだな」

 兵悟が何気なくそう話すと、堀田が無言のまま訝しげな視線を向けて来た。

 「いや、ここいらを縄張りにしている岡っ引きの源七って親分が知り合いでな。その当人から聞いたのよ。凶器は刀で間違いねぇんだが、田島屋の主の忠平衛とそれ以外の者とでは、斬られ方がまるで違うのだとよ」

 田島屋の妻子と母親、奉公人たちはそれぞれ寝室で寝ていたところを襲われた。奉公人の一人が逃げ出したが、潜り戸に辿り着いた辺りで賊に追い付かれたようで、背中からばっさり斬られている。

 「その殺し方は執拗な上に残忍で、一人々々に対して何度も斬りつけ、突き刺していやがるんだそうだ。潜り戸の側で背中を斬られた奉公人も、やたらメッタ刺しにされてたってよ。その様子を見るに、どうも殺しを楽しむ風でもあるんだと」

 一方、それに対し主の忠平衛は、たった一太刀で斬り殺されていた。居間にいたところを襲われたらしく、身体は胴体からほぼ上下真っ二つに両断されていたという。

 「おそらく抜き打ちによる一刀。それ以外、身体のどこにも傷は見当たらなかった。殺しを楽しむ風でもねぇ。太刀筋も他の連中を斬ったのとはまるで違う。少なくとも田島屋の主を斬った下手人は、相当な手練れだろうよ。血腥ちなまぐさい修羅場でも肝が据わってやがる。まぁそんな訳で、八丁堀じゃ下手人は最低でも二人という見方を固めてるんだとよ」

 「・・・・・なるほど」

 堀田は箸を手にしたまま、何か思案するようであった。

 「しかし下手人の目的が分からねぇなぁ。金はビタ一文盗られちゃいねぇ。誰かに怨まれてる様子もねぇ。いったい何のために、一家十一人も皆殺しにしやがったんだか」

 「別に物盗りでなくても、金貸しが相手なら殺す動機のある者はいるだろう。借金が消えて喜んでいる連中も多いはずだ。主の忠平衛を殺して、残りは口封じということも考えられる」

 堀田が至極冷静に意見を述べ、それに兵悟も頷いた。

 「まぁ田島屋が誰にどれだけ貸していたか、その辺りは奉行所でも調べちゃいるんだろう。しかしとにかく人数が多いらしくてな。上は旗本御家人から、下は棒手振り商人まで、しょっちゅう誰かしら店に出入りしてる。それにいちいち話を聞くだけでも大変だぜ。八丁堀の苦労が忍ばれらぁ」

 

 この時代、商人から借金をしていない武士などいない。下級武士には平均収入の約二倍の借金があるなどと言われていたぐらいだ。

 近年、急激な開国と諸外国との貿易の開始により、国内で物資不足が起こり、物価は年々高騰するばかりであった。特に苦しいのは武家の生活である。武家にとって唯一の収入源は俸禄ほうろくであり、禄米を売って暮らすのが原則だが、物価の上昇によって俸禄は実質的に暫時目減りして行ったようなもので、それが武家の慢性的な窮乏を招いていたのである。

 主君を持たない浪人なら金がないのは尚のこと。高まる攘夷運動の熱は、広がる貧困と格差への不満の表れでもあった。

 金に困っているのは下級武士だけではない。各地の大名も似たようなものだ。武家は身分が高いほど、その暮らしにも金が掛かる。家禄に応じた数の家臣を召し抱えねばならず、その他にも各種の儀礼費や交際費、接待費など年がら年中金が必要であり、大名なら参勤交代や江戸藩邸の維持に掛かる費用がさらに懐具合を締め付ける。そのため商人から借金しなければ、藩の財政どころか暮らしそのものが立ち行かなくなるのだ。

 大名貸だいみょうがしで有名な大阪の両替商、鴻池屋こういけやから金を借りている大名は、なんと全国百十藩にも及ぶという話である。「大阪の豪商ひとたび怒れば、天下の諸侯皆震え上がる」と言われるほどの威勢であった。

