序の幕 混沌戦線

潮の香りにも、変わらない空と海の青にも飽きてきたころ。

ようやく船旅の終わりを船員が告げた。

砂塵ばかりの沿岸だけが見えていた彼方に、石と幾らかの木材の建物が並んでいる。


(ここが、依頼の”混沌戦線カオスフロント”か……)


暗黒大陸と呼ばれ、聖印を持つ君主たちによる征戦の続く地の中で異例といえる街。

混沌による異界律の侵蝕に耐え、この地の人々が生を繋ぐ地。

大陸に比べれば貧しくも見えるここは、しかし数少ない安定した大集落なのだ。


「御前ぇら、積んだ荷物は盗られてねぇだろうな」

「んなヌケサク、とっくにくたばっちまってらぁよ」

「それもそうか、とっとと運ぶぞ」

「アルエットも、ぼさっとしてんなら置いてくぞ」

「あいよ、わかってるっての」


笑いながら古株たちはそれぞれの荷物を取り上げ、船を後にする。

一部の例外を除いて、傭兵の荷物なんて価値も数もたかが知れている。

それでも命の次の宝物だ、用心を欠かさぬまま案内のあとをついていく。


「それにしても、集落の規模の割に港が小さいな」

「出す船は漁のためだったんだろ、やりとりの相手もいなかったろうしな」

「なるほどな。ってもでっけえ船もいたろ」

「あれは幻想詩の軍船だ。もっとも、偉いのは