第46話 久遠の友よ


「アンタはもっと肩の力を抜いたほうがいいな。さっき体を拭く時に見えちまったけど、たくさん傷があったぜ? 自分は大切にしたほうがいい」


アイはひょいっと残りのあんまんを口に放り込むと、大きな魔女帽子のつばで指を吹いた。

しかし一個だけじゃ足りないのか、すぐにお腹の音が聞こえた。


「私のも食え。食いかけでよければだが」


「いいのか? サンキュー」


アイは大きな口を開けてイゼが差し出したあんまんを頬張る。


「お、おい。指まで食うやつがあるか」


「れふぁ? んぁ、悪い悪い」


アイはイゼの指を噛まないように注意しながら顔を引いた。

指に生暖かい舌の感触を感じたものだから、イゼはくすぐったさに頬を綻ばせた。するとアイはペロリと唇を舐め、ニヤリと笑う。


「なんだよ。違うところも舐めてやろっか?」


「バカを言うな! 下品なヤツだな、まったく!」


イゼは赤くなって布で体を隠した。そこでふと、目についたアイの帽子を示す。


「いつも被っているんだな。その帽子」


「ああ。寝る時も被ってる」


「邪魔ではないのか?」


「大切な人から貰ったんだ」


「大切な……、蘇生させたい人か」


「そうだ。だから一生被り続ける」


「だがそのために、舞鶴が必死に集めたエネルギーを奪うのはいかがなものか」


「母親だ」


イゼは言葉を詰まらせた。


「そう、か。私も妹を……、ナナコ蘇らせたいと考えた。だから何も言えないな」


イゼが躊躇しているのは倫理か、ナナコの気持ちか、それとも自分の気持ちなのか。


「恐ろしいことを考えたことはある。もしかするとナナコが生き返って、私が本当の意味で必要とされなくなるのをもしかしたら恐れているのかもしれない」


蘇ったナナコはきっと健康だ。そしたらすぐにヒーローになる。

そしたらみんなすぐに気づくだろう。出来損ないの姉の存在を。


「あるいは倫理。パラノイア被害者の遺族であったり、宗教的な考えを持っている人間であったり、彼らが私を非難するかもしれない。それが私はきっと恐ろしいのだ」


「……人間は機械じゃねぇんだ。腹に抱えるモンがいくつかあってもおかしくはねぇさ。でもアンタはナナコを愛してる。アタシが保証してやるから、それは忘れんな」


アイは、イゼの額にキスをした。


「な、何を!?」


「昔、私が悩んでると、母さんがやってくれたんだ。おまじないみたいなモンだよ」


キスは愛しているものにするものだ。

大切な人よ。守ってあげたい人よ。どうか苦しまないで。貴女のことを愛している人がここにいるから、もう大丈夫。


「なんつってな」


「困ったな。お前は私を愛しているのか」


「あほか! リップサービスだよサムライガール!」


そうしているとイゼの服が乾いた。家に帰ることにする。


「アイ、助かった。意外と優しいところもあるのだな。見直したよ」


「ちょろいねぇイゼ様は。じゃあな、気をつけて帰れよ」


「ああ。ところで部屋が散らかりすぎてるぞ。せめて割れた鏡の破片くらいは片付けろ」


「へーへー、んじゃなー」


イゼは帰っていった。アイは扉を閉めると、ニヤリと笑う。


「マジでちょろすぎだろ」


アイは地下室へと向かった。そこには扉がある。

中央には、血のようなもので描かれた魔法陣があった。アイがそこに掌を押し当てると、鍵が開いた。


『本当に馬鹿だよなぁ。あいつら、ありもしないものを追いかけて』


部屋の中にはみゅうたん2号がいて、そう喋る。

正確には、アイが喋れと念じたことをそっくりそのまま喋っている。

それは会話だけじゃない。みゅうたんの体はアイの思い通りに動くようになっていた。

なぜだか1号というイレギュラーな存在が現れたが、本来はそんなことありえないはずなのだ。

なぜなら、みゅうたんは、アイが作ったのだから。


『奈々実とか、ナナコとか』「そんなもん、最初から存在してないってのに」


部屋には椅子があった。そこに深く、深く、アイの母親が座っている。


『仕方ないわ、アイ。それが運命というものなの』


母は目を閉じ、テレパシーで娘に話しかけた。





遥か昔の話だ。

レムナークという村の女は魔女である。そんな噂が囁かされた。

誰が何のために流したのかはわからない。


その村に住む女たちは皆、髪が銀色だった。

肌は白く、光の加減によっては少しだけ薄い紫が入っているようにも見えた。

あまりにも美しいその容姿がこの世のものとは思えずに呟いたのか。


あるいは単にバレてしまっただけなのか。

いずれにせよ、それはあまりにも卑劣な裏切りである。レムナークの女は一度だけ国のために魔法を使った。戦争に勝つためだ。


なのに奴らと来たら魔法が恐ろしくなったのか、戦争に勝利した途端、村には兵士たちがやってきて捕らえられた女たちは次々に殺された。

髪を織物に使えば良い生地ができると首を切り取られ、血を飲めば不老不死になれると生きたまま圧搾機にかけられたり、腸を引きずり出された。

