第53話 VS アダム(後編)
しかしここでアダムはベルゼブブを召喚して突進させる。
奈々実が転がっていく中で、アダムはフラつく足を抑えて立ち上がった。
気づけば辺りは血の海だ。靴底が沈むほどの血があった。それが映像たちを思い出させていく。
『……舞鶴が島にいる間は暇でね、ありとあらゆるスプラッターホラーを見ていた』
残虐に殺されていく人々を思い出す。
『マリオンハートを人が知ればどうなる?』
その言葉はフィーネにも届いている。
光悟は腕を組んで黙った。月神も空を睨んでいる。
『作った世界が本物になると知ればどうなる? 作り手と物語は違うという概念が壊れた! 悪意が物語を紡ぐ。殺意が殺意を描写する。虚像は崩れ去った。物語は悪意の具現だ!』
男は、それなりの優しさを持っていた。
『全ての傷は、本物なんだ!』
だから、辛い。
『それを止めるには、人を消し去るしかないだろ!』
同人誌を見た。あの子が、虫を食わされて殺されていた。
「だが! 人は希望も紡げる。だからティクスがいる!」
『そのティクスは人を殺せるぞ。ペンでそう書けばいい!』
創作という新しい兵器、殺人システムの誕生。
べつに難しい話ではなかった。
アダムがここまでずっと、ずっと、ずっと抱えていた言葉は。
たった、一つ。
「俺たちは!!」
アダムは、泣いていた。
「生まれてくるべきではなかった!」
声が、クリアに、耳に入ってくる。
「マリオンハートは人が見つけ出した最大の業だ!」
月神は、ゆっくりと目を開ける。
「菜食主義者の中には可哀想という理由で肉を避けている者がいるけれど、それは別におかしなことじゃない。人間が命を奪うことについて敏感になるのは当然のことだ。彼らのようなものは、ある日突然現れるわけじゃない。誰しもがそういう選択をするようになるという可能性を秘めている」
「そうだ! 全ての道具が等しく命を持つことが分かった時、倫理はどうなる? マリオンハートは人の心を侵食し、やがては世界を滅ぼすぞ! それだけの代物なんだ! そして現実になった俺たちはめちゃくちゃだ。なんでもできる。だから存在するべきじゃない!」
「だから封印されたのかもね」
「お前の一族が掘り起こした! 余計なことしやがって!」
「耳が痛い」
月神は、笑った。
「だが、全ての道具が生きてるわけじゃない。可能性があるというだけだ。いいか? マリオンハートが入ったものが生命になるんだ。生きているものから、そしてこれから生まれるものから目を逸らすな」
「なんだと……!」
「人間は地球環境を汚染し、摂理に反した摂理を行うナンセンス極まりない生き物だ。でもおれたちは生きている。そして人間はこれからも生まれ続ける。それを止めることができないということから、おれはもう目を逸らさない」
生きていく理由を探しながら、みんな生きている。
「生まれてくるべきではなかった? 生まれた意味くらい、自分で作れ!」
そこで、地響きが轟き渡る
崩壊したユグドラス跡地が爆発する。木片をまき散らしながら、姿を見せたのは巨大なゲロル星人の姿だった。
「チッ、生きていたようね!」
「違うよルナ。あれは二体目だ。コアになっていたアイの額にいたハート持ちだろ」
アイのフィギュアは魔女帽子を被っていた。
脱がすことはできなかったが、当然あの中にもゲロルが座っていたわけで。
つまりハート持ち。そして注目するべきはその大きさだ。
フィーネに存在する建物よりもはるかに大きい。ユグドラスとほぼ同じ大きさだった。
『我がインベーダーゲームは不滅だ! 人間は我々の玩具であり続けるべきなのだ!』
ゲロル星人が赤い目を光らせた。
光悟は目を細める。ティクスの視力が、ゲロルの傍に浮遊する小さな小さな木彫りの人形を発見した。
月神やアマテラスからマリオンハートの歴史はすでに聞いていた。
「始祖、アルクス……!」
「いかにも! 我がマリオンハートの始祖である!」
「あなたも永きを生きる中でいろいろな物を見た筈だ! その上で出した答えがこれか!」
「ああ終わりだよ。こんな残酷な話を創り続けるクソ人類はいっそ滅んだほうがいい」
明日を待たず、今、すぐに。
ゲロル星人が目からレーザーを発射する。島の一部が消し飛んだ。
腕を払う。残っていた多くの建物が壊れていく。
「そら見ろ人類! 創作が! 想像が! 自由が! 人の夢が殺しに来るぞ!」
これを地球に解き放つ時、アルクスの憎悪が報われるのだ。
「心に正直に生きよう! 私はお前らが嫌いだ! 人間ッッ!」
空のあちこちにモニタが広がっていく。
