第2話 追想
「次は○○、○○。本日はふるさと鉄道■■線をご利用頂き、誠にありがとうございました」
車内アナウンスの声で僕は目を覚ました。
危ない。危うく寝過ごすところだった。
列車のドアが開くと、僕はホームへと降り立つ。
ほぼガラガラだった列車から降りたのは、僕の他には地元の人と思われる二人だけだ。
列車が動き出し、形ばかりの改札を抜けると僕は辺りを見渡した。
鉛のような濃い灰色の雲が立ち込める空と、四方から圧迫するように迫る黒々とした山々、そして、駅舎の周りには茶色く枯れて折り重なった草ばかりの荒涼とした風景――。
「なんだ。あの時と何にも変わってないな」
僕は十年前にも一度この風景を目にしている。季節も今とほぼ同じ頃だった。
「さて、どうしようか……」
僕はポケットから一枚の葉書を取り出した。
目的とする場所までは、おそらく歩いて30分程度はかかる。
人家もまばらな無人駅の前にはタクシーなんか止まっていないが、地元のタクシー会社に電話をすれば駅まで迎えに来てくれることだけは事前に確認をしていた。
ただ、この旅は早く着くことが目的ではない。
むしろそこへたどり着くまでに、自分の中の記憶と感情を整理しておく時間が欲しかった。
「歩いてみるか」
僕は背中を丸めると、ひび割れたアスファルトの上を歩き始めた。
※※※
――十年前。
僕と紗英は東京の大学に通う三年生だった。
同じ学科だった僕達は、ふとしたきっかけで一年の終わり頃には付き合い始めていた。
明るくて大らかな紗英と少し理屈ぽい僕は、一見かみ合わないようでお互いの足りない部分をうまく補い合うような関係を築いていたと思う。
そして紗英と付き合い始めたのと同じ頃、僕は別なものにも夢中になっていた。
それは、友達に誘われて行った小劇場の演劇を観たことがきっかけだった。
――物語を生み出し表現する。
その魅力にとりつかれた僕は、自分で仲間を集めて大学非公認の演劇サークルを立ち上げた。
もっとも僕が惹かれたのは演じる方ではなく、脚本を書いたり演出する側のほうだ。
僕はサークル用の脚本を書く傍ら、脚本のコンテストがあれば舞台、ドラマと媒体を問わず応募し始めた。
もちろんその殆どは選外となったが、たまに奨励賞的な小さな賞に選ばれると、「次こそは」とさらに熱中していったのだった。
いつしか、僕は本来の学業よりも執筆活動のほうに傾倒していた。
そんな生活を送りながら僕達は大学三年の秋を迎えた。
その日、僕は学生食堂の片隅で紗英に次の作品の構想を話していたのだが、どうも紗英の態度が上の空だったので話を切り上げて紗英に訊ねた。
「紗英、どうしたんだ? 何か気になることがあるなら言ってくれよ」
いつもは快活な紗英が肩を落として上目づかいに僕のほうをみる。
そして、観念したように口を開いた。
「こういうこと、あまり言いたくはなかったんだけど……その、圭吾は、私達のことどう思ってる?」
「私のこと」ではなく、「私達のこと」という言い方に、なにか紗英の想いのようなものを感じた。
その当時僕が思い描いていたのは、何年か後には脚本家としてデビューを果たし、そしていつか紗英と一緒に幸せになる、という漠然とした未来だった。
「いつか」というのは、五年後かもしれないし、あるいは十年ぐらい先になるのかもしれないが、その時の僕は十年という時間はまだ遥かに遠い未来のことのように思っていた。
「もちろん、いずれは紗英と……結婚して、幸せにしたいと思ってるよ」
僕の言葉に、一瞬紗英は目を輝かせたが再び顔を伏せると絞り出すように話し始めた。
「あのね、あんまりお母さんからしつこく聞かれるものだから……圭吾のこと、話しちゃったの。……そしたらね、一度家に連れて来て、紹介しろって言われてて」
――紹介って……婚約とかするならまだしも、現状ではまだ付き合ってるという段階なのに……。まあでも、田舎に住む年配の人にとってはそういうのは気になるものなのかもしれない。
いずれにせよ、僕の紗英への想いに偽りがあるわけではない。
「いいよ。行こう、紗英の故郷へ。ちゃんと話してみせるよ」
僕の言葉に、やっと紗英に笑顔が戻った。
「ありがとう、圭吾。嬉しい……」
11月も終わりを迎えるころ、僕達は紗英の故郷を訪ねた。
東京から遠く離れた北国のさらに奥まった山あいにある紗英の故郷は、僕にとっては過酷な気候だったが紗英の家族は僕を歓待してくれた。
しかしその夜、紗英の家族が揃った夕食の場で事件は起こった。
僕の将来のことに話がおよんだ時だった。
僕は少しお酒が入った勢いもあって、これから就職活動はせずに脚本家としての道を目指すと宣言してしまった。
もしあの時、僕がもう少し大人の知恵を身につけていたなら、適当に「就職活動を頑張ります」とでも言って、その場をやり過ごしていただろう。
しかしその時は若さゆえの傲慢とでもいうのか、夢を持って突き進む自分の姿を主張すればどこかで許容されるだろう、という甘えのようなものがあったのだと思う。
僕の言葉に紗英の両親や兄弟は激しく反発し、ちゃんと就職をするようにと詰め寄ったが、僕は自分の考えを譲ることはなかった。
結局その日はお互いに険悪な空気になったまま、翌朝、僕と紗英は逃げるように紗英の故郷を離れたのだった。
今になって思えば紗英の家族の心配はもっともな話だ。
大事な娘を安定とは無縁の仕事をしようとしている男に託すことなど出来ないだろう。
紗英の故郷から帰京してからも、僕達の関係は続いていったがそれは以前に比べると徐々にぎこちないものへと変わっていった。
それでも、僕はサークル活動とコンテストへの応募を緩めることはなく、むしろ、前よりも更にのめり込んでいった。
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