第5話 普通じゃない普通の戦いの始まり

 大波乱の路上販売から暫しの時間が経ち、アマネたちの姿は年季が経っているが小奇麗で雰囲気の良い喫茶店のテーブル席にあった。


 あの騒動が済み、互いに自己紹介もしていなかったことを思い出した両者は、そこで紅茶とクッキーを嗜みながら、お互いを紹介し合い、そして、旅の目的を語り合う。

 尤も、女神ルトゥータは、最初からアマネの情報を直属の上司から説明されているのだが。


「アマネです~」

「ルトゥー……よ」


 危うく本名を言いかけた女神ルトゥータであったが、そのまま本名を告げても正体がバレる可能性は極めて低かった。

 悲しいことに女神ルトゥータはマイナー女神であり、彼女の上司である【芸術と美の女神】の方が圧倒的に有名であるためだ。


「次に目指すのは油の町オルンです~」

「あぁ、オルンオイルが有名な町ね。お肌にいい油よ、オルンオイル」

「でも、その前にお薬作らないと~」

「え、えぇ……そうよねぇ。アレを、ね」


 これに女神ルトゥータは速やかに遠い眼差しを見せたという。






 次の目的地であるオルンの町への路銀は既に稼げているのであるが、住民たちの要望に応えないわけにはいかず、こうしてアマネはルトゥータを伴ってアマドの町の南西に位置する草原地帯へと足を運んでいた。もちろんポーションの材料を採取するためだ。


『聞こえるか、女神ルトゥータよ』


 ポーションの材料を採取していた女神ルトゥータ、その頭の中に響く老人の声。

 異世界モトトの主神、【大気の神フォルモス】だ。


『はい、いかがなされました、フォルモス様』

『おまえの感染率が危険水域に達した。一度、天界へと戻ってこい』

『は? か、感染率ってなんですかっ!?』

『いいから、戻ってこい! これは命令じゃ!』


 声なき声の応酬。女神ルトゥータは状況も理解できないまま帰還命令を下され、これに立腹するも主神からの命令は絶対だ。致し方なく天界に戻ることを決断する。

 しかし問題はアマネにどう説明するか、だ。


「えっと、アマネちゃん。ちょ~っと席を外すわね」

「ほあ? うんこですか~?」

「女の子がうんこ言わないっ!」


 アマネは女として十五年生きているが、それでも時折、男としての五十年が顔を覗かせる。

 今の彼女の発言が最たるものであろう。

 もっと酷いものになると人前で平気で放屁する、なども挙げられる。


「(こ、これは……ダイエット以外にもいろいろと教育する必要があるわねっ)」


 アマネの将来に危機感を覚える女神ルトゥータであったが、今は主神フォルモスの命を受けて天界へとこっそりと帰還する。

 だがそうするには人目の付かない場所、つまり、アマドの町へと戻らなくてはならなかった。今はそこに向けて全力疾走だ。


「ぶひぃ! ぶひぃ! なんでっ、美のっ、女神がっ、走らないとっ、いけないのっ!?」


 息絶え絶えにアマドの町へと戻ったルトゥータは、すかさず物陰へと身を隠す。

 そして、その身を光の粒子へと解す、と天へと昇っていった。


 天界への到着は一瞬の事だ。そして、再びその姿を取り戻すのもである。

 そして直ちに身を整え、主神フォルモスの待つ大神殿へと向かう……前に屈強な機械天使兵に捕獲された。


「え? え? ちょっ、どういうことぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」


 女神ルトゥータが連れてこられた場所は、大神殿より離れた、通称【豚箱】と呼ばれる隔離施設だ。

 そこに、何故か主神フォルモスと、【学問と研究の神オプス】、そして【命と健康の女神ネッテ】の姿があった。


 異世界モトトは歴史が浅いため、神々は何かしら兼任していることが往々であり、特に学問、命、美、戦いはその仕事量が膨大であるため所属する神が多く、今では【部署名】として扱われてさえいる。


 その部署のトップ二名を従えた主神の姿に、これはただ事ではない、とルトゥータは委縮してしまった。


「うむ、来たな。オプスよ、早速だが頼む」

「了解しました。機械天使よ、彼女をこの浄化槽へと投入せよ」


 白髪で威厳のある豊かなひげを蓄える純白のローブの老人フォルモスは、隣に控えていたエメラルドグリーンの髪を持つ眼鏡の青年に要請した。

 それを受けて学問と研究の神オプスは、眼鏡の奥の赤い瞳をギラギラさせながら、ルトゥータを連行し、今も彼女の腕を抱え込んでいる二体の機械天使兵にそのような指示を与えた。


