和久井編『魔法少女』
第一章 White
第38話 魔女の夢
今日、柴山が自殺した。いいヤツだった。
らしい。知らんけど。
まあ、いろいろある。和久井だってそれは理解しているつもりだった。
たとえニュースが続きを教えてくれなくとも。
「もったいないなとは思うけど、ガチで」
せっかく世界滅亡の危機から生き延びたっていうのに、なにをやってんだか。
ただ、そこで思い出した。そういえば覚えてないんだっけ。
聞いたところによると本物になれなかったから、本物の世界に影響を及ぼすことはできなかったらしい。
だから空に浮かんだ魔法陣は少し時間が経てば夢になった。
みんなが視た夢に。
覚えているのは関わった者や、仕組みを理解している者だけだ。
「よくわかんねーな。本物じゃないヤツなんて、それなりにいると思うんだけど……」
布団の中で呟いてみるが、返事はない。
そういえば今日は鮮明に夢を覚えてる。大人気狩猟ゲーム、モンスターバスターのディスクを入れた携帯ゲーム機『ESE』を持った子供たちがはしゃいでいる夢だ。
ご存じ、父親のパソコンでエロサイトを見ているのがバレてガチギレされた大剣使いのムードメーカー、こうじ。
ペットフードをおやつにしていた悲しきモンスター、ガンアックス使いの、ふみまさ。
保健体育の教科書でオナニーしていた神童、クロスボウの申し子、てつや。
そして最後はマッドエンターテイナーを自称し、学校にロリロリなヒロインがエッチな目にあうラノベを持参したがゆえに女子から三年間シカトされ続けることになる双剣使いの、和久井。
これがあの時の黄金メンバーだった。
『モンバスはガキのゲームと馬鹿にされるが、アイツらはなんも理解してないんだな!』
『だよな。ああいうやつらは背伸びがしたくて人気のある作品を貶したいだけなんだよ』
『イケメン俳優の周防さんもハマってるって言ってたしな!』
『だから中二になっても、中三になっても、卒業しても、高校行っても社会人になっても、結婚しても、ジジイになっても、おれたちは一緒にモンスターを狩り続けようぜ!』
『あたぼうよ! ったく……、いちいち言わせんなッつうの。ッカッ!』
少年たちは拳を突き合わせ、ニヤリと笑う。
「「「「っしゃあ! 我ら超絶戦士の絆!
現 在 誰 と も 連 絡 つ か ね ぇ ! !
あいつらがどうなったのか、何も知らんし、知りたくもない。
思えばなんかウザったいヤツばっかだった。ああいうのと付き合っていたらきっと頭が悪くなるに違いない。
こうじは
ふみまさは貧乏のくせに目もくらむような進学校に行きやがった。貧乏のくせに。
てつやに関しては苗字も覚えていないし顔もあやふやだ。
いや、ちょっと待て。思い出した! てつやの一家は両親祖父母姉貴まとめて全員転売厨だった!
最悪だ! やっぱり縁を切っておいて正解だった! カードを五倍の値段で売るな! 死ね!
――それにしても、寒いから起きるのがダルくて仕方ない。
つけたテレビから流れるニュースでは予想される積雪量がどうたらこうたら。
◆
もうすぐ冬が来る。
寒いのはなんだかゲンナリしてくる。こう気が滅入っては線路にダイブしたくなる若者の気持ちもよくわかるというものだ。
もしかしたら彼らはもう少し暖かかったら死なずに済んだのではないだろうか?
和久井はそんなことを考えながら校門の前にやってきた。
一旦、踵を返して振り返る。風が前髪を揺らした。とびきり冷たい風だった。
「しかし、改めて見てもすげぇな……」
それは、この島のどこから見ても確認できる。
大樹・ユグドラス。スカイツリーよりもはるかに大きな木が、この『海上都島フィーネ』のシンボルだった。
有名な建築家に頼んだらしく、食堂はテレビで見た東京のおしゃれカフェにそっくりだったし、なんだか全体的に意識が高い会社のオフィスみたいで、和久井のような陰気で陰湿で後ろ向きで屈折している人間、通称・陰キャは立っているだけで蒸発して死にそうな空間だった。
「まるで刑務所だな」
突き当りを右に曲がったところに『特別クラス』はあった。
特別といえば聞こえはいいが、不登校だったり成績が著しく悪かったりするヤツらの矯正施設。
つまるところ底辺が集まる肥溜めである。和久井は前の学校で長らく不登校だったため、ここに行くしか他はない。
屈辱的ではあるが、むしろいきなり普通のクラスに入れられるほうがキツい。既に出来上がったグループに混ざろうとするだけのコミュニケーション能力は存在していないのだから。
それに底辺同士でつるむのはそれはそれで気分が温かくなって好きだった。
「よお」
「ん」
和久井はクラスメイトの、
彼女は挨拶こそ返せど、
「それクソアニメだろ。なんで見てんだよ。脳が腐るからやめな?」
「叩く、ために、見てる。ヒロインの声優がマジで、嫌い。演技下手なくせに、ゴリ押しされて。きっと、Pと枕。やばすぎ、て、草」
(あぁいい……! 底辺だ。この人としてレベルの低い感じが話していて落ち着くぜ)
見た目もいい。まったく整える気のない太い眉毛と、ボッサボサの焦げ茶色の髪、目に異物を入れるのは怖いからとコンタクトを拒んだ結果の赤ぶちメガネ。
まだある。カサカサの肌や唇。同情を誘うための中途半端なリストカット。
鞄につけたメンヘラが好きそうなかわいいピンクの牛さんのキャラクター。
明らかに喋り慣れてないのがわかる、ぎこちない話し方。
いい。実にいい。女でも緊張しない。下に見れる。気を遣わなくていい。
だから和久井は舞鶴のことが好きだった。
恋をしていた。たぶん、わりと、本気だった。
知らんけど。
「昨日めちゃくちゃキモいスパチャしてるヤツがいてさ。晒しておいたわ」
「知ってる、かも。あの、あれ、まとめサイトで、あった。すべてを諦めた俺に好きという感情を教えてくれたキミへ。とか、いう、アレ、でしょ?」
「そうそう! ヤベェよなあれ。おもろいけどキモすぎて草だったわ」
「狙ってる感もある、けど、あんなの実際いたら脳に虫でも湧いてんじゃね? ふへっ」
とりあえず誰かを馬鹿にして笑うのがモーニングルーティーンだった。
特別クラスは和久井と舞鶴の二人だけだ。悪くない。
舞鶴とダラダラ勉強して、舞鶴とダラダラ休憩して、舞鶴とダラダラ飯食って、舞鶴とダラダラ帰る。
放課後や家で遊んだことは一度もないが、そのうち誘ってみるさ。そうしていつしかダラダラ付き合って、適当にセックスできれば和久井的にはそれでオールオッケーだった。
「ッしぁー! マジでよかったぁ! あたしだけじゃないッ!」
いきなり声がして振り返ると、黄色い髪の少女が見えた。
制服を着崩しており、教室に入るやいなや和久井の隣にカバンを投げてくる。こういう人種はあまり得意ではないのだが、そうとも知らず少女は和久井の隣にどっかり座りこんだ。
「マジでおはよ!」
「……ヵッッ」
「ねえ待って。無視? マジ傷つくんですけどー」
「んはッ? い、いや! そうじゃなくてッ! オレに言ってんのか?」
「二人に言ってるに決まってんじゃん。え? 挨拶とかしたことない人? ガチ?」
「……や、あのさ、このクラス、オレら二人だけだったんだよ。いきなり来たからビビったわけ」
「あー、はいはいそっか、じゃあ自己紹介してあげる」
少女は立ち上がると、クルリと回る。短いスカートだった。
一応、念のため。パンツが見えないか目は凝らした。
「あたし、
それはミモっちと呼べという意味なのだろうか? 和久井は頭を抱える。
「……オレは和久井」
「下の名前は?」
「……
「ブフッ! あ、ごめん。意外とカッコよくて」
(だるいだるいだるいだるいだるい!!!!!! だから下の名前をいうのは嫌だったんだ!)
「閏真って呼ぶのマジでなんか違うから和久井って呼ぶね」
「ヘラヘラしながら言ってんじゃねぇ! くそ!」
「んははッ、キレんなって。とにかくマジでよろしく! あたし最近体を動かすことが多いから居眠りが酷くてヤバイくらい成績落ちちゃって。和久井はなんでココにいるの?」
「……オレ、転校してきたんだよ。親がこっちで働くから」
「そっか、それで来る人もいるもんねー。舞鶴はなんでだっけ?」
「私、いじめられてた、から、しばらく、不登校……」
「え? マジでかわいそう。飴ちゃんあげるね」
そう言ってミモはカバンからロリポップを二本取り出すと一本を舞鶴に放り投げて、もう一本は自分が咥える。
悪い人間ではないようだが、いかんせん和久井の嫌いなタイプだ。そうなると舞鶴も嫌いということになる。
もらったロリポップをあとで捨てている光景がすぐに思い浮かんだ。
そもそも思い返してみれば初対面の人間にマジでおはようってどういうことなんだ。
マジでおはようってなんなんだ。おはようにマジもマジじゃないもあるのか。
考えるだけでアホすぎてイライラしてきた。和久井は歯を食いしばる。
そうしているとチャイムが鳴った。
「おはようございます。みんな、集まってるかな?」
扉が開いた。入ってきたのは、担任ではなくシスターだった。
この学校は、ありとあらゆる宗派の人間が通っているため、学校にも常駐しているのは知っていたが、このクラスにやってきたのは初めてだ。
するとミモがおおはしゃぎで手を振っている。どうやら彼女が、お願いして担任を変えてもらったらしい。そんなことができるのかとは思ったが、本当らしい。シスターもにこにこしながらミモに手を振り返していた。
「はじめまして。わたしはモア・エドウィンと申します。今日からこのクラスの担任を任されました! えっへん!」
悪くない。この特別クラスはすべての教科を一人の教師が担当する。
おっさん教師よか、胸の大きなかわいいシスターのほうがはるかに捗るというものだ。
それにやたらニコニコしてるのもいい。一見すればアホそうだが、舞鶴の卑屈な笑顔ばかり見てきて頭が腐りそうだったところに柔らかな笑顔は非常に染みる。
「今日はですね、転校生の和久井くんにこの島の歴史を改めて知ってほしくて。そのための授業をしますね」
モアは黒板に綺麗な字で、スラスラと島の歴史を綴り始めた。
「すべての始まりは、アイオンが発見されたことでした」
――えー、ごほんっ!
発見されたのはアメリカのアリゾナ州、砂漠地帯であるとされています。
当初アメリカ政府は、正体不明の物質を見つけたことを極秘にしていたようですが、どうしてだかドイツの新聞社がその事実をリークしたんです。
「――ここで我々のような一般人も知ることになりました。ねー? ニャーちゃん!」
『ふむふむ! びっくりだなぁ!』
わかりやすいようにするためモアなりの工夫なのだろうか?
腕にかぶせるネコのぬいぐるみ、ハンドパペットを使い始めた。
腹話術のように進行したいみたいだが、にゃーちゃんのセリフの時、思いっきり口が開いている。
そもそも、そういうやり方は子供にするものだ。マヌケで痛々しいと思ったが、わかりやすいようにしてくれている優しさは感じて悪い気はしない。
だというのに舞鶴はこのタイミングで眠り始めた。
そりゃまあ和久井のための授業なのだから付き合う必要はないのだろうが、それにしたって人間のレベルが低い。
そうしているとモアは、ネコの手をブンブン動かしながら話を続ける。
『バレちゃったから、アイオンの調査はいろいろな国の立ち合いで進められたんだよねぇー。でもそうしたらすごいことがわかってきたんだぁ。それはね、アイオンはエネルギーとしては非常に優秀なんだって。びっくりだ! ……ニャン!』
未知なる資源を把握した時、ついに永久機関が手に入るかもしれないと科学者は歓喜した。
それは発電の点ではもちろん、医学の点で見てもだ。
というのもアイオンは癌に効果があるらしい。体内に入れることで他にも様々な病気に効果があると結論が出た。
いや、それだけではなく、真逆の面でももっと大きな運用方法が可能だった。単刀直入に言えば『兵器』としてである。
「わたしたちのような人間が詳しい情報を知る術はありませんが、多くの国がアイオンを知れば知るほど、手に入れたいという欲求に駆られました」
その結果、ある日、人は空に殺意を見た。
「世界各地に落ちたミサイル、通称・ヒブタが、溝を決定的なものにしました」
どこの国が発射したのかは未だにわかっていないらしいが、確実に誰かが数万人の命を奪った引き金をひいたのだ。
少なくともその時、その瞬間、武器を持つ理由としては十分だった。
「第三次世界大戦は、数えきれない憎しみと悲しみを生み出しました」
不真面目な和久井とて、あの大量の名前が刻まれた慰霊碑はすぐに思い浮かぶ。
「そのさなか、奇跡が起こりました」
モアはシスターらしく、祈りを捧げるようなポーズを取った。
「アイオンは魔法のような物質ではなく、本物の魔法だったんですね」
――アイオンは、人間の常識をはるかに超えたパワーを持っていました。
だからこそ、それは世界を終焉に導く恐怖そのものになったし、逆に言えば全ての戦いを止めるだけの力にもなりえたのです。
アイオンの研究者である
『我が名は安槌! 魔法少女なり!!』
詳細は『戦時情報凍結法』により伏せられていますが、高らかにそう宣言したという記録は残っています。
聞いたところによれば各国の武器を次々に破壊し、哀しみにくれる人々に救いの手を差し伸べ、平和を願う言葉で各国の説得に応じたと聞いています。
いずれにせよ彼女の活躍で戦いは終わり、世界には平和が齎されました。
冷静さを取り戻した各国は自らの過ちに気づき、アイオンを世界共通の財産にすることを誓い合いました。
それだけなく、二度と愚かな争いが起きないように、いくつかの決まりを設けたとされています。
「それはですね……」
モアは続きを黒板に書いていくが、腕につけたハンドパペットの存在はすっかり忘却の彼方であった。左手のネコちゃんはだらしなく項垂れている。
「まずはアイオンの力で世界中の言語を統一すること。安槌様の尊敬していたお祖母様の生まれ故郷である日本の言葉が元になったと言われています」
モアは話を続ける。
「さらに世界中の人々が住む小さな国、つまりこの海上都島フィーネをお創りになられました。島中央にある大樹ユグドラスの葉からは今もアイオンが溢れ、この島中に供給されて電力などのエネルギーを担っています」
この島では日夜アイオン研究が行われており、その関係者や、彼らを支援する飲食店の従業員。そして各々の家族が定期的に移住してくるのだ。
「………」
しかしなんだ。
シスターモアは優しそうで真面目で印象はいいが、いかんせん話が長い。
だから和久井は申し訳ないと思いつつ、そこで眠りに落ちた。
「ということで、この辺で授業を終わりにしたいと思います!」
モアは深くお辞儀をした。和久井はいち早く立ち上がると、深くお礼を返す。
「とてもわかりやすくて素晴らしい授業でした。ありがとうございますシスター」
「わあ! 本当に? うれしいなぁ」
寝てたから聞いてない。どうか許してほしい。
そしてそんな適当な言葉を咎めるものは一人もいなかった。
舞鶴も、ミモも。その理由は察してほしい。三人とも授業が始まる前より頭がスッキリしている。
「ねえねえ、ところでモアさまぁん」
「うん? どうしたのミモちゃん?」
「今日はこれから何すんの?」
「もちろん、いろいろ、お勉強を――」
「やめよ!」
「へ?」
「これからみんなで外出届を出してさ、カラオケいこ!」
和久井や舞鶴はギョッとしてミモを見る。
冗談だろうと思ったし、現にモアも困ったように首を振っていた。
「い、いけないよミモちゃん。お勉強が……」
「歌うことだって立派な音楽の勉強だよ! お願いモア様ーッ!」
「それは……、そうだね。音楽は心を豊かにしてくれるし……」
「でしょ! ね、はい! じゃ、決まり! 勉強はまた明日やればいいの!」
「うーん、わかった。じゃあ申請しに行ってきますね」
そう言ってモアは教室を出て行った。
和久井と舞鶴がポカンとした目でミモを見ると、楽しそうなピースサインが返ってきた。
「夢の欠片を抱えてー♪」
場所はカラオケの一室、そこで和久井と舞鶴は肩を竦めていた。
目の前ではミモが流行りの曲を歌っている。そんな彼女の傍ではモアがニコニコと手拍子を行っていた。
フィーネには最新の技術が集まってくる。ミモがアイドルの曲を入れれば、部屋が文字通りステージのように『変化』し、サイリウムを振りまくる『ファン』も続々と出現していく。
このファンは人というよりは、人型のシルエットで、触れてみると雲を掴むようにすり抜ける。
しかし普通のプロジェクションマッピングとは違い、触れられないだけでそこにいるはいるのだ。
これはなんなのか、どういう技術なのかはサッパリだが、とにかくすごいものだというのはわかる。
「あー、マジ楽しかった! 次、舞鶴歌ってよ」
「グッッ! 人前で、歌う、の……、本当、無理ッ」
「えー? マジで気持ちいいのに。まあ、いっか、じゃあ和久井でいいよ」
「よかろう、オレの美声を聞いとけよ」
しかし和久井がアニソンを歌い始めると同時くらいにミモは携帯を弄りはじめた。
舞鶴もそれを見て、冷めた目でソシャゲを始める。
(クソ女どもめが……ッッ!!)
キレちらかしそうになりながらも踏み止まれたのは、モアが笑顔でマラカス振ってくれたからだ。
正直、しゃかしゃかしゃかしゃかクソ邪魔だったが、優しさだけは身に染みた。
和久井はなんだかいたたまれない気持ちで周りで戦うヒロインたちの映像を見ていた。
歌が終わると、携帯を弄っていたミモがパッと顔を上げる。
「モア様! 歌って!」
「わたしはいいよ」
「大丈夫。舞鶴は歌うの嫌いで、和久井とアタシは歌ったし」
「でも……、流行りの歌も知らないし」
「いいから! お願い! 歌って!」
だったらと、モアは母が好きだったらしい昭和に流行ったラブソングを入れる。
周りの景色がネオン煌めく夜の街に変わって、和久井は思わず固まってしまった。
モアの歌声が響き渡る。それは動きを止めるほど胸に響く素晴らしいものだった。
透き通るような声で語られる愛は、それだけで芸術のようで。そういえば島にいるシスターの多くが聖歌隊とやらに属しているらしい。
いろいろな場所で歌っているうちに鍛えられたのだろう。
ミモも、今はうっとりとした表情でモアを見つめている。
(コイツ……)
まあ仕方ない。聞いてみればこの歌は本当に久しぶりに歌ったらしい。それでこの完成度、完敗だ。
歌が終わるとモアは恥ずかしそうにお辞儀をした。
和久井とミモは自然に立ち上がって、あふれんばかりの拍手をした。
唯一、舞鶴だけ勝手にからあげを注文してバクバク食っていた。
「ところでさ、お前、学校出る前、ミモと何を話してたんだよ」
小声で聞いてみる。
というのも先ほど玄関で何かを話している舞鶴とミモを見かけたのだ。
あまり穏やかな表情ではなかった。険悪というほどでもなかったが。
聞き耳を立てるつもりはなかったが、それでも『印象が違う』とか、どうのこうの聞こえた気がする。
「……べつに。ただ、ちょっと、女の子の、秘密、的な」
「はぁ? なんだよそれ」
「男じゃ、ダメ」
からあげを口に入れたまま言われた。
しかしダメと言われたら、詳細を問うわけにもいくまい。和久井はもうこの話を終わりにしておいた。
「たのしかったね」
しばらく歌ってから学校に戻ると、もう夕方だった。
このまま解散していいと言われたので、和久井たちは帰ることにする。
家でゲームでもしよう。そうは思ったが、ミモに肩を掴まれた。
「ねえねえ、モクドでも寄ってかない?」
まあ放課後に女子とハンバーガーショップってのも悪くはないが。
「舞鶴もいこっ!」
「お金、ない。だるい。疲れた」
そういって舞鶴は歩き去ろうと――
「キミ、ちょっと待て」
呼び止められた。振り返ると、そこにはとんでもない美少女が立っていた。
美しいサラサラの長い金髪、前髪は切りそろえ、深い青色の瞳が舞鶴を捉えている。
それにしても実に鋭い眼光である。和久井たちは、今日のカラオケを咎められるのだと思ったが、どうやら違うらしい。彼女は右手を舞鶴のほうに伸ばす。
「落としたぞ」
「え? あッ!」
舞鶴は鞄につけていた牛のキャラクターの人形がいなくなっていることに気づいた。
紐が切れていたのだ。それを金髪の少女が拾ってくれたのだろう。
「触わんなッ!」
「む」
誰もが、少し、おかしなリアクションだと思った。
舞鶴は少女の手から人形を奪うように取ると、お礼も言わずに走り去る。
もともと褒められた性格ではなかったが、それにしたって変である。
(おいおい、にしても気まずいことをしてくれたな……)
周りの生徒たちの注目を集めたばかりか、あの金髪の少女が流石に可哀そうだ。
ましてや舞鶴の印象が悪くなるのは、和久井としてもなんだか嬉しいことではなかった。
結果、和久井はぎこちなさげに少女へ話かける。
「い、いやぁ、どうも。ハハハ、すんません。アイツなんか今日やたらイライラしてて」
「案ずるな。気にしていないさ。生きていればそういう日もあるというものだ」
(……なんか、変な喋り方だな)
「では私はこれで失礼する」
金髪の少女が去っていくと、すぐにミモが駆け寄ってきて背中を叩いてくる。
「マジで緊張したね!」
「え? なんで?」
「は? マジで言ってる? あ、そっか。転校生だから知らないんだ。あの人が『
「マジ!?」
第三次世界大戦を終わらせたと言われている安槌の血。
孫とはいえ、なんだか体が強張るというものだ。
「めちゃくちゃ真面目な人でさー」
聞けば、なんでもお金が落ちていたら、たとえ五円であったとしても律儀に拾って交番に届けるらしい。
お金だけではなくてゴミも必ず捨てるらしい。道に落ちてるなんだかビシャビシャに濡れてる汚いヤツだってしっかり拾って近くのゴミ箱を探していた。
正義感も強いらしく、喧嘩を見かければ必ず止めるし、禁煙やポイ捨てなどルールに反する行為を見かけたらどんな人間にでも注意しにいく。
そんな真面目な性格がたたって、以前泣いている男の子を慰めながら三時間もママを捜索したものだから、大遅刻をしたらしい。
(くぁー、苦手な性格だぜ。なんかムカつくな)
だがまあ学年は一つ上だし、向こうは人気者らしい。
光と闇、もう交わることはないだろう。そう思って和久井はミモと別れた。
さすがに二人でハンバーガーを食いに行くのはいろいろ厳しかったし、ミモも和久井を引き留めることはしなかった。
「あ」
学校からマンションの途中にある、わざとらしい田園風景、そこで和久井は舞鶴と再会した。
舞鶴は一瞬だけ立ち止まったが、ムスっとした表情で歩き出し、通り過ぎていく。
そういえば舞鶴が走っていったのは和久井のマンションがある方向であって、住んでいる場所とは反対だった。
よくわからないが、それだけ動揺していたらしい。
和久井は少し考え、頭を掻いた。もう少し考え、掻きむしった。
そして踵を返して走り出す。舞鶴の隣にやってくると、歩幅を合わせた。
「なあ! お前さっきなんであんな態度だったんだよ?」
「べつに、ただ、なんと、なく」
「あの安槌ってのと知り合いなのか?」
「まあ、ちょっと会話はしたことあるけど、それだけ」
「じゃあなんか他に理由があんのか? 明らかに当たってただろ」
「べつに」
「む、無理にとは言わないけど、なんかこうッ、話したら楽になるヤツもあるだろ? オレでよかったら、その、なんていうか――」
そこで和久井の言葉が止まった。音に遮られたからだ。
鐘の音だった。ガァーンカァーン、掠れたノイズ交じりに聞こえる変な音だった。
「なんだこれ? 鐘なんてどこかにあったっけ?」
「旧校舎の時計塔にある。これ、合図」
急に舞鶴が走り出した。駆けていくなんてレベルじゃない。
両手を思いきり振って全力疾走だ。あまりの勢いに、鞄に付け直した牛の人形が再び地面に落ちてしまう。
「また落としてるぞ! 大切なモンなんだろ!」
舞鶴に聞こえるように叫んでみるが、一切止まらない。
和久井は頭が痛くなった。そもそも、あの人形が大事だからイゼが触れたときに怒ったのではないのか? 和久井は人形を掴むと、舞鶴を追いかけることにした。
「――ッ? あれ? アイツなんかッ、速くね!?」
余裕で追いつけるだろうと思っていたのだが、舞鶴の背中がどんどん小さくなる。
オタクのくせになんだと腹が立ってくる。体が軽いから? それとも陸上やってしましたとか? いずれにせよこれはマズイ。置き去りにされる。本気でそう思った。
◆
島の外。どこかの町の歩道に雷が落ちた。
落ちた場所に『それ』は現れた。人間とシルエットは同じだが体はただれ、ブクブクと泡立つようにコブがいくつもある。
そのコブからは鋭利な針が伸びていた。長さの違う不揃いな五本指にも、爪のかわりに長い長い針があった。
それは、体中から無数の針を生やしていた。
怖い。怖くて仕方ない。髪もない、髪の代わりに、そこにも針。
皮膚の色は緑色、まるでサボテンが擬人化したような生き物だった。
人々はそれを見て足を止めた。いきなり現れた異形を見て誰もが違和感を覚えたが、着ぐるみであると常識が処理を行った。
こんな恐ろしい生き物が存在する筈がないのだから。
だがなによりも一番怯え、震え、嫌悪していたのは異形のほうだった。
だって、『私』は尖ったものが怖いのだから。
それを自覚した時、学びを得た。恐怖とは感染していくものなのだと。それは些細なものから拡大していくのだと。
私が本当に怖いものはなになのか? わかっている。
人も愛も夢も意味も価値も誰も彼も何もかも。だと。だ。
私は牡牛。『先端恐怖症』のアルデバラン。
「ギャァァアァアアァアァァ」
サラリーマンの男は、持っていた鞄を落とした。
信じられないほどの激痛を感じた。走ってきたアルデバランが両手を広げて男を抱きしめたからだ。
アルデバランの全身にある針が、容赦なくサラリーマンの体に侵入していく。
いくつかの針は長いから男の体を貫通していた。わき腹や太ももから伸びる針、紺のスーツだから黒い染みは注視しなければわからない。
「ァ」
アルデバランが、口を開いた。
人間のような歯は存在しておらず、全てが円錐、つまり棘だった。
そのまま男の首筋に噛みつくと、鮮血が噴き出す。アルデバランが腕を離すと、刺さっていた全ての棘が分離して、サラリーマンは後退した後に倒れて動かなくなった。
そこでアルデバランの口の中に再び歯の代わりの棘が生えてくる。
「うあぁぁあぁあああぁあ!」
悲鳴があがる。人々が逃げ惑う。そんな中で、アルデバランはゆっくりと人差し指を前にかざした。
すると爪の針が一瞬で伸びて、女子高生の頭部に突き刺さる。
「うげぇェ……」
合唱部だった少女から酷く汚い声がでた。
頭から突き入った爪は、右の眼球を貫いて飛び出してくる。
アルデバランはそのまま指を横へ振った。すると少女の体が軽々と持ち上げられ、指の動きに合わせてブランブランと揺れる。
アルデバランは指を強く振った。すると少女の体が立ちすくんでいたお爺さんにぶつかった。
痙攣する少女を見て、おじいさんは悲鳴をあげた。
そこでアルデバランが口を開く。そこから凄まじい勢いで、何本もの針が発射されていく。
「あぁぁあ! 死ぬッッッ!」
お爺さんの口からとても率直な感想が出た。
あっという間に少女とお爺さんはハリセンボンになって、絶命していた。
アルデバランは少女の頭から針を引き抜くと、ピタリと動きを止めた。二人の死体を見て、ゾッとしたのだ。
針だ。針がある。先の尖ったものは好きじゃない。
怖い、恐怖、パニック。パニック!
パニック!!
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
叫んだ口から再び針が飛び出して、逃げようとしていた人々に突き刺さっていく。
また針だ。針がある。針は怖い! だれか、たすけて!! おかあさん!
「!」
アルデバランの祈りが通じたのか、空から光の柱が伸びてきた。
それはアルデバランを優しく照らすと、次の瞬間、彼は全く違う場所に立っていた。
「は!?」
右にあった田んぼがいきなり水しぶきをあげるものだから、和久井は思わず叫んでしまった。
視線を向けると、アルデバランが立ち上がっているのが見える。
「ンなッ! なんじゃありゃあ!?」
そこで、アルデバランと目があった。
アルデバランは微笑もうとした。怖がらないで、怖くないよ。そう言おうとしたのに、できなかった。和久井が制服を着ていたからだ。
学校といえば先の尖ったペンやコンパス、調理実習の時に使った包丁。
頭の中が恐怖でいっぱいになる。口から出るのはただ恐怖に染まった叫びだけだった。
「イギャアアアぁぁあアアアぁああア!!」
奇声が出た。和久井の肩が大きく震えた。
あれは関わってはいけないものだ。本能が和久井の体を走らせる。
アルデバランも走り出した。田んぼの中を大きく足をあげて、泥を蹴って走った。
和久井がどこへ行くのか? 想像しただけでも怖くて泣けてきた。彼はきっと先の尖ったもので私を殺すに違いない。
だから和久井を殺さなければならない。怖いから。
「あ」
和久井は足がもつれ、転んでしまった。
とっさに腕を前に出して、地面に叩きつけられる衝撃を抑えたが、背後にいたアルデバランを想像して吐きそうになる。
(舞鶴テメェ、お前を追いかけようとしたせいでオレは――ッ!)
「ユーマ!」『Get ready』
その時、和久井は初めて舞鶴の大声を聞いた。
『Unlimited Magical Ascension』
変な電子音が聞こえた。場所を探る。
舞鶴を見つけた。その背後に鳥の形をしたロボットがいた。
舞鶴はどこからかボタンがついたチャームを取り出すと、ひとさし指でそれを押す。
「マギアス・パラジオン!」『THUNDER・BIRD』
その時、和久井は激しい性の昂りを感じた。
男は命の危険にあると子孫を残さなければならないと本能が機能するらしい。
だからだろうか? 和久井は舞鶴の裸を見て、思わず喉を鳴らした。
そう、舞鶴はなぜか服を着ていなかった。
制服が一瞬で消えた。下着すらなく、一糸纏わぬ姿がそこにある。
鳥の目から放たれるライトに照らされて裸体が光り輝いているため、細部はわからないが、裸体であるということはよくわかる。
だから和久井はその姿を見て、彼女を抱きたいと強く思った。
そんな感情を抱くのは少なくともこれが初めてだった。
一方、舞鶴を照らす光が衣服に体を満たした光が衣装に変わっていく。
和をモチーフにしたドレスだった。
「アップグレード」『OK』
追加で口にした言葉、それに反応して鳥の目が光った。
すると一瞬で体が分解されて、頭部が舞鶴の右肩に。両脚は舞鶴の腰部へ。翼が舞鶴の背中に装着されていく。
そこで容姿にも変化が起きた。太い眉毛が切れ長になり、焦げ茶色の髪が美しい黒に染まって、折り鶴の髪飾りが装着されてひとりでにポニーテールへ変わる。
荒れぎみだった肌も白く、儚いまでに美しく。
『THE・WISEMAN――……!』
電子音が変身の完了を告げる。そこにいたのは、もはや別人だった。
「魔法、少女……?」
なぜこの言葉が出たのかわからない。誰にも。和久井にさえも。
◆
「
舞鶴が天に向けて腕をかざすと、一枚の大きな紫色の『紙』が現れる。
それがひとりでに折られて、あっというまに『刀』となり、舞鶴の手に収まった。
もちろんこれはただの
アルデバランは恐怖し、体の針を飛ばして舞鶴を撃墜しようと試みる。
しかし舞鶴は刀を振り回し向かってくる針を弾いて、背中の翼を広げて飛んでくる。
「ッ、あれは!」
和久井は気づいた。舞鶴の他にも誰かが空から降ってくる。
「飛鳥……ッ、ミモ!」
ミモはミモだが、彼女も舞鶴のように不思議な格好をしていた。
格闘家のような衣装で、腕が四つある。二つは彼女のものだが、もう二つはバックアパックとして背負っているゴリラをモチーフにしたロボットの腕だった。
背負っているロボットは上半身だけ。では下半身はどこにいったのかというと、どうやらミモが持っている巨大なトンファーがそれらしい。
よく見れば持ち手の下にある太い棒が、ロボットの足部分だった。
和久井はふと、カラオケに行く前に玄関で見かけた舞鶴とミモの会話を思い出した。
あの時、印象がどうのこうの言っていた記憶があったが、ハッキリ思い出した。
『変身前とは印象違うから、最初、気づかなかった』
そう、言っていたのだ。
「和久井くん。大丈夫ですか!?」
「し、シスター……!」
声をかけられたので振り返ると、モアがいた。やはり彼女も重々しい装甲を身に纏っている。
ベースはシスターらしく修道服風のドレスだが、左手に首長竜の頭部が装着されており、背中には首長竜の体が甲羅のように装着されていた。
さらに右腕にはヒレで作ったクロスボウらしき武器が見える。
そこで和久井はアルデバランの悲鳴を聞いて、再び視線をそちらに戻した。
舞鶴であろう黒髪の美少女が、翼をはばたかせて色とりどりの羽を飛ばす。
よく見るとそれは小さな正方形の紙、無数の折り紙だ。
それが舞鶴の意思一つで折りたたまれていき、折り鶴が完成する。
「
羽ばたいた千羽鶴たちは、アルデバランに鋭い嘴を突き立てていった。
「ばずべめヴがらに!!」
アルデバランは悲鳴をあげ、涙を流しながら鶴を振り払おうとする。
そんな彼にモアの手が差し伸べられた。
正確には首長竜のパワーアームが伸びたのだ。
恐竜の口がアルデバランの肩に噛みつくと、モアは伸びた腕を思いきり振るい、アルデバランを投げ飛ばした。
その先にいたのはミモだ。背負っていたロボットのパワーアームがアルデバランを掴み、力を込める。何かが砕けていく音と悲鳴があがった。
そのなかでミモは持っていた
空に打ち上げられるターゲット。そこでモアが照準を合わせる。
「ブルー! ディストラクション!」
首長竜の口が開くと青白いレーザーが発射され、一瞬でアルデバランの腹を貫いた。
バチバチと迸るエネルギー。アルデバランは断末魔とともに爆散すると、光の球体を排出する。舞鶴は血相を変えてそれを掴み取ろうとするが――
「もーらいッ! です!」
水色の髪を左のサイドテールにした小柄な少女が飛び込んできた。
それだけでなく右手で持っていた巨大なハンマーを舞鶴に打ち当てて墜落させる。
「ちょッ! なにすんの!」
ミモが憤るが、返事の代わりに聞こえたのは銃声だった。
足元から火花が散り、和久井は間抜けな声をあげてしりもちをついた。
「なにすんのォ、だぁ? テメェらがトロトロしてんのが悪いんだろがァ」
トゲトゲの装飾がいくつもついた大きな魔女帽子を被った少女、
その左には赤い髪をサイドテールにした
よくわからないメカメカしい小動物のハンドパペットを腕にかぶせており、現れた三人ともが、舞鶴たちと同じような力を持っていることを示していた。
市江は、アイの隣に着地すると、奪った光球をそのままアイの胸に押し当てる。
すると光の玉はズブズブと体内に沈んでいき、完全に取り込まれたようだ。
それを見て、舞鶴の表情が醜く歪む。加えて舌打ちまで零れた。
「……相変わらず頭の悪い行動ね。人のものを取ってはいけませんって習わなかったの? 底辺女」
いつもの喋り方とは違って、饒舌に辛辣な言葉が出てくる。
とはいえアイは怯まず、むしろより意地悪な笑みを浮かべてみせた。
「別にいいじゃねぇか、たまには譲ってくれても。なァ?」
すると市江が続く。
「そもそも先に倒したほうがソウルエーテルを獲得できるというルールなんてないのです!」
苺も頷く。
「だぞだぞ! 勝手なルールを押し付けるのはやめてほしいぞ!」
舞鶴は舌打ちを零した。不愉快極まりない。
その最悪の空気を察したのか、モアだけはにこやかな笑みを浮かべていた。
「すみません。舞鶴ちゃんにはそれが必要なんです。返してくれませんか?」
「おいおいシスター。アンタだって知ってるだろ? 食ったモンを返せってのは無理な話さ。ゲロとかクソもらってうれしいか? それともアンタそういう趣味あんのォ?」
「ちょっと! モア様に汚い言葉聞かせないでよ。マジむかつくんだけど」
「アタシはテメェの頭の悪い顔のほうがイラつくけどねェ。ミモォ!」
言い合いが始まった。舞鶴はそこで何度目かわからない舌打ちをこぼす。
それを聞いた和久井はかつてない疎外感を感じた。彼女たちが知り合いで、対立関係にあるのはわかる。
舞鶴、ミモ、モアと、今現れたアイ、苺、市江の三対三で争っているようだが――
「そこまでだ!」
光が降ってきた。
一触即発だった舞鶴とアイの間に着地したのは英雄の孫、安槌イゼだ。
体を包むマントが、蛾の羽のような模様をしており、頭にある櫛歯状の装飾もそれを彷彿とさせた。
「魔法少女同士が争ってどうするという! 今すぐ武器を収めるのだッ!」
『そうミュ! 喧嘩はやめるミュウ!』
和久井はもう驚き疲れていたが、それでもイゼの左肩に乗っている翼の生えたネコを見て言葉を失った。だってネコなのに羽があって、ネコなのに喋ってる。
しかし少女たちにとっては今更なのか。
アイはネコに一切触れることなくイゼを睨みつけた。
「遅れてきたわりには偉そうだな。なあ、おいィ!」
「ここに来る前に事故があってな。人命救助を優先した。パラノイアは他の魔法少女がなんとかしてくれると信頼してのことだ。気を悪くしないでほしい」
ああ、もう、もう駄目だ。もう無理だ。
和久井はイゼを見るのをやめた。地面を見つめることにした。彼女たちの話が終わるまで。帰っていい時間になるまで。和久井はただ下を見ていることに決めた。
◆
持ち込みのテストの成績が悪くて職員室で怒られた時、こいつらみんな死んでほしいと思った。
持ち込みが許可されているんだから、低い点数を取るわけない。それを考えられないなんて教師失格だ。
忘れた可能性ももちろんあるが、やっぱりそういうことは正直、可能性が低いと思う。
つまり、だったら『何故そうなったのか?』に考えをシフトするべきだろう。
それができない無能な教師は低能だから、同じく低能な通り魔とかに殺されるのがお似合いなのだ。
できれば家族も巻き込まれてほしい。ペットを飼ってるなら一緒に殺されてほしい。どうせかわいくない。臭いだけだ。
家があるなら燃えてほしい。存在そのものを消し去るべきだ。
――と、安平舞鶴は思う。
彼女はいつも脳内で人を殺している。
「あ、あの、持ち込んだ資料はあったん、です。けど! そ、その、なくなって、て」
「……なんでなくなったの?」
「いやッ、そ、それはだからッ! だから……! へへへ」
舞鶴はスカートの端を強く掴んだまま俯いた。さっきから汗が止まらない。
まず、そういうことを言わせるなと思う。
言えばもっと酷くなるかもしれないのになんで想像できないんだろうか? 思いやりの気持ちとかないのだろうか? いくらなんでも無能すぎないか?
だから、舞鶴は言葉を詰まらせる。
しばらくしてようやく再テストの許可をもらった舞鶴は、職員室を出てありったけの舌打ちを零した。
どうにも最近、物が無くなる。お金とかは大丈夫だけど消しゴムとか、シャーペンの芯とか。
(アイツらのせいだ。絶対アイツら。私を見て笑ってる!)
そりゃあ運動も勉強もできない自分にも多少責任はあると思ってる。
シャイだからうまく話せない部分も原因としては十分さ。でもだからって、いじめはよくない。
舞鶴はゴミ箱を思いきり蹴った。先生に見つかった。しこたま怒られた。恨む。
だいたいゲロ男はクラスのムードメーカーを気取っているところが嫌いだった。
(たまに私を使って笑いを取ろうとしてスベる。死ね)
カス男は、下ネタを言っておけばいいと思ってる。
(ああいうやつは将来性犯罪者になるに違いない。死ね)
ウン子はみんなに愛想がいい。という風に自分で思ってそうなのが最悪だ。
(そもそも私には真顔で接してくるのはなんなんだ。死ね)
ゴミ美は本当にゴミだった。全てがゴミなので、いちいち言ってられない。
(お昼に一人で飯を食ってる私を見て何回か笑ってる。死ね)
ああ、ウザい。マジで最低最悪すぎる――そんなことを舞鶴はいつも思っていた。
暴力を振るわれたことは一度もない。トイレをしていたらバケツで水をかけられたこともない。教科書に落書きされたりもしない。
ただ、物がたまに無くなる。買い替えることができるくらいの物が。
あと靴の向きが変わってるだけ。でもそれがウザい。あいつらはきっと裏で私のことを見て笑っている。
グループSNSで私の悪口を言っている。きっとそうだ。ぜったいそうだ。わかる。そういう連中だ。孤立させて楽しんでいるんだ。
『澄子』ちゃんだって、はじめは私を気遣ってくれて声をかけてくれてたのに、いつの間にか他のグループとかしか遊ばなくなったし、お喋りもしなくなった。
きっとアイツらに何か言われたに違いない。
きっとそうだ。うん、そうに違いない。絶対にそう。
理不尽だ。
あいつらのせいで学校に行くのが億劫になる。
そうしたら当然、遅刻とか欠席とかも多くなる。
(それで怒られるのは私。理由を言ってもいいけど下手に刺激したらより一層いじめが酷くなる可能性がある。そもそもなぜかああいう連中は教師には好かれるし)
ああ、ああ、欝々する。そんな時だった。転校生がやってきたのは。
「
かわいい女の子だった。テレビで見るアイドルよりもずっとかわいいと思った。
ツーサイドアップにした髪型。丸い目、きれいな肌、元気があって、とてもかわいいと思った。
普通の学校だったら転校生は珍しいのかもしれないけど、フィーネだと性質上、全員が転校生なのだから、今までもたくさん転校してきたし、たくさん転校していった。
だから特別じゃない。ホームルームの最初にちょっとだけ挨拶して、あとはもう何もない。みんなも別にもう慣れっこで。舞鶴だってそうだった。
「よろしくねっ!」
「う、うん」
でも、隣の席に来るのは初めてだった。
舞鶴は耳まで真っ赤にして、ひきつった笑顔で挨拶を返した。
転校生は珍しくないが、可愛ければやっぱり別だ。
奈々実は今まで見たどんな子よりも可愛かったから、休み時間になればゲロ男たちがまっすぐに来ると思っていたのだが、そうじゃなかった。
はて、なぜだろう? そんなことを考えながらも、舞鶴も奈々実に話しかけることができなかった。
そうしていると昼休みになる。舞鶴が席を立つと、奈々実がついてきた。
「舞鶴ちゃん、だよね? 一緒にお昼食べようよ!」
「え? え……? なん、で?」
「ほら、転校してきて友達ぜんぜんいないし、ダメかな?」
「ダメじゃ、ない、けどッ、私といると、良く、ないよ?」
「ん? 良くないって?」
「私ッ、その、陰キャだし、だから、なんていうか、いじめられてて……」
「そうなの? ひどい! まかせて! わたしが代わりに先生に言うよっ!」
「ややややッ、嘘、いじめられてはないけど、それに近いっていうか。カーストでいうと一番下だから、私と一緒にいると貴女の評判まで悪くッッ! なる、か――」
奈々実は舞鶴の言葉を無視するように、手を握った。両手で包み込むように握った。
舞鶴は真っ赤になって固まる。
「気にしないよ。ほら、一緒に食べる場所さがそ?」
「う、うん……」
舞鶴は尋常ない手汗を感じて死にたくなったが、奈々実は嫌な顔ひとつ見せなかった。
二人は屋上にやってきた。舞鶴は買ってきたパンを、奈々実はピンクのお弁当箱を取り出す。色とりどりで、とても美味しそうだった。
「き、きれいなお弁当だね。えへへ、へへへへ」
「うん。お母さんが作ってくれたんだっ!」
舞鶴からヘラヘラした笑みが消えた。なんだか申し訳なくなってしまったのだ。
奈々実の母は、娘のために栄養バランスを考えて、見栄えもよくする努力をしてくれている。
一方で舞鶴の母は、お弁当を作ってほしいと言っても、仕事が忙しいからとお金を渡すだけだった。
舞鶴はそれで買ったパンを齧った。
申し訳ない。奈々実はいい子だ。親に愛されてる。
いい子だ。優しい子だ。パンを齧る。あんなことを言っても一緒にごはんを食べようと言ってくれた。
とても素晴らしい子だ。嬉しい。とても嬉しい。けれども、申し訳ない。もしも奈々実がいじめられたら自分のせいだ。
奈々実みたいな素晴らしい子が嫌な思いをするなんてそんなのおかしい。そんなのってない。そんなのって、そんなのって……。
「………」
舞鶴は泣いていた。パンを一つ齧るたびに涙が溢れてきた。
なぜだろう? うまく言葉にできない。近い言葉が見つからない。
でもなんだかすごく悲しくなって、惨めになって泣けてきた。
どうして自分は、こんな、毎日、パンを食べなければならないのだろう。
もう飽きた。
お母さんが作ったからあげが食べたい。あれを最後に食べたのは小学生の筈だ。
なぜお母さんはお弁当を作ってくれないのだろう? お仕事が忙しいからだろうか? それともお父さんが不倫しているからだろうか?
どうして奈々実の優しさを素直に受け取ることが許されないんだろう。
私は何もしてないのに。あいつらが悪いのに。どうして私が遠慮しなきゃいけないんだろう。
そもそも、どうしていじめられなきゃいけないんだろう。何か、悪いことでもしただろうか? それは謝れば許してもらえるのだろうか?
「……おいしくないなぁ。ぜんッぜんおいしくないなぁ」
ポロポロ涙が零れてきた。
その時だ。ふわりと優しい匂いがした。奈々実が舞鶴を抱きしめていた。
「大丈夫だよ。つらかったね。でももう大丈夫だよ」
舞鶴も奈々実を強く抱きしめた。声を殺し、ひたすらに泣き続けた。
奈々実は舞鶴が落ち着くまで背中を擦ってくれた。チャイムが鳴った。奈々実は舞鶴の手を握ったまま、廊下を走った。
どこに行くの? 戸惑いながらも、舞鶴は笑顔でそう聞いた。
「逃げちゃおう! こんな場所!!」
舞鶴の靴が無くなってたけど、奈々実は任せてといって舞鶴をおんぶした。
細い腕なのに舞鶴をしっかりと支えている。
奈々実はいい匂いがした。ドキドキした。
学校を抜け出した二人はまずショッピングモールに寄って新しい靴を買った。
それからカラオケでたくさん歌った。舞鶴の大好きなアニソンを奈々実も知っていた。最高だった。
舞鶴はたくさん笑った。奈々実もたくさん笑った。
キャンペーンで一人分の料金で済んだ。ラッキー!
帰りに流行ってるらしいバナナジュースを飲んだ。味はまあまあ、シェアしたのは楽しかった。
「わたしたち、もうお友達だよね」
「……うん」
「よかった! じゃあこれ! あげるねっ!」
奈々実はピンクの牛のキャラクターのぬいぐるみを舞鶴に渡す。
「え? え? え……?」
「おそろい。一緒に持ってようね」
いつのまに買ったんだろう。でも、とっても嬉しかった。
舞鶴は真っ赤になってコクコクと顔を何でも縦に振った。
「鞄に……! つけ、る! ね!」
「うん!」
学校からの着信を無視して、舞鶴は奈々実と手を繋いで歩いていた。
「ずっと一緒だよ」
夕日が二人を照らす。舞鶴は幸せだった。人生で最高に楽しかった。
だから無断で帰ったことを先生や親に怒られても問題なかった。クラスのアホ共からの冷たい視線も何にも辛くなかった。隣で奈々実が微笑んでくれるんだもの。
ただ、やっぱりそれで奈々実がいじめられるのは辛いから、学校じゃなるべく会話は抑えた。
二人きりの時だけ楽しくお喋りをした。放課後はもうパーティだ。舞鶴の家でたくさんゲームをしたり、お菓子を食べたり、アニメを見た。
高校生なのに小学生みたいな遊び方だったけど、舞鶴はそれでよかった。
そんなある日の帰り道、変な生き物に出会った。翼の生えたネコだった。
『キミたち! 逃げるミュ!』
ネコが喋るなんて! 舞鶴は驚きで固まった。
『パラノイアが来るミュ!!』
振り返ると、そこには大きな『箱』があった。普通車ほどある真っ白な箱なのだが、一つだけ黒い点があることに気が付いた。
蜘蛛だ。しかもそれは本当にそこに蜘蛛がいるわけではなく、どうやら箱はモニタで囲まれているようで、画面に蜘蛛が映っているという状態だった。
その蜘蛛が増えた。一匹、二匹、あっという間に二十匹? 三十? いや、もっといる。
わらわらわらわら、うじゃうじゃうじゃうじゃ、蜘蛛がすべての画面の中を這いまわる。舞鶴はゾッとして、思わず声をあげた。
きっと蜘蛛恐怖症の人間が見たら恐怖でおかしくなってしまうような、そんな映像だった。
すると大きな音を立てて、箱に小さな穴が開いた。そこから何本も細長い脚のようなものが出てくる。
あっという間に八本の脚が伸びて、箱が立ち上がった。
「なにこれっ、なにこれ! やだッ、嘘! き、キモい!」
逃げなきゃ!
舞鶴は奈々実を見た。奈々実はいなかった。
いつの間にか姿を消していた。なんで? どうして? 舞鶴は考える。いつの間に奈々実が消えた?
まさか自分を置いて逃げたのか? そんな、そんな! そんな!?
そん――
「心配しないで舞鶴ちゃん! キューティマジカル☆」
奈々実の声が、空から聞こえた。
浮遊している彼女の手には、先端に星の装飾がついた魔法のステッキがあった。
「まぎあすっ! ぱらじおんっ!」
リボンがたくさんついた可愛らしいドレスで、キラキラ輝く笑顔を世界へ向ける。
「魔法少女! 奈々実プリズム! いきまぁーす!」
虹色の光が弾けた。
空を駆け、マジカルステッキから光弾を連射して蜘蛛と戦う親友を、舞鶴は一体どんな目で見ればいいというのか。
すると翼の生えたネコ、『みゅうたん』が舞鶴のもとへ駆けつける。
『説明は後でミュ! 今はとにかく逃げるミュウ!』
舞鶴は混乱しながらも、みゅうたんを追いかけた。
ふと、背後で光を感じて振り返る。空から伸びてきた七色の光のワイヤーが蜘蛛を縛り上げ、動きを拘束している。
「大地のパワー☆ ツチノコさん、がんばってっ!」
メカメカしい蛇のような使い魔が現れ、口から土の塊を連射して敵を攻撃していく。
そこで奈々実はステッキを思い切り振り下ろした。その動きに呼応するように空から七色のレーザーが射出され、蜘蛛に直撃すると、蒸発させるように消滅させていった。
舞鶴が立ち尽くしていると、空にいた奈々実が目の前に着地する。
「怖がらせてごめんね舞鶴ちゃん! でも、もう大丈夫だよ!」
どうにかなってしまいそうだったけど、奈々実が笑ってくれたから安心はできた。
◆
アイオンを巡って戦争が起こったさなか、安槌イゼの祖母、『安槌イズ』は路上に倒れているみゅうたんを保護した。
喋るネコというのはイズも驚いたが、もしかしたら戦争の影響で生まれたのかもしれないと、その時はそう思ったらしい。
みゅうたんは野良犬に襲われていたらしく、そこから逃げている時に頭をぶつけてしまったようで、はじめは記憶を失っていたという。
しかしイズが世話をする中で、自分が何者なのかを思い出した。
それは、アイオンを導く、精霊としての記憶である。
不思議な話ではない。鳥は生まれた時から翼を持つように。空が青いことのように。水が冷たいことのように、ただそうであるというだけだ。
アイオンがあるから精霊がいる。それはこの世の掟なのであって、不思議に思うことではない。
それを聞いたイズは、みゅうたんに頭を下げた。
どうか自分にチャンスを与えてほしい。人間同士が争うなんて間違っている。地球が泣いている。だから助けてほしい。イズは深く頭を下げた。
みゅうたんは、イズという人間に情を持っていた。だからこそ彼女にチャンスを与えたのだ。
それがあの力、魔法少女というシステムだった。
それぞれの頭文字を取って、『
人は、イズの姿を見て、過ちを確信した。
それは純粋なる良心であり、あるいは恐怖でもある。
人の歴史が生み出した全ての兵器を、魔法は上回った。
誰もが心の中でイズを神だと思っただろう。だからこそきっと戦いが終わったのだ。
『でも、ぼくも理解していなかったことが起こったんだミュ!』
丁度、平和の象徴である海上都島フィーネがお披露目となった日であった。
セレモニーに化け物が現れて人を殺した。イズは人を守るため、その化け物を殺した。
それは始まりにしか過ぎなかった。その化け物は以後、世界各地で目撃されるようになる。いつ現れるのか、なぜ現れるのか、それらは全て謎に包まれていた。
化け物の死体はいずれも爆発し、蒸発するように消えてしまう。かろうじて採取した血液も、未知の成分で構成されており、研究は困難を極めた。
何者かがアイオンを使って作った人工生命体である説や、戦争の影響で動植物が異常な進化を遂げた説など、様々な可能性が提示されたが、結局答えは見つからなかった。
いずれにせよそれは未曽有の脅威だ。世界はそれを『パラノイア』と名付けた。
「みゅうたんは、そいつらから人間を守るために魔法少女を増やしたの」
そう説明する奈々実も、その一人だったというわけだ。
「そ、そんなのって……、怖くないの?」
「怖いよ。でも、知っちゃったから」
奈々実はニコリと微笑んだ。
あまりにも眩しすぎて舞鶴は下を、地面を見た。
けれども舞鶴は笑っていた。それはまるで、ずっと探していたものをようやく見つけたような。そんな気分だった。
舞鶴は奈々実に送り届けられ、そのまま別れて、ごはんを食べて、お風呂に入ってから、歯磨きをして、寝た。
舞鶴は夢を見た。へんてこな夢だった。ネットで見たBL漫画が悪いのだろうか? 男の子は溜まっていると、朝起きた時に無意識に射精していることがあるらしい。
舞鶴もそうだった。舞鶴は夢精していた。
いや、それはおかしい。だって舞鶴は女だ。だからきっとそれは夢だ。
それに気づくと舞鶴は夢で奈々実と抱き合っていた。奈々実ちゃん。あの、私、ずっと言いたいことがあって。
でも――、そこから唇が動かない。勇気を出さなければならないのか。あるいは答えを見つけなければならないのか。
しかしそれでも奈々実はわかってくれる。奈々実は理解してくれる。
舞鶴と奈々実は裸で抱き合い、ただひたすらに求め合った。
舞鶴はそこで目を覚ました。どこからが夢で、何が夢だったのかわからない。
ただし、たったひとつだけ、わかることがあるなら、舞鶴には大きな恐怖があったということだ。
それを埋めるために愛を求めた。
恐怖を消してくれるものがあるとすれば、それは快楽だ。
だからあんな夢を見たのだと思う。でも舞鶴はずっとその夢が見たかった筈だ。
なのに今まで一度たりとも見れなかったのは、相手が見つからなかったからだ。
呪いを殺すキスをくれる王子様。それが、ようやく見つかった。
舞鶴はニヤリと笑った。
我ながらその笑顔は気持ちが悪い。それでも舞鶴は奈々実のことが好きだった。陳腐だが、愛していると言ってもいい。
奈々実は全ての孤独を消してくれるし、奈々実は自分を褒めてくれる。なにより奈々実は一緒にごはんを食べてくれるじゃないか。
彼女と一緒にいればこれからも多くの感情を共有できるだろう。
もしかしたら時に衝突してしまうかもしれないが、それを乗り越えたら私たちはもっと仲良くなれる。
奈々実は戦いで忙しいから彼氏もできない。そういうことは全部私がしてあげればいい。
そうすれば奈々実だって喜んでくれる。私も喜ぶ。それでいい、それがいい。奈々実は強いから私を守ってくれる。
でも奈々実だって甘えたい日もあるだろうから、その時は私が助けてあげたい。そうしたら私たちはお互いになくてはならない存在になれる。
それはきっととても素晴らしいことなんだ。
「よろしくね。ウチ、――っていうんだ!」
だから奈々実に先輩がいると紹介された時は、ハッキリ言って面白くなかった。
まあ他に魔法少女がいることは事前に聞かされてたし、奈々実もあくまでも彼女のことは、ただの先輩として接していたから、まあいい。
でも少し不安だった。だから蛇恐怖症のパラノイアの攻撃で先輩の頭が吹っ飛んだ時は、思わずガッツポーズをしてしまった。
でも同時に不安が生まれた。魔法少女も普通に殺されるのだとわかった。頭だけになった先輩をキャッチした時、舞鶴は中学生にもなって、おしっこを漏らした。
奈々実も泣いていた。
先輩が死んだことを悲しんでいるようだった。
舞鶴は先輩が羨ましいと思った。だから己の夢がハッキリと自覚できた。
いつか奈々実を守って死のう。
私たちは老いれば劣化する。肌も、思考も、そして関係も。
でもその前に、みずみずしい感情のまま終わらせることができたなら、それは一番の幸せだ。
奈々実のために血を流し、奈々実に感謝されながら腕の中で眠りに落ちる。
その間際に愛を囁くことができれば、舞鶴の人生はオールオッケーだった。
だってそれなら返事を聞かなくていい。あとは勝手によろしくやってくれればいい。
「ねえ舞鶴ちゃん」
でも、まるで、それを見透かしたように、いつの日か、奈々実が言った。
「お願いがあるの」
それは二人で並んで寝ころんで、星を見ていた時のことだった。
「一緒に花火、見てくれない?」
フィーネは時々、花火を打ち上げる。
それは夏とは限らない。夏はもちろんお祭りがあるから上げるけど、秋にも上げる時があるし、冬に打ち上げる時だってある。
条件はわからない。でも上げるらしい。舞鶴はまだ見たことがなかったけれど。
でも舞鶴もずっと花火が見たかった。花火は綺麗だ。そんな素敵なものを、奈々実と二人で見られたら、それはそれはとても素敵なことだと思う。
舞鶴が最後に花火を見たのは、それはもう昔のことで、あれはきっとまだお母さんとお父さんが優しかった時で。
だからとても綺麗だった。だから舞鶴は花火が見たかった。
夏がいい。お祭りに奈々実と一緒に行きたい。お祭りにももうずっと行ってない。
お祭りは辛いだけだからだ。みんな友達と一緒に行く。そうでなくとも親と一緒に行く。
だから舞鶴はお祭りが嫌いだった。でも奈々実がいれば、お祭りは嫌いじゃなくなる。
だから舞鶴はお祭りに行きたかった。奈々実と二人で、遊んで、笑って。
そして、花火が見たかった。
「え?」
舞鶴は二度見した。
「……え?」
メガネのレンズが砕けていたから、よく見えなかったけど。
おかしい。こんなはずじゃない。舞鶴は血まみれの奈々実を見てそう思った。
「あえ? なんで奈々実ちゃんが私を庇ってんの? 逆でしょ? あれ? えへへ?」
真顔になる。しかし直後、涙と鼻水がたくさん出てきた。
そのせいで奈々実の笑顔がよく見えない。わからない。記憶が飛んでいる。
『奈々実はいったい何から私を守ってくれたのだろう?』
それが、今となっては全く思い出せない。
確かなことは、ひとつ。
奈々実が舞鶴を庇い、致命傷を負った。彼女はまもなく死ぬ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます