第二章 Island

第41話 血まみれの腕



ユーマが命に色を付けるて視覚できるようにしていた。

たとえばパラノイアが死んだことをわかりやすくしてくれたとか? まあ理由はどうでもいい。重要なのは、誰もが持っているエネルギーだという点だ。

舞鶴はサンダーバードに語り掛けた。全てのライフエーテルが見たいと。そして名前も知らない小さな虫を殺してみると、フワリと光の粒が見えた。


(うんめぇー!)


気に入らないヤツをブチ殺し、そして奈々実との再会に近づく。まさに一石二鳥!

しかし大きな躊躇いがあったのも事実だ。奈々実はいい子だから、他の人間の犠牲で蘇ったとあれば自分を責める。最悪の場合、舞鶴を責める可能性だってあった。

そこが彼女のいいところなのだが、奈々実に拒絶されては生きていけない。だから舞鶴は考えた。奈々実を抱きしめる手は綺麗でなければならない。


(ああ、バカがいてくれて、本当によかった! うふっ!)



血まみれの和久井を思い出して、吹き出しそうになる。


(つい最近会ったばっかの人間に、私の何がわかるっていうの? ウザすぎ。死ねよ)


はじめは和久井から殺そうかと思ったが、ちょっと待てと。


(私にこういう手は使えないと思っていたけどコイツは別。屑だから、性欲だけの愚かな生き物。私をナメてるから、いける。最低の屑)


現に手裏剣を投げてくれた。まあ投げるように誘導したのだが、上手くいってよかった。そもそもあれは舞鶴の武器なのだから舞鶴でないと動かせないし、変身していなくともあれくらいなら余裕だった。そしてそれは一般人を殺すには十分すぎる力だ。

でもそんなことは舞鶴しか知らないから、あとは『殺意の力で動く』という嘘を貫き通せばいいだけ。


(でも面白かったぁ! 無理に決まってるよね。私が塞いでたんだから!)


舞鶴は逃げ惑う生徒たちを思い出して唇をギュッと噛んだ。でないと笑ってしまう。

クラスの出入り口と窓には、彩鋼紙を広げて壁を作っておいたから、誰も逃げられなかった。

偵察用の折り鶴で確認したが、アリバイのために唯一助けた澄子ちゃんが期待通りの発言をしてくれたのはまさに完璧パーフェクト。


唯一危惧していた、みゅうたんの存在があったが、都合のいいことに記憶を失って自分たちの居場所を忘れたというじゃないか。

まあ、この計画を踏みきった理由の一つに、みゅうたんの様子がおかしいという次にいつ来るかもわからない要素があったからというものあるが、いずれにせよ期待していた通りみゅうたんは使い物にならない。

ただもちろん、それが一時的なものだということはわかる。

だからみゅうたんが記憶を取りもどす前にもっと多くの命を奪っておきたい。


それに、まだまだ不安な部分はある。

例えばまずは今回の捕食だ。クラスメイトを惨殺して得たライフエーテルは、学校の上空に待機させていたサンダーバードが捕食したわけだが、吸い寄せるように数々の魂が空に昇っていったのを誰かに見られた可能性は捨てきれない。


(パラノイア以外のライフエーテルの可視化はユーマに命令しないとダメな筈だけど、もしかしたらすでにこの仕組みに気付いている魔法少女だっているかもだし)


そうなるとせっかく和久井や澄子を使ってまで作り上げた清廉潔白が崩れてしまうかもしれない。特にイゼは、その正義感から剣を向けてくる可能性が高い。


「和久井」


舞鶴は和久井を抱きしめるのをやめて、両手を肩に置く。


「貴方が人を殺したっていう事実は消えない」


「あ……! うぁ……」


「殺された子の親が復讐心から、あなたの両親に狙いを定める可能性だってある」


「でもオレは! 本当に殺すつもりなんて!!」


「警察はわかってくれるかもしれないけど、遺族はそうは思わない! きっと! あなたの周りの人を殺すだけならまだしも、あなたが出所した後も纏わりついてくるかもしれないの!」


和久井はブルブル震えていた。そこで舞鶴はニコリと笑う。


「でも貴方だけがたった一つ、背負うだけで丸く収めることもできる」


「え……?」


「室町アイを殺すの。アイツに全てを擦り付けてしまえばいいじゃない! 教室には監視カメラなんてないわけだし、普通に考えてあの犯行は魔法少女にしかできない! そもそも最悪、アイに脅されてやったと言えばそれなりの信ぴょう性はあるじゃない!」


舞鶴としてもアイは早く殺したい。あっちが蘇生にたどり着く前に殺して、魂を奪い返せば、奈々実復活が一気に近づく筈だし。


「大丈夫! 武器は私が渡したの、だから私にも責任はある。殺したのは貴方だけど」


和久井を犯罪者にしてしまったと責任を感じる舞鶴を、蘇った奈々実が優しく慰め、二人は支えあって生きていく。それはそれで悪くないシチュエーションだった。


「罪を、私も背負うからぁん!」


舞鶴はそれなりに浮かれた気分で口にする。

和久井は少し安心したように笑った。舞鶴も心の中で笑う。


(バカでいてくれて、本当よかった! ラッキー!)





みゅうたんが舞鶴の位置を把握できないとはいえ、そもそもフィーネの監視システムを潜り抜けなければ、すぐに見つかってしまう。

既にフィーネの放送局は、今回の凄惨な事件を報道していた。魔法少女は警察の捜査に加わることが許されているので、下手に動けば監視カメラで捕捉されてしまう。

そこで舞鶴は、奈々実と遊んだ時に見かけた廃家を思い出した。

川沿いにポツリと一軒だけあることに加えて、周囲は草が伸びっぱなしになっており隠れ家としては悪くない。

一瞬だけ奈々実の家に和久井を隠すことも考えたが、すぐにやめた。和久井のような屑を奈々実の聖域に入れたくなかったからだ。


廃家に入った和久井は、まだ落ち着かない様子だった。

なんだか腹が立ってくる。舞鶴から見て和久井という男は日頃からクソだの、ダルいだの、めんどくさいだの、ダサい男だった。

彼もSNSでは人の不幸を探してる。そんな屑が、いざ自分が屑だと再認識する際に、これほど時間をかけるものなのかと、イライラしてきた。


「考え方、を、変えてみた、ら?」


「え?」


「力を、手に入れたと、考えるべき。誰もあなたに逆らえない。だるい親も、むかつく陽キャも、一発で殺せる……」


「何言ってんだよ! そんな簡単に割り切れるわけが――」


和久井の脳裏に腸や脳をブチまけてのたうち回る生徒たちがフラッシュバックする。

思わず叫び、走り、家を飛び出して嘔吐する。


(だる)


舞鶴は冷めていた。

そもそも和久井には、これからもっと多くの人を殺してもらうわけで。そのたびにいちいちこんなリアクションを取られていたんじゃ、やってられない。


「着替え、とか、ごはんとか、持ってくるから、ジッとしてて」


舞鶴はそう言ってさっさと出て行ってしまった。

和久井は家の奥に戻り、部屋の隅っこで体を丸めた。人を殺したなんて、親戚はどう思うだろうか? 昔の友人はどう思うだろうか?

それに――、あれはどう思うだろうだ。あれとは何か、和久井にもわからなかった。

よくわからない。しかしなんだか背中に張り付く罪が重いものだから、和久井は情けなく涙を流した。



舞鶴が帰ってくると、和久井は慌てていた。


「大変だ! 家の窓が叩かれる音がして! 壁とかもコツコツって! もしかしたらバレてるのかもしれない! そ、それか! もしくは! 殺しちまったアイツらがオレ恨んで! その怨霊的なものに――ッ!」


