第一幕 その男、用心棒につき




 「なんだい、今朝はずいぶん早いじゃないか。もう少しゆっくりしておいきよ」

 身支度を整える男の背中に、お登勢とせは声を掛けた。

 「今日は口入屋くちいれやに行くのさ。そろそろ仕事しねぇと、長屋の店賃たなちんも払えなくなっちまうからな」

 「だから、もういっそ此処ここに住めば良いじゃないか。あんたの食い扶持ぐらいあたしが稼ぐさ。あたしの用心棒だけやってなよ」

 お登勢は深川で常磐津ときわずの師匠を営む女で、歳は男より二つ下の二十六だ。

 半年前、タチの悪い破落戸ごろつきにしつこく懸想されていたお登勢に用心棒として雇われ、それが切っ掛けで深い仲になった。時々、お登勢の家に泊まっては朝帰りをする。

 長襦袢ながじゅばんの姿のままで煙管きせるを咥えたお登勢に、男は振り向きつつ苦笑いを返した。

 「そういう訳にもいかねぇだろ。それじゃあ、ただのヒモだ」

 「まったく、風来坊のくせに妙なところで律義だねぇ・・・」

 

 呆れ顔のお登勢に見送られながら、その男、犬廻兵悟いぬかいひょうごは、冬木町にある仕舞屋造しもたやつくりの一軒家を後にした。文久二年(一八六二)十二月初旬のことである。

 肩まで伸びた総髪を後ろで一つに結わえた、痩せぎすの目付きの鋭い男だった。見るからに無頼な様子が、どこか餓えた野良犬を連想させる。

 深川鼠ふかがわねずみに染めた着流しに、深緋こけあき袷羽織あわせはおりを肩に引っ掛け、腰には大刀のみの一本差し。脇差わきざしは持たない。数年前に金に困って質に流してそれきりである。

 十八の歳で江戸に出て来て十年、今では江戸言葉もすっかり様になった。主な稼業は用心棒である。腕っぷし以外には取り柄のない男であった。


 右手を流れる仙台堀を、荷を積んだ舟が通り過ぎてゆく。朝五つ。往来はとっくに人の波が往き来している。遠く西の彼方に富士のお山がくっきりと見える。年の瀬も迫りつつある寒空に、熊手で掻いたような雲が幾筋か流れていた。

 橋を渡ってそろそろ伊勢崎町に差し掛った辺り、行く手に人だかりが出来ている。物見高い江戸っ子たちとはいえ、こんな朝っぱらから何の騒ぎか。

 田島屋たじまやという看板を掲げた、両替商の店の前であった。旗本向けの領主貸しや、棒手振ぼてふり商人などが相手の百一文と呼ばれる金貸しを行う店で、あまり大きくはないが、たいそう固い商売をしていると聞いたことがある。

 

 人だかりの一番後ろにいた、職人風の男の肩を突っついて尋ねてみた。

 「いってぇ何の騒ぎだい」

 「人殺しよ」

 「人殺し?」

 男は頷く。

 「それが一家皆殺しってぇ話だ。女も子供も見境ねぇ。ひでぇもんだぜ」

 そのとき人だかりから一斉にわっと声が上がった。人垣の間から首を伸ばして覗き込むと、表店おもてだなの横にある潜り戸から定廻じょうまわりの同心が幾人か出てきて、それから人足たちが遺体を順に運び出そうとしている。その中に兵悟の顔馴染みである岡っ引きの源七げんしち親分や、その子分の文吉ぶんきちの姿もあった。

 遺体は全部で十一。うち二つは戸板の上に掛けられたむしろの膨らみがやけに小さい。おそらくは子供であろう。

 「・・・・・むごいことをしやがる」

 兵悟は顔をしかめ舌打ちした。

 「押し込み強盗かねぇ。それにしたって皆殺したぁ、慈悲の一欠片ひとかけらもねぇな」

 先ほどの職人風の男に話しかけると、遺体に向かって手を合わせていた彼も憤懣ふんまんやるかたない様子で頷いた。

 「まったくだ。可哀想によぉ。もうすぐ正月だってのに物騒な世の中だぜ」

 

 のちに知った話によると、殺されたのは田島屋の主人、忠平衛ちゅうべえとその女房のおさだ。忠平衛の十二歳の息子と十歳の娘、忠平衛の七十になる母親。さらに住み込みで働く六人の奉公人であった。

 番頭の辰吾郎たつごろうという男は所帯を持って近くの長屋に住んでいたので、危うく難を逃れたらしい。

 

 その日のまだ夜も明け切らない朝早く、おたまという通いの女中が、潜り戸のすぐ内側で倒れている奉公人の一人を見つけ、慌てて番屋に駆け込んだ。岡っ引きの源七親分と子分の文吉が駆け付けると、田島屋の住人は全て何者かによって惨殺されていた。

