第三章 There

第45話 腐りかけの愛


「イキってすいませんでしたーッ!」


和久井、土下座。

するとアポロンの家のテレビが勝手についた。アダムが椅子に座って笑っている。


「もう全部アンタの言ったとおりだったわ」


『とても無様だったね。和久井閏真』


そこで和久井は顔を上げた。


「でも、まだ負けたわけじゃねぇ」


『うーん、悲しいねぇ。これは僕とキミとのタイマンだと思ってたんだけど』


「オレ屑だから。仲間と一緒にお前をボコすわ」


「いけないぞ和久井。自分を卑下するな。それにアダム、お前のやり方は間違っている。話し合おう」


画面いっぱいに光悟の顔が広がり、思わずアダムは少し後ろに下がった。

真並光悟。アルクスも知ってたし、アダムも話は聞いている。

正義にとりつかれているその姿は、まったくリアリティがない。最近のフィクション作品よりも、よほどフィクションだ。

アダムの笑みが消えた。それは一瞬だけ。だからまたすぐに笑う。


『ぬいぐるみのヒーローくんに、話を聞いてみたい』


光悟の隣で腕を組んでいたティクスがピクリと動いた。

アダムはふと、机の上にあるDVDの一つを見る。最近出た作品だった。


『最近、世界を守るヒーローが裏では悪いヤツだったなんていうジャンルが増えてる。どうやら人はキミたちの存在を信じぬくことができなかったらしい。その創作の変化、つまりは人の心の移りようを見ても、まだ世界平和のために戦えるのかい?』