「ちょい、落ち、着いて」


冷めた目で睨まれ、和久井は黙った。


「気のせい。古い家、だから、風とか吹いたらいろいろ、鳴る。それかもしくはネズミとか虫がいるのかも。それくらい、がまん、して」


「あ、ああ」


和久井たちは二階の一室にやってくる。ここは幸い一階とは違って、窓ガラスが割れていない。畳や壁は汚く変色しているが、まあいいだろう。

和久井は血まみれの制服を着替えると、与えられた菓子パンをもそもそと食べはじめた。その途中、ジュースを飲もうとして気づく。

それはジュースではなく、チューハイだった。


「ついでに、盗んできた。よくわかんなけど、不安が取れればって」


「……ああ、サンキュー」


深夜のバラエティー、飲み屋街のインタビューで呂律が回ってない奴らを見た時は笑った。頭の悪そうで、人生終わってそうな人間を笑った。

和久井は笑った。その連中よりも、よっぽど終わってる。

だから9%のチューハイを一気に飲み干した。今までは父や祖父が飲んでいた酒を舐めたことくらいはあったが、こんなにガッツリと飲んだのは初めてだった。

すぐにぼんやりとしてくる。和久井は何も言わず、横になった。


「イゼに、誤解がないように事情を説明する。それまでここにいて」


それがその日、和久井が最後に聞いた言葉だった。



目が覚めると辺りは明るかった。

少ししか眠っていないのか、それとも死んだように眠ったのか。試しに舞鶴の名を呼んだが、返事はなかった。

家の中を見回してみても姿はない。携帯は場所を特定されるかもしれないという理由で舞鶴に捨てられたので連絡も取れない。


「勘弁してくれよ……!」


和久井は部屋の隅に座る。

しばらくすると突然跳ね起きて窓の外を確認しに走った。

まただ。昨日と同じ、窓を叩く音が聞こえた。

しかし外を見ても何もない。舞鶴の言った通り動物か虫なのか? 和久井は元の位置に戻ると、しばらくしてまた立ち上がった。

今度は壁を叩く音が聞こえた。コツコツ、コツコツ。和久井はまた窓の外を注意深く確認するが、何もいないし音もしない。

今度は窓の近くに座ると、また音が聞こえてきた。


「おい! 舞鶴! いるのか? いるならこんな悪戯やめろよ!」


音は止まらない。窓の外を確認すると、何もないが、次は後ろのほうから音が聞こえてきた。もしかしたら幻聴なのか? 死体の山がトラウマになって精神をやられて脳が変になったのか?

それは大いにあり得る話だった。

頭痛がする。吐き気もする。

そんな中でふと、舞鶴が残していった食料が目についた。

そこにはまだアルコール度数の高いチューハイが転がっていた。


「クソクソクソッ!!」


和久井は涙を流しながら、常温の酎ハイを開けると、胃に流し込んでいった。

ぬるいから、うまく喉の奥に入っていかない。でも音は聞こえなくなった。

和久井は嬉しくなって、一人でヘラヘラ笑っていた。


「しあわせだなぁ」



舞鶴が戻ってきたのは暗くなってからだった。

和久井は笑っていた。隣には、チューハイの空き缶が転がっている。


「おあえぃ舞鶴ぅ。イゼには説明してくれたかぁ?」


「ん。でも怒ってる。向こう、なかなか話を聞いてくれなくて」


「ッッ、なんだよ。なんだよ。なんだよ!」


和久井は怒鳴った。腹から怒鳴ったから、舞鶴は目を丸くする。


「あ?」


「……悪い。舞鶴。ははは、イゼさんなんで? 生理なのかな? ははは」


和久井は頭を押さえながら呻く。慣れない飲酒のせいで、先ほど嘔吐したらしい。


「でも、あれがいるんだ。舞鶴、オレ財布なくてさ。金貸してくれないか?」


「どうして? ごはんなら、パンがある」


「酒がいるんだ。なあ聞いてくれよ。何かが家を叩くんだ。いや、もしかしたらオレの頭蓋骨を叩いてんのかもしれない。オレはガチで怨霊説もあると思ってる。あいつらがオレを呪い殺そうとしてんだ。だから、ははは。なんてのは嘘。でも頭がおかしくなっちまったのかもしれないから酒がいるんだ。はは、ははは……」


「あげ、られない。それに、やっぱり、お酒は、ダメ」


「なんでだよ。くれよ。じゃないと音がするんだ。ずっとなんかコツコツ、いろんなところからガサゴソ音もする。ネズミじゃない。ゴキブリでもないんだよ。でも何かがこの家にはいるんだ。本当なんだ」


「無理」


和久井は急に立ち上がると、走り、両手で舞鶴の首を掴んだ。


「金を渡さないなら首を絞めるぞ!」


「無理」


「あ……! あぁ、悪い。冗談だよ」


魔法少女に勝てるわけない。和久井はそう思って後ろへ下がっていった。

壁に当たったところで崩れるように座り込む。そんな彼の前に、手裏剣が落ちた。

あの手裏剣だ。生徒たちを惨殺した。あの折り紙の手裏剣だ。


「うわぁあっぁあああぁあぁあああ!」


(いちいち大声出すのマジでウゼェ、コイツまじで嫌いだわ)


舞鶴は、パニックになっている和久井を落ち着けながら説明をする。

時期的にそろそろパラノイアが現れるかもしれない。和久井に死なれるのは、いろいろな意味で困るので、武器くらいは持っておいてほしいと。


「殺意を、持って、人に向かって投げなければ、いい、だけ、なの」


「それはわかってるけど――ッッ!!」


和久井はそこで言葉を止めた。たしかに、舞鶴のいう通りかもしれない。

パラノイアという『恐怖』は知っている。あんな化け物にむざむざ殺されるよりかは武器のひとつあったほうが安心できる。


「せめて、せめてさ。アジト変えないか? やっぱりここはなんか変なんだ!」


「無理。ここ以外だと見つかるかも、しれない、から。こ、こは、むしろいい場所。近くのコンビニとかまで、監視カメラとか、一切、ないし」


「………」


「私、見張りするから、家出るけど。お酒、ダメだから。本当にダメ、だから。くれぐれも注意。盗んだりなんかしたりしたら、ダメ。泥棒は絶対ダメ」


「み、見張り? いいよ、一緒にいてくれよ」


「無理」


舞鶴は家を出て行った。和久井は何もすることがない。

時計もない。ただ座るだけ。アニメやゲームのことを考えようとしても血の色がそれを塗りつぶしていく。

不安もある。イゼに見つかったらどうなるのだろうか?

一応、舞鶴が話をしてくれたみたいだが、それでもダメだったら――


「!!」


音がする。しかも今度は真下からだ。一階から何かが天井を叩いている。


「舞鶴! 来てくれ! 何かいる!」


こない。和久井は舌打ちと共に手裏剣を手にして、おそるおそる階段を下りた。

しかし、予想していた通りだが、そこには何もない。

安堵と不安のなか、和久井は再び二階の部屋に戻った。しかし一時間ほどすると再び音が聞こえてくる。急いで下に向かうが、なにもいない。


「なんなんだ……! なんなんだよちくしょう!!」


だめだ。だめだ。おかしくなる。

そうなると、やはり酒だ。気分が少しよくなる。

後で悪くなるが、その間はやはり音のことは忘れられる。

しかし酒はもうない。金もない。


『泥棒は絶対ダメ』


もはや四の五の言っていられる状況ではない。

和久井はすぐに家を飛び出しコンビニに到着すると、チューハイを万引きした。

ポケットにいれるだけの雑な盗み方だったが、深夜のやる気のない店員だったからか、バレなかった。家に帰るまでに一缶を飲みきって、空き缶を川に投げ捨てた。

酒を飲んだからか、やはり音は聞こえなくなった。和久井は笑顔で眠りについた。

目が覚めると朝だった。呆けていると、舞鶴が来て、パンを投げてきた。

和久井はそれをモソモソと食べながら、ため息をつく。


「なあ、イゼはどうだ」


「うん。まあ。もう少しでわかってくれそう」(話し合いなんてしてねぇよバーカ)


「うちの親父と、クソババア、どうしてっかな?」


「たぶん、心配、して、る」(お前みたいな屑を産み落とした奴らも屑なんだろうな。まとめて死ね)


「前にアイを殺せばって言ってたけど、あれ本気なのか?」


「うん」(まだビビッてんのかよ。死ね)


「舞鶴、お前、なんで魔法少女になったんだ?」


「ひみつ」(言うわけねぇだろ。死ね)


「お前さぁ、好きな人とか、いるの?」


「ひみつ」(奈々実。ななみ、ナナミ、奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実奈々実……)


飽きた。

舞鶴は立ち上がると、家を出ていく。


和久井と一緒にいるのは嫌だ。

理由はわからないが、なにかこう本能といえばいいのか。まさに生理的に無理なのだと思う。

なんだかよくわからないが、とにかくいてはダメのような気がする。胸がザワザワして、痛くて、落ち着かない。


それに他にも理由はある。変身しているところを見られたくないからだ。

手裏剣ひとつくらいは変身していなくとも動かせるが、もう少し複数になるとそうも言っていられなくなる。

魔法少女になった舞鶴は、さっそく彩鋼紙で鶴をたくさん作ると、家の周りに飛ばして、嘴で壁や窓を突っつかせる。

和久井が窓の前にくると、素早く鶴を飛行させて、見つからないようにする。

壁も同じだ。一階で天井を突かせている鶴も同じ。


つまり和久井が感じていた気配や音は、すべて舞鶴が用意したものだった。

しばらくすると和久井は家を飛び出して、コンビニへ向かう。

酒を万引きしに行くのだ。舞鶴は昨日もそれを見ていたからわかる。

そして和久井が酒を飲んだら、家を小突くのをやめればいい。

適当に考えたやり方だったが、なかなかいい感じに和久井を精神的に追い詰めることができているじゃないか。これは非常に良い流れであった。


それとは別に、純粋に見張りの意味もある。

正直、思った以上に見つかってない。

一応ニュースやフィーネの新聞を確認したが、生徒が死んだことは報じられているものの、舞鶴と和久井についてはノータッチだった。

死体は誰かわかるくらいには形を残しているし、舞鶴も和久井も両親が創作届を出している筈。向こうが気付いていないわけがない。

イゼの場合は高速移動が使えるのだから、適当に島中を走り回って捜索する手も使えそうなのに、そういった話は聞かなかった。


(そんな無鉄砲なやり方はしないタイプ? それとも私が気付いてないだけで捜索は進んでる?)


