第40話 デッドエンド


しかしイゼは違った。

飛んできた注射器を剣で弾くと、そのままアイのもとへ走り、剣を振り上げる。


「アイ! どういうつもりか!? 答えよ!」


アイはニヤリと笑うと、銃をクロスさせて剣を受け止める。


「おいおいィ! まさか本当に仲良くなるためにココに来たとでも思ってんのかァ!」


競り合う二人のもとへ苺と市江が飛んでくる。

イゼはアイの腹を蹴って後退させると、マントを分離させた。

ひとりでに広がるそれは、まるで蛾の羽だ。

巨大な眼のような模様が描かれた四枚の羽がバリアを生み出し、市江が振るったハンマーを受け止める。


しかも羽からは鱗粉が噴射されていく。

これを吸い込むと動きを鈍らせることができるのだが、既にこれまでの戦いで情報は伝わっているらしい。

市江は息を止めると、ハンマーを展開させた。文字通り冷蔵庫が開くと、中から吹雪が発生して鱗粉を吹き飛ばす。

ただし羽そのものはビクともせず、むしろ眼状紋が光り輝いて衝撃波を発生させることで市江を吹き飛ばした。

一方、空中に浮遊した苺は、カーバンクルの口から炎弾を発射してイゼを狙うが、高速で動き回るターゲットを捉えることはできない。

標準を合わせることができても、イゼは剣を振って炎弾や注射器を弾いてみせた。


「室町! 冗談では済まされないぞ!」


イゼは踏み込み、アイに向けて突きを放った。


「上等だ! 冗談じゃなかったらどうする? アァ!?」


アイは体を逸らして攻撃を回避すると、イゼの手を絡めとる。

しかし気づけば投げ飛ばされていたのはアイのほうだった。


「チッ! さすがに英雄の孫ともなりゃあ、そこらへんのマヌケよか動けるってか!」


魔法少女になった時、ユーマが戦闘に必要な動きを情報として脳に流し込んでくれる。

しかしイゼの場合は血筋ということもあって、そもそもパラノイアと戦うための訓練を積んでいたのだ。その差はやはり如実に表れるのだろう。


「あんま使いたくはなかったけど、しゃーねぇなァ!」


アイが後ろに下がっていく。

イゼは追おうとするが、そこで苺が突っ込んできた。

アイは、二人が戦っている間に腰の部分から注射器を取り出して自分の腕に突き刺した。中にある銀色の液体が体内に注入されると、唸り声をあげる。


そしてすぐに吐血。

どうやら身体能力を強化する液体らしいが、負担も大きいというわけだ。

口からだけじゃない。鼻や、耳、目から垂れる血液。それだけでなく、ブチッと音がして皮膚の一部が裂けると勢いよく血が噴き出してきた。


「ダセェもんだぜッ!」


しかしデメリットのぶん、その効果はすさまじい。

アイが地面を蹴ると、目にもとまらぬスピードでイゼの真横につく。

イゼは飛んできた掌底を剣で受け止めるが、凄まじい勢いで後方へ吹っ飛んでいった。

その隙にアイは猛スピードで走る。

麻痺して動けない舞鶴の髪を、血まみれの手で掴んで引き上げると、肩当になっていたサンダーバードの頭部を力任せに外してみせた。


「舞鶴ゥ! テメェはシステムってモンを理解してるかぁア?」


アイは血を吐きながら次々にユーマのパーツを剥ぎとっていく。

ある程度それを繰り返すと、舞鶴を投げて、落ちているサンダーバードの頭部を思いきり踏みつけた。

ヒールの部分が突き刺さり、サンダーバードが悲鳴に近い鳴き声をあげる。

さらにダメ押しのように銃で落ちたパーツを射撃していくと、異変が起こった。


「ユーマは頭部に制御装置が組み込まれているケースがほとんどだ。さらに各パーツが破損すれば、それだけ機能面でも障害が出てくる。そうなりゃア、もちろん戦闘面においても不利になる。多少なら問題ねェが過剰なダメージを受けるとそうも言っていられない」


サンダーバードのパーツが全て消失したのは、その時だった。


「ンなッ!?」


舞鶴の眉毛が太くなり、髪も焦げ茶色のボサボサしたものに変わる。

魔法少女のコスチュームはユーマから供給されるものだ。ユーマが故障すれば機能が封じられるのは当然である。

こうして舞鶴の変身が解除されたわけだが、心配はいらない。

ユーマには超再生能力があって、どれだけ粉々になろうとも若干のタイムラグ程度で済むから魔法少女は心置きなくパラノイアとの戦闘に集中できる。

現に今も、時間にしてみれば約五秒ほどでサンダーバードの修復は完了し、舞鶴の背後に再出現する。

その時、アイが下卑た笑みを浮かべた。


「消失現象はユーマ自らが行う安全装置」


身体強化の反動で血が流れるのは、実は悪い話ではない。

チュパカブラはそれを利用できる。アイはずっと自分の血を腕輪にチャージさせていた。

入れた薬もそろそろ切れる。タイミングは今しかない。


「やめて!!」


危険を感じて舞鶴は叫んだ。でも遅かった。

フルパワーで放たれた赤いエネルギーがサンダーバードに直撃して、大爆発を巻き起こす。

ちまちま破壊しても、ユーマは逃げてしまう。だから凄まじい威力で一撃破壊。するとどうなるか? 舞鶴は知らないけれど、アイは知っている。


「あッ、あ! アァ!」


舞鶴は目を見開いて震えていた。

粉々になるサンダーバードの破片の上では、いくつもの光球が漂っていた。

美しい天の川。そこへチュパカブラは突っ込んでいき、次々とそのソウルエーテルを飲み込んでいく。


「やめろォオオオオオオオオ!!」


舞鶴が悲鳴をあげた。濁音交じりの叫び声がおかしくてアイはケラケラ笑っている。

そこでイゼに殴られた。地面を転がっていくが、まだ笑っている。

だってもうチュパカブラは全てを捕食済みだ。


「ソウルエーテルを舞鶴に返せ!」


「ぎゃははははァ! 嫌に決まってんだろォお!」


同じことをされては困ってしまう。だからチュパカブラを消滅させた。


「ハハハハッ! まあ、でも、アレだ。アレだよ! アレアレアレ! アレらしいぜェ! ユーマは契約者が死ねばフリーになるってよ! だからほら!」


一瞬、真顔になる。直後またニヤリと笑った。


「返してほしかったらアタシを殺してみろ。それが無理なら、まずはアタシが蘇生するのを待ってろって、ハ! ナ! シ!」


左右にやってくる桃山姉妹。

アイが指を鳴らすと赤い霧が発生して、姿を隠していく。

イゼがすぐに剣を振って風を発生させるが、もうアイたちの姿はどこにもなかった。

同じくして薬が切れたのか、ミモとモアも再び動き始める。


「大丈夫ですか舞鶴ちゃんっ!」


モアに支えられて体を起こした時、舞鶴は完全に理解した。

今まで頑張って命を懸けてパラノイアと戦って、それで蓄えてきたソウルエーテルが全部アイに奪われたのだ。


(マジで殺すぞッッ! あのゴミ屑カス女ァァア……ッッ!! 死ね、死ね死ね死……、待って、待て、待ってよ。同じことすればいい? いや、無理ッ、さすがに同じことを狙うのはバレる。だからアイツ、すぐにチュパカブラを消してッッ! ならいっそガチで殺――ッ!? いやッでも、絶対イゼが止めてくる。いい子ちゃんが許すわけない。じゃあどうすれば? は? 待って、また一から集めなおしだけは無理。絶対無理!)


フラッシュバック。元から焦っていた。

どれだけ集めればいいかわからない状況だ。

もしも想像以上に集めなければならないとしたら? それは考えるだけでも最悪な話だ。


パラノイアの出現頻度から考えて、あと一か月も戦えば奈々実を蘇生させられると思っていた。

でももし一年後、あるいは五年後だったりしたらどうなる?