『もちろんだ。どれだけ時代が変わろうとも、俺の正義は不変』


その瞳には一片の曇りもない。


『俺は、正義の道を歩み続ける』


『うーん。頭が悪いってのいうのもたまには羨ましいなぁ』


「いけないぞアダム。頭が悪いなんて人に言っちゃダメだ。ティクスに謝るべきだ」


『ふふふ。せいぜい頑張って攻略してくれたまえ。僕の作った箱庭を』


そこでテレビが切れた。月神はソファにふんぞり返りながら舌打ちをする。


「ずいぶん偉そうなヤツだね。不愉快だ」


「お前が言うのか……」


和久井がボソッと呟いたが、ルナに睨まれたので黙る。


「それにしてもお兄様。これほどまでにハートを量産できるのは――」


「始祖。ってね。隠れていたアルクスだ」


月神としては、まさか父親や祖父が自分に秘密で既に衛星やAIにマリオンハートを入れていたとは思わなかったが、オンユアサイドの件があって詳しく教えてもらった。

始祖を見つけた時、彼らは協力的だった。新しい時代の道具として生きることを拒まなかった。

しかし転生の間際、一つ警告をされた。


アルクスに気をつけろ。

ヤツだけは、まだ諦めていない。


そこで光悟は腕を組んで、フムと唸った。


「しかしわからないな。和久井の話を聞いてもアダムたちの狙いが今一つ見えない」


舞鶴への協力を拒んだのなら、この世界を維持しておく意味がよくわからない。

和久井が来る前に舞鶴たちを消化して終わらせることはできた筈だ。

にも拘わらず、この状態を続けているということは向こうの欲する何かがナナミプリズムにはあるのだろう。

分割放送とはいえ、『作品』を捕食した時点でアダムには多くの情報が獲得された筈だ。そこに何か、彼らの興味をそそる存在があったとすれば。


「それにしても腹の中か」


和久井は窓の外を見る。空も、太陽も、月も、すべて疑似的なものなのだ。

とても信じられないが、それが魔法というものだ。和久井はアダムの情報を光悟たちに詳しく伝え始めた。


「ところでオレは居場所を伝えてなかったのに、なんでお前らはココに来れたんだ?」


「伝えてくれた人がいるからな」


腕時計エクリプスには、スーツの他にもうひとつ、上の機能がある。

それが『エクリプスアクター』と呼ばれる適合システムだ。

オンユアサイドで光悟に『日曜日の魔術師』という役割が与えられていたのはヴォイスがそうしてくれたからだが、要するにそれを強制的に行使させるシステムなのである。


「でもそれは無理だからスーツに落ち着いたんだろ?」


「そう。でも機能自体は不完全ながら存在していて、それを使ったヤツがいる」


うまくいけば適当な役割が与えられて、異世界の探索がスムーズになる筈だった。


「もちろん失敗してしまった。使った人間が役割に取り込まれてしまったんだ」


おかげで本当にフィーネの登場人物としてしばらく動いていた。

しかし何とか自分の記憶を取り戻してくれたおかげで、光悟たちに自分の居場所を教えることができたのだ。


『ま、そういうことだから。和久井、アンタは一生にアタシに感謝しなさい!』


ぴょこんと、光悟の肩の上に翼の生えた猫が飛び乗る。


「お前ッ、パピか!」


『その通り! パピ・ニーゲラー様よ!』


みゅうたん1号がニヤリと笑った。




その日、パピは暇だった。

ルナと光悟は、月神のところへ行っている。

和久井に漫画を借りようと思ってインターホンを鳴らしてみても出ないし。

そうだ。アイスを食べよう。そう思って冷凍庫を見たら、何もなかった。


「し、しまった! 昨日全部食べちゃったんだ!」


辛気臭い地球だが、本当にスイーツのレベルが高くて助かる。

自分たちがいた世界じゃあんなに冷たいお菓子なんて食べたことがなかった。

そういえば今日は新作スイーツが出るとかなんとか。

よし、買いに行こう。パピはすぐに着替えて部屋を出る。


「は?」


パピはジットリとした目で和久井を睨みつけた。ちょうど家を出た時、和久井の背中を見つけたのだ。


「居留守だったってこと!? 和久井のくせに偉そうじゃん!」


パピが肩を掴むと、和久井が振り返った。


「なんだよ」


パピは何も言わなかった。和久井の目が据わってる。


「チッ! 用がないならオレは行くぞ」


「ど、どこに……?」


「どこでもいいだろ。テメェには関係ねぇ。部屋で菓子でも食ってろ」


そう言って和久井は歩き去っていったが、パピは後をつけることにした。

和久井のあの顔はいけない。あれは、かつて母が浮かべていた表情と限りなく似ている。愛と、憎悪の、表情だった。


「………」


パピは目を細めた。戦うものとしてのセンスは衰えていない。

和久井に気づかれずに尾行すること数分、和久井が株式会社跡地に入ったのを見て、追いかけようとして気づいた。

和久井の時はひとりでに扉を開いたように見えたが、自動ドアではない。

パピはすぐに中を探し回ったが、和久井はどこにもいなかった。

名前を呼ぼうとしたが、やめる。もしも自動ドアじゃない扉が勝手に開いたのが、見間違いでなければ、考えられるのはただ一つ。


「確か、こういう場合は……」


パピはエクリプスを起動して、『アクター』の項目を選択した。

月神から、実験段階だからどうしてもというケース以外は使うなと念を押されていたことを思い出したが、パピはアクターモードを起動させて、そこで意識を失った。


「なぜ、はじめに連絡しなかったのか理解に苦しむ。おかげで特定に時間がかかった」


『仕方ないでしょ! アタシに機械なんて使ったことなかったんだから! とりあえず覚えていた機能に頼るしかないでしょ! それにどうしてもってケースだと思ったんだもん!』


エクリプスアクターで強制的に異世界に入って、みゅうたんの役割を獲得したが見事に飲み込まれた。

みゅうたんが担う役割にパピが配置されるのではなく、純粋にみゅうたん『そのもの』にパピの意識が入ってしまったわけだ。

そのズレをエクリプスが自動で修正し続け、ようやく記憶を取り戻したのは、フィーネ内で和久井の母が死んだのを伝えにいった時だった。


パピの中に生まれた激しい感情がトリガーになって全てを思い出したようだ。

みゅうたんの体にはどこにもエクリプスが見えなかったが、『身につけている』という事実は消えていなかったのか、音声認識システムを起動させると、きちんと月神たちに繋がった。


「パピのエクリプスが衛星アルテミスを介し、おれたちに位置情報を送ってくれた。あとはそれをゲートにしたら、ここに来れたってわけさ」


わかりやすく言えば、先に潜入してたパピが大きく手を振って居場所を教えてくれた。

ただ今も彼女は存在がみゅうたんのままなので、人間の姿に戻れず、そうなると金魔法も使えないただの翼の生えた猫である。

かといって、みゅうたんとしての情報があると言われれば、それも微妙だった。わかることといえば飛行のしかたくらいで、みゅうたんが何者なのかはわからない。


「でもおかげで不具合のデータが取れた。会社に戻ったらさっそくアマテラスに報告して、アップグレードを図ろう」


「よかったわねパピさん! お兄様のお役に立てるなんて羨ましい!」


「うざい」


パピはそっぽを向くと、尻尾で月神の鼻をくすぐる。


「ぺちゅぷっ!」


「え? くしゃみきも」


「……虫唾が走る女だぜ。パピ・ニーゲラー」


「いけないぞ二人とも。喧嘩はよすんだ」


光悟はパピを落ち着かせるために、彼女を抱いて部屋から出て行った。

そうしているとモアが目を覚まし、ムクリと起き上がる。しばらく呆けていたが、やがてニコニコと笑い出して光悟たちにお辞儀をした。


「いらっしゃいませ。ごめんなさい。寝ちゃってたみたいで……」


モアは辺りを見回す。


「あ……」


だんだん、いろいろ思い出してくる。

死体の山であったり、見たこともない力を使う光悟たちであったり、ましてや和久井がそこにいたり。それらの存在がモアの表情筋の悩ませる。

しかしやはりこの女が選ぶ顔は笑顔であった。光悟たちがどういう存在であれ、モアは微笑んで対話しようという。


「大丈夫だよモア様、この人たち、悪い人じゃないから……」


死んだような表情のミモは、作り笑いすら浮かべる気力がないようだった。

もともと光悟たちにモアには何も話さないでくれと伝えておいた。

そんな気遣いをしてみたが、本人は生きた心地がしない。

というよりも生きていないのだから仕方ない。自分たちはフィギュアであり、本物になろうがなるまいが人間ではない。とりあえず和久井が悪人ではないということや、彼らをここに置くということだけを簡潔に伝える。


