第33話 激痛のアンデンティティ
【ヴォイス】『きっとたくさんの人が死ぬよ! そうすればまた大きな感動が生まれて、それは最高のエンターテインメントになる。さあどうするパピ、生に縋ればオンユアサイドの運命が捻じ曲げられてエラーを起こす。そうすればまた新しい時間で僕はキミを殺し、完全体になるよ! さっきみたいに拒絶するのでもいいけどね。時間は少しかかるけど、ここまで来たらボクも三日もしないうちに完全体になるだろうから!』
光悟は茫然と画面を見つめていた。
外の騒がしさは増し、動画サイトはパンクし、テレビじゃ緊急速報が鳴りっぱなしだ。
カタストロフだ! どこかの国で、誰かが叫んだ。
その時、プツリと音がしてディスクが激しく回転する。
PC画面が暗転した後、確かにオンユアサイドのタイトル画面が映った。
間違いない、これはパピの意思だ。彼女が助けを求めてる。
光悟はマウスを掴んだが、すぐにその手首を和久井に掴まれた。
「もうティクスも柴丸もいない! 殺されるだけだ! オレたちは負けたんだよ!!」
和久井はグチャグチャになったティクスと柴丸の残骸を示す。
「それでも俺はパピを、みんなを助ける! 行かせてくれ和久井!」
光悟の目が死んでない。和久井は笑った。疲れたように笑い、うなだれる。
「行くなよ。なあ? 光悟。オレ友達お前しかいねぇんだよ……」
「……俺もだよ。なあ和久井、実はあの時さ」
まだティクスが来てくれる前、一度和久井が部屋を出て行ったことがあった。
自分の馬鹿な行動に呆れ果てたのだろうと思いつつ、光悟はパピを助けるためにPCの中に入った。
でも上手くいかなかった。もう一度入った。上手くいかなかった。
だってパピは魔術師だ。光悟よりずっと強い。
そんな彼女が死んでしまう事態を光悟が止められるわけがない。
そんなことは本人が一番わかっていた。
「正直、無理だと思った。パピを助けたかったのは本当だったけど」
もう、クッションに座りたくなかった。いや座りたかったけど座れなかった。
光悟は暗い部屋でうなだれていた。魔法陣が薄くなっていくものだから光悟は入った。
無駄だった。また魔法陣が薄くなるまで待とうと思ったら、インターホンが鳴った。
『やっぱ夢じゃねぇんだよな……。あれからもお前、その、入ってんのか?』
『ああ。何度か』
こんな会話をした。
「俺、和久井ならまた来てくれるんじゃないかって思ってたんだ」
本当は出ていこうとする時に引き止めたかったけど、それは言えなかった。
「自分じゃ救えない。でも自分から諦めたくもなかった。だから和久井を待ってた」
光悟すらわからない何かを共有したいが故に。
そして和久井ならきっと止めろと叫ぶ筈だ。その時、光悟は友人のためにと――
「行くぞ、月神」
だからこそ、今回だけは勇気を持たなければならない。
光悟は月神に一緒に死ねという。心中しろと喚くのだ。
だがそのエゴは月神ならばわかってくれる筈だ。あの時、ルナのために変身を解除した月神ならば。
「この正義だけは、貫かなければならない――ッ!」
光悟は最後に少しだけ和久井と言葉を交わすとPC内へ消えていった。
月神はギュッと目を閉じている。怖い。嫌だ。足がブルブル震える。だがしかし彼は前に進んだ。
ずっと探していた、正彦よりも生き永らえた理由があると思ったからだ。
一人残された和久井は天井を見上げた。虚空を睨んでいた。
いつかの過去、見上げた空は曇天だった。和久井はプールサイドで寝ころんで空を見ていた。
グレーな空、雲の隙間から銀色の光が漏れていた。悪いヤツらはまとめて牢屋に叩きこまれたが、和久井だけは被害者で終わった。
事実、和久井は必死に悪事に手を染めないようにずっとヘラヘラしていた。
でも関わったのは事実だ。学校は和久井に罰を下した。
それがプール掃除だった。和久井はサボっていた。
代わりに光悟が必死にごしごしごしごしデッキブラシを動かしていた。
『ヒーローにはなれたか……?』
光悟は答えない。和久井の声が小さかったからなのか、それとも無視をしたのか。
光悟の顔はまだ腫れていた。和久井を助けようとしてボコボコにされたからだ。
『お前、惨めじゃねぇの?』
『悪いことをするほうが、ずっと惨めだろ』
『固いんだよお前は。もっと柔軟に生きろよ。今日もクラスの女子が化粧品万引きしたって笑ってたぞ。みんなやってんだよ。新堂の野郎もエロ本万引きしたってさ』
『お前もしたのか?』
『いやそれはしてないけど』
じゃあそれでいいじゃないかと光悟はプールを磨いていた。
静かだった。風は吹いたけど暑くも寒くもなかった。何の色もなかった。まるで夢の中にいるようだった。
「ずっと何かになりたかった」
さっき光悟は、ゲームの中に入る前にそう呟いた。
「何かって、ヒーローか?」
「いや……、何かにだよ」
そう言って光悟は消えていった。和久井は何かを思い出したように部屋を見回す。
「何者でもないってことか。クソ、俺だって……!」
同年代の特オタの部屋ならいる筈なんだ。
かつて和久井が目を輝かせて見ていた正義の味方、いつかなくした夢の欠片が。でも見つからない。なんだか悔しくなってきた。
「ちくしょう。おれもまだ、アイツに負けたくないって思っちまう心があるのかよ!」
和久井は舞鶴のフィギュアを見ると唸り、光悟の部屋を飛び出していった。
◆
光悟と月神はパピの屋敷の中庭で目を覚ました。噴水が見える。鐘が一回鳴る。
「またセーブデータが更新されてる……!」
光悟は辺りを見回しているが、月神はずっと一点を見続けていた。
改めて柴丸がいないという事実がのしかかる。しかし見えない何かに背中を押されたのは事実だ。
今はただルナに会いたい。月神は走り、彼女の屋敷を目指した。
光悟もすぐに走った。おそらく今はヴァジルがヴォイスを名乗る日の朝だ。
だとすればまだ屋敷の中にパピがいる筈だったが、部屋や食堂にはいない。
そこでちょうど通りかかったメイドが、礼拝堂にいると教えてくれた。
光悟も焦っていた。
早くパピに会いたい。焦る気持ちで扉を開くと、彼女がステンドグラスを見上げて母を想っていた。
今日の夢に出てきてくれるようにと。
「よかった! ここにいたんだなパピ、会いたかったぞ!」
パピは振り返る。光悟は勢い余って彼女を抱きしめた。
「……気持ちわる」
焼けるような痛み。
光悟がパピから離れて腹を見ると、そこに短剣が突き刺さっていた。冷たい眼差しを感じて彼女を見ると、舌打ちを返された。
「マジで不愉快なんだけど。触んなよクズ。綺麗なお洋服が汚れるでしょ?」
パピが短剣を引き抜くと光悟は両膝を地面について蹲る。
そこで礼拝堂の扉が開き、ヴァジルが現れた。光悟にはその中身がヴォイスだとすぐにわかった。
セーブデータが更新されたのではなく、最初に戻ったんだということも察した。
「やあパピ。流石だね」
「ヴォイスッ! 貴様ァッッ!」
光悟が立ち上がろうとすると、水流弾が肩を打ち、飛沫と共に床へダウンさせる。
ティクスのいない光悟など何の脅威でもないと、ヴォイスはニヤリと笑った。
「ちょっとヴァジル。本当にこんなのがヴァイラスなの? 拍子抜けもいいとこよ」
「油断しちゃダメだよ。コイツらがボクのお祖父ちゃんを殺したんだ。それに、ほら」
右腕を前に出すと光悟の周りに魔法陣が浮かび、そこから青い槍が伸びて肉体に突き刺さる。
激痛で気絶するなか、槍が引き抜かれると大量に血が溢れた。
だが同時にヴォイスは左腕を後ろに回し、パピに見えないように回復魔法を発動した。
パピ視点、光悟の血が一瞬で止まり、すぐに傷が塞がっていく。
「ふーん、確かにこりゃ人間じゃないわ。きもちわる……」
「広場に連れて行こう。ルナも一人捕まえたって言ってたよ?」
ヴォイスは水の鎖で光悟を縛り上げると、そのまま町の広場まで引きずっていく。
目的地につくとヴォイスは光悟を背中を蹴って中央へ転がした。
そこには同じく植物の蔦で縛られた月神が倒れている。回復魔法のおかげか、光悟もそこで目を覚ました。
「ぐッ、無事か月神ッ!」
「……なんとかね。でももう、おしまいのようだ」
ルナも月神を覚えていなかった。
そればかりかヴォイスが事前に根回しをしていたのだろうが、光悟たちは封印を破って現れたヴァイラスということになっていた。
するとヴォイスは光悟と月神にしか聞こえないようにテレパシーでコンタクトを取る。
【パピのマリオンハートはほとんど奪えたから、セーブデータも僕が作れるようになったんだ。ショックだったろ? 育んだ絆を全部忘れてるなんて】
でもそれがゲームなんだ。重いように見えて軽い命。
だから本物にならなければならない。そしてそれも、もうすぐだ。
【でも進化の時間をただ待つだけってのももったいないよね。僕らゲームは人を楽しませるのが最大のアイデンティティなんだから】
広場には町の人もたくさん集まっていた。そこでヴォイスが叫ぶ。
「みんな離れて! コイツらは危険だ! ヴァイラスなんだよ!」
誰もがすぐに離れていく。ヴァジルが培ってきた誠実さが役に立つというものだ。
そこでヴォイスは水の鎖を消し去り、先陣を切って走り出した。
「行こうみんな、ヴァイラスを倒すんだ!」
続く魔術師たち。月神は青ざめて後ろに下がっていくが、光悟は前に出た。
「ロリエ! 話を聞いてくれ! これは罠なんだ! ヴァジルが操られてる!」
「え……? ど、どういうことですか?」
ロリエが立ち止まってくれた。しかしすぐにパピに蹴り飛ばされてしまう。
「退けよグズロリエ! 邪魔なのよアンタ!」
「やめてくれパピ! せっかくロリエと仲良くなれたのに!」
「はぁ? 何言ってんのコイツ。マジでウザイんだけど! さっさと死ね!」
パピは容赦なく剣を振り下ろしたが、ヴォイスが魔法で光悟の防御力を上げていたため、肩を裂いた剣は骨で止まった。
ますます人間ではないと思われるだろうが、いずれにせよ光悟はパピの剣を掴み、その瞳を見つめることしかできなかった。
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