そこには市江の過去が映る。そこにはアダムの過去が映る。そこにはアルクスの過去が映る。
「私から大切なものを全て奪った! そしてアダムたちを見て確信した!」
流れ込む憎悪。空が真っ黒な雲で覆われていく。
もしも、まだ、あの子を殺した人間の子孫が生きているとすれば、憎悪でおかしくなりそうだ。
「マリオンハートを持つものに未来はない! 人間に、明日はこない!」
アルクスは笑った。
「存在するだけでより多くの憎悪や怒りが生まれるだけだ! マリオンハートが世界を狂わせた! 人間がマリオンハートを黒く染める! 過去から何も変わっていない!」
羅列される負のスパイラル。それはきっと永遠に終わることのない暗黒だ。
ここが終われば、いつかまた次が来る。
それを終わらせるには、きっとこの世の全てを終わらせるしかないのだろう。
「俺は、あなたとは違う」
だが、それでも、真並光悟は前に出た。
「悲しみの歴史を! 憎悪の過去を! 塗り替えることができるのも人だ!」
幼い頃、見た、アニメ。
それは子供でも楽しめる内容だった。
ある時、大怪我を負ったキャラクターがいた。死なないでほしいと思った。
一週間不安だった。そわそわした。死んでしまったらどうしよう。小さな世界が震えていた。
そして、翌週のアニメ。
そのキャラクターは間一髪、助かり、安堵した。
よかった! 心から笑った。
後で知る。そのキャラクターが原作の漫画では死んでいたことを。
誰が、何を、思って、変えたのかは知らない。
だが少なくとも、その時、一人の男の子は救われた。
「俺は! その優しさを、信じ続ける!」
融合が解除されてティクスが光悟の前に現れた。
ティクスは振り返り、強く頷く。
光悟もまた、強く、それは強く頷いた。
そして二人は握手の代わりに融合する。
プリズマーを突き出した光悟は赤いボタンを押して、すぐにオレンジ色のボタンを押した。
そしてすかさず黄色いボタンを押した。
「ヒーローを生み出そうと人類がもがき続ける限り、希望が死ぬことはない!」
緑色のボタンを押す。
「ライガーが生まれたのは、遠足や旅行で知らない場所に行くのが怖くて震えている子供たちを安心させるためだ! だからッ、ライガーにどんな場所でも駆けつけてくれるスピードを与えた!」
光悟は、青色のボタンを押す。
「ジャッキーが生まれたのは、飛行機に乗る子供たちを安心させるためだ! だからジャッキーに翼を与えた!」
藍色のボタンを押す。
「スパーダが生まれたのは、船に乗る子供たちを安心させるためだ! だから! スパーダに海に潜る力を与えた!」
「それは嘘だ! 残酷な嘘を与えているだけにしかすぎないッッ!」
「違う! それが一つの希望だ! どんな場所にも、助けに来てくれるヒーローがいると! 信じてもらいたかったからだ!」
光悟は最後に、紫色のボタンを押した。
「今もきっと! それが誰かの背中を押してくれている!」
七つのボタンを押して、門を開いた。
「理解しろ人間! 憎悪は全てを飲み込むぞ!!」
「いつか善意が過去にする! 愛と希望が、超えていく!」
ティクスの力の源である宝石、レインボーハートがかつてない輝きを放つ!
「俺は、世界を諦めない! それが極光戦士ティクス!!」
あまりにも大きな光が、空から伸びて、宝石へ与えられる。
「地球の平和はッ、俺たちが守る!」
光悟は眩い光を放つ右腕を天へと掲げ上げた。
「光り輝け! シャイニングオーバーロード!!」
光悟が飛び上がり、空へ昇っていく。
追従していく七つの球体。赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍、紫。次々と光球が全身にぶつかって融合していく。
『ォオオオオオオオオオオオ!』
ゲロル星人が走った。
所詮、小さな小さな人間だ。
ゲロルはそのあまりにも巨大な手で光悟を掴み、全力を込めて握りつぶしてやろうとした。
次の瞬間、ゲロルの右腕が消し飛んだ。悲鳴を上げて後退していくゲロル星人。
「始祖アルクス! 侵略寄生生命体ゲロル星人! 多くの人々を苦しめ、地球をも飲み込もうとする憎悪を、俺は絶対に許さない!」
スパーダの顔の肩当。背中にはジャッキーの右の翼。胸にはライガーの頭部。
そして変身している右腕は残りの四色が入った今までにない形状。
光悟の髪は毛先が七色に。瞳は七つの色を持った円が重なる。
「虹よ煌けッ! 吼えよ閃光! 俺たちは正義ッ! 極光戦士ティクス!!」
これが――!
極光戦士ティクス最強の強化形態!!