「そうなんだ……。子供たちは?」


「公園で遊んでる」


「じゃあわたしは、お祈りをしに行こうかな」


「まだ寝てたほうがいいってば。ほら! お部屋にいこ!」


モアは何かを言いたげだったが、ミモに引っ張られて自室に連れていかれた。

モアの部屋は何もない。とにかく何にもない。テレビもなければ本棚もないし、窓を覆うカーテン以外にただ一つ、ポツンとベッドがあるだけだ。


「ありがとうね」


ベッドに入ったモアが微笑む。ミモは顔を赤くした。


「……うん。お休み、モア様」


ミモはその後、吸い寄せられるように礼拝堂へやってきた。

神を信じているわけじゃない。ただ何となく、モアがいつもいる場所に行きたくなった。するとそこには先客がいた。光悟とパピだ。


「……パピ、俺はいつまでこうしてればいいんだ?」


『ずっと』


光悟は困ったような顔をして、猫になったパピを撫でていた。


『もっと包み込むように抱いてよ』


「すまない。ペットを飼ったことがないから抱き方がわからないんだ」


『むふーっ』


光悟の腕の中でパピは満足げにお腹を見せた。

しばらく撫でられていると、パピは光悟の頬を舐めはじめた。ザラついた感触を頬に感じて、光悟は肩を竦める。


「お、おいおい」


『猫だもん』


「確かに体はそうだが……」


『にゃーん』


ペロペロと楽しそうに舐めている。

邪魔しちゃ悪い。ミモは家に戻った。そこで廊下に立っているルナと目が合う。


「あら、ミモさん。随分と酷い顔よ」


「………」


ミモは大きなため息をついて、親指で風呂場を指した。


「あたし、お風呂マジで好きなんだよね」


断られるかと思ったが、意外にもルナは一緒にお風呂に入ってくれた。

それほど広くない浴槽で二人は肩を並べる。

裸の付き合いは武器を持ってないのがわかるからいい。

それになによりも、相手の肌にネズミが住めそうな穴が開いていないのがわかって、とてもいい。


「てか待って。え? マジで肌、奇麗すぎてヤバッ!」


「当然だわ。よくて? ノブレシュオブリーシュ。美しいお兄様の隣に立つなら、私も美しくなくてはならないの」


「そんなに月神が好きなの? 確かに顔はマジで奇麗だけど……」


性格がカスそう。ミモはその言葉をごっくんと飲み込んだ。


「ええ。お兄様はどんな男性よりも魅力的だわ!」


「ヤバいね。じゃあ今はお兄どころで恋人とかいないんだ?」


ルナは事情を説明する。自分たちもまたミモと同じようなものだったと。


「だから血が繋がっていないというわけね。お兄様専用として雑に扱われるもよし、大切にされるもよし。あぁ、想像しただけで滾ってしまうわ!」


「キモ」


ルナは手でお湯をバシャバシャとミモにかけだした。悲鳴を聞くと満足そうに微笑む。


「そういうわけだから、少しは貴女の苦しみが理解できてよ。まあホムンクルスは人間と構造は変わらないから、少し嫌味に聞こえるかもしれないけれど……」


「あー、メッチャ気を遣われてるじゃんね、あたし」


そもそもルナたちがミモに構う必要なんてない。

それでもこうして隣にいてくれるという優しさは理解できる。


「なんかもうマジでやばくて……、本当にしんどい」


全部が嘘です。みたなことを言われたら、どんな顔をしていいかわからない。


「もちろんマジで悲しいし、マジでむかつくし、マジで怖いし、マジで苦しい。でもどれかが爆発的に前に出ようとすると風船が割れたようにフニャフニャになっちゃう。実感が湧いてないのかも? それか……」


ミモは自分の過去をルナに話し始めた。

こんなこともあろうかと、お湯はぬるくしてある。のぼせる前には終わる筈だ。

この時ばかりは同情してほしかった。だから話が終わった時、ルナが「辛かったわね。よく耐えたわ」と言ってくれたのは素直に嬉しかった。


「マジやばくない? ガチでやばいよ。でも結局それがウソなら、少しは救われたのかもね。だってパパも、ママも、弟も、あんなマジでバカみたいなことで苦しんだ人間なんていなかったんでしょ?」


それは違うと、ルナは首を横に振った。


「貴女の苦しみは本物よ」


「!」


「それにハートがなくても、ここにいる人たちが生きていたという考えも肯定されるべきだわ。かつての光悟さんがそうだった」


「でも、それじゃあ辛すぎるよ。帰ってくるチビたちに、あたしはどんな顔をすればいいわけ? ルナたちはあの子たちも助けてくれる? ちゃんと肉体を与えてどうにかしてくれるの? ガチで無理でしょ?」


「それは……」


「あぁ、ゴメンゴメン。あたし超絶重かったね。ごめんマジで」


ミモはバチャバチャと顔を洗った。


「さっき礼拝堂行ってみたらさ、光悟とみゅうたんがイチャついてた。ふふふ、マジでウケるよね」


「パピさんね。あの子は光悟さんに夢中なのよ」


「なんか、メッチャ羨ましかったなぁ。あたしね、モア様が好きなの。ライクじゃなくて、ラブ的な意味で」


「へぇ、そうなの」


「キモイよね?」


「いいえ。ぜんぜん」


「……ありがとう。でもたぶん無理! モア様はあたしだけを照らしてくんないよ」


「あら。どうして断定するのかしら?」


「なんとなくわかるの! 正直さ、ずっと前からあたし死にたかったんだよね。どーせモア様とは付き合えないし。チビたちだってアレなんでしょ? だから、うん、もういいや! べつにいい! あたしのことは気にせず、なんかいろいろやっちゃってよ。あたしはもういいから。魂だけ抜けるんでしょ? なんならもう今パパーッと抜いてくれていいからさ! マジで!」


「……モアさんはどうなるの」


「後で伝えてよ。モア様は押しに弱いから、魂くれって言ったらくれるよ。あの人はそういう人だから。あたしはそういうの、あんまり好きじゃないから、なるべく変えてあげようとしてたけど、やっぱりダメで。ムリで。だからもういいよ」


「それでも、想いを秘めたままだなんて、気持ち悪くないのかしら?」


「告っても拒絶されたりしたらどうすんの? 激ヤバじゃん。だいたい上手くいったとしてもどうなんの? この世界は嘘だから、ルナたちの世界に行くわけだよね。人形が暮らしてるのってヤバくない? キモいでしょ。そういうワケだからマジでいいんだってば。そもそもさ、あたしとモア様はタイプが違うから上手くいっても合わないって。だいたいモア様はきっと普通に男の人が好きだよ。たぶん。だからあたしなんか――」


