さよなら、を言えなかった君へ
足駆 最人(あしかけ さいと)
本文
紙に書いた文字を僕は何度も消しては書いた。
外は真っ暗で机の側の窓の外から僕の部屋に満月の光が差し込んでいる。
暗い街道を歩く人は一人として見当たらない。
いつの間にか、黒と白が混じって汚くなったその紙をくしゃくしゃに丸めて後ろに放り投げて、新しい紙を引っ張り出す。
数十枚以上の厚みのあった紙束はどんどん薄くなっていた。
何度この行動を繰り返しただろうか。
後ろにはたくさんの紙屑が転がっている。
何枚も何枚も、書いても書いても自分が望む『遺書』が書けないのだ。
この世界の人間は、みんなが『遺書』を書いている。
いつ自分が、この世から消えるかわからないからだ。
いや、正確には『遺書』ではないかもしれない。
『遺書』を書いて消える人間が死んだのかどうか、わからないからだ。
この世界は一日に一人、この世から消える
一週間が七日だから、一週間で七人が消える。
一ヶ月が約三十日だから、一ヶ月で約三十人が消える。
一年が三百六十五日だから、一年で三百六十五人が消える。
今となっては、当たり前になってしまっているこの事象。
消えてしまった人を『神への生贄』と人は呼ぶ。
最初は人為的に起こされているものではないかと考えられていたが、その可能性は完全にとは言わないがほとんどない。
この事象は世界各地で起きている。
だからどこかの犯罪団体が連絡をとりあってこんな事をする意味がわからない。
こんな難しすぎることを、誰がやるのだ。
自然現象。
人為的事件。
神隠し。
数々の可能性が提唱された。
けれども、いつからか人は興味を無くした。
世界の数えきれない人口の中で、たったの一人が消えるだけなのだ。
この世界でその事象と全く無関係の人も存在する。
赤ん坊から産まれて、年老いて死ぬまで生きる人も大勢いる。
だからいつしか人は、ごく普通の事柄として受け入れたのだ。
一年の人の死亡数なんて、三百六十五人を軽く上回る。
ただそれが寿命だったと考えるだけで、仕方のないものと捉えることができるのだ。
最近は、この事象が起きるようになってよかったと考える人までいる。
だから人はいつも、自分がいつでも消えていいように『遺書』を書く。
『遺書』を書くのはいつも自分の本当の気持ち。
そこに嘘偽りなんてものはない。
だから人は正直になれる。
いつもの日常に感謝ができる。
その日その日を充実した一日にしようと動く。
誰かと会うことを喜べる。
『遺書』を残しておけば、もし自分が消えてしまったらの不安が和らぐ。
物心がついた子供は寝ることに怯えるが、大人はもうそれに慣れてしまうのだ。
故に人は不安を和らげる為に『遺書』を書く。
頻繁に書く人もいれば、年跨ぎで書く人もいる。
ひょっとすれば、一度書いたらもう書かない人もいるのだろうか。
そして今、僕も『遺書』を書いている。
『遺書』を書くという行動は、何百回、何千回とやっているはずなのに、どうしてか今日は書けない。
『遺書』を書いているはずなのに、いつの間にか、消えた彼女への手紙になっているのだ。
数年以上付き合っていた彼女。
僕は彼女を愛していた。
彼女も僕を愛してくれている、僕の瞳にはそう写っていた。
何度も、彼女から「《《》》
そして彼女は消えてしまった。
『神への生贄』になってしまったのだ。
なんの前触れもなく人は消えてしまう。
そのことを僕は初めて本当に理解したのだ。
周りの人で誰かが消えるなんて話、よく聞く話だった。
けれど僕は初めて身近で、そして最愛の人が消えてしまったのだ。
僕は彼女の両親に『遺書』を見せて欲しいと頼んだ。
僕は真っ白な紙に書かれた二枚の『遺書』を受け取って案内された彼女の部屋でそれを読んだ。
彼女の部屋に入るのは初めてだった。
机の上にあった細いペンが、彼女がこの『遺書』を書いている姿を想像させた。
そして僕は、絶句した。
彼女の『遺書』。
綺麗な文字で綴られたその文章には僕の事は一行も一文字も書かれていなかった。
自分の人生の振り返り、親と友人への感謝、自分が消えてからのことが書かれた『遺書』には、僕の事だけが書かれていなかったのだ。
読み終えて、三枚目はないのかと彼女の両親に聞いた。
勿論、「ない」と答えられた。
『遺書』の文章の最後はしっかりと彼女の名前が書かれている。
彼女は僕に何も言わずに消えてしまったのだ。
それがつい、今朝のこと。
「どこに行ったんだ、君は…」
もし彼女がいるのなら、なぜ僕に何も言わなかったのかを聞きたい。
僕の事が本当は嫌いだったのか、もしくはそれ以外の理由なのか。
はっきり言葉にしてくれないと僕にはわからない。
だから僕は、届くはずのない手紙をふと書いては、その文字を消すのを繰り返す。
やがて、黒と白の混じって汚くなったらくしゃくしゃに丸めて後ろに放り投げる。
そして、また新しい紙を取ろうとして気づく。
最後の紙になってしまった。
もしこれが汚くなってしまったら、僕は今日『遺書』を書くことができないだろう。
僕は一度ペンを置いた。
彼女への手紙を書かないように。
もう彼女のことなんか忘れてしまえばいいんじゃないか。
何を思ったのか、そんなことを考えた。
忘れる事はできなくても、別のことに意識を傾ければいいのではないだろうか。
腕を組んで、脳の中を真っさらにする。
そして、家族、友人、今までの思い出を巡った。
けれども僕の思い出の濃い部分の彼女との思い出が出てきては、僕のやろうとしていたことと全く反対のことをしてしまう。
今はもう、思い出が脳だけでなく、五感で覚えてしまっている。
彼女の美しい姿が。
彼女の優しい声が。
彼女の温かい肌が。
彼女の髪の匂いが。
彼女のキスの味が。
僕に刻まれている。
僕はこれを忘れることできないと悟った。
そして、今するべきことを理解した。
『遺書』を書くのが今するべきことではない。
彼女に会うのが今の僕のするべきことだ。
どこにいるかわからない彼女を僕は探さねばならない。
ならば…。
僕はすらすらと、その最後の紙にペンを走らせた。
翌日、彼はその場所から消えた。
さよなら、を言えなかった君へ 足駆 最人(あしかけ さいと) @GOmadanGO_BIG
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