 「いま、この国を実質的に動かしているのは商人だ。幕府と攘夷志士の双方を相手に、あわよくば利益を得ようと画策する輩もいるだろう。奴らほど抜け目のない連中はおるまい」

 いささか自嘲気味に堀田が笑う。そして僅かな溜め息と共に小さく呟いた。

 「・・・・・武士の世など、もしかしたらとっくに終わっているのかも知れないな」

 その言葉に兵悟が目を丸くする。

 「まさか旗本のあんたから、そんな科白せりふが聞けるとは思わなかったぜ」

 「なに、本当のことさ」

 「しかしそれなら・・・・・言っちゃあ悪いが、将軍ダンナのために働く意味なんてあるのかい?」

 堀田の複雑な胸中を推し量りかねるように、兵悟は疑問を呈した。

 「・・・・・あるさ。拙者は徳川侍とくせんざむらいだからな。意味などそれだけで充分だ」

 言葉少なにそう答えると、堀田は鴨鍋に手を付け始めたのだった。


 それからは他愛のない世間話が続いた。

 兵悟が二本目の銚子を空ける前に、堀田は鴨鍋を食べ尽くしていた。明日も講武所で稽古があるので先に失礼する、と腰を上げる。

 座敷を下りようとする堀田の背中に、兵悟は何気なく声を掛けた。

 「ところで堀田さん。つかぬことを訊くが・・・・・あんた最近、人を斬ったかい?」

 堀田がぴたりと動きを止め、表情の読めない目で振り向いた。

 「・・・・・どうしてそう思う?」

 しばし沈黙があったのち、兵悟は視線を外した。

 「いや、何となくそんな気がしただけだ。つまらねぇこと訊いてすまなかったな」

 「別に構わんさ。逆にこちらも訊ねるが、おぬしは人を斬ったことがあるか?」

 堀田の問いに、兵悟は短く答えた。

 「───ある」

 もう何年も前のことだ。一度だけ人をあやめた。相手は名前も知らない浪人者だった。用心棒の仕事の行き掛かり上、やむを得ず斬り合いになった。おそろしく腕の立つ男で、勝ったのはたまたま運が良かったからに過ぎない。

 「人を斬って、そのときどう思った?」

 「別に。俺もいつか、こうやって死ぬんだろうと思っただけだ」

 「そうか」

 堀田は立ち上がると、腰に大小の刀を差した。

 「では浪士組の件、考えておいてくれ」

 そう言い置いてから堀田はお美代に金を払い、暖簾を潜って店を出ていった。


 二本目の銚子を空け、金を払って帰ろうとする兵悟に、お美代が声を掛けて来た。

 「そういえば最近、この辺りで辻斬りが出るんだって。つい先日も、そこの裏通りで誰か斬られたっていうし」

 「そうかい? まぁ辻斬りなんて今どき珍しくもねぇが」

 「そりゃ兵悟さんなら大丈夫とは思うけど、でも気を付けてよね」

 お美代の顔を見て、兵悟はニヤリと笑った。

 「お、心配してくれてんのかい。こりゃ喜助に妬かれちまうな」

 からかわれたお美代は「もう」と、頬を膨らます。そんな仕草はまだまだ子供だ。

 「気を付けなきゃいけねぇのは俺じゃなくて、おめぇだよ。お美代」

 兵悟は目を細め、幼子おさなごに言い聞かせるように、お美代の顔を覗き込んだ。

 「おめぇに万が一のことがあってみろ。親父さんも喜助も生きる甲斐をなくしちまうぜ。俺もこの店に通う張り合いがなくなるってもんだ」

 じゃあな、と暖簾を潜ると、お美代は店の外にまで出て見送ってくれた。

 「また来てね」

 手を振るお美代に、兵悟も手を振って返す。お美代が笑うと花が咲くようだと思った。

 だが、兵悟がお美代の姿を目にしたのはこの夜が最後であった。


 ───この二日後、お美代は何者かによって惨殺されたのである。



               (続く)

 

 

 

 



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