「くだらない」


「え?」


そこでルナは一気に立ち上がった。

あまりの勢いにお湯が跳ねて、ミモの頭に降り注ぐ。腕を組んで仁王立ちのルナは、そんなミモを激しく睨みつけた。


「くだらないわ! ええ。さいッこうに! くだらないッッ!」


「な、なに!?」


「さっきからダラダラダラダラ! ダラッダラッと! よくて?」


まっすぐに、ただまっすぐにルナはミモを見ていた。


「舐めたいか舐めたくないか! それだけでしょう!?」


「……ん? はい? どゆこと?」


「モアさんのこと、舐めたいかと聞いてるのよ!」


「……いやっ、べつに舐めたくは」


「お黙り!」


「ひぇ!」


「愛に言い訳をするくらいなら! 一秒でも自分を磨いて自信をつけなさいッ!」


「は、はい!」


「よろしい!」


お風呂を出てしばらくしたら、ルナがミモを外に連れ出した。

夜風がルナの美しい緑色の髪を揺らす。

家ではライガーたちが子供たちのごはんを作ってくれている。

ロボットがエプロンをしている姿はシュールだったが、スパーダのコンピューターには超有名シェフのレシピが入っているらしく、料理の腕は凄まじいようだ。


「ごめんねルナ。いろいろ」


「いいのよ。どうかしら? 少しはふっきれて?」


ミモがなんと言おうか迷っていると、上から声がした。


『たとえ幻であっても、美しいと思う私の心に嘘はない』


ルナのパートナー。

猫のぬいぐるみ、シャルトだ。ベランダの手すりに座って空を見ていたようだ。


『これはこれはお嬢様にミモ様。今宵の月は特別いい。よければどうですかな? それとも、お邪魔であれば部屋に戻りますが』


「いえ。そうね、シャルト。以前私に話してくれた絵描きの話を、ミモさんにも聞かせてあげてほしいわ」


『よろしいですとも。アマンダ、私の世界にいた放浪の絵描きだが、私は彼女のファンだった。もっとも、絵よりも詩のだがね。彼女の絵は私には理解できない。まるで子供のおねしょのようだったから。それよりも彼女の情熱が込めれられた言葉のほうがよほど耳に馴染んだ』


――彼女は毎月の23日に詩を発表した。私はそれが楽しみだった。


だが9月の23日、詩はこなかった。


アマンダは自殺したのだ。恋人を殺されたからだ。

恋人の名はフランソワ。彼女が殺された理由はただ一つ。


『瞳が、赤い色をしていたからさ』


多くの人間が、自ら死を選んだアマンダのことをバカだと言った。「恋人が殺されたくらいで」と。

確かに私もそう思った。むしろ今でも思っている。彼女は幼かったのだと。


だが、アマンダにとってはフランソワこそが世界だった。

絵も詩も心臓にはなれなかったのだ。それを理解した時、私はアマンダが自殺する前から、既に死んでいたのだとわかった。

魂が死んでいると決めたのだから、後は肉体が生きていようが死んでいようが同じことだ。私にできることなど何もない。

死人は詩を詠えない。


『ミス舞鶴も、同じことだとも』


「え?」


話の内容もだが、唐突に舞鶴の名前を出されてミモは怯んだ。

しかしそれが言い間違えのように、シャルトはすぐにアマンダに話を戻した。


『理由は目の色だけだったというのに、アマンダは恋人のフランソワが死ななければならなかった理由を毎夜毎夜一つず追加していった。これを哀れと言わずになんと言えばいいものか……』


シャルトは悲しげに目を細める。


『話はこれで終わるが、いかがかなミモ様。どうか思ったことを素直に教えてほしい』


「そ、それはなんか、マジでかわいそうだなぁって……」


悲しそうにしているミモの顔を見て、シャルトは少し嬉しそうに微笑んだ。


『それでいい』


「え?」


『そう思ったなら、それでよいのだ』


どうしてシャルトは嬉しそうにしたのだろう?

ミモは考えた。そこでシャルトが舞鶴を持ち出したことを思い出す。

話自体は理解できたが、正直シャルトやルナが自分に何を伝えたかったのかは難しくてよくわからなかった。困っていると、ルナがほほ笑む。


「心は、なんと?」


「え、えーっと、やっぱりかわいそうだったし、残念かなって……」


死ななくてもいいのに。力になれることがあったら、なってあげたい。そういう感情がミモの中にはあった。

ふと気づく。どうやら舞鶴にも今の話に通ずるものがあるらしい。

そうか、そうだ。だから彼女はきっと和久井はハメたんだ。

理由は蘇らせたい人のため。舞鶴はそのために頑張って、でもなんか空回りしてる。


「あぁ、あー……、ああ」


ミモはしゃがみこんだ。

そういえば一応、舞鶴のこと友達だと思っていたっけ。

きっと何か、まだあるのだろう。まだ続くのだろう。いろいろと良くないことが。


「あたしさ、からあげ得意なんだ。舞鶴にも食べさせてあげたい」


「?」


「よし、よし! よしッ!!」


ミモは立ち上がると、シャルトを見る。


「その人たちさ、どうして女の人同士で付き合ってたんだろ?」


『アマンダは愛した人が男ならば男を愛したことになるし、女だったら女を愛したことになると言っていたようだ。フランソワはそういった経験は全くなかったようだが、こう言っていたらしい』


