第9話 拝啓、極光戦士様
ほどなくして画面から光が排出される。
和久井を通り抜けたそれは壁の前で光悟になり激突、彼はすぐに起き上がると次のロードを目指して歩きだす。
「……待てよ。待てって。化け物に首絞められて漏らしてッ、それでもまだ行くのかよ」
「格好悪いところを見せたな。気にしないでくれ」
「――ッ! 死ぬのが怖くねぇのか!? おかしいぞお前ッ!!」
「怖いさ。でもだから分かったんだ。パピも同じくらい怖かったって」
「そんなにあの女が大事なのかよ! アイツはお前のことなんて欠片も好きじゃないぞ。ロリエを殺したり、自分だけ生き残ろうと叫んだり、ろくでもねぇヤツなんだぞ!」
「それでも、理不尽に死んでいい存在じゃない。みんなそうだ」
「……お前っ! 俺が……! 頼むから行くなって言ったら――どうする?」
――親友として。
最後にポツリと付け加えられた言葉を聞いて、光悟は嬉しげに微笑んだ。
「親友として、頼むから行かせてくれって言うかな」
理解できなかった。見るに耐えなかった。
生きたまま皮を剥がれ、生きたまま炎の中に放り込まれた時もあった。異常だ、少なくとも和久井にはもう耐えられない。
だからまた普通にゲームの中へ入ろうとする光悟に苛立って仕方なかった。
「調子に乗ってんじゃねぇぞ! 馬鹿かお前ッッ!!」
和久井は思い切り机を叩き、光悟に向かって叫んだ。
「まだクソみたいなヒーローごっこ続けんのかよ! なんの力もないくせに! むしろテメェが続けるからみんな繰り返し死んでる! 足手まといなんだよテメェは!」
「かもしれない。だけど何もしなければ彼女たちは絶対に救われないんだ!」
光悟は壁に貼ってある極光戦士ティクスのポスターを見た。
「ティクスが五十四話で言ってたんだ。決して諦めなければ、希望は死なないって」
「サムいんだよテメェ! 正義の味方なんて幻想だろうが! あんなの子供騙しのフィクション! テレビ局が金儲けのために企画したひとつの番組なんだよ! そんなモンにいつまでも縋りやがって! 知ってるぜオレは、お前が大好きなティクスの俳優だって飲酒運転で番組降板したんだってな! 笑えるぜ! なあ最高だよな光悟!」
昔からそうだ。出会ってから今まで何度も無様で哀れな姿を見てきた。
「みんな妥協しながら生きてる! この世界は正しいことをするヤツが格好悪いんだよ! いい加減にそれを認めて大人になれよ! いつまでガキみたいなことしてれば気が済むんだテメェは! だから周りからヒソヒソ笑われて、宗教みたいだとか馬鹿にされるんだろうが!」
和久井は光悟を殴ろうと思った。和久井は光悟が嫌いだった。
誰だってそりゃ昔はヒーローものを見て憧れたりもするだろうさ。
でもそういうみずみずしい気持ちは子供だけが持つものだ。いつしか和久井は五十話ほどある話のほとんどを忘れたし、玩具も親戚の子供に全部あげた。
中学二年生で貯金を崩してノートPCを買ってからはネットでいろいろな情報を吸収し、テレビで報道されないアレコレを知るうちに世界の真実に触れて全知になれた気がした。
テレビや雑誌で、アイドルや声優が語るリップサービスを本気で信じ込んでいるクラスの連中を見下していたし、みんなが知らないことをオレは理解しているのだと優越感に浸っていた。だからこそいつまでもヒーローなんてものに縛られた光悟なんてのは本気で嫌いだった。学習をしようともしないコイツを今すぐブン殴ってやろうと思った。
その行動は許される。
だって人間、一度死にそうな目にあったら怖くて震えるのが正解であり、ましてや腕を切られたり肉を食い破られたら、もうおかしくなったって許される筈だ。
にも関わらず光悟は同じことをしようとしている。そんな馬鹿は殴っていい。
しかし和久井はピタリと固まる。
光悟はPCではなく、ベッドに向かって歩いたのだ。
そしてティクスのぬいぐるみにソッと触れた。はじめは座っていたぬいぐるみも、いつしか光悟がベッドの上に倒れた衝撃でコロンと寝転がっていた。
「正しいことは……、疲れるな」
それは誰にむけた言葉なのか? 少なくとも和久井は何も返さなかった。
「わかってるさ、自分でも。馬鹿なことをしてるって……」
光悟はティクスを座らせると、しゃがみ込んだ。