わからない。舞鶴としてはその点が少し不気味であった。

本当はイゼたちを折り鶴などの『式紙しきがみ』で監視したかったが、バレるとかなり厄介だったので、やめておいたのだ。


では、そのイゼたちはどうしているのかだが、まずは死体発見からしばらくして、みゅうたん2号が姿を見せて、こんなことを言ってきた。


『しばらく動かないでほしいミュ。少しそっちの1号を調査させてほしいミュ』


そう言われたので、みゅうたん1号を連れていこうとしたのだが――


『冗談じゃないわよ! 連れていかれたら解剖されちゃうんだからっ! 絶対イヤ!』


抵抗するものだから、結局イゼがみゅうたん2号を説得して1号を守った。

次の日も待機が言い渡されたので、魔法少女たちは動けなかった。

その後も、言い渡されるのはずっと待機ばかり。


「いつまで待てばいい? やはり舞鶴たちから話を聞かなければならぬ!」


正義感からか、イゼは変身すると高速移動を発動。

島を駆け回り、なにか手掛かりがないかを探っていた。

そして奇しくも、イゼが舞鶴が用意したアジトに近づこうとした時だった。


「ッ、あれは、アブダクションレイか!」



三両編成の電車。ショッピングに行く人たち。食事に行く人たち。

仕事、デート、映画、いろいろな目的の人を乗せて走る。

その中で誰かが気づいた。車内に、おかしな格好の人がいる。

三度傘で顔を隠し道中合羽を纏い、長い太刀を持った、それはまさしく侍。


・人は目を合わせるから怖いので。


人は人を笑ふというので怖いので。

人は人と触れ合うなかで人を傷つけるので怖いので。

人は人の人を人としてしか人でないと言ふので怖いので。

怖いのは人がいるから怖いので。人を傷つけるのは、人なので。人は、怖い。それが答えなので。


……!」


独りで、ジットリと笑っているのは罪。だって気持ちが悪いので。

そう、あの人たちは言いました。

我が名はオリオン。『対人恐怖症』のリゲルなり。


「恨輪阿阿阿阿阿阿阿!!」


リゲルは気づいてしまった。人が、人が、人が、たくさんの人が私を見ている。

怖い。人は、怖いんだ。リゲルは叫んだ。そして防衛反応として刀を抜いた。

リゲルの周囲にいた人たちが三等分になった。首、腹に赤い線。

座っていた女の人が悲鳴をあげた。リゲルはその口の中に、剣先を入れる。


「あがぁぁ、おごぉぉえぇ」


女の人は涙を流しながら絶命した。

人は逃げる。リゲルは恐怖に叫びながら追いかけた。

青年に追いつく。せめてもの抵抗なのか、傘を突き出してきたが、傘がバラバラになって床に落ちる。一緒に、青年の頭も落ちた。


大柄な男が拳を突き出してきた。

しかしリゲルに届く前に手首から拳が分離して床に落ちる。男はリゲルを鷲掴みにしようとしたが、既に下半身がなかった。


人は走る。

しかしパニックになっている彼らはギュウギュウとおしくらまんじゅうみたいになって上手く進めない。

リゲルが追いついた。小学生くらいの男の子の髪を鷲掴みにして持ち上げた。


「た!」


刀を男の子の首に押し当てる。


「ずッげッ! でぇ!」


ギコギコとのこぎりのように押して、引いて。


「えぇえぇぇぇええええええぇ!!」


一気に刀を真横へ振った。男の子の首から下が床に落ちた。


「ん?」


リゲルは持っていた頭部を見る。男の子と目があった。


「ぱくねげつなさび!!」


死人といえど、対人恐怖症には辛い。

リゲルは恐怖でパニックになってしまった。


一方、生き残った人間は二両目になだれ込む。事情を説明しながら人は逃げ続ける。

リゲルは男の子の顔を刀でズタズタにし終えると、二両目に走った。

怖い。怖いから。全てを亡くさなければならない。


そこでリゲルは立ち止まった。

目の前でお婆さんが土下座している。

後ろでは高校生くらいの少女が泣いていた。どうやら孫らしい。


「かんにんしてください。お金なら払いますんで……!」


お祖母ちゃんは懇願した。


「今日は孫は誕生日なんです。あんまりです。後生で――」


即殺害。ババアがバラバラ。

続き、Vの字斬り。孫である少女の右肩から臍の下まで刀が入り、一気に左肩から刀を抜いた。

走る。突き出す刃。映画を見に行こうとした仲良し三兄弟。博、健、幹を団子のように串刺しにした。


誰かが何かを叫ぶが、リゲルの悲鳴に塗りつぶされる。

斬る、斬る。ひたすらに、逃げる人を殺す。

二日前に結婚届を提出した夫婦がお互いを少しでも前に逃がすために努力していた。

しかしリゲルは高速で刀を振るい、夫の輪切りを三十個ほど作った。妻は輪切りにされている夫を見ている時に壊れてしまったようで、おしっこを漏らしながら泣きながら笑っていた。

リゲルは彼女を脳天から一閃。さらに真横に一閃。十字斬りにて四等分にしてみせると、走る。


殺すため? 正しくは、怖くなくなるようにだ。

そんななか、少年みちおくんは頭がよかった。

このイカれた猟奇殺人鬼は無差別に殺すがゆえに、死んだふりをすれば見逃してくれるのではないかと。



「あえぇえぇッッ!」



倒れて目をギュッと瞑っていたみちおくんの頭に刀がしっかりと突き刺さっていた。

リゲルは全てを見ている。怖いから。ちゃんと殺しきらないと気が済まない。死体とわかっていても二度刺す慎重な性格だった。

こうして、リゲルは殺しながら一両車にやってきた。

運転士がいるところをみんなは必死に叩く。


運転士が振り返る。

人だらけでよくわからないが、すぐにわかった。みんな殺されたからだ。

そしてわかった時にはもう遅い。刀は窓を突き破って運転士の心臓を貫いていた。リゲルは電車に乗っていた人間を全員殺害することに成功した。

安堵の笑みを浮かべようとした時、アブダクションレイによってフィーネに送られる。



「魔死病眼手ゑゑゑゑゑゑゑ!!」


リゲルは目の前にいたイゼを見るやいなや、刀を構えて突っ込んでいく。

早く殺さなければという焦りからか、前のめりで距離を詰めてきた。

横に振られた刀を、イゼは地面を転がって回避した。立ち上がり様に剣を突き出したが、それよりも早くリゲルの蹴りがイゼの胸を打つ。

衝撃でわずかに動きが鈍った。するとリゲルが刀を振り上げるのが見えた。


イゼは咄嗟に剣を横にして掲げることで盾にする。

そこへ直撃する刀。凄まじい衝撃にイゼの表情が歪んだ。

しかもリゲルは狂ったように刀を何度も何度も執拗に振り下ろしてイゼに打ち込んでいく。

威圧感は十分だが、単調ではある。イゼは冷静に隙を探し、リゲルが刀を振り上げたところで素早く剣を振るった。


「なにッ!」


しかし当たった感触がない。すると目の前のリゲルが揺らめき、消え去った。


「残像――ッ?」


リゲルは後ろに下がっており、腰を落としながら刀をゆっくりと下から上に弧を描くように持ち上げる。特殊な剣の構え。気づけばリゲルはイゼの後ろにいた。

直後、イゼの全身から血が噴き出す。


(高速で斬られたのか!)