シャルトは少し間を置いた。


『私は、彼女の心に恋をしたのだと』


ミモは何度か頷き、そして笑った。どうやらまだ生きる理由が少しある。

そのほんの少しがあると死ぬ選択は取れない。他にやることもないし答えは一つだった。


「よくわかんなけど協力するよ。あたし、舞鶴はなんかやっぱほっとけないわ」


そしてルナに囁いた。


「モア様のことも、諦めるのは、もうちょっとやめとく。考えてみればあたしって結構マジで可愛いし、いけそうな気がしてきたわ」


「ふふふ。頑張りなさい。前にお兄様とキスしたことあるんだけど、あれはやっぱりよかったわよ」


「ガチ!? マジで? ど、どんな感じだった?」


「舌を絡ませるの。あれはトブわよ! じゅるるる! ニチャァア……! ほほほ!」


「キモ」


ルナは怒っていたが、ミモは笑っていた。





和久井は血走った目をギラギラと光らせながら、歯を食いしばっていた。

唇の端からは涎がダラダラと垂れている。まさに獣だ。和久井は少女に馬乗りになって、ただひたすらに暴力をふるっていった。

拳が柔らかい頬にえぐりこみ、きれいな鼻をへし折ろうと降り降ろされる。


「ぶぉ! べげッ! やめで! おねがいッッ!」


必死に助けを求めるが和久井は止まらない。ただひたすら少女を殴っていった。


「だずげで! おねえぢゃんッッ!!」


青く腫れあがった顔の妹と、イゼは目があった。

そこで目が覚めた。イゼは呼吸を荒くしながら体を起こすと、額に滲んだ汗を拭う。



朝。アポロンの家では、みんなが集まってごはんを食べることになった。

スパーダが作ったフレンチトーストとハムエッグを、みんなのお皿に入れていくなかで、子供たちはテレビを見ていた。

フィーネ専用チャンネルのニュース。警察が和久井と舞鶴の情報を提供するように訴えている。


「ねえお兄ちゃん。悪い人なのー?」


男の子に指をさされて、和久井は腕をブンブンと振った。


「ちげぇよ。オレはハメられたかわいそうな男なんだ。本当なんだ」


和久井は自分の右腕を見た。

昨日、光悟に頼んでみた。ティクスを――、つまりプリズマーを貸してくれないかと。

今の和久井は無力だ。だが力さえあれば何かを変えられると思った。光悟だってティクスがいなければパピを救うことはできなかった筈だ。


「かまわないぞ。やってみてくれ、ティクス」


『ああ。光悟くんの友達なら俺の友達だからね』


その言葉は嘘じゃない。

和久井は光悟の部屋にも何度も来ていたし、ティクスはずっとそれを見てきたので、よくわかっている。

こうして和久井が右腕にプリズマーをつけた時、バチッと音がして衝撃と共にプリズマーが腕から引き剥がされた。

光悟もティクスも無表情だったが、目を逸らしてくれたおかげで何となくわかった。


全部教えろと詰め寄ると、隠さずに教えてくれた。

極光戦士ティクス第10話で、強盗犯が主人公からプリズマーを奪って変身しようとしたが、和久井と同じことが起こって失敗に終わった。

その回では、こう説明されている。


「心が濁っている奴がプリズマーを使おうとすると今みたいに弾かれる」


「………」


「大丈夫。普通の人間でも変身できない。変わることができるのは、清く正しい心を持っていないとティクスにはなれないんだ」


聖人マウントを取られた。非常に不愉快である。

しかしまったくもって心当たりが多すぎる。認めよう。濁りきってますと。


とはいえ月神やルナも変身できなかったという。

酸いも甘いも、清濁併せ飲んでこその人間というものだ。ティクスに変身していた人間はフィクションだから許されたわけである。

だからこそやはり光悟はおかしいヤツなのだと、和久井は改めて思った。

そして今に至る。和久井は大きなため息をついた。


「男子キッズたち。お前らも将来、女には気をつけろよ。世の中にはメンヘラ地雷クソ女っていうとんでもないヤツが存在してだな……!」


「ねえちょっとやめてよ! そんなことを教えるの!」


ミモが和久井を睨みつけ、オレンジジュースを前に置いた。

そのまま飲み物を配り、最後は紅茶を置く。

ルナはティーバッグを入れたままのマグカップを見つめながら、口をつけた。


「安いお味ね」


しかしニヤリと笑った。


「でも悪くないわ」


ミモも微笑み、ルナの隣に座る。

月神がまだ寝ていることを確かめると、小さな声でルナに話しかける。


「ねえねえ、月神って嫉妬とかすんのかな?」


「どうかしら? 意識したことはなかったけれど」


「なんかさぁ、昨日寝る前にいろいろ考えたんだけど、好きな人に嫉妬してもらうのってよくない?」


モアに嫉妬してほしい。

昔はなんとなく羨ましがってくれたのかな? なんてことがあったみたいだが、最近はどうにもニコニコと笑顔ばかりで感情がわからないと。


「モア様もいろいろあったから。なんかこう、むき出しの感情をさらけ出してほしいんだよね。パッションっていうんだっけ?」


昨日の夜、シャルトは舞鶴の名前を出したが、ミモはそこにモアも当てはまるような気がしていた。

デリケートな内容のために勝手にモアの過去を話すことはできなかったが、ルナは察してくれたようだ。


「アダムはマリオンハートの成長が完全なものになるには心が突き動かされる何かが必要だと言っていたらしいわね。確かにそれは、お祈りばかりしていたのでは獲得できないかもしれないわ」