誰かが言っていた。学生の時はあっという間だったと。それは理解できる。

いつもの学校は最悪最低だったけど、奈々実といる学校は最強最高だった。

だからもっといろいろあるイベントを一緒にやりたいってずっと考えてきた。今しかできないことがたくさんあったんだ。体育祭、文化祭、夏休み、海、旅行。


みゅうたんは蘇生させる方法は知っていたが、詳細はわからないという。

じゃあ蘇生させた時、奈々実は一体いくつなんだろう? もしも舞鶴が30代の時までかかったらどうなるの? そもそも蘇生させるチャンスはまだあるの?

パラノイアに殺されるかもしれない。深刻なダメージを受けて障害が残るかもしれない。これからもアイに邪魔されるかもしれない。

ああ、考えるだけでムカついてきた。そもそも、そもそも、どうしてご飯を作ってくれないの? そもそもちゃんとしてくれてたら奈々実に出会わなくてもよかったのになんでこんなあんなそんな辛い想いをしてまでこんなこんなこんなあれあれあらららあらあぁあぁああぁあああぁ……。

奈々実に、会いたい。


「奈々実に会いたい」


「え?」


モアは聞き返した。声が小さくてわからなかったからだ。


「あと何年後……ッ?」


「舞鶴ちゃん? どうし――」


「ァァァアァアアァアアアァ!」


舞鶴が叫んだ。

怒りとも悲しみともつかぬ表情で地面を殴り、頭を掻きむしって転がりまわる。

その姿はまさにおもちゃ屋で駄々をこねるクソガキのそれじゃないか。

喫茶店から出てきた和久井は、そう思った。



安槌イゼは、よく泣いていた。

それだけ祖母イズは厳しかった。

今にして思えばパラノイアと戦う運命が待っているのだから当然なのだが、幼いイゼにはそれを受け止めるだけの余裕がなかった。

きっと祖母も焦っていたのだ。魔法少女とて老いていけば身体能力も衰えていく。その状態ではいつパラノイアに殺されてもおかしくはない。


事実、既に娘夫婦、つまりイゼの両親を失っていた。

イゼがまだ幼い頃だ。

イゼの父が家にあった日本刀で妻を、つまりイゼの母の首を切断した。

そして槍を持ち出して刃を首の断面図に突き刺すと、母の頭を掲げ、褌だけになって踊り狂った。


『神輿でワッショイ! 神輿でワッショイ!』


それを見つけたイズが問うても、息子は同じ言葉を繰り返した。


『みコ死DEワっ史ょイ!』


その時、イズは悟った。

パラノイアの仕業に違いない。奴らが魔法少女に復讐を遂げたのだと!


『切腹! 切腹にござりまする!』


イゼの父は、どこからか取り出した小刀で自分の腹を掻っ捌き、それだけでは飽き足らず喉元に突き刺して絶命した。

イズは、後継者をイゼに絞るしかなかった。

安槌以外の人間に宿命を背負わせるわけにはいかない。そんな決意もあったのだろう。


だがユーマにもそれぞれ適正というものがあるらしく、イゼとモスマンの相性は最悪だった。

はじめは拒絶反応で、モスマンがイゼを敵とみなし、殺そうとしてきたほどだ。

だからイゼを鍛える必要があった。厳しく、激しく、そして時には己のエゴも入れて。

イゼが初めて家出をしたのは、イズが肩に桜吹雪のタトゥーを入れようとしたからだ。

そしてそんなイゼを迎えに来たのは、妹の『ナナコ』だった。


『おねえちゃん。いっしょにかえろ!』


幼いナナコの手を、イゼはしっかりと握った。

ナナコは優しかった。ナナコは可愛かった。ナナコには適性があった。

モスマンに選ばれるべきは彼女のほうだった。イゼもそれに気づいた。イズも知っていた。ナナコもまた、それに気づいていた。


しかしそれでもイゼがモスマンの力を継承しなければならなかったのはナナコは体が弱かったからだ。

昔からよく風邪をひく子だった。お腹を痛め、貧血で倒れ、転んだだけで骨を折ったこともある。

理由はわからない。そしてやがて病を患い、入院することになった。

イゼは努力した。ナナコに心配をかけさせてはいけない。いつか自分がちゃんとモスマンを使いこなせるようになれば、きっと良くなってくれると思った。

だがそんなものは所詮、自己満足でしかない。

ナナコは弱り果て、ついには機械に繋がれていなければ息をすることさえできなくなった。


『噴水がある公園であそんだの、おぼえてる?』


ある日の病院。か細い声だった。

イゼはナナコの手を握りしめ、ボロボロと涙を流しながら頷いた。


『とっても、たのしかった』


カサカサの唇で笑った。

しかしナナコは泣いていた。涙さえでないほど弱っていたが、イゼには分かった。

かわいそうに。苦しいんだ。辛いんだ。もっと生きたいのに、ああ、ああ。

死んじゃダメだと叫びたかった。ナナコはアイドルになるのが夢だと教えてくれたじゃないか。

そう叫びたかったが、叫ばなかった。弱りきったその姿を自覚させたくなかったからだ。今のナナコのやつれた姿を見て、だれがアイドルになれると思うだろうか。

イゼは凄まじい無力感に苛まれ、ただ涙を流すことしかできなかった。


『おねえちゃんは――……、生きて』


ナナコは壁に貼ってあるカレンダーを見る。

それは日曜日の朝にやっている、スーパーヒロインが活躍するアニメのものだ。


『おねえちゃんは――』


きっと多くの人を助けてあげられるよ。

わたしがいなくなっても、悲しまないで、だって世界にはもっとたくさんの人が悲しんでるから、その人たちを助けてあげて。

その声は、途切れ途切れで、少し喋れば疲れて言葉を紡げない。

だがそれでもイゼはナナコの声が聴こえた。だから頷いたのだ。


『おねえちゃんは、世界で一番のヒーローになってね……』


ナナコは死んだ。

その日からイゼは正義を求めた。正義のヒーローになるために生きた。

そして現在、朝。イゼは学校の屋上にいた。

襟首を掴まれている。目の前には、血走った目の舞鶴がいた。


「おちつけと言っている」


「お、おちついてられるかッ! あ、あああのクソ女! 絶対に許さない!」


アイたちは以前から学校には来ていなかったから、ここでコンタクトは取れない。

舞鶴はアイたちが住んでいるとされているマンションにも行ってみたが、もぬけの殻だった。イゼは連絡先を知ってると聞いたので詰め寄ってみるが首を横に振られた。


「通じなくなっていた。私も場所は知らぬ」


「く、くソッ! くそく――ッ! ちくしょう!」


「魔法少女といえど簡単に島からは出られん。私も探してやるから、今は冷静になれ」


舞鶴はフェンスを殴りつける。それを見てイゼは表情を曇らせた。


「……舞鶴よ。お前は恐怖しないか? 人を蘇らせるということを」


「は?」


「魔法少女は神ではない。しかし蘇生を行えば神の領域に足を踏み入れることになる。魔法というものの代償がパラノイアならば、果たしてその次にあるものは何か?」


踏み込んではいけない領域。超えるなと、言われているような気がしてならない。


「人智を超えた何かがあると、私は思ってる。それは必ずしも希望ではない」


「そ、蘇生を諦めろって? 冗談じゃ! ないッッ! 私はッ、私が、良ければ、それで、いい……ッ! どうでもいい人間のためにも戦わなきゃいけないんだからそれくらいのご褒美があってもッッ、いい……でしょ!?」


舞鶴は踵を返すと、一度も振り返ることのなく屋上を去った。

廊下に出ると、そこで和久井が壁にもたれかかっているのに気づく。


「よ、よお」


「ん? ……ん?」


舞鶴は首を傾げた。すると和久井は袋に入った小さなぬいぐるみを差し出してきた。


「これ、その、やるよ。一番くじやったんだけど、欲しいのがでなくて。お前このキャラ好きって言ってただろ?」


「……んん」


舞鶴は和久井からぬいぐるみを受け取ると、ペコリと頭を下げた。

それを見ると、和久井はヘラヘラと笑いだす。


「ま、まあほら、元気出せよ。オレもできることあるなら協力するから」


「ん」


和久井は照れ臭くなったのか、逃げるように去っていった。

舞鶴は、ぬいぐるみを手にしたままトイレに向かうと、迷うことなくそのプレゼントをゴミ箱に放り投げた。


(クソきめぇ! あいつマジで死んでくんねーかな……ッッ!)


オタクっぽい女なら付き合えるとでも思っているのだろうか? 冗談キツイって話である。

舞鶴にも選ぶ権利があるというものだ。和久井に好意を向けられていることは前から気づいていた。

授業中もチラチラ見てくるし、今だってたまたま手に入れたみたいなことを言っていたが、きっとアイにソウルエーテルを奪われて落ち込んでいるから励まそうと、プレゼントを苦労して手に入れたのだろう。


(キンメェエエエエエ! 死ね! 不登校野郎!!)


同族嫌悪という言葉があるが、まさにそれだ。

きっと和久井は弱者同士で傷を舐め合って生きて生きたいのだろう。キラキラと輝く人間を一緒に妬み、悪口を言いながら笑い合いたいのだろう。

舞鶴も少し前まではその気持ちは理解できた。

でも今は違う。一緒にしてほしくない。


(私は、奈々実という輝きを手に入れた。お前とは違うんだよゴミ!)


どうせ弱っているところにプレゼントでも渡せば堕ちると思っていたのだろう。そんな手に乗るかという話である。

どうでもいいヤツから受け取っても、ちっとも嬉しくない。もう舞鶴の心の中にはどこを見ても奈々実がいる。奈々実が全てであり、奈々実が未来だった。舞鶴のカラッポな心を奈々実が満たしてくれた。

今更、和久井が入ってこれるスペースなんてこれっぽちも存在していないのだ。

一方、そんなことをまったく知らない和久井は、特別クラスでのんきにジュースを飲んでいた。


(喜んでっかな舞鶴のヤツ。このまま惚れてくれたり……)


正直、パラノイアが何なのかとか、蘇生がどうとか、魔法少女がどうとかこうとか、そんなことはどうでもよかった。気になることといえば舞鶴が処女か処女じゃないかくらいだ。

不思議なものでパラノイアに襲われた時はもう二度と関わりたくないと思ったのに、一日経ったらなぜか不思議とその感情は消えていた。

むしろ、もっと大きな興奮があった。そういえば、つり橋効果というものがあるらしい。

こういう馬鹿げた状態であれば舞鶴との仲を、もっと簡単に進展させることができるのではないかと思ってしまう。


「和久井ってさ、舞鶴のこと、マジで好きなの?」


ギョッとして振り返ると、ミモがいた。


「態度でバレバレだよ?」


「はぁー? ま、まあ……、べつに普通だよ」


「ダサッ! 好きなら好きって言えばいいのに!」


「うるせぇ! なんなんだよテメェは!」


するとミモは少しモジモジとし始める。


「べつに。手伝ってあげてもいいなって思っただけ」


「は?」


「好きなら協力してあげるってこと。あたしがモア様を誘って、アンタが舞鶴を誘えばダブルデートしやすいでしょ?」


和久井は固まる。

なんだか変な感じがした。言葉がひっかかるというか。

しかしまあ、言葉とは人それぞれのニュアンスがあるわけで。特にミモなんてのは適当そうだから、特に何も考えていないんだろうと割り切る。

さて、ミモの誘いは悪くない話だが、さすがに今は違う。


「お前、あのでっかい魔女帽子のヤツ、どこに住んでるか知らないか? とっちめて、あのキラキラした玉を取り返してやる」


「マジやめときな。向こうは魔法少女なんだから、アンタじゃワンパンで終わりだよ」


たしかにその通りである。アイが人間を超えた力で戦っているのを、その目で見たというのに、どうしてそんな単純な思考になったのか自分でもよくわからなかった。


「だいたい、あたしもアイたちがどこにいるかなんて知らないし」


「そうだ! あの、みゅうたんってヤツに聞けばいいんじゃねぇの? 魔法少女の居場所は知ってるみたいな話だったろ!」


「ンなもん真っ先に考えたってば! でも、連絡つかなくなっちゃって」


今までは頭の中で呼びかけるテレパシーを使えば簡単に連絡が取れたのに、なぜかアイが舞鶴のソウルエーテルを奪った辺りから音信不通になったという。


「その時は無理でも、今は繋がるかもしれないだろ。もう一回呼んでみてくれよ」


「えー? そんな簡単に……」


そこでミモは真顔になる。


「やば、いけそう」


ミモはこめかみを抑え、遠くを見つめる。


「あ、みゅうたん? 今からこっち来れる?」


光が迸った。机の上にみゅうたんが降り立つと、和久井はすぐに駆け寄っていく。


「おい、ちょっと聞きたいことがあるんだよ」


『……?』


「あのアイってやつ、今どこにいるんだ? お前ならわかるんだろ?」


『は? アタシが知るわけないでしょ。つか知ってても態度が気に入らないわね』


「え?」「へ?」


ネコなのに喋ったから驚いたのではない。

その件は何度もやって、もう完全に終わった。和久井とミモが目を丸くしたのは、みゅうたんの雰囲気がなんだか変だったからだ。


『ってか、えええええ!?』


突如、みゅうたんが大声をあげた。


『あ? ん? ああ、そっか。だってアタシはみゅうたんだもんね。そりゃそうよね』


かとも思えば、自分で勝手に納得している。


「おいおい、何言ってんだ? マジで大丈夫か?」


『うざ』


「はぁ!?」


『うざいって言ってんの。それよりアイの居場所が知りたいんでしょ? アタシ知ってるから教えてあげてもいいけどー?』


ますます意味がわからなくなった。

つい先ほど、みゅうたんはアイの居場所なんて知らないと言ったばかりじゃないか。それなのに今は知っているという。

まあだが、これはチャンスだ。和久井はご丁寧に頭を下げてお願いをしてみた。


『いいわ。ふふん、教えてあげる。アイは今』


「ッ!」


『………』


「お、おい。どこにいるんだよ」


『知らなーい』


「へ?」


『忘れちゃった』


「はあああああああ? ふざけんなよテメェ!」


苛立って掴みかかろうとしたら、みゅうたんはヒョイと避けて、和久井にネコパンチをくらわせた。



愛しい愛しい●●。

よく聴いて。昨日はありがとう。

でも足りない。まだ足りないの。だからいいことを教えてあげる。

実はあなたが集めた――



アイのアジトは、とにかく暗い。

遮光カーテンのせいだけではなく、窓全体を新聞紙で覆っているからだ。

中はそれなりに荒れ果てて、食器や衣服、壊れた家具が散乱していた。

アイはボロボロのソファに寝転んで腕で目を覆っていた。客人が来る。そう思ったのは拳で叩き割った鏡の欠片を誰かが踏んだ音が聞こえたからだ。


「寝る時くらい帽子を脱げばいいと思うです」「そうだぞ! 禿げちゃうぞ!」


苺市江。二人はいつもギュッとくっつきあっている。

ちなみにアイが鏡を叩き割ったのは『優しさ』からである。

まあ、今は関係のない話だから、これは忘れてもらっても構わない。


「テメェか。なんだよ」


「学校で面白い話が聞こえてきたです!」「おどろきのニュースだぞ!」


「みゅうたんだろ」


「あれ? もう知ってるのか? 耳が早いぞ」「ですです!」


「アタシも正直ビビった。ずいぶんやさぐれてるらしいな」


アイは帽子が脱げないようにして体を起こす。


「きっとただのシステムエラー。アタシらのすることは変わりない」


「言われた通りにしてきたぞ! な、市江!」「です。ちゃんと手紙を入れてきたです」


「サンキュー……」


「ん? どうしたんだぞ。顔色が悪いぞ」「お疲れですです?」


「まあな。ちょっと慣れないサプライズ。やるもんじゃァない」


「???」「???」


「まあいいだろ。それよか、わかってると思うけど」


「それ、たぶん千回は聞いたです」「地下の部屋には入るな! わかってるぞ!」「むしろ逆に気になるです。ね? 苺」「だぞ。そもそも施錠されてて無理だぞ」「です。あの魔法を打ち破るなんて無理です」


