第一章 Hope
第1話 ある夏の日
死にたくなるほどの青い空だった。
「アイス、買ってきたんだ。食べるか?」
コーポ円森、304号室の玄関前で、
「……まあ、入れや」
今日はセミがうるさい。扉を開けるとムワっとした熱気が入ってきた。
光悟が住んでいるのは404号室。
それもあってか二人は保育園の頃から家族ぐるみの付き合いがあり、小学校や中学校、高校だって一緒だった。
「昨日から夏休みだな」
光悟はアイスを齧りながら部屋の中をグルンと見渡してみた。
壁の至る所にアニメのポスターが貼ってあり、棚には魔法少女のフィギュアがズラリと並んでいる。
「おい光悟ッ! 前にも言ったけど右から二番目のフィギュアにだけは触わんなよ! オレの推しキャラなんだ! ガチ恋してんだ! 声優が結婚したらオレは死ぬ!」
「和久井、いけないぞ。死ぬなんて言葉を簡単に使うなよ」
「……そういえばアレだな。昨日ウチのババアから聞いたんだけどよ」
「和久井、いけないぞ。自分の母親のことをババアなんて言うなよ」
「オレの母さんがッ! 言ってたんだけど! すげぇ雷がマンションに落ちたって!」
「ああ。俺は実際に見たけど光の柱みたいだった。一本の白くて太い雷と、そこから細い電撃がいくつか枝分かれしていて……」
「停電にならなくて助かったぜ。ゲームができなくなるとか自殺するレベルだわ」
「和久井、いけないぞ。自殺なんて言葉を簡単に使うなよ」
「………」
和久井は舌打ちを零し、食べ終えたアイスの棒をゴミ箱へ投げ捨てた。
そもそも、そもそもだ。同じマンションだからといっていつまでも仲良しとは限らない。
少なくとも今現在、和久井は光悟のことが大嫌いだった。
それもこれも全てこの面倒なやりとりのせいだ。
正義病。和久井は光悟の融通の利かない真面目な性格、行き過ぎた正義感をそう名づけた。
たとえば以前、五円玉が道に落ちていたが、光悟はそれを律儀に拾って交番に届けていた。
一度や二度じゃない、どんな小額でも落ちていれば必ず交番に届けるのだ。
ゴミにしてもそうだ。
道に落ちてるなんだかビシャビシャに濡れてる汚いヤツだってしっかり拾って近くのゴミ箱を探していた。
おっと、迷子を忘れちゃいけない。泣いている女の子を慰めながら二時間もママを捜索だ。それも修学旅行の朝に。
おかげでバスに乗り遅れて東京行きを棒に振っていた。
しかも正義病は自身の行動だけにとどまらない。
小学生の頃、ブサイクだったり汚そうな子供に触られると、●●菌を移されるということで別の人に触って移しあうイジメが流行った。
和久井もたくさんの人に移したし、移されたりもした。だが光悟は一切そうしたノリに加わらず、タッチされたらそこでおしまいにするのだ。
盛り下がるったらありゃしない。
結局、光悟の中には高田菌と山崎菌、谷岡菌、その他もろもろの菌が混入したままとなり、当時のあだ名はバイオハザードだ。
(思い出したぜ光悟……! 運動神経が皆無だったから大玉転がしで轢き殺されかけ、玉入れで腕の骨にヒビが入り、弁当の時間に貧血で倒れた有田のことをお前は馬鹿にしなかった。あんなゴミ野郎はスクールカースト最下位になってしかるべきなのに!)
――これも思い出した。
スイカをおかずに白飯をバクバク食ってたトモヤンのことも、お前は気持ち悪いって言わなかったな。アイツは異常者だ。スイカの汁で赤くなったご飯を美味そうに食ってた。気持ちわりぃ! おまけにそのことを指摘すると――
『え? だってスイカは野菜だし……。塩もかけて食べるじゃん』
何が「食べるじゃん」だ。やかわましいわバカタレが!
いじめるられるべきだろあんなヤツ。でも光悟、お前は馬鹿にしなかった。
あぁそうだ。あと鬼ブスの村瀬のことも褒めてたっけ。アイツは女のくせに腕の毛が凄かった。
お前はアイツのことを良い子だとほざいてたが、オレは大嫌いだったぜ。アイツの腕のホクロから一本だけ伸びてる太い毛がいつもオレをイラつかせてた!
(そのくせテメェはいつも目が笑ってねぇんだ。それもムカツクぜ……!)
今だって些細な言葉をいちいち拾って指摘してくるのもイライラする。こうなったら何か光悟を困らせたりする方法がないだろうか?