とにかく、いろいろやってみるといい。それがアドバイスだ。

生まれてしまったものは仕方ない。このままアダムに消化されるよりは、本物になって外に出たほうがずっといい筈だ。


「ん! あと、今日さ。イゼさんと話してみる。あたしたちのことを話せば、きっと協力してくれるよ。今はちょっと荒れてるけど、あの人も相当なマジメ人間だから」


イゼのことを説明すると、ルナはパンを食べていた光悟を見る。


「似てるわね。光悟さん、貴方に」


光悟も、この前、迷子を連れて母親を探しまわっていた。

結果として、誘拐犯に間違われて警察に連れていかれた。


「……誤解は解けたんだから、いいさ」


「げー、すごいねマジで。仲良くなれるかもよイゼさんと」


確かに光悟との共通点はある。それを聞くと、光悟は何かを考えているようだった。

そこでルナはニッチャリとした笑みを浮かべる。


「ところでミモさん。貴女さっき嫉妬されたいと言ったけれど、嫉妬するのもなかなか悪くないわよ。もちろんそれは良質なものでなければならなくて、たとえばお兄様と光悟さんが仲良くしているなかでお兄様が私に見せてくれないようなお顔をされると、私のなかで嫉妬の炎がメラメラと燃えていくのだけれど、それはそれでアリというか。むしろ私のなかで激しい何かがムラムラと湧き上がっているのを感じるの。だからできれば何かの間違いで一度だけでもいいから光悟さんとお兄様の舌同士がぶつかるなんてことがないかしら。そしたら私は光悟さんを殺したくなるのだけど、同時によくやってくれましたという称賛の感情も湧き上がるはず。ああ、そうしたらお兄様はどういうお顔をされるのか想像しただけで――ッ! ウッッ! ごめんなさい。興奮しすぎてしまったわね。一度紅茶を飲んで落ち着くわ。じゅるるるるるる! じゅぼっっ! じゅば!」


「キモヤバ」





休校になった学校。

美しい金髪の長い髪は、とてもよく目立つ。ミモは大きく手をふって近づいた。


「あのさ! イゼさん! ちょっと話が――」


それは、いきなりだった。

イゼは駆け寄ってきたミモの首を掴み、近くの壁に叩きつける。


「がはっ!」


「おい! 貴様ッ! 昨日は和久井たちと共に去っていったな! 匿っているんだろう? さっさと居場所を吐け!」


イゼの表情は鬼気迫るものだった。ただならぬ雰囲気から相当な怒りと焦りを感じる。

しかも質問しているくせに、首を強く掴んでいるからミモが喋れない。


「やめてください!」


モアがイゼを突き飛ばす。地面に膝をついたミモの肩に、モアの手が触れた。


「げほっ! うぇ! あ、ありがとうモア様!」


「うん。大丈夫?」


モアはにっこりと笑う。


「あれ? でもどうして? ついてきてくれたの? ごほっ!」


ミモは、一人できたと思っていた。


「うん。ミモちゃんが危ないかもしれないって、アイちゃんが教えてくれて」


アイ? なぜ彼女が? そうは思った時、電子音が聞こえた。

イゼがモスマンを装甲に変えている。モアはすぐに両手を広げてミモを庇うが、イゼはそれを見てもまだ剣を収めない。


「止めるなシスター! 神が泣くぞ!」


「?」


「もう後戻りはできない。たとえ裏で糸を引いているものがいたとしても、和久井がスイッチを押したのは事実だ。どれだけ白に近くとも、もはやヤツの存在は残されたものを苦しめる毒でしかない!」


「落ち着いて。ね? 紅茶でも飲んでゆっくりお話しましょう?」


モアは穏やかな笑みを浮かべたが――


「ヘラヘラするな! ふざけてるのか!」


「!」


「死んでいったものたちや、その家族たちの前で同じ顔ができるのか!」


モアの表情が歪む。神が泣く、その一言が異常なまでに耳にへばりつく。

汗が滲んできた。呼吸が荒くなる。真っ青になったモアは迷っていた。

ミモは何も言えない。イゼには全ての事情を話すつもりだったが、なぜだかアイがモアを呼んでしまったため、なかなかマリオンハートの話題に切り出せない。


モアにも話すか?

一瞬そう思ったが、すぐに首を振った。

きっとすべての秘密を知ったらモアは凄まじいショックを受けるだろう。

それはもちろんイゼもだろうが、ミモの優先順位は常にモアのほうが上だ。

モアを、苦しめたくない。


「ッ?」


バチっと音が聞こえた気がする。

モアの顔から笑みが消えたことと関係があるのだろうか?


