第四章 Cyclone

第48話 一期一会


「………」


光悟は辺りを見る。

ミモや舞鶴は子供のように泣きじゃくり、しゃっくりの音が聞こえてくる。

イゼも沈黙したままボロボロと涙を流していた。

モアは無表情で立ち尽くしている。


「辛いかもしれないが元気を出すんだ」


光悟の言葉は泣きじゃくる声の中に虚しく消えていく。

その中、和久井はフラフラと舞鶴のもとへ足を進めた。


「困っちまうよなぁ? 宇宙人オチだなんて。二期が荒れそうだぜ。へへへ」


「ぐっす! ひっく! ぇええぇえん! ぐずっ!」


「大丈夫か? 舞鶴」


「……そっか。そぉだ!」


舞鶴は目を擦った。しかし涙はとめどなく溢れていく。


「しぬ! ななみにあえないなら、もうッじぬ!」


「え……?」


「ごろじで! わくい……! もういきるのやめるっ!」


「すぅー。そ、そんなこと言うなよ。やめとけって……」


「しぬ! もう決めたから! 絶対死ぬ!」


「やめとけやめとけ。苦しいぞ。めちゃくちゃ痛いぞ」


「………」


苦しいのは嫌だった。痛いのは嫌だった。

ずっと苦しくならないために戦ってきた。

さんざん痛い目にあって、それでやっと終わると思っていたら――


「うぅうぅぅぅうッッ!」


舞鶴の目にまた涙が浮かぶ。


「仕方ない。ここは和久井様が一肌脱ごう」


テレビで見た。泣いてる女を泣き止ませることができたならキスまではいけるらしい。

信じるぞ。嘘だったらDMで殺害予告してやる。


「オレさ、この前、あいつらとバーベキュー行ったんだよ。笑っちまうよな、ザ・陽キャイベントをやったんだぜこのオレが。結論をいうと、まあまあおもろかったな」


「………」


「月神のヤツ凄いんだ。メロンを水面に叩きつけて、その衝撃で魚を気絶させて捕ってたんだぜ? ヤベェよな。ははは、は。悪い。月神っていうのはあの刀持ってた――、ってまあいいか」


「………」


「とにかく、アレだ。オレが言いたいのはなんていうか、その、マジ無理だって思ってても意外と楽しいんだ。知ってるやつだけでやるバーベキューはダルくないから。よし、決まりだ! バーベキューでもやろう。知らないヤツとやるのは地獄極まりないけど、仲のいいヤツらとなら、まあまあ面白いんだ。うん。そう。マジで……。だからつまり幸せの形を自分でも決めつけなくてもいいだろ」


「………」


「あいつらは、まあ人としてはちょっと終わってるところはあるけど悪い奴じゃない。お前が困ってたら、助けてくれる連中ばっかりだ。だからたぶん苦しくはない。仲良くなれるかは別だけど、少なくともお前の敵にはならない。それにミモたちもいる。な? あ、あとオレも……! へへへ」


「でも」


「大丈夫大丈夫。テメェにしてやられた件は……、べつに気にしてないから」


「カス、とか、ぼ、ボケとか、言っ、た、のに?」


「あんなもんは……、なんていうか、挨拶みたいなもんだろ? オレたち一応こうなる前は友達だったよな? いや、まあ、お前がどう思ってたかは知らんけど」


「………」


「終わってる性格のオレにも友達がいるんだ。お前も大丈夫だ。っていうか、オレは今でもお前のことを友達だと思ってる。だから、泣くなよ」


「ほんと……?」


「もちろん。オレはお前が好きだ。ガチ恋してるんだ。意味わかる? 前にお前が動いてるのを見て本気で惚れたんだ。ガチで。好きです。付き合ってください。オレは一生お前の味方だ。お前を裏切らない。永遠に愛する。裏切ったら殺してくれても構わん。これはガチ。どう? こういうのメンヘ……、繊細な人たちに刺さるのかな? どういう感じで告白したらいいかわからん。だってオレ童貞で、彼女いたことなかったし」


