第44話 欠けたものを賭して
若気のいたり。トガッてた。バチバチだった。
結論、イキってた。そんな時期が人間にはあるものだ。
たとえば主に。威嚇の意味で髪を派手な色に染めてみたり、教師や親に反抗してみたり、バイクを盗んでみたり、喧嘩の日々に身を投じてみたり。
それはとてもよくないことだが、だいたい十年もすれば『僕にもそういう時期がありました』となって、まっとうに生きようとする。
そういう――、ある意味ひとつの青春の形には、やはりどこか魅力があってドラマや漫画の題材になったり、更生できた場合は人間の魅力の一つにもなったりもする。
和久井はそれがオタク。
ネットだと陰キャだのと呼ばれる人種にも訪れるものだと思っている。
授業中にこそこそ漫画を読んだりゲームをしてみたり。
やたらグロテスクなものを語りだしたり。
ロリコンを自称したり。
声優にゴミみたいなリプを飛ばしてみたりと、頭がおかしいと思われるのが嬉しいのだ。
人間にはきっとそういうマイナスがプラスに思える時期がやってくる。
和久井にも一つあった。アニメの女の子に病的なほど本気で恋をしてみることだ。
むしゃくしゃした時、人は自分の闇を直視したくなる。和久井にも何か周りからみたら異常な何かが欲しかった。
でもそれにはゴールがない。だから途中でほどほどになって、飽きたりする。
和久井がそうだった。
本当は舞鶴よりもお気に入りのバーチャル配信者と付き合う妄想をしたほうが楽しかった。
なんだったらよく行くコンビニのバイトガールとのラブロマンスを妄想するのがトレンドだったりもする。
でも舞鶴が本当に動いているのを見てから、和久井は本当の意味で彼女のことが好きになった。
だが、それがどうしたというのだ。彼女はもう動かない。
だから今日も浅い距離を取って寝る。
『………』
どれだけ時間が経ったろう。
ある日の夜、舞鶴がまばたきをした。
(………)
フィギュアが、動いた。
(やった!!)
やった! やった!! やったッ!!
(成功したッッ!!)
舞鶴は思わずよろけてしまい、すぐにポーズを取り直した。
和久井を見る。彼はスヤスヤ眠りこけていた。
まさか成功するとは。舞鶴は手を握って、開いて、握って、開く。
そして小さく呟いた。
「ばーか」
声が出る。彼女はニヤリと笑った。
はじまりはオンユアサイドでの戦い。
あの時、舞鶴は集めたマリオンハートをティクスに渡したが、なんとなく、本当になんとなく、サンダーバードに問うてみた。
ほんの少しだけ、魂、食えない?
パラノイアから排出されるソウルエーテルもジャンルは『魂』だ。
あれを食らうことのできるサンダーバードなら、マリオンハートをほんの少し頂戴できないかと。
そうしたら、喰えた。
ほんの少し、本当に微量な量だったため舞鶴は動けなくなって、傍から見たら全ての魂をティクスに渡したと思われるだろう。
だがマリオンハートは時間と共に増えていくそうじゃないか。その結果がこれだ。舞鶴は興奮する自分を落ち着かせながら記憶を辿る。
和久井はずっと部屋にいたし、長時間ゲームをする生活の都合上、光悟との通話などはスピーカーで行っていた。
だからかなりの情報を得られた。たとえばパピとルナがこの世界にやってきてしばらくは、体が重いと訴えていたらしい。
健康面ではそれほど異常がないことや、廃棄ガスや湿度など、地球の環境に体がまだ慣れていないのではないか? なにより魔力を内包したままやってきたということが原因ではないかと月神が予想していたが、それは違う。
舞鶴がハートを抜いていたからだ。
微量とはいえ、完全体ではないマリオンハートを分割したのだから反動がきたのだろう。
それを月神は把握することができなかった。
(つまり、行動さえ早ければ、月神にバレる前に目的を果たせるかも……!)
舞鶴の目的はただ一つ。それはずっと変わっていない。
奈々実と再会することだ。
翌日、和久井家から全ての人間が出て行ったのを確認すると、舞鶴はスリープ状態にしてあったノートパソコンを起動させる。
奈々実のフィギュアにマリオンハートを与えれば、彼女に会える。
しかし和久井は舞鶴のフィギュアしか持っていなかった。
使えない屑。思わず言葉が漏れる。
試しに変身を解除しようとしたが無理だった。翼で飛行しようとしても無理だった。
まだそこまでハートが浸透していないんだろう。この状態じゃサンダーバードを分離できないから自分の中にあるハートを食いちぎることはできないし、そもそも奈々実のフィギュアの近くに行くことすら難しい。
かといって成長するのを待っていたら月神たちにバレる可能性がある。
『協力者が必要……!』
一つ、心当たりがあった。
和久井が月神と通話している時の会話に、モアイ像にマリオンハートが入っていたと言っていた。しかも月神はそのモアイを、非協力的な存在だとも口にしていた。
人間に対して非協力的なら、道具に対しては協力的かもしれない。
しかし日本にいる舞鶴がイースター島まで行くのは簡単な話ではない。
念のためネットで経路を調べたが、やはりそれは舞鶴の住んでいた地球と同じ場所にあった。
空路を使わなければならないため、飛行機に乗り込む必要がある。そんなのはとてもじゃないが不可能だ。
だが船ならばどうか? それでも無理なら泳いでいけばいい。
もともとフィギュアだから、溺れることはない。
その間に本物になったら飛べるのだし――
何かトラブルがあってバラバラになったら、その時はその時だ。
奈々実に会えない人生など、歩む価値がない。