本物の――、魔法を。



みゅうたんがやさぐれた。

イゼにも、モアにも、舞鶴にもその原因はわからなかった。

そして舞鶴にとってはそんなこと心底どうでもよかった。アイたちの居場所がわからないのなら構っている暇はない。


しかし昼休みに思いがけないメッセージが届き、すぐに学校を飛び出した。

アイが指定した場所で待っていると、市江からの伝言がパンに貼ってあったのだ。

舞鶴は一心不乱に走った。行きかう人々が気味悪そうに見つめてきたが、気にしなかった。舞鶴は本気だったからだ。

他人の目なんてどうでもいい。他人なんてどうでもいい。だから舞鶴はアイを殺してでも、ソウルエーテルを奪ってやると意気込んでいる。

しかし舞鶴の心が大きく歪むことになる。アイが指定した場所とは、奈々実の家だったからだ。


「なんでアイツ、この場所、知って……ッ」


窓ガラスは割れており、庭は雑草が伸びっぱなしで手入れをした様子はない。

ましてや表札のところに張り付けてある『空き家』の文字。

舞鶴は怯んだ。いつも舞鶴の家で遊んでいたため、奈々実の家に遊びに行ったことはない。いつも家の前でお別れをしていたが、まさかこんな形で入ることになろうとは。

それにしてもいくらなんでも状態が悪すぎる。少しの時間で、ここまで劣化するものなのだろうか?


「あ……!」


土足で玄関を踏み越えた時、舞鶴の中に優しい気持ちが湧いてきた。

奈々実に会いたい。奈々実とお喋りがしたい。奈々実ともっと――

気づけば舞鶴は扉の前に立っていた。無意識に歩いてきたが、まるで吸い寄せられるように奈々実の部屋にたどり着いたのだ。


扉を開くと、驚きで固まる。

そこは外から見る印象とはまったく違っていて、とても片付いていたからだ。まるでつい先ほどまで奈々実が過ごしていたかのように錯覚する。

家具も綺麗で、埃もない。あまりにも矛盾した空間だった。


舞鶴は一瞬、甘い錯覚に陥った。

奈々実は死んでいなかったんだ。嬉しくなって、ニヤニヤして、ついベッドに飛び込むなんて悪戯をしてしまった。

大きく息を吸い込むと、微かに奈々実の匂いがして、舞鶴は頬を桜色に染めた。

奈々実の笑顔が頭の中に広がった。舞鶴は大きく息を吸い込みながら、無意識に股に手を伸ばしていた。

しかし次の瞬間、血まみれの奈々実が飛び込んできた。お腹に穴が開いていて、胃や腸がボトボト零れてきた。


『じ、死ぬッッ! だずげで舞鶴ぢゃん! ぐるじぃいぃいい! ウゲェエエエエ!!』


奈々実はそう叫んで死んだ。我に返った舞鶴は嘔吐しながら体を起こす。


「んァ、やっちゃった……」


ベトベトになったベッドから離れると、舞鶴は近くにあったティッシュで口や涙をぬぐっていく。

そこで気づいた。机の上に何かが置いてある。

日記帳だった。舞鶴は迷わず中を確認してみる。

一瞬、すぐに舞鶴は日記帳を閉じた。でないと心臓が止まってしまうと本気で思った。そこにはあまりに恐ろしく、あまりにおぞましい内容が書かれてあった。

舞鶴は気が狂いそうになるのを必死に抑えながら、ゆっくりと字を追っていく。


〇月△日


 ゴミ美ちゃんにトイレで叩かれた。

 わたしが舞鶴ちゃんの味方をしているのが気に入らないみたい。

 クラス全員でいじめるって言われた。

 とっても悲しい。

 だいじょうぶ。わたしは、何も間違ってなんかない。みんなもきっとわかってくれる。


〇月□日

 ウン子ちゃんに無視された。

 ウン子ちゃんはみんなと仲がいいから、みんなウン子ちゃんの味方をしてわたしを無視する。無視しないでって言ってもダメだって言われた。

 メッセージアプリでわたしの悪口をいうためのグループがあるんだよって教えてくれた。なんだか悲しくなっちゃった……。


〇月◇日

 ゲロ男くんがわたしの大切にしてたおまもりを壊した。

 ひどい。ひどいよ。わたしは何も悪いことしてないのに。あれはとっても大切なものだったのに、それを笑いながら壊すなんてひどいよ。

 もう耐えられない。ずっと泣いてる。でも舞鶴ちゃんに心配かけたくないから、相談できない。ママにも相談できない。吐き気がとまらない。どうしよう。


〇月×日

 くるしい。くるしい。たすけて。誰かたすけて。やめてって言ったのに、カス男くんに無理やり●●●されて●●●を●●●に、●●●●●。つらい。●●●はもうやだ。

 こんなんじゃもう誰にも愛してもらえない。お嫁さんになんてなれない。

 死にたい。


舞鶴は日記を落とした。

もう一度吐いた。胃液が喉を焼く。

一点を見つめ、唇を噛んだ。噛みちぎるほどに力は強く。だから血が滴っていく。

そこで舞鶴は壁に一枚の紙が貼ってあることにきづいた。真っ赤な文字で書いてある言葉、奈々実は何を強調したかったのか。舞鶴にはそれを見る権利があると思った。

紙にはこう書かれていた。


  おばあちゃんに会いたい。

  大好きなおばあちゃん。

  でも、ダメ、絶対に。じゃないときっとわたしは、大きな間違いを犯してしまう。

  どうか、忘れないで。ソウルエーテルは――


舞鶴の中で何かが崩れる音がした。



『前から気になってたんだけど、イチゴ大福のピンク色の、これ、ほら、おもちの部分』


「………」


『これってイチゴ味なの? イチゴ味でしょ? イチゴ味だと思って今まで食べてたんだけど、これ違ったら、えげつなくない?』


「………」


『イチゴ味だと思って、食べた時にイチゴ味のていで喋ってたから、もし違ったら、めちゃくちゃアイツらに馬鹿にされるんだけど』


「………」


『ん? アイツらって誰だっけ? ま、いっか。でもさ、イチゴ味じゃなかったら変じゃない? だってイチゴ大福なんだから、中にイチゴ入っているだけじゃ。大福とイチゴじゃない。イチゴ大福なんだからピンク色にしてあるんでしょ? 白いタイプの苺大福もあるもんね。じゃあ決まりよね? わざわざ色だけ付ける意味なんてないもんね。 って、あ! 見て、ほら見て! イチゴ! これ、すっごい大きい! イチゴ見て! イチゴすごい! おっきい! やった! 甘いかな? でもあんこが甘いから、なんかイチゴ大福のイチゴってどれも酸っぱく――』