そこで和久井は衝撃を感じた。

一瞬殴られたかと思ったが、違った。舞鶴が飛びついてきて、強く抱きしめられた。

舞鶴は泣いていた。でも少しだけ、さっきの涙よりも温かいものが混じっていた。気がする。

知らんけど。

和久井は微笑んで、舞鶴の背中を優しく撫でた。


「……和久井」


よかった。光悟はそう思ったが――


「まあ無理もないです。人生が宇宙人のせいでメチャクチャになったんです」


「!」


一同の前に姿を見せたのは、桃山市江だった。

アイと一緒に逃げていたと思ったが、どうやら違ったらしい。


「あの映像、見たですか? ゾッとするですよ。だって――」


市江は、モアを睨んだ。


「パラノイアが人間だったということは、わたしたちは人殺しです」


元・魔法少女たちの頭に浮かぶのは、パラノイアを攻撃していた時の光景だ。

当然モアも思い出した。パラノイアを――、人を殺した時の記憶。


「地獄落ちです」


市江の言葉を聞いた時、モアは頭を抱えて叫んだ。


「いやあぁあああぁあああッッ!!」


ミモは、その悲痛な叫びを聞いて、涙が引っ込んだ。

モアの様子がおかしい。確かに大きなショックは受けただろうが、明らかに取り乱している。

心配だ。不安だ。ミモはすぐに走り出したが、モアにたどり着く前に吹雪が襲い掛かり、地面に倒れてしまう。

市江は魔法少女に変身しており、手にはイエティが変形したハンマーが握られていた。


「シスターが人を殺すだなんて。神はお怒りです!」


挑発するようにハンマーを向けると、モアは呼吸を荒くして蹲った。


「よせ!」


光悟が市江を止めようとした時だった。

光の柱が市江を照らすと、彼女の体が消え去り、光悟の手が空を切った。


「なに……?」


光悟から離れたところに再び光の柱が生まれ、そこから市江が姿を見せる。


「神は決して貴女を許さないです。あなたのご両親のような死が、またやってくるです」


そう言い残すと、市江は光と共に消え去った。





その館は、森の奥にひっそりと建っていた。


中には老夫婦が暮らしている。

優しい人たちで、森を抜けたところにある村からの評判はいい。

しかしそれは当然だ。そう思われるように振舞っていたのだから。

まさか村の連中は、屋敷の地下にあんな空間が広がっているだなんて夢にも思わなかっただろう。


水族館は魚を見る。

動物園は動物を見る。

であるならば、そこの館は人間を見る場所であった。


種類は大きく分けて二つ。

一つは『性』だが、こちらはあまり人気がなかった。

この館に来る人間はそういったものを求めてはいない。

金のある人間ならば性など簡単に買えるし、そういうショーをセッティングするのは容易だったからだ。

しいていうなら年齢が低いものの性行為はそれなりに人気があったので、次第にそちらの方向がメインになっていったのは、ここで詳しく語ることではない。


まあいずれにせよ性的な刺激に飽きた人間が集まる場所なので、もう一つの展示物が非常に人気があった。

それは、老夫婦の知り合いが世界各国から調達してくる奇形児だ。


金持ちたちにとっては、いいエンターテインメントになった。

その建物があった地域では特にそうした者たちは特別視されていたらしく、天の使いであるという者や、まったく逆に災いを齎す邪悪であると口にする者もいて、いずれにせよ未知なる存在というものに対しての果てしない興味があったのだろうと思う。


むろん今の時代では考えられないことではあるが、であるからにしてこの場所に集う人間は人権やモラル、良心を置き去りにした先にある『刺激』を求めていたのである。

とても分かりやすくいえば、悪人たちのエンターテインメント施設だった。


その館に、ある日、アイドルが現れた。

桃山苺と桃山市江、双子の姉妹は後頭部から臀部までが結合していた。

借金まみれの両親に売られた二人は、若さと美しい容姿からすぐに人気になった。

奇しくもその土地の神話には、四つの足と四本の腕、二つの顔を持った女神・べルネスが登場する。

このことから、桃山姉妹はべルネスと名付けられ、二人を目当てに多くの客がやってきた。


そう、女神なのだ。

一糸纏わぬ姿で腰掛ける二人を見て、ある客は自慰行為にふけり、ある客は罪を懺悔しながら自傷行為に走る。

ある客は涙を流しながら手を合わせ、ある客は今まで見てきた人間とは違う形をしている二人を純粋な奇異の目で見ていた。


桃山姉妹は自分たちがどう見られているのかが分からず、沈黙を貫いた。

親に売られ、見世物として生きるのは苦痛ではあったが、暮らしは以前よりずっとマシだった。

人気商品の彼女たちを、小屋の人間は丁重にもてなし、温かい食事や、柔らかいベッドを用意してくれたからだ。

それに市江にとって、一番大切なものは苺だった。苺にとって、一番大切なものは市江だった。

二人はいつも眠りに落ちるまでお喋りをした。

後ろが繋がっているから、いつも横を向いて眠った。


「ずっと一緒にいるです。苺」


「当たり前だぞ。市江」


二人は誓った。孤独ではなかった。

それはなにも姉妹だけではない。見世物になっていた人たちはみんな優しく、桃山姉妹を気遣ってくれた。

鼻が肥大化したビッグノーズは客からもらったチョコレートを二人に譲っていたし、二本の足が一つに交わって一本足になっていたカルマンは、たくさんためになる話をしてくれた。何があったか、体が穴だらけのオリマは小粋なジョークで姉妹をいつも笑わせてくれた。