「えっ、えっ、えっ!?」


 浄化槽と呼ばれた装置は、ボコボコと泡立つ緑色の液体で満ちていた。

 装置、といっても見た目は人ひとりがすっぽり入る巨大なガラスコップにしか見えない。


 そこに、女神ルトゥータは雑に放り投げられた。


「がぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ!? ぼげげげっ!」


 果たして、そこに美はあっただろうか。


 目をひん剥いて苦悶の表情を浮かべるルトゥータに、神々は「おっふ」というため息を漏らすのであった。


「おっと、呆けている場合ではないですね。普通感染率低下、元々抵抗力が強かった彼女ですらこの有様とは……」

「そんな……保護シールドも九割が破壊されてしまっていますわ」

「ふむ、想定内とはいえ……これほどまでとはのう」


 右手を振り半透明のパラメーター画面を表示したオプスは、その内容に衝撃を受ける。

 また、灰色の豊かな長髪を持つ命と健康の女神ネッテも、その桃色の瞳を潤ませながら動揺する様を見せた。


「オプス、浄化の方はどうかね?」

「はい、問題無く平常値に戻るかと」


 その報告を受けて主神フォルモスは内に溜まっていたものを吐息と共に吐き出した。


 やがて、浄化槽の水が抜かれ、濡れ鼠と化したルトゥータが機械天使たちによって巨大コップから引きずり出され、そして雑に投げ捨てられた。


「ぐえっ、ちょっと! 私、女神よっ!? 扱いが雑過ぎんでしょうがっ!」


 だが機械天使兵は感情というものがないので何も反応は示さず、次の命令があるまで直立不動を貫いた。


「いやいや、すまなんだな。わしらはそなたに触れぬがゆえ」

「ちょっ、なんですかっ、それ! まるで、私がバイ菌みたいじゃないですかっ!」


 これにルトゥータは憤慨するも、オプスは眼鏡の位置を修正しつつ、それを肯定した。


「正しくは、アマネ嬢によって特殊な菌に侵食されている、ですね」

「特殊な菌?」

「はい、これを我々は【普通ウィルス】と呼称しました」

「え? 普通のウィルス?」

「ややこしくなりますが、そういう菌になります」


 この普通ウィルスについて、主神フォルモスは女神ルトゥータに詳細を説明した。


「よいか、女神ルトゥータよ。普通ウィルスは、言うなれば【誤認させる】細菌じゃ」

「は、はぁ……?」

「首を傾げるのも分からんでもない。わしも最初に説明を受けた際に、そなたと同じ行動を取った」


 フォルモスは普通ウィルスについての説明を続けた。

 それは女神ルトゥータの背筋を凍り付かせるに十分過ぎる説明だ。


 普通ウィルス、それはアマネと天音源十郎の魂が擦れ合う事によって誕生した突然変異種の魂生種こんせいしゅ


 魂生種とは、肉体を持たず魂のみで現世に存在することができる精霊のような存在だ。

 しかし、精霊と違う点は驚異的な速度で繁殖をおこなうという点。そう、これらは立派な生命体であるのだ。

 加えて、このウィルスは、アマネと天音源十郎のズレた魂が擦れ合う限り無限に発生する。


「このウィルスの恐ろしいところは【誤認】によって、普通ではない現象を【普通】と認識させるところにある」

「え? 言っていることが良く理解できないです」

「うむ、例えばアマネが行っている行動のことごとくが普通ではない事は分かるかね?」

「あ、はい。映像で何度も見せられました」

「彼女はそれを【異常】とは思っておらん。人間が不可能とされる行動を【普通】と思っている」

「思い込み、というやつですね」


 だが、これに主神フォルモスは首を横に振った。


「そのような、生易しいことではない。周囲が、星が、現象が、概念が、結果すらも、それを【普通】の事と認識してしまっておる」

「え、それって普通なん……」


 自分の発言にルトゥータは「はっ!?」と声を上げて口を押えてしまった。


「分かったか? 神とて例外ではない、ということに」

「ま、待ってください! では、例えば、このまま普通ウィルスが蔓延したならば、この世界はどうなる、というのですかっ!?」


 ルトゥータの質問に、主神フォルモスを含む神々は難しい表情を浮かべる。

 まず、最初に口を開いたのはネッテであった。


「彼女の優しい性格からはあり得ない、とは思いますが……普通に痩せれないことに世を恨んで、普通に破滅を願って、普通にそれが叶ったり……」

「ひえぇぇぇぇぇぇっ!? 無茶苦茶じゃないですかっ!」

「それが可能のなのじゃ、女神ルトゥータよ」


 主神フォルモスが言うように、その無茶苦茶ができてしまうのが普通ウィルスの恐ろしさである。

 そして、このウィルスは宿主であるアマネによく懐いているので、彼女以外に感染しても宿主に普通の恩恵を与えることが無い。

 そればかりか、アマネに敵対する意志を持つ者は、普通に機能不全を起こしたりする厄介な存在であった。


「よいか、普通ウィルスを完全除去、とまではゆかぬものの九割程度除去することは可能じゃ。しかし! ウィルスの発生を封じぬ限り、永遠に鼬ごっこになる!」

「た、例えばですよ? アマネちゃんを殺して天使にしちゃう、とかは?」


 ルトゥータは物騒な発言をした自分に嫌悪感を抱く。

 しかし、世界と個人を天秤にかけるわけにはいかない、との理性を失ってはいなかった。


「残念ながら、既にその方法は彼女が寝ている間に普通に試しました。結果は普通に失敗です」

「えっとね、普通に息を吹き返しちゃうの。頸を刎ねても普通に時間が巻き戻るし、焼き尽くしても同様の現象が起こって時間が巻き戻ってしまうのよ」


 オプスとネッテの報告にルトゥータは絶望を覚える。

 普通がこれほどまでに恐ろしいと感じたのは彼女が誕生して初めての事だ。


「美と節制の女神ルトゥータよ。そなたは唯一、普通ウィルスに抵抗力を持つ存在である」


 主神フォルモスは改めて女神ルトゥータに厳命する。


「普通の少女アマネの魂を調停し、彼女を普通の少女へと導くのだ! この世界の命運はそなたの普通の肩に掛かっておる!」

「は……ははっ!」


 女神ルトゥータは畏まって主神フォルモスの命を受諾する。

 内心では、安易に引き受けるんじゃなかった、との怨嗟の炎が渦巻いていたのは言うまでもない。


 かくして、予想だにもしない世界の命運を背負う事になった女神ルトゥータは、全身鎧の行商ちゃんを、まともな普通の少女へと至らせることができるのであろうか。


 今、普通じゃない普通の戦いが普通に始まった。

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