「もう! みゅうたんいけません! お祈り中に話しかけないでって言ったでしょ!」


モアに怒られても、みゅうたんは大福を食うのをやめなかった。

そもそもネコが餅を食っても大丈夫なのだろうか? 妖精らしいから平気なのだろうが、どうにも気になって集中できない。

あれから少し話してみてわかったが、どうやらみゅうたんはまた記憶を失ってしまったらしい。喋り方が変わったのは、おそらくそれが原因だろうと。

しばしの間、みゅうたんはモアが住んでいるアポロンの家で面倒を見ることになった。

子供たちも喜んでいたし、それはいいのだが、こうしてよくお祈りの邪魔をしてくるのは困ったものだ。


『ここは居心地がいいけど、なんか気に入らないのよ』


「そんなこと言わないの。ほら、いきましょう。子供たちと遊びましょうね」


モアは軽快なステップで逃げ出そうとするみゅうたんを抱きかかえ、礼拝堂を出る。


『ちょっと勘弁してよ! クソガキと戯れるなんて拷問だわ!』


「あとでチュルチュルあげますから」


『あの美味しいヤツ!? じゃあ仕方ないわね……!』


玄関の前にやってきた時だった。モアの動きが止まった。

視線の先には友達と楽しそうに喋りながら歩いてくるミモがいた。


「まじヤバくない? あははは!」


そこでミモは、モアの姿に気づく。


「ただいまモア様ぁー!」


無邪気に手を振る姿を見て、モアは少し間をおいて手を振り返した。


「じゃあまた明日ねマチ! フミ!」


ミモは友達と別れると、ニヤニヤしながら家の中に入る。モアもすぐに続いた。


「ミモちゃん。ごはんは?」


モアは笑顔だった。


「やばッ! ごめんモア様! ファミレスで食べてきちった!」


モアは笑顔だった。


「ううん。いいの。明日も食べられるやつだから、気にしないで」


モアは笑顔だった。

笑顔だったが、彼女は戸惑っていた。

笑顔でミモと話すなかで、彼女はすぐにお祈りをしないといけないと思った。

でないと何かがおかしくなる。何かが変になる。何かを思い出してしまう。

だから今すぐにお祈りを――


「………」


孤独。一人で眠れない。

ぬくもり。匂い。ミモ――、ミモちゃん。

ミ――


(………)


それをとてもわかりやすく説明するとしたら、おそらく『嫉妬』である。

モアに友人はいない。お昼を一緒に食べる同僚のシスターはいるが、それは友達ではない。子供たちは守り、愛する存在であり、それはやはり友人ではない。

モアに恋人はいない。それは何とも思わない。モアはシスターだからだ。

しかし、ある。欲望が。彼女にも。

なぜならば彼女は人間だからだ。

だから人を好きになることもあるし、それはなにも男性とは限らない。


『モアさまぁ。好きだよ。大好き!』


ミモはよくそんなことを口にした。本当だが、本当とは少し違う。

それを口にしたのは遅刻を見逃してあげた時だ。必死にお願いされるから見逃したら好きと言われた。

そうか、ミモちゃんは、わたしのことが好きなんだ。

モアは、そんなことを久しぶりに言われたものだから。

嫌いや、怖いならたくさん言われてきた。あの凄惨な事件はすぐに噂話が広がり、その生き残りであるモアもその内、おかしくなるのではないかと思われていたからだ。


事実、モアがアポロンの家に引き取られて三か月後、彼女をかわいがっていた職員の女性が死亡している。

デパートに出かけた先で、お腹がいたくなったとトイレに入って十分ほど、トイレから大笑いする声が聞こえてきた。あまりにもそれが続くため、不思議に思ったモアがドアをノックしたが応答がない。ただ笑い声が返ってくるだけだった。

やがて笑い声が消えたが、女性はトイレから出てこなかった。

不思議に思ったモアがデパートの職員に頼んで中の様子を確認してもらうと、女性が死んでいるのが見つかった。


モアはすぐに帰されたが、どうしてだか噂はすぐに耳に入った。

女性は胃から下にある臓器をすべて便器に詰まらせていた。

目立った外傷がないのを見るに、どうやら彼女は肛門から臓器を輩出したようだ。まず間違いなくパラノイアの仕業であると判断されたが、狙われた理由はもしかしたらモアと仲が良かったからかもしれないと噂された。

魔法少女を狙うために、まずは周りを殺そうというのだ。だからモアと一緒にいると死ぬ。そんな噂話が囁かれた。

モアは笑っていた。笑っていなければ、何かを保てないと思ったからだ。


だからミモに好きと言われた時、すごく温かくてフワフワしたものが胸に宿った。

ミモは気軽に口にする。好き。恩人。大好き。愛してる。神様。

でも悪い気はしない。むしろ、とても嬉しい。

そうか、ミモちゃんはわたしのことが大好きで、愛しているのか。困ったな。


気づいたらモアもミモを愛していた。好きになってしまった。

でも想いを口にしようとすると、喉が詰まる。言葉が出てこない。

代わりにあのおぞましい光景の数々。苦しい言葉の数々がフラッシュバックする。

それにいいのか? それは許されるのか? わたしにそんな言葉を浴びる資格はあるのか? だからモアはすぐにお祈りをする。どうか、お願いですから、神様。

そして今、ミモが友達と仲良く歩いている姿を見て、モアは言いようのない敗北感を覚えた。あんなに砕けた笑みを、わたしの前で浮かべてくれたことはあっただろうか?

答えは、『ない』。

どうしてだろう? それがどうしても知りたかった。

今、マチがミモをからかった。


「シスター様と一緒にいるのに、アンタは清楚のせの字もないね」


するとミモが楽しそうに笑いながら言う。


「ざけんな。マジでぶっとばすぞ!」


そんな言葉を頂戴したことはない。

軽口を叩ける関係のほうが、きっとミモにとっては居心地がいいのではないだろうか?


