第2話 普通に突然変異
アマドの町にて珍品を販売し、路銀を稼いだ全身鎧の行商ちゃんは、今夜の宿を得るべく歩を進める。
日は暮れ始め、冷たい風が吹き始めていた。
季節は春の初旬、日中は温かいものの、夜はまだまだ冷える。
「は~ん、さっむーい。早く宿を探さないと~」
その言葉とは裏腹に、のんびりとした口調は緊張感の欠片も感じさせない。
だがその時、彼女へ向かって一人の小汚い身なりの少年が走ってきて、わざとらしくぶつかってきたではないか。
「う~わ~」
「っと、ごめんよ」
これはスリ行為を働くための行動であった、が全身鎧を身に纏う少女に対して効果的ではないと思う。
しかし、この世界の住人は転生者たちほどではないが【スキル】という便利な能力をひとつだけ与えられて生まれてくる。
先ほどの少年は【スティール】というスキルを与えられて生まれてきた、筋金入りの窃盗犯だ。
そのスキルにより物質を無視して確実に所持品をひとつ掠め取ることができる。
しかし、このスキルには一定のルールが存在した。
【スティール】の場合は対象に三十センチメートル近付かなくてはならない、というものだ。
だからこそ、少年は対象にぶつかるかのようにして窃盗をおこなっているのである。
財布を盗まれたアマネは、それに気付くことなく今日の宿を探し始めた。
盗人の少年は、しめしめ、とほくそ笑む。
素早く一本道の裏路地へと身を隠した彼は早速、財布の中身を確認する。
そして、その財布に手を噛まれた。
「あ痛ったぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
あろうことか、その財布の内側にはびっしりと歯が生えており、おまけに外側には目のような物まで備わっており、ぎろり、と少年を睨み付けているではないか。
「ひえっ!?」
この不気味な財布に恐れをなしたのか、盗人の少年は慌てて財布を放棄して逃げ出した。
だが、不意に硬い何かに衝突しひっくり返る。
「見つけたよ~。僕のお財布、盗ったでしょ?」
そこにはアマネの姿が普通にあった。
全身鎧で巨大なリュックサックを背負った彼女が、まさか一本道の裏路地にいる、とは思いもよらなかった盗人はパクパクと餌をねだる鯉のごとき口を見せる。
恐ろしいことに、アマネは財布を盗まれたことに気が付き、財布の気配を普通に感じ取り位置を把握すると、極普通に跳躍し、普通に民家の屋根を飛び越えて、普通に着地を決めていたのだ。
その際、普通に音を立てていない。全ては普通の成せる業。
「た~い~ほ~」
「ぐえっ」
初動がまったく見えない普通の腹パンを盗賊に決め、彼を地面に沈めた後、アマネは財布を取り戻し事なきを得た。
どこからどう見ても普通ではないが、これが普通の力なのでどうしようもない。
腹立たしいほどに普通ではない力に神々は頭を抱える。
唯一の救いはアマネに邪悪な欲がない事であろうか。
心穏やかな彼女は盗人を、地球に置ける警察機関である【ガーディアン】と呼ばれる組織員に引き渡した。
少年は指名手配となっており、お礼の金一封を獲得したアマネは先ほどの財布へとそれを納める。
当然ながら、彼女が財布に噛まれるという事はない
「懐が温かくなったぞ~。今日は少し贅沢にいこ~」
お~、と拳を天に突き上げ、アマネはルンルン気分で宿屋へと向かう。
しかし、途中の露店たちは様々な誘惑を彼女に仕掛けてきた。
これに抗う事は難しく、結果、金一封は姿を変えてアマネの腹の中に納まってしまったという。
アマネがぽっちゃりさんな理由がこれであった。
「あぁっ、しまったぁ。うっかり食べちゃった」
「お嬢ちゃん、よく食べるねぇ」
これには誘惑した露天商たちも苦笑を見せる。
用意した沢山の食材たちが、ことごとくアマネの腹に納まってしまったのだから。
しかし、彼女の食べっぷりはすこぶる気持ちの良いものであり、尚且つ食べ方が綺麗であったので不快感はまったく無かったという。
また、その食べっぷりは十分過ぎる程に客寄せになり、このあと彼らは再び忙しい想いをすることになったとか。
「あ~、これじゃあ、晩御飯が三人分しか食べられないよぉ」
普通に済ませる、という考えはないのであろうか。
結果、普通の宿に宿泊した彼女は、普通に五人前の食事を済ませた。
「は~ん、満足満足」
部屋は個室を選択し、全身鎧を脱いだアマネは背伸びをして体を解した。
全体的にだらしのない、むっちりとした身体だ。
特に乳と尻が凄いことになっているが、本人は普通に気にしていないのが困りどころである。
髪は短いのが好みのようで、太い眉がしっかりと確認できるほどに刈り込まれていた。
その性格のとおり、アマネの顔を構成するパーツ群は優しい形状となっている。
だがやはり、そのことごとくが、ゆるゆる、でだらしがない。
引き締まっている部分を探すのは困難と言えよう。
「うりゃ~」
とふかふかのベッドに飛び乗ったアマネは、悲鳴を上げたベッドにもお構いなしに布団の中へと潜り込んでゆく。
彼女が眠りに落ちるのにそう時間は要さなかった。
さて、ここからが神々もくつろげるであろう時間……かと思いきやそうではない。
ここからが本番なのだ。
「第一種戦闘配備! 突然変異に備えよっ!」
「シンクロ率急上昇、パターンパープル! あぁっ!? ベッドが疑似生命体にっ!」
「天使兵どもを向わせろっ! 決してアレを宿の外に出すなっ!」
「結界はまだかっ!?」
「空間封印術式、展開……完了!」
「家具の神を叩き起こせっ! 全力で無かったことにしろ!」
「ええい! 戦の神はどうしたっ!?」
「腹痛を訴えております!」
「ちくしょうめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
お分かりいただけたであろうか。
この神々の慌てっぷりよう、そして、宿の一室でおこなわれているハルマゲドンを。
屈強な天使兵たちが、アマネを載せたベッド、という何かに薙ぎ払われ床に沈んでゆく様はこの世の終わりを思わせる。
そして、遂に戦の神が投入され、結果、普通に一撃で沈められてしまった、という。
「もうやだ……なにこれふつうじゃない」
そう泣き言を言う戦の神から二時間後、一万もの天使兵が投入されて、ようやく事は終焉を迎えたという。
この後、家具の神が手早く破壊された部屋を修復。全てを隠蔽することに成功する。
この大騒動があったにもかかわらず、アマネは普通に寝ていた、というのだから恐ろしい。
次の日、彼女は普通に目を覚まし、普通に日常を過ごすことになる。
そう、彼女は知らないのだ。毎晩、彼女の部屋でハルマゲドンが引き起こされていることに。
「は~ん、今日もいい天気」
しかし、神々はその青空が、どんより、としたものに見えたとか。
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