 最初は押し込み強盗だろうと思われたが、蔵は破られておらず、店の金は一切手が付けられていない。では田島屋に恨みある者の犯行かと疑われたが、忠平衛の人柄は温厚篤実で人望も厚く、貧乏人相手の金貸しでも阿漕あこぎな取り立ては一切しないので、一家皆殺しの憂き目に遭うほどの恨みを買っている様子も見当たらなかった。

 また現場の痕跡から察するに、下手人は一人か多くても二人という話で、この恐るべき殺人鬼に深川だけでなく江戸中の庶民が震え上がった。

 南町奉行所の同心や岡っ引きらの探索にも関わらず、事件解決の目星も付かないまま、本所深川の年の瀬は早くも暮れて行ったのである。



 

 明けて文久三年、正月も十日を過ぎた頃。日も落ちた暮れ六つ、犬廻兵悟は「おふじ」の暖簾を潜った。永代寺門前町の片隅にある小料理屋である。「お藤」の屋号は、店の親父の死んだ女房の名前だという。

 「いらっしゃい。あら兵悟さん、久しぶり」

 明るい笑顔で迎えてくれたのは、島田に髪を結い、格子縞の入った洒落柿しゃれがきの着物をたすき掛けした若い娘であった。名前をお美代みよといって、今年で十七になる。この店の看板娘で、父親でもある店主と二人、忙しく店を切り盛りしている。

 「暮れから年明けに掛けて、日野の方に行ってたからなぁ。正月は向こうで迎えたよ。とりあえず熱いの一本付けてくれ」

 そう言って腰から大刀を外し、小上がりの座敷に腰を下ろす。この男、一見すると取っつきにくそうな風貌だが、話せば人当たりは悪くない。

 「ずいぶん遠くまで行ってたのね。用心棒のお仕事?」

 「まぁな。とある庄屋の家に不逞浪士が三人、たびたび金を脅し取りに来やがるってんで、用心棒に呼ばれたのよ」

 「へぇ、それで三人ともやっつけたの?」

 お美代が目を輝かす。この娘、なぜか用心棒の荒事話が好きだった。

 「それがその庄屋の息子二人がヤットウやってやがって、これがなかなか強いのよ。ただ喧嘩はしたこたねぇってんで、念のため俺が雇われた訳さ。浪士三人のうち二人はその兄弟が木剣でノシちまった。俺が出る幕はほとんどなかったぜ」

 残る浪士一人は腕が立ちそうだったので、兵悟が相手をした。真剣の立ち合いになったが、三合ほど斬り結んで、兵悟が相手の小手を斬って勝負は着いた。

 用心棒を稼業にして長いが、立ち合う相手は破落戸ごろつきかヤクザ、浪人がほとんどである。たいていは木剣で叩きのめして終わりだ。ときには真剣を抜くこともあるが、相手の小手か足を斬れば勝負は着く。命まで奪うことは滅多にない。


 嘉永四年(一八五三)の黒船来航以来、江戸の治安は悪くなる一方であった。尊王攘夷を掲げる不逞浪士が跋扈ばっこし、勤王活動や攘夷のための軍資金の徴発と称して、商家に押し掛け金銭を脅し取ってゆく。逆らえば何をされるか分からない。あるいは料亭や居酒屋に数人で陣取って、尊王だ譲位だと大声で議論し騒ぎ立て、挙げ句に金を払わず大威張りで帰ってゆく。酷いときには仲間同士で斬り合いになる。町人たちはほとほと困り果てているが、増加する一方の不逞浪士を相手に、奉行所の役人らは人手が足りないのもあって、まるで頼りにならなかった。

 それは江戸市中を離れた農村部でも同じである。浪人どもが村々を徘徊して金銭を強請ゆする行為が頻出したため、村同士で組合を作って浪人対策に乗り出した地域もあった。兵悟のような用心棒を雇うのもその対策の一つだ。

 武士の失業は深刻な治安問題であった。任官からあぶれた浪人どもにとって、尊王攘夷の大義名分は金銭にありつく絶好の機会だったのである。

 

 「でも凄いわね。その庄屋の息子さんたち。相手はお侍でしょう?」

 お美代が目を丸くするのを見て、兵悟は笑った。

 「今どき百姓や町人が剣術習うのなんざ珍しくもねぇよ。下手すりゃそこいらの侍より使えるぜ」

 そもそも百姓や町人は剣術を禁止されていた訳ではない。御用町人や帯刀を免許された有力百姓などは大小の二本差しが認められているし、二尺五寸を越えない脇差一本なら腰に差していても咎められることはない。

 関八州かんはっしゅう(相模、武蔵、安房、上総、下総、常陸、上野、下野)の農村部の至る所に、最少でも数百の剣術道場がある。なかには何百人もの門弟を抱える道場もあり、元は百姓身分の郷士が道場主や師範代をしているのも珍しくなかった。

 江戸市中にも三百近くの道場が軒を並べ、町人たちが侍に混じって足繁く稽古に通っている。

 文化二年(一八〇五)、百姓の武芸習得を禁じる触れ書きが出され、遅れて天保十四年(一八四三)、江戸の町人に武術稽古禁止が示達されたが、そんなものはどこ吹く風で何の効力も持たず、現在ではほとんど忘れ去られている。

