第二話 サヨウナラ、友よ

 志望校は真人と同じ、都内の高校を受験すると決めていた。偏差値は特別高くはないけれど、バスケ一筋だったあいつには勉強が必要だった。そのため塾に通う代わりに、夏休みから俺が勉強を教えることになっていたのだ。

 ……本当に、なんて言ったらいいのだろう。真人の性格だ。俺が母さんについて行くと言えば、背中を押してくれるだろう。でも嘘が下手だから、残念だという気持ちがあればすぐに分かる。

 それが、辛い。



 授業中は、真人を視界に入れては心の中で溜め息をついていた。早い方がいいに決まっているが、どうしても気が重い。

「なあ真人。昼、食堂行かない?」

 俺からの誘いは珍しく、真人は目をぱちくりさせた。いつもなら椅子に腰かけたままの俺の机に、こいつが弁当を持ってやってくる。なのに今日は、俺が弁当を手にしているにもかかわらず、わざわざ食堂を指定したのだから。

 冷房の付いていない、送風と扇風機だけのこの食堂は、この時期は生徒にあまり人気がない。真冬でさえヒーターで乗り切ろうとしている。

 その中でも人がまばらなテーブルを選び、向かいに真人が座った。風の通りが悪いため、このあたりのテーブルは不人気だ。ヒーターの熱気が蒸し蒸しとまとわりついてこもり、余計に気分を重くさせる。

「どした? なんかあった?」

 向けられているだろう純粋な目を、俺は直視できなかった。

「ま、とりあえず食おうぜ。いっただっきまーす」

 どう切り出そうかと戸惑っていた俺を、こいつなりに気遣ってくれたらしい。俺は弁当を、真人は大盛りのカレーライスをそれぞれ頬張ることにした。

 俺は先に食べ終わり、水を飲み干した。すると口の役目がなくなったせいか、唐突に話を始めてしまった。

「俺さ、転校することになった」

 真人はまだカレーを食べている途中だった。俺の言葉を聞いたこいつは、口に運ぼうとしていたスプーンからじゃがいもを落としてしまった。カレーを待っていた口は、仕方なく開いたままだ。

「……まじ?」

 きっと真人の頭には、志望校のことがちらついているはずだ。

「んで、場所は? どこらへん?」

 カレーを食べるのを再開しつつ、いつもと変わらない表情・・・・・・・・・・・を向けてくる。その無垢な瞳にいたたまれなくなった。

「……福岡」

 やっとのことで言えた。これだけで肩の荷が少し下りたような気がした。

 真人の顔は見られなかった。どんな表情をしている? ショックを受けていた? そんなに気にしていない様子だった? いずれにせよ、こいつは顔に出るタイプだ。先ほどだって、「いつもと変わらない表情」をしつつも、それが作られたものだってことくらい、表情の硬さで分かる。

 隠しきれない動揺があれば、それを受けとめる勇気が俺にはまだなかった。俺の話なのに、なんと無責任なことだろう。俺はこいつに甘えすぎている。

「そっか、福岡か。遠いな」

 カンカンと、スプーンと皿のぶつかる音が細かくなる。食べ終わるのが近い。皿が持ち上げられるのを視界の端に捉え、皿の裏側を見るのがやっとだった。皿がまたテーブルに戻りそうになれば、俺はまた視線を逸らす。

「寂しくなるなあ」

 その言葉に、思わず顔を上げた。真人は悲しそうに眉を下げて笑っていた。高校のことは何も言われなかった。

 こいつは分かってくれている。母親について行くことを選択したのは俺だ、と。それが両親の離婚に関係するだろうことも。

 俺はこの時、そう思っていた。



 夏休みはあっという間に明けた。自分の荷造りは滞りなく進み、母さんの手伝いにまわった。

 出発の一週間くらい前には、明るい真人がこころを連れて会いに来てくれた。俗に言う「お別れを言いに来た」ってやつだ。

 真人と同じく幼馴染みの大山おおやまこころは、俺たちお同じ学年でも別の女子中に通っているため、中学に入ってからは顔を合わせることが極端に減っていた。

「太智……福岡に行っちゃうんだってね。寂しいなあ。せっかく高校では、三人一緒になれると思ったのに」

 言いながら目から溢れ出てきた滴を、こころは白いハンカチで拭った。

 彼女の通う女子中はエスカレーター式で、附属の高校にそのまま進学するのが一般的だ。けれど彼女は、両親の反対を押し切って俺たちと同じ高校を受験する、と親の頭を悩ませているらしい。

 一方の真人は、よしよしとこころの頭を撫でつつも、晴れやかな顔をしている。この前のような、作っている感じはしない。

「まあまあ、こころ。外国に行っちゃうわけじゃねんだし、会おうと思えば会えるだろ。太智、せめてさ、長期休みには戻ってこいよ。俺んちに泊まれば、そんなに金かかんないだろ?」

 真人は、俺に向かってとびきりの笑顔で――鬱陶しいくらいに照りつける太陽よりも眩しいくらいにこう言った。

 俺の思い違いではない。こいつは、俺が抱えていたものを全部、取っ払おうとしてくれている。今日までに心の整理をしてきてくれたのだろう。ここに残りたい、と強く願ってしまった一日だった。

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