赤松翠の独白

少し、昔の話をしようと思う。

私_赤松翠の、過去の話だ。



私が好きになる人は、いつも女の子だった。

私を好きになる人は、いつも男の子だった。


高校一年生。昼休みの屋上。

手紙で呼び出された私と、私を呼び出した一度も話したことが無い男の子。


「好きです!付き合ってください!」


勢いよく頭を下げて、告白してくれる。きっと、勇気を振り絞って想いを伝えてくれているんだろう。


「ありがとう、…ごめんなさい」


私もぺこりとお辞儀をして、丁寧にお断りをする。

感謝の気持ちも忘れずに伝える。これが、相手の真剣な想いへの精一杯の誠実な対応だった。


断る私の心も重いが、恐らく彼はそれとは比べ物にならないほどひどく傷ついてしまっただろう。

でも、私が彼を好きではないことに罪はないし、彼が私を好きなことにも罪はない。

誰も悪くない、仕方のないこと。どうしようもないことなのだ。

私には、何も出来ない。


よく、聞かれる質問がある。


「ねぇねぇ、赤松さんって彼氏いるの?」


よく知らない、クラスの女の子達。多分数回しか話したことがないし、その内容もあまり覚えていない。


「いないよ」


困惑しながら答えると、彼女達は驚いたように目を丸くさせた。


「えーー!赤松さんめっちゃ可愛いのに!」

「高嶺の花には手を出しにくいのかねー」

「でもさ、田中絶対赤松さんのこと好きだよね」

「わかる~、バレバレだし」


目の前で盛り上がる彼女達。

私は当然蚊帳の外だ。どう反応するのが正解なのかもわからない。

とりあえず適当に笑っていると、会話の矛先は私に向かった。


「ねね、赤松さんは田中のことどう思ってるの!?」

「田中くんは…えーと…サッカー部の子だよね」

「アハハッ、脈ナシじゃん!!」


楽しそうに笑う彼女達の目に、“私”は恐らく映っていない。

似たようなことがある度に、私の心は荒んでいく。


“一つのコンテンツ”として私の恋愛を消費しないで。私の恋愛を杜撰に詮索しないで。私の恋愛を興味本位で覗こうとしないで。

お願いだから_


_私に興味を、持たないで。



それでも私は、彼女達に何も言うことが出来なかった。彼女達に悪気はないことはわかっている。ただ楽しんでいるだけだ。だから「やめて」と言って、その楽し気な空気が凍り付くのが怖かった。


人からどう思われるのか、そればかり気にしていた。


そうやって自分の殻に閉じこもっていた時に、出会ったのが森丘さんだった。

二年生で初めて同じクラスになった彼女は、正直にいえばクラスから少し浮いていた。


女子は大抵すぐ群れる。でも、彼女は違った。常に一人行動だ。

移動教室が一人だろうが、お昼休みに一人だろうが、体育の「二人組になってね」で余ろうが、彼女がそれを引け目に思っている様子は微塵も無かった。体育祭の前に合唱祭があったけれど、その打ち上げにも不参加だった。皆「まぁそうだよね」という雰囲気で、気にしているようなクラスメイトもいなかった。


単純に、羨ましかった。

私はいつも周りの人の反応を気にしてばかりだった。一人が怖いから誰かと常に一緒に行動していた。時々一人になると、心細くて、まるで世界から自分だけが除け者にされたような気分だった。


このクラスでも私の恋愛は不躾に詮索された。それでもやっぱり、私は曖昧に笑って流すことしか出来なかった。


彼女は堂々としていた。誰に何を言われようとも、「だから?」と跳ねのけてしまいそうな、凛とした強さを持っていた。

最初はただの憧れだった。皆が群れる中単独行動を貫いている姿を、「すごいなぁ」と思いながらよく見つめるようになった。ずっと見つめていて、気づいた。彼女はオシャレに関心が無いようだから目立ってないけれど、その顔立ちは整っている。「すごいなぁ」に「素敵だなぁ」が加わった。


でも、やっぱりただ見ているだけだった。話しかけることもなかったし、何の接点も無かった。


転機が訪れたのは、思えばあの日だったかもしれない。

ある日、クラスの中でも地味で真面目そうな男の子と、遅刻もサボりも多い女の子の二人が日直の日があった。日直は最後に教室を掃除する役割がある。机の間を箒で掃くだけだけれど、一人でやるには負担が大きい。


女の子は、帰りのホームルームが終わると、当然のように帰っていった。「あれ?アイツ帰ってんじゃんウケる」「うわー、もう一人の日直かわいそ~」、そんな会話がされているのを私は帰り支度をしながら聞いていた。


男の子は、何も言わずに掃除用具をロッカーから取り出していた。手伝おうか迷ったけれど、今まで一度も話したことがない男の子にどう声をかけたらいいのかわからなくて躊躇っていた。もしかしたら、変に噂を立てられてしまうかもしれない。


逡巡している内に、彼に近づく姿があった。


「手伝うよ」

「あ、ありがとう…森丘さん」


彼女は自然に、当たり前のことであるかのように彼に声をかけた。

私も驚いたけれど、男の子の方も目をギョッとさせていた。まさか自分が女子から話しかけられるとも思っていなかったのだろうし、その相手が森丘さんであるとも思っていなかったのだろう。私も、森丘さんが男子と仲良くしているところを見たことはなかった。


クラスの人たちは最初こそ少し意外そうな顔をしてその様子を見ていたけれど、特に何も言及することはなく自分達の会話に戻っていった。

私は結局、何も出来ないままだった。


彼女は平等だ。誰に対しても同じ態度で接する、優しい強さを持っていた。

きっと、他人にあまり興味が無いんだろう。だから、「誰にどう思われるか」なんて気にしないでいられるのかもしれない。それでも、誰にでも分け隔てなく、躊躇うことなく彼女は手を差し伸べることが出来る。


「どう思われるんだろう」、そればかり気にしている私は、確かにクラスからは浮いていないのかもしれない。“普通”になれているのかもしれない。だけれど、それは詰まるところ、自分のことしか考えていないのだ。


彼女は私とは違う。芯が通っていて、凛としていて、綺麗だ。


単純に、羨ましかった。最初はただの憧れだった。

それがいつの間にか、彼女の強さと優しさに惹かれていた。

でも、この気持ちを打ち明けるつもりなんてさらさら無かった。玉砕するのは目に見えていたし、遠くから見ているだけで十分だと思っていたからだ。



だけれど、あの日、図書室で彼女を見かけたあの時。

ふと顔をあげると、一つ前の机に森丘さんが座っていた。彼女は伏し目がちに、机に置いた教科書に目を向けていた。その端正な顔に、横の窓から夕陽が差し込んでいた。さぁ、と風が吹いて、サラサラな黒髪が揺れた。


目を奪われた。思わず手が止まった。いや、時が止まったような気さえした。周囲の音が遠く感じた。視界に他の物が入らなくなった。


ただ、そこに居る彼女だけが、私の瞳を支配した。


綺麗だった。綺麗としか言いようがなかった。他に彼女を形容するのにピッタリな言葉を私は知らない。



_その日は、帰ってからも動悸がおさまらなかった。彼女の姿を思い出す度にドキドキして、胸がどうにかなってしまいそうだった。


告白したのは、衝動だった。

思いがけず育っていたこの気持ちをどうすればいいのかわからなかったのだ。自分で抱えているには、あまりにもそれは熱を持っていた。かと言って、もう捨てることも出来そうになかった。


それならば、いっそ彼女にぶつけてしまおう。断られるだろうけれど、諦めがつくまで食い下がればいい。優しい彼女なら、きっとそんな滑稽な私の姿を見ても哂ったり軽蔑したりしない。少しだけだ、ほんの少しだけ、彼女の時間を私にくれれば、それで私は満足できる。そう、本気で思っていた。


告白を受けてくれて、本当に嬉しかった。

天にも昇る気持ちだった。テストで満点をとるより、宝くじに当選するより、きっと何倍も嬉しい。

この一か月、ずっと浮足だっていた。朝起きて、自分が“森丘さんの恋人の赤松翠”であることに毎日感動していた。


今まで、クラスの数人の女子とグループで固まって行動していたけれど、森丘さんと一緒に居るチャンスを逃したくなかったから、彼女達とはそっと距離を置いた。元々仲がいいわけでもなく、ただ独りを回避するためだけに行動していただけだったから、彼女達からも何も言われなかった。


おかげで、森丘さんと毎日一緒に帰れるようになったし、朝のホームルームの前に話したり、授業の合間に話しかけたり出来るようになった。だけれどその影響で、移動教室や昼休みは一人で行動することが多くなった。森丘さんは毎日一緒に帰ってくれるけれど、それ以上一緒に過ごす時間が増えるのは望んでいない気がした。あんまりベタベタするのは好きじゃなさそう、っていうか。


グループから抜けることは、私にとって大きな決断だった。女子は群れる生物だ。群れることで仲間意識を強めて、群れないものを異端扱いする。小学校も中学も高校に入ってからも、ずっとグループに居ることで自分の身を守ってきた。勿論楽しいこともなかったわけじゃないけれど、そこには常に不自由感があった。上手く学校社会を生き抜いていくための処世術みたいなものだった。


“自ら進んで一人で行動する”、なんてありえない選択だったのに。

彼女は、そんな革命を簡単に私に起こしてしまう。自分でも驚いた。


森丘さんが好きだ。

他の誰でもない、森丘佳南のことが好きだ。

誰にも渡したくない。

でも、彼女の幸せが別の場所にあるのなら_


_私は、どうすればいいんだろう…。

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