第39話 チュータ!!

「ぁぁぁぁあぁあぁああぁ」


ただ、うろたえるだけだった。

救急車を呼んでも助からないことはわかっている。

奈々実のお腹には、ぽっかりと大きな穴が開いていて、むしろまだ生きているのが不思議なくらいだった。

奈々実が死ぬのは嫌だ。だけど何もできない。だったら泣くしかない。


「奈々実――ッ! 私ね、ずっと貴女のことが……!」


口を閉じる。まるでもう死ぬみたいだ。

諦めているのが奈々実に伝わってしまう。そうしたらきっと印象が悪くなってしまう。

それに何を伝えても、今の奈々実には聴ける余裕なんてない。そうしたら告げようとした想いは、ただ壁に向かって言っているのと同じだ。

だがその時だった。奈々実は舞鶴の頬を撫でた。


「わたしも、大好きだよ。舞鶴ちゃんのことが、ずっと……」


「奈々実ちゃん……!」


奈々実は泣いていた。


「じにだぐ――ッ! ないよぉ……!」


ここで奈々実の中にあった『いい子』が崩れ落ちた。


「だす……げッッ! でッッ!!」


奈々実は目を見開いて、舞鶴の裾を掴んだ。あまりの力に手がブルブル震えてる。


「どうじでッ! わだじがッ! がはっ! げぇ! ごんな……! おえぇっッ!」 


喋ろうとするごとに、赤い血が喉の奥から溢れてきた。


「まだッ、ばなびッ、みでないのに――ッ! ごげぇえッ! うぶぁ! だずげ! ぐるじ……! ぎゅーぎゅぅじゃ、呼んで! 舞鶴ちゃ――! ごぼぇ!」


何か言わなければならない。舞鶴はそう思ったが、奈々実はもう死んでいた。

冷たくなっていて、青白くなっていて、だらしなく目を開けたまま死んでいる。

気持ち悪い。吐きそうだ。舞鶴は気を失いそうになるが、それでもみゅうたんの声は聴こえていた。


『希望はあるミュ! 舞鶴! 理不尽をなくすことこそ魔法の本質なんだミュウ!』


だから、魔法少女は不可能を可能にできる。

ルールは簡単。資格を持つ少女は、心を壊す出来事を忘れることができる。

心が死なないから、その時点では死なないが、その代償として魔法少女になる。

でも本来は死ぬ筈だったのだから運命を修正しようとする世界の力が働く。

それが生み出したものこそが、パラノイア。


『少女に魔法を与える使い魔、ユーマにパラノイアの命を与えた時、生命エネルギーであるソウルエーテルが蓄積されるんだミュ』


それが一定値に達した時、そのエネルギーを死んだ者へ与えることができる。

つまり、死人を生き返らせることができるのだ。


『たとえ死体が残っていなかったとしても、魔法はそれを可能にしてくれる。キミたちの思う常識は、はるか昔に崩れ去ったのだとどうか理解してほしいミュ! だから舞鶴! キミが選ぶんだミュ!』


みゅうたんは叫ぶ。

魔法少女になればパラノイアが生まれるが、それを倒し続ければいずれ奈々実は蘇る。

ならば舞鶴の答えは簡単だった。


「世界中の人間がどうなってもいい! 私はただッ、奈々実が生きて笑ってくれるなら、それでいいッ!!」


その瞬間、舞鶴の目の前に巨大な雷鳥が現れた。


『それがユーマ。キミに魔法を与える使い魔だミュ!』


なりたい自分してくれる。そう設定すれば魔法はその通りに導いてくれる。らしい。


『翼を広げるべきだ。羽ばたきたいと願ったなら!』


だから舞鶴はサンダーバードに選ばれたのだと。



『アポロンの家』とは、フィーネにある児童養護施設の名前である。

海上都島であったとしても両親を事故や病で亡くしたり、虐待など、様々な理由で孤児になるケースは珍しくない。それこそパラノイアに保護者を殺されたケースも存在している。