死体はみんな手当たり次第に火をつけて燃やされた。灰が売れるらしい。


そんななか、とある兵士がリトヴィアという女の手を引いて走っていた。

兵士は優しい男だった。仲間たちがリトヴィアの母親を殺し、バラバラにして笑いながら血を浴びていたのを見て、自分が地獄にいるのだと察したのだ。


兵士がリトヴィアを助け出したのはまったくの偶然だった。

せめて目の前にいる女性だけでも守ろうと思っただけだ。

しかし、これが皮肉なことにアタリだった。

レムナークには確かに魔法が使える女がいたが、それはたった一人だけだ。


それが、リトヴィアなのである。


二人は小高い丘にて腰を下ろした。

村のほうを見れば、激しい炎が遠くからでも確認できた。

リトヴィアは泣いた。家族も、友人も、みんな死んだ。

そして国は自分を狙い続ける。兵士も泣いた。国を裏切ってしまったのだ。

事実、彼の予想通り、後に両親と弟はギロチンで処刑されることになる。


それでも兵士はリトヴィアを連れて逃げ続けた。

その途中、兵士は病に倒れ、亡くなった。リトヴィアは深い悲しみに包まれたが、それでも生き続けようと決めたのは彼の子供を身籠っていたからだ。

しかし一つだけ、たった一つだけ些細な亀裂があった。


兵士はリトヴィアにすべてを忘れて幸せになってほしかったが、リトヴィアは激しい復讐心をずっと抱いていたということだ。

出産したリトヴィアは、娘に歴史と憎悪を教え込んだ。

その娘もまた魔法が使えた。名前は故郷からとって、『レムナ』になった。

リトヴィアの死後、レムナは母の心臓を喰った。

それが覚悟の証であり、愛の形でもあった。


レムナはその後、とある日本人との間に子供を作ることになる。

狂人と呼ばれていた男の苗字は『室町』といった。

戦争が好きな男だった。毒ガスや、銃、罠。相手を傷つけるものを作ることが好きな男だった。


しかし彼は常に何かに怒っていて、未来を呪っていた。

世界中の人間が俺を殺したいと思っているから、俺が先に殺すんだ。でも奴らは子を作って、そいつに俺を殺させようとするから、一族全員を根絶やしにしないといけない。

しきりにそんなことを言っていた。その憎悪こそが彼の背中を押すものであり、同時に魔女が欲するものだった。


レムナと室町は体を重ねながら永遠の殺戮を誓った。

そしてある日、レムナは室町と舌を絡ませている時、彼の舌を噛み千切って殺した。

だがお互いにそれでよかった。室町は幸せそうな顔をしていたし、二人ともが室町という人間を救うには死以外にはありえないと理解してしていたからだ。


そして時が流れ、ついにレムナは悲願達成に向けて動き出した。

男が残しためちゃくちゃな設計図を魔法の力で完成させた。

それは科学と魔法で作った究極の兵器。

ユーマ。


『今でも思い出す。我が母が語っていた憎悪の日々を』


アイの家、その地下室にレムナは座っていた。

今の彼女は酷く衰弱している。どうやら魔女の力の源である『アイオン』は、出産と共に子へと受け継がれるらしく、アイを生んでからというもの不老の力は衰え続け、かつては絶世の美女であったレムナも、今はもう弱弱しい老女にしか見えなかった。


それでも彼女が今もなお生きながらえているのは、アイが提供するソウルエーテルを吸収しているからである。

というよりも、ソウルエーテルにはその使い道しかない。集めれば死者を蘇らせることができるというのは、真っ赤な嘘なのだ。


復讐の道のりは人を騙すことが多かった。

レムナはアイを出産した時、受け継がれるアイオンの半分を抜き取ることに成功し、それをアリゾナの砂漠に置いて、発見されるように情報を流した。

アメリカ政府は混乱を防ぐために極秘にしていたが、レムナはドイツの新聞社にその情報をリークし、さらにその後、室町が残したミサイル、ヒブタを世界中に発射した。

それが引き金となり第三次世界大戦が勃発。数えきれない憎しみが生み出された。


しかしまだ、レムナの中にある憎悪は納得しなかった。

彼の地、火に包まれた故郷、燃やされていった民の恨みは消えなかった。

人を殺すのではない。人を殺すことで、世界の形を変えることこそが、レムナと魔女に魅入られた室町の願いなのだ。


だからレムナたちは、みゅうたんという使い魔を作って、アイに与えた。

みゅうたんはアイの思った通りに動き、思った通りの言葉を発する。

まだ幼かったアイはレムナの指示を受け、みゅうたんを傷つけて路上に放置した。

それを見つけたのが安槌イズ。つまり、安槌イゼの祖母だった。


「自分が傀儡だとも知らずに、いい気なものね」


いつだったか、ソウルエーテルを啜りながら母がそう零したのをアイは今でも覚えている。

イズはみゅうたんの言葉を信じたが、言い方を変えればアイの作ったシナリオ通りに動いてくれたわけだ。

そしてアイの父が作ったユーマ・モスマンを身に着けて、アイの母が巻き起こした戦争を終結に導いた。

英雄イズを讃えるパレードを、アイはレムナと共に見に行った。


どうしてあの人を選んだの?

アイがそう聞くと、レムナは歪んだ笑顔で答えた。

安槌の先祖は、室町の唯一の友人だったらしい。あの時はそれだけしか教えられなかったが、今のアイには母がなぜあのような表情を浮かべたのかがわかる気がする。


友でありながら、安槌は室町という男の苦悩を理解してやれなかったのだ。

それが腹立たしくもあり、同時に嬉しくもあった。

どうして嬉しいの? アイが問うが、母は答えなかった。


室町は、ユーマの設計図を残したが、既に一つ違う兵器を完成させていた。

戦時中、ひん死の兵士たちの遺伝子を改造して生み出した恐ろしき生物兵器。

それこそがパラノイアである。

質感が違うだけでパラノイアもユーマも何も変わらない。人を傷つける方法をたくさんインプットした兵器なのだ。



世界を、変える。



パラノイアという恐怖。そして魔法少女という希望。全て『室町』の血がなしえたことだ。

その時、レムナは笑顔を見せた。アイは初めて理解した。母は父を心から愛していたのだと。

父が作ったパラノイアが暴れ、人々が恐怖に陥る時、それは父の武器が評価されたことになる。

それを倒すユーマが評価された時、人々は父に感謝する。



魔法少女。

つまりユーマという武器を振るう魔女を作るのはアイの仕事だった。

幻を見せる魔法を使って、弱った女の子の心に付け入り、武器を持たせた。

時に存在しない妹のセリフを植え付けて、それを糧にする少女を作った。

そして時にこの世には存在しないイマジナリーフレンドや、イマジナリー先輩を生み出して、それに縋ろうとする哀れな女を作り出した。


「げほっ! がはっ!」


現在、地下室でレムナが咳き込んだ。

アイは母の背中をさすり、ほほ笑んだ。


「母さん。待ってて。もうすぐたくさんの命が手に入るよ」


アイには夢があった。それは母と永遠に暮らすことだ。

死者が蘇るなんて都合のいい嘘を信じてる馬鹿にソウルエーテルを集めさせ続け、それを永遠に奪い続ければいい。

舞鶴たちが死んだ後は別の魔法少女にユーマを与えて、それを無限に繰り返す。


『気を付けてねアイ、あの男たち……、とても危険だわ』


「わかってるよ母さん」


アイは頭の魔女帽子を強く掴んだ。レムナから貰ったものだ。

そのレムナは帽子を母から貰った。そうやって代々、受け継いできたものがある。

それが帽子であり、憎悪と殺意だ。アイは口を覆い、代わりにみゅうたん2号でメッセージを送る。


『魔法少女のみんな! 一時間後、フィーネ中央公園に集まるミュ!』


光悟たちは危険な存在だということがわかった。

彼らを倒さなければ、この世界に未来はないなどと告げて通信を切る。


さらに魔法を発動して、イゼにナナコの幻影を見せた。

セリフはどうしよう? 適当に世界を守ってだとか、魔法少女が一番強いということを証明してだとか、なんかそういう感じのセリフを適当に喋らせる。


「聞こえる? ねえ、聞こえる……?」


まだ終わらない。しばらくすると、アイの脳内に声が響く。


『奈々実! 奈々実ッッ!? 奈々実なの!?!?』


アイはニヤリと笑った。

きっと舞鶴は永遠に気づかないだろう。奈々実が妄想のお友達だということに。

アイの声がサンダーバードを通して、奈々実の声になる。


「舞鶴ちゃん! もう少しだよ!」


『な、なにが!?』


「貴女が必死にソウルエーテルを集めてくれたおかげで、あともう少しで蘇ることができるよ!」


『ほ、本当!? 本当なの!? 奈々実に会えるの!?』


そんなわけねぇだろ。心の中で舌を出しながら、アイは口を動かした。


「うん! 今はね、このサンダーバードの中に魂があってね、もう少し入れてくれれば体ができあがるんだ!」


『じゃ、じゃあ! 今すぐに!』


「……でも、ごめん。舞鶴ちゃん。ひとつだけ条件があるみたい」


『え……?』


「魔法少女とは違う力を持った人たち。いるでしょ……?」


『う、うん。刀飛ばすヤツと、花女に、あとアイツ! 虹色クソ野郎!』


アイは笑いそうになるのを堪えながら、話を続ける。


「あの人たちを殺したら、きっとわたしは蘇るよ」


アイはここで声にノイズを入れた。


「ごめ、んね、もう、おしゃべり、できなくなる、みたい……」


『ど、どうして!?』


なんかそういう感じだから。アイはそれを口にしようとしてやめた。

さすがに適当すぎる。だから蘇生の前段階で、完全に現世に留まることができないという理由にしておいた。


『もぅ会えないの?』


弱弱しい舞鶴の声が聞こえてくる。


「あの人たちを殺せば会えるよ。でも舞鶴ちゃんにはそんなことしてほしくない。きっと何もしなかったら、そのうちサンダーバードの中からわたしは消えちゃうかもだけど、でもそれでも舞鶴ちゃんと今こうしてほんの少しでもまたお喋りできただけでそれでいいから、だから絶対に人を傷つけないでね。舞鶴ちゃんがわたしのために頑張ってくれただけでも嬉しいから。舞鶴ちゃんは幸せになってね。わたしも本当は舞鶴ちゃんの隣にいたいけど……、寂しいけど、悲しいけど、名残惜しいけど……」


さすがに喋りすぎたと思って通信を切った。


「まあでも、これでアイツも来るだろ。メンヘラ舞鶴ちゃんは、絶対に光悟たちを殺しに来る。本当に殺してくれればそれでいいし、ダメならダメでサンダーバードにたっぷりとため込んだ命を頂くだけだ」