「失礼しました」


平坦な声色だった。モアは真顔でイゼをジッと睨む。


「ですが闇雲に戦うのが正しいとは今でも思っていません」


「何が闇雲か。悪を殺す! これほどわかりやすいことがあるか!」


「そうですか。では私は貴女を止めません。イゼさんはイゼさんの好きにしてください」


そこでモアは背後にネッシーを召喚する。


「でも、ミモちゃんや施設の子を傷つけるなら、私は貴女を許さない」


「……見損なうなシスター。私は常に、正義のために動いている」


イゼはアポロンの家を目指すため、踵を返した。

しかしそこで動きを止めた。前からスーツ姿の光悟が歩いてきたからだ。


「貴様……ッ!」


「俺の名前は真並光悟だ。安槌イゼ、変身を解除してくれ。話し合おう」


「その必要はない。和久井はどこだ。今すぐに答えよ!」


「悪いが言えない。話を聞いてくれ。とても大事な話だ」


「話す必要はないと言っている!!」


イゼが加速した。光悟は動かない。だからイゼの剣が光悟の腹部を貫通した。


「なに――ッ?」


驚いたのは他でもない剣を刺したイゼ本人だった。

すぐに剣を引き抜く。気持ちの悪い違和感だった。

光悟は避けようともしなかったし、刺された時もわずかに眉を動かすだけだった。

イゼは持っていた剣を見る。べっとりと血がついていた。刺された光悟は膝をつき、口から赤い血を吐き出す。


「……落ち着いたか? 安槌イゼ」


イゼは呆気に取られていたが、すぐに鬼気迫る表情を浮かべ、加速した。


「マジやめてって!」


ミモが変身して光悟を庇いに走ったが、もう遅い。

イゼは高速移動で光悟の前にやってくると、剣を振り上げた。


「和久井の味方をしようとするお前たちも、人殺しの仲間だ!」


一瞬だけ、イゼの前に過去が広がり、そこに妹のナナコがいた。


『お願い。おねえちゃん』


いつかの病室で、妹は泣いていた。


『この世界には悪い人が多すぎるの。そしてそれを庇う人もね。どうかお姉ちゃんの力で、そんな悪い人が現れないような社会を作って……!』


そうだ。ナナコのためだ。イゼは躊躇なく剣を振り下ろした。


「こちらも、もうッ! 引くわけにはいかんのだ!」


だが、剣が光悟に届く前に、鞘に入った日本刀が高速回転しながら飛んできた。

刀はイゼの剣にぶつかり、光悟から大きく逸らした。

そこで別の刀が飛んできてイゼの体に直撃する。これも鞘に入ってはいるが、猛スピードでぶつかってきたため、凄まじい衝撃と痛みが走る。

しかしイゼは踏みとどまり、刀が飛んできた方向を睨んだ。

三本目の刀が飛んでくる。それを剣で弾き飛ばすと、刀は空中を大きく旋回して持ち主のもとへ戻っていく。


「相変わらずだね真並くんは。わざと刺されるなんて、おれにはとてもできないよ」


歩いてきた月神が持っていたホルダーに、三本の刀がセットされていく。

空からは虹色の薄明光線が降り注ぎ光悟を照らした。傷が治っていくのを見てイゼは再び走り出すが、同じくして月神がホルダーを前にかざしていた。

セットされていた三本の鞘から同時に刀が射出され、月神の意思一つでイゼに向かっていく。


イゼはそれらを剣で弾きながら前進し、方向を変えて戻ってくる刀の間を縫うように移動すると、あっというまに光悟の前にやってきた。


だが、しっかりと月神もイゼの傍に張り付いてくる。

イゼが剣を振るうと、月神はホルダーにセットされた三つの鞘でそれを受け止めた。


「すまない月神。傷が深くて治癒に時間がかかりそうだ」


「心から感謝してほしいもんだ。キミのわがままに付き合うのは、いつも疲れるぜ」


そういうと月神はイゼを蹴った。

イゼは少し後退し、すぐに振り返る。背後から飛んでくる刀を高速移動で回避していくが、いくら体を反らして避け続けたところで、月神が目視している以上、永遠に刀は張り付いてくる。