デフォルメ化してあるからかティクスの複眼部分には本来は存在しない『黒目』がある。
それと視線を合わせているのだろう。今は飾ってあるだけだが昔はずっと抱いていたっけ? 十年近く一緒にいる筈だ。
「でも、いまさら変えようとするほうが疲れる。変えようとするほうが、俺には……」
光悟はティクスを撫でると、ゲームの中に消えていった。
しばらくして光悟の父親が眠そうに顔を見せた。
泊りがけで競馬に行くので、光悟に伝えておいてくれと言う。
和久井は光悟がなぜあんな性格になったのかを聞いてみた。
すると父親は少しだけ昔話をして、さっさと家を出て行った。
◆
ギャンブル好きのダメ男と、幼馴染の世話焼き女が結婚して光悟は生まれた。
大好きだった母からは、「悪いことをしたらバチがあたる」とよく言わたものだ。
六歳の時、祖父が体を崩して入院した。
光悟はお見舞いのさなか暇になったので、病院内を散策した。
今では事故や自殺を防止するために屋上は施錠されているが、当時は自由に出入りができたので景色を見るためにやってきた。
奥へ進むと先客がいた。リサという女の子だった。
挨拶をかわして二人は楽しいお喋りをした。
「光悟くんは好きなもの、あるの?」
極光戦士ティクスが好きだと告げると彼女は笑った。
弟が好きだから一緒に見てるという。それなりに話は盛り上がった。
楽しかった。今度は光悟が彼女の好きなものを聞くと、人形が好きだと言う。
なるほど確かに彼女の手には動物の人形が二つある。
遊ぼうと提案された。恥ずかしかったが周りに誰もいないので頷いた。
光悟はパンダさん、リサはシマリスさんになりきって遊んだ。なかなか楽しかった。
「ありがとう! 今日はとっても楽しかった! 明日も会えるかな?」
光悟は頷いた。
翌日、保育園が終わってから病院で彼女と再会した。
またお人形で遊んだ。楽しかった。明日も会いたいと言われたので、次の日も同じようなことをした。
光悟はふと、リサがどうして病院にいるのかを聞いてみた。
「入院してるの。死んじゃうかもしれないんだって」
彼女は帽子をかぶっていた。彼女は髪の毛がなかった。
本当は病室を抜け出してはダメなのだが、仲のいい看護師さんが許してくれるらしい。
『もうすぐ死んじゃうから、なるべくお願いは聞いてあげないとね……』
リサはナース同士が話し合っているところを、こっそり聞いていた。
「ねえ……、わたし、平気だよね? 死んじゃったりしないよね?」
リサは困ったように微笑んだ。光悟は何も言えなかった。
子供ながらに無責任なことは言えないと思ったのだ。何の病気かも分からないし、そもそも病名を聞いたとして自分の知識ではサッパリだとわかっていた。
あとは『ダメ』だった時に生まれる重いものを抱えきれないと思った。上手く説明できない。少なくとも光悟にはその時、その日本語を見つけることができなかった。
「ごめん、ぼくにはわからないよ。お医者さんに聞かないと……」
リサは泣きはじめた。怖い。死にたくない。嫌だ。そう言ってボロボロ泣いた。
ついさっきまで笑っていたのに。光悟はなんだか哀しくなった。怖くなった。
「ごめん、もう行かないと。お母さんが心配するから……!」
だからその場から逃げた。
また来てとは言われなかったので翌日は病院に行かなかった。
十日ほど経ったある日、祖父が死んだ。お通夜とお葬式はそれなりに大変だった。
光悟は火葬が終わって骨になった祖父を見て、なんだか複雑な気持ちになった。
次の休日、母がお出かけしようと言った。
映画を見てレストランに行った。好きなものを頼んでいいと言われたのでハンバーグランチにチキンがついた豪華なプレートと、デザートのアイスを頼んだ。
「最近元気ないけど、どうしたの?」
リサのことを言おうと思ったがやめた。落ち込んでいてもハンバーグは美味しかった。
食事が終わると、母は玩具が売ってるところへ連れてきてくれた。
何でも好きなものを買ってくれるというので、光悟はティクスのぬいぐるみを選んだ。
可愛かった。肌触りがよかった。光悟はぬいぐるみを抱いてありがとうと笑った。
翌日、母が家を出た。
もう帰ってくることはないと父が言っていた。