なかでもミラという単眼の女性は、文字通り姉代わりになってくれた人だった。

三人はいつも一緒だった。ミラは寂しい時は誰よりも傍にいてくれたし、面白い時は一緒に声を出して笑ってくれた。

ミラは絵が上手かった。目が一つしかないから、距離感だので苦労したらしいが、必死に努力をしたらしい。

海という場所はとても綺麗なものだということを、二人はミラの絵から学んだ。


それに市江と苺は背中合わせでくっついているため、お互いの顔を見たことがなかった。

だからミラはお互いの似顔絵を描いてくれた。

ミラのおかげで市江は苺の、苺は市江の顔が知れて、とても感謝していた。


「ミラとずっと一緒にいたいぞ」


「ですです! これからも一緒です」


ある日そう言うと、ミラは笑って首を横に振った。


「アタシたちは外に出るべきよ」


ずっとここで見世物で生きていくなんて、最低だという。


「実は客の一人がアタシの絵を見てくれたらしくて。とっても褒めてくれたんだ」


この才能をここに閉じ込めておくにはもったいないから、近々ミラを出してくれるらしい。


「ここを出たら絵で食べていく」


ミラは燃えていた。


「私の自画像が有名なところに飾られるんだ。そしたら誰もがアタシたちを認めるさ。胸を張ればいい。私たちの体は神様からのギフトだ!」


ミラは優しく、市江と苺の頭を撫でた。


「待ってなさい。金を稼いだら、アタシがこの館を買って、みんなを外に出してやる」


桃山姉妹は、自分たちを一番最初に出してほしいと頼んだ。

ミラはわかったと笑みを浮かべた。

その後、何度か話し合いがあったようで、ミラが館を出ていくのは三日後ということになった。

ミラがいなくなるのはとても寂しいが、それでも彼女が夢に向かって歩んでいくのは素晴らしいことだと桃山姉妹は思ったし、他のみんなもミラの門出を祝った。


そして三日経った。

ミラはオーナーの老夫婦に連れられて部屋を出ていった。

見送りに来てもいいというので、遅れて市江たちもついていった。

しかしなぜか案内されたのは地上ではなく、さらに深い地下三階だった。


そこには巨大な檻があった。

桃山姉妹は驚愕した。その檻の中には見たこともない巨大なクマがいた。

そしてそのクマと同じ檻の中にミラが入れられていた。


「話が違う!!」


上ずった叫びが聞こえた。

次の瞬間、クマがミラにとびかかった。避けられたのは一回きりだった。


「アァアァァァァアアアアアアアァァアァ!!」


今でも、その叫びは市江の耳に残っている。

何が起こっているのか見せてほしいと頼んでも、苺は絶対に振り返ってはくれなかった。

というよりも苺自身ビッグノーズたちに目を覆われていたのだ。


ミラは内臓をまき散らし、顔は人間かどうかも判別できないほどに損壊していた。

しかしその凄惨な光景とは裏腹に、客席からは拍手が巻き起こっていた。

ミラの絵を褒めた男は、腹がよじれるほど大笑いしていた。真の破壊とは崩壊にあるらしく、ミラが死ぬことを以てして彼女という芸術作品が完結するのだと唾をまき散らしながら熱弁していた。