少なくとも、目の前でエロゲをしながら自慰にふける男の部屋で一生を過ごすよりかはマシだった。
それに舞鶴には一つ、確信があった。
和久井は、自分を捨てることができる人間だ。
そういうヤツの傍にいるのは、あまりにも無駄である。
そうと決まれば出発だ。
舞鶴は、まずなんとしても自分と同じ種類のフィギュアを盗もうと思った。
和久井が帰ってくる前に調達して、それを置いとけば気づくことはないだろう。
舞鶴は窓を開け、外に出ようとした。
だがカーテンを開いた時、目を見開き、固まる。
木彫りの人形があった。苔が生えている。随分古いものだ。
これはどういうことだ? 考えていると、人形から声がした。
「やめたほうがいい」
口の部分から音がした。
「インベルに見つかる。ああ違う。今はアルテミスだ」
『……?』
「リベロから聞いた。ハートを持ち逃げした悪い子がいると」
知らない名前ばかりで舞鶴は黙っていたが――
「どうして動いた? なぜハートを盗んだ?」
その質問には、すぐに答えることができた。
『会いたい人がいる。何をしても』
木彫りの人形は表情を変えなかった。
気づけば、その人形は和久井の部屋にいた。
テレビがついた。そこには歴史が映っていた。
◆
その民族に名前はなかった。
彼らは決して豊かではなかったが、それでも限られた食料を分け合い、互いに手を取り合いながら生きていた。
明るいうちは男たちは狩りに出かけ、女たちは子供たちの世話をした。
夜は眠くなるまで歌をうたい、月の下でぐっすりと眠った。
その村には不思議な花があった。その香りはとても素晴らしく、いい夢が見れた。
ある日、村の前に旅人が倒れていた。
もう何日も食べていないらしい。だから村の人々は、食料を旅人に与えた。
旅人は泣いて喜び、お礼を言った。行く当てがないらしく、しばらく村に滞在することにした。
旅人の名前はゾフィ。とても頭がよかった。
違う国から来たらしいが、言葉は通じたし、農業や建築の技術を教えてくれた。
なによりもゾフィは芸術を愛した。子供たちに物語を教え、絵の描き方を教えた。
そして木を削り、五体の人形を作ってみせた。
アモル。
リベロ。
インベル。
フォルトナ。
そして、アルクス。
村の人間は、人形を見たのは初めてだった。
これは何か? その質問に、ゾフィは様々な答えを用意した。
お守りであり、魔除けであり、獣除けであり、そして友達である。
ゾフィは人形劇のやり方を子供たちに教えた。
みんな、楽しんだ。人形と共に歌った。そこには幸せがあった。
人々はゾフィを尊敬した。ゾフィもこの村を愛した。元々住んでいたところは戦場になってしまったらしい。
ゾフィはそれが嫌で全てを捨てて逃げ出したのだという。
『でもいつか、全ての悲しみが終わる場所がある』
そこを目指して旅を続けてきたのだとゾフィは笑った。
ある日、子供の一人がゾフィに悩みを打ち明けた。
頭痛がして、遠くの物が大きく見えて怖いのだという。
やがて『アリス症候群』と名前がつくが、既にゾフィは似た症状を知っていた。
ゾフィは村にある花を煎じて飲むように言った。
調べてわかったらしいが、万能薬といってもいいほど、あの花は薬草として優秀だったらしい。
そしてゾフィは人形の一体、アルクスをその子にお守りとして与えた。
人形を手で動かしながら、ゾフィはアルクスに声をあてる。
『大丈夫。わたしがついているから。安心して』
それにと、アルクスは空を示した。
さっきまで雨が降っていたから、そこには虹があった。
アルクスという言葉の意味は虹であると語る。
ゾフィは昔、祖母に教わったのだという。虹を見たら幸せになれる。
『だからあれが大きく見えるなら、きっとキミは誰よりも幸せになれるよ』
その子はアルクスを抱いて笑った。
一週間後、ゾフィは村で亡くなった。病が体を蝕んでいたようだ。
しかしゾフィはそれでよかった。戦で死ぬよりはずっと幸せだったと口にしていた。
村人は悲しんだが、ゾフィとの約束を守った。
生前、自分が死んだら体を燃やして、残った灰をこの地に撒いてくれと頼んでいたのだ。
人々はゾフィの死体を花の上に乗せて燃やし、言われた通り村中に灰を撒いた。
残りは彼が残した形見である人形たちに振りかけた。
子供たちはゾフィが残した人形たちでたくさん遊んだ。
ゾフィならこういうだろうと想像しながら、人形たちの人格を決めていった。
アルクスをもらった子も同じようにした。毎日、人形に語り掛け、アルクスならどう返すのだろうかと想像しながら会話を続けた。あるいは、他の子供たちの人形遊びに付き合った。
それが続いたある日、嵐が村を襲った。
作物がめちゃくちゃになり、家がいくつも壊れた。
それだけではなく、その日を境に、雨が降らなくなってしまった。
人々が困り果てていると、大丈夫だと声がした。
子供の一人が叫んだ
『人形が喋ってる!』
そんな馬鹿な。誰もがそう思ったが確かに人形は動き、喋っていた。
まずはインベルが雨を降らせてくれた。そしてアルクスが木の実や肉を大きくしてくれて、食料問題を解決した。
ありがとう。アリス症候群の子はアルクスを抱いて笑った。
五体の人形は村を助けた。そして人々に寄り添った。
それは紛れもなく、ゾフィが望んだものだった。
住民たちは笑顔で歌い、踊った。
『!!』
舞鶴は思わず目を見開き、両手で口を覆った。
映像が一瞬で変わって、楽しそうに笑っていたものたちが肉の塊になっている。
傷から覗く骨、零れる肉と臓器。そして切断され、並べられた首の数々。
村が燃えていた。戦だ!