イゼは傷口を押さえながら膝をついた。

リゲルはイゼの首を狙い、走るが、そこで動きが止まった。

イゼの広げたマントから鱗粉が散った。細かな粒子はリゲルの体に付着した瞬間に爆発していき、ダメージを与える。

しかしリゲルにとって問題はそこではなく、マントの柄。


つまり目の模様だ。

目は怖い。合わせても合わせてなくても傷つくからだ。

リゲルは悲鳴を上げて逃げ出した。イゼもすぐに追いかけるが、尋常ではないスピードである。高速移動中のイゼですら追いつくかどうか怪しいくらいだった。

アブダクションレイが見えたら避難することがルールだが、それを知らない人や逃げ遅れた人がいるかもしれない。

リゲルと鉢合わせしたらどうなるか。

なんとしても止めたいが、先ほど全身を切られた際に脚にも傷を負った。

加速しようとしても痛みが邪魔をして上手くいかない。


「だがッ、しかし!」


こんな時、いつも思い浮かぶのは妹の姿だった。


『おねえちゃんは、世界で一番のヒーローになってね……』


イゼは痛みを超え、スピードを上げた。


「貴様らにッ、ナナコの好きだった世界を壊されてたまるか!」


イゼがリゲルを斬り抜けた。

衝撃で地面に倒れたリゲルへトドメを刺そうとするが――


「なに!?」


光が柱がリゲル姿を隠す。

標的を失った剣は、ただ地面に突き刺さるだけ。

イゼはすぐに周囲を確認するが、もう何の気配も感じなかった。


(そういえば以前、シスターが見たという……!)


惨殺死体だけが残されてパラノイアの姿がなかったというケース。

あれがリゲルの仕業だと考えるなら合点がいく。しかし気になるのは消える前に現れた光がアブダクションレイと酷似していたという点だ。


「どうなっている……? みゅうたんに聞いてみる必要があるな」


イゼはそちらを優先した。だから和久井たちのもとにはたどり着けない。



一方、その和久井はひとりで蹲っていた。

気分が悪いのは酒のせいだ。

でもあれがないと音が聞こえて呪わるから今日も万引きして飲もうと思っていた。それがどういう行為なのかは、もうどうでもよかった。


「!」


体がビクっと震える。また音がした。しかもなんだか音が大きい。

和久井はフラつく足取りで窓を開き、外を確認した。


『ぞ!』


「うわぁぁ!」


和久井はしりもちをついた。いつも通り何もないと思っていたが、そこにはカーバンクル、桃山苺がいた。


『見つけたぞ和久井ぃ! いやぁ、殺人鬼って言ったほうがいいのかぁ?』


「ッッッ」


殺人鬼、その言葉が和久井の脳をフリーズさせる。


『まあいいぞ。ここにきたのはお前を抹殺するためだぞ!』


「ま、抹殺!?」


『当然だぞ! 魔法少女裁判にて、お前は有罪だぞ! あれだけの命を奪ったんだから仕方ないぞーッ!』


ハンドパペットにしたカーバンクルの口がパカっと開き、中が赤く光る。

和久井は反射的に窓の奥に引っ込んだが、直後カーバンクルから炎弾が放たれ、窓ガラスを粉砕する。

そこで舞鶴が攻撃に気付いた。すぐに動こうとするが――、ピタリと止まる。


「舞鶴! 敵だ! 助けてくれ!!」


和久井の声は聞こえていたが、動かない。

その間に、カーバンクルは家の中に入り、和久井を殺そうと飛びまわる。

和久井は情けない声をあげて走り回り、家の外に出た。


「――たくない!」


和久井はポケットから手裏剣を取り出した。


「死にたくない!!」


和久井が手裏剣を投げたのを見て、舞鶴は顔を赤らめて叫ぶ。


「うひょおぉ! きたぁあああああああああああああああ!!」


舞鶴が思念で手裏剣を動かし、まずは向かってきたカーバンクルに直撃する。。


『ぐげぇ!』


苺が地面に落ちた。

そこで手裏剣は大きく旋回して橋の上を走っていたバスの窓を突き破って中に入った。

悲鳴は一瞬だ。走行するバスの窓に血しぶきが次々とかかり、真っ赤に染まっていく。

運転手が死んだバスは周囲の車に激突しながら減速していき、やがて動きを止めた。


車外に漏れ出る大量のソウルエーテル。

上空に控えていたサンダーバードはそれらを一つ残らず吸い込んでいく。

そして手裏剣は旋回しながら、和久井の傍に落ちた。

ごちに、なりやす!


「なんでそうなるんだよぉぉぉぉおぉお!」


無様な姿だ。舞鶴は必死に笑いを堪えながら和久井の傍に着地する。

そこで気付いた。カーバンクル・苺がどこにもいない。


「???」


逃げたのか。いずれにせよ問題点は隠れ家がバレてしまったことだ。

イゼにも情報がまわると非常にまずい。だが奈々実復活が近づいたことは喜ぼう。


「今はここを離れましょう。仲間が来る前に」


和久井の返事は無視して、舞鶴は彼を連れて飛び立った。





イゼ、モア、ミモは行きかう刑事たちを見ていた。

現場検証に立ち会っているのだが、そこでミモは泣きじゃくる小さな女の子と、それを抱きしめている中学生くらいの少女を見つけた。

二人の前にはブルーシートがかけられた遺体がある。


「母親らしい。母子家庭だったそうだ」


それを聞いてモアは腰を抜かした。真っ青で、苦しそうに呼吸を繰り返している。


「どうしてこんな酷いことができるのでしょう……!」


「大丈夫? モア様ッ!」


すぐにミモが背中を擦るが、モアは苦しそうに蹲った。

心が得体のしれない感情に支配される。それはモアにとっては耐え難い苦しみだった。

俗なものを抱えていては、お月様にはなれない。

月ではないモアは人間だ。人間だったのはパパとママだ。するとモアの脳裏にあの時の光景が広がってくる。


青い電撃が迸った。モアは神の降臨を願う。

祈らなければならない。近づかなければならない。

でなければまたあの悪夢が訪れるだろうから。

これは、そうだ。『恐怖』だ。月は恐怖を抱かない。


「………」


一方でイゼは怒りとも悲しみともつかぬ表情を浮かべた。

果てしない焦燥感が渦巻いているが、その理由は持っていた携帯に表示されている『映像』である。

フィーネ専用の動画投稿サイトに、つい先ほど投稿されたものなのだが、そこにはこの凄惨な事件の犯人が記録されていた。


「和久井、閏真……ッ!」


和久井が手裏剣を投げた映像が記録されている。

さらにカメラはその手裏剣にフォーカスを当て、バスに侵入して血しぶきが窓を汚すところまでが記録されていた。

もはや和久井の犯行であることは明白だった。

これで学校の生徒たちを細切れにした犯人も彼だということが予測される。

ただそうなると、この映像を撮影したのは誰なのか?


(舞鶴か……? なんのために映像を残した?)