そうとも知らない舞鶴は喜んでいた。


「やっとッ、やっと奈々実に会える!!」


小躍りしてみる。


「やっと奈々実とお喋りでき――」


フラッシュバックが起こった。

昔の記憶だと思う。確証がないのは、それをすっかり忘れていたからだ。忘れていたが思い出した。鮮明に思い出した。


「あ」


舞鶴の腕にはリストカットの痕がいくつかあるが、どうしてそんなことをしたのかというと癖になっていたからだと思ってる。

爪を噛むとか関節を鳴らすとか、そういうニュアンスで手首を切っていたのだと自分では思っていた。でもそれは違っていた。


舞鶴は明確な理由があって手首を切っていた。

その名残が今も残っているから、なんとなく切っていたのだ。

なぜ忘れていたのかというと、おそらくは魔法少女になった時の『心を壊す出来事を忘れる』というシステムがあったからだ。


そうだ。思い出した。舞鶴は母の不倫相手のバンドマンに会ったことがあった。

バンドマンは、いずれ娘になるだろう舞鶴に優しくしてくれた。

だからお近づきのしるしに、とある場所に連れて行ってくれたのだ。

舞鶴は断れなかった。この女にそんなコミュニケーション能力はない。

だから言われるがまま、ヘラヘラしながら裸でうつ伏せになった。

舞鶴は朦朧としていた。高熱にうなされ、気づいた時には全身にタトゥーが刻まれていた。


それはバンドマンとお揃いだった。

ハードロックがどうのこうの。背中にはバンドマンが好きな音楽の歌詞がびっしりと刻まれ、腰から下には様々な動物がいた。

そういうものらしく、前面には卑猥な単語や、暴力的なワードが羅列していた。

なんでもロックの歴史にはセックスだのドラッグだのバイオレンスだの、そういうものがどうたら、反骨心がどうたら、社会への革命がどうたらせらこうたらと説明された。


バンドマンは笑っていた。隣にいた母も笑っていた。

タトゥーは全然怖いものじゃない。日本はまだ偏見がどうのこうの。

似合ってる。かっこいい。これでキミの立派なロックマンだ!


舞鶴は褒められたので笑っておいた。にっこりと、満面の笑みを浮かべておいた。

舞鶴は部屋に戻って手首を見た。『SEX』の文字が手首をグルリと覆っていた。

舞鶴はカッターでそれを削り取ろうと思った。でもちょっと傷がつくだけで、文字は全く消えなかった。

舞鶴はとりあえず泣いた。涙と鼻水で顔をグシャグシャにして家を出た。


奈々実に会いたい。

奈々実が見えない。

奈々実に貰ったと思い込んでいる自分で買った牛のぬいぐるみを握りしめて奈々実を探した。

そしたら奈々実に会えた。その直後だった。奈々実が死んだのは。


何にやられた?