「………」


モアはどんな表情をしていいかわからなかった。だからとりあえず笑っておく。

それで今までやってきた。だから笑っておく。笑うのは簡単だ。唇の端に力を入れて吊り上げるようにすればいい。

そうしているとミモが友達を別れて家に入ってきた。


「マジでおいでぇ、みゅうたん。あたしに会いたかったろー?」


『うざっ! はなしてよ! うざざざっっ! ってかマジでおいでってなに?』


「はいはい。おーい! ちびたちー! ねこじゃらしで遊ぼー」


ミモがみゅうたんを抱いて奥へ進んでいく。

取り残されるようにモアは立ち尽くしていた。すると背後で声が聞こえる。


『こっちミュ』


振り返ると、玄関の扉の傍でみゅうたんとは別のネコが喋っていた。

そのネコにも翼が生えている。どうやら彼は『みゅうたん2号』というらしい。


『パラノイアが出たミュ』


大変だ。モアはミモを呼ぼうと思ったが、止められた。


『モアだけのほうがいいと思うミュ』


モアは玄関を出て、息をのんだ。少し歩いたところに『それ』は転がっていた。

まず見えたのは腕だ。次に足。いろいろ赤くて、よくわからないが、とにかくそこにはバラバラに切断されたマチとフミが転がっていた。

首を切られたから、二人の頭が地面に落ちている。さらに頭蓋骨ごと真っ二つにされており、断面からは脳が零れていた。

それを見た時、モアの脳裏にかつての父と母がよぎってしまい、思わず地面に膝をついた。


『おちつくミュ』


光が迸ると、あれだけ散らかっていた死体が消えた。

それだけではなく、地面を濡らしていた血も、染みさえ残さず消え去った。


『誰かに見られると、いろいろ大変だから、アブダクションレイで死体を転送させてもらったミュ』


「そ、そうですか……」


『気をしっかり持つミュ。モア、これは少し異質ミュ』


というのも、パラノイアの姿が消失したのだ。

みゅうたんの察知能力でも捉えられないとなると、そういう能力があるのか、あるいは新型の可能性もある。


『だからイゼに相談して対策を――』


みゅうたんは言葉を止めた。モアの様子がおかしい。

真っ青になってブルブル震えている。笑ってはいるものの、まるで張り付けたように強張った微笑みだった。


『モア?』


反応はなかった。モアはぎゅっと胸を押さえ、呼吸を荒くする。

ずっと、耳にパパの奇声が張り付いていた。

ミ――、と呟いて、止めた。楽しそうに笑うミモの隣にいる女の子たちに、モアはきっと、嫉妬した。

だからつい、心のどこかで、本当に奥の奥の、その隅っこのほうで、ほんの少しだけ、本当に小さな感情を抱いてしまった。


き・え・て・く・れ・な・い・か・な


そして今、実際、消えた。死んだ。バラバラにされて。

モアはすぐに走った。呼吸ができなくなったからだ。

彼女は礼拝堂に駆け込むと、崩れ落ち、そこで初めて息を吸えた。

這うようにしてステンドグラスへ向かう。裏にライトが仕込んであるのか、朧に輝く天使や神に向かってモアは手を組んだ。


祈る。


嫉妬など、俗な人間が持つ感情だ。

そんなものを抱えていては月にはなれない。誰も照らすことはできない。

だからモアは祈った。どうか、その醜い感情を消し去ってください。でなければ人間になる。人間であってしまう。

するときっとまたあの悪夢のような目にあってしまう。そしたら人間の心を持つ自分は、もう絶対に耐えることができない。だからお願いです。どうか、どうか――


「私の心を、砕いてください。羨む心を消し去ってください」


前みたいに。不満を感じる心を消し去ってくれた時のように。

以前のように、悲しみを消し去ってくれた時のように。


「どうかッ、神よ……!」


ステンドグラスが光った。淡く、強く。神はモアに祝福を与えるべきだと嗤った。



翌日、和久井は学校の校門前で舞鶴を見つけた。

たまたま見かけたのではなく、どうやら舞鶴は和久井を待っていたようだ。


「おは、よう。この前の一番くじのお礼、ちゃんと、言えてなかった、から」


「お、おう。いやぁ、べつにいいんだけど」


「これ、お返し、あげる」


舞鶴は和久井に、折り紙の手裏剣を渡した。


「なんだこれ?」


「気を、付け、て。ただの折り紙じゃない。私の、魔法、で、作った」


攻撃したいと願い、投げれば、紙が切れ味を増すらしい。


「これで、パラノイアに襲われても、なんとかなる」


「おお、サンキュー。投げればいいんだな?」


「取り扱い、には、注意。外したら死亡」



舞鶴は踵を返すと、トテトテと駆けていく。

照れているのだろうか、和久井は嬉しくなって後を追いかけた。

だが何かが変だった。靴を履いて廊下に出ると、舞鶴はいつもの道とは逆を行く。



「おいおい、舞鶴? どうしたんだ? どこ行くんだよ」


「前のクラス。一緒に来るなら、ついてきて」


「え? どうしてだよ? なんか用事でもあるのか?」


それは――、激しい自己嫌悪。苛まれる負の感情。

あの子はもう笑えないのに、私が笑うというの? それも偽りの笑顔で。

舞鶴はマイナスを抱きながら扉を開けて前に進む。ジロリと汚い視線が身を貫いた。空気が重くなったのは、誰も彼女を歓迎してないからだ。

舞鶴は無表情でズカズカと前に進み、談笑している男女グループの前に立った。


「あ? あー……」


男女グループが静かになった。舞鶴に気づいたからだ。

なにか用でも? ゴミ美にそう聞かれると、舞鶴は言葉ではなく、唾を吐いた。


「は!? きったな! 嘘でしょ! マジ最悪!」


舞鶴は机の上にあった紙パックの紅茶を奪い取ると、それを近くに座っていたウン子の頭にぶちまける。

悲鳴があがり、教室がザワつきはじめる。するとゲロ男が舞鶴の腕を掴んだ。


「おい、お前マジで何やってんの?」


みんな、引いているのがわかった。カス男だけはケラケラ笑っていた。


「死ね」


「は……?」


「死ね、死ね……! 死ね、死ねって」


「ちょっ、なに?」


「パラノイアが来ても、お前とお前の親は助けない。ううん、むしろパラノイアがお前の家に行くように仕向けてやる!」


表情が変わった。それはそうだ。今まであえて触れてこなかったところだった。

ずっと見下してきた舞鶴が魔法少女になったから、みんな舞鶴のご機嫌を取るしかなかった。

何もしない。関わらない。そうしなければ、ずっと舞鶴をいじめてきた手前、立場が危うい。それを舞鶴もわかっていた。だから何も言わなかった。

でも今、そこにハッキリと踏み込んでいく。


「お前ら全員ゴミ! 当事者も! 見て見ぬふりをしていたものも同罪ーッ!!」


みんな固まった。今まで聞いたことのない大声だった。

舞鶴は誰かの机の上にあったお菓子のポテリコを払い落とす。


「奈々実が死んだのに、よくこんなもん食べれるな! 死ね!」


舞鶴は吠えた。名前も忘れたクラスメイトが漫画を持っていたので、奪ってビリビリに破いた。

誰かがネイルの話をしていたので、ソイツの爪を剥がした。

痛みに叫ぶ声で、クラスメイトたちの表情が変わった。

カス男はまだ笑っていた。

舞鶴はいつの間にかカス男の前に来た。彼は携帯で彼女とやりとりをしていた。


「そのブス女、パラノイアに殺させるから。覚悟しとけよカス」


カス男は笑みを消すと舞鶴を殴った。


「さっきからうざいな、お前」


舞鶴は壁に叩きつけられ、しりもちをつく。

しかし誰もその行為を咎めない。むしろよくやってくれたという空気が流れていた。


「いい加減にしろよお前! さっきからワケわかんねぇんだよ!」


ゲロ男が前に出て、舞鶴を指さす。確かゲロ男には癌で闘病中の母親がいたとか。


「お前みたいなゲロを生んだ母親はさっさと死んだほうがいい」


ゲロ男の表情が歪んだ。いろいろなものが浮かび、その結果、彼は舞鶴の腹を蹴った。


「かは――ッ! くはっ!」


舞鶴は思わず笑ってしまった。

あまりにも腹が立つので脳がおかしくなってしまったのだろう。だってゲロ男が怒った理由があまりにも矛盾している。

奈々実を死に追いやった奴が死をネタにしたらキレるなんて矛盾してる。


「死に顔、写メで送ってよ」


舞鶴はヘラヘラ笑いながら携帯電話を取り出した。そこでまた腹を蹴られた。

舞鶴は笑いながらフォトの部分をタップし、自撮り写真をみんなに見せる。

するとウン子が奇声をあげた。写真の中の舞鶴が持っていたのはウサギの死体だった。飼ってる『ピョコ』が両耳を引きちぎられ、腹を切られて死んでいる写真だった。


「次はこんなブサイクより、もっと可愛いの飼いな!」


ウン子がボロボロ涙を流しながら舞鶴を叩いた。

でも舞鶴は笑った。


「飼ってたウサギ殺されたくらいでなんなん? なんなーんーッ! こっちは親友いかれてもうてます!」


舞鶴はゲラゲラ笑いながらクラスメイトたちを指さしていく。


「お前らも! 同じくらいッ! 苦しめよッッ!!」


その叫びは無視された。舞鶴を囲む男たち、殴る蹴るがはじまった。


「前から気に入らなかったんだ! 魔法少女に選ばれたからって偉そうにしやがって!」


舞鶴は声出して笑いはじめた。だがそれをかき消すように叫び声。

和久井が飛び込んできて、今まさに殴ろうとするゲロ男に掴みかかった。


「おいおいおいおいお! やめろ! やめろって! やめろよ!」


和久井はクラスの入り口前で話を聞いていたから、舞鶴がなんと言ったのか、いまいちわからなかった。だから、よってたかって彼女に暴力を浴びせる光景が異常に見えてしかたなかった。