イゼは強く、それは強く拳を握り締めた。

リゲルの件にしても、この今にしても、もっと自分が強ければ犠牲者を出さずに解決できたかもしれないのに。

いろいろ考えるのは、きっと泣きじゃくる幼い女の子の声が聞こえているからだ。

和久井の動画は現在、元動画は消されているものの、すでに転載されたものが出回っており、誰もが凄惨な殺人を目にすることができる。


『おねえちゃん、お願い――』


病弱なナナコは、よくイゼにお願いごとをした。

自分の命が長くないことを知っていたから、未練や希望を自分なりに消化したくて、イゼに託していたのだろう。


『わたしみたいに泣いてる妹がいない世界を創ってね』


ナナコなりの優しさだったのだと思う。

何もできずに悲しんでいるイゼに少しでも楽になってもらえるよう、『妹』という存在を特別視して、それを救えという。

世界中の妹が幸せになれば、たった一人だけ幸せにできなかった妹がいてもいいんじゃないかと思わせたかったのだろう。

イゼはそれを理解していた。だからこそ取りこぼした自分が許せない。

そして理由はどうあれ、その原因を作った和久井が許せない。彼は人を殺した。それは事実だ。教室内での犯行はまだわからないが、バスの殺人は確定的である。


「――すぞ」


「え?」


刑事の声や、泣き声で聞こえず、ミモは聞き返した。

するとイゼは振り返る。その目を見て、ミモはゾッとした。


「和久井を殺すぞ」


「……ちょっと、イゼさんマジで何言ってんの?」


「ヤツは人を殺した。その責任は負うべきだ」


「それはッ、そうかもしんないけど! でもまだ和久井がやったって決まったわけじゃないでしょ!」


「ミモ! 貴様はあの映像を見てもそう言えるのか! あの子たちを見てもそう言えるのか!」


イゼは母親の死体の前にいる姉妹を指さす。そうなるとミモも言葉が詰まった。


「和久井は確実にあの子たちの母親を殺したのだ! 裁きを下すべきだ!」


すると、ミモを庇うように、笑顔のモアが立つ。


「いけませんよイゼさん。人が命を奪うことは罪。だったら、イゼさんまでもが罪人になってしまいます」


「……?」


ミモはすぐにモアの顔を覗き込んだ。

なにか、違和感を感じる。先ほどまで苦しそうにしていたのに、それが嘘のようにニコニコしていた。


「貴女が人を殺めれば周りの人はどう思いますか? だから、ダメですよ、イゼさん」


「――ッ! すまぬシスター。少し冷静さを欠いた」


「ふふっ、よかったぁ」


にこにこ、ふわふわ、モアは死体に囲まれている。



夜。和久井たちは別のアジトを見つけていた。

島の端にある焼き肉屋だった。オーナーがトラブルを起こして、ずいぶん前に潰れたが、解体が終わっていないため、身を隠すにはちょうど良い。

和久井は寝ころんだまま時間を過ごした。舞鶴は傍にいるけれど、会話はない。

それはそれでもったいない気もする。いつだったか授業中に妄想した。


オレと、女が、平日の誰もいない町を逃げるようにして歩くんだ。

その逃避行で破滅的な愛情を育んでいく。二人で海を見るのもいい。お世辞にも綺麗とはいえない砂浜で灰色の海を見るんだ。

語るのは夢や希望なんて前向きなものじゃない。死や恨み、妬みつらみだ。

考えてみれば、今はそのシチュエーションに似ている。しかも傍にいるのは舞鶴だ。これは、とてもいい状態なのではないだろうか。

そう、思う。だけ。


「あ」


やがて舞鶴が口を開いた。和久井は何も喋らない。

舞鶴はお構いなしに携帯を見せてくる。そこにはフィーネのニュースが映っていた。アナウンサーが淡々と告げる。


つい先ほど、和久井の父親が殺されたらしい。


和久井の殺人動画が出回ったものだから、SNSで父親の勤め先がバレて乗り込まれたのだ。

和久井の父はまさか子供がナイフを向けてくるなんて思いもしなかった。

ニュースでは詳細は伏せられていたが、犯人は和久井に母を殺された姉妹の姉のほうだった。

それに伴い、舞鶴と和久井の写真が公開され、行方を追っていると明かされた。

この二人を見かけたら、警察に連絡するようにとのことだった。


「ごめんなさい。まさかこんなことになるなんて」


女優、舞鶴。声を震わせてみる。

男、和久井。陥落。惚れた女を悲しませてはいけない。

白目をむきながら、笑顔を浮かべた。

ほら、気にしてないぜ舞鶴。だからオレを好きになれ。


「……アイツうざかったからなぁ。死んでせいせいしたぜー! ひははははは!」


こういう時、男はピエロ役になっても女を楽しませるものだと父親に言われた。

あ、そうか。その父親が死んだのか。でもまあいい。最近、本当にウザかったし。


「殺されたの。復讐は、どう、する?」


「んべつにー。する価値もないってヤツだよ! 気にすんなって」


和久井の手が震えていた。その時、舞鶴は思った。


(てかコイツくさくね?)


舞鶴は気づく。和久井はもう長い間、風呂に入ってなかった。

それは自分もだ。舞鶴はゾッとした。かつてないくらいの恐怖を抱いた。

今までは奈々実復活のため、とにかく命を集めていればいいと思っていたが、そうではない。

奈々実を抱きしめた時に臭いと思われたら自殺する。


(やばい……! やばいやばいやばい――ッ!)


こんなことをしている場合ではない。舞鶴は和久井を放置して外に出た。

とはいえ、いったいどこに行けばいいのか。自宅はマークされていると思うし、スーパー銭湯は人が多い。ネットカフェだってリスクがあるし。


(私は別に殺してないってことになってるから、最悪捕まってもいいんだけど)


なんてことを考えていたら、みゅうたん1号と目があった。

舞鶴は固まった。じっとりと汗が浮かぶ。


『うざ。心配しなくても、知らせないわよ』


「え?」


『どいつもこいつも。アタシは誰も味方でもないっつぅの!』


みゅうたんはプイッとそっぽを向いて、しっぽをブンブン左右に振った。

なんだかよくわからないが、助かった。舞鶴はみゅうたんを通り過ぎて――


『やめないの? やめたほうがいいと思うけど』


「……ッ」


『ろくなことしてないんでしょ? どうせ。やめときなって』


「………」


舞鶴の目は、据わっていた。


(やめてたまるか!)


みゅうたんを無視して、舞鶴は歩いていく。


『待って』


みゅうたんは尻尾で右側の道を指示した。


『こっちにいけば、お風呂に入れるわよ』


「………」


舞鶴は猛スピードで戻り、みゅうたんが示した道を歩いて行った。

しかし舞鶴だってこの周辺の地形は事前に調べてある。銭湯の類はなかったはずだ。


(あのクソ猫、適当なこと言ったなら殺してやる)


それにしても、猫か。

舞鶴は昔は思い出した。

猫好き有名人スペシャル。あの番組を見た後に、猫に熱湯をかけて殺す虐待動画をDMで送ったっけ。

誰に? わからない。忘れた。

なんで? わからない。忘れ――


『猫、飼って!』


母親は何も言わなかった。

何も言わずに仕事に出て行った。

それはおかしい。舞鶴は憤慨した。家には自分一人なのだから、誰かが一緒にいるべきだと先生は言った。

みんな親やお祖父ちゃんなんかがいると言っていた。でも舞鶴は一人だ。だからペットで妥協してあげるというのに断るのはおかしい。理不尽だ。

そんな昔の話だ。舞鶴は首を振って、歩行スピードを進めた。


「あ」


ミモが前にいた。


「お風呂、入れてあげるよ。ただし、一緒に入ろ」





アポロンの家のお風呂に、舞鶴はいた。


「あのシスターは?」


「お祈りしてる。え? てかさ、なんで縮こまってんの?」


(テメェに乳首見せたくねーからだよ! ぼけ!)


本当は、裸を見せるのは奈々実の前だけがよかった。

しかしそれでも風呂に入れるメリットは大きい。奈々実と再会したら、告白する。きっと彼女は受け入れてくれる。

そうなると即性交という可能性は十分にあった。それならばというわけである。


それに奈々実の裸を誰かに見られるよりかは何万倍もマシである。

だから舞鶴はお湯の中で体育座りをしている。

そして何気に目を見開いて、体を洗うミモを見ていた。


「なにがあったの?」


頭を洗いながら、ミモはさらりと聞いた。

舞鶴は一点を見つめていた。馬鹿そうな見た目をしていると思ったら本当に馬鹿だったんだと思う。ミモは泡が入らないように目を閉じている。

目を閉じているから簡単にスパッと殺せる。バカだ。たぶん。


「……私が、武器を、渡した。和久井に。パラノイアから守る方法が、いるって、思った、から。でも、それで和久井が、みんな、を、殺しちゃった」


「なんで? 和久井がみんなを殺したいって思ったわけ?」


「特別クラスしか行ってないとはいえ、登校中は、出会うでしょ? 殺されたグループ、結構、細い道でも、真横に広がって歩いてたから……、一回、和久井が注意っていうか、文句を言って、揉めたみたい。私は和久井に、自分から罪を認めてほしいって、思ってる。友達、だから」


「そっか。だから一緒にいたんだ。納得」


(あー、こいつもマジでバカで助かった。私がなんであの教室に行ったかとかは聞かないわけね? オーケーオーケー。楽でいいー!)


「あたしも力になるよ。なんでも言って」


ミモも使えるかもしれない。ここは適当に褒めて、好感度を稼いでおこう。


「ありが、とう」


「ん」


「思った、より、乳首、綺麗だね。ふへっ」


シャワーでお湯をかけられた。選択肢を間違えたらしい。

しばらくしてミモが隣にやってきた。肩を並べてお湯につかるが、まあ気まずい。

ぶっちゃけ、ぜんぜん仲良くないし。二人の間にあるのは一度カラオケに行ったということと、魔法少女という点だけだ

どれ、ここはひとつガールズトークにでも興じて親交を深めておくか。


「好きな、食べ物、ある?」


「んー、甘いものかな。舞鶴は?」


「からあげ」


「マジ? あたし作れるよ。とってもおいしいから今度作ってあげよっか?」


(いるかぼけ。どうせ手とか洗わないで手もみするんだろ? 死ね)


「ねえ舞鶴。嘘、ついてないよね?」


一瞬、ここでミモを殺そうと思った。馬鹿に見えて意外と鋭いらしい。

しかし流石にその後、言い訳ができない。だから、もっと、別のやり方だ。


「ちょっと、ついてる。本当は和久井、説得するつもり、なかった」


「それは、どーゆー……?」


「和久井を、殺す、つもりだった。私が、私の手で。罪を重ねた友人への、せめてもの、情け。だからその前に少しだけ、ほんの少しだけ二人でお出かけがしたかった。その間に、罪を自覚して、くれなくてもいい。でもほんの少しだけ二人で過ごすことができればそれでよかった」


「舞鶴、まさか、和久井のことが……?」


(なわけねぇだろ、死ねカス)


まあでも信じてくれているのはいい。適当に作った言い訳を続ける。

お出かけの途中、結局和久井は次の殺人を犯してしまったと。


「死刑に、しようと……。でも、殺せ、なかった。私には。だから、せめて、誰かが終わらせてくれるように、あの動画を、撮影した、の」


「そっか。話してくれてありがと。うれしい。ぎゅーする?」


一瞬、悪くない提案だと思った。

しかしその瞬間、舞鶴の脳裏に奈々実の死体がよぎった。

待て。ちょっと待てと。そもそも舞鶴は奈々実がどうやって死んだのか覚えていない。

魔法少女になる際に記憶を失っているからだ。今までは当然、パラノイアによる仕業だと思っていたが、魔法少女にやられたとは考えられないだろうか? ということは隣にいるミモが最愛の人の仇だという可能性もある。


ダメだ。

ダメだダメだ! 駄目だ!!

