第17話 普通に一年後

 鋼鉄に囲われた部屋に男女の姿。ほぼ半裸に近い両者は汗を滴らせながら荒い息を吐き出す。

 高揚する少女の頬、額を伝う汗は躍動する豊満な乳房へと流れ、少女を蠱惑的に見せる。


「も、もう少しっ! もう少しでイケるっ! イケるのぉっ!」

「ア、アマネ様っ! 私も、私もですっ!」


 荒い息を吐き出しながら身体を揺する少女はアマネであった。

 そして、彼女に合わせて身体を揺するのは、ナトルサス・ダンジョンで深手を負い、消息を絶ったはずのオグハスだ。


 両者は仕上げと言わんばかりに互いのものを突き上げる。

 ぱんぱん、という音が響き、アマネとオグハスの汗が床に飛び散った。


「ちょいやぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「おりゃさぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「どっせぇぇぇぇぇぇぇいっ!」

「きゆえあぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 やがてそれは、どっすん、ばっこん、と激しさを増し、やがて甲高い機械音が部屋に鳴り響く。

 それと同時にアマネとオグハスの動きは止まり、彼女らが叩いていたサンドバッグが、ぎしぎし、と音を立てながら揺れ、やがてその動きを止めた。


「はい、終了。時間内にノルマは達成できたから」


 パシュッ、という空気音と共に鋼鉄のドアが開き、普通の女性となったルトゥータが姿を現す。

 そんな彼女には、てけりりとデッド君が纏わり付いていた。


 普通ウィルスの苗床となった彼女にはデッドバブリースライムの猛毒も普通に効果が無くなり、そして、その精神も常に普通を保つようになっている。


「うん、ぎりぎりだったけどねー」

「私もです。やはり、長期間の休養による能力低下は一朝一夕にはいかないですね」


 そう、とルトゥータは二人に素っ気無い返事を返す。


 かつての彼女を知る者であれば、別人ではないのか、と勘繰るレベルの変化だ。

 しかし、これが今の彼女なのだ。普通ウィルスによって、感情が常に一定となり、感情の起伏が殆どなくなってしまっているのである。


「アマネちゃん、体重計に乗ってみましょうか」

「よしゃ~、絶対に痩せてるよっ!」


 鋼鉄の壁に覆われた部屋はトレーニングルームだ。天井はガラス張りになっており、星々の輝きで埋め尽くされている。

 また、そこにはトレーニングに必要な、ありとあらゆる物が揃っている。そして、そこには体重計も備え付けられていた。

 地球における電子重量計ではないものの、三百キログラムまで量れる頑丈な物だ。


 ガシャン、と音を立ててアマネの体重が表示される。


「八十キログラム……どうしてこうなった」

「えーっとですね、あくまのゆうわくがですね」


 ルトゥータはアマネの腹の駄肉をわし掴み、表情がすっかり乏しくなってしまった顔をアマネの顔に押し付ける勢いで原因を追及した。


「吐け、さもないと、その無駄にデカい乳もギュっとするぞ」

「ひぎぃ、そ、それはですねっ! ラオ・ウォルカームのご飯が美味し過ぎて、ついつい」


 ぎゅむぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。


 ぶひぃぃぃっ、という断末魔がトレーニングルームに響いたのは言うまでもない。






 アマネの暴走から約一年。彼女を護ると決意したルトゥータは魔王の鎧に願い、アマネを安全な場所まで移動させた。


 世界一安全な場所はラオ・ウォルカーム内部である。しかし、この鋼鉄の獣は巨大すぎて目立ってしまう。

 そこで、魔王の鎧が選んだのは、モトトのどこでもない場所であった。


 その名も【宇宙】。そう、ルトゥータたちは起動要塞ラオ・ウォルカームの大気圏突破能力を以って安全な宇宙に一時的に避難したのである。


 これによりアマネが痩せるまでの時間を稼ぐことができたわけだが、その長い期間は徐々にルトゥータの感情を奪い去っていった。

 今は機械のごとく行動する彼女がいるだけだ。


 しかし、そうであっても失われない、ただ一つの感情があった。

 それが、何がなんでもアマネだけは護るという感情。或いは使命感。


 今の彼女は傷を負っても眉一つ動かさないほどに感情に起伏がない。真っ平なのだ。

 普通ウィルスは感情を奪い、常に普通でいさせようとする。


 それはアマネの場合、暢気さを際立たせた。実はあれで、ほぼ感情の起伏がなかったのだ。


 普通ウィルスの多大な影響下から解き放たれた今のアマネは、多種多様の表情を見せるようになっている。

 しかし、それはある意味で危うい状態であった。

 いつ、天音源十郎の昏い魂が暴走するか分からない、という状態でもあるからだ。


 これにルトゥータは危機感を覚えるも、以前のように感情を用いてアマネを宥めることができなくなりつつあった。


 だが、それを補填する人材が、偶然にもラオ・ウォルカームに転がっていたのである。

 それが、トラップに引っかかり下層へ転落していたオグハスであった。


 彼は瀕死の常態でラオ・ウォルカーム内部を探索中のアマネとルトゥータに発見され保護される。

 そして、アマネ製のアレが混じっている薬を施され、なんとか一命を取り留めたものの、今度はアレ、というかもう言ってしまうが、てけりり、に精神汚染され、半年間もの間、廃人になってしまっていた。