「触んな! ひっこんでろ!」


そう言われて、和久井は弾かれた。

それなりに強い力だったから、地面に倒れたし、頭も打った。

するとそれが原因なのか、和久井の目の前に過去が広がった。それは随分と最悪な光景だった。

当時の自分はヘラヘラ笑っていたが、今にしてみるとやっぱり最悪な光景だった。

あれは――、えぇと、頭が痛い。もしかしたら今の衝撃で記憶を少し失ってしまったのかもしれない。あまりよく思い出せないが、とにかく最低最悪な記憶であることは間違いない。今、自分はあの時と同じようにヘラヘラ笑いそうになった。適当に笑って、取り入って、場を収めようとした。周りに気を遣って、イキリ散らした上位層に気に入られようとして。でも、考えてみれば舞鶴が殴られているのにそんなことを気にする必要があるのか。何があったのかはよくわからないが、やはり止めなければ。

あんまりだ。彼女が、かわいそうだ。


「まあまあ」


止めようとしたら、今度は何も言わずに殴られた。

構う価値がないと思われたのか。それほどに自分は脅威でもないのか。なんの障害にもならないから、何も言わずに殴れるのか。

オレより舞鶴のほうが怖いっていうのか?

ムッとした。プチっときた。和久井はその時、完全に記憶の中にいた。

お前は、俺たちの言うことを黙って聞いてればいいんだよ。

なんてことを、お前らも、そう言いたいのか? ああ?


「たすけて! 和久井くんッッ! こいつら全員ブッ飛ばして!」


その時、舞鶴の声だけがやけにクリアに聞こえた。

そして名指しされたにもかかわらず、誰も和久井を見ようとしなかった。

そんなことできるわけないと高を括っている。


「見下してんじゃねぇエエエ!!」


和久井は舞鶴から貰った手裏剣を投げた。


「あ」


それは、ゲロ男くんの後頭部に刺さった。

甘い刺さりだったが、一瞬だった。手裏剣が猛スピードで回転してゲロ男くんの頭蓋骨を削り抉る。


「がぎゃぁああああああああああああ」


今まで感じたことのない激痛に、叫ぶ。それに交じって骨を削る音が聞こえた。

髪と血と脳が混じったものが飛び散っていき、ウン子ちゃんの顔を汚した。


「……え?」


和久井という男。

怒れる顔が、やがて真顔になる。


「あれ?」


ゲロ男の頭蓋骨に侵入した手裏剣は尚も威力とスピードを上げて、次は下方向に動き出した。

背骨を両断しながら臓器を切断しながらやがて肛門付近を突き破って外に出る。


「プッッ!」


ゲロ男くんは何かを喋ろうとして血を吐いた。うずくまると、そのまま動かなくなる。

誰も彼を気に留めなかった。それどころではないからだ。教室の中は悲鳴が木霊していた。

手裏剣はまだ勢いを失っておらず、そのまま飛行してゴミ美に直撃した。

場所は口。横を向いた手裏剣は、高速回転しながら、彼女の唇を引き裂いていく。


「あげぇえええぇえええ!」


大きく仰け反ったゴミ美の口が文字通り裂けていた。

歯茎ごと床に落ちる。彼女は涙を溢れさせてジェスチャーを取っていた。

痛くて何も喋れない。早く救急車を呼んでくれ。そういうジェスチャーだったが、彼女はそこで自分の腕がなくなっていることに気づいた。

口の痛みで気づくのが遅れたが、飛行する手裏剣が右腕を切り落としていたのだ。


「ぺぇえ!」


声というか、音が出た。飛行する手裏剣がゴミ美の首を切断したのだ。

手裏剣はそのままウン子のお腹に飛び込んだ。しかしどこからも出てこないのは、手裏剣が腹の中で回転しながら留まっているからだ。

激痛で声さえ出せない。彼女はただ涙を流しながら痙攣するだけだった。

三秒ほどで気を失った。ショック死していたのかもしれないが、いずれにせよ手裏剣は首を引き裂いて外に出た。

回転力を落とさぬそれは、まるで生き物のようにカス男にまとわりつく。


「やばい!」


カス男は必死に振り払おうとするが、指が一本ずつ飛んでいった。


「まじでやばい!」


手裏剣を掴んで止めようとしたが、もう全部指がなかった。

叩き落そうとするが、かわりに腕が落ちた。


「ガチでヤバイって!」


鼻がストンと地面に落ちた。耳が飛んだ。目が切り潰された。


「お前らこれやばいって!!」


そこで唇が取れた。

もうすぐ死ぬだろうカス男が、クラスメイトたちを見る。

額から上が切断されてなくなっており、右足は膝から下がなくなって、左足にいたっては股の付け根から切断されており、もう動けない。


「ははははは! うあははははぁ! ぎゃぁあっぁあああ!」


恐怖で笑い、直後叫んだ。

手裏剣が顔に直撃すると、血をまき散らしていく。

クラスメイトたちは叫んだ。逃げようとする者と、腰を抜かす者、当然後者から先に死んでいく。


「あ」


澄子ちゃんという女の子の目の前に手裏剣が来た。

しかし刀がそれを弾く。変身した舞鶴が澄子ちゃんを守ったのだ。


「和久井! 殺意を止めて! あれは貴方の殺意に反応して、動き続ける!」


「なんだよそれ! 先に言えよ!!」


先ほどの怒りの形相が嘘のように、今の和久井は真っ青になって震えていた。

止めろと念じてみるが、手裏剣の勢いは全く衰えない。むしろ回転、スピード、共に上昇し、体育が得意な男子生徒のお腹を裂いた。


「うわぁぁあぁあ!」


腹の横から零れる腸を押さえながら、男子生徒は子供のように泣き叫ぶ。

それを見て他のクラスメイトはパニックになって逃げ惑う。

しかし誰も教室の外に出られない。扉をスライドさせても、なぜかそこには『壁』があった。窓の外も同じで、壁があるから逃げられない。


「クッ!」


舞鶴は暴れまわれる手裏剣に刀を振るった。

しかし手裏剣のスピードはあまりに速く、舞鶴の一振りを簡単に回避すると、纏わりつくように飛行して至る所を切り裂いていく。

魔法少女の防御力があるから切断とはいかないが、それでも多くの血が飛び散った。


「和久井!!」


「やってるよ! でも止まんねぇんだよ! どうなってんだよ! ああぁあ! クソクソクソ!!」


和久井は必死に止まれと念じるが止まらない。舞鶴は舌打ちを零した。


「みんな! 姿勢を低くして!」


クラスメイトたちは思い切り姿勢を低くしたり、血液が広がる床にうつぶせになる。

だが、それがどうしたといわんばかりに手裏剣は寝転んでいる生徒の頭に直撃する。

そしてバウンドするように跳ね上がると、次はある生徒の右わき腹から、左わき腹までを高速で通り抜け、一瞬で両断した。。


「あ――、ぅ。え? 私どうなった?」


上半身と下半身が分離した生徒が真っ青になりながら笑う。

力を入れても足が動かない。彼女はそこで全てを察してショック死した。

みんなきっと、スローモーションだったと思う。小さな手裏剣が首に入り、噴水みたいに血が飛び散る。床は真っ赤、もうプールみたいになっていた。

ポン、ポーン、耳が飛ぶ。腸が飛ぶ。我先に助かろうと扉や窓に群がるが、出口を塞ぐ壁があるから出られない。


「………」


和久井はハッとした。夢を見ているようだったが、景色は何も変わっていなかった。

でも一つだけ。静かだった。そうしたら頭もまわる。


「ふへッ!」


笑った。笑って和久井は自分の両手を見た。真っ赤だった。

肩を見たら、何かの破片があった。ブヨブヨで、触ったら床に落ちた。


「これでよかったんだよな?」


返り血で塗りつぶされていた和久井はヘラヘラ笑いながら舞鶴を見た。

彼女は何も答えない。真顔で和久井をジッと見ていた。


「なんか言えよ!」


和久井は怒鳴った。一歩足を出したら誰かの腸を踏んだ。

ブリュッと音がして、滑りそうになった。和久井は踏みとどまりながら笑う。


「なあ、よかったんだよな?」


手裏剣はしっかりと、和久井の手に戻っていた。


「これでよかったんだよな!! なあ、なあそうだろ! なあ舞鶴ッッ!!」


死体の山の中心で和久井が叫んだ。真っ青な顔は、血と破片が隠す。


「来て」


「え?」


舞鶴は和久井の手を掴んだ。


「イゼたちが来たら、まずい」


「まずいって、なんで……?」


「殺されるわ」


「えッ!?」


舞鶴は和久井を横抱きにすると、窓を突き破って逃げ出した。

なすがまま連れていかれると適当な橋の下に着地した。川が流れていて、和久井はそこで顔を洗った。


「さっきの、こっ、殺されるってどういう意味だよ!」


冷たい川で洗ったからというのもあるが、和久井はまだ真っ青でブルブル震えていた。


「あの光景をイゼが見たらという意味。あの人、正義感がとても強いから。それにモアだって神に仕える身、人を殺した貴方を受け入れてくれるかどうか……」


「殺すって!? ちょっと待ってくれよ! オレは殺すつもりなんてなかった!」


「でも実際ほとんど死んだ!」


「止まらなかったんだよ! 止めようとした! そもそもッ、ちょっと驚かすつもりだったんだ! それがなんであんな――ッ! お前の説明が足りなかったせいだろ!?」


「ごめんなさい。まさか人間に向かって投げるなんて」


「勘弁してくれよ! なあ! なあ! なあって! オレは悪くないだろ! こ、殺したなんて冗談じゃねぇぞ!!」


和久井は両手で顔を覆って崩れ落ちた。

殺した? 殺人? それは許されざる行為であり、もしもバレたら逮捕だ。

そうすると親にバレる。そもそも実刑がついたら刑務所だ。終わる。ネットができない。動画がみれない。ゲームができない。アニメが見れない。最悪だ。

などと考えていた。被害者やその遺族のことは欠片も考えていないのが人間のレベルが知れるというものだ。


「辛いだろうけど、受け入れて」


「ふッッざけんなよぉおぉぉ……ッ!」


「安心して」


焦点の定まらない瞳が、舞鶴を捉えた。

舞鶴は辛そうな顔だったけど、それでも両手を広げていた。

だから和久井は吸い寄せられるように舞鶴を抱きしめる。


「貴方は私が守る」


「舞鶴……!」


「私を助けてくれたことは事実だから。それは忘れないで」


「はは……」


少しだけ。ほんの少しだけ気持ちが軽くなる。

しかしそれで死体が消えるわけじゃない。現在、学校では地獄のような光景を前にイゼが拳を握りしめていた。

警察が出入りするなかで、ミモはトイレで吐いていた。親友二人が行方不明であると教えられた直後にこの光景、今日は耐えられそうにない。


「なんて、残酷な……」


教室ではモアが手を合わせている。

そんななか、イゼが唯一の生存者、『澄子』から話を聞いるところだった。


「何があったのだ?」


「ま、まっまま舞鶴ちゃんが来ちぇ、い、いッいじめていたグループと揉めはじめて」


やがて言い合いはエスカレートして暴力になるが、カースト上位のクラスメイトな手前、みんな気まずくて止められなかった。

しかし見たことのない男子生徒が舞鶴の味方をして、何かを投げたら、それが生徒たちを襲い始めた。

舞鶴が守ってくれて、舞鶴がその少年に投擲物を止めるように言っていたが、凶器は止まらなかった。

という流れを説明していたのだが――


「ぇげひぃぃいあぁあぁぁあ!」


フラッシュバックが起きたのだろう。

澄子は失禁しながら頭を掻きむしりはじめた。

イゼが必死に落ち着かせるなかで澄子は涙を流しながら叫ぶ。


「私たちが悪いんです! 舞鶴ちゃんの味方をしてあげればよかった! いじめなんてするから、きっと神様が天罰を与えたんです! 私も周りに飲まれてしまったから、一緒に彼女を無視して――ッ! うげぇえぇえ!」


ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


「………」


モアは優しく、錯乱する澄子の肩に触れた。

しかし何も言えなかった。何かを言おうとするが、口を閉じる。


「そんなことはない。お前が気負う必要はない!」


かわりにイゼが言葉を紡いだ。

悪いのは誰だ? 舞鶴は澄子を守ろうとしたらしいから、悪いのは武器を投げた人間に決まっている。

ではそれは誰か?

舞鶴がいない。そしてもう一人連絡のつかない人間がいる。


『和久井ってやつの仕業でしょ』


みゅうたんがイゼの肩に飛び乗った。


「だがヤツは人間だ。魔法少女でなければこのような惨事を起こせるものか」


『あんたバカなの? じゃあコレなに? あの証言なに?』


「……パラノイアに操られていたか、あるいは新型の武器か。いずれにせよ彼にこんなことができるとは思えないのだ」


『魔法少年になったって可能性もあるわよ。モアが言うには、2号ってのが出てきたらしいじゃない。アタシ、なんにも聞いてないんだけど』


「みゅうたんの知らないみゅうたんか……」


モアが出会ったとされる2号。しかしあれから音沙汰はない。


『いずれにせよ、まずは和久井を捕まえましょ。そうしたら何かがわかるわよ』


「舞鶴の居場所はわかるだろう? 教えてくれ、きっと一緒にいる筈だ」


『……それが、なーんか。わかんない』


「どういうことだ! ふざけている場合ではないのだぞ!」


『本当に知らないもん! わかんなくなっちゃたんだから仕方ないでしょ! そのうち、思い出すから、それまではアンタたちの力でどうにかしてよ!』


というそんな会話を、窓の外で一羽の『折り鶴』が聞いていた。

折り紙には目も耳もないが、そこは魔法の産物。

ちゃんと『目』の部分を通して、景色が確認できるし、耳の辺りで音も拾える。

だからその折り紙を飛ばした人物はすべてを知ることができた。


『貴方は私が守る』


『舞鶴……!』


『私を助けてくれたことは事実だから。それは忘れないで』


『はは……』


なんて、会話があった。

和久井はブルブル震えながら、折り鶴を飛ばした舞鶴を抱きしめていた。

その表情は自分が行ったことへの恐怖や、これからの不安で弱弱しく歪んでいた。

一方で抱きしめているから、和久井から舞鶴の表情は確認できない。

では彼女がどんな顔をしていたのかというと――


(うぉおおおおおおおおおおおおお!!)


舞鶴ちゃん!


超・絶・満・面・笑・顔!!


(しゃぁああああああああああああ!!)


炸裂ッッ!!


(きゅぴーん☆)


満面の笑み。

先ほどからずっと堪えていたからか、我慢しようとしても歯を見せてしまいます。

舞鶴の視線の先、空に浮かぶサンダーバードは、たくさん食べて満足そうにしていた。


『どうか、忘れないで。ソウルエーテルは――』


奈々実の家で見かけた張り紙。

死者の蘇生を諦めるようにとの内容だったが、なぜそう律していたかというと――


『ソウルエーテルは、ユーマが命に色を付けているだけなんだから』


そこで舞鶴はピンときた。そうか、そういうことだったのかと。

つまり蘇生に必要なエネルギー・ライフエーテルはパラノイアだけが持つものだと思っていたが、そうではなかった。

誰もが持っている、命そのものである。

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