隻腕のヰト=キヲ

真雁越冬

第一話 愚人の名

第一話 にんの名


 の日は父から宿泊のきやくさまを迎えに出るよういいかっていた。女学校の帰りにニイサト駅に寄ってしばらく待つとはるか王都から迫間ハザマヤト迫東ハヅマハラナカサト川辺カワベ山野ヤマノけてきた列車が新緑の木立を抜けて蒸気を噴いて汽笛を鳴らして停車場に入ってぎしりと止まった。降りた人は数えるほどで、はくじようの男性はひときり。私は小走りにかけって声を掛けた。

「タヰ先生……タヰ=クロヲ先生でしょうか」

 政府の要職に在る学者先生と聞いておもいえがいたよりだいぶんと若い様子で人違いかもとあんじたが、の人は笑みを浮かべてうなずいた。

「民宿ヰト=キヲ荘のかたですか」

「当主の娘のタセマ=スヾと申します。むかえに上がりました」

 父からはの休日もつきうよういいかっている。あいくしておくがきちだ。

の先は足元がわるいますから」

 私は行李こうりを預かってさらに手をさしべた。ところが先生はかぶりを振って、見えぬはずの眼のとなりを指先でとんとつついてみせた。

「不自由ですが、まつたわからぬでもないのです」

 の先、ろうもりつちくるまどめの脇でしまいで、段を下って駅舎まで石畳……足元の様子を語ってみせる先生の両眼はあおく光って見えた。もしや噂に聞くアオタマの才のたぐい……と驚いたのが、つい口からもれたらしい。

めいさつ……アオタマの眼です」

これほどあおく輝いて見えるとは存じませんでした」

 の人類が出会った異人の最初は二千年前のモリヌシ、次に三百年前のコウ、最後に百年前のアオタマ。前の二つはすでくて、アオタマとはおおむね良い関係が続いている。

「見えましたか。うか……こりゃまいりました」

 こまがおで笑う先生に何と対したかあんねて、私はひとこうべれた。

ゆるし下さい。けいな事を申しました」

「いえ……うした心算つもりは無くて、でも、うですね……」先生は暫時しばし考えて言葉を連ねた。「素性が知れると公務にさわりの出る立場の者もりますから、今後は察しても見ぬ振りしていただくのが良いかもしれません」

 私はかしこまりましたと微笑みながら、す感じの言い方に内心ちよつとむくれていた。まりやくにんさまは休暇だからと気がたるんでてんとうさまの下ならられまいと油断したのだ。大事な機密ならしつかまもりなさいよ……と、ぼやく私の心を察したか、先生はかくしから黒眼鏡を出して瞳を覆った。


 ふたしてニイサトの街区をぬけて田畑のあいだの道を進んだ。アオタマの眼をした先生はなかみちく歩むが、気付けばときおり右膝をかばう。失礼ながらと手をまたべると、これもさしたるさわりでないと笑った。

「現場で負った古傷でして、すでに痛みは有りません。ただいささか動きがしぶいのです」

 新緑の萌えるシロヤマすそを左に巻いて東を向くと南から丘がせまって右手の畑地がだいすぼまる。たにあいに入って人気ひとけが失せると、先生は学生ぶんアオタマの器具の誤用で失明して処置を受けたいきさつを語った。

「とはいえ、の眼は……たとえば書を読むのがかないません」

 アオタマの才の本質は現実うつつへんよう。対象を動かし変えるところに在るという。ならばの本質をもつなる理屈で視覚を得るのか。すなわアオタマは自身の小さな欠片かけらを先生の両眼といううつわに盛って異なる現実うつつを薄く重ねた。これのびひろがって離れた現実うつつを手探りして、先生はの感触を視るごとくして得るという。だから才の届かぬ遠方は知れない。色も知れない。でも精密に測るとか地中を探るのはかなう……との話を聞いて、なるほど工業とか建築とか……水脈や鉱脈を探るのにちようほうするのか、ととくしんしたところでふと、よもや私の体もみり単位で計測されたか、と気付いて腰が勝手に引け掛けたが、ぐっとこらえてらぬ振りで話題をらした。

モリヌシが御先祖様に下さっためぐみを思わせますね」

 私達の祖先の船は遠い故郷から宇宙を渡って、故郷に良く似たに着いた。積んできた人類のもとを当地に合わせて調ととのえて、生まれた子らに故郷の言語や文化を教えて地上に降ろすと役目を終えた。本当なら船団で来るはずだった。でもけつきよく他は至らなかった。結果、降ろされた一同は困窮した。に知恵と知識が有ろうとも、限られた機材と資材で文明を築くのは無謀で、人々は滅ぶぎわおいまれた。の危機にひとの異人・モリヌシあらわれて、覚・動・止・交のめぐみさずけて人を助けた。でも人の暮らしがおちくとめぐみさずけるのは減って、人が増えて土地ごとの利害がもとで争い出すとモリヌシいとって身を隠した。さずかっためぐみは人の寿命と共に失せたから、今は伝承でしかない。

じつは近年にモリヌシアオタマどうこんと知れました」

 先生は最近の学会の話題をかいつままんで講じた。話のきもアオタマの才にかかわる現実うつつへんようなる概念で、から私達の現実うつつとは別の現実うつつの在る事がおもいえがかれる。に発した何者かゞ、二千年前に当地に至った人類に興味を抱いて、言うなれば手探りをくりかえした。くして探る手が当方の現実うつつねてかたちあらわした一つがモリヌシで、また別の一団がアオタマ……とのだいらしい。

モリヌシみどりの光をまとう人に似た姿で背に薄膜の翼が一ついアオタマ達はいずれも名の通り輝く蒼い球と聞いてります」

現実うつつあらわかたちに組立てから違うとの事です」

「……もしかして、コウもでしょうか」

 先生はうなずいて、といかえした。

「戦乱期の事はしようちですか」

 歴史の教本にる程度で良いのだろうか。

の人類が土地ごとに分かれて争った時代、くらいでしたら」

 五百年前から四百年前に至る百年の争いは、西方の海辺のオヤヲカの地……に人類がはじめに降りて暮らしてモリヌシまみえた地をまもりとおした一族が他を制して、王統として諸地の領主を従える体制を築いて終わった。これが二百年続いた後にアオタマが来て、以後百年間、人類は技術と助言を得て汽車と電信で諸領を結んで、諸領主をゆるやかに廃して、王統のもとたみの代表の議会を置く体制に移行して今の世が在る。

コウは戦乱の一世紀の人類をかたどってあらわれたと思われます」

 つたえきコウ姿すがたかたちまさしく戦乱期の兵のごとしだ。でも死ぬとつちくれかえったというから、さきの話のモリヌシアオタマなりたちが違うとも思われる。の点を尋ねると、先生は推測ぶくみでよろしければと前置きして、コウあらわす本体はくまで領主を模して城中にて、人類がったのは土をねたうつわに薄く欠片かけらを重ねたからくり人形のたぐいと解すると理屈が合うという。

コウは人がいくさよろこぶ、とかんちがいしたのでしょうか」

 コウの兵は大挙して十万あまりの人類を手に掛けた。

おもんぱかるに、個体を排除し合うのを群れと群れの対話と誤認したようです」

 兵が人をあやめて人が兵をあやめるのが、コウにとってかたらいだったなら……ふと気付いて、私は尋ねた。

アオタマとも、似た誤解が有ったでしょうか」

 歴史の教本は、百年前に蒼い球形の城がいきなりに王城のちよくじようあらわれてただ従えとのみ求めたと記す。対する王軍も武器をかまえていちさききが知れなかったが、幸い数日して先方が態度をやわらげた。以後は対等に近い交渉が成って、文化交流なる体裁で人類はみずからの歴史・伝承・文化を伝えて、見返りに有用な技術や助言を得る関係に成った。

おもんぱかるに、アオタマは人類を導かんとする気持ちがはやって……いさみ過ぎたのです」

「なのに、何故なぜいきなり態度を改めたのでしょうか」

「尋ねても、教えてもらえないのですよ」

 聞いてふとおもいうかんだのは……先日に級友のリンから借りた探偵物のよみほんだった。作中の探偵は犯人にさまざまな言葉をなげけて、返答からでなくはくどうや体温の変化をもつて真偽をきわめた。の手法が役立つのでは、とおもいついた。

「先生の眼でしたら、アオタマの体内の変化をはかって言葉の真偽を見抜き得るのでは有りませんか」

 先生はかぶりを振った。

の眼の才でアオタマの内はのぞかれません」

 アオタマ現実うつつは極めて濃い。先生の眼の小さなかけの薄い現実うつつの程度では手探りしても動じない。まりは何も見えぬのだという。

「文字通りはかりしれぬわけですね」

 うっかりまらぬ事を口走った私に何を返すでもなく、先生は暫時しばし真剣に考える顔をした。

「……地元・ニイサトの百年前のモリヌシみどりノ光のいつは、ぞんですね」

「真相は極光のたぐいかと思いますけれども」

 百年前、めいの東の空にみどりの光が立って王都の在る西へたなくのを西ニシニイサトぬしが見て日記に残した。三十年してたまたまに読んだ息子が、日付がまさしくアオタマが態度を変えた日なのにおもいあたって、モリヌシの光なり、ニイサトに今もモリヌシいくばくかゞ留まり人類を護るあかしなりととなえた。噂にかれてシロヤマもうでる人が出てニイサトにわかげいいた……亡き祖父が副業に民宿を始めたのもの時と聞く。

「今はもうそれを信じるので良いのでは、と思えてきました」

 先生はわざとらしく嘆くと、人はり人のしやくとらえるのがよろしかろう、とじようだんめかして人類をおさなごたとえて、モリヌシめんどうの良い乳母、アオタマげんかくもりやくまたは熱心な教師になぞらえてみせた。

「としたら、コウは気にした子を無自覚にいじめる近所の子、でしょうか」


 話しながら歩くうち、道はいよいよシロヤマの南東の端に近付いた。山裾のわずかに高いところにぽつんと建つ家、山林の管理と炭焼きと山菜・山芋・茸採りのかたわら民宿を営むが見えてきた。

のようななかに、宿やどを望まれたのですか」

「私はあてどころの知れぬさがしものを趣味にしてりまして……」

 こつとうしゆうしゆうだろうか。

いつぴんなどいませんけれども」

「親しく語らって昔話などうかがいたかったのです」

 でもならば何も当家でなくて良いはずだ。

「ヰト=キヲなんて名の宿を、わざわざ選ばれたのですか」

 先生は暫時しばしいぶかしむ顔をして、なるほど……とつぶやいた。

の名を好ましく思われませんか」

 問われて、本当にまだ小さかった頃、祖父を亡くした日の情景がおもいだされた。


 ばんしゆうの日の夕刻、泊まるおきやくさまも無くて、父母は近所の人らとヲカに茸採りに出てだ戻らず、私ひとが東の端のどこの脇にひかえていた。長くかくしやくとしてきた祖父は半年でがたっと衰えた。前からわんさわりが有ったが今は他肢も自在にらない。語るのもまたままならないが、か私は祖父の望みをく察したから、なるたけつきうよう言われていた。

 外をにするのが察せられて、ばちの炭をおこして東の窓のしようを開けた。山塊が失せた大きなくぼの上、夕陽のべにが射す高い雲の何処いずこからか気の早い粉雪のちらと舞うのをふたして見た。

「スヾは……の屋号が好きでないか」

 問われた気がした。

 ヰト=キヲ荘なる屋号は祖父が付けたと聞いていた。もちろん、地元に所縁ゆかりの名を冠して商売するのは悪くない。でも子女としていとわしく思う場面も少なくなかった。周囲の子らから揶揄からかわれるのは邪気のありなしらずやつり決して嬉しくない。の日もじんじよう学校でコウ屋旅館の三男坊と不毛なけんくりひろげたのだし……おもいめぐらして躊躇ためらって、いざなおに思いを告げようと口を開いた時、祖父はすでことれていた。

 ヰト=キヲ……それは三百年前のにんの名だ。

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