孤剣 ~幕末妖刀異聞~

月浦影ノ介

序幕  妖 刀




 ───妖刀であった。

 刃紋に拭い切れぬ死相がある。

 

 「もう十五年も前になりましょうか。相模さがみを旅した折、私はとある名主なぬしの屋敷に数日間ほど逗留を致しました。そこでこの刀を目にしたのが最初でございます。苗字帯刀を許された豪農で、刀剣の蒐集に凝っており、私も同じく刀剣の愛好家と知って、随分良くしてくれたものです。それから江戸に帰って間もなく、その名主が不慮の死を遂げたと聞き及びました。以来、この刀は行方知れずとなっておりましたが、八方手を尽くして捜し回り、このたびようやく見つけることが出来たのでございます」

 田島屋たじまやは感慨深そうにそう語ると、刀を白木の鞘に納め、男の前に差し出した。

 「どうぞ、ご覧になってください」

 男は刀を抜く。それだけで淀んだ空気が一瞬にして切り裂かれた気がした。行灯あんどんの明かりが刀身の上をぬらぬらと這うように蠢く。

 

 刃渡りは二尺四寸ほどの長さ。反りは浅く、身幅は狭く、重ねは薄い。

 刃紋はすっきりした直刃すぐはきっさきは丸みの少ない中鋒ちゅうきっさきである。地鉄じがねは微細かつ緊密な小糠肌こぬかはだ匂口においぐち明るく締まって冴える。

 見事だが、それだけなら何の変哲もない打刀に過ぎない。しかし何よりも男の目を惹いたのは、その地鉄の色合いであった。内側から滲むような深くみどりがかった蒼が表れ、濡れそぼる潤いが刀身をひっそりと包み込んでいる。

 一見、優美で繊細である。だが決して鑑賞用のために作られた刀ではない。ただ「斬る」という一念のみが、刃先に生じる光となって宿っている。

 

 「作られたのは五十年ほど前と、それほど古い刀ではございません。作ったのも無名の刀工にございます。しかしその見事な出来映え、斬れ味、まさに名刀に勝るとも劣らない業物わざものと存じます」

 薄暗い室内に田島屋の声が朗々と響いた。

 「しかし、その刀を手にする者の処には、必ず凶事が訪れるともわれております。事実、その刀によって何十人もの命が奪われてまいりました。私が相模で世話になった名主も、その刀で己の家族や小作人を数人斬ったのち、自らの首を掻き斬って果てたのでございます」

 行灯のが、風もないのにゆらりと揺れた。

 「・・・・・ふん、手にした者を凄惨な人斬りに変えるなど、まるで吉原百人斬よしわらひゃくにんぎりの籠釣瓶かごつるべだな」

 籠釣瓶は伊勢の名工、村正むらまさの作だと謂われるが、河内守国助かわうちかみくにすけの手による、同じ籠釣瓶の号を持つ刀も複数存在すると伝えられる。花魁おいらんを斬った次郎左衛門じろうざえもんが手にしたのは、果たしてどの刀であったか。そう考え、やがてどうでも良いことだと思い直した。

 刀を手にしたまま、男は田島屋に目を向ける。

 「しかしそれなら何故、わざわざ拙者せっしゃに見せた? 拙者がこの妖刀に心を狂わされ、おぬしの命を奪うやも知れぬとは思わなんだか」

 その言葉に、田島屋は薄く笑みを浮かべた。

 「無論、それを考えなかった訳ではございません。しかしこれほどの業物を、どうして己の為だけに秘匿しておけましょうや。むしろ見るべきお方にこそ、見て頂きたかったのでございます。この刀の真価、きっとお分かり頂けるものと・・・・・」

 うむ、と男は頷いた。蒐集家の業というやつだろうか。彼らには価値ある物を手元に集めて保護し、それを後世に伝えてゆくことに対する強烈な自負がある。故にその証人を必要とせずにはいられないのだ。

 と、そのときふいに耳鳴りがした。刃の如く鋭利な響きが頭蓋の奥に反響し、男は思わず片耳を抑えた。

 「どうなされました?」

 田島屋が怪訝な表情でこちらを窺っている。

 「・・・・・いや、何でもない」

 男は平静を保ち、軽く頭を振った。耳鳴りがしたのはほんの一瞬のことだった。そして手にした刀をまじまじと見つめる。今のはお前か、と声に出さず刀に問うた。我ながら正気とは思えぬが、刀に呼ばれたと感じたのは初めてのことだった。

 「しかして銘は?」

 「号は孤月蒼こげつそう、銘は正比良まさひらにございます」

 男の問いに、田島屋はそう短く答えた。

 「───孤月蒼」

 「まるで蒼い月明かりを写し取ったかのような刀身に、その号が与えられました。正比良の銘は無論、その刀を打った刀工の名にございます」

 男は改めて刀を目の前にかざす。その蒼い刀身に、魂まで吸い込まれそうな気がした。

 

 「・・・・・孤月蒼正比良こげつそうまさひらか」

 

 ───この刀が欲しい。

 心の底から、そう思った。



                (続く)








 

 

 



 

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