育んではいけない。彼女以外の絆など!


「する、もんか」


「かー! でも、そっか、そうだよね」


次の瞬間、ミモの声のトーンが変わる。


「イゼさんも結構マジで怒ってたよ」


「……どんな風に?」


「和久井を殺すって」


悪くない。だが今、殺されるのも少し違う。

そんなことを考えながら、二人は風呂を出た。

ミモがアイスをくれたので、それをかじりながらリビングに行くと子供たちが駆け寄ってきた。


舞鶴は子供が大嫌いだった。

ギャーギャーギャーギャー、ファミレスなんかで騒いでると全員殺したくなる。

全員パラノイアにむごたらしく殺されてくれないものか。それとも和久井を煽ってこの子たちを次のターゲットにしようか。

そんなことを考えていると、奥のテレビに目がいった。


『遺書には息子がご迷惑をおかけしました。死んでお詫びを――』


和久井の母が首を吊って死んだらしい。


(やばすぎて草ァ! おもろすぎることになってもうてまぁす!)


なんだかテンションが上がってきた。

外、走りたい! 舞鶴はすぐに和久井のもとへ向かった。

ミモに引き留められたけど、彼女の言葉なんてひとかけらも舞鶴には届かない。



その和久井は固まっていた。

真っ暗な焼き肉屋で何をするでもなく、ただひたすら時が過ぎるのを待っていた。

するとそこへみゅうたん1号がやってくる。


『お母さん死んじゃったって』


「あ、そう」


『……は? いやちょっと、それだけなの?』


「おお」


『ムカツク』


なぜ、みゅうたん1号が和久井のもとに来たのかは、自身でもわからない。

ただ、なぜかとてもムカついた。何かが脈打つ。みゅうたんの心が大きな波紋を生み出した。気づけば、みゅうたん1号は消えていた。

入れ替わるようにして舞鶴がやってくる。


「おかあさま! 亡くなったって! ごめんなさい。私のせいだわ! 胸が痛い!」(欠片も思ってねぇけどな!)


すると和久井が振り返った。彼は笑っていた。


「全然ッ、大丈夫! 大丈夫! あ、あは! 気にすんなって! 別に親なんて子供より早く死ぬんだから! むしろウザいのが二人ともいなくなってラッキーだわ!」


「でも気を付けて! イゼさんは貴方を狙ってる! 貴方を殺そうとしている!」


「ガチ? ガチで? ひ、ひはは! それやばくね? やばいって絶対? ガチ!? でも別に心配すんなって。気にしてねーからマジで!!」


和久井は裏返った声で笑う。落ち込んでいる舞鶴を慰めることに加えて、動じていない勇敢な自分を見せれば、舞鶴を落とせるのではないかと思っていた。

そうだ。告白するなら今だ。最悪殺されるかもしれないんだから、やれることは早くやっておかないと。幸いココには誰もいないのだし。


「な、なあ! 舞鶴、あ、あ、あ、オレ! お前のこと! 好きなんだ!」


「……は?」


つか、ちょっと待って。なんか臭くね? やばくね?


「あ」


舞鶴は見つけた。和久井の周りに紙ナプキンが丸めて散らばっている。

店に置きっぱなしにしてあったものを使ったのだろうが、何を拭いたのか?

舞鶴は悲鳴を飲み込んだ。どうやら和久井は自慰行為で現実から逃避していたようだ。


「頼むよ! や、や、やらせてくれねぇか! は、はは! うへはははえへは!」


和久井は目の焦点が合ってなかった。

オナニーや酒で少しでも気を紛らわせないと、死がやってくる。


「あ、あれだよ。舞鶴。ハワイに訪れた芸能人なんかが花の首飾りみたいなのかけてもらうだろ? オレもあれをやられるんだよ! あれはきっと死神だ! 腸をオレの首にかけて歓迎してきやがる! くそっ! くそくそくそ! オレは殺してねぇっての! なあ舞鶴! はは! ははは! なあ!?」


なあ、と言われましても。

夢の話をしているのか、それとも和久井にしか見えていないものの話をしているのか。


「じゃあ、また、これ、を、渡しておくから。死神、が来たら、投げて」


拾っておいた手裏剣を和久井に渡す。和久井はニヤリと笑ってそれを受け取った。


「じゃ、あの、舞鶴ッ! やらせてくれるんだよな?」


「は……? むり」


舞鶴は和久井を突き飛ばすと、焼き肉屋の出口に向かう。

振り返ると、和久井は笑いながらオナニーに興じていた。


(壊れた? じゃあマジでゴミじゃん。死んどけカス)


魔法少女に変身して装甲を纏い、夜空へ舞い上がった。

きっと、もう少しだ。もう少しで奈々実に会える。嬉しくておかしくなりそうだ。



次の日は曇り空だった。

和久井はフラつく足取りでコンビニにやってきた。

自慰行為なんて、全てを忘れられるのはほんの一瞬だけだ。

そこからはまた死神が自分を抱きしめにやってくる。それを忘れるには、やっぱり酒だ。あれが一番いい。


和久井は一番高いアルコール度数のチューハイをポケットに入れた。

一本じゃ絶対に足りないので、もう一つ盗んで逆側のポケットに入れた。

そういえば舞鶴はパンを持ってきてくれなくなった。何か食べたい。

その時、和久井は口を押えた。焼肉が食べたいと思ったが、肉の映像が浮かんだ瞬間、死体が思い浮かんだ。腸がやぶれて、そこから覗いた便が床を汚していたっけ。

やばい。吐く。和久井は店を出ると、そこそこ広い駐車場で蹲った。

なんとか呼吸を整えていると、肩を叩かれる。


「キミ、お酒盗ったよね」


店長らしいが、厳しい表情だった。和久井はなんだか凄まじく腹が立った。

こっちは店を汚さないように堪えてやったというのになんだその態度は。

そもそも酒がないとダメなんだ。それなのに未成年かどうか、いまさら確認してくるのはなんなんだ。

お前はなんなんだ。お前にオレの苦しみが理解できるのか。


「オレは殺すつもりはなかったんだ。これは仕方ないんだ。オレを苦しめるお前はなんなんだ! くそっ! くそくそくそ! ちくしょうッッ!」


そこで店長がアッと呟いた。どうやら目の前にいる人間が、テレビやニュースで取り上げられている和久井だということに気づいたらしい。

店長は和久井の腕を強く掴んだ。

どうやら店長の友人の息子が、顔面をズタズタにされて殺されたらしい。

だから絶対に和久井を捕まえなければならない。

店長は和久井を引き起こして連れていこうとする。


「痛いって言ってるだろ!」


しかしそんな言葉を店長は無視して、コンビニに連れて行こうとする。


「なんなんだよお前は!!」


和久井が叫んだ。和久井はもう一方の腕でポケットの中にあった手裏剣を掴み取る。

そして、投げた。

待ってましたと、上空で和久井を監視していた舞鶴が手裏剣を動かした。


店長の頭が割れて血飛沫が舞う。

サンダーバードが思い切りライフエーテルを吸い込んだ。まだ食わせろ。

そんな声が聞こえた気がしたから舞鶴は手裏剣を動かし続ける。


近くにいた名前も知らないおばさんの腕を斬った。

隣にいた小さな男の子は息子だろうか? 母親の腕を持ったまま泣き始めた。

クソウゼェ。舞鶴はニヤリと笑って、男の子の耳を狙った。

やった! 見事に耳だけが地面に落ちたぞ!