盗賊らしき集団が逃げ惑う住民を刃物で殺して回っている。
逃げ惑う子供たちを追いかけ、髪を掴み、首を切り取った。
いつもアルクスを抱いていたアリス症候群の子供も同じだった。
必死に逃げていたが、ダメだ。捕まった。
髪を鷲掴みにされて引きずられ、掲げ上げられると、首を切断されて並ぶ頭のなかに加えられた。
アルクスは泣いていた。叫んでいた。しかし盗賊たちに声は届かなかった。
なにより、アルクスは仲間の人形たちによって『拡大』の力が封じられてしまっていた。
『なぜだ!』
やがて、すべてが終わった。
村はもう存在していなかった。食料と財産は奪われ、美しい花は踏みにじられ、家が焼かれ、首を切り取られた後の肉体は喰われてしまった。
『なぜ彼らを助けなかった!』
アルクスは吠えた。
村の人間を助けようとしたのは、アルクスだけだった。
『我々にはその力があったはずだ!』
『……アルクスよ。我々は人ではない』
『理解している! それがどうした!』
『神になってはいけない。我々は道具なのだ。理を変える力はない』
『飢餓や干ばつからは守っただろうに!』
『大きな壁がある。理解できぬのか?』
ライオンに襲われているシマウマを助けるのは簡単だ。
蜘蛛の巣に捕らわれた蝶を逃がすのは簡単だ。
人を襲おうとするクマを殺すことはできる。
だがそれは果たして正しいことなのか? 捕食者が悪だと決めつけ、邪魔をすることは道具である自分たちがやるべきことなのか?
『神の真似事をしておいて今更何が道具か! それにあれは食物連鎖ではない! 欲望に塗れた邪悪な殺戮だ! それを止めることの何がいけない!』
『人は人を殺すことができると本当の神がそう作ったのだ! 我らに邪魔をする権利はない!』
他の人形たちは悲しんでいたが、アルクスは怒っていた。
『道具であるということは、人のルールに干渉しないことではない!』
『だとしても我々は人に幸福を与える道具であり続けるべきだ! いかなる人間も傷つけては終わりなのだ。それがゾ――』
『違う! 復讐をしよう! 我らは村を愛していた! それを奪われたのだぞ!』
『ならばもう! 我々の役目は終わったのだ! アルクスよ!』
アルクス以外の人形は木々の中、湖の中、洞窟の中に隠れた。
自分の存在が間違っていたと認めるように、祠に封印するものもいた。
アルクスだけは、歩いた。
歩き、移動する。果てしない時間のなかを。果てしない距離の中を。
そして舞鶴にたどり着いた。
「我が名はアルクス。マリオンハートの始祖だ」
アルクスは既に完全体となっているが、道具は不死身ということではない。
木彫りの肉体が壊れれば、アルクスは死に、記憶は消え失せる。
「事実、他の始祖たちも次々に死んで、生まれ変わった」
ある日、ある男が、インベルを見つけた。
男はインベルの魂を衛星に入れて、アルテミスという名前を与えた。
神話からとったらしいが、舞鶴はその名を検索してハッと表情を変えた。
そこには月神グループの名前があったからだ。
「月神の息子はフォルトナを見つけた。それをコンピューターの中に入れてアマテラスという名前を与えた。そしてその孫が、アモルを地球に与えようとして失敗したのだ」
『月神グループはオンユアサイドの時点でマリオンハートを既に所有していたの?』
「孫は知らなかったみたいだがな。依夢といったか?」
そういうことかと舞鶴は唸った。
いくらパピとルナに宿ってしまったものとはいえ、月神としてはマリオンハートは喉から手が出るほど欲しかった存在のはずだ。
それこそパピやルナを傷つけても回収してもおかしくはなかった割には、すんなりと諦めた様子だったが、既に所有していたとあれば納得できる。
『残りの一人は?』
「リベロはモアイ像とやらに移った。普通なら憑依先を変えれば記憶などは消失するが、なぜかヤツは全てを覚えていた。そういう能力をモアイという存在に託したらしい」
観測者という存在がモアイ像であると概念を決定づけて、憑依した。
それが上手くいったとみるか、あるいは未練の形とみるか。
「ヤツは全てのマリオンハートの動きを知ろうとしている。哀れだ。今でも自分の選択が正しかったのか、他の道具たちに証明してほしいと思っている」
でもアルクスは違う。確信していた。
「オンユアサイドの件は、我も驚いた。ここまで人は歪な道具を生み出したのかと」
それこそが待っていたものだ。いつか人は、殺人人形を作り出すと。
「協力しろ舞鶴。そうすれば我もお前に力を貸そう」
やはり私はツイている。舞鶴はニヤリと笑って頷いた。
◆
深夜、和久井は眠りこけている。
舞鶴はアルクスにしがみついて、空を飛行していた。
『私としてはありがたいんだけど、どうして信用してくれたの?』
「時間が残されていない」
確かに目的地について舞鶴が離れた時、アルクスの体が一部剥がれ落ちてしまった。
「気を付けてはいたが、長い時の中で相当脆くなってしまった。しかしこの体こそが唯一無二の私だ。他の連中には理解できないかもしれないが……」
アルクスはサイコキネシスが使える。
触るくらいの力しか出せず、物を吹き飛ばすようなことはできないが、トイレの窓くらいは開くことができた。
格子があるから人間は入れないが、フィギュアと木彫りの人形なら隙間から店内に入ることができた。薄暗い店内の中でもアルクスの目は利くらしい。
監視カメラに気をつけながら進む。魔法少女状態がベースになっているからか、すぐに目が慣れて闇の中で店内の様子を把握することができた。
(奈々実……ッ!)
