第30話 普通に国境突破
一つの町を壊滅させた魔軍は、しかし、その壊滅を外部に漏らすことなく進撃を再開。
一つ、また一つと制圧を繰り返しつつ聖都ホリウムを目指す。
最早、魔族に滅ぼされているのか、それともそれ以外の何かに滅ぼされているか分からない状況に天の神々が黙っているわけもなく。
だが、手をこまねいているしかない状況であった。
人間と魔族の派閥に別れ争っている天界では、下界に干渉することも難しかったのである。
全てが魔軍に有利に進んでいる。
しかして、人間たちは愚かではあったが馬鹿ではない。
高レベルの物見の魔法にて魔軍を覗き見る白き少女の姿。
高貴な意匠の台座に置かれているのは、一本の蝋燭と穢れ無き水晶。
その中に映る魔王アマネの姿に、可憐なる白の少女に影が差す。
手の届かない位置にある部屋唯一の窓には満月の姿。
「……魔王アマネ。人間との決着を付けに参るのですか」
膝にまで達しようかという絹のような真っ白な髪と、激情を秘めているかのような真っ赤な瞳を持つ少女は、人々より【聖女フウリア】と称えられる存在であった。
彼女は転生勇者であり、超高レベルの神聖魔法の使い手だ。
魔族は神聖魔法に弱いとされる性質を持っているので、魔族にとって彼女は不俱戴天の仇ともいえる。
事実、先代魔王を討ちとったのは彼女であった。
「愚かな……そのまま緩やかに過ごしてくれていれば良かったものを」
瞼を閉じて肺に溜まった空気を鼻腔から排出する。それは確実にため息となった。
その彼女の背後で闇が形を得たかのように躍動する、とそれは少年の形を取った。
黒髪黒目でターバンを頭に巻いた少年レイクスだ。
「お嬢、調べてきたぞ」
「ご苦労様です。して、どうでしたか?」
聖女フウリアの問い掛けにレイクスは少し言い淀む。だが、意を決して口を開いた。
「町は壊滅していないが、壊滅していた」
「詳しくお願いします」
レイクスの報告に、聖女フウリアは自身の長い白髪を弄びつつ、しかし、その表情は険しくなっていった。
「……そうですか。住人たちが正気を失ってしまっているのですね」
「あぁ、ほぼ全員が会話にすらならない。聞いたこともないような言語を操っている」
「姿形に異変は?」
「まったく無し。至って普通だ」
聖女フウリアは魔王アマネの異質性を認めざるを得なかった。
人間を生かしたまま殺す。
それを成せる存在が魔王アマネだ、とフウリアは認識したのだ。
「それが事実だとして……実に恐ろしいことです。国は実際に死体を見ない限りすぐには動かないでしょう。なにより、魔軍は少数精鋭で動いております」
「どう考えても電撃作戦。奴らの切り札ラオ・ウォルカームをチラつかせての一点突破」
「私の首を狙っているのでしょうね。彼らの王を討ちとった」
聖女フウリアは悲痛な表情を見せ、静かに自身の胸へと手を添える。
それは何者かに捧げる哀悼であっただろうか。
「あれは事故だ! お嬢はそれを擦り付けられただけじゃないか!」
「そうではないのです。それを止められなかったからこそ、私は罪深い」
「お嬢……」
「私のレイクス、あなたの顔を見せてちょうだい」
聖女フウリアはレイクスの顔を手で覆い、接吻をする振りをする。
彼女は聖女であるが故に、男性との関りを持つことを禁じられていた。
「せめてもの抵抗……でも、空しいものですね」
「いつか、お嬢を解き放って見せます。だから……!」
「えぇ、待っています。ずっと」
レイクスは再び闇に溶けるかのように姿を消した。
厳重な警備が敷かれている聖女の部屋。彼女は再び独りぼっちとなり、世界の平和のための言葉を紡ぐ。
ただし、その平和は人間のためだけのものであった。
それ以外の詞を彼女は禁じられている。
「(魔王ゲンキチ。あなたの言う真の平和……もしかしたら)」
ピタリ、と詞が止まる。たった一つしかない窓から差し込む月の輝きは、ただでさえ白い少女を更に白く染め上げた。
何事もなかったかのように、アマネはいよいよ聖都ホリウムの国境へと差し掛かる。
アマネにとってはなんでもない事であるが、魔軍にとっては勝負ともいえる地には、通常の五倍近くの兵が駐屯していたのである。
「ううむ、千五百と言ったところか。拙いな……こちらの存在がバレたようだ」
第二魔将トフトが小高い丘に立ち、無数ある長い足で輪を作りそこを覗き見ていた。
これは【望遠】の魔法である。読んで字のごとく望遠鏡と同等の効果を得ることが可能だ。
国境を護るのは強固な城壁に囲われた砦だ。
国の安全を守るため、国境に精鋭を配備していることで有名なホリウム。
魔族にとっては脅威以外の何ものでもない。
「流石に今までの手段は用いることはできません。ここは、強行突破しかないでしょう」
「オグハスよ、現在の魔軍は総勢百にも満たぬ。従って強行突破は下策ぞ」
「た、確かに……無暗に兵も減らすべきではありませんでした」
「うむ……しかし、どうしたものか」
トフトとオグハスの会話に同じ魔将であるセスタは加わらない。
彼の役目はあくまで戦闘なのだ。余計な口を挟んでも、どうにもならないことは彼自身が一番知り得ている。
「ねぇねぇ、まだいかないの?」
「夜を待って、静かに侵入するのが良いでしょうね」
「えー? なんで夜なの? 昼の内に国境を越えようよ」
「……」
残念ながら、アマネの体重はぎりぎり五十キログラムを上回っていた。
オグハスの猛烈なアピールにもめげず、ルトゥータのダイエット料理にも耐え忍び、なかなか体重は減ってゆかない。
そして、あと一歩と言うところで聖都ホリウムの国境へと辿り着いてしまったのである。
「これだけ、アマネのファンがいると審査に時間が掛かって、他の旅人に迷惑が掛かるでしょう。だからですよ」
「あー、そっかー。それなら仕方がないね」
だが、アマネは密かに、しめしめとほくそ笑む。
彼女はこの期に及んで検問傍で商売をおこなおうとしていたのである。
「(あれだけ人がいれば、僕の露店も大繁盛間違いなしだよ!)」
いそいそと支度をして検問傍へと向かおうとするアマネ。
当然、ルトゥータはこれを止めねばならない。
だが、間が悪かった。
「ルトゥー、少しいいか? きみの意見が聞きたい」
「分かりました、オグハス。アマネ、遠くへ行っては……」
いない。アマネが忽然と姿を消した。
そこにあったのは無限リュックサックのみだ。
「……」
「……」
オグハスとルトゥータは互いの顔を見合わせて叫んだ。
「「拙いっ」」
慌ててアマネの姿を探す、と小高い丘から転がり落ちる何か。
「う~わ~」
アマネであった。
彼女は無限リュックサックを持ち上げようとし、すっぽ抜けて横転。
そのまま、坂を転がり落ちてしまったのである。
猛スピードで坂を転がってゆく魔王アマネは質量爆弾のそれに近い。
どんどん加速してゆき、それに伴って破壊力も増す。
だが、ラオ・エクトムの圧倒的防御力は何があってもアマネを守り通すだろう。
危険なのは彼女以外である。
誰かが迫るそれを指差し叫んだ。何かが転がってくる、黒い大きな塊だ、と。
それは正しく魔王アマネであり、ラオ・エクトムが衝撃緩和のために取り込んだ土やら石やらであった。
やがて小さな少女であったそれは、転がる過程で砦を凌駕するまでに巨大化。
それに気付いた砦の兵士たちが弓矢や攻撃魔法で応戦するも効果はまったくなく、質量の暴力によって呆気の無い最期を迎える。
ぷちっ。
戦いは終わった。始まってもいなかったが、終わったのだ。
この結末に魔軍ですら呆気にとられる。
「よ、よもや……このような手段で砦ごと潰されるとは」
「くっくっく、皆殺しなら我々が侵入したことも気付かれないか」
トフトとセスタが魔族の時代の到来を確信していた頃、ルトゥータとオグハスは、魔王の発掘に躍起になっているのであった。
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