イゼもそれを悟って、マントから衝撃波を発生させることで纏わりつく刀を吹き飛ばした。できるだけ刀を月神から離して、戻ってくる前に本体を叩こうというのだ。

粒子を巻き散らしながらの高速移動。イゼの突きがピンポイントで月神の心臓を捉えた。

しかし月神の姿がぐにゃりと歪む。

そうだろう。なんとなくそんな気はしていた。

イゼは勘を頼りに、後ろに剣を振るうと、剣とホルダーがぶつかり合う。


「厄介な力だ!」


「鳴神流四式・幻狼斬げんろうざんによって、キミはおれの幻を斬ったのさ」


イゼはそこでマントを広げた。眼状紋が光り、より多くの粒子が放出されていく。

しかし月神の手に、雉神が封印されている『雲雀坂』が戻った。

刀を振ると月神を中心にして竜巻が起こり、粒子は吹き飛んでいく。

月神は刀から手を放し、バックステップで後ろに跳んだ。


残った刀は落ちていくが、地面に触れる前に制止して、そのままイゼに向かって飛んでいく。

イライラしたように、イゼが剣を構える。そこで月神はあえて刀のスピードを遅くした。

ビュンと飛んできた刀が、自分の前でいきなりスローになる。

イゼはその速度差に混乱し、明確な迷いを見せた。

そこで月神は刀の速度を一気に上げる。目にもとまらぬ速さで動き出した刀に、イゼの反応が遅れる。


「ぐあぁ!」


なんとか剣を合わせることはできたが力が籠められなかったため、ぶつかった武器が互いに弾きあい、イゼの手から剣がすっぽ抜けた。

月神はそれを見て猿神が封印された『沢渡三条』を抜刀する。

するとどうだ。刀を払うと、衝撃波と共に光の粒子が散布される。


「そんな馬鹿な! この力は!」


イゼはマントで自分の身を守る。

マントに付着した粒子はやはり爆発を起こしていった。


「鳴神流。肆式『猿真似』は、相手の攻撃を、そのままおれが使うことのできる技だ」


イゼからしてみれば光悟を守る月神も悪だ。

悪人に自分の力を使われるのは、非常に腹の立つ話だった。

イゼは再び粒子を散布させる。するとキラキラと光る粒子の向こう側にイゼの姿が浮かび上がってきた。


あっという間にイゼの周りに、イゼが四人も現れる。

魔法粒子が生み出した分身体だ。五人のイゼは同時に走りだし、散り散りになる。

一瞬で月神を囲むが、月神は鞘に収めていた月牙に手をかけた。

イゼたちが月神を突き殺そうと動いた時、空間に一本、白い線が浮かび上がり、イゼたちは吹き飛んだ。


「鳴神流三式・白線はくせん。広範囲の居合斬りだけでなく、斬撃をその場に留まらせておくことが……、まあいいか」


月神は立ち上がったイゼに向かって歩いていく。

切りあう二人はやがて、橋の上にやってきた。下にはフィーネに作られた人工の川が流れている。


「そろそろ飽きてきたな。ゲームは終わりにしよう」


「なんだと!」


月神が沢渡三条の剣先で『煙』という字をなぞり、そのまま刀を振ると、瞬く間に煙幕が張られてイゼの視界が煙で覆われる。

マントで風を起こそうとしたが、それよりも早く聞こえた風を切る音。

気づけば鞘に収まった月牙がそこにあった。


「ぐっ!」


胴体に直撃。さらにこれまた鞘に入った沢渡三条が飛んできて肩にぶつかる。

大きくよろけて後ろに下がっていくイゼ。一方の月神は腰を落として構えている。風が結った長髪を揺らし、雲雀坂を握った腕に力を込める。


「飛翔せよ雉神!」


鞘から刀を抜くと、無数の羽が散る。

そして煙を切り裂く一陣の風と共に巨大な雉の形をしたエネルギー波が発射された。

鳴神流砲帝式、五式・覇空はくう飛翼裂斬ひよくれつざん

放たれた雉神は一瞬でイゼに直撃すると、凄まじい風と衝撃を与えた。


「うあぁぁああ!」


イゼが橋から下に落ちていく。川に着水すると、そのまま流されていった。

月神は手すりにもたれかかり、下を覗く。激しく流れる川の水面に、大きな背ビレを見つけた。

水の中に落ちたイゼにスパーダがコバンザメ型のロボットをつけたようだ。

あれを身に着けていれば水の中でも呼吸ができるようになり、体温も一定に保たれるので、気を失っていても大丈夫というわけだ。


「かつての俺を見てるようだな」


月神の隣に光悟がやってきた。

まだ少し痛むのか腹を抑えていたが、傷そのものは完全に塞がっている。


「だったら困るね。それだと次に負けるのはおれになる」


「……少し気になったんだが、たまにイゼの装甲から火花が上がっていた。トワイライトカイザーで調べてみたが、あの身に纏っているユーマとの適合率が低くなっていた」


「へぇ、ますますデジャブを感じるね」


かつて月神が光悟に負けたのも、柴丸との考え方の相違による適合率の低さが原因だった。

ユーマに意思があるのかは不明だが、イゼとモスマンの間にも何かしらの亀裂が入っているのかもしれない。

光悟は腕を組んで川の果てを見ていた。


やがてイゼに張り付いていたコバンザメロボの反応がロストする。

どうやら誰かがイゼを拾い上げて、ロボットを破壊したようだ。




「!」


ソファの上で目覚めたイゼは、体を起こし、自分の姿を見て怯んだ。

何も着ていない。布を被せられていただけだ。

戦士として生きてきたが恥じらいはある。イゼは腕で胸を隠して辺りを探る。


「なっさけねぇな! サムライガール!」


「室町……! お前が助けてくれたのか!」


「裸にしたのは悪く思うなよ。濡れてたから拭いてやったんだ。ほれ!」


「む!」


アイが温かい缶コーヒーを投げてきた。

イゼはそれをキャッチすると、礼を言ってプルタブを開ける。


「寒ィか?」


「いや、不思議と」


「テメェにくっついていたロボットのおかげだろうな。しかしありゃナニモンだ?」


イゼは缶を握りつぶす。

中から熱いコーヒーが飛び出してきて、イゼは思わず缶を落とした。


「おいおい、情緒ヤベェな。大丈夫かよ」


「す、すまん。ソファを汚してしまった」


「べつにいい。見ろ、もともときッたねぇ部屋だ。それよか、あんまん食うけど、テメェも食うか?」


「別にいらな――もがッッ!」


アイは強引にイゼの口にあんまんを押し込むと、隣に座った。


「らしくねぇんじゃねぇの? 魔法少女の中でも一番の実力者が、無様なもんだぜ」


「まいった。反論の言葉が見つからん」


イゼはあんまんをモグモグと食べ始めた。


「焦っているのやもしれん。私は正義でなければならない。正義を執行できなくなった私は……、不用品だ」


ずっとそう言われてきた。

それほどまでにイゼは妹のナナコよりもモスマンとの適合率が劣っていた。

もしもナナコの体がほんの少しだけ丈夫なら、多くの人を助けられた手前、どうしても怒りの矛先がイゼに向いてしまうのは仕方ない。


「だが正しく生きていれば私を評価してくれる人間が現れた。そしたら私は取りこぼしてしまった命から目を背けることができる」


ありがとう。助かった。またよろしく。

そうやって欲されることがイゼの自尊心を満たしてくれる。


「正義の魔法少女、安槌イゼであれば評価され続けるのだ。安心感があったほうが気持ちよく眠れる」


そこでイゼはポツリと言葉を漏らした。


「賢い生き方は……、難しい」


倒してきたパラノイア。それがすべてだった。

イゼを凄いと言ってくれる人間は周りに沢山いるが、友達は一人もいない。


「私は不器用だから上手く生きられぬのだ。正しく生きていれば少なくともその間は、みんな私を好きでいてくれる。もちろんそれを利用しようとする悪しき人間もちらほらはいたのかもしれないが、やはり多数は私を支持してくれる。みんなを守ってあげる正義の魔法少女でいる限りな」


イゼは臆病な女の子だった。

本当は化け物なんかと戦いたくなかった。

お家でパパとママとお祖母ちゃんと一緒にゲームをしたり、絵本を読んでもらったり、妹とお人形で遊びたかった。


でもイゼの母は二人しか生んでいなくて。

もう一人はとても強くなれる筈なのに体が弱いから戦ったらすぐに死んでしまう。

戦わなかったら地球に住む人間が困ってしまうから――


「私が、やるしかなかった」


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