 なぜ百姓町人がそれほど剣術に熱心か。

 一つには隣国、清が英国との戦に敗れて領土の一部を奪われたことにより、異狄いてき日本ひのもと侵略が決して絵空事ではないと現実味を帯びたことと、黒船来航以来の尊王攘夷運動による治安の悪化が影響しているのは間違いあるまい。

 将軍のお膝元たる江戸に安住しているという驕りがあるのか、この期に及んで太平楽を決め込んでいる旗本や御家人がいまだ多いのに比べ、百姓や町人の方が遥かに時流に敏感であるように兵悟には思えた。


 「おい、お美代。いつまでもくっちゃべってねぇで料理を運ばねぇかい!」

 店の奥の賄所まかないどころから親父が顔を出して怒鳴った。お美代は舌を出すと「はぁい」と間延びした返事をしてパタパタと駆けてゆく。店はそろそろ混み始めていた。

 その様子を兵悟は微笑ましい思いで眺めた。兵悟がこの店に通い始めた頃はてんで子供だったが、最近はすっかり大人びて綺麗になった。お美代目当てに通う常連客も多い。だがつい先日、幼なじみで三つ年上の大工の喜助きすけと所帯を持つことが決まったという。

 母親を亡くして以来、ずっと親父を支えて店を切り盛りして来た娘だ。少し寂しい気もするが、あんな気立ての優しい娘が幸せになるのは良いことだと思った。

 「そういや祝言しゅうげんの日取りは決まったのかい?」

 お銚子ちょうしを一本付けて戻って来たお美代に、兵悟は尋ねた。

 「ううん、まだ。でも桜が咲く頃にはって、喜助さんと話してる」

 「そうかい。じゃあ決まったら教えてくんな。祝い酒の一本も届けるぜ」

 「うふふ、ありがと」

 髪に挿した銀細工のかんざしは、喜助からの贈り物だという。口許を盆で隠して笑うお美代は、実に幸せそうであった。



 「久しいな、犬廻」

 鴨鍋を突っ付きながら一人でちびちび酒を呑んでいると、傍らから野太い声が聞こえた。髪を銀杏髷いちょうまげに結い、煤竹色の袷羽織に墨色の袴を履いた大男が、座敷の上がり口にのっそりと立っている。

 「おお、堀田さんか。しばらくだな。こっちへ上がりなよ。一緒に呑もうぜ」

 男の名は、堀田善次郎ほったぜんじろう。三百石の旗本の次男坊である。

 身の丈五尺五寸の兵悟より一回り以上大きい、六尺を越える威丈夫だ。上背だけでなく鍛えられて厚みのある見事な体躯である。二重瞼の大きな目と太い眉、キッと結んだ口元が意志の強さを感じさせる。歳は兵悟より三つ上の三十一。剣は北辰一刀流ほくしんいっとうりゅうで免許皆伝の腕前であった。

 知り合ったのは二年ほど前だ。この店にたまたま居合わせた折、酔って暴れる五人の浪人どもを二人で叩き出した。

 それ以来、店で顔を会わせれば一緒に呑む仲になった。三百石の旗本と無頼の用心棒、育ちも身分も違うが何故か妙に気が合った。

 「鴨鍋か。拙者も同じものを貰おう。それと燗酒かんざけを一つ」

 兵悟の手元を覗きこんで、堀田がお美代に注文する。

 「おや、堀田さん。腰の差料さしりょうを変えたかい?」

 二本差しを外して向かい側に腰を下ろす堀田に、兵悟は尋ねた。

 「・・・・・ああ。ちょっとした縁あって、知り合いから業物を譲り受けてな」

 背後に置いた大刀の上に、掌をそっと置く。目立つこしらえではないが、鞘の身幅から見ていささか細身の刀のようであった。

 以前の差料は同田貫どうたぬきだったはずだ。大柄で屈強な堀田に相応しい剛刀であったが、果たして今回の刀はどうか。しかし武芸に秀でた堀田が選んだなら、さぞかし実戦向きの刀に違いないと兵悟は思った。

 「さすがに店の中で刀を抜く訳にもいくまい。いずれ機会があれば見せよう」

 「楽しみにしてるよ」

 八間行灯はっけんあんどんの明かりが、壁や床に濃い影を映している。店は七分ほどの混み具合だ。酒が入り、客らの声も自然と大きくなる。

 やがて銚子が一つ、堀田の元に運ばれて来て、二人は手酌で酒を呑んだ。

 「そういえば、おぬしに話があった」

 堀田は思い出したように呟くと、僅かに居住まいを正した。

 「なんでぇ、改まって」

 「おぬし、京へ行く気はないか?」

 「───京?」

 怪訝そうに眉根を寄せる兵悟に、堀田が真面目な表情で頷いた。



               (続く)

 

 


 

 

 

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