第19話 血濡れのパピヨン


"モルフォ"と"カネル"はとても仲のいい姉妹だった。

モルフォは活発で強く、カネルは大人しいがそれはそれは優しい性格だった。


モルフォは不真面目で、よく掃除やお祈りをサボって遊んでいた。

カネルは姉の分まで真面目に掃除をしたり、お祈りに気持ちを込めたが、魔力の才能があって頭がよかったのはモルフォのほうだった。


モルフォはよくカネルを馬鹿にしたが、カネルは笑っていた。

モルフォはよくカネルの服や小物を盗んだが、カネルは笑っていた。

モルフォはよくカネルからおいしそうな食べ物を奪って嫌いな食べ物をおしつけていたが、カネルは笑っていた。


なぜならば、そこに尊敬があったからだ。

優秀な姉はやがて家を継ぎ、優秀な魔術師として世界を守る。

だから姉の勝手を我慢するのは当然のことだ。姉が優遇されるのは当然のことだ。

だからカネルは自分にできることをしようと思った。人々が嫌がることを率先してやって、困っている人がいたら絶対に手を差し伸べるようにした。

おかげでモルフォを嫌う人はそれなりにいたが、カネルはみんなから愛された。

それは二人が成長しても同じだった。二人はとても美しく成長した。



ある日、町の外から詩人の男がやってきた。

彼はとても美しく、自由を愛し、綺麗な声で歌った。

町にあった酒場で男はモルフォと知り合った。自由な男と自由な女はすぐに恋に落ち、汗を繋いだ。

しかしモルフォは男を縛り付けたくなかった。彼は自由だ。

何物にも縛られないからこそ私は彼を好きになった。

だから家がどうとか、町がどうとか、そういうことは言いたくない。


男もそうだった。

彼はまだたくさん美しい景色を視たかった。広い世界を知りたかった。いろいろな場所の絵を描きたかった。

だから男は町を出た。モルフォもそれを笑顔で見送った。


後日、モルフォのお腹に新しい生命が宿っていることがわかった。

モルフォはそれでよかった。彼女を悪くいう輩もいたが、全く気にしなかった。

それよりも彼女は家を継ぐために魔術師としての勉強に本腰を入れていた。

カネルももっと多くの人を助けたいと貧困地域の支援活動を行うために町を離れた。


やがて時が経ち、モルフォは赤ん坊を出産した。

女の子だった。


一年半ほど経ったある日、カネルが帰ってきた。

妊娠していた。旅先で会った男との子供らしいが、いろいろあって男とは別れたらしい。よく似た姉妹だと二人は笑った。

同じ頃、火曜の魔術師が死んだ。

グリムのヴァイラス信仰を怪しんで問い詰めた結果、口論となり殺害されたのだが、当時は事故ということになっていた。

跡取りがいなかったので、カネルが養子になると申し出た。

モルフォほどではないが魔法をそれなりに使えたので、カネルはモルフォとは他人になった。

周りも二人が姉妹であることは忘れた。それがイーリスの決まりだからだ。


ほどなくしてカネルも女の子を生んだ。ロリエと名付けた。

ロリエが8歳の時、ダリアという男がイーリスタウンにやってきた。

長かった髪は切っていたし、髪色も名前も変わっていたが、モルフォはすぐにわかった。

彼はあの詩人の男、つまりパピの父親なのだと。


ダリアは様々な場所を旅し、イーリスタウンに戻ってきた。

モルフォは彼を歓迎した。モルフォとカネルは他人になったが友人としては会っていたので、モルフォはカネルに喜びを伝えた。カネルもそれを笑顔で聞いていた。

今までとは違うのは、カネルの中で激しい嫉妬の炎が燃え上がっていたことだ。


ロリエの父親はダリアだった。

あの日、初めてダリアがイーリスタウンに来た時、カネルは彼に恋をした。

だが弱気な彼女は彼に話しかけることすらできず、姉が嬉しそうに肉体関係を持ったと話すのを笑いながら聞くことしかできなかった。

姉を見るのが嫌になった。膨れていくお腹を見ると吐き気がした。

カネルは町を出て、少しでもダリアを忘れようと人助けに走った。


ある日、ダリアは紛争地域を訪れていた。

そこで救護活動にいそしむカネルに恋をした。

カネルはイーリスの出だということを言わなかった。代わりに愛を囁いた。

二人は激しく愛し合ったが、夜が明けてカネルは激しい自己嫌悪に陥り、何も言わずにダリアのもとを離れたのだ。

ダリアがイーリスでカネルを見つけたのは、モルフォと再会した次の日だった。


ダリアと暮らすの。


モルフォが笑いながらそう言ったから、カネルの中で何かがおかしくなった。

いつも我慢していた。貴女のためにずっと我慢してきたのにその仕打ちはなんだ。

だからカネルはモルフォに「塗れば肌の調子がよくなるから」と言って薬を渡した。

モルフォは喜んでそれを受け取った。すぐに顔に塗った。そして泣き叫んだ。

顔が焼けるように熱い筈だ。カネルは毒草の樹液で作ったものを渡していた。


命に別状はなかった。

カネルは泣いて謝った。本心ではあったし、嘘でもあった。

モルフォの顔は酷く爛れた。彼女は仮面をつけた。ダリアは美しいものが好きだった。

モルフォの顔が嫌いになったと、『三人』はわかっていた。

カネルはダリアにありったけの愛を囁いた。想いを吐露した。

ダリアはカネルを忘れようとしていたが、忘れられなかった。

モルフォと暮らすということを他人は知らなった。

そもそも誰もダリアを覚えていなかった。

すべてが完璧だった。

カネルは喜んだ。


ダリアとカネルは結婚した。


モルフォは何も言わなかった。祝福をした。彼女はロリエの父の正体を察した。

妹に甘えすぎていたと思う。優しい妹が好きだった。今はパピがいるじゃないか。

モルフォにとって一番大切なのはダリアではない、カネルでもない、パピだ。


そう考えいた一方で淡い期待も抱いていた。

モルフォは妊娠していた。ダリアと再会した日に宿した命だった。

この子が生まれればダリアは私のもとへ戻ってきてくれる。

カネルもわかってくれる。そう思いながら過ごしたある日、モルフォの子が流れた。

こればかりは誰のせいでもないが、赤子のお墓を立てた帰りに、カネルとダリアとロリエが手をつないで歩いているのを見て、モルフォの中で大切な何かが壊れた。


パピに語る。

ママはカネルが嫌いなの。

ママはダリアが嫌いなの。

ママは言うことを聞かない子供が嫌いなの。

ママはママの気に入らないものが嫌いなの。

ママは異子が嫌いなの。

ママは猫が嫌いなの。

ママはロリエがとってもとっても、大嫌いなの。






「――ッ!」


話を聞き終わったヴァジルは真っ青になって固まっていた。

ロリエとルナは悲しそうに遠くを見つめている。

ティクスには表情がない。光悟も無表情だった。

そしてケーキ屋の店主は険しい表情で震えていた。


「あの慈愛に満ちたカネル様の微笑みが、ダリア様とおられる時には下劣でいやらしいものに歪んで見えたのです。もちろん誰しも欲望があります。それを否定はしませんが私には耐えられませんでした。カネル様と顔を合わせるのも、あのお屋敷で働くのも」


モルフォは精神を病み、今から一か月前に亡くなった。



パピは橋の下で体を縮こまらせていた。

月神に狙われている以上、屋敷には帰れないし、考えてみれば頼れる人間なんて他にはいない。

メイドや知人は裏で母の悪口を言ってるのを聞いたから絶対に頼らない。唯一の知り合いはルナだったけど、もう無理だ。


「大丈夫かパピ。怪我はないか? お腹すいてないか?」


光悟が傍に来た。パピが小屋を飛び出した際にティクスが発信機をつけていたようだ。

橙・トワイライトカイザーのメガネにマップが表示され、すぐに場所がわかった。

だがパピはノーリアクション。俯いたまま動かず、声をかけても無視された。


「すぐに追いかけなくて悪かった。その……、聞いたよ。お前のお母さんのこと」


パピはバッと顔をあげて光悟を見る。


「それ以上、ママのこと言ったら殺すから。本気だからッ!」


「……なら教えてくれないか。俺には母親がいないから、よくわからないんだ」


「え? そ、そうなの? そうなんだ。ふーん」


よくないことだ。自分より可哀そうなヤツを見つけて安心するのは。

でも今はそれでよかった。それが必要ならばと光悟は思う。

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