何にもやられてない。

ただ単にアイがチャンスだと思って、奈々実が死ぬ幻想を見せただけだ。

そうとも知らず魔法少女になった舞鶴は、まず自分の皮膚を剥いだ。

真皮ごと引き剥がして肉だけになった。風が当たっただけで激痛が走ったが、魔法少女だったから耐えられた。

奈々実を失った苦しみのほうがずっと最悪だった。それを忘れていた。そして、今、思いだした。


「いぎぎいいぃぃぃいぎぎぎッッ!」


舞鶴は両手で頭を押さえ、歯を食いしばり、奇声をあげる。

声を出そうと思ったのではなく、自然と出ていた。体がブルブルと震え、気づけば両手で髪を掴んでおり、我に返った時には髪の毛をブチブチと抜いた後だった。

綺麗になるには汚いものを掃除しなければならない。そういった思い込みが舞鶴の腕を動かしていた。


舞鶴は一瞬だけ迷ったが、自分の髪を引きちぎり続けた。

そこで自分が大きなミスを犯していることに気づいた。もうすぐ奈々実に会えるかもしれないのに、禿げ頭じゃ笑われる。

こんなんじゃダメだ。舞鶴はおうちに帰ろうと思った。

帰って、それで、きれいにするんだ。そうしたらきっとななみがわらってくれるはずなんだもん。


「うぇぇえ! ぐすっ! ひぐっ! あぁぁあ!」


舞鶴は泣きながら変身して、泣きながら翼を広げた。





いつもは家族連れやお年寄りたちの憩いの場所になる中央公園も今は静まり返っている。

そこで電話をしていたイゼの声は、嫌でも耳に入ってきた。


「ショッピングモールにサンダーバード? 舞鶴か!?」


「おい、来たぞ」


アイに言われて、イゼは携帯電話をしまった。

ユーマが市江、苺、アイ、イゼの背後に出現してパージしていく。

一方で向こうから肩を並べて歩いてくるスーツ姿の男女三人。

正面右からルナ、光悟、月神は無表情のまま進んでいった。


「ひぃぃ! おっかないヤツらです!」「同意だぞ。勝てるのかー?」


してやられた記憶が残っているのか、市江と苺は震えながら武器を構える。

イゼはなにかを考えていたようだが、グッと剣を握りしめた。

妹の幻影が言った。どうか、負けないでと。


「勝つんだよ」


母さんのために。アイは心の中で呟いて、肩に乗せたみゅうたんを喋らせた。


『彼らは進化したパラノイアである可能性が高いミュ! 人間の見た目に騙されず、覚悟を持って殺してほしいミュウ!』


そこでアイはみゅうたんを消す。これで『理由』はできた。

そこで光悟が持っていたボンサックから、ティクスのぬいぐるみが飛び出した。

ルナが持っていたケースから柴丸とシャルトのぬいぐるみも飛び出してくる。

三体のぬいぐるみは主人の前に着地して歩きだす。


光悟とルナが持っていたカバンから手を離す。

三人はほぼ同時に地面を蹴って走り出した。三体のぬいぐるみも、そこで飛び上がる。

走る光悟たちの体にぬいぐるみが触れた。


そのまま一つに交わり光り輝く。

見た目は変わっていないが、融合が完了したのだとイゼたちは理解した。

月神の手には三本の刀がセットされたソードホルダーがあったし、ルナの手にはレイピアが握られていた。


「三度目はないぞ!」


イゼがマントを広げると大量の粒子が散布されて空に二つの『眼』が現れた。

すると凄まじい衝撃波と風が発生する。月神はホルダーを盾にしたが、それでも足裏が地面から離れて、吹き飛んでいった。

しかしホルダーから刀を抜くと、それを地面に突き刺してブレーキをかける。さらにもう一本、刀を飛ばして吹き飛んでいくルナの前に移動させた。


「感謝いたしますお兄様!」


ルナは目の前にある刀の柄を掴む。

刀は衝撃波の中でも留まっているので、ルナも地面に足をつけることができた。

一方で、光悟は右の掌を前にかざして虹色のバリアで衝撃を防いでいた。

そのまま掌を少し上にあげると、背後に虹色の光弾が二つ現れ、両肩の上を通り過ぎて二つの眼に直撃した。


ツインスパーク。

眼が破壊されて消えていくなか、イゼは飛んでいた。


剣を振り下ろしながらの落下。

光悟は右腕で刃を受け止めるが、そこでイゼのマントから大量の鱗粉が噴射され、光悟の肉体に付着した瞬間に爆発していく。


「決着をつける! 私の正義がお前たちを殺すのだ!」


イゼは光悟の腹を蹴った。後退してく光悟の腹に、イゼの一振りが刻まれる。

体を纏う虹のベールが肉体ごと削られて虹色の粒子に交じって赤い飛沫が見えた。

光悟はそれらを散らしながら地面を転がっていく。


「う――ッ! うがぁぁあ!」


しかしどうしてだかイゼもまた苦しげに呻いて膝をついた。

装甲から火花が散っている。どうやらモスマンとの間に何かしらの拒絶反応が起こっているらしいが、歯を食いしばって強引に抑え込む。


「ォオオオオオオオオッッ!」


イゼの前にもう一本、剣が現れて左手で掴み取った。

二刀流になったイゼは、ちょうど立ち上がった光悟の腹部に剣先を二つ突き入れた。

刃が肉体を貫通するが、感触がない。

光悟の目の色が青色に変わっている。肉体が水となって弾けた。


ブルーエンペラー、青のティクスは水を操る忍者ファイターだ。

どこからともなく湧きあがった水飛沫と共に、二人の光悟が前宙でイゼのほうへ飛んでいく。

水で作った分身だ。短刀が握られており、それを逆手に持って切りかかる。


しかしイゼは右の剣でそれを弾いて一人目の光悟をいなすと、二人目の光悟が短刀を振るうよりも早く、喉元へ左手にあった剣を突き刺した。

そしてマントから衝撃波を発生させて戻ってきた一人目を吹き飛ばすと、剣を振って斬撃を飛ばして直撃させる。

二人の光悟が同時に水に変わって弾けた。澄んだ液体は地面を濡らすだけ。

イゼは周囲を睨むが本物の光悟はどこにもいない。


「イゼ! これを使え!」


アイが注射器を撃つ。イゼは頷くと、それを剣の腹で受け止めた。

刃に液体が注入されていき、真っ赤に染まった剣を地面に突き刺す。

赤いエネルギーが地面に注入されていくと、光悟が排出されるように飛び出してきた。

どうやら液状化している光悟の中にアイの魔法が溶け込み、妨害に成功したようだ。

光悟はせき込みながら吐血する。さらに市江がハンマーで地面を叩き、冷気を光悟へ向かわせた。


「よくわかりませんが、水になれるなら凍らせてしまえばいいのです! ふふん!」


黒いスーツが霜で覆われる。

どうやら狙い通り液状化できなくなってしまったようだ。

光悟は仕方なく短刀を構えて、向かってくるイゼと切りあった。

武器が打ち付けあう音が響き、やがて光悟の短刀が弾かれて地面に落ちる。


「今度こそ首をもらうぞ!」


イゼが踏み込んだところで離れていた月神が急加速。一瞬でイゼの右に来ると、彼女の体を蹴り飛ばした。

イゼは地面を転がるが、その勢いですぐに立ち上がると、左手に持っていた剣を捨てて、右の剣を両手で掴んで天にかかげ上げた。


「集え粒子よ! 光の奔流ッ!」


煌めく粒子が剣に集い、激しく発光する。

光は空に向かって伸びていき、剣のリーチを上昇させていった。


「全力を込めて貴様らを両断する!」


イゼは鬼のような表情で、その巨大化した剣を躊躇なく振り下ろした。


「セイクリッドッッ! ディバイダー!!」


東京タワーほどの光の剣が迫ってくる。


「大技だな」


光悟は腕を伸ばして虹色のバリアを張った。

剣がそこにぶつかると凄まじい衝撃が光悟の腕に伝わり、すぐにバリアが粉々に砕けた。

四散する虹色の破片、光の剣はすぐに勢いを取り戻して光悟たちに迫ってくる。


「なにッ!?」


しかしイゼは激しい抵抗感を感じ、うろたえた。

無理もない。渾身の力で放った大技と同じサイズの刀身を月神が抜いたからだ。


「鳴神流、肆式・猿真似。いかなる攻撃であろうとも、猿神によって模写できる」


イゼは激しい焦燥に駆られた。全ての力を込めた技でさえ、悪党に奪われるというのか。そんあことがあってはならない。

そう思った時、視界に泣きそうな妹の顔が蘇る。


(そうだ。ナナコのためにも私は――!)