 初期段階でこそ、積極的にツッコミを入れていたルトゥータは、その半年の間にすっかり感情を失ってしまっている。

 そのタイミングでオグハスは覚醒。アマネとルトゥータに感謝をしつつも、アマネのボケに対して的確なツッコミを入れる様子を見せた。


 そんな彼にルトゥータは白羽の矢を立てた、というわけだ。


 今ではかつてのルトゥータのように、積極的にアマネにツッコミを入れたり、適度に彼女と一緒にボケを炸裂させたりしている。

 それがルトゥータには嬉しくあり、そして悲しくもあった。


 だが、その思考すらだんだん薄れていっている。このまま時間が経過すれば、やがてアマネを護るというプログラムを施された生きたロボットになってしまうだろう。


 だが、それでもいいか、と彼女は思い始めている。

 それはとても悲しいことであった。


「計画が狂ったわ。もう一年、厳しくダイエットさせなくては」

「ひ~っ!? も、もう勘弁だよっ!」

「だめよ、少し甘やかしすぎたわ。一年前の私は、どうやら隙だらけだったようね」

「隙だらけのルトゥーさん、が好きっ!」


 ルトゥータはアマネのぷっくりとした頬をわし掴み、彼女を不細工な顔へと変じさせる。


「このままじゃ、一生、ラオ・ウォルカームから出られなくなる。お父さんとお母さん、そして弟にも会えなくなるわよ」

「ほへふぁふぉはふ」


 それはこまる、とアマネが言ったところでルトゥータはアマネを解放する。


「オグハス、私はラオ・ウォルカームの永久機関を見てくるから、アマネちゃんをよろしくね」

「はい、お任せを。我が主、アマネ様のお世話は私の生き甲斐そのものでございます」


 仰々しいオグハスであるが、アマネを心底慕い、忠誠を誓っているのは事実である。

 そんな彼に振り向くことなくトレーニングルームを後にするルトゥータ。


 感情を失った彼女の後姿に、アマネはどうしようもない悲しみを抱く。


「は~……またダイエット失敗だよ。なんで食べ過ぎちゃうのかなぁ?」

「それは、やはり、運動後の食事が美味し過ぎるから、かと」

「それだよ、それっ! あーもう! お父さんも、お母さんも痩せてるのに、なんで僕だけが太っているのさっ!」

「えーっとですね、アマネ様の祖父、即ち先代魔王様は……その、肥満でございました」

「お祖父ちゃんの馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 酷い言いがかりであった。






「各ステータスオールグリーン。エネルギー生産、異常無し」


 日に一度、ルトゥータはラオ・ウォルカームの動力のチェックを行う。

 この起動要塞は起動させるのに非常に難儀するが、一度起動さえさせてしまえば、あとは永遠にエネルギーを生産することが可能なエンジンを搭載していた。

 しかし、欠点としては一度停止してしまうと、再起動に再び莫大な魔力を必要とすることである。


 なので、日に二回は異常がないかを調べる必要があり、異常を確認した際は速やかに異常原因を確認し修復する必要がある。

 とはいえ、それはエンジニアでなくてはどうしようもない。


「異常無し、よ。引き続き監視をよろしく」

「ぴぴぴ」


 だが、それを予期しないわけがない。魔王はしっかりとラオ・ウォルカームを管理修復できる存在を製造していた。

 それが、この灰色のメタルゴーレムだ。


 人間の成人男性ほどの大きさの鋼鉄のゴーレムは、ラオ・ウォルカームが起動すると同時に覚醒するようにプログラムされていた。

 そして、彼らはこの永久機関からエネルギーを供給されて活動する。


 したがって、ラオ・ウォルカームから離れて活動はできないものの、ラオ・ウォルカームが活動し続ける限り、彼らもまた活動し続けることができた。

 一応は侵入者に対して防衛行動を取ることができるものの、そこまでの戦闘能力はもっていない。あくまで彼らはメカニックであり、エンジニアであるのだ。


「……あれからフォルモス様もコンタクトを取ってこない。様子を窺っているのかしら」

「てけり・り」

「そうね、いざとなれば……外宇宙へと旅立つのも一つの手かしら」

「て~け~り~・り~」

「良い友人を知っているって。そう、なら選択肢に加えておくわ」

「てけり・り」


 既に会話が成立している両者は、その精神を常人と同様に考えるべきではないだろう。

 やがて、ルトゥータはラオ・ウォルカームの食堂施設へと向かう。


 やはり、そこではメタルゴーレムのコックたちがアマネたちのために腕を振るっていた。

 そんなかれらの様子を、涎を滝のように流しながら凝視するアマネを発見。

 ルトゥータは彼女の首根っこを掴んで床に正座をさせる。


「何か言い残すことは」

「え~っと、てけ~り・り」

「もう、その言葉は覚えたわ。食べたっていいじゃない、食べ盛りだもん、よね」

「ばれたー!?」


 かくして、アマネの情けない悲鳴は宇宙に響き渡ったのであった。


 果たして、アマネは痩せて地上へ降りることができるのであろうか。

 そもそも、痩せる気があるのであろうか。


 ルトゥータによる駄肉マッサージによって悶絶するアマネの姿を、物静かな星々は生暖かく見守り続けるのであった。

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