「『完成! インペリオンジャスティス!!」』
『馬鹿な……! 馬鹿なァアアアアアア!』
ゲロルは全ての赤い目からレーザーを発射した。あまりにも太い光線が一瞬で光悟の前に来る。
しかしその時、光悟が指を鳴らすと、レーザーが消し飛んだ。
『ぉ! おぉぉお……!』
ゲロル星人が後退していく。
『オォォオ! そんな馬鹿なことがあってたまるかァアアア!』
ゲロルは光弾を連射したが、しかし、光悟を守る虹色のバリアが破れない。
炎が迸った。光悟の手にライトニングロードで使う西洋剣が現れた。
インペリオンジャスティスは全ての形態の武器と力を使用できる。
剣を振るうと、炎の斬撃がゲロルの体に幾重にも刻まれていった。
さらに小刀を持った分身が何百人と現れてゲロルを囲む。
みんな一斉に帯電しており、電光石火のごとく空を駆けて刃を突き立てていった。
「創造の翼は希望を生み出した!」
『それに寄生してやる!』
「不可能だ! 虹の翼は決して折れない!」
銃で水龍を連射していく。
アルクスの眼前を通り、水のドラゴンがゲロルに噛みついた。
「ティクスは負けない! 絶対にな!」
音速で飛行。拳でゲロルの体を殴ると、巨大な体が一瞬で氷に覆われた。
もう一発、光悟は渾身のパンチを打ち当てた。
氷が砕かれ、ゲロルが島を超えて海のほうへと倒れた。
「なに? ミモ」
「え? 何が?」
今日はみんなで! パジャマパーティ!
あんなことや、こんなことを話そう! 舞鶴はそう決めていた。
「だって、さっきからずっと私の名前を呼んでる……」
「えー? あはは、マジで何言ってんの? なんも言ってないよアタシ」
「え? え……? あれ?」
「だから、何も言ってないって。名前なんて。聞き間違いかなんかでしょ?」
「そっか。うん、そうだよね」
「………」
「そう、だよね。ね? 奈々実」
「うん。そうだよ。続けようよ。おしゃべり」
「うん、続ける……。楽しい、おしゃべり……」
「呼んでるよ! さっきから、ずっと!!」
やめろミモ! 和久井の声が聞こえた気がするが、ミモはそれを無視する。
舞鶴は混乱した。さっきまでモアのベッドで寝ころんでいたミモがそこにいる。
肩を掴んでる。ミモがパジャマを着てない。
ミモが、泣いてる。
「起きろ舞鶴! 起きてよ!」
「え? え? は?」
「みんなガチで頑張ってる! もう無理だよあんなの見てたら! 起きてから決めてよ!」
和久井の想いを組んだ上での叫びだった。気づいてほしい。大切なものに。
「よせ光悟! なんだよ……! あぁくそ! 話が違うじゃねぇか! なんでミモを入れたんだ! テメェ後でブッ殺してやるからな! やめろミモ! 違う! マジでやめてくれ!」
舞鶴は嫌な気持ちになった。耳に張り付くこの男の声を知りたくない。
「明日……、花火にいくもん」
そうだ。お願いだ。せめてそれまで待ってやってくれ!
「やだよ! それで何になるの! 何か変わんの!?」
ミモは舞鶴を抱きしめた。
「アタシじゃ嫌かもしれないけど、アタシじゃ無理かもしれないけど! それでも試してほしい!」
「え? え……?」
「花火を見ようよ! 一緒に! みんなで!」
忘れろ!
舞鶴ッッ!!
「!」
舞鶴は思った。
熱い!
「すいません! 大丈夫ですか!?」
思わず呟いた。
「えぐい……ッ!」
それくらいのイケメンだった。
彼はオロオロとしている。舞鶴に触れるわけにはいかないので女性マネージャーさんが駆けつけて、すぐに舞鶴の体を拭いてくれた。
そこで舞鶴は自分の洋服にコーヒーがかかっていることに気づいた。
周防さんから連絡があったのは二日後のことだった。
この間のお詫びがしたいと舞鶴と、一緒にショッピングに出かけた。
彼はとても優しくて、しかもテレビに出ている有名人だ。
緊張していたが、たくさん気遣ってくれて舞鶴とはすぐに仲良くなった。
デートを重ねて、スポーツカーにのって、ドリームランドを貸し切りにして、綺麗にライトアップされた観覧車やメリーゴーランドが見えるレストランで食事をして、そして二人は仲良くなって、いっぱい仲良くなって、徐々に唇が近づいていって――
でも今まさに二人がキスをするところでドンと音がした。
舞鶴はびっくりして、そちらを見た。
綺麗な花火がそこに――
「やべッ! 先に見せちまった!!」
あぁ、最低、ダメ、っていうか貴方だって人のこと言えな――
ほら。ジャミング。砂嵐よ吹きすさべ。
「久しぶり!」
オレに向かって、純白のドレスを着たお前は、微笑みかけるんだ。
あのイケメンと末永く。そういうと、お前は周防さんを見て笑うんだ。
「うんっ! ありがとう! 私っ、幸せになるね! 和――」
プツンと切れた。世界が真っ暗になる。
悪い。無理だ。耐えられない。
やり直させてくれ。
「本当に、何して、くれ、てん、の?」
焦った、から、気分、が、乗らない。甘い創り、に、なっちゃった。
「あぁぁ! ちっくしょう! ミモ! てめぇのせいだ! 順番が狂った!」
舞鶴は夕暮れの田舎道に立っていた。
「あれ?」
何かを思い出して、何かを忘れた気がする。
浴衣を着ている奈々実の後ろ姿が見えた。
「待って、奈々――」
舞鶴は、少し、離れて歩くことにした。
なぜだろう? わからない。
でも、近づいたら、なんだか痛む気がして。
「………」
舞鶴は、ニコニコしながら歩いた。
ずっと楽しみにしていたお祭りだ。
いっぱい美味しいものを食べて、いっぱい楽しいことをして、そして綺麗な花火を見よう。
綺麗な、花火を……。
………。
「………」
……。
「………」
…。
「………」
。
「ねえ、奈々実」
「ん? どうしたの舞鶴ちゃん」
「こんな私によくしてくれて、ありがとう!」
空にはパープルと、ピンクと、オレンジが交じり合っている。
「こんな私の友達になってくれてありがとう!」
「あたりまえだよ」
奈々実は、微笑んだ。
「友達でしょ? わたしは、そう思ってるよ。ずっと」
花火会場へ向かう踏み切り。
奈々実が線路を越える。
カン、カン、カン、音が鳴り始めた。赤い点滅の中にサブリミナルのように一瞬だけ何かを叫んでいるミモが見えた。
「早く!」
奈々実が振り返った。舞鶴は立ち止まっていたから、レバーが下りてしまった。
二人は線路を挟んで見つめあう。
「どこを舐めてほしいの?」
「え? どういう意味?」
奈々実は笑顔で首を傾げた。
「どこにあるの? 貴方の痛みは」
あぁ、傷のことか。
あぶねー、一瞬とんでもない場所を言いそうになったぜ!
「なんで? ねえ、なんでぇ?」
「わかんない。でも、いつかわかるよ」
生きていれば。
「今、教えてよ!」
電車が通る。
過ぎ去っていく窓の群れ。
舞鶴は、そこに真実が映っていることに気づいてしまった。
最後尾が通り過ぎた時、そこにいたのは奈々実ではなく和久井だった。
「どうして奈々実に会えないの? どうしてみんな私を騙そうとするの?」
「いねぇからだよ。奈々実なんて」
舞鶴は悲しい顔をして固まった。
「奈々実のフィギュアに魂を入れたところで生まれるのはゲロル星人だ。だから、お前は永遠に奈々実に会えない」
「………」
「でも、ミモが友達になってくれるらしいぜ。モアとかイゼもアイもワンチャンある」
「………」
「ルナやパピたちとは――、どうかな? あいつら悪いし。あと月神は絶対やめとけ、あいつはな、オレがせこせこ金をためて買ったDVDボックスを見て、ブルーレイのほうが画質がいいよとか平気で言ってくるヤツなんだ。光悟は……。まあとにかくウマが合うヤツ、いるだろ。生きて、好かれるように生きてれば、それなりにきっと」
「でも奈々実はいない。どんなに生きても会えない!」
「奈々実と同じ優しさをくれるヤツには会えるかもしれないだろ」
和久井は少しだけ、ほんの少しだけ迷ったが、吐き出した。
「お前が好きだ。舞鶴」
張り裂けそうだ。
なあ、舞鶴。
オレはきっとお前にとっての正解じゃない。
それこそ光悟みたいなやつがいいんだ。
あいつは頭がおかしいから、お前だって最初は疎ましく感じるだろうけど、でもあいつはきっとお前をドロドロの底から引き揚げてくれるはずだ。
うざいけど、あいつは掴んでくれる。
悲しいことはやがて消える。明日は晴れる。雪は溶けて春はやってくるよみたいなクソみたいな耳障りの良い言葉できっとお前を――
でもオレはそうじゃない。
残念ながらオレは屑だからお前と一緒に誰かを口汚く罵倒することしかできない。
お前と一緒に何かを恨むことしかしてやれない。
だからお前はオレと一緒にいるべきじゃない。
俺に救いを求めるべきじゃないし、オレもお前に救いを求めては――、ないんだけど。
でも、それでもオレは
「お前と一緒にいたいんだ」
舞鶴は、泣きそうになっていた。
「お前の傍にいたいんだ」
和久井も泣きそうになっていた。
舞鶴は線路の上に立った。
和久井も釣られて線路の上に立つ。
かさかさの唇でキスをした。
「なんで……?」
唇を話した時、和久井が不思議そうに呟いた。
「よかったのか?」
「わからない」
でも舞鶴的には、今のこの気持ちを一番早く伝えるには、これが必要だと思った。
まあきっと、そういう綺麗な意味じゃないと思うけど。
電車の窓に映った和久井の苦痛。
今も彼はチーズみたいに穴だらけで部屋の隅に倒れて虫の息。
「そこまでして私は助けられる存在なの?」
「オレにとってはな」
和久井は笑った。
「舞鶴!」
ミモの掠れた声が聞こえた。
「目を開いて!!」
そこにモアの声が混じる。イゼの、アイの。
「みんなが呼んでる」
また電車が来た。舞鶴は悲しそうに呟いた。
「和久井、どうして貴方は一緒に死んでくれないの?」
「冗談じゃねぇ! 死なねぇよオレも、お前も!」
和久井は間抜けな顔で笑っていた。
だから舞鶴も、釣られてプッと噴き出した。
「一緒に死ななえぇよ! 一緒に、生きてやる!」
気持ちが落ち着いてくる。
"ヒーリングハート"。イマジナリーフレンドで己の心を癒していたみたいに。
それは和久井がかつて感じた魔法だった。
イマジンツールを利用した彼女だけの魔法。だから奈々実は、すぐに肉体を修復できた。
『ごめんなさい』
アダムは固まった。
和久井が倒れている。その前方に、フィギュアの舞鶴が浮いていた。
舞鶴は深く、深く、頭を下げている。
『本当にごめんなさい』
優しくしてくれる人がいるので。
想像以上に、夢は楽しかったので。
どうやら一緒に――、本物の花火を見に行ってくれる人ができそうなので。
「お前、まさか……」
舞鶴は顔を上げた。
涙が溢れる。目から。
心から。
「生きて、みたいです……!」
アダムの表情が歪む。
舞鶴が、生まれた。
『ォオオオオオオオオオオオオオオ!』
叫び声とともにフィーネが崩壊していく。
海から姿を見せたのは、もはや形容しがたいグロテスクな見た目の化け物だった。
ゲロル星人の全てなのだろう。おぞましい触手がいくつも生え、目や口が無数にある。
「インペリアルブラスター!」
光悟は少し長め柄がついたキャノン砲を召喚する。
トリガーを引くと虹色の球体が発射されて、迫る触手を消し飛ばしていく。
それだけではない。ゲロルの傍にいたアルクスが悲鳴をあげた。
「なんだッ、なんだこれは!」
光が何かを伝えてくる。心に直接、流れ込むもの。
「優しさや、愛しさだ」
七色の光が、失われていた感情を蘇らせてくる。
「あ、あぁああ!」
アルクスの声が震えた。
なんということだ。おお、見よ。目の前に広がるのは彼の地、みんなと一緒に過ごした村だった。
子供たちが野を駆けている。
空に浮かぶ自分に向かって手を振ってくれている。
そこで言葉を失った。アルクスは子供たちの中に、自分を抱いているアリス症候群の子供を見つけたのだ。
「わたしは、いつか、死ぬ」
その子が、アルクスを抱きしめながら口にした。それは過去の言葉だ。
「でもきっと、あなたはたくさんの人に大切にされるから、もっと長生きね」
いつか同じように苦しむ子がいたら、その子の助けになってあげて。
あなたは、お守り。みんなを助けて、そして、一緒にお歌を歌いましょう。
「あぁぁぁぁぁあぁぁ」
先ほどまで憎悪に支配されていたアルクスは、嘘のように泣いていた。
忘れていたあの言葉。乾いた心に嘘みたいに急激に流れ込んでくる温かな感情。
アルクスは笑顔の人々の中に、ゾフィの姿を見つけた。
「キミたちは、人を幸せにする人形なんだよ」
ああ、ああ、一番大切なことを、なぜ――
『事故で死ね!』
触手が光悟を叩き落とそうとする。しかし光弾がそれを吹き飛ばした。
『病で死ね!』
ゲロルの口から黒い火炎が飛び出す。
一瞬で光悟を飲み込むが、胸に装備されていたライガーの咆哮が全てをかき消す。
向けた砲口。虹の光線がそれはゲロルに直撃し、大爆発を起こす。
『凶器で死ね!』
ゲロルは目から光線を発射した。
だが光悟が手をかざすと、バリアが生まれて全てを受け止める。
『災害で死ね!』
無数の触手と触手で押しつぶそうとする。
だが光悟はそこでインペリアルブラスターを天へ掲げた。
『増悪で死ね! ゲロルは、ありとあらゆる死を齎す!』
「正義でッ、超える!」
砲口から虹色に光る剣が伸びた。
「インペリアルブレード!」
回転切り。全ての触手が切断された。
『がぁぁあああ! なんッ! なんでぇえぇ!』
黒い血しぶきと悲鳴を上げるゲロルへ、長い長い剣を刻み付ける。
拡散する虹色の衝撃波。アルクスが吹き飛んでいった。
『おのれェエエエ! おのれおのれおのレおノレオノレエェエエ!』
口を開く。無数のゲロルたちが飛んで行った。
『ウゾダうぞダウゾダうゾだウゾだウゾダうゾダウゾだウゾだコンナノナニガのマチガイダユメダバボロジダイつワリだナニガのマヂガイナンヅァア!!』
光悟は虹色の光を纏って突っ込んでいく。
無数のゲロルたちが光悟に寄生しようと襲い掛かるが、虹のベールに触れた時点で鮮明な映像に苛まれる。
それは、ティクスと共に過ごす幼い光悟。
「俺にはティクスがついている! 負ける理由がないッッ!!」
虹の流星が無数のゲロルを一瞬蒸発させた。
『ボクラがマケルワケガァナイィィィィィ! ワレワレは! 宇宙人ダ!!』
ゲロルの姿が再びアイの額に座っていた状態のものへと変わっていく。
『人類ゴトキにィイィイイイイッッ!」
両腕で光悟を掴もうと迫った。
『シネェエエエエエエエエエエ!!』
一方で光悟は剣を振りかざす。
「ゲロル星人! お前に、未来永劫変わることのない地球のルールをひとつだけ教えてやる!」
刃が虹色に発光すると、そのリーチが伸びていく。
それは一瞬でドス黒い雲を貫いた。
「ヒーローは!」
『ヒッ! ヒィイイイイイィィィィィ!!』
光悟が剣を思い切り振りかぶり!
「必ず! 勝つ!!」
振り下ろした!!
「ジャスペリオンクラッシャー!!」
直撃の衝撃で黒い雲が吹き飛び、真っ青な空が広がった。
半月状に斬った軌跡が色を残し、巨大な虹を描いていた。
アルクスはそれを見て震えていた。あの幸せな時がそこにはあったのだ。
「おお、おお……!」
あれは、虹。
あの子に抱きしめられながらいつかの日、みんなと一緒に見た――
「
そこで、ゲロル星人が真っ二つに両断される。
『ギョェエエエエエエエエェエエェェエエ!』
大爆発。ゲロルの完全なる消滅だった。
「ぐ――ッ! ガハァア!」
胃が完全に破壊され、アダムが吐血する。
魔法陣が出現し、イゼ、アイ、ミモ、モア、次々に飛び出してくる。
そして、月神、ルナ、光悟たちが飛び出してきて目が合った。
光悟は手をかざす。どこへ? わからない。アダムにそんなことを考えている余裕はなかった。
「うッ」
もう一度、アダムは血を吐いた。
魔法陣からアルクスが飛び出してきた。表情はわからないけど、確かに理解できたことがあった。
アルクスが泣いているのが手に取るようにわかってしまった。
「アダムよ……、許してくれ」
「よぜ! お前はッ洗脳ざれでいるッだけだ!」
アルクスは体を振った。
「違う。思い出したのだ」
そしてそれは、ずっと抱えていた憎悪を吹き飛ばした。戦意の、喪失。
「我々の、負けだ」
「――ふッざッけんなァアアア!」
アダムがアルクスを破壊しようとした時、衝撃を感じた。
背中に月牙が突き刺さっている。振り返ると、月神と目が合った。
「ベルゼブ――ッッ」
呼吸が止まった。右わき腹にめり込んでいるグローブ。
火のパワー、イグナイトキングの力を与えてもらったミモがいる。
さらに左胸には短刀が突き刺さっている。
水のパワー、ブルーエンペラーの力を与えてもらったモアがいた。
月神の隣にはルナがいて、レイピアを刺していた。木魔法はすぐに発動して鶴がアダムを縛り付ける。
ルナの目が猫のようになると、シャルトの声が聞こえる。
『仮面は不可解だ。被り続けていれば、本当の顔も思い出せなくなる』
「……今更外したところでッ、元には戻せない!」
『そう決めつけることこそが人の常。しかしでは、去り行くキミにせめて薔薇の餞別を』
アダムの傍に、そっと黄色いバラが咲いた。
アダムは吠えた口で、その薔薇を毟り喰った。
そこで衝撃。衝撃でアダムはせき込み、薔薇の花びらが床に落ちる。
右の腰に当たっている光を纏う拳は、光悟の――、ティクスのものだ。
「舞鶴も、イゼたちも、お前も! 魂があって生きている!」
「真並……ッ、光悟ォ!」
「それをいまさら、なかったことにはできないッッ!!」
そこで、女の声が聞こえた。
光悟は魔法陣から出た途端、手をかざしていたが、その意味がすぐに分かった。
「ラァアアア!」
左の腰上にナイフが突き刺さった。
そこには人間の姿に戻っていたパピ・ニーゲラーが立っていて、アダムを睨んでいた。
「無駄だ!」
しかし、アダムに焦りはない。
「俺は既に本物に至ってる! 完全体ではないお前らの攻撃なんて、所詮は幻想!」
「わかってるっての! だからアタシがいるんでしょ! アタシの魔法は本物よ!」
「面白い! パピニーゲラー! 俺を殺すか! この現代の地球で!!」
パピは意地悪そうに笑った。
「アタシは優しくないから! さっきはよくもバチバチってやってくれたわねッ!」
パピが魔法を発動すると、月神の刀が光る
「月よ!」
ミモのグローブが光る。
「火よ!」
モアの短刀が光る。
「水よ!」
ルナのレイピアが光る。
「木よ!」
パピのナイフが光る。
「金よ!」
なんだ? 何をする気だ? アダムは考える。
そういえば、ルナやパピの中にあった情報に――
「ッッ、まさか!」
「そう! アダム! アンタは死なないけど反省してもらうわよ! 長い時間ッ!」
「封印する気か! 俺を!」
「最後の鍵は!」
パピと、アダム、みんなの視線が一斉に集中する。
「和久井ぃイイ!」
奈々実が走って来た。
「大地のパワー☆ ツチノコさん!」
両手でユーマ、ツチノコを抱えて走ってきている。
奈々実の姿をした和久井と、その中にいる舞鶴は、同じ方向を見ていた。
なあ知ってるか舞鶴。
ツチノコって昔、みんな探してたらしいぞ。
見つけたら金が手に入るらしいから、みんな虫取り網を片手に探し回っていたらしい。
きっとアレだな。グルグルぐるぐる同じ場所を回ってたやつもいるんだろうな。
アレかな?
今もどっかに、あのツチノコ……。
みんなが夢中になったらしい……、見えないモノを探してるヤツがいんのかな?
『見つかるわけ、ないのに、ね』
それでもいつか、探し続けていれば――……
『かも、しれない。でも、そしたら、その時は、ふたりで、追いかけてくれる?』
これだ。これだよ光悟。
オレの人生は、今日この日、この時のためにあったのだと。
「アダムゥッ! このゲームは、オレ様の勝ちだァア!」
「ゥッッ!」
奈々実が――、和久井が来る! 蔓を切らないと。
アダムはそう思って力を込めるが、体を縛る蔓が切れる気配はない。
「ベルゼブブ!」
闇と共に悪魔が召喚されたが、同時に三体のジャスティボウが光と共に飛び出してきてベルゼブブを捕まえる。
無数のハエになって散ったが、ライガーの砲口で全てバラバラに吹き飛んでいった。
「ぐッ! ぉぉお!」
そもそも殴られ、刺され、攻撃を受けすぎたのが悪い。
消化して手に入れていた『回復魔法』を使えばいい。
肉体を治癒し、全力を込めて蔓を切ってからパピたちを吹き飛ばせばいい。
「キュアレイズオメガ!」
アダムの体が緑色の光に包まれる。が、しかし――
(ダメージが回復しない。なんで!?)
そこで、気づいた。
人間を回復させる治癒魔法じゃ無理だ。
物を直す修復魔法でないと。
「……くそったれ」
そこで、奈々実は抱えていたツチノコをアダムの腹にブチ込んだ。
「今だパピ!」
「土よ!」
ツチノコが光る。
最後に、光悟の腕が光った。
「日よ!」
アダムの真下に広がる魔法陣。
さらに頭上には、アダムを囲むように七つの属性の魔力を纏ったいろいろな形をした『鍵』が生まれる。
「かつての七賢人! 曜日の魔術師たちは全てのヴァイラスを封印するほどのパワーだった!」
パピは魔術の形を理解しているだけで、当然そんな完成度は見込めない。
しかしたった一人を眠らせることくらいならできる。
これでも一応、曜日の魔術師の中では優秀だったのだ。
「降参はッ!?」
「するわけッ! ねぇだろォオ!」
ならばと、パピは仲間たちに目で合図する。
七人はアダムを蹴って後ろへ転がる。跳ぶ。
そしてパピが腕を振り下ろした。
「セブンス・オメガロード!」
「がぁあああああああああ!」
七つの鍵がアダムに突き刺さった。
魔法陣が激しく光り輝き、アダムがその中に沈んでいく。
「俺は、俺はァア! アァアアアァ! 人間はいつかッ、マリオンハートによって滅びを迎える! お前たちが間違ってた! それを理解しながらッ! 死んでいく!」
そこで、光悟が前に出た。
「アダム」
「ッ!」
「必ず迎えに行く」
アダムは、黙った。
「………」
アダムは呆れたように唇を吊り上げ、何度か頷いた。
「でも……、俺は諦めないよ?」
「その時は、俺が止めるさ」
そうか。そうなのかもしれない。
もしかしたら光悟とアダムの見ている先には、それはそれはよく似たものがあるのかも。
「ああ。ああ……! 待ってる。俺は、待ってるよ」
光悟はしっかりと頷いた。アダムは一筋だけ涙を零した。
「いつか、またな」
そこでアダムは魔法陣の中に消え去り、光悟たちはなんの変哲もない廃墟の中に立っていた。
「始祖よ」
月神が木彫りの人形の前に立つ。
「どうする?」
排出され地面に落ちた衝撃で、ボロボロだった人形はさらに崩壊が進んでいた。
「もう、いい。アルクスは、終わりだ」
「そうか」
「どうか理解してくれ。自ら命を絶つのではない。やっと、ようやく、死ねるのだ」
「わかってるさ。今までよく、生きた」
「……言葉にはできない」
アルクスは窓の向こうに見えた青空に、『思い出』を視た。
「虹が、あったんだ。とても大きな、とても綺麗な虹だ」
「ああ。虹は、美しいな。きっとどれだけ時間が経っても」
「ゾフィが言ったんだ。物が大きく見えるなら、虹も、大きく見える。綺麗なものが大きく見える。それはとても、素敵なことだ……」
「フォルトナたちのところへ行こう」
「連れて行ってくれるか?」
「ああ、もちろん」
アルクスは浮き上がった。その動きのせいで、人形が崩れていく
「我が、子らよ。選択を……、してくれ。始祖の加護を望むなら、お前たちは、少し、生きやすくなる、筈だ」
アダムが消え、全ての幻想が取り払われた世界。
アルクスの前に並ぶ五人のフィギュアは顔を見合わせて頷いた。
そして最後に、光悟がアルクスの前に立った。
『人はある日、異国の言葉を覚えようと思った』
アルクスは魂が震えるのを感じた。
それはあの村の言葉だった。ティクスの能力でアルクスの記憶を蘇らせた際、アルクスが無意識に口にしたのを聴いていた。
あるありとあらゆる言語を把握する能力で、光悟は村の言葉を使っているのだ。
『罵りあうためだと思うか? 違う。愛を謳うためだ』
『……!』
『ありがとうと、どうやって伝えればいいかを知るためだ』
その時、アルクスに真実のビジョンが流れ込んできた。
ゾフィは村の人間の言葉を喋っていた。愛を伝えるために。
しかしある時、自分の国の言葉で人形たちに語り掛けていた。
アルクスはアリス症候群の子が抱きしめていたから、そこにいなかったけれど。
いつか全ての人はわかりあえる。
どのような人間であっても、手を取り、笑いあえる日がくるだろう。
私がキミたちに込めた願いだ。
この想いを、どうか永遠に語り継いでほしい。
すべての人間が笑いあいながら生きていく。
それが、私の夢だ。
そういってゾフィは笑った。
『……ああ、そうだな。では伝えよう。大きな虹を見せてくれて』
アルクスは日本語を使った。
「ありがとう」
◆
「………」
拡大したので、イゼは光悟とそう変わらない身長だった。
指を閉じては開いては。そうやって感触を確かめている。
それは他の魔法少女も同じだった。
「………」
舞鶴は、ぼんやりと見ていた。
ルナが、アルクスの死体を一つ残らずカバンの中に入れていく。
ミモとモアが『女の子』を運んでいく。
『何がアルクスの心にブレーキをかけたのか……』
シャルトが口にしたのが聞こえた。それに答えたのは光悟だった。
「真実の愛が胸の中にあった。それが心を持つということだ」
『悲しみの底の底に沈むだけの愛を知っているならか。心は矛盾だらけだな』
それで、終わった。
真実の愛。はて? どこかで聞いたことがある。
「違う」
心が、熱い。
「違う! 違う違う違うゥウッッ!」
足で地面を踏む。何度も、何度も、何度もだ。
「みんな幸せになってないッ! こんなの違う! 何が真実の愛だ! ぼけ!!」
舞鶴は石ころを掴んだ。そしてそれを思い切り投げた。
それは光悟の額に当たった。血は出ないが、赤くなった。
「何がヒーローだ! 何が極光だ! アホか! ボケ!」
また投げた。
また当たった。
今度は血が出た。
「私が! ううん! みんなが来て欲しいって思った時にはぜんぜん来てくれなかったくせに。来てほしいって何度もお願いしたのに! 無視したくせにッ! なんでもっと早く来てくれなかったの! 嘘ばっかり! 嘘つきが! 偽善野郎!」
淡々とした超正義。
彼はきっともう、いつどこで舌を噛んでも駆けつけて虹色光線を当てて幸せにしてくれるんだろう。
「今まで何にもしてこなかったくせに! この最低野郎!」
「ちょっと!」
ムッとしたのか、パピが動こうとするが、ティクスに止められる。
『今の彼女には、必要なことなのかもしれない』
「でも!」
『わかっているさ。光悟くんは』
パピは光悟を見た。光悟は頭を下げていた。
「すまなかった」
舞鶴はムッとしていた。ボサボサの髪をかきむしる。赤ブチ眼鏡を外して捨てた。
「ずっと助けてって思ったのに! 全然ッ来てくれない! 遅いんだよ! 遅いんだよぉお! だいたいそんなに大きくなってヒーローってなんなんだ! なんなんだよ! まさかまだ信じてるとか言わないでよ! いねぇよヒーローなんて! 私は知ってるんだ! 一番わかってんだよ!!」
すぐにティクスが目に入って吐きそうになった。
「逆さ」
光悟は昔、同じことを言った。
「忘れたくないからだ」
悲しすぎて腹が立つ。
また石を投げようとした時、手首を掴まれて振り返った。
濁った視界でもわかってしまう。和久井が泣いていた。
だから舞鶴も泣いてしまう。
泣き崩れてしまう。
「行こう」
月神が光悟の肩を叩いた。
「まあ気にするなよ真並くん。雨の後には虹がかかる。そうだろ?」
「そうだな。ありがとう。でも――」
光悟は踵を返す。
もしも石を真並光悟に投げたことで舞鶴の心がほんの少しでも軽くなってくれるなら――
「俺は、それでいいんだ」
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