見た目は普通の二階建てといったところで、シスターモアはずっとそこに住んで子供たちの世話を任されていた。

モアは早歩きで家に入って扉を閉めると、すぐにまた扉を開ける。


「おかえりなさい」


わざわざ、おかえりを言うために早歩きで自分を追い抜いたモアが可愛らしくて、ミモは微笑んだ。


「ん。ただいま!」


ミモもまた、アポロンの家に住む孤児の一人だった。

二人の帰宅を察知したのか、奥からは他の子供たちが駆け寄ってくる。


「おかえり! ミモねえちゃん!」


「よーっすチビたち! マジ会いたかったぞーっ!」


「モアさまぁ、おなかすいたぁー」


「よしよし、じゃあちょっと待ってて。今からすっごいおいしいの作るからね!」


はじめは食育指導員が栄養バランスの整ったメニューを用意してくれていたが、今は自立の意味も込めて自分たちで用意するようになった。

とはいえ、まだ小さい子も多いので、それは主にモアとミモが担当である。


「冷蔵庫に昨日の残りがあったから……」


「あぁ! ミモちゃん、いけません! たまごの賞味期限が今日までだよ!」


「んじゃ、ま、チャーハン作りますか。モア様はスープお願いできる?」


「うんっ! まかせてくださいねっ!」


はじめはレシピを見ながらやっても失敗していたのに、今では冷蔵庫の中を見てパッとメニューが浮かぶようにまで成長した。

そもそも毎日毎日、みんなの栄養を考えて献立を決めなきゃいけないルールもない。

スーパーのお惣菜はおいしいし、野菜はフライドポテトやパンと肉の間にある少量のレタスだけでもいいのだ。

それがきっと、家族というものだ。

今日だって、残り物の具材を適当にぶち込んだだけのチャーハンを子供たちはうまいうまいとバクバク食っていた。


そのあとは洗濯機を回して、子供たちと一緒にゲームをして、洗濯物を取り出して、干して、ゲームして、気づけば夜も遅くなっている。

そんな中、ミモは家の裏にある小さな礼拝堂に向かった。

そこではモアがお祈りをしていた。


モアは暇さえあれば、いつもここにいる。そして何かを祈っていた。

別に付き合いが悪いわけじゃない。子供たちが遊んでといえば遊んだし、本を読んでほしいといえば夜遅くまで付き合った。

でも何もなければ、いつもここにいる。微笑みながらずっと手を合わせている。

音楽を聴くでもなく、テレビを見るでもなく、いつも常に礼拝堂で一人、手を合わせているだけだった。


「モーアーさーま!」


「……ん? どうしたの? ミモちゃん」


モアは笑っていた。


「一緒にお風呂っ! 入ろう?」


モアはニコニコしながら頷いた。

二人は服を脱いだ。まずミモが湯船に浸かって、モアが体を洗うことにする。


「和久井にバレちゃったね」


「怖がってないか心配。でもこの島に住むってことは、私たちのことを知るってことですし」


「………」


ミモは、モアを見ていた。ニコニコしながら頭を洗うモアを見ていた。


「てか、あたしらが助けたんだから、今度お礼してもらおーよ。駅前のパンケーキ!」


「だめだよミモちゃん。かわいそう」


「冗談だって」


ミモはモアをジッと見ていた。ニコニコしながら体を洗うモアを見つめていた。


「ねえモア様。今日、一緒に寝てもいい」


いいよ。シスターモアはニコニコしながらそう言った。

ミモは嬉しかったけれど、わかっていた。モアはお願いを断ったことがない。

よほど冗談めいたものやモア自身が定めたシスターとしてのルールに背かない限り、どんなお願いでも聞き入れた。

あれして、これして、あれしろ、これしろ、モアはいつもニコニコしながら聞き入れた。いつも、いつも、いつも、ニコニコとしていた。


それは幼い頃から同じだった。

モア・エドウィンは、優しくて穏やかな女の子だった。

きっと優しいママと穏やかなパパの血を色濃く継いでいたからだろう。

モアは幸せだった。広いお庭でパパとボール遊びをするのが幸せだった。かわいい洋服を着てママと一緒に歌うのが大好きだった。


そんなある日、ママが新しい命を授かった。

パパは喜んだ。ママはとても喜んだ。モアも幸せだった。お姉ちゃんになったら、どうやって遊ぼうかをたくさん考えた。

だからママが流産した時、モアはたくさん泣いた。

でもきっと一番悲しいのはママだから、パパと一緒にママを支えていこうと約束した。

ママも泣いていたが、ありがとうと言ってモアの頭を撫でた。


その後、ママがお家に帰ってきてからは、またいつも通りの日々が戻ってきた。

ある日、ママがベビーカーを買ってきた。パパは驚いたが、理由を聞いて納得した。

必要ないのはわかっているが、せめてもの思い出と供養に、赤ちゃんのために前から買おうと思っていたものを持っておきたいとのことだった。


次の日、ママはベビーカーを持って買い物にいった。

飾っておくと、いろいろ思い出して辛いから、どうせなら使ったほうがいいという理由だった。買ったものをベビーカーに乗せて運んでいたのだ。

その日からママの食事が少しおかしなものになった。ママはお肉が大好きだったのに、小さな魚をよく食べるようになった。それも噛まずに丸ごと飲み込むようになった。

モアは不思議に思って、どうしてそんなことをするのかを聞いてみた。

するとママはこう答えた。


『お魚を産めるかもしれないでしょ? 口に入ったものは、お尻から出てくるの』


モアはよくわからなかった。


『モアちゃんも、お魚の妹が欲しいでしょ?』


よくわからなかったから、どうせだったらネコちゃんの妹がいいと言っておいた。

翌日、ママはネコを持ってきた。モアはとても喜んだが、すぐに元気がなくなった。

ネコがあまりに暴れるものだから、ママが地面に落として殺してしまったのだ。


だがママはこれでいいと微笑んだ。

そもそも、これはペットとして連れてきたのではなく、ママが飲み込むために連れてきたのだ。

しかしあまりにも大きなネコだったので、飲み込むことはできなかった。

なんとかして頭を口に入れたが、どう頑張っても体が喉に入ってこない。ママは何度も何度もえずきながらチャレンジしたが、やっぱりそれは無理だった。


しばらくしたら、ママはそうだと手を叩いた。

ジュースにすればいいのよ! ママはニコニコしながら、ネコをミキサーにかけるために、ぶつ切りにし始めた。しかし骨が硬くて普通の包丁じゃなかなか切れない。

モアはやめてと叫んだ。ネコがかわいそうだったからだ。

ママは確かにと言って、ネコをミキサーにかける前に庭へ捨てた。


『ネコちゃんがかわいそう。お墓を作っていい?』


『もちろん。ママも手伝うわ。モアちゃんは優しいね』


二人は一緒にネコのお墓を作った。

翌日、ママにしっぽが生えていた。かわいいねと言うと、ママは喜んだ。

ただそれはモアが想像していた喜び方とは少し違っていた。モアは尻尾がかわいいと伝えたのに、ママは「貴女に似ているんだから当然よ」と笑った。

その日はパパが早く帰ってきた。遊んでもらおうとモアは思っていたが、パパは真っ青になって叫んだ。そしてママを病院へ連れて行った。


夜、パパとママが喧嘩をしていた。

モアは悲しかった。大好きな二人が言い争っているのを見ているのは本当に辛かった。

会話の内容は幼いモアではよくわからなかったが、大声だったら耳には残っている。

お前は何を考えているんだ。道に落ちていた石や、犬をバラバラにして肛門から入れるなんて普通の考えじゃない。頭がどうかしてしまったのか。お医者がいなければもう少しで人工肛門になるところだった! 何を言っているのあなた。わたしはあの子の妹を産みたいだけなんです。それがどうしてあんなことになるんだ。いいか、あの子はもう死んだんだ! わかってるわよ。だからもう一度産むんでしょう! 馬鹿を言え! お前はどうかしている。そもそも子供が出てくるのは肛門からじゃない! いいえ、ちがうわ。あなたは子供を産んだことがないからわからないのよ! あの子を失って辛いのはわかる。しかし我々にはモアがいる! どうしてあの子を見てやらないんだ! 明後日俺は休みだから、お前を病院に連れていく。いいな! わかったな!


