孤剣 ~幕末妖刀異聞~
月浦影ノ介
序幕 妖 刀
───妖刀であった。
刃紋に拭い切れぬ死相がある。
「もう十五年も前になりましょうか。
「どうぞ、ご覧になってください」
男は刀を抜く。それだけで淀んだ空気が一瞬にして切り裂かれた気がした。
刃渡りは二尺四寸ほどの長さ。反りは浅く、身幅は狭く、重ねは薄い。
刃紋はすっきりした
見事だが、それだけなら何の変哲もない打刀に過ぎない。しかし何よりも男の目を惹いたのは、その地鉄の色合いであった。内側から滲むような深く
一見、優美で繊細である。だが決して鑑賞用のために作られた刀ではない。ただ「斬る」という一念のみが、刃先に生じる光となって宿っている。
「作られたのは五十年ほど前と、それほど古い刀ではございません。作ったのも無名の刀工にございます。しかしその見事な出来映え、斬れ味、まさに名刀に勝るとも劣らない
薄暗い室内に田島屋の声が朗々と響いた。
「しかし、その刀を手にする者の処には、必ず凶事が訪れるとも
行灯の
「・・・・・ふん、手にした者を凄惨な人斬りに変えるなど、まるで
籠釣瓶は伊勢の名工、
刀を手にしたまま、男は田島屋に目を向ける。
「しかしそれなら何故、わざわざ
その言葉に、田島屋は薄く笑みを浮かべた。
「無論、それを考えなかった訳ではございません。しかしこれほどの業物を、どうして己の為だけに秘匿しておけましょうや。むしろ見るべきお方にこそ、見て頂きたかったのでございます。この刀の真価、きっとお分かり頂けるものと・・・・・」
うむ、と男は頷いた。蒐集家の業というやつだろうか。彼らには価値ある物を手元に集めて保護し、それを後世に伝えてゆくことに対する強烈な自負がある。故にその証人を必要とせずにはいられないのだ。
と、そのときふいに耳鳴りがした。刃の如く鋭利な響きが頭蓋の奥に反響し、男は思わず片耳を抑えた。
「どうなされました?」
田島屋が怪訝な表情でこちらを窺っている。
「・・・・・いや、何でもない」
男は平静を保ち、軽く頭を振った。耳鳴りがしたのはほんの一瞬のことだった。そして手にした刀をまじまじと見つめる。今のはお前か、と声に出さず刀に問うた。我ながら正気とは思えぬが、刀に呼ばれたと感じたのは初めてのことだった。
「しかして銘は?」
「号は
男の問いに、田島屋はそう短く答えた。
「───孤月蒼」
「まるで蒼い月明かりを写し取ったかのような刀身に、その号が与えられました。正比良の銘は無論、その刀を打った刀工の名にございます」
男は改めて刀を目の前に
「・・・・・
───この刀が欲しい。
心の底から、そう思った。
(続く)
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