第17話 水落ちは


そんなある日、正彦が死んだ。

自殺だった。死ぬ前に少し話せた。

彼は自宅の屋上の柵を越えていた。馬鹿なことをするなと怒ると、ボロボロ泣き始めた。


『兄さんは俺の気持ちを何も理解してくれない! わかろうともしてくれない!』


頑張ったさ! 死ぬほど頑張ったさ! でもダメだった! うまくいかなかった!

周りは俺を馬鹿にする! 優秀な兄貴とは違ってお前はダメだと馬鹿にする!

アイツは俺のことが気に入らなかったから俺の邪魔をするし俺をからかうし乱暴をする!

俺がどんな気持ちで耐えてたか兄さんにはわかるのか!?

俺だって必死に頑張って模索して努力して足掻いてそれでもッ、それでも――……ッッ!! ッッ!


『馬鹿なことをするな! 戻ってこい正彦!』


『馬鹿なこと? そうか、ハハハ……、馬鹿なことか』


そうして正彦は落ちていった。

頭から地面に叩きつけられた。それでも高さが足りなかったのか、救急車の中で痛い痛いと喚いていた。

頭が割れる、助けてくれと泣いていた。それなら飛び降りなければいいのにと思った。


やがて彼は意識を失い、亡くなった。

父は悲しんでいたが、それよりも月神を気遣う言葉をたくさん投げてくれた。

母はおうおうと泣いていた。気の毒に思ったので月神は母を励まそうと思った。


自殺をするなんて馬鹿なヤツだ。

母さんを悲しませるなんて愚かだ。自分たちには優秀な血が流れているんだから、生きてれば成功が約束されたのに。

月神はその日、はじめて母に叩かれた。

後で聞いたが、母は後妻だったらしい。気を遣って黙ってくれていたのだろう。


月神の本当の母は月神を生んですぐに別れたそうだ。今の母の息子は正彦だけだった。

月神の血は優秀なのにお前は劣等だ。月神はかつて正彦にかけた言葉を激しく後悔した。

母はその後、泣いて月神に謝ってくれた。月神も母を許した。

なぜならば悪いのは全て自分だったからだ。

月神はその時、己の過ちと正彦の無言の苦しみに気づいた。


「いいか、真並くん。言いたくても言えないことがある。抑え込まなければならないものがある。それが人の心、尊ぶべき存在なんだ! 道具は道具であり人じゃない。人になってたまるか。魂は! 心は! 感情は! そんな簡単なものじゃないんだよッッ!!」


今、ココはオンユアサイド。叫ぶ月神の中に『心』を視た気がした。

声を荒げた彼はそうか、きっとマリオンハートをよくは思っていないのだな。


「月神ッ! 一つ聞きたい!」


月神グループから逃げたマリオンハートは、一度消えかけたらしい。

拘束か何かを打ち破ったときに消耗したからだと思われるが、いずれにせよわかることは『魂』が月神のもとを離れたことだ。

そう、逃げた。消えかかってもだ。


「お前は本当にマリオンハートをAIの発展のために使おうと思っていたのか!?」


「……キミは馬鹿だが、察しはいい」


正彦は死んだ。苦しんで、悩んで、死んでいった。

月神にそれを理解してあげることはできないし、何をしようが今更だと思っていたから供養するだけだ。

しかし死に触れて感覚は研ぎ澄まされる。ニュースを見て世界を知れば知るほど目障りなものばかり目についてしまう。

正彦のことを怒ってはいたが、それは彼が上に立つべきものだと信じていたからだ。

だから正彦が無様に死んで、彼よりもずっと愚かな馬鹿共がのうのうと生きているのは納得がいかない。

ノブレスオブリージュの考え方は変わっていなかった。

美しい蒼色の星に住んでいる自分たちも相応の気品さを保つべきだ。

なのにSNSを少し覗くだけで吐き気がする。低俗な犯罪自慢、哀れすぎる自己肯定、真面目に生きない人間なんてもうたくさんだ。


「父はマリオンハートを純粋に研究のために使うつもりだったようだが、おれは違う」


父によればマリオンハートは半ば封印されるように隠されていたらしい。


「かつて民は造花に魂を与え共に歌を謡い、木彫りの神に魂を与えて平和を願った」


しかし時が流れて物の形は大きく変わった。ミサイルや爆弾に魂を与えればどうなる? ティクスたちだって同じだ。マリオンハートの危険性は人の手によって決定する。


「なら、おれがもっと正しい方法でマリオンハートを使ってやるのさってね」


月神の目が据わっていた。虚ろだが、それは確かに殺意を超えた矜持。

そうだ。月神依夢がマリオンハートを保管されていた場所から持ち出したのだ。


「星が魂を抱く時、生きている世界は、そこに住む人間を必ず選定し始める!」


体内に蠢くウイルスや癌は、きっと排除に動く筈だ。


「おれは地球にマリオンハートを与える! 審判の日のために、こんなところで時間を食ってられるか!」


刀を抜くとパピへ切りかかった。しかしティクスが虹のバリアを張ってみせた。


『理解しているのか! もしも意思を持った地球が人間を敵視したらどうなる!』


「人の歴史が終わるだけ! 滅びの間際ッ、人類は自らの過ちに気づくだろう!」


『月神くん! マリオンハートがキミの手から離れたワケを考えろ! 魂がキミの目的に賛同できなかったから逃げんだろ!』


「黙れ! 人形にヒトの何がわかるッ! さっさとハートを回収させろ!」


シールドが壊された。光悟はパピの手を掴むと全速力で走り出した。

ティクスもそこで機転を利かせる。真正面からのぶつかり合いは勝てない。

ならばと激しいフラッシュで月神の目を眩ませる。


そこで光悟と合体、再び変身。紫の形態に変わるとパピを抱いて高速で逃げる。

もちろん月神も高速で動ける術がある。

このままではすぐに追いつかれてしまうだろうから、橋までやってくると真下に広がる大きな川に向かって飛んだ。


「パピ! 息を吸え! 大丈夫! 水落ちは生存フラグだ!!」


「ムリムリムリムリムリムリ! ひ、ひやぁぁあぁあああ!」


大きな水しぶき。追ってきた月神は橋から身を乗り出して目を凝らすが、川は深く濁っているため完全に見失ってしまう。悔しげに橋を殴りつけると融合を解除した。

月神は焦りの表情を浮かべいるが、反対に柴丸は目を閉じて落ち着いていた。


『安心するでござる。奴らの力は全て打ち破った。我らには勝てぬ!』


「……ああ。少し疲れた。戻ってメロンでも食べようか」


『それは、ワン! ダフルな提案でござる』



それはきっと、が見せた夢。


『ねえねえママみて! ママのおかおを! とってもうまくできました!』


『とっても上手ね。将来は画家かしら。フフフ!』


体が浮いている。

真下では女の子が母親に似顔絵を差し出して笑っていた。

母親も嬉しそうに微笑み、少女の頭を撫でていた。二人はとても幸せそうに笑っていた。


場面が変わる。

弾けそうな笑みで走る二人の女の子。それはパピとルナに似ていた。

通いなれた道も少しだけ路地を外れれば知らない道。


でも怖くはなかった。

あなたに見てほしかったのは勇敢なアタシ。


「……ッ!」


光悟が目を覚ますと、そこはソファの上。

体を起こすと体中に包帯が巻かれていた。

すぐ近くにあるベッドではパピが眠っている。部屋は暖かい、火魔法のおかげだ。

周囲を確認するが和久井の気配はない。モニタもないし席を外しているのだろうか?

窓の外では濡れたティクスが干されていた。見張りを兼ねて本人が志願したらしい。


「師匠! だ、大丈夫だったッ!?」


ヴァジルとロリエが不安そうな顔を浮かべている。

ココは川の下流にある小屋で、ヴァジルが住んでいるところだった。

光悟は笑みを浮かべ、今までのことを説明した。


「――それで橋から落ちたんだ。ヴァジルがこの川の畔に住んでいるって聞いていたから。運が良ければ見つけてくれかもしれないって思って」


「無茶をしすぎですっ。わたしたち、光悟さんが流れてくるって知ってたから注意深く川を見ていただけで……!」


ロリエはそういうと左を見る。

視線を追うと、椅子に座っているルナが見えた。


「なにかしらその顔は。失礼ね、私は化け物じゃなくってよ」


「すまない。助けてくれてありがとう。でも俺が川に落ちたのを見てたのか……」


「ええ、まあ。聞いてたから。マリオンハートのこともね」


そこでヴァジルはきょとんとしてルナを見た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る