轟音と共にナナコの姿が消えた。

イゼは地面に倒れていた。降り注ぐ粒子を見て、自分の剣が月神によって折られたのだと理解した。


「パーフェクト。おれの勝ちだ」


「それは、どうかな!」


アイが走って銃を連射する。

月神は飛んでくる注射器を体を僅かに反らすことで全て回避した。


しかしアイが笑った。

月神もその反応に気づいたのか、すぐに背後を見て理解した。

注射器は月神を狙ったのではなく、彼の後ろにいたイゼを狙ったのだ。

立ち上がったイゼは、自分の体で全ての注射器を受け止めていた。

注射器はすぐに起動し、イゼの血を吸い上げてアイの腕輪へ供給させていく。

イゼが貧血で気絶したのを見て、月神は呆れたように笑った。


「無茶をする」


イゼの血液はアイの銃に纏わりつき、巨大なバズーカーに変わった。

砲口へ集中していく赤黒いエネルギー。さらに市江と苺も腕をかざし、そこへ炎と氷のエネルギーも加わっていく。


「俺に任せろ」


光悟が前に出た。

腕を軽く振るとスーツの上にプリズマーが現れ、黄色いボタンを押して宝石を露出させる。

空から黄色い光が伸びてくる。光の中からはライガーが飛び出してきた。四足でしっかりと大地を踏みしめると、口の中に光を集中させていく。

さらに緑と藍色の光も出現し、今度はバトルモードとなったジャッキーとスパーダが現れ、ライガーの胴体横に掌を押し当てる。


『チャージ! スカイパワー!』

『チャージ! アクアパワー!』

『チャージ! グランドパワー!』


三体のジャスティボウたちが高らかに声を上げる。

はじめは黄色一色だったライガーの口の中の光に緑色が加わり、藍色が加わり、より強く輝いていく。

そこでアイがバズーカーを発射した。


「消え失せろ! ブラッディストライク!!」


熱波と冷気を纏った赤黒い弾丸が光悟たちを塵にしようと放たれた。

それを見て、光悟はライガーの尻尾を思いきり引っ張る。


「レインボーフルバースト」


淡々と口にした必殺技名。ライガーから七色の光を纏う巨大な光弾が発射された。

それは赤黒い球体を一撃で粉砕すると、アイたちの目の前で爆発する。少女たちの悲鳴が聞こえてきたが、光悟たちは表情を変えなかった。



「やっぱアイツらすげぇな……」


一方、少し離れたところで和久井たちが戦いを見ていた。


「ミモちゃん。私たち、ここにいてもいいのかな?」


「いいの、いいの。モア様。和久井とパピを守れるのはあたしらだけなんだから」


「だけど」


「いいの! いいーの! 大丈夫ダイジョーブ!」


ミモが強く釘を刺したのは不安だったからだ。モアの様子がなんだかおかしいように感じているのだ。


「ねえ、モア様。笑ってみて?」


「どうして?」


「いいから」


モアは笑った。そしてすぐに真顔になる。

今までずっと笑顔だっただけに、なんだか嫌な予感がする。

だからなるべく感情を揺さぶられそうな場所にいかないでほしかった。


「しかしこうも一方的に見えるのもそれはそれで複雑だぜ」


和久井が唸る。

作品が違うとはいえ、光悟とイゼたちの間にはかなり差があるように感じられた。

すると肩に乗っていたパピが舌打ちと共に猫パンチで和久井を攻撃する。


「いてぇな! 何すんだ!」


『アンタがカスみたいなこと言うからでしょ。当たり前じゃん、光悟があんなカス女どもに負けるわけないっての』


「言い方に気をつけろ! 一応、これ、オレの好きなアニメなんだからな!」


しかしまあ考えてみれば変身箇所は相変わらず右腕のみだが、オンユアサイドでは呼び出せなかったジャスティボウたちをフルパワーで扱えているところを見ると、前よりは確実にパワーアップしているようだ。


『特訓してたのよ。なんか、とってもたくさん。だって――』


光悟は今、腕を組んで遠くを、果てしない遠くを見ている。


「ティクスに敗北は許されない」


それだけが答えだった。それが全てだった。

同じような想いは、隣にいる月神とルナも抱いている。


「上々だね真並くん」


「マーベラスですわね光悟さん。私の出番がまったくなかったわ」


そこで三人は気配を感じて少しだけ顔を動かした。

サンダーバードを纏った魔法少女が、光悟やアイたちの間に着地する。


「来たか、舞……」


そこで光悟の言葉が止まった。月神とルナも固まった。

和久井は舞鶴のことが気になったので走った。光悟の隣にやってくると、理解した。


「なん、だよ、お前……、それ」


舞鶴がそこにいた。けれど何かが変だった。何かがおかしかった。

舞鶴は魔法少女になる時、理想の自分を作り上げていた。

黒髪になって眉も整えて、喋り方だっていつもみたいなどもってばかりではない。

自分の中にあるヒロイン像を作り上げて、それを投影していた。


でも今は違っていた。


なぜだかわからないが、舞鶴はいつも通りだった。

ボサボサでパサパサの茶色い髪。小学生から使ってる歪んだ眼鏡。

和久井のよく知ってる舞鶴だった。

でも違う点が一つ。



禿げていた。



前髪がなかった。ところどころ髪がゴッソリ無くなっている。

でもそれに気づくのが遅れたのには、ちゃんと理由がある。


「あ……! あっ、あ!」


舞鶴は嬉しそうに光悟たちを見て、剣を構えた。

舞鶴は引きちぎった髪を集めてガムテープで頭に貼り付けていた。

そしてカモフラージュのためにテープを茶色のマジックペンで塗って誤魔化そうとしていた。


でもそんなのは無茶だ。

現にガムテープはいくつも剥がれかけており、荒れた頭皮をチラチラと覗かせる。

舞鶴にはウィッグを被るという発想がなかった。


存在を知らなかった。カツラなら知っている。

それは禿げたオッサンが被る、とても滑稽でダサいものだから、被らなかった。

堂々としていればいい。かつて奈々実にそう言われた。

そういえば最近は多様性がどうのこうのとネットで論争が起こっている。だからこれでいいのだ。


「し、し……ッ! しししし死んでぇ!」


舞鶴は嬉しそうに頬を赤らめて言った。

和久井は頭が痛くなった。

舞鶴がおかしいのは頭だけじゃない。顔も変だった。

和久井の言葉を借りるのであればヤバすぎて草である。

とにかく舞鶴の顔がヤバすぎなのだ。どれくらいヤバすぎるのかというと、大草原なくらいヤバイので、とにかくヤバイと思ってもらえばいい。


「よ、よぉ、舞鶴」


「ん」


「なに、しに、きたんだ?」


引きつった顔と、上ずった声で和久井は聞いた。


「なッ! 奈々実に会えるの! も、もう少しで! こ、こここ光悟! 殺せば! ふへっ! ひへへへはぁあぁぁ!」


「そうか。それより、えっと、顔はどうしたんだ? いつもと雰囲気違うな?」


「け、化粧! お化粧してみました! ふ、ふへへ。奈々実に会えるから、ちょっと綺麗にしようかなって。へへ、えへへ……! ぐへっ!」


舞鶴は真っ白だった。

白い肌とかそういうレベルではなく、白塗りにしていた。

和久井は昔、バカな殿様が暴れ散らかすバラエティーでケラケラ笑っていたのを思い出した。

それくらい舞鶴は白かった。首は白く塗ってないので、余計に顔だけ白いのが目立つ。


かとも思えば、顔の縁だけ黒く塗っている。

小顔に見せるためらしいが、もみあげから繋がる髭にしか見えなかった。


頬もおかしい。なぜか赤い円がある。

顔が白いから余計に真っ赤な点が頬にあるのが目立っている。

しかも左側は濡れてぐしゃぐしゃになっており、白と交じってる。


目も凄かった。

つけまつげや、アイラインだのアイシャドウだの左目に力を入れたのか、巨大に見える。

でも右目は失敗してしまったようで、それが原因で泣いたのか、もうぐちゃぐちゃだった。


口紅も同じだ。

ミスをして擦ったのか、白塗りとルージュが混じって、はっきり言うと顔全体が汚かった。


これは、どういうことなんだろう?

もしかしてイジってほしいのか? 体を張ったギャグをかましてきたのか?

和久井は本気で考えた。もしかして彼女はとても愉快な人間だったのだろうか。


舞鶴は、母親から化粧のやり方を教えてもらってなかった。

舞鶴は母親から化粧道具を一つも貰っていなかった。

だから動画を見てやった。でも舞鶴は理解できなかった。だからこんなめちゃくちゃになった。

それが悲しくて泣いてしまったから、化粧が崩れてぐちゃぐちゃになった。

顔を洗うという選択肢は頭から抜けていた。早くしないと光悟が帰ってしまうかもしれないので、とにかく舞鶴はこの顔でここまできたのだ。


「うえへへはぁははっへへへはあっぁぁははは」


舞鶴は笑った。

もうすぐに奈々実に会えるかもしれない。

それしか楽しいことがなかったから、いっぱい喜と、楽の感情が押し寄せてきているのだ。


奈々実の顔を想像するだけで、奈々実の声を妄想するだけで、自然と笑顔になれた。

もう嬉しくてたまらない。嬉しすぎてやばい。

嬉しいを通りこして頭おかしくなる。ココに来るまでに嬉ションしていた。

だから舞鶴の股は現在、ぐっしょりと濡れていた。


「あ、あの! あのっ、死んでください! そしたら奈々実が生き返るんですっ!」


舞鶴は深く、それはもう深く頭を下げて頼んだ。

舞鶴は紙袋を持っていたのだが、頭を下げすぎたせいで、傾いて中身が零れてしまった。

そもそも紙袋の口が破れていたのも悪い。ファストフードの紙袋に大切なものを入れるのはやめたほうがいい。


「なんだよ、それ」


和久井が震える声で聞いたら、舞鶴はニコニコして答えた。


「しッ! CD! お気に入りの曲を詰め込んだの! い、一緒に聞こうと思って……!」


舞鶴の好きなアニソンが13曲入っていた。奈々実と一緒に聞くのだ。

自分が好きなものを奈々実にも好きになってもらいたかった。

奈々実もきっと好きになってくれる。奈々実だから。


「今度はもっと仲良くなるの! 気持ちとかっ、曝け出して。二度と離れたくないから!」


和久井は落ちていたノートを拾った。


「そ、それ、交換、日記! ちょ、っと、ダサいかな? でも、へへ、いいでしょ。青春するの! 奈々実と一緒に。プリクラも……、とるッッ!」


「……いいと、思うぜ」


「あ、ありがとぅ。へへへ!」


舞鶴は気分を良くしたのか、サランラップに包まれた茶色い塊を見せてきた。

きたねっ、和久井は思わず口に出しそうになってしまった。本気でウンコだと思った。でもそれはチョコだった。


「と、とッ! 友チョコっていうんでしょ? これを舞鶴に食べてもらうの!!」


作ってきたらしい。

舞鶴はお母さんとも、お父さんとも、友達とも、お菓子を作ったことがなかったので、湯煎というものが知らなかった。

そもそも作ったことがなかったとしても、インターネットで調べようとする柔軟な発想も抱けなかった。


その結果、チョコは焦げ焦げだった。

でも舞鶴は満足そうに笑っていた。だって奈々実は美味いと言うからだ。


「将来は! 奈々実と一緒にケーキ屋さんをやりたいの……ッ!!」


和久井はめまいがした。

嘘だと思った。冗談を言ってるのだと思った。

でもどうやら残念なことに舞鶴は全て本気だった。


何が彼女をこうさせたのか。


何が彼女をそうさせたのか。


何が、そうさせるのか……


「はっ、はは」


乾いた笑いが出てきた。

和久井は思わず笑ってしまった。

へッたくそな化粧。

ラジカセで編集したCD。

汚い字で綴る交換日記。

将来は一緒にケーキ屋さんがやりたいだ?

テレビを見てないからだ。友達がいないからだ。価値観や、好きな人との距離の詰め方が、ずっと昔に親から聞いた情報しかない。


「はははは」


は、という文字を並べただけだった。

和久井は泣いていた。割と、本気で、バチクソに哀しかったので泣いていた。

光悟も、月神も、ルナも、離れていたところにいたパピもミモもモアも、さらにいえばアイも市江もまったく笑っていなかったが、和久井だけは笑いながら泣いていた。


「……光悟、もう、頼むわ」


ため息と共に吐き出した。


「いいんだな?」


「ああ。殺したいほど救いたい奴が出てきちまった」


変身はできないが、例外はある。

ティクスの力の一つ、虹の光に照らされれば、ただの人間も頑丈になって強くなる。

だから七色の光に照らされた和久井は、そのまま舞鶴の頬を思いきりブン殴った。


「……?」


舞鶴は白目をむいた。

けれども反射的に踏みとどまり、そのまま沈黙する。

舞鶴はわかってくれるだろうか? これはあれだ。アニメでもゲームでも漫画でもドラマでも、なんだったら実生活でもたまにあるだろう、アレだ。


叩くヤツ。よくあるヤツだ。


馬鹿なこと言わないで! とかなんとかいって、女が女をパチーンと叩いているのを今期のアニメで見た筈だ。

そういう、あるあるなヤツ。これで目を覚ましなさいという、ラブに溢れた一撃なのだ。

でも返ってきたのは感謝の言葉ではなく、肘だった。

魔法少女のパワーは強化していても和久井の骨に響いた。


「グアぁあ!」


「うぅぅぅうああああ!」


舞鶴は、倒れた和久井に馬乗りになると、ボコボコにし始めた。

鼻が折れたと思った。眼球が引っ込んで戻らないと思った。


(やりすぎだろテメェ! オレは一発しか殴らなかったのに!)


見れば舞鶴は、刀で和久井の喉を狙っていた。


「ひゃあ! やめてぇええ!!」


和久井が情けない声で静止したが、舞鶴は躊躇なく和久井を殺そうとした。

しかし銃声が聞こえて舞鶴の手から刀が弾かれる。橙に変わった光悟が、助けてくれたのだ。


「邪魔すんなよガチで殺すぞ」


みたいなことを、舞鶴がブツブツと言っているのが聞こえる。

和久井は立ち上がると舞鶴に掴みかかり、そのまま地面に押し倒した。

今度は和久井が馬乗りになる番だった。舞鶴の汚い頬に全力でパンチをおみまいしてやった。


(そうか、そうだな……!)


あまり殴り慣れてないから拳が酷く傷んだ。もしかしたら折れたのかもしれない。


(慈しみだとか、叩いた後に抱きしめるとか、そういうのじゃねぇよな!)


舞鶴は和久井を跳ね除けると、大量の折り鶴を飛ばした。

しかしそこで折り鶴たちが消し飛んでいく。

舞鶴は光悟を睨む。彼の隣にいるライガーの咆哮のせいで和久井を殺せなかった。


「なにすんの!」


光悟は何も答えなかった。そうしていると和久井は立ち上がって舞鶴の首を絞めた。

絞め殺すんじゃない。へし折るくらいの力を込めた。

和久井は舞鶴のことが好きだった。愛していた。


だから、だからこそ、今なら光悟の気持ちが少しは理解できる。

あの時、光悟はパピを救おうとした。あの立派な行動を、今なら少しは模倣できる筈なんだ。


(オレは純粋にこの女が気に入らなかった!!)


ここで舞鶴が頭突きで和久井の顔面を打った。

すさまじい衝撃を感じて和久井は後退していく。シャーッと噴水のように鼻血が出てきた。

さらに顔を殴られた。頬を抑えて苦しんでいると、腹に膝を入れられた。

息ができない。いや、そればかりが何かがこみ上げてくる。

やばい! 吐く! 和久井は吐いた。真っ赤な血が舞鶴にかかる。


「きたねぇ! 死ね! マジで死ね!!」


舞鶴は和久井を殴った。殴り飛ばした。

倒れた和久井を蹴った。転がる和久井を蹴った。

それを光悟は見ているだけで止めなかった。アイたちが再び動き出し、月神とルナとぶつかりあうなかで、光悟は動かなかった。

ただひたすらにジッと、殴られる和久井を見ていた。


「ごロズ! ゴろジデやるッッ!!」


舞鶴はキレていた。和久井の髪を鷲掴みにして引っ張り上げた。

和久井は目に青アザを作り、頬を紫色にして、鼻血を出しながら笑っていた。


「殴れよ。それでお前が少しでもスカっとするならオレは本望だぜ。へへへ」


お言葉に甘えて。

舞鶴は和久井を殴った。もう一発殴った。さらに一発追加で殴った。

和久井は笑っていたが、苦しそうな呻き声をあげはじめた。

それでも光悟は彼を助ける素振りを見せない。


和久井はそれでよかった。

和久井は舞鶴に向かって手を伸ばした。舞鶴の顔面に、和久井のど真ん中ストレートが入る。

手を見ると赤く腫れていた。舞鶴のゴミみたいな化粧がベットリとへばりついていた。汚い白色だ。和久井は呼吸を荒げながら涙を零した。


「あと、どれくらい殴る?」


無視された。代わりに舞鶴に殴られた。

和久井は大の字に倒れて動かなくなる。

舞鶴は和久井の腹に尻を乗せると、和久井の頬を殴った。


「どれだけ殴ればお前は終われるんだ?」


聞こえているのか、いないのか、舞鶴は和久井を殴った。


「オレを殴り殺して、次は誰を殴りに行く?」


殴る。


「なあ、教えてくれよ」


殴る。


「なあ。なあ……!」


殴る。


「なあッて!!」


舞鶴の拳が止まった。

ガムテープは全て剥がれ、ところどころ髪がないところが全てむき出しになっていた。

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