四の幕 先触れ 如何なる訳か、彼女は去りて

借りは返さなければならないものだ。

忘却の彼方にあっても、過去は追いかけてくる。

未来を夢見ようとも、過去に縛られる。

自由を夢見るならば、清算しなければならない。


これが私の義務である。

これは私だけの義務である。

私だけが、唯一生きのこってしまったのだから。


・・・・・・


(彼を知ればすべきことも決まるのだけど、なかなか尻尾を出さないものね)


唐突に私を襲った不安から目をそらすため、ちょっとした企みへ意識を向けた。

酒場で出会った二人との会話ではなく、任務を共にした彼を思い起こすため。


謝罪の言葉を手に追いかけるには、私の中のわだかまりはまだ大きすぎたから。

感謝の言葉は言い足りないと思いつつも、言いたくないと私の中に逡巡があるから。

明日になれば、明後日になれば、きっと落ち着くのだと言い聞かせながら。


それでも、彼が見せた根拠のない希望がチクリと胸を刺す。

それでも、彼が言い放った現実の重みで、このざわめきを押さえつける。

そうして、酩酊に和らげられたちりちりとした感情を携えたまま隊舎へ戻った。


「ただいまー。って、あれ、誰もいない?」


隊舎の一室。自分を含めて、四人の隊員で共有するようになった部屋。

他の三人の一人くらい入るかと思えば、誰も居らず。

しかもその一角、一人分の場所がぽっかりと空白になっていた。

何があったかと思いながら自分の場所に目をやって、私は置かれたものに気づいた。

それはいつかに渡した刺繍布に一瓶の酒と、一通の書置き。


「んーと……」


書置きを読み終えて、ため息をつく。

けれど休まらない、入室前の感情を吹き飛ばした思いが巡る。

破裂してしまいそうなそれに耐えられず、私は誰もいない部屋に言葉をぶちまけた。


「まぁ、そう。そうよ。」

「相手の心の中なんてわからないけれど、別に知る必要なんてないじゃない」

「言いたいことだけ吐くのろいの言葉なんて、相手に響かせたいわけじゃない」

「せめてまじないにしたいけれど、えぇ、そうよ。私は、落伍者だもの」


勢いに任せて言葉を吐き出す。

誰もいないのだ、突き付けた言葉は跳ね返って私にだけ刺さる。

だから、言い方のとげになど気にはしない。

酩酊と違って、何も変わりはしなかった。


「……と、よし終わり!堪えるなら明日も飲む!」


そのまま、置かれた酒瓶から目をそらしたまま、誰もいない部屋に決意表明をして。

それでも、ぶちまけた言葉がほんの少しだけ心を落ち着かせたと思い込みたくて。

目から流れたものなど気にせず、私は倒れこむように眠りについた。


酩酊のおかげか、夢は見なかった。


・・・・・・・


「言ってくれれば力になるっていうのに」


明くる朝は、わたしは動かなかった。

放っておけば、あの子が引っ付いてくるかもしれないと思ったから。

放り出しておかなければ、わたしは耐えられないかもしれないと思ったから。

けれどあの子はただ距離を置くばかりで、視界の端に映ることすら僅かだった。


なら、探し出してやろうじゃないか。

何があったか言うでもなく、そのくせ、清算にしては過剰な贈り物を添えた彼女を。

借しには返さなければならないのだ。

返せなくなってしまっては遅いのだから。


「ま、わたしにできることなんてあまりないけれど」


誰ともなく呟いてから、わたしは暇そうな顔を探しては彼女につながる話を探る。

少し前までどこにいた?魔海に漕ぎ出で戦った。

一体全体何のために?失った兄を探すものを助けるために。

結局彼女らどうなった?取り戻すことはかなわず、もう一度船出の時を待っている。


「さて、何とか間に合わせるとしましょう」


お人好しのくせして、わたしに寄りかからなかった彼女に借りを返すために。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る