「新しいサービスを開始することになった」


ミラが燃えていた。


その炎の前で老夫婦が教えてくれた。

それは、『死』を間近で見られる。かつてない体験なのだと。


次の日、ビッグノーズの鼻だけがエントランスに飾られることになる。

ミラの件で激怒した彼は、老夫婦を殺して皆を解放しようと考えたのだ。

しかし一人ではどうすることもできなかった。運営スタッフたちに取り押さえられ、彼は全身をバラバラにされてオブジェや、お土産にされた。

評判はいいと老夫婦が言っていた。


ちなみに老夫婦は二人ではなく、『一つ』になっていた。

妻のほうが夫をバラバラにして全身に縫合していたのだ。

夫の顔の皮を剥がして、左乳房に貼り付けていた。

愛と喜劇の象徴なのだと妻は語っていたが、頭にはゲロル星人がいたので、まじめに聞く必要はない。


市江と苺は恐怖に震えていた。

ある日、二人は特注の椅子に全裸の状態で座らされ、それぞれの両腕や腰を固定されてしまった。

逃げないために、という理由だった。


「大丈夫かな……?」


「大丈夫だぞ。絶対にワタシたちはここから出られるんだぞ」


市江と苺は必死に励ましあった。いつか助けがくるから、それまでは頑張ろうと。

身動きが取れない状態は激しくストレスだったが、幸いにも温かい食事は変わらず与えられた。

むしろ食事の内容は豪華になったし、スープの中に入っているニンジンはとても甘くて美味しかった。

首や腕につけるキラキラした装飾品がいくつも与えられ、ボディーケアや化粧も頻繁に行ってくれた。


ただ気になることが一つだけ。

というのも、食事後に二人は注射をされたのだ。

そんなことは今までなかった。理由を聞くと、暴れられると困るからボウっとする薬を入れるらしい。

確かになんだか眠くなって、感覚がボヤけていくのがわかった。

でもそのおかげで気づいたら朝だったということや、ずっと座っていることで起こる様々な健康問題を抑制する効果もあるらしいので嫌な気はしなかった。


「市江、大丈夫か?」


「うん。大丈夫です。苺も大丈夫です?」


「ヘッチャラだぞ。辛くなったらいつでも言うんだぞ?」


二人は励ましあった。孤独ではないのが救いだった。

朝ご飯を食べて、注射を打ち、市江が眠り、起きたくらいで昼ご飯を食べて、注射を打つ。

体は運営スタッフたちが拭いてくれたし、椅子は洋式トイレのように中央に穴が開いており、排泄は座った状態で行われた。

そして客たちの視線を感じながら鈍い感覚の中を過ごし、夕食を食べて注射を打つ。

それが二日ほど経ったある日、苺に言われた。


「大好きだぞ」


「……? わたしもです」


次の日、異変は起こった。

市江が何を話しかけても、苺が反応しなくなったのだ。

寝ているのかもしれない。そうは思ったが、心配になったので人を呼んだ。

どこからか、いくつも笑い声が聞こえてきた。

自分たちを見ている客だということはわかったが、なぜ笑われているかはわからなかった。

それにしても、眠い。


「はぁー、ついに死んじまったか!」


皮剥ぎ夫人は前に見た時よりも、いろいろな人間のパーツを体にくっつけていた。

彼女は部下に命令して鏡を用意させる。

それを見た時、市江は意味がわからずに呆然とした。


後ろにいた苺には目がなかった。

ミラが書いてくれた絵には、綺麗な赤い瞳があったのに、そこには薔薇の花が埋め込まれていた。

なぜ目がないの? 皮剥ぎ夫人は抉ったからさと答えた。

なぜ耳がないの? 皮剥ぎ夫人は切り取ったからさと答えた。

なぜ指がないの? 皮剥ぎ夫人はへし折って、切り取ったからさと答えた。


「お前に打ち込んだ薬は麻酔だ」


ただのショーだった。

皮剥ぎ夫人が演出したのは、繋がった双子の一方に苦痛を与え、もう一方に豊かさを与えること。

一方は醜く、一方は美しく、その対比こそが芸術である。


「あ」


市江は意味を理解し、表情を歪めた。

だとするなら、苺は自分の体が傷つけられているにも関わらず、市江を不安にさせないためにいつも通りに振舞っていたというのか。

凄まじい恐怖の中、助けも求めず、むしろ市江を気遣う言葉を投げかけていたというのか。


『大好きだぞ』


あの言葉を、どんな気持ちで口にしたのか。

それを考えた時、市江の目からは涙が溢れた。

泣き叫ぶ。が、しかし、それをチェーンソーのエンジン音がかき消した。


皮剥ぎ夫人は回転する刃を、市江と苺の境目に合わせる。

肉体が繋がっている双子は、一方が死ねば遅かれ早かれもう一方も死んでしまうとされている。

だったらいっそ切り取ってしまおうと皮剥ぎ夫人はチェーンソーを取り出したのだ。


うまくいけば市江でまた儲けることができるし、無理だったら死体は比較的綺麗なのだから誰かが買ってくれるだろう。

どちらに転んでも皮剥ぎ夫人としてはオッケーだった。

そこで市江はみゅうたんを見つけた。だが同じくして回転刃が苺と市江を二つに分けた。

大量出血の中で市江は気を失い、次に目覚めた時には魔法少女になっていた。


市江は自分がどうなって魔法少女になったのかを全く覚えていなかった。

みゅうたんからは魔法少女になったら心が壊れる出来事を忘れると説明されているが、それは違う。

気を失っている間にゲロルが市江を回収して修復手術を施してユーマを与えたのだ。

しかし一つだけ、ゲロルにも予期していないことが起こった。


市江は幻を作り出していた。

パートナーが死んだことを受け入れることができなかったのだろう。

幻の苺を作り出し、幻想と会話を始めた。

ゲロルは笑った。そしてどうせならそれにリアルを与えてやろうとカーバンクルを追加で渡した。

そのユーマは、苺の声を再現できたし、市江が喋って欲しいことを喋った。

だから市江はカーバンクルに苺が言いそうなことを喋らせることにした。

でも鏡を見ると自分が一人なのがわかってしまうから鏡が嫌いだった。



とまあ、そんな背景がある筈なのだが――、時間は戻る。



チェーンソーが今まさに市江と苺を引き裂こうとした時だった。

その刃が、破れた。


「!?」


皮剥ぎ夫人は確かに見た。

牙が、チェーンソーを食い破るのを。


「ガァァァアァアアア!」


皮剥ぎ夫人は絶叫をあげのたうち回る。

全身に激痛が走る。次の瞬間、太ももが破れ、中から無数のハエに酷似した生物が飛び立っていく。

羽音や見た目はハエのように見えるが、『竜』のような仮面をつけている。

鋭利な牙と、それを使うための顎があった。


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ!」


ハエの群れが皮剥ぎ夫人を覆い隠す。

それはまるで黒い煙のようで、完全に夫人の姿が隠れた。

ハエはうるさい羽音をたてて、やがて飛び去る。

するとそこにあったのはただの骨だった。


「ぐあぁあぁあああ!」

「うあぁぁああああ!」

「ひ、ひぃぃぃ!」


次々と恐怖の声が聞こえてくる。

ハエの群れがゲストを通りぬけると、ある男は胸からへそまでが骨しか残っていなかった。

別の女は首から下が全部骨だった。

ある老人なんて綺麗に右半分が骨だけだった。

皮膚も、肉も、臓器も、ハエたちが一瞬でペロリと平らげたのだ。

木霊していた悲鳴が少しずつ消えていく。やがてすべてが羽音になった時、生きていたのは市江だけだった。


「………」


市江は無表情の少年をジッと見つめていた。





役割がある。

PCの外、アダムは映画が入っていた棚を蹴り飛ばしていた。

中にあったDVDが床に散らばっている。アダムは笑みを消していたが、またすぐに口元を釣り上げた。

物にあたるなんてガラじゃない。冷静で、常に余裕の笑みを浮かべているようなキャラクターこそが自分だった。

だから『自分』もそうであると……?



役割がある。



光悟の言葉が耳に張り付いている。

ゲロル星人は悪だから、悪としての立ち振る舞いをするのは当然だ。

光悟はそこに同情しているのだろう。シナリオという存在のなかにはありとあらゆる役割があり、それが伝えたいメッセージや、見せたい景色に収束していく。


それが物語というものだ。

だからそのためには損な役回りがあっても仕方ない。

アダムは机を殴っていた。浮かべていた笑みはいつの間にか強張っている。

だがふわりとした硬い感触があった。アダムの手に市江の手が重なっていた。


『怒っているですか?』


『………』


『もういいです。わたしは大丈夫です。だから指示をくださいです』


市江の青い瞳から一筋、涙が零れた。


『なんでもやるぞ……』


青い瞳が、紫色に染まっていく。

生き残ったのは市江だった。本当に? 果たして本当にそうだったのだろうか?

市江は苺であり、苺は市江である。二人の生活に鏡はなかった。

自分の姿もわからなかった。ミラの絵を、二人は誤って見ていたら……?

市江は野菜が嫌いだった。だったらきっとスープに入ってるニンジンは食べられない。


『イブ』


『え?』


『新しい名前を考えてみたんだけど……、嫌だったかな?』


『………』


『外に出よう』


市江は頷いた。

いや、そこにいたのは市江じゃない。

髪型はツインテール。右は朱色、左は水色。瞳は紫。


ぞ。は、サ行。


です。は、タ行。


だったら、次がいい。


「ワタシは今日からイブなの! よろしくなの! アダム!」


アダムは微笑み、市江の手に、自分の手を重ねた。

なぜ助けたのかがわからない。しいて理由をあげるとするなら、かわいそうだったからだ。

気の毒な少女を見て、アダムはどうしても我慢することができなかった。

それがたとえ幻想の存在だったとしても、今まで培ってきたものが胸の中にある限り、見過ごすということができなかった。


何もかも遅かったとしても。

ほんのわずか、たった一つでも苦しみを消してあげられることができるのならばと、アダムは自分が作ったセットを破壊しに行った。

そして世界から食い奪った核を、その哀れな少女に与えたのだ。

役割がある。

光悟の無表情がたまらなくイラついた。


(そうだ。役割がある。だがそれを肯定した時、我々はどうなる!)


苦しむために生まれてきたものや、殺されるために生まれてきたものたちに、自分たちはいったいどんな感情を向ければいいのか。

アダムはパソコンの画面を切り替える。そこにはゲロル星人が映っていた。


『カウントダウンは終盤だ。頼んだよ、ゲロル』


『――ああ。素晴らしい』


『もっと素晴らしくなる。アンタたちにとっては』


本物になって、次の遊び場に向かう。

場所は地球。和久井や光悟たちが住んでいる星の名前だ。





「………」


アポロンの家に帰ってきたミモは、ギュッと子供たちの服を抱きしめた。

下には崩れた肉の塊が落ちている。


「ちくしょう――ッ」


ハートが入っていないものは、すべてアダムが作った『餌』でしかない。

腹の中の牧場にいるゲロルたちに与えるための餌のレシピ、つまり『人間』の模造品を作ることは容易かった。

あとはそれをナナミプリズムを捕食した際に得た人物情報を参考に、ベルゼブブが動かしていただけだ。


でも、もうそんなことをする必要はなくなったため、役割を放棄したに過ぎない。

だったら肉の塊は肉に戻る。光悟が助けた人たちも、子供たちも、友達も、すべてが人の形を維持するのをやめただけだ。


「気を落とさないで。わかっていたことよ」


ルナが優しくミモの背中を撫でていた。

そしてそれを、モアは無表情で見ていた。


少し離れたところでは光悟と、彼の肩に乗ったパピがコンビニにやって来ていた。

そこに店員はいない。客もいない。崩れた肉の塊と衣服があるだけだった。

別の民家では月神と和久井の姿があるが、そこも同じ光景だ。

家族が集まっていたリビングには肉と服しか残っていない。


「ど、どういうことなんだよこれは……?」


ティロン♪


「アダムは彼らの役割が終わったと思ったんだ」


ティロン♪


「つまり計画が次に進んだってことか」


ティロン♪ ティロン♪ ティロン♪


「おそらくは」


ティロロロロロロロロロロロ――


「……ところでなんの音だい? さっきからうるさいな」


「え? あ、ああ悪い。オレの携帯だ」


和久井が確認すると、しゅぽぽぽぽぽぽと、とんでもない勢いでメッセージが表示されていく。全て舞鶴からだった。


『ねえ、どこに行ったの?』

『やっぱり私を見捨てたの?』

『裏切者』

『味方になってくれるっていったのに』

『一人にしないで』

『もう悲しませてる。裏切りでしょこれ』

『ねえ聞いてる? なんで返信してくれないの?』

『嫌いになってる。私もお前がますます嫌いになってる』

『死ね』

『………』

『やだ』

『まって。やだ』

『今泣いてる』

『許して。お願い。さっきのは嘘だから。メッセージ消すから』

『見捨てないで。早く帰ってきて』

『許してくれないなら殺してよ』

『殺せよ!!!!!!』

『好きなら殺して!』

『愛してるの?』

『好きなら好きって言って』

『ねえ』

『早くして』

『怖い』

『え? 確認だけどさ、他の女のところ行ってないよね?』

『は?』

『無理』

『ガチで無理』

『無理だから』

『ガチで無理だから。マジで。は? ふざけんなよ』

『今泣いてる』

『ガチで死ねよ!!』

『いつもそう。私だけが不幸になる』

『待って。違う。焦っただけ。こんなの私じゃない』

『捨てないで』


「……アメージング」


月神は引いていた。

和久井は悲鳴を上げてアポロンの家に戻っていく。

一分後、舞鶴は和久井にしがみつき、彼の胸に頭を埋めていた。


「さっき、は、ごめんね。焦った……、だけ、だから!」


舞鶴は和久井の手を取り、自分のほっぺに当てる。

ミモがメイクを落としてくれた。ウィッグも持ってきてくれたので、今は見た目はちゃんとしている。


「大丈夫、オレはお前の味方だって。裏切らねぇよ」


「う、うれ、うれし……、うれしい。ひは、へへ、へ」


舞鶴は白目をむいた。どんな感情なのかわからない。

ただ和久井はニヤついていた。思っていたのとは少し違うとはいえ。悲しいもので、舞鶴に抱き着いてもらうと、正直興奮した。

一方、月神や光悟は見てきたものの情報を交換している。


「舞鶴が思い出してくれたおかげで、身体の構造が理解できた」


名前を呼ぶ。ミモ、モア、イゼ、アイ、舞鶴。


「この五人が、ハートが入ってるフィギュアだ」


「桃山姉妹には入ってなかったのか……、まあ賑やかし要因みたいな立ち位置だったから、不要と判断されたのかもな」


そう和久井が考えたところで気づく。

そういえば苺の姿を一度も見ていなかったと。

カーバンクルが苺の声で喋っていただけで、本人の姿はどこにも見当たらなかった。

あれはなんだったんだ? 考えていると、いろいろ考えが浮かんで、限りなく真実に近い予想が浮かぶ。


(まさか苺って……、いないのか?)


「バックボーンはどうであれ――」


光悟が口を開いたので、和久井は考えるのをやめてそちらに集中した。


「市江はユーマの所有権がゲロル星人にあると言われた後に変身していた」


「アブダクションレイとやらも、移動に使っていましたし……」


「協力者の位置にいることは明白だろうね。アダムが世界を喰ったなら、世界に入れていた分のマリオンハートも持っていることになる。それをどう使ったのかは、想像に難しくない。おそらく市江に入れたんだろう」


だが、それを予想したところでたどり着くところは一つだ。


「真並くん。こいつらの脳に今すぐ情報を入れてくれ。舞鶴も落ち着いたことだし、本格的にここから脱出する」


光悟は頷いて橙のティクス。トワイライトカイザーに変わる。


「やめて!」


ミモはそういうが、光悟は首を横に振った。


「もう知ることからは逃げられない」


光の弾丸がイゼとモアの頭に当たり、マリオンハートの情報が駆け巡る。


「……はは」


「ッ」


「ははははははは!!」


イゼは笑い出す。光悟が怪訝そうな顔をした。


「何がおかしい?」


「何がだと? これが笑わずにいられるものか! 私が信じてきたものは全て幻だったというわけだ!」


祖母は宇宙人が用意したみゅうたんというミュータントに騙され、英雄として祀り上げられた後は化け物に改造された。

そして孫のイゼも体に虫を入れられ、それが見せる幻想の妹を信じて戦ってきた。

しかし思い出しても笑えてくる。今にして思えば、思い出のナナコはずいぶん都合のいい遺言をその都度残してくれたものだ。


「安槌は英雄などではない。ただの傀儡! 侵略者の道具にしか過ぎなかった!」


そして、それすらも幻想であった。

何も知らず、ただ悪魔の腹の中に入れられた哀れな人形。


「無様にも程がある……!」


イゼは苦しげに頭を抑えながら部屋を出て行った。

誰も何も言えない。そのショックは計り知れるものではないとわかっているからだ。

ミモは心配になって、モアに近づいた。


「大丈夫? モア様も本当にショックだろうけど……」


「大丈夫」


「ッ?」


モアは無表情でそう言った。


「でも、だけど、チビたちが……」


「皆、人形だったんでしょう? 模倣した肉の塊だったんだから」


「そ、そんな言い方! 悲しくないの!?」


「悲しくないよ」


「一緒に過ごした時間は本物だったでしょ?」


「でももう皆いなくなった。悲しんでても仕方ないでしょ」


「待って」


ルナが割り入る。ミモは混乱しているだろうが、ルナは冷静なのでわかる。


「どうしてしまったの? モアさん。貴女なんだか様子がおかしいわ」


「べつに、何も」


そこで光悟の表情が変わった。

ゲロルはイゼの記憶に幻の妹を植え付けるため、体内にゲロルの一部を忍ばせていた。


それを見て、光悟は他の魔法少女に正義の光を当てて体内にいるだろうゲロルを輩出しようと試みた。

その結果、モアの体内にもゲロルがいた。

光悟はそれを握りつぶしたが彼女たちの『体の構造』を理解した今なら、大きな見落としがあったと気づく。


「もう一匹いる!」


光悟はすぐに正義の光をモアに当てたが彼女の表情は変わらず、なんのリアクションも返ってこなかった。

光を強めても変わらない。すると、それを見ていた月神が呟いた。


「拒んでる」


「ッ、なぜだ?」


「クールに生きたいのかな? 心を得たのに、まるで心を失ったようだぜ」


すると、部屋の隅で話を聞いていたシャルトがハッと表情を変えた。


『それが目的か?』


「どういうことかしら?」


『ミスターアダムはオンユアサイドのことを、ミス舞鶴から聞いていたらしいが、和久井くんに聞きたい。確かアダムは捕食したものの情報を得ることができるのだね?』


「あ、ああ。そうだな。食ったものの詳細を理解できるし、消化すれば力を使うことだってできるってアニメでは……」


『だとするなら、当然我々の情報もわかっていることになる』


「へぇ、そういうことか」


月神はいち早く理解したようで、その名を口にする。


「創生魔術エリクシーラーだ」


錬金術の頂点。ありとあらゆるものを創造することができる最上級・金魔法。

オンユアサイドにおいては失われた秘術であったが、正統後継者であるパピが使用して自分とルナが地球で生きていけるための肉体――、つまりホムンクルスを創造した魔法である。


その使用には金魔法の後継者以外にも、無垢な心を持つものならばという言い伝えがあった。

かつてオンユアサイドに存在していた『ヴァイラス』のグリードは、ロリエという少女の感情を奪い、人形にすることでその条件を満たそうとしていた。

それが今のモアと重なっているのは決して偶然ではない。


「おそらく、アダムの本当の狙いはパピだ」


『……ほへ? アタシ?』


光悟の肩に乗っていたパピは、まさか話を振られるとは思っておらず、間抜けな声を出した。


「パピが創生魔術を使用した履歴を把握して、ヤツらはモアを媒介にしてそれを使うつもり。ってね」


「いやッ、ちょっと待ってくれよ月神。わざわざそんなことしなくても普通にパピを消化しちまえば良かった話じゃねぇのか?」


「今のパピはエクリプスアクターの不具合によって肉体がみゅうたんになっている。パピという存在を捕食して情報は得られたが、今の状態のパピを消化してもみゅうたんの力しか得られないんだろう」


言葉を発する翼の生えた猫の能力を得ても、なんの意味もない。


「キミが機械音痴で幸いだったな」


『チッ、激ウザ』


荒れるパピを撫でながら光悟はモアを見た。

今の説明を聞いても、モアはピクリとも表情を変えていない。

今にして思えば市江がモアを煽ったのも、こうなるきっかけを与えるためだったとすれば納得がいく。


「とにかく彼女の中にいるゲロルが感情を消してるようだ」


「なら、今すぐ出して! 光悟さんならできるんでしょ!?」


「構造上、少し、難しい。なによりもモア自身が排出を望んでない。それが最も厄介だ」


感情を消すのは自己防衛だろう。

何も感じなくなれば苦しみも消える。

存在するもの全てが幻想だと割り切ってしまえば悲しみはなくなる。魔法少女になったものは大きな傷を抱えていた。

そこから目を逸らすためにできる自己防衛が、自傷なのだ。


「そんな!? で、でも戻るんだよね? なんとかなるんでしょ……ッ!?」


「………」


「助けてくれるんでしょ!?」


光悟は無表情だった。


「調べたが、ゲロルはモアの脳を損壊させることで記憶や感情を消失させている。ティクスは苦痛を癒すことができるが、本人が望んでいるなら、それは苦痛とは認識されず、取ることができない。今のモアは痛みさえ感じない状態だ。だから俺には治せない」


「そんな……!」


ミモは力なく崩れ落ちる。

それを見て月神はため息をついた。光悟とルナに耳打ちをする。難しい話ではない。誰が誰に声をかけるかだ。




「安槌イゼ」


アポロンの家から少し離れたところにある公園。

そこで名を呼ばれ、イゼは停止した。

振り返ると、肩にパピを乗せた光悟がいた。


「どこに行っても無駄だ」


光悟は無表情だった。まるで心を見透かされるような目だった。


「お前の逃げ道は、この世界にはない」


「――ッッ」


イゼは何かを物凄い勢いで吐き出そうとしたが、どうしたことか? 喉が詰まる。

だから弱弱しく、わかっていると答えるのが精いっぱいだった。


「……私には私が見えない」


「仕方ない。無理もない」


「貴様にはわからんさ」


「だが、わかることもある。俺も金は警察に届けるし、迷子がいたら絶対に親を探す」


イゼはポカンとしていたが、やがて悔しげにうつむいた。


「私と、お前、何が違うというのだ……ッ!」


「聞いてくれイゼ。極光戦士第44話で、ティクスは悪に堕ちた親友のイヴィムを説得できずに倒してしまった。ティクスの心は折れ、人を守るために戦うという信念も折れ、彼は完全に戦う理由を失ってしまった」


「な、なんの話だ?」


「極光戦士の話だ」


「極光戦士とはなんだ?」


「ティクスのことだ」


「そうか」


「そうだ」


とにかく、光悟は咳払いをする。


「それは、ティクスの最終回じゃなかった」


つまり、続きがあったということだ。その意味がイゼにはわかるだろうか?


「安槌イゼ。俺たちには、死、以外の終わりはこない」


光悟はイゼに、リサという少女の話を聞かせた。

別に特別な話じゃない。それは単純な内容で、ただ死にたくないと思っていた少女が死んでしまった話だ。


「俺が取りこぼしたものはもう二度と戻ってこない。だがお前はどうだ? 本当に何もないのか。本当にこれから何も作れないのか?」


確かにナナコは嘘だったのかもしれない。

確かにこの世界は偽りだったのかもしれない。

確かに抱いていた信念や覚悟は、幻だったのかもしれない。


「でもそれが安槌イゼの終わりになるのか? 安槌イゼはもう何も創れないのか?」


「!」


「お前の中には魂となる存在、マリオンハートがある。お前はもう生きているんだ」


この世界がアダムの創造したものである以上、イゼには二つの選択肢しかない。

生きるか、死ぬかだ。

言い方を変えるなら、前に進むか、そうではないか。


「安槌イゼ、お前は何のために戦ってきた?」


イゼは答えようとしたが答えられなかった。その理由が全て消え去ったからだ。

だが光悟の表情は変わらなかった。彼はずっと同じイゼを見ている。


「お前は俺を悪だと思った。つまりお前は自分を正義だと思ってる」


「……わかってる。愚かだった」


「違う。誇るべきだ」


「なんだと?」


「正義は正解じゃない。答えだ」


光悟は無表情だった。迷いがないからだ。


「俺は正義を信じている」


光悟の言葉は淡々としていた。あたりまえだからだ。


「俺は、全ての人を守るために戦う。未来永劫」


「……それは、無理だ。無理なんだ!」


「だろうな。だが俺は信じてる。信じ続ける限り――」


誰もいないから。他に音がないから。

その言葉はイゼに耳にまっすぐ届いてしまった。


「俺に、終わりはない」


イゼは立ち尽くす。そうしていると光悟の肩にいるパピが口を開いた。


『フィクションよりもフィクションみたいなヤツでしょ? 笑えるよね』


とはいえ、パピは尻尾で光悟の頬を優しく撫でた。


『でもコイツのこの馬鹿げた夢が、最低最悪な目にあって泣いてたアタシを助けてくれたのよ』


イゼの表情が、ほんの少しだけ変わった。


『アタシは、羨ましいと思ったよ。アタシみたいなヤツでも光悟みたいになって、そしてほんの少しでも泣いてる人の涙を、たとえ一秒でも止められたらって……。アンタはどうなの?』


「私は……」


『アタシは光悟に救われたけど、それは特別なことじゃないでしょ?』


パピの脳裏には今も鮮明に思い出せる景色がある。

雨に濡れて、涙がで潤んだ視界の向こうにいた、血を流した光悟。


『光悟がアタシに腕を伸ばしてくれたからよ』


それはきっと、イゼにもできたことだ。

なぜならばイゼと光悟の目指す正義は同じ道の果てにある。

ティクスが歩いた道だ。だから光悟はライガーを呼び出した。

光が迸り、光悟はライオン型のバイクに跨っている。


「イゼ。俺にはお前がわからない。だから最後はお前自身がお前を肯定するんだ」


乗れ。そう言って光悟はイゼを睨みつける。


「行くぞライガー。答えを見せに行こう」

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