翌日、ママが死んだ。

鉄筋工事の現場に忍び込んで、コンクリートから伸びた鉄の棒に向かって股を広げてダイブしたらしい。


ママは出かける前に、モアにこんなことを言っていた。

鉄の棒は長くて硬くてしっかりしてるから、絶対に何にも負けずに体の中に入れることができるし、そのあとも消化されることはないの。だから絶対に産める。

本当に鉄の棒はしっかりしてるから。パパのよりもよっぽど硬くてしっかりしてるから、強い精子を頂けるかもしれない。そしたら絶対に妹を産めるから待っててね。

ママは引き留めようとするモアを叩いて家を出て行った。

ママの狙い通りになったかどうかは知らないが、鉄の棒はママを突き刺し、脳天を貫いて串刺しにしていた。

だからたぶん、ママは頭から赤ちゃんを産んだのだ。


『ママ、もう帰ってこないの?』


『ああ。これからは二人で生きていこうな。モア』


パパは泣きながらモアを抱きしめた。

モアはよくわからなかった。ママの死体を見ていなかったから、ママが死んだと言われてもまったく実感がわかなかった。元気なママに帰ってきてほしかった。

翌日、モアは一人で起きた。

いつもはママが優しく起こしてくれたのに。

やはり本当に死んでしまったのだろうか? モアはそんなことを思いながら、朝ご飯を食べるためにリビングへ向かった。

扉を開けると、パパが全裸で椅子に座っていた。


『びびぃぃぶぅべべべっばばばおぽぽぽぽーぴーっぱぱぱぺぱぁっっ!』


文字にすれば、『じょばーッ!』と、噴水のように勢いよくおしっこを出していた。

おしっこは赤色だった。血尿というよりは、血そのものだった。

パパは目を見開いていた。笑っていたから、たぶん楽しかったんだと思う。

服は着ていなかったが、体中にママの死体の写真をたくさん貼り付けていた。写真はすべて画鋲を皮膚に刺して留めていた。痛そうだった。


パパはしゃぶりつくして味がしなくなった指を噛みちぎると、それを自分の鼻の穴に突っ込んでいた。

こうすることで嗅覚が封じられ、かわりに味覚が研ぎ澄まされて、指の甘みが復活するかもしれないからだと口にしていた。

いつしかパパは自分の舌を噛み切っていた。タン塩で一杯やるためらしい。

パパはすべての真理に達していた。そうか、ママが死んだのはタン塩にレモンをかけなかったからだ。

だからママは死んだんだ。そうか、そういうことか。パパの中ですべてのピースがはまった気がした。パパは指のない手で自分の腹を全力で殴り始めた。

何度も何度も殴ると、いくつかの内臓が破裂した。気持ち悪いから血を吐いた。


『あれはオレンジが好きだったから。オレンジだったら、よかったんだ!』


モアは必死に夢から覚めようとするが、これは現実だった。


『んぼぉおぉぉぉぉぉおぉおおおおお!!』


なぜかパパが叫ぶと、パパの両目が取れた。

そこでモアは記憶を失った。

何が起こったのか、どうなったのか、まったく覚えていない。

ただ次に目覚めた時、パパはいなかった。モアはアポロンの家にいた。

そしてみゅうたんに出会った。


『モア、キミは魔法少女になったんだミュ』


首が長ければ、より広い範囲の人たちを見守れる。

手が伸びれば、遠くにいる人にも手を差し伸べられる。


『そんなキミの想いが、ユーマ・ネッシーを生み出したんだミュ』


モアは微笑んだ。

ステンドグラスには神様がいた。


「おやすみ、モア様」


「おやすみなさいミモちゃん。いい夢が見られますように」


現在、夜、ミモとモアは向かい合ったまま目を閉じた。

たまにこうやって眠る。モアは断らないから楽でいい。

ミモにはひとつ決めていることがあった。それは絶対にモアよりも先に眠らないということだ。

ミモはこの時間が大好きだった。寝ている時はモアは笑っていないからだ。


モアはいつも笑っていた。ニコニコ優しそうで、素敵な笑顔だ。

でもミモは知っている。モアは常に笑っていることを。

どんな時も笑顔なのだ。だからそれはつまり、彼女の真顔が笑顔だということ。

つまり、笑ってなんかいないってことを。


「モア様……」


だってそうだろ。何をどうしたら楽しくて笑えるっていうんだ。

母親と父親があんな死に方をして、心に傷を負ってないわけがない。

ミモは昔を思い出していた。ミモも、モアと同じだった。

あれは今でも悪い夢なんじゃないかと思ってる。


始まりは小学校五年生だった。


ミモには、よく喧嘩をするけど仲のいい弟がいた。

ある日、弟がサッカーの練習から帰ってきた。暑い日だったから、弟は何かをゴクゴク飲んでいた。


「これがウメェ! マジでウメェ! くぅぅう! 激うんまぁあああ!」


しばらくして弟が倒れた。病院へ運ばれたが遅かった。

弟はうまそうに漂白剤をゴクゴク飲んでいたらしい。どうして弟はそれがジュースじゃないことに気づかなかったのか。父も母もミモも、わけがわからずに泣いた。

ただ、心当たりがなかったわけじゃない。それは祖母のことだ。

弟は超がつくほどの『おばあちゃんっ子』だった。その大好きな祖母がある日、バットで頭を割られて殺された。


『ども! あざあざおざまんす! はい! というわけでね、えー、今日はババア殺してみた! やってきます! シイィッ!』


動画配信者を名乗る犯人は、企画の一つで祖母を殺したと証言したようだが、犯人が撮影に使っていたのはおもちゃのガラケーだったらしい。

もちろん動画サイトのチャンネルも持っておらず、警察は精神異常者の犯行として処理した。

しかも犯人は両耳から水が出る体質の持ち主らしく、しかも勢いが尋常ではないらしい。

犯人は留置所で、脱水症状で死亡しているのが見つかった。たった一夜で干からびるほどの水分を耳から排出して死んだのだ。


これで真相が語られることなく事件は終わった。

あの時、弟の心に大きな傷が生まれたのなら、何かのきっかけであんな行動に出たとしてもおかしくない。

いずれにせよ弟の異変に気付くことができなかったことが悔しかった。悲しかった。


それから時間が経って、ミモが中学三年生になった時だ。

父が相談があると言ってきた。随分と改まって深刻そうだったから、緊張したのを覚えている。


『あの、父さんな……、すごく言い難いんだけど会社を辞めようと思うんだ』


母もミモも驚いた。

しかし言われてみればここ最近の父はため息が多くて、辛そうだったから、むしろ打ち明けてくれたのはいいことだったと思う。

大黒柱が無職になるのは多少の不安もあったが、それでも今まで頑張ってくれた父が打ち明けてくれた弱さなのだから、受け入れてあげたいと思った。


『大丈夫。私もパートで働くから。ね? ミモ』


『うんうん! あたしも高校入ったらバイトするから!』


その言葉を聞いて父は泣いてお礼を言った。その姿を見て少し嬉しくなった。

これでまた家族の絆が強くなったのだと思ったからだ。


『でもあなた、どうして辞めるかを教えてくれない?』


『うん。実は、父さん、夢があったんだ。それを叶えたくて』


『夢? そうなんだ。パパにもそんなのあったんだ』


『一度きりの人生、叶えないで終わるなんて、もったいないって思ったから』


『教えてよ。ミュージシャンとか?』


『ねずみ……』


『へ?』


『ネズミを、飼いたいんだ』


少し、変な空気になった。

が、しかし、冗談を言っているようには見えなかった。


『素敵じゃない。いい夢だと思うわ』


少し間はあったが、母はそう言って微笑んだ。

あとで母から聞いたが、あれは額面通りに受け取る言葉じゃないらしい。

たとえば職場でいじめられていたとか、本当の理由があるのだけど、それを正直に口にするのは男としてのプライドが許さないとか。

あるいは単純に心配させたくないという父なりの気遣いかもしれない。

もしくは本当にネズミが好きで、ネズミを研究することで、いろいろなことに役立てたいだとか、そういう類のものではないかと。


とはいえ、翌日、ミモは父を誘ってペットショップに出かけた。

額面通りに受け取ったほうがいいケースもあると思って一緒にネズミを選んであげようと思ったのだ。


『え、待って! やばい! めっちゃかわいい!』


愛らしいハムスターたちがミモを出迎えてくれた。

しかし父は首をかしげていた。よくわからないから、今日は帰ろうと言われた。

ネットでも買えるらしいし、もっとよく調べるのもいいだろう。

あるいは母の言ったとおりネズミというのは言い訳だったのかもしれない。ミモはそう思った。

家に帰ると、母が少し不機嫌だった。

なんでも父が勝手に八万円もするピーラー(皮むき器)を買ったのだ。


『ごめんごめん、ネズミの餌に使おうと思って』


ただ、八万円もするだけあって、なんでもスルスル皮が剥けた。

これには不機嫌だった母も、ご機嫌になった。