「ブッサイクなガキ! 母親もブスでババアって! 救いようないでしょ!」


どうせ生きてたって、いじめられて自殺するだけだろうから、今ここで殺してあげよう。舞鶴は笑いながら手裏剣を動かす。

泣いてる姿も可愛くなくて笑ってしまう。なんか、×××みたいな顔ですね。


「もういいよ」


和久井がポツリと呟いた。


「もういいって」


なぜか、それは舞鶴の耳にハッキリと届いた。

よくねぇよカス。舞鶴は笑い、手裏剣で子供をバラバラにしようとする。すると母親が子供を抱きしめて覆いかぶさり、必死に守ろうとした。


うざい。うざすぎる。

舞鶴は激しい怒りを覚えた。なんの意味もない行為だ。

舞鶴は手裏剣を落とすようにして、母親と息子を纏めて貫いて、四等分にしてみせた。


それだけではない。

手裏剣のスピードは速い。騒ぎを聞いて駆けつけてきたジジイの首を一撃で切断すると、店長の様子を見に来たバイトの腹を掻っ捌いて臓物を散らす。


まだ止まらない。

悲鳴をあげたお姉さんの右腕を切断し、逃げようとしたところに一発、次は左腕を肩から切断した。

両腕から血しぶきをあげると、お姉さんは狂ったのか、笑いながらおしっこを漏らした。

それを見て腰を抜かしたおじさんの喉を切って、大きなイボがある額、眼球、クソを覗かせた鼻、カサカサの唇、すべて赤い線で塗り潰してズタズタにした。


次は手裏剣を動かして、車で逃げようとしていたお兄さんの後頭部をブチ抜いた。


「誰かこれ止めてくれよぉおぉおぉお ひはっ! うへはあはは」


和久井は鼻水を流し、涎を垂らし、おしっこを漏らしながら笑っていた。

舞鶴は笑った。もちろんこれも浮遊する折り鶴で撮影してある。

あとでネットに流して、凶悪殺人鬼としての経験値を稼いでもらおう。


「あ?」


手裏剣を動かす感覚が消えた。理由は、手裏剣が消えたからだ。

イゼだ。高速移動で駆けつけて、剣で手裏剣を破壊した。


「助かった助かった」


血まみれの和久井は感謝の意を述べた。

するとイゼが近づいてくる。和久井は愛想をよくするためヘラヘラすることにした。

次の瞬間、イゼの拳が和久井の顔面ど真ん中に叩き込まれた。


「へげぇえ!」


鼻から出血しながら倒れる。一瞬の混乱の後、激しい怒りが込み上げてきた。

なにするんだ。オレは被害者なのに。可哀そうなのに。慰めや優しさをくれよ。


「なにしやがるなにしやがる! なにをしやがるーッッ!」


和久井はイゼに掴みかかった。


「理不尽な目に合うオレに優しくしないお前は敵だ! うあぁあああ!」


本気でそう思っていた。だがその態度が、イゼの逆鱗に触れた。

無理もない。人を殺しておいて保身に走ろうとする態度が気に入らなかった。

イゼは剣を振って、和久井の肩に傷を作る。


「ウギャぁあぁ!」


和久井は倒れ、喚く。

そこへミモが駆け付けた。少し遅れてモアもやってくる。

走ってくるまでに見つけた死体の山のせいで、二人は和久井を庇うという発想に至れなかった。そうしているとイゼは和久井の前髪を掴んで、引き起こす。


「答えろ和久井! 貴様が教室にいた人たちを殺したのだな!?」


「アイツらが勝手に死んだだけだ! オレは何にも悪くねぇ! 手を放せェええ!」


和久井は唾を吐いた。イゼは顔を逸らしてそれを避ける。


「ろくに調べもしないで攻撃してくるなんて最悪だ。最低最悪だ! 何が魔法少女だ! バカの集まりじゃねぇかァア! 謝罪しろゴミ女ァア!」


和久井はイゼが嫌いになった。世界が嫌いになった。

なんでオレに優しくしないんだ。なんでオレに有利に働いてくれないんだ。

なんでオレの都合のいいように動いてくれないんだ。嫌いだ。全部嫌いだ。和久井は叫んだ。ふざけんな。


死ね。


「ッ! え? マジ!?」


その時、ミモもは左を見てから、すぐに右を見た。

光の柱が三本見えたが、これは間違いなくアブダクションレイである。


「タイミング最悪すぎるって!」



ショッピングモール。

買い物を楽しむ人たちを想像して、駐車場にいた『それ』は叫んだ。

人の群れを上から見たらそれは黒や茶色の点。それが群がって買い物をしているということだ。


「ぎゃあああああああああああ!」


俺はただ画像ファイルを開いただけなんだ。あいつらが悪いんだ。面白がって、あんな画像を作りやがったんだ。どんな気持ちだったんだ。点の一つ一つを張り付けたコラージュだなんて。頭がおかしいんじゃないか。俺はただ画像を見たかったんだけだったんだ。だったんだ。●ばかり。アぁ、ああぁあ! んあぁぁあ!


「●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●――ッッ!!」


誰もあれもこれもそれもあれも。恐怖。

俺は双子、『集合恐怖症』のポルックス。


その化け物は、蓮の実のようにビッシリと黒い点がしきつめられた帽子を被っていた。

人型で、何も描かれていない仮面を被り、マントで姿を覆い隠している。

ポルックスは叫びながらマントを広げた。

そこには体中にびっしりと『目』が敷き詰められている。そして仮面が砕けた。顔にも、首にも、びっしりと『目』がある。


「やつねれくじゃまち!」


その目が光ったかと思うと、光線が発射されてショッピングモールに直撃する。

ポルックスは恐怖で嘔吐した。しかし口も胃もないから、かわりに全身の目から光線を発射する。

爆発が起こった。悲鳴を瓦礫が押しつぶしていく。

潰されて死んだ人間もいるだろうが、運よく生き残ったものたちもたくさんいた。しかし生き埋めになった彼らは恐怖で叫ぶ。


暗い。痛い。そして――、熱い!


ポルックスは泣いていた。怖いからだ。

彼の涙は人間のものよりも勢いがいい。

消防車が放水するような勢いで全身の目から涙を飛ばす。

そしてこの涙と類似したものがあるとすれば、それは燃料だ。


「助けてぇえぇ! 助けて助けて助けて――っ!」


生き埋めになった誰かが必死に叫び、視界をふさぐ瓦礫を叩き始めた。

もちろん瓦礫はビクともしない。でも早く逃げないと火がやってくる。

それは足元に感じる熱でわかった。

その足は瓦礫に挟まって動かない。


動けない。

生き埋めになっている人たちはあまりの恐怖でおかしくなりそうだった。

いっそ舌を噛んでしまおうか、などと思うくらいには。



二本目の光の柱。そこでも悲鳴が聞こえている。

私は。彼。吊り橋。嫌だといった。無理だと。言いましたよね? だったら動けないことを笑うのはおかしい。この×××が! あぁぁぁああ!

いつかそれはまたそして誰もかれも夢が――ッッ!


