第18話 籠の空


「マリオンハート? なにそれ?」


「よろしくて? 私たちはもう死んでるの。いえ、生きてもいないのかしら。私たちは本? それとも舞台? いずれにせよ外にあるぬいぐるみと同じなのよ」


「……は? 嘘でしょ? 何を言ってんだよルナ」


「私は子供の頃からずっと依夢お兄様のことを慕っていたわ。でもそれは嘘だった。だってお兄様は貴方とお知り合いなのでしょう? 光悟さん」


「……そうだな。月神依夢、彼も俺と同じ、最近地球から来た」


そこでヴァジルはハッとする。彼の頭の中にも月神依夢の記憶はあった。

ルナの義兄で子供の頃からこの町にいたと記憶していたが、光悟の話が本当なら……。


「でも語弊がある。ルナたちが生きてるのは本当だろ? この今がそうだ」


光悟はそう言うが空気は重い。どうしてだかルナだけは笑っていたが。


「べつにいいじゃない。元々私たちは死んでいたようなものでしょう?」


ルナはヴァジルを見て言った。利用されるために生きていた毎日。

ルナはロリエを見て言った。自分で作った蟻地獄から抜け出せない毎日。

ルナは目の前にあるカップを見る。紅茶には自分の顔が反射していた。彼女はつらつらと身の上話を始める。


「やたらと家柄や地位に拘る家だったわ。どんなコンプレックスがあったかは知らないけれど、二言目にはプライドや誇りがどうとか」


しつこいくらい勉強しろと言われたし、やりたくもない習い事の毎日だった。

でも反論したり少しでも不出来を晒そうものなら烈火のごとく怒鳴られ、人格を否定された。

そのくせ父も母も純血を見かけたらペコペコと頭を下げる。


「失敗が嫌いな人たちばかりで息が詰まるわ。貴方たちに理解できて? 食べる物も着る物も読む本も聴く音楽も友達も決められ、なのに今まで私自身が褒められたことなんて一度もない。上手くできても全部ロウズのため。あるいはパピのため。笑えるわ、私の一家はパピの引き立て役なのよ」


純血に気に入られるため、パピの手下みたいな毎日を送っていた。


「ヴァジルがロリエを守れるようになってからはイライラする時が増えて、よく私が飾った花瓶や絵を壊したり、八つ当たりを受けるようになったわ」


それでもパピにくっついていた。誰のため? もうわからない。


「ふふふ、おかしいわ。嫌いなヤツにヘラヘラしてる私は、とっくに死んでいたのよ」


そこで寝ていたパピが起き上がった。

どうやらずっと前から目覚めていたらしい。彼女はルナを激しく睨みつけていた。


「ふーん。そんな風に思ってたんだぁ。コッチはアンタみたいな異子と仲良くしてやってたってのに。恩を忘れてアタシを裏切るんだ。へー、ふーん!」


「……そういうところが昔から嫌いなのよ。異子を見下したり、わざとらしい嫌味だったり」


パピは眉を顰めて舌打ちを零す。

俯いてシーツをギュッと掴むと、また舌打ちをする。


「いけないぞパピ、ルナ。憎しみの言葉を連鎖させてもヒートアップするだけだ」


光悟はそういうが、パピもルナも謝る気なんてサラサラなかった。

空気がより一層重くなる。気を遣ったのか、ロリエが笑顔でパピの傍に向かう。


「お体は大丈夫ですか? 何か欲しいものがあればわたしに言って――」


そこでパピは両腕を突き出し、ロリエを思いきり突き飛ばした。


「うぜぇんだよ! 何が大丈夫ですかだ馬鹿ッ! 内心ニヤニヤしてんでしょ! アンタもアタシが嫌いだもんね! だったら素直にそう言えよクズロリエ!」


パピの目が憎悪で汚れていた。ベッドから出ると、剣を生み出してロリエを狙う。


「そもそもアンタが全部悪いんだ! 死ねッ! 死んじゃえ!!」


剣を振り下ろそうとするが、それよりも先にヴァジルが水の鎖でパピを縛った。


「ふざけるなよ! ロリエが何をしたっていうんだ! 謝れよ!」


「そうだパピ! いけないぞ! 今のはお前が悪い!」


パピは光悟を見た。信じられないといった表情だった。悲しそうだった。

すると衝撃。パピと光悟の間に鉄の盾が生まれて、そのまま光悟を押し出していく。

固くて厚い鉄の塊だ。光悟もされるがままに下がるしかなかった。


「なによ……、結局アンタはアタシの味方になってくれないじゃん! うそつき!」


盾がバラバラになって崩れ落ちる。パピの声は震えていた。


「何が狙い? やっぱりお金? そんなのいくらでもくれてやるッ! それともアタシ? 周りのブスと違ってかわいいもんね! えへへッ、なんならキスしてあげよっか。そしたら守ってくれるんでしょ? それでいいでしょ? ねえ、ねえってば!」


そこで引きつった笑みが消えた。

みんなが冷たい目で見てくるような気がして、パピはたまらず小屋を飛び出していく。

光悟はすぐに後を追いかけたが、そこでティクスが遮るように前に立つではないか。


「ティクス? どいてくれ。パピを一人にするのは心配だ」


『……このままパピちゃんが死ななかったとして、彼女はそれで幸せなんだろうか?』


言葉が出なかった。でも頭の中ではわかってる。

確かにそうだと思ったから深呼吸をして焦りを抑え込んだ。

小屋に戻ると、ルナがロリエを支えているのが見えた。


「ルナは昔から、少しだけロリエに優しかったよね」


ヴァジルが言うには昔からパピがロリエの服を汚したら、後で新しい服を送ってくれたり、ロリエが怪我をしたら裏で手当てをしてくれたりしたらしい。


「私も異子だから気持ちは分かるのよ」


ルナはそこで小屋の中を見回す。


「それにしても、なつかしいわ。昔は誰も住んでなかったら秘密基地にしていたのよ。あの時、汚い子猫を見つけて、この私には相応しくないから綺麗にして、美味しい餌をたんまり与えてやったわ」


「そうなんですか。猫ちゃんわたしも好きです。今はどこに?」


「死んだわ。パピが殺したのよ」


みんな沈黙する。ルナは小屋の裏にお墓があると言った。


「これからボクらと一緒にいなよ。もうパピなんてほっとけばいいんだ、あんなヤツ」


何故かルナは何も答えなかった。沈黙が続き、すると光悟が口を開く。


「パピに何があったんだ? 誰もがみんな、生まれた時は無辜な者だった筈だ」


「むこ? よくわかんないけどっ、絶対生まれつきだよ! あんなサイテーなやつ!」


ヴァジルはそう言い切ったが、ルナはロリエを、ロリエはルナを見た。


「だいたい今更そんなことを知って何になるというのかしら。昔ね、小鳥を飼ってましたの。すっごく愛情を注いだわ。でもある日ふと篭を開けてみたら小鳥は出ていったわ。戻ってきてくれるって信じてたけれど、空に羽ばたいたまま帰ってこなかった。結局あの子は自由を選んだのよ。私のところが嫌だったのよ」


ルナはヴァイラスを見た時、月神の話を聞いた時、本当に檻の中にいると感じた。

篭の中にはなにもない。土も葉も、餌も、仲間もいない。

偽りの止まり木だけ。


「そんなところで得る幸福に意味なんてないわ。光悟さん、貴方は早くお兄様に従うべきではなくて? そのほうが貴方のためにもなるのでしょう? 私としてもパピに嫌われたから、このまま世界が続いていくのはいろいろ不都合がありましてよ」


『ルナちゃんは偽物であることを嘆いてるのかい? それとも、今の自分を偽物にしたいのかい?』


ティクスは光悟の肩に飛び乗るとルナを見つめた。


『俺は、戦うために生まれてきた。怪人や怪獣と傷つけあうためにね。ヤツらは一週間ごとに俺を殺しに来る。守れた命もあったし、守れなかった命もある』


ティクスも神ではない。

それは今もだ。思うことはいろいろとある。


『でも生まれる理由や役割は仕組まれていたとしても、その中で掴んだものや与えたものは俺だけのものだと思っているよ。俺は人形だが、それでも俺がかつて自分で信じたものを今も信じたいと思ってる。それは必ず価値のあるものだからね』


「あら、私に偽りとしての人生を受け入れろと言うの?」


『そうじゃないさ。偽りの中に真実は欠片もなかったのかい? ルナちゃんがもしも普通に生きていれば知りうることのないことを知って、価値観がまるごと変わったなら、それは新しい誕生日だ。だったらなんのために生まれたと思う? 今日からなんのために生きていくと思う?』


ルナは黙った。辛そうだった。

そこでヴァジルは、ロリエもルナと同じような顔をしていたことに気がついた。だから歯を食いしばり、頭をかきむしる。


「よ、よくわかんないけどさ! ボクは師匠に言われたよ。たとえ裏切られたとしても全てが嘘だったワケじゃない! ルナだってそうだろ! 考えてごらんよ!」


今も少し蚊帳の外になっているのは感じているが、それは別に関係ない。


「ボクはロリエを守りたいと思った。ずっとロリエの味方でいたいと思ったよ。それは今も全然変わってなくて。どんなことがあったとしても変えるつもりはないんだ」


まあ、いろいろあるのだろう。ヴァジルだってそれは理解している。


「でもさ、ボクたちの想いは、偽物の一言で片づけられるほど簡単じゃないだろ! ボクはヴァイラスに襲われた時、心から死にたくないって思ったよ? それで今こうやってせっかく生き残れたのに、死んだように生きるんじゃもったいないでしょ!」


ルナは俯いた。

苦しみも希望も、まあまあ思い出せる程度にはあった。


「月神はパピを殺そうとしている。昔じゃなくて今を、これからを見てくれ!」


ルナはギュッと目を閉じた。そしてその言葉は別の人間にも届いていたようだ。


「パピさんは――……、きっと、悪くないんですっ! わたしが、わたしの――」


ロリエはズキズキと痛む胸を押さえていた。

同じ境遇で生きていて、しかも年下の苦しみと焦燥に触れ、あとはルナという人間に存在していた良心が半ば強制的に背中を押した。


「私ッ、何があったのかを知っている人間を知っているわ!!」


だからルナは遮るように叫んだ。

だからみんなを、とある場所へ連れて行ったのだ。


「いらっしゃいませ。あぁ、これはルナお嬢様。いつもありがとうございます」


「ごきげんよう。ケーキを用意してくださる?」


女性は笑顔で頷いたが、次いで店に入ってきた光悟とロリエを見ると表情が一変した。


「あとはパピの母親のことを話して。ごめんなさいね、言わないでって言われたのに」


パピと光悟が食べに来たケーキ屋は、現在ロウズ家専用で商売を行っていた。

店主は元ニーゲーラー家――つまりロリエの屋敷で働いていたパティシエだった。

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