でも母はすぐにまた不機嫌になった。父と少し言い合いになったのだ。

というのも、ネズミが来てほしいから生ごみを置いておけないか? と、父に提案されたらしい。そんなことをしたら虫が湧く。

すると父は冗談だよと笑った。冗談にしてはつまらないから母は不機嫌だったのだ。


『そういえばさ、ネズミさんの名前は考えてあるの?』


『うん。ネズミだから、チュータにしようと思うんだ』


マジ単純、ミモは笑った。


三日経った。ミモが起きると、変な音が聞こえた。

何かを強く叩きつけている音だ。リビングの扉を開くと、その音が父が出しているのだとわかった。

父はテーブルの上に座っていた。昔、ミモが子供の時に同じことをしたら行儀が悪いと怒ったのに。

ふと気づく。父が何かを持っていた。白い棒のようなもので、ところどころ赤色も確認できる。父はそれを叩きつけていた。

バンバン! バンバン! とても、うるさい。


『なに、してるの?』


『てやんでぃ! 講談の途中にやじ入れるヤツがあるかいってんだ!』


バンと音がした。なんでも、張扇はりおうぎというもので、講談や落語などの日本芸能において音を立てるために作られた道具らしい。

ミモにはそれが『骨』に見えた。


『ヒッ!』


ミモは座り込むようにして死んでいる母を見つけた。

おぞましい姿だった。母は全裸で死んでいたのだが、損壊が激しく、右の乳房は抉り取られていた。

父はまず、ミモが幼い時に使っていた子供用の包丁で切れ込みを入れて、あとはミモがアイスを食べるに使う大きなスプーンで肉をひたすらに抉っていった。

肉とか、脂肪とか、よくわからない神経だか線だが、それも全てかき出して、あとは工具で穴をあけた。

右胸だけじゃない。母の死体にはありとあらゆる場所に穴が開いていた。目も抉り取られて、空洞になっていた。


ミモが嘔吐する中で、父は説いた。

たしかに残酷だ。でもそれは、そうしなければならない理由がある。

なぜならば――


『母さんは、チュータのおうちっ!』


何を言っているか、全く理解できなかった。


『いいかいミモ。ネズミさんは狭くて小さいところが好きなんだ。だからママの右おっぱいのところには、ネズミのキョウヘイが住むんだ。右目のところはネズミのネズ子が住むんだぞ。太ももはチュースケ親分が住んで、かっ! づ! お腹のところは、みんながパーティできるようにダンスホールにしてみたんだ。チーズは穴だらけ。ミラーボールは今も高いのだろうか? きっと明日は晴れるやねずみは高いのかな? パパのお小遣いでも買えるといいけれど……。失礼、腹が減ったので、飯を食ふ』


父は自分の髪の毛を鷲掴みにすると、渾身の力で引っ張った。

ベリッと音がして頭の皮膚ごと髪が抜ける。父はそれをむしゃむしゃ食べていた。

見れば、母の頭も、ところどころが禿げ上がっている。

父が毟って、そばつゆで美味しく頂いたらしい。

粋だね、こりゃ。


『………』


声が出ない。ミモは信じられなかった。

そこにいるのが母だということが未だに理解できなかった。

だから触れてしまう。そうすると母は倒れる。すると父は激怒した。


『テメェ! ざけんな殺すぞ!! そこはチュータのお部屋だろうがァアアぁあッッ!!』


髪の毛がいっぱい入った口で怒鳴られ、ミモは肩を震わせた。

母の額にある穴から、ちゅうと音がして、ネズミの人形が出てきた。

これがチュータらしい。


『へいおめぇさん! チュータってのは松原のとっつぁんに喧嘩ふっかけたってのは本当かい?』


父はそこで口調を変えて、腕を組んでフムと唸る。

再び白い棒を叩きつけた。本人がいうには芸能の道具らしいが、それは母の大腿骨だった。

ミモは恐ろしくて震えることしかできなかった。そうしていると父が骨を投げ捨てて立ち上がる。

手にしたのは通販で買った高級ピーラーだった。固い大根とか、ごぼうの皮もスラスラ剥けるピーラーで父は自分の腕を剥き始めた。


『がぁあぁああ! はぁあ゛! あぐぁあ! ぎゃぎひぃぃ!』


激痛に悶えながらも、父には自分の腕をチュータたちが遊ぶ滑り台にしなければならないという固い意志があった。

だから父は止めようとしたミモを殴り飛ばすと、ひたすら腕の皮膚を剥こうと努力した。

しかしすぐに血や肉や皮で、ピーラーが詰まってしまう。


『なんじゃこれ! 不良品だ! 騙された! 高かったのに! 詐欺やろ!』


父は泣き出した。号泣しながら夢の終わりを語った。


『ごめんねチュータ!!』


ミモには見えなかったが、父は自分の後頭部に何かを押し当てていた。

それは先の尖った金属だ。父はそれを全力を込めて押し込んだ。

頭蓋骨が砕けるような音がした時、ミモは記憶を失った。

目が覚めた時、彼女は魔法少女になっていた。


『心が壊れそうになった時、その原因をキミたちは忘れたんだミュウ』


ミモは納得した。覚えているところだけでも地獄のような光景だった。


(きっと変なお薬でもキメてたんだよ)


そういうの、たぶん、不思議だけど、不思議じゃない。


『キミは辛いことがあったけど前に踏み出そうとしているミュ。それは大きな一歩であるべきだミュ。だからキミはユーマ・ビッグフットを生み出したんだミュ』


踏み出そうとしているのか?

でもみゅうたんが言うのだから、そうなのかもしれない。こうして、ひとりぼっちになったミモはアポロンの家にやってきた。

施設を見てまわるなかで、礼拝堂を見つけた。神様を否定はしていないが、信じてもいなかった。

でも少し興味があって覗いてみると、そこでミモは女神を見つけた。


ステンドグラスから漏れる光に照らされながら、手を合わせ、目を閉じ、祈っていた。

人形のようなその姿は、人間らしさを感じさせなかった。

だからミモはそこに人間よりも大きな存在がいると勘違いをしたのだ。

しかしシスターモアは神になろうと思ったから、それは不思議な光景ではなかった。

それを驕りというなら間違ってはいないだろう。それでもモアはあの日、神を見つけた時から、それに限りなく近い存在になろうと決めたのだ。


モアは月になりたかった。

遠くで浮かべばいい。それで人々が見上げて、淡い光に意味を見出してくれるならそれでよかった。

だから彼女は月になりたい。ならなければならない。

でなければ悲しみに心食われてしまう。

たとえそれが魔法少女であったとしても。


魔法少女は心を砕く最後の一撃を忘れるだけだ。

それ以外の記憶は残り続ける。そしたらそれは永遠に心を蝕んでいく。

お風呂に入っているふとした時間で。眠っている際に視る夢で。それはあまりにも辛いことだ。


「……モア様」


今、現在、ベッドにいるミモは小さく呟いた。

魔法少女であるとお互いが知った時、お互いは己の悪夢を初めて他人に打ち明けた。

モアの記憶を聞いて、ミモは真っ青になってガタガタ震えた。

でもモアは笑顔だった。


「悲しくないの?」


ミモが聞いた。


「悲しくないよ」


モアがそう答えた。


「嘘つかないでよ!」


「本当だよ。そうお祈りしたから。涙の流し方を忘れちゃったの」


「でもあたしはマジで悲しいよ!」


ミモはあの時のことを話すだけで泣けてきた。

どうしてあんな辛い目に合わなければならないのだろうかと、いつも思う。

真面目には生きてこなかったかもしれないけど、あんなひどい思いをしなければならないようなことはしてないのに。

だからミモは神様を信じていない。


「もう会えない。みんなに……!」


ミモは泣きじゃくってへたり込んだ。

その時だった。頭を撫でられたのは。


「よしよし。もう泣かなくていいんですよ」


モアが微笑んでいた。

馬鹿にしないでよと言いたくなったが、ミモは反射的にモアを抱きしめていた。

モアも、ミモをギュッと抱きしめた。


「傍に、いるから」


耳元でそう囁かれた時、ミモの中で何かが芽生えた。

ただ単に、近くにいるというたったそれだけの言葉でミモはモアから離れたくなくなった。

一生この人の隣にいて、ずっといつまでも優しい匂いを感じて生きていきたいと思ってしまった。

家族を全て失ったミモにとってはその優しさがあまりに心に染みてしまったらしい。

優しすぎるのも罪というものだ。我ながら情けないとは思うが、コロリと堕ちてしまったのだ。


きっとあたしの苦しみを真の意味で理解してくれる人は、この人以外には現れないと、本気でそう思った。

現に同じ魔法少女で、同じように悪夢みたいに家族が死んだ傷がある。その傷同士を重ねて血を混じり合わせることができるのは、確かにモア以外にはいなかった。

苦しみを理解してくれなければ、救いを与えてくれることもない。

だからモアが全てだった。だからモアの一番近いところにいたい。

家族ではないとすれば、それはどこだ?


「………」


ミモは目を閉じた。

この感情は間違っているのだろうか?

ただの錯覚、ひと時の夢でしかないのだろうか?

ではこの痛みの正体はなんだ? モアの隣に誰かが立っていると想像するだけで張り裂けそうになる痛みの正体はなんだ?

ミモは目を開けた。モアが見えた。

この胸の高鳴りはただの友情や信頼だけではない。

う、い、あ、お、口パクが母音の形を作る。


「あたしなら、モア様の心の引っ掛かりを取ってあげられるかもしれないよ……?」


月にならなくてもいいのに。

おいしいものを食べて、楽しいことをしたら忘れられるのに。

もしかしたら気持ちいいことをすれば、よっぽど早く忘れられるかもしれないのに。

歌が好きなんでしょ? カラオケは楽しかったでしょ? 貴女はいつもみたいに笑っていただけだったけど楽しかった筈だよ。だからもっと歌えばいいのに。自分で。鼻歌でもいいから。

でもそれをしないのはきっと貴女の中にある何かが悪さをしてるんでしょ。

じゃなかったら、こんな、月になろうなんて思わない。


「………」


モアはぐっすり眠っている。ミモはモアの頬に触れそうになって、やめた。

もしも今、モアにキスをしたら彼女はどう思うだろう? どんな反応をするだろう。

怒るだろうか? それとも、いつものようにヘラヘラ楽しくもないのに笑って、曖昧な態度をとるんだろうか? 胸を触りながら舌でも入れたら赤くなってくれるのだろうか? 何かが変わるのだろうか? そして何かが終わってしまうのだろうか?

ミモは体を丸めて苦しげな表情を浮かべる。


『アタシ、ガチで女の子が好きかもしれない……』


などと、深刻な顔で言っていた友達のシホは二週間前に大学生のイケメンと付き合って、今が人生で一番幸せだとSNSで教えてくれた。お腹には赤ちゃんがいるらしい。

なるほど確かに正直、今、一押しのアイドルグループ、ヴィジョンのアイトくんに告白されたらきっと自分は……?

思い出してみると、初恋は隣の家に住んでいたお兄ちゃんだった。


「………」


それでもミモは一瞬だけ、モアとキスをする妄想をして真っ赤になった。

彼女の唇はとっても柔らかくて、ちょんと触れただけで、モアも真っ赤になって強張っていた。

その可愛らしい姿を妄想して全身が熱くなった。


「……モア様」


初めて見た時、救われるならこの人がいいと思った。

自分と同じ魔法少女であると知った時は、飛び上がるほど嬉しかった。それは今も変わってない。

綺麗な髪も、瞳も、声も、顔も、全部が好きだった。

優しい彼女が抱える、自分だけしか知らない闇が少しだけ嬉しかった。


「やっぱり、あたしは、貴女が――」


これはまだ、自分だけのものだ。自分だけが知っていればいい気持ちだ。

ミモは夢でモアに会えたらいいのにと思いながら目を閉じた。



朝。和久井は緊張していた。

トゲトゲの化け物に、魔法少女に変身したクラスメイト、あの混乱の後、和久井は舞鶴と一緒に帰った。

途中、どれだけ詳細を問うても舞鶴は何も教えてくれなかった。


『明日、話す』


その一点張りである。

だから和久井は普通に家に帰って、普通にごはんを食べて、普通にシャワーを浴びて寝た。

アレはなんだったのか? いろいろ考えて眠れないかと思ったが、これがどうしてスヤスヤだった。

そして今、和久井は校門で舞鶴を見かけた。


「よ、よお」


「ん」


和久井は舞鶴についていくように靴を下駄箱へしまう。

舞鶴の言葉を待つが、彼女は何も喋らない。廊下に出ると、楽しそうに話している集団がいた。

見るからに青春を謳歌してそうな男女である。横に広がって歩いているから、追い抜けない。


「邪魔」


楽しそうにしている生徒たちが舞鶴のほうを見た。

和久井はギョッとした。確かに邪魔は邪魔だが、そんなハッキリ言うなんてどうかしてる。

現に明らかに空気が悪くなった。男女のグループはジットリとした視線を舞鶴に向けるが――、舞鶴はフフンと笑った。


「なに? 文句、ある?」


「……いやっ」


「じゃあ、じゃあ、どいて」


生徒たちが道を開ける。

舞鶴はそこを歩いて行った。和久井も急いで追跡して、隣に並ぶ。


「お、おい」


「私、あいつら、に、いじめられてた」


「え? ぁあ、そうなの?」


「あれ、私が、魔法少女だってわかったら掌をクルクル。まじ、うざぃ。死ねって」


「つか、もしかしてみんな知ってる感じ?」


考えてみればそれなりに派手な戦いではあった。

誰かに見られていてもおかしくはない。そんなことが何度も繰り返されたのなら、隠しておくのは不可能だ。


「うん。この島は、パラノイアの処刑場でもあるから」


「パラノイア? あ、ああ。昨日の化け物か」


「アブダクションレイっていうのを、みゅうたんが出せる。それで、世界中に出現したパラノイアを、この島に転送できるの」


それを集められた魔法少女が駆除する。簡単だ。

そしてもちろん危険だ。だからこそ、この島での仕事は報酬もいい。


「んおっ!」


教室に入った和久井は、美しい金髪に目を奪われた。

安槌イゼは先に教室に来ていたミモとの会話を切り上げると、和久井たちのほうへ歩いてくる。


「やあ舞鶴、これから少し学校を抜け出さぬか?」


「……な、ぜ?」


「少し話がしたいだけだとも。魔法少女同士でな」


ミモを見ると手を振った。行く、というジェスチャーのようだ。


「べつに、いい。けど、ひとつだけ。和久井も、つれて、く」


「え? オレ!? なんで?」


「説明するって言ったけど、まだ、してない、し……」


「うむ。かまわぬさ。転校生だったな。事情を知らぬのも当然だ。いずれ説明されるなら、今したほうがいい」


「そりゃあ、教えてくれるってんなら、ご一緒したいけども……」


「では決まりだ。早速、行こうではないか。大丈夫、学園長には話をつけてあるからな」


こうして和久井たちは喫茶店に移動した。

8人座れる一番大きなテーブルにしてもらい、右から和久井、舞鶴、ミモ、モアが座り、モアの向かい側にイゼが座った。

しばらくしてカランカランと音がして、アイたちが姿を見せる。


「おお、よく来てくれた。こっちだ!」


アイは挨拶を返すわけでもなく、和久井の前にどっかりと座り込んだ。


(う……! 目つきの悪い女だな)


それになんだ。アイの被っている大きな魔女帽子は目立つ。

恰好が現代的な制服なだけに、余計にそれが浮いているような気がした。


「ジロジロ見てんじゃねーよ。カス」


「す、すんませんっ!」


和久井はすぐに目を逸らした。

昨日ので察してはいたが、魔法少女も一枚岩ではないらしい。アイたちを見るやいなや、舞鶴たちの表情も険しくなる。


「顔が怖いねェ。つか、そもそもなんで魔法少女じゃない野郎がいるんだよ」


「彼は舞鶴の友人らしくてな。最近この島に来たんだ」


そこでイゼは今までのことを説明してくれた。

イゼの祖母が最初の魔法少女であり、多くの命を救った。


「しかしどうやら魔法とは奇跡を意図的に起こすものらしく、意図的に起こす奇跡は奇跡ではないと世界は認識するらしいのだ」


「や、ややこしいな」


「うむ。つまり、戦争で死ぬ筈だった人間や、他でもない我ら魔法少女自身を魔法が救ってしまったため、魔法を認めない世界そのものが本来死ぬぶんの命を奪いにパラノイアを生み出したのである」


生き延びた命を狙う殺し屋のようなものだという。

パラノイアには兵器も通用するとはいえ、強力な個体ともなると魔法少女でなければ対抗できない。

だがそのために仲間を増やすと、それがまたパラノイアを生み出す原因になる。


「終わらない戦いってことかよ!」


「だが私たちさえ有能ならば、犠牲者を限りなくゼロに抑えることができるのだ」


みゅうたんが放つ移動光線、アブダクションレイにより、世界のどこにパラノイアが現れても島に転送することができる。

だから魔法少女が島の外で誕生した場合であっても、その女の子はここにやってくるのだ。

魔法少女の数はみゅうたんが把握できるため、現在はここにいる魔法少女で全てらしい。


「でもあんな化け物、聞いたことがなかったぜ!?」


「情報の規制されていてな。みゅうたん自身も知らぬ情報があってパラノイアが生まれた可能性や、パラノイアを操っているものがいないとも限らんだろう? 必死に調査を進めているが、いたずらな情報で民を混乱させたくないのだ」


それにパラノイアはある日、急に地球のどこかに出現する。それが室内であってもだ。

だから注意や対策などできるわけもない。シェルターに籠っていてもいきりなり現れる化け物がいると知れば、みんな怖がる。

だから世界は、それを隠すことにしたのだ。


「この島を出る時は、魔法で記憶を消させてもらう」


「げ! まじかよ!」


「許せ。それが幸せに繋がるのだ。ただし犠牲自体は報道もされている。アイオン災害と名付けられているのだが、それは和久井も聞いたことはあるだろう」


「たしかにネットのニュースじゃ見たことがある。アイオンが原因の爆発事故などって書いてあったから、まさか化け物に殺されたなんて思いもしなかったけど……」


そこでマスターが水を持ってきた。アイが手を挙げる。


「コーヒー八つくれ」


「はいはい。えーっと……、八つでいいのね?」


「ああ。砂糖とかミルクはこっちで適当に入れるから、そっこーで持ってきてくれよォ」


マスターが戻っていく。

そこで和久井が気づいた。水がこない。アイや市江がニヤニヤ笑ってる。


「テメェの水はもらった」


「です!」「だぞ!」


「なんでだよ! よこせよ!」


まあまあと、モアが自分の水を和久井にあげた。それを見てイゼがため息をつく。


「やれやれ。しかしちょうどいい。ミモたちは知り合いのようだが、私たちのことは知らぬだろう。自己紹介といこうではないか」


するとイゼよりも先にアイが口を開いた。


「アタシは室町アイ。使い魔ユーマはチュパカブラ。能力は教えてやんねー」


魔女帽子が特徴的な銀髪のアイ。


「桃山苺だぞ。ユーマはカーバンクル! あちあちだぞ!」「桃山市江です! ユーマはイエティ! ひえひえですっ!」


赤い髪の苺、青い髪の市江、双子だった。


「改めて、私は安槌イゼ。ユーマはモスマンだ」


ユーマというのは魔法少女に力を与える存在であり、見た目は未確認生命体を模したロボットのようだ。

これが変身時にドレスのようなバトルスーツを生み出して、場合によっては自らも魔法少女の一部となるのだ。


「みゅうたん曰く、ユーマは魔法少女の想いによって決定するらしい。モスマンというのは大きな羽があったのに、それを羽ばたかせずに飛行していたようだ。私は祖母から受け継いだのだが、祖母は何があっても決して動じない凛とした心が欲しかった。その想いが、不動で飛行するモスマンとリンクしたのだろう」


「なる……、ほど?」


はて、少し雑なこじつけのようにも感じるが、まあ本人が納得しているのならいい。


「しかし魔法少女というのは、見ての通り、我の強い連中でな。昨日は見苦しいところを見せた」


イゼとしては、みんなで仲良く一つのチームとなってパラノイアを迎え撃ちたいのだが、実際は派閥のようなものができてしまっているのが現状である。

その理由はやはり魔法少女の特権、死者を蘇生させることができるという部分であろう。

パラノイアが死んだ際に排出するソウルエーテルは、分け合うことのできない物質であり、誰が獲得するかで話し合わなければならない。


「はじめは順番に、というルールだったが、それをアイは良しとしなかった」


アイは鼻を鳴らす。


「アタシは言ってるじゃねぇか。全部譲ってくれりゃあ、それでいいんだって。仲良くしてやるし、蘇らせた後は全面的に協力してやるって何度も言ってんのによォ」


アイは舞鶴を睨んだ。イゼがその意味を教えてくれる。


「……実は、皆が蘇生システムを使おうとしているわけではないのだ」


それは蘇らせることができるのが一人につき一人だけだというルールが原因だった。

人の記憶を媒体にするため、たとえばミモが自分の父を蘇らせた上で、舞鶴に頼んでミモの母を蘇らせる――、ということはできないらしい。

舞鶴にはミモの母との思い出がないからだ。それでは肉体を構成するのに必要な情報が足りず、蘇生できないらしい。

みゅうたんもその点についてはまだわかっていないことが多いらしく、蘇らせた後も定期的にソウルエーテルを与えなければならない可能性などがあると言っていた。

そういう部分が関係性を拗らせているのだ。


「私には今すぐにでも蘇らせたい人がいるッ!」


舞鶴にしては珍しくハッキリと言い放つものだから、和久井はびっくりした。

彼女が誰を蘇生させたいのかは知らないが、少し嫉妬してしまった。


「まあ、とにかく、そういう事情があるものだから各々の考えがあるということだな」


ミモは両親や弟を一人だけ蘇らせるくらいならば死を受け入れるという考えで、モアはどんな事情があれ死という運命に干渉するべきではないという考えを持っていた。

桃山姉妹は、そもそも蘇生させたい相手がいないらしい。


「かくいう私も、妹を蘇らせたいのだが……」


イゼにも迷いがあるらしい。モアのように倫理的な考えが原因だ。

そうすることが本当に正しいのか? いまひとつ答えが見えない。

だが舞鶴とアイは違う。一刻も早く、という想いがぶつかり合っている。


「当然だよなァ? メーター的なモンがねぇんだから、どれだけユーマにソウルエーテルを喰わせればいいのかサッパリわからねぇんだし」


みゅうたんに聞いたところ、蘇生させられる段階になってはじめてわかるらしい。


「……あと、もし、後でなんらかのトラブルが、あって、蘇生できなくなるようなことが、あったら、責任とれる? とれないでしょ?」


舞鶴が興奮ぎみに言った。

結局、舞鶴派とアイ派にそれとなくわかれてしまった訳だ。


「こんなでっかい帽子被ってるわりには、器はマジで小さいんですなぁ~」


ミモがヘラヘラしながらアイの帽子に触れようとすると、その手を思いきり弾かれた。


「コイツに触んじゃねぇ! ブッ殺すぞクソガキ!!」


「は? なに? いきなりキレて。マジでダサくね?」


「――に、貰ったんだよ。汚れたら最悪だろぅがァ」


声が小さくなった。誰に貰ったのかは聞き取れなかったが、おそらくそれがアイの蘇生させたい人間なのだろう。


「お前たち、よせ。今日は喧嘩をしにきたのではない。魔法少女同士で食事でもして結束力を高めようという集まりなのだ。どれ、趣味を言い合おうじゃないか。私は休日になると盆栽を嗜むんだが、舞鶴、キミはどんなことをしてるんだ? もしよかったらみんなで一緒に同じことをやっても――」


「ネットで、他人の、悪口、書いてる」


最悪だよ。

コミュニケーションって言葉をきっと知らないんだ。和久井はそう思う。


「スゥ……! なかなか攻撃的なユーモアだな。本当は何を?」


「いや、本当に、してる。有名人、SNS、ブチ、荒らす」


「……市江は?」


「フォミチキです」「あたしも同じだぞ!」


「フォミチキ?」


「フォーミーマートのレジ横にあるチキンですっ」「あれが美味いんだぞ!」


((((趣味じゃねぇだろ))))


「ッ、シスターは? 歌が好きと噂で聞いたが?」


「いえ、私は暇があれば、ずっとお祈りをしていますので。私は趣味を持ちません」


「……室町は?」


「死ね」


「ん、ミッ、ミモはどうだ!」


「服とか買いに行って、SNSにアップするのが――」


「クソみたいな趣味」


「おい、誰が言った今。喧嘩するならしてもいいよ?」


「よさぬか! 和久井はどうだ?」


「オレ? えーっと、ゲームとか、アニメかな?」


「よいではないか。どういうのを嗜むんだ? チョコパンマンか?」


「まあ今期で言うならやっぱ黒鉄のイグジスじゃねーかな。原作の絵を、ああいう風にゴリゴリ動かせるってのは目から鱗だったな。原作の評価は微妙だったのにアニメ化されたとたんトレンド独占状態になったし。まあそういう意味ではただ会社ガチャみたいなのに勝ったって話だから、純粋に完成度でいうならオリジナルアニメの――」


「「「「「「………」」」」」」


あーあ、やっちゃったよ。プレミしちゃったよ。誰も知らないヤツ言っちゃったよ。


(いや、待て。お前は知ってるだろ舞鶴。感想言いあっただろ。助けろよ! コッチ側の人間だろテメェ! ひたすらにオレから目を逸らすのはやめろよ!)


和久井が疎外感を感じていた時、いきなりテーブルに何かが降ってきた。

ネコだ。翼がある。みゅうたんだ。そこで鐘の音が聞こえた。


『大変だミュ! パラノイアだミュ!』


少女たちの表情が変わった。

ちょうど八つコーヒーが運ばれてきたので、それらをすべて和久井に押し付けると、舞鶴たちは店の外へ飛び出した。


「ユーマ!」『Get ready』『Unlimited Magical Ascension』


電子音声が重なり合う。並び立つ少女の背後に、次々にユーマが出現していった。

各々、取り出したチャーム。それが変身アイテムらしい。


「マギアス・パラジオン!」


『THUNDER・BIRD』『NESSIE』『BIG・FOOT』

『MOTHMAN』

『CARBUNCLE』『YETI』『CHUPACABRA』


バトルスーツに身を包んだ少女たち。

みゅうたんが言うには、コスチュームにはそれぞれテーマがあるらしい。たとえば舞鶴は和を基調としたコスチューム。テーマは侍。


モアは修道服のようなコスチューム。テーマはシスター。


ミモは体のラインがわかる動きやすいコスチュームへ。テーマは格闘家。


イゼはファンタジックなコスチュームへ。テーマは魔法剣士。


苺は獣の耳がついたフードが特徴的なコスチュームへ。テーマは道化師。


市江はフリルがたくさんあしらわれたコスチュームへ。テーマはロリータ。


アイは西部劇を思わせるコスチュームへ。テーマはガンマン。


舞鶴にいたっては眉が細くなったりと、顔も変わっていく。


「アップグレード!」『OK』


魔法少女たちはユーマを分解して装甲に変える強化形態・ワイズマンモードに移行していく。

サンダーバードは、アメリカで目撃された巨大な怪鳥がモデルになっている。

頭部が舞鶴の右肩に。胴体が四肢へ、脚が腰へ、翼が背中に装着されて防御力や飛行能力を向上させる。

武器は鋼でできた折り紙だ。様々な大きさのものを作り出すことができ、それらで作った作品には相応の能力が宿る。

舞鶴は早速、大きな折り紙で刀を作ると、それを掴んで走っていた。


ネッシーは、スコットランドのネス湖で目撃された首長竜をモデルにしている。

長い首が全て頭部に収納されると、そのままモアの右腕のガントレットとなった。

体は丸ごとバックパックとなって背中に装着され、後ろの両ヒレは分離して、クロスボウとなってモアの左手に装着される。

水を操ることができ、首長竜らしく伸長するガントレットで戦うのだ。


ビッグフットは、アメリカで目撃情報のある巨大な猿人をモデルにしている。

ロボットの見た目は、長方形の体に大きな腕と脚がくっついており、体と両腕はバックパックとなってミモが背負う形になった。

これによりミモの両肩上部に、ビッグフットの両腕が見え、シルエットで言えば腕が四つある形になる。さらに脚が分離し、まるごとトンファーになった。

剛腕や、太い脚のトンファーで攻撃するパワーファイターである。


モスマンは、ウェストバージニアや、オハイオで目撃情報のある巨大な翼をもった生物をモデルにしている。

ロボットの見た目は長方形の体に、眼状紋が特徴的な大きな羽が装備されていた。

頭部にあった櫛歯上の触角が分離してイゼの頭に装着され、さらに翼はケープマントとなってイゼを包み込んだ。さらに体部分は分離し、ガントレットや足を覆う装甲に変わっていく。

さらに尻尾が剣になっており、特殊な鱗粉で相手を翻弄しながら戦うのだ。


カーバンクルは、スペインで見つかった真っ赤に輝く鏡を頭にのせた小動物をモデルにしている。

ロボットの見た目はネコのような形をしており、ユーマの中でも最も小型である。他のものは魔法少女の装甲になるという特性上、魔法少女と同等、あるいはそれ以上のサイズではあるが、カーバンクルに関しては自身がまるごとハンドパペットのように苺の左腕にすっぽりと被さることで合体が完了する。

装甲にならないため、身体能力を強化することはできないが、武器となって自身からは強力な火炎放射を放ったり、攻撃力は遥かに上昇していた。


イエティはヒマラヤ山脈に住む雪男をモデルにしていた。

ロボットの見ためは大きな冷蔵庫に目がついているシンプルなもの。

サイズは大きいが、カーバンクルと同じく、装備されるというよりは、自身がまるごと武器ハンマーになるタイプだった。

側面から棒が伸びると、それを柄として市江は抱え上げる。

見た目通り、強力な冷気を放出することができ、底や上部に噴射口も見える。


チュパカブラは、プエルトリコで目撃された吸血生物をモデルにしていた。

ロボットの見た目は、モデルとなったチュパカブラそのものに酷似しており、赤いアーモンド状の目に、カンガルーのような脚。背中には無数の棘が確認できた。

頭部が取れると、大きな魔女帽子に被さるように装備される。さらに腕は腕に、脚は腰に装備され、胴体は胴体に装備されていく。

そして背を覆っていた棘のパーツも、アイの帽子やマントに装備されていった。

与える武器は、サイバーパンクに登場しそうな銃だ。


『THE・WISEMAN――……!』


変身が完了した魔法少女たちが見たのは大きな光の柱である。

アブダクションレイ。みゅうたんがパラノイアを島に転送してくれた証である。

それを確認した瞬間、舞鶴は猛スピードで飛行して、そこを目指す。

アイもニヤリと笑うと、すぐに後を追いかけた。



大きな音が鳴れば恐怖するのは当然でありそれを責めるというのはお門違いであると言ったら笑われましたというのはあまりにもひどい話であると証明しなければならないと誓ったあの日どうして大きな音が鳴ってみんなは驚かないんだろうと思っていたらグランドにいた人はみんな死んだらしいって雨が降っていたから当たり前だろうがと叫んだら叩かれたのは怖いでしょうといえばきっと誰も彼も夢も未来も希望も恐怖――


私はオオイヌ。『雷恐怖症』のシリウス。


「ァアぁアぁアぁアアア!」


恐怖の悲鳴をあげたのは、人間のシルエットをした何かだった。

口はあるが目がない。髪もない。服を着ていないが、爪や乳首や性器などといった人間にあるものは一切確認ができない。

肌は真っ白で、皮膚というよりはイルカのような質感に見えた。

特徴といえば、額を突き破る大きな棒だ。これは避雷針である。


このシリウス、静電気でも怖いというのに座っているのは禍々しい電気椅子だった。

いや座っているというよりは、座らせているといえばいいのか。手足がガッチリと固定されて逃げることができない。

電気椅子には車輪がついているから、移動はできるのだろうが……?


「見つけた――ッ! パラノイア!」


舞鶴が一番乗りだった。後ろを見ても、まだアイたちは離れている。

チャンスだ。一撃で首を刎ねて殺してしまおう。舞鶴はニヤリと笑ったが、焦るあまり大声を出してしまったのがいけなかった。

このシリウスは大声を聞けば、雷が来ると思ってしまう。


「ギョエエェエエエエエエェエエエエ!!」


上ずった悲鳴が聞こえて、舞鶴の笑みが消えた。

耳をつんざく轟音。舞鶴に直撃したのは、シリウスが発生させた落雷だった。

空が光ってから直撃までは一瞬で、舞鶴は帯電しながら地面に倒れる。

さらにシリウスの電気椅子には無数のコイルが突き刺さっているのだが、それが発光すると地面を突き破ってコイルが出現していき、舞鶴の周りを囲むように設置されていく。

それが光を放ち、電流が放出された。


「ぁがッッ! ぎぃいぅッッ! ぎゃぁあぁあぁアアァ!」


激しい痛みと衝撃、痺れ。

しかしキラキラと光る粒子が見えた瞬間、コイルがバラバラに切断される。

イゼだ。剣を構えてマントを大きく靡かせていた。

モスマンの力の一つ、『超高速』を使っており、迫る落雷を的確に回避していくと、舞鶴を掴んでシリウスから距離を取ろうとする。

だが銃声が聞こえた時、イゼの動きが止まった。

足を撃たれたのだ。チュパカブラが与える銃が発射するのは普通の弾丸ではなく、小型の注射器だ。それがイゼと舞鶴の体にいくつも突き刺さる。


「室町ッ! 貴様――ッッ!」


そこでフラッシュ。

イゼは動こうと思ったが、動けなかった。

理由はいくつかある。一つはもちろん足を撃たれたこと。

もう一つは市江のせいだ。ハンマーで地面を叩くと、冷気が伝い、イゼの足裏が地面に張り付ついた。


だからイゼは落雷を受けてしまった。

さらに追撃といわんばかりにアイが撃った注射器だんがんが起動し、押し子の部分が自動で引かれてイゼと舞鶴の血液を吸い上げた。

押し子の先端から吸い上げた血液が粒子状となって噴射され、それがアイの腕輪に吸い込まれていく。


「ブラッディエッジ!」


アイが腕を振るうと、赤い斬撃が発射されてシリウスに直撃する。

他人の血液を使って戦うのがチュパカブラの能力だった。アイはすぐに二丁拳銃を使って、背後から走ってきたモアとミモの胸を撃つ。


「んッ!」


「は――ッ?」


注射器はご丁寧に両胸に一本ずつ、計二本刺さっている。

それが起動すると、血液が吸われていき、思わず二人は脱力感を感じて立ち止った。


「デケェもんブラ下げてんだから、ちょっとくらい貸してくれよ」


赤い粒子がアイの腕輪に吸い込まれていく。

そのまま手をかざすと、シリウスの頭上に赤黒い魔法陣が出現した。


「ブラッディレイン!」


魔法陣から雨が降ってきた。よくみるとそれは赤い針だ。

それがシリウスの全身に突き刺さっていき、悲鳴が巻き起こる。


「ばゆれねるはまき!!」


シリウスが何かを叫んだ時、額に突き刺さった避雷針が光ってアイの頭上に雷が降ってきた。

だがいつの間にか苺がアイを庇うように割り入っていた。

腕に被せたカーバンクルが口を開くと、降ってきた雷を吸い込んでく。

動いていたのは市江だ。氷の力で、自分の進む道を凍らせると、靴裏からブレードが出現してアイススケートのように滑っていった。


「どりゃー! です!」


ハンマーを大きく横降りして、倒れていたシリウスの避雷針を叩き折った。

そのままの勢いで大きく旋回したのち、次はハンマーをシリウスへ叩きつける。直撃と同時に冷気が襲い掛かり、全身を砕きながら凍結させた。

さらに市江はハンマーを振り上げながら後ろへ飛び、着地と同時に地面に打ち付ける。

するとシリウスが倒れていた地面から巨大な氷柱が伸びてターゲットを空へ打ち上げる。アイはその墜落地点を予想し、走りだした。


「オラァア!」


アイは、右の足裏で落ちてきたシリウスを蹴り止めた。

靴はガラスのように透明で、ハイヒールになっており、そのヒールの部分がシリウスの胸に突き刺さった。

ここも吸血装置らしく、ゴクゴクとわざとらしい音を立てながら、シリウスの血ともわからぬ真っ黄色の液体が靴へ流れ込んいく。

アイは黄色に染まったあしを払ってシリウスを放ると、腕を前にかざして魔法陣を自分の前と、倒れたシリウスの上にもう一つ出現させる。


「死ね! ヘパイトスヒール!」


アイは右足で魔法陣を蹴った。ヒールが魔法陣に突き刺さると、シンクロするようにしてシリウスの頭上から巨大な黄色の槍が降ってくる。

槍は一撃でシリウスの頭部を潰すと、爆散させた。

むき出しになるソウルエーテル。アイのワイズマンが解除されてチュパカブラが長い舌を使ってそれを捕食した。


「やってくれる……!」


イゼは剣を杖がわりにして立ち上がった。

未だに痺れが残っている。舞鶴なんて、まだ起き上がることができずに震えていた。


『THE・WISEMAN――……!』


おかしな光景だった。

敵がいなくなったのにアイは再びチュパカブラを鎧に変えた。

顎を動かして何かの合図を送ると、市江が動き出す。

持っていたハンマーを思いきり地面に打ち付けると、凄まじい冷気が発生して、魔法少女たちの周囲にいくつもの氷塊が降ってきた。


「苺! やっちゃえ! ですッ!」「了解だぞ! 燃え燃えだぞっ!」


そこで苺が飛び上がり、カーバンクルの口から連続して炎弾を発射して氷塊にぶつけていく。魔法の炎は氷に纏わりつくことで急激に溶かしていった。

あっという間に蒸発する音と、水蒸気が周囲を包んだ。その目的は気を散らすこと、そして音で銃声を隠すこと。

だからミモとモアは、お腹に注射器が突き刺さったことに気づかなかった。


痛みでやっと理解する。またやったなと文句を言おうとしたが、声が出なかった。

今度は血を吸われるのではなく、注射器に入っていた液体が体内に注入される。

ミモは何も言えず、ただ重くなる体に従って膝をつくだけ。

それはモアも同じで、アイの撃った麻酔弾が自由を奪っていった。

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