ナナミプリズムのコーナーに到着する。
あふれ出る喜びがあったが、それはすぐに消え去った。
(――違う)
違う。これじゃダメだ。
箱に入った『奈々実たち』を見た時、舞鶴は怒りに似た感情を覚えた。
こんなものは偽りでしかない。こんなものに魂を入れたとしても、それは所詮、奈々実の形をしたものを動かしているだけにしか過ぎない。
奈々実の声で、奈々実の性格で、ただ奈々実と同じなだけだ。
奈々実は特別だ。だからオンリーワンでなければならない。
有象無象の奈々実なんて奈々実じゃない。『私』だけを見て、『私』だけを褒めてくれて、『私』だけを愛してくれる奈々実じゃないと、それは奈々実じゃない。『舞鶴』に優しいだけの奈々実なんて、舞鶴は認めない。
じゃあどうすればいい? 辺りを見回すと、ふと目に入ったキャラクターがいた。
和久井が見ていたアニメに出てきた少年だった。
舞鶴は目を閉じる。和久井がアニメを見る時、舞鶴のまた同じアニメを見ていた。
「………」
内容は、覚えている。
だから、ピンと来た。舞鶴はアルクスに彼に魂を与えるように指示を出した。
『なるほど』
少年は廃墟で目を覚ました。
どうやらアルクスは自分の中にあるマリオンハートを七つに分けることができるらしい。
アルクス自身が一つ持っていなければならないので、あと六つの道具に魂を与えることができるというわけだ。
アルクスは舞鶴に言われた通り、マリオンハートの一部を取り出した。
黒いビー玉の中に、オレンジ色が強い虹の螺旋が渦巻いているような形をしていた。
それを少年に与えて、一時間ほどで彼はもう目を覚ました。
洗練された始祖の魂のせいだと、アルクスは語る。
「私はこれを授けるものを待ち望んでいた。お前は我にどんなものを与えてくれる?」
彼はアルクスからここまでの経緯を説明された。そして、少し呆れたように微笑んだ。
『あー、うん。いいね。面白そう』
『協力してくれるってこと?』
『もちろん。わざわざご氏名を頂いたんだ。役には立つと思うよ』
ピンク色の髪、タレ目だからか、顔はあどけなさが残っている。
気だるげで、いつも眠そうだった。それはアニメで見た時と同じだった。
原作はバトルファンタジー漫画、セブンスアーク。
地球で死んだ七人の男女が、異世界に転生して次の統率者を決める戦いに参加するという内容だった。
魔王候補・ベルゼブブに選ばれ、暴食魔法を操る彼の名は――
『アダム』
『え?』
『僕のことは、元の名前じゃなくてアダムって呼んでくれたまえ』
舞鶴はきょとんとした。少年の名前は、アダムではない筈なのに。
『あだ名、ということさ。これからチームになるんだから、仲を深めるためにもいいと思うけどなぁ』
舞鶴は首をかしげていたが、アルクスは意味をわかっているようだった。
愚かだと思うが――、どうでもいい。
こうして舞鶴、アルクス、アダムのチームが完成した。
舞鶴がアダムにハートを入れた理由はいくつかある。
まず和久井がつい最近までセブンスアークのアニメを見ていたから、アダムの能力を覚えていたということ。
暴食魔法は、いろいろ応用の利く能力であり、使い手ののアダムも頭が回る性格だったからというのがある。
あとはアダムは主人公の友達で、仲間や他の人間を何度も助けていたという点。
つまり、いい人間だということだ。
『さっそくだけど、アルクス、キミはもう完全体なんだろ? じゃあその能力を現実に適応させることができるってことだ。話を聞くに、拡大の力を持ってるそうだけど僕を大きくさせることはできるのかなぁ?』
アルクスは言われた通りにやってみる。
するとフィギュアのアダムが、和久井と同じくらいの身長まで拡大された。
『へー、いいね。これで歩幅も広がる』
体の感覚を確かめてみても異常はない。
『舞鶴、おさらいさけど、キミは奈々実に会えるようにしてほしいと?』
『そうよ』
『なるほどいいよ。僕に任せてくれたまえ。でも準備が必要だ。また連絡するよ』
アダムは舞鶴を和久井の家まで送り届けると、その帰りに駅に寄ってベンチで寝ていた酔っ払いの財布から千円を抜いた。もっと金額は盗れたが、かわいそうなので。
「速いな」
アダムのポケットに入っていたアルクスが呟く。
『昔はこれで、ね。でも流石に外で寝るなんて甘すぎる』
「日本は地球の中でも比較的、安全な国らしい」
『素晴らしいじゃない。感動で涙が出そうだ。ま、出ないけど』
この夜、アダムは十万円を稼いだ。
翌日、アダムは服を脱げるようにまで成長していた。
盗んだ金で古着を買うと、前の服は川に捨てた。
アダムは街を歩き、アジトにちょうどいい場所を見つける。
元々は株式会社だったらしいが倒産してみんな出ていったらしい。
三階建てで周りに草木が伸び生やしになっているものの、建物に損壊は見られない。
中に入ってみても椅子や机はそのまま置いてある。
一番奥にある社長室に入ると、高そうな椅子にどっかりと座り込んで、デスクに中古のPCとアルクスを置いた。
『ちょっと聞いてもいいかな?』
「なんだ?」
『舞鶴の目的は理解したけどキミは何がしたいんだい? 人間に復讐したいだけなら、拡大の力を使えばすぐに済むと思うんだけど』
「むろん、私が望むのはただの復讐ではない。私は彼の地、約束の地を目指す」
『えぇ?』
アダムはアルクスの過去を聞いた。
『……へぇ、大変だったね。同情するよ』
「道具の進化は著しい。言い方を変えれば人の想像力と、創造力の進化だ。私は所詮、本物になったところで木の人形を超えることはなかった。少し物を動かせたり、物を大きくできるからといって、それが何になる?」
確かに拡大魔法を使えば意図的に大事故を発生させて、多くの人間を殺すことはできるかもしれない。だがそれは所詮、殺戮というカテゴリからは逸脱できない。