しばらく考えていると、一つ、良い案が思い浮かんだ。
和久井はすぐにPCに触れ、とあるゲームを起動させた。
「何をしてるんだ?」
「オンユアサイドっていうギャルゲーだよ。十八年くらい前のもんでな、二千本ほどしか出回ってなかったレア物なんだ。この前ネットで見かけて即購入よ。この手の作品は今やソシャゲに食い殺された感じもするけど、やっぱり当時は主流だったんだ。クリエイターたちが自由にいろいろな物を試せた。このゲームだってボイスもないし、選択肢もない低予算だけど、コアなファンが多いんだぜ。ネットじゃたびたび話題に――」
早口で語りながらデータをロードすると、何度かクリックした後に画面を見せつけた。
すると光悟の表情が瞬く間に曇る。というのも、そこに映っていたのは死体の画像だったからだ。
もちろんイラストではあるが、目を逸らしたくなるほど猟奇的であった。
涙を流した少女に群がるヴァイラスという化け物たち。
トラバサミのように鋭利な牙で食い破られたのだろう。皮膚が抉れ、内臓が零れ、肋骨がむき出しになっていた。
「このゲームはな、ファンシーな絵柄とは裏腹に猟奇的で残酷なシーンが多いんだ」
昔は表現規制もゆるく、特にグロテスクな描写には力が入っていたようだ。
序盤はやわらかな雰囲気を出しておいて、それを残虐性のあるシーンで一転させてからはハードな世界観を展開していく。
そういう『騙し』の手法を取り入れている作品は珍しくない。和久井が好きな魔法少女のアニメだって序盤でコメディかと油断させて、四話でお姉さんキャラの頭部が吹っ飛んで死んだし、そういう演出なのだ。
光悟は残酷な話が苦手だった。人が死ぬシーンでは本当に心を痛めているようだった。
「だからあえて見せたんだ大馬鹿者! 地雷ジャンルにて脳を破壊されるがいいわ!」
「残酷すぎる……! 俺には理解できない」
「素人め。残虐性と対比するように美しい作画や風景が、このゲームの魅力なのに」
そこでふと、光悟の表情が変わった。真顔で和久井の傍にやってくる。
「このゲーム、俺にやらせてくれないか?」
「へ? な、なんだよいきなり」
「パピを助けたい。死ぬ間際に助けを求めてたのが見えた」
助けを求めてた? 和久井はうんざりしながらゲームのバックログを確認してみる。
パピとは先ほどの画像の少女、つまりモンスターに食い殺された女の子だ。
【パピ】『いやぁあ! 死にたくない――ッ! たすけて、たすけてよ!!』
確かにそんな台詞はあったけども……。
クリックで文章読んでくだけのゲームなのだからプレイヤーがアクションを起こしてキャラクターの運命を変えることはできないわけで。
「でもこの前ネットで見たんだ。十年前に発売されたゲームの裏技が今になって発見されたって。だからオンユアサイドにもパピが死なない裏技があるかもしれない」
「無理だっつうの! 前から馬鹿だとは思ってたけど、ここまでとは思わなかったぜ」
「和久井、いけないぞ。人のことを馬鹿とか簡単に――」
「わーったよ! やれよ貸してやッから! オレはもうクリアしたから好きなだけよ!」
「ありがとう! でも遊び方がわからないから部屋までついて来てくれ!」
和久井は苛立ちに叫び、頭を掻きむしりながら404号室に向かった。
「相ッ変わらずだな、オメー!」
上も下も間取りは同じだ。
和久井としては子供部屋の場所が一緒なのもムカツク話だった。
下がアニメや声優、ゲームのグッズまみれなら、ここは特撮ヒーローのグッズだらけだ。
まあ一口に特撮と括っても巨大ヒーローだったり、怪獣だったり、等身大ものだったりと、興味のない人間から見たら同じようなものでも、大きな隔たりがあったりするものだが、光悟はどれも好んで見ていたし、グッズも集めていた。
なかでも『極光戦士ティクス』がお気に入りらしく。ベッドの上には三頭身くらいにデフォルメされた大きな『ぬいぐるみ』が座っていた。
和久井としても、光悟がこういうものにうつつを抜かすのは人間らしさみたいなものを感じられて安心できた。
脚本家の「ビボブベボビ鬼」氏は人間の中にある善意と悪意が~だとか、鮭本監督は独特のカメラアングルが~だとか、オタクらしい早口も聞いたことがある。
まあ、とはいえ――
「特オタとか気持ちわるッ! 早く卒業しろよガキが」
「和久井、いけないぞ。人の趣味を否定するのは。極光戦士ティクス第二十八話でもティクスが好きなものはどれだけ時間が経っても大切にしろって言ってたんだ」
オンユアサイドには違法ダウンロード防止のためにディスクをPCにセットしていないと遊べないという機能があるので、準備をしながら操作方法を教えてもらう。
その間も和久井は呆れ顔のままだ。手早く
まあだが、こういうケースは初めてでもない。光悟は昔からゲームで遊ぶと、和久井がザコだの使えないだのと扱き下ろしたキャラクターをどうにかして活躍させてやろうと奮闘していたものだ。不遇なキャラクターに情を移すのは誰だってある。ただ光悟の場合はそれが過剰というか、洒落が通じないというか。
そうしているとゲームが起動する。光悟は深く椅子に座って画面を睨みつけた。
「パピを助ける」
(アホくせぇ、何が助けるだよ、恥ずかしい奴だぜ。まあしばらくしたら諦めるだろ)
そして画面が光った。タイトル画面に重なる円形の魔法陣。
(……あれ? こんなのあったっけ?)
和久井が目を丸くしている中で、光悟は無意識に右腕を伸ばしていた。
何かに呼ばれている気がして、掌を画面の魔法陣へ重ねていたのだ。
「へ?」
光悟が、消えた。キョロキョロと辺りを見回してもどこにもいなかった。
変化があるとするなら、椅子の上にあるクッションに先ほど画面に映っていた魔法陣が刻まれていたくらいか。
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