私は馭者。『高所恐怖症』のカペラ。


そのパラノイアはクレーンに似た乗り物に『立っていた』。

立っていたというよりは立たされ、縛り付けられていた。クレーンは浮遊し、アームから伸びたフックが、逃げようとする人を捕まえる。

クレーンの下は車ではなく、浮遊装置だった。カペラは捕まえた人間をぶら下げていた籠の中に入れる。

そのままある程度、籠の中に入れると、クレーンは急加速して上空四千メートルにまで達する。

そしてフックで籠の中を漁り、人間を取り出した。


「助け――! うぎぃい!」


最初の被害者は銀行に勤める女性だった。

浮遊装置から伸びたサソリの尾のようなものが、女性の背中に突き刺さる。

正確には何かを植え付けられた。巨大な卵のようなグロテスクなものだ。


そこでクレーンが振り上げられ、女性は大空に放り投げられた。

カペラはそれを繰り返す。人間に球体を植え付け、投げ、植え付け、投げる。

ではこの球体は何なのか。見れば点滅しているのがわかる。

爆弾だ。カペラはターゲットを人間爆弾にして、空から落とし、街を破壊するのだ。

合計被害者は六人。パラシュートもなく落下していく彼らに、助かる術はない。



そして三本目の光の柱。海辺にある病院が狙われた。

細長い触手が小児科の窓を突き破り、子供たちの足に巻き付いて持ち上げる。

そのまま強引に病院の外へ引きずり出すと、ゆっくりと海に引きずっていく。


「助けてママぁ! いい子にしますから。たすけて。たずげで! やだぁああ!」


泣き叫ぶ子供たちを捕まえようといろいろな大人が努力するが無駄なのだ。

子供たちは次々に海の中に落ちていき、沈んでいく。

海中ではヘルメット式のダイビングスーツを纏ったパラノイアが恐怖に震えていた。


「ばぶべべぶばばい」


ごばっぼべぶぼぼばばばぶべっばっっばずげっっびばべべべべ。

そんなことがあったの。それからです。


ぼくは子犬。『海洋恐怖症』のプロキオン。


プロキオンは子供たちの足首に、鎖の先に錘が付いたフックを突き刺していった。

激痛。息もできず、子供たちは真っ暗な冷たい闇の中に消えていった。


「まずいよイゼさん!」


ミモが叫んだ。叫ばないとサイレンや悲鳴で聞こえないからだ。


「早く助けにいかないと!」


「だが! この目の前にいる悪党わくいを放っておくわけにもいくまい!」


「本気で言ってんの? そもそも和久井が犯人って決まったわけじゃ――」


ミモとイゼは気配を感じて、そちらを睨んだ。


「大変なことになってんなァ。オイ……!」


室町アイ、その両隣には市江と苺がいた。既に変身しており、銃を発砲する。

注射器ではなく、魔法で作った弾丸も発射できるらしい。

それは今まさに立ち上がって逃げようとした和久井の足に直撃する。


「ギャァアアアアア!」


血が散った。和久井は悲鳴をあげて転がりまわる。


「いでえぇぇえぇええ! あぁぁがぁあ! ぐっぉ! ぢぐしょうッ!」


「ハハハ! こんなヤツ、さっさと殺しちまって、人助けといこうぜェ? もたもたしてるとフィーネがグチャグチャになっちまうぜェ?」


アイはご丁寧にアポロンの家の方向を指さした。

子供たちがパラノイアに殺される映像が浮かび、ミモは反射的に駆け出した。

しかしそれを怒号で呼び止めたものがいた。和久井だ。


「ま、待ってくれ! 頼むミモ! オレを助けてくれ!!」


「ッッッ!」


一緒にカラオケに行ったくらいの思い出しかないが、それでもミモには和久井を置いて駆け出す気分にはなれなかった。

ただ焦っていたのは和久井も同じだった。とにかく今はミモを味方につけないと命が危ういと思ったのだろう。

言わなくてもいいことをベラベラと口にし始める。


「金は払うから! お前のことッ、もう頭悪そうなんて思わないから! お前で抜くようにするから! 推せばんだろ推せば! ほら、どうしたんだよ! なんか言えよ! 早くオレを助けろよクソがァ! ブッ殺すぞ脳みそ足りねぇアバズレがぁあ!」


それはとても助けを求めるもののすることじゃない。

なんでそんなことを言うのか。もしかしたらそういう人間だからなのか。

その時、ミモでさえ思った。

こいつはゴミだ。だから捨てればいい。捨てなければならない。

仕方ない。和久井の目は血走り、悪臭を漂わせていた。限りなくゴミに近い男だったのだから。こんな男に時間をかけるのがもったいない。


「……イゼさんの好きにすれば? 行こうモア様」


モアは迷っているようだった。和久井を見捨てることに抵抗があるようだ。

するとミモはモアの腕をつかんで強引に連れて行こうとする。


「おい待てよミモ! ど、どこに行くんだよ! へへへ! 待て。待てって! 悪かった。焦ってたんだよ。痛いから。って、なあ、おい! 待てよテメェ! ガチで殺すぞ!!」


和久井は立ち上がる。そこでイゼに腹を切られた。

傷は浅いが痛い。血が出た。

和久井は倒れて叫ぶ。そこで上空にいた舞鶴と目が合った。


『ご』


舞鶴の声が聞こえた。気がした。


『め』


舞鶴は一文字ずつ、はっきりと聞こえるように言う。


『ん』


「ごめんって……、なんだよそれ?」


和久井が聞き返すと、舞鶴は微笑んだ。


『死んで』


………。


「ふざけんなよぉおぉおぉぉぉ! 舞鶴ゥウぁあッッ!!」


和久井は立ち上がる。そこでアイに撃たれた。

血をまき散らしながら再び地面に倒れる。すると血で濡れた指で頭をかきむしる。


「テメェのためにやっだのに! あぁぁああクソクソクソクソ! 死ねよクソがァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


怒りに吠えていたが、イゼが近づいてくるのを見つけて、その叫びは恐怖に染まった。


「た、頼むよ! なぁ、殺さないでくれよぉ。オレは利用されてた被害者なんだ! 舞鶴の居場所も全部教えるから助けてくれ! なんだったら、オレが舞鶴をアンタらの代わりに殺してやるから! なあ頼むよ! なあ、なあって! おい聞いてんのか!?」


イゼは聞いていなかった。昔を思い出していたからだ。

妹のナナコは苦しそうに呻きながら、イゼの手を握った。


『おねがい。おねえちゃん。人殺しをする人だけは許さないで……! たとえ犯人を殺めることになったとしても! 罪を背負ってでも! 誰かを不幸にする人を絶対に許さないで! そしてそれが男の人だった場合、容赦はしないで! ごめんね。でも、ナナコのお願いだから! どうかお願いね!』


そう、そうだ。ナナコのために。


「和久井ッッ、お前を殺す!」


「ざけんな……! ざけんなざけんなふざけんなァあァァぁアァあア!」


和久井は悲鳴をあげて逃げ出す。

誰も彼を助けない。むしろモアのもとへ向かうのを塞ぐようにして、ビッグフットが落下してきた。

それがミモの答えというわけだ。彼女は悪人ではないが、聖人君子でもない。

この面倒な時間が和久井を殺して終わるなら、それでもよかった。


モアは迷っている。迷っているからこそ、さっさと殺したほうがいい。

立ちすくむ和久井にむかって、苺が突進を打ち当てた。

情けない声をあげて地面を転がって、立ち上がったところで、アイに全身を撃たれ、血をまき散らした。


「なんだよお前ら! なんなんだよ! ちょっと手元が狂っただけだろ! 殺しちまったもんはもう仕方ないだろ! 許せよ! いつまでキレてんだ! あぁあ! クソめんどくせぇ女どもだな! 生理中か? ちょっとは冷静になれよ!」


叫ぶ和久井だが、その時、すさまじい冷気を感じた。

市江のハンマーから発生したものだ。すると和久井の足元が凍り付き、動きが完全に拘束された。

そこでイゼが剣を持って近づいてくる。


「まさか魔法少女が結束して倒すのがコイツになろうとはな」


「ま、待って! 許して! 失礼なこと言ったなら謝るから!」


和久井は必死に命乞いをするが、もはやイゼに聞く耳はない。


「もたもたしている暇はない。さっさと始末して正義を執行する!」


イゼは剣を振り上げる。和久井は純粋な悲鳴を上げる。


「うぎゃぁあぁあぁぁぁぁぁあぁああ!」


そこで剣が振り下ろされた。








………。








「なに――?」


イゼは目を見開いた。それはアイたちも同じだ。

和久井を殺すための剣が、和久井を殺せていない。

右手、右手だ。右手のせいだ。右手が剣を掴んだせいだ。

だがそれは、ただの右手ではない。


「……くそ」


和久井は仰向けに倒れていた。

思わず口から漏れた言葉は、少し変だった。

助かったのだからもっと喜ぶべきだ。事実、彼はとても安堵していた。なのに気に入らないといった顔で空を睨んでいる。


迫る剣がスローになった時、和久井の視界には走馬灯が広がっていた。

死ぬ前に、今までの人生がフラッシュバックされていく。そこで『モンバス』を思い出した。

一時、ほんのわずかな青春。しかしはて? ゲームはいつやめたんだっけ? みんなと疎遠になった時もしばらくは売らなかった。


そうだ。一人だけいた。あのゲームで一緒に遊んだヤツが。


本当にカスプレイヤーだった。

モンスターを狩ることに胸を痛めているようだった。

たかがゲームだぞカス。一緒にやるのが面白くないから、思い出にもなってなかったが思い出した。


でも変な奴だったな。

ゲームでオレがやられそうになると、一気に動きが変わって助けてくれるんだ。

それを思い出した和久井の視線の先に――、虹があった。


「大丈夫か? 和久井」


とても綺麗な虹だった。

とっても綺麗な虹だった。眩しくて、温かいから、どうしても涙が出てしまう。


「またテメェかよ。またテメェがおいしいとこ持ってくわけかよ。なあ?」


剣を掴んだのは、ただの右手じゃない。ヒーローの腕だった。


「べつに。俺はただ、友達おまえを助けに来ただけだ」


虹色のバリアがイゼを吹き飛ばす。


真並まなみ光悟こうごは、確かに和久井の前に立っていた。

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