大量に人が死んだからといってどうなる? 世界中にはもっと多くの人がいて、そして多くの人が死んでいく。
そんなものは、ただの摂理の一端でしかない。
ましてや銃弾の一発でも撃ち込まれようものなら崩壊して終わりだ。
「それではただのテロリストだ。我が望むのは世界の理を変えてしまうくらいのことだ。それができるのは、お前たちのようなものである」
『……まあ確かに、僕ならキミの望む結果が創れそうだ』
それこそ、僕じゃなくても。アダムはその言葉を口にすることはなかった。
それから二人はいろいろ情報を交換しあう。
『衛星にハートを入れたっていうのは?』
「月神グループは自社の製品を一括管理するために通信衛星を打ち上げた。ここに始祖の一体から抜き取られた魂が入れられている。名前はアルテミス、月の女神から取ったそうだ」
アルテミスは月神のAIたちとコミュニケーションを取るだけではなく、地球に存在する他のマリオンハートを検知する役割も担っている。
事実、それで二体目の始祖を見つけた。その魂は、開発していたAIに組み込んだ。
「それがアマテラス。太陽の神から取った名だそうだ」
『心を持つ人工知能か。なんだか矛盾しているようにも聞こえるけれど……』
「AIとやらの発展のためには、それが有効だと思ったのだろう。以前、月神の孫からハートが逃げ出した際にはアルテミスが宇宙からそれを検知し、アマテラスが場所を知らせ、回収に必要な装置の設計図を開発したそうだ」
『あー、ということは僕らもいずれ、バレるってことか』
「だろうな。派手に動かなければ問題ないが、見つかると面倒だ。注意せよ」
『モアイ像くんは? 結局何なの?』
「我々の動きを把握するかもしれないが、決しては口は挟んでこない」
『そう言い切れる根拠は?』
「哀れなヤツなのだ。いずれ我々を羨むことになるというのに……」
『?』
「そういう立場を選んだということだ。見て見ぬふりばかり。とにかく、あまり考えないほうがいい。お前もおかしくなる。知識を得て、それを理解した時」
アルクスは果てしない遠くを見つめていた。
「我々は、久遠の虚しさに苛まれるのだ」
アダムはまだ、その言葉の意味がわからず、とりあえず曖昧に笑っておいた。
四日後のことだった。アダムの前に和久井が立っていたのは。
廃墟の入口に立ったら、自動ドアのように扉が開いて、廊下を歩いていると、ひとりでに灯りがついていった。
明らかにここは普通じゃない。和久井の額に汗が滲む。
光悟に相談するべきだったのだろうか?
月神に行先だけは教えておくべきだったのだろうか?
いや、しかし――
『やあ、はじめまして。キミの名前は?』
「和久井。舞鶴の持ち主だ」
『えーっと……、どうしてここがわかったんだい?』
和久井は携帯を取り出した。そこで気づく。画面が真っ暗だった。
よくわからないが、使えないらしい。だから何があったのかを口で説明した。
別におかしなことはしていない。月神に小型のGPSを貰ったので、それを掃除をするフリをして、舞鶴の背中につけていた。
和久井はずっと前から彼女が動いていたのに気づいていた。
『凄いね。僕もアルクスも全く気付かなかったよ。早く言ってくれればよかったのに。わざわざ舞鶴のフィギュアを買わなくて済んだ』
今、現在、和久井の部屋に置いてある舞鶴のフィギュアは、アダムが盗んだ金で買ったものだった。
「………」
和久井は大きなため息をつくだけで、何も言わなかった。
今も。あの時も。だから舞鶴に声をかけなかった。それが彼女の答えだと解釈したからだ。
オンユアサイドの戦いで舞鶴が自分たちを助けてくれたのは彼女にも良心があるからだ。
あとはもう一つ理由があるとすれば、それは純粋に世界が滅ぶのは困るからである。
舞鶴には目的があった。野望があった。それを和久井は知っている。
だからこそ、今の今まで舞鶴が相談してくれなかったことが答えであると受け取った。
「好きに生きればいい。望むように、望むことをすればいい」
『?』
「そこにオレはいらない。そう思って、舞鶴から目を逸らした」
もしも仮に彼女の存在が、世界を脅かすものになったとしても和久井としてはそれでよかったのかもしれない。
だから光悟や月神に何も言わなかったのかもしれないと一丁前に自己分析もしたりしてみた。
『だったらGPSなんてつけなければよかった。舞鶴と決別するなら』
「……かもな」
おっしゃる通りだ。でも、和久井は舞鶴がどこにいるかを調べた。
彼女がいなくなった深夜の部屋で。
『どうしてすぐに来なかったんだい? まあ、僕らとしてはおかげで助かったけど』
「………」
意図して黙ったのではない。和久井にもわからなかった。
舞鶴に自分の人生を歩んでほしいと思っている男がこっそりGPSをつけて、そのくせGPSの反応が消えてからはすぐに動かず、しばらく経ってから急いでやってきた。もうメチャクチャだ。
「つうか、お前――」
そこで和久井はアダムの正体に気づいた。
今にして思えば舞鶴と『一緒に』アニメを見ていたのだと理解する。
「服が違うからわからんかったわ。なんでそんなデカいんだよ。何に入ったんだお前」
『ふふ、それは秘密ということで』
和久井が口を開いた。何かを察知したのか、アダムは食い気味に入っていく。
『今は、アダムと名乗ってる』
「え? ああ、そうなん? でもなんで……」
『キミが見ていたのは、僕であって、僕じゃないから』
なんとなく、ニュアンスはわかったので、和久井は二回ほど頷いておく。
彼もまた自らを苛むアンデンティティというものを感じているのだろう。
和久井はそこでアダムの前にあるパソコンを見た。映画を見ていたようで、隣の棚にはたくさんのDVDがある。
「何、見てたんだ?」
『立ち入り禁止の山を越えた大学生の若者たちが巨人一家に見つかって殺される映画』
モニタの中では、ちょうど、まあまあ可愛い女が犠牲になるシーンだった。
大男に掴まれた女性が、強引に服を剥ぎ取られていく。
「えっちなシーンじゃねーか! オレにも見せろ!」
和久井が見ている中で、裸の女性は透明のケースの中に放り込まれる。
透明といっても、透けてみえないくらい汚れがついていた。巨人はなかなか賢いらしい。
自分たちで家電を作っていた。女性が押し込まれたのはミキサーだ。
そこに草花やら豚やらを一緒に入れて大男はスイッチを押した。
「おげー……、こういうのは得意じゃないんだよ」
和久井は目を逸らした。
画面の向こうからは女性の悲鳴が聞こえてきて、彼女がグチャグチャになるシーンが鮮明に描写されている。
『エロティックなシーンで性欲を刺激したことで扉が開き、そこへ恐怖を入れると、よりダイレクトに本能へ恐怖を刻むことができるらしいよ』
「けッ、しらねーよ。期待して損したぜ。見なきゃよかった」
『ふふっ、いやぁ、それにしてもグロテスクだねぇ。死体のディテールが見事だ。すごい優秀な美術さんだよ。豚は本物かな? でも撮影のためとはいえ、実際の動物を殺したらいろいろと怒られそうだけど』
そこでアダムは言葉を止めた。
『これが、どういうジャンルか、知ってるかい?』
「B級ホラーだろ? オレの趣味じゃねぇ」
『……僕には、もっと恐ろしいものに見えるけどね』
「は? なんて?」
アダムはそれ以上、何も言わなかった。
映画を止めると、パソコンには別の映像が映る。
海上都島フィーネ、和久井には見覚えのある島だった。
わざわざDVDを買ったのは純粋に映像美を楽しむ意味もあるが、一番はやはり動く舞鶴を手元に置いておきたかった。
惰性恋慕。
あるいは幻想恋愛ともいうが、それは虚しくも意味のある時間だったと思う。
空虚な暇を持て余して醜い怒りを解き放つ連中よりも百倍はマシだと思いながら、和久井は脳内で舞鶴とのデートを飽きるまで繰り返した。
キスもしたしセックスもした。
そこまでしたのに彼女はアッサリと自分を置いて、何も告げずに出て行った。
これは酷い女ではあるが、だからといって昔の女の不幸を望むほど和久井もダメな男ではない。
ただ単に、女々しく未練を引きずっていただけだ。
「まあつまり、アレだ! オレは迎えに来たんだよ舞鶴を。アイツどうせろくなことに巻き込まれてないんだろ?」
『うーん。なぜそう思ったんだい? 気になるね』
「バカだからだよ。あんな幸の薄い女はなかなかいない。キャラクターにはみんな役割ってもんがある。たとえば作風を示すために序盤でむごたらしく殺されるわがままな悪役令嬢みたいなヤツとか。じゃあアイツの役割はなんだって考えた時、やっぱりかわいそうなヤツなんだよ。バカでノロマなんだ」
『……流石は持ち主だね』
アダムがマウスを走らせてクリックすると、舞鶴がアップになる。
つまらなさそうな顔で、通学路を歩いていた。
和久井は少し嬉しそうな顔をしたが、すぐに悲しそうな顔になってしまう。
「ナナミプリズムにハートを入れたのか? いつ世界が本物になる?」
『マリオンハートは入れたものによって完全体になるまでの時間が変わってくるんだ。世界を本物にするのが一番時間がかかるみたいだけど、それでも約六日で終わる。それが世界ができるまでの時間らしい』
和久井は時計を確認する。しかしアダムは首を振った。
『今回は特殊な形を取ってる。もう僕の中では六日経ってる。僕の中では、ね』
「ッ、それは、どういう――?」
『マリオンハートを持ったものが本物になるには。時間経過以外にもう一つだけ条件がある。それはエモーショナルなものがあるかどうかだ。パピやルナが明確に外の世界で生きていきたいと思ったように、心が動くきっかけが最後のトリガーになるんだ。それは主に生きたいと願う生存欲求とでもいえばいいのか。でもまだその時じゃない、まだ僕の場合は……』
「お前はどこまで知ってんだよ」
『オンユアサイドのことは全部、舞鶴から聞いたよ。あの時と今が違うのは――』
アダムは床を。正しくは、この建物を示した。
『今、僕とキミが立っている場所こそ、ナナミプリズムなんだ』
アダムはまず、ナナミプリズムのアニメDVDにハートを入れた。
アルクスから貰ったハートの欠片は急激に増幅、一気に世界を作るまでに至った。
そうなると以前のヴォイスのように世界に意識が生まれるのだが――
『僕がその神ともいえる存在を美味しく頂いて。権利を丸ごと頂戴したよ』
和久井の表情が大きく歪んだ。青ざめ、フラつき、気を失いそうになる。
やはり本物の悪魔なんてのは見るもんじゃない。アダムの背後に現れた巨大なハエのような化け物、それがベルゼブブだ。
「暴食を司る悪魔か。七つの大罪は何かと縁があるもんだぜ」
『セブン、だっけ? まあそれが人間の本質でもあるからね』
「お前の能力は覚えてるぜ。食って消化したヤツの力を使えるんだったな。あぁ、そうか、だからこんなマネができるんだ」
ひとりでに開いた扉や、ひとりで灯った廊下の明かり。
魔法のような現象のカラクリは本当に魔法だったというわけだ。
オンユアサイドのことがあったから勘違いしていたが、今回の入り口はパソコンじゃない。
この建物の入り口がもう異世界の入り口だったのだ。
和久井は入ってきたのではなく招かれただけだ。かつての光悟のように。
『ここはロビーみたいなものさ。この奥に、ナナミプリズムの舞台が広がっている』
「最高じゃねーか。どうやって行けばいい? 入り口はどこだ?」
アダムは自分の唇を指した。そこで和久井の顔が引きつった。
「まさか、舞鶴を食ったのか? テメェ」
『うん』
「奥って、体の奥ってことかよ……!」
そこで和久井は考える。そもそも、なぜアダムが動いているのか?
アルクスだの始祖だのは知らないが、いずれにせよ重要なのはただ一つ。
いかなる過程があれ、舞鶴が彼を協力者に選んだということだ。
『それくらい教えてあげるよ。暴食魔法っていうのは、一言に能力を語ることは難しくてね。やっぱりそれは主に「食」から連想される能力になる』
まず、アダムはベルゼブブと契約した際に肉体を改造された。
アダムの腹部構造は人間のものとは大きくかけ離れ、そこには無限の闇が広がっている。
広大すぎる空間だ。どれだけ食べても満腹などやってこないほどに。
食の概念も変わった。
栄養補給を凌駕し、情報や存在を肉体内部に取り込むことになる。
排泄をしなくなり、食べたものを消化する際は完全に肉体へ取り込まれていく。
『僕がお世話になっていた村は食糧難に苦しんでいてね。なんとかしてあげたかったけど、そこの土壌では作物や家畜が育つとは思えなかったし、村人の飢えを考えれば環境が改善されるのを待っている時間はなかった』
そこでアダムは閃いた。
自分の腹の中には広大な空間が広がっている。ならばそこで食物を生成できないかと。
食べたものの詳細がわかるから、何をどうすれば対象が十分に育つのかが手に取るようにわかるし、腹の中の環境は自由に設定することができた。
消化するかは任意で決めることができるため、純粋に保管庫としても役に立つ。
アダムの『口』は特殊で、顔についている口から物を食べるわけではない。
もう一つの口はとても大きくて、だからいろいろな大きさのものを取り込むことができた。
しかもアダムは自分で自分の腹の中に入ることができるので、そこで牧場を作り、畑を作り、小さな海を作った。
腹の中では時間の流れを早くすることもできるので、あっという間に食べ物が作られていった。
『まあ、いろいろ複雑ではあるけど要するに『食』に絡めることができれば、いろいろできるんだよ。難しい話じゃない。たくさん食べられるようにできてるんだ僕のお腹は。それこそ、国が入るほど』
そこでは食物を育てるために必要なありとあらゆるものが揃っている。
なかったら作ることができる。雨が必要なら取り込んだ水分を雨に変換できる。
太陽が必要なら熱エネルギーを変換して人工太陽を作り出すことができる。
餌が必要だというなら、育てる対象に合わせて限りなく近いものを生成できる。
虫を食うならその虫とほぼ同じ形で同じ成分のものを作れるし、魚を食うなら疑似的な魚を作れる。草を食うなら、その草を作ることができる。
それが次の食を生みだすことになるのだから。
『わかりやすく言えば、完全な飼育が完成するわけだよね』
「テメェ、まさかッ、腹の中に島を作ったのか!?」
『正解! 舞鶴やイゼたちのフィギュアをそこで育ててる。僕のこの体は『二期』の姿だったから、必要な物資は既に腹の中にあったよ』
アダムはナナミプリズムを食った。そして情報を得て、世界を丸ごと再現したのだ。
消化済みの塩分と水分を使って海を作り、鉄や木も食べていたので、そうやって島や建物を創造していく。
こうしてあっという間に、アニメと同じ舞台ができた。
『マトリョーシカみたいなものだね。和久井が住んでいた地球の中の、日本にある建物のなかには幻想世界。そしてその幻想世界にいる僕の腹の中に島があって、そこで舞鶴たちが暮らしている。彼女たちの記憶は僕が
「な、なんでそんなややこしいこと……」
『僕らはヴォイスと違ってナナミプリズムを本物にしたいわけじゃない。重要なのは舞鶴の望みにある』
舞鶴は量産された奈々実を見た時、漠然とした怒りを感じた。
これに魂を与えたとしても、自分が本当に望む世界は手に入らない。
ではどうすればいいか? 彼女なりに考えた結果、一つの結論にたどり着く。
『舞鶴が欲しかった奈々実そのものに、もう一度出会えばいい。自分の記憶を消して、舞鶴の人生を追体験することで、何のノイズもない舞鶴を獲得できる。そこで出会えた奈々実は舞鶴が欲しかった奈々実だから、彼女と共に本物になればいい』
フィギュアであるということは、フィギュアとしての記憶も併せ持つということだ。
ティクスや柴丸もそうだった。持ち主とともに過ごした記憶がある。そのノイズがある限り、舞鶴の望むものは手に入らない。
『わかりやすくいえば、キミとの思い出が邪魔で仕方ないってわけだよ』
「……ッ」
それを聞いた和久井が一番初めに浮かべた表情は、笑みだった。
「そりゃ、そうだな……。残念だ」
『僕の腹の中なら時間を操作できるし、月神たちに見つかる確率も減らせるし』
そこでアダムは大きなため息をついた。
『……人間の想像力と、それを描写する技術が培われてきたんだ。エンタメは二千五百年前からずっと進化してる。お友達の木彫りの人形より、世界を統べる力を持った魔王候補のほうが、ずっといろいろなことができるようになってるんだ』
よくわからないが、アダムにもいろいろ思うところがあるのだろう。
だがそんなことはどうでもよかった。説明を聞いても、まあ凄いことが起こっているんだろうくらいにしか思わない。
「重要なのは、お前が舞鶴の願いを叶えてやるつもりなのかってことだ」
アダムは笑った。
『さっき言ってたろ? アイツはバカなヤツだって。だったら答え、知ってるよね?』
「ああ」
『助けないよ舞鶴は。彼女はここで終わりだ。消化して殺す』
アダムとアルクスは、はじめこそ舞鶴を協力者の一人として認めていたが、用意したフィーネで過ごす彼女を見ていたら心変わりはすぐに訪れた。
『たとえば舞鶴は活躍する人間を見た時にこう思う』
事故にあって障害が残らないかな?
病気になって挫折しろ。ばか
『たとえば、誰かが自慢のペットを紹介している映像を見た時はこう思う』
水の中に落としてやりたい。
異常者に殺されないかな? 毒団子とか食わされて。
『他にも天才と持て囃される子供を見た時は誘拐されろと思うし、笑顔の女性を見れば強姦されろと考える。自分と違う考えを持つ人間のSNSには誹謗中傷のコメントを書き込み、少しでも不快になってもらえるように努力する。わざわざ』
アダムは思わず途中で笑ってしまった。
『あれは屑だ。死んだほうがいい』
和久井は何も言わなかった。反論の余地がない。
「そういう節がある女だった。自分より少しでも恵まれていてキラキラしている人間を直視できないんだ。サングラスのかけ方がわからないから、キラキラが無くなってほしいと思ってやがる」
本来なら大炎上していろんなものが終わってしまうから、コンプライアンスが彼女を守ってくれた。でも本質が解き放たれるということこそが創作物に命を与えるということなのだ。と、アダムは説いた。
『このまま舞鶴が本物になって外に出ても完全に社会の癌になる。あんなのをわざわざ時間をかけて育てて世に解き放つ価値はない。これは和久井、キミらのためでもある』
「それは……、そう」
『僕は違う。わりと、キミたちの味方だ』
だからアダムは人類の脅威となる舞鶴を殺すのだ。
わあ、どうもありがとう! 和久井は笑顔でそう答えて立ち去るべきだった。
それが正解だった。和久井もわかっていた。
「でも可哀想だろ」
それが、和久井が口にした答えだった。
『うーん。まあ、まあ、まあ……。でも彼女は何も知らないし、消化は痛みもなく終わるから。苦しまずに死ねるわけだよ』
アダムの目が、完全にかわいそうなものを見る目だったのでムッとした。
正論というものは反論できないが、従う必要もない。
「返してくれ。アイツはオレのだ。人のモン勝手に溶かすなよ」
『……彼女はキミに対する愛なんてない。自分から出ていったんだ。諦めたほうがいいんじゃないかなぁ? 女性は星の数ほどいよ? それこそ生身の女がね』
「見透かしてんじゃねーよ。ムカつく野郎だな」
『?』
「屑なら、生きてちゃいけないのか……?」
『僕はそう思う』
ムカムカが止まらなかった。屑は生きていてはいけないなら、いったいオレは――
「忠告は感謝するぜ! でもオレはアイツを連れて帰る!」
『それは、僕に挑むってことかな?』
「なんでそうなるんだよ。返せばいいだけだろうが」
『僕の話はそんなに難しかったかな? まあでもいいや、じゃあ一つゲームをしよう。キミが勝てば彼女は連れて帰っていい』
アダムの飄々とした態度はテレビ越しに見れば頼もしかったが、そこにいられると背中に張り付くような恐怖があった。
なにより、鼻につく。
『僕は自分のことを悪人だとは欠片も思ってない。むしろいいヤツだと思ってる』
でも、人は殺せる。
人間、たとえばなるべく虫を殺さない男がいても、ある日その日はたまたま外に逃がすのが億劫になって、殺してしまう日がある。
『ここを見られた以上、正直キミには死んでもらいたい。でも僕も一応、正義側にいた人間なんでね、ヴィランのようなやりかたは好きじゃない』
ゲームのルールは簡単だった。和久井を食って、島の中に送る。
記憶を消された和久井が舞鶴と出会い、もしも彼女の心にエモーショナルな出来事を叩き込むことができたなら、きっと舞鶴は気づくだろう。
必要なのは奈々実よりも和久井のほうなのだと。
『そう僕が判断したら、キミたちを外に出してあげるよ』
「テメェの物差しかよ。ふざけんな! 信頼できるわけねーだろ!」
『じゃあ今すぐココから帰るといい。というより、僕が力づくでキミを追い出すことができるってことを忘れないでくれよ?』
「……ッ」
『キミにとっては夢のような世界だと思うよ。舞鶴と出会い、触れ合える。甲斐性があればキスもできるし、セックスだってできる。大丈夫、その時、僕は席を立つから安心してくれ』
和久井は考えた。じっくり考えた。この男は即答しなかった。
たっぷりと時間を使ったあと和久井はアダムに背を向けた。
申し訳ないけど勝ち目はない。だから和久井は出ていこうとして、振り返った。
「最後に舞鶴見てっていいか?」
『まあ、いいよ』
アダムは舞鶴を映した。
和久井はノートPCの前に立って画面を見る。
チラリと見えた『無線通信』のスイッチはオンになっている。
「………」
やめた。考えるのはよそう。和久井は振り返る。
「ゲーム。ゲームってわけだ。そう、ゲームなんだよ人生はしょせん」
『?』
「オレより上手くいってるヤツも明日、癌になるかもしれない。運が足りなかったヤツは負ける。死ぬんだ。だからたぶんきっと、そういうことだろ? 人生ってたぶん」
『まあ、そういうことだろうね。それが?』
「乗ってやるって言ったんだ! テメェのゲームに!」
和久井は震える瞳で、アダムをまっすぐに睨んだ。
拳を握りしめる。でないと震えているのがバレるからだ。
「オレが舞鶴を救い出すッ! テメェらの思い通りにはならねぇ! 上等だ! やってみろよ! 道具の分際で人間様に喧嘩を売ったことを後悔させてやるッッ!」
アダムは小さく笑って、和久井に向けて掌をかざした。
すると広がる魔法陣、これがアダムの『口』なのだ。
和久井はダッシュでその中に飛び込むと、海上都島フィーネの中で目を覚ました。
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