なんとなく分かっていたさ。母と父はよく喧嘩をしていたしギャンブルがどうとか、他に好きになった人がどうとか。父がその人を殴った時、母はその人を庇ったとか。
まあ離婚は離婚だ。理由なんてどうでもいい。
父はしばらく納得していなかったが、慰謝料がいらないという言葉に折れたらしい。
その後も父はギャンブル関係の雑誌を出版してるところで働き、帰りは遅かったし、帰ってこない日もあった。
光悟の面倒は祖母が見てくれることになった。
二人で一緒に祖父の入院費を病院に払いに行った。光悟は通りかかった看護師にリサのことを聞いてみた。
その人はリサが言っていた『仲のいい』人だった。彼女は、リサは死んだのだと教えてくれた。
祖母は優しかったが、料理の味は母とは違っていた。
光悟とは別の部屋で眠ったし、クリスマスには興味がないようだった。
光悟はあまり笑わなくなった。卒園式の写真も、入学式の写真も、唇を吊り上げているだけだった。目は笑っていなかった。
光悟はよく悪夢を見た。
ベッドの上でたくさんのチューブに繋がれた女の子が泣いている。痛い、苦しい、辛い。そんなリサと目が合った時、光悟はいつも目を覚ます。
苦しかったので光悟はある日、祖母に聞いてみた。
「僕は悪い子なの? 悪い子だからお母さんが出て行って、リサちゃんが死んだの?」
祖母は違うと言った。ボランティアを薦められたのは、その後すぐだった。
祖母は賢い人だったから光悟の苦しみを見抜いていたのだろう。
彼のアイデンティティを埋めるものが奉仕活動にあると思ったに違いない。
祖母はあまり外には出たがらない人だったが、それでも光悟を連れて町のゴミ拾いに参加した。
それなりに拾った。町の人に偉いねと言われた。名前も知らないおじいちゃんにありがとうと言われたから、その後、自分に出来そうなボランティアがあれば積極的に参加した。
ありがとうと言われれば母が帰ってくる気がして、夢のあの子が泣き止んでくれる気がして。
四年生の夏、光悟がボランティアに行こうとすると、祖母が珍しく横になっていた。
具合が悪いと言う。熱中症だといけないので安静にしているように告げると、光悟はボランティアに行こうとした。
そこで祖母に呼び止められた。しかしすぐに何でもないから行けと言われた。
珍しく歯切れの悪い態度に少しだけ違和感を感じたが、時間もあるので家を出た。
帰ってくると祖母が息をしていなかった。すぐに救急車を呼んだが間に合わなかった。
心臓の血管が詰まっていたらしい。光悟は自分を責めた。なぜあの時にもっと祖母を気遣ってやれなかったのか? 火葬された祖母を見ると、身を焼かれる思いだった。
父は光悟のせいではないと何度も言った。あれが祖母の寿命だったのだと説明した。
だが光悟は納得がいかなかった。あの時も、あの時だって、もしかしたらあの時もそうだ。
自分はいつも取りこぼす。そんな後悔の中で家に帰ると、自室に見知らぬ封筒が置いてあった。
それは祖母が残した手紙だった。遺言ともいう。
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愛しい光悟。
もしも私の身に何かが起こったとしても、それは光悟のせいではないよ。
これは全て私のワガママ。お前をどうしても行かせてあげたかったし、家族に迷惑がかからない選択をしたかった。それでもお前は優しいから、きっと自分を責めるだろう。
だからお前はこれからも奉仕活動を続けなさい。
一人でいる時も正しいと思ったことを続けなさい。
妥協してはダメ、諦めるのはもっとダメ。馬鹿なことをしていると思うのは一番ダメ。
とにかく困ってる人がいたら絶対に助けなさい。少しでも世界がよくなると思ったことをしなさい。
私の時代よりはずっと良くなったが、それでもまだ世界には不幸が渦巻いている。今日もどこかで誰かが泣いているのをTVや新聞で見たよ。
助けを求めてるんだ。だから貴方に悲しみの連鎖を断ち切ってほしい。
正義の男になれ光悟、お前は全てを救う存在になりなさい。
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その日から、光悟は『ティクス』になろうとした。
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