第36話 普通に変異しちゃった

 魔王ゲンジュウロウと勇者アストロードとの戦いは熾烈を極めた。


 既に周囲の建物は何一つ存在せず、大神殿までもが半壊するという非常事態だ。

 にもかかわらず聖女フウリアの肉体を乗っ取った主神フォルモスは余裕の笑みを浮かべている。


 それは、勇者アストロードの勝利を確信しているがゆえ。

 現に魔王ゲンジュウロウは彼に終始押され気味であり、既に二本目の魔力補充ポーションを服用している。


「(拙い、魔力補充ポーションは残り一つ。それまでに、なんとかヤツの鎧を破壊しないと)」


 まったくの無表情から痛烈な一撃を放ってくる勇者アストロード。

 その表情の無さから、魔王ゲンジュウロウは戦闘機械とでも戦っているかのような感覚を覚える。


 だが、それは正しい例えと言えよう。何故ならば、彼の心は既にフォルモスの手によって消去されているのだ。

 今の勇者は彼の命令を実行するだけの生きた機械に過ぎない。

 痛みも恐怖も感じない、非情の殺戮マシーンと化しているのである。


 ここで、またしても魔王ゲンジュウロウの魔力が危険水域に達する。

 この状況を打破できないまま、遂に最後の魔力補充ポーションを開けてしまった。


「くそ……うっ!?」


 それを飲み干した時、魔王ゲンジュウロウの身に異変が起こる。


「ま、まさかっ!? このタイミングでっ!」


 遠のく魔王ゲンジュウロウの意識。それと入れ替わるかのように闇の奥から輝く意思が通り過ぎてゆく。

 そう、これは魔力補充ポーションの飲み過ぎによって体重が50キログラムを上まわってしまった事による人格交代だ。


「ほえ~、これは、いったい何事なんだろ~?」


 最悪のタイミングで表へと出てきたアマネの人格は、しかし普通ウィルスによって平静を保たれている。

 彼女の変化に気付いていないフォルモスは、魔王ゲンジュウロウが既に打つ手無しであると確信し、勇者アストロードに止めを刺すように命じた。


「あ、聖女様だ」


 しかし、このタイミングでアマネは聖女フウリアの肉体を発見。

 当初の目的である洗礼を授けてもらおうと勇者アストロードを無視して彼女の下へと向かう。


「むぅっ! わしを狙うか! 魔王ゲンジュウロウ!」


 主神フォルモスは直ちに勇者アストロードにアマネの迎撃を命じた。

 命令に従う勇者アストロードはアマネに対して神聖魔法と風魔法を融合させた一撃【テンペスト】を放ち、アマネの胸を穿つ。


 アマネの胸を貫通する輝く風。ラオ・エクトムですら風穴を開けられるその一撃は、しかし、普通の能力しか持たない少女を死に至らしめることはできなかった。


「あー、鎧君がっ? 酷いやー」

「なんじゃとっ!? 勇者アストロードの一撃が効いていないっ!」


 それは当然の事。

 勇者アストロードは対魔族用に特化して創造された存在だ。

 アマネはその九割が人間に相当する存在であり、勇者アストロードの強烈な一撃も、ちくりとした程度にしか感じないのである。


 これが逆にゲンジュウロウであった場合、即死であった。


「もう怒ったぞ~」


 お気に入りの鎧が壊されたことにより、いよいよもってアマネは怒った。

 普通ウィルスによって感情を昂らせないはずのアマネが怒る、それが、どういうことを示すのか。


 アマネの感情が普通ウィルスの制御を離れたことにより、今度はアマネの怒りの感情が普通ウィルスを侵食し始めた。

 アマネの所持スキルは【変異】である。このスキルが普通ウィルスを変異させた。


 即ち、【普通に怒ったウィルス】というわけの分からない存在へと至ってしまったのだ。


 変異した情報は速やかに他のウィルスへと伝達される。

 そして、周囲一帯が普通に怒ったウィルスで充満した。


「なんじゃ? 何が起こっておるっ!? いや、しかし、こちらが優勢なのは変わらぬ!」


 主神フォルモスは訳の分からない状況に怒りを覚える。

 怒りは彼の判断を間違った方向へと運んだ。


「ぐ、おぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 追い打ちをかけるかのように、勇者アストロードが悶え苦しみ怒りの咆哮を上げだす。

 心を消され感情を失ったはずなのに、怒りの表情を晒すのはおかしな話だ。


 しかし、冷静な判断力を欠いてしまったフォルモスは、それを理解することができない。


 主神フォルモスは勇者アストロードの鎧にありとあらゆる耐性を持たせた。

 それには普通ウィルスに対する圧倒的な耐性も持たせている。

 故に、勇者アストロードの能力値が普通に陥ることがなかったのだ。

 この目に見える効果が主神フォルモスの眼を曇らせる。


 圧倒的な耐性を見せる鎧は、しかし、普通ウィルスに対してのみ耐性を見せた。

 つまり、変異してしまった普通に怒ったウィルスには通用しなかったのだ。


「やる気を見せておるな、勇者アストロードよ! ならば、魔王ゲンジュウロウを倒すのじゃ!」


 しかし、勇者アストロードは創造主たるフォルモスの命令を受け付けず、その場で出鱈目に暴れ始めた。

 これは、普通に怒ったウィルスによって、怒りの感情一色で染め上げられてしまったからである。


「何をしておる! 馬鹿者っ! 命令を聞かんかっ!」


 突如として命令を受け付けなくなった狂いし勇者に、腹を立てる主神はいよいよもって怒りの感情に支配された。

 そして、その苛立ちから勇者アストロードに突風を放ち、彼に正気を取り戻させようとする。

 しかし、その行為は勇者アストロードに敵対心を植え付けることになった。

 完全に悪手である。


「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「なっ!?」


 主神フォルモスは怒りによって失念していたのだ。

 その鎧には、ありとあらゆる耐性が持たされていることに。


 したがって、彼が放った突風は目前で消失し、敵意だけが勇者に伝わってしまう。


 これに勇者アストロードは激怒した。

 手にした剣で主神フォルモスの心臓を、即ち、聖女フウリアの心臓を貫いてしまったのだ。


「ちぃ、ここまでか」


 聖女フウリアの肉体が死を迎える寸前で、主神フォルモスは彼女との繋がりを断ち天界へと引き下がる。

 肉体が瀕死となったことで普通に怒ったウィルスの効果が薄れたため、冷静な判断力が戻ったのだ。


「あ、ががががが、が」


 聖女フウリアを貫いた勇者アストロードは主神フォルモスの加護を失い、がくがくと身体を痙攣させた後に、全身の穴という穴から血を吹き出し絶命した。


 完全に物として扱われ、用が済んだら廃棄できるように調節されていたのだ。

 同時に神剣と鎧もぐずぐずに融解し、跡形も無く消え去ってしまった。


 あとに残ったのは、聖女の亡骸と彼女を慕っていたターバンの少年だけだ。


「ほぇ? 勝手に自滅しちゃった。僕の怒りは、どこにぶつければ?」

「アマネ様っ! ご無事ですかっ!」


 そこにオグハスが駆け付ける。


「あ、オグハスさんでいいや。ねぇねぇ、オグハスさん、しゃがんで」

「はっ、こうでしょうか?」


 ぺちん。


「ぺぴっ!?」

「あー、すっきりした」


 いわれのない暴力がオグハスを襲う。

 しかし、彼の尊い犠牲で普通に怒ったウィルスは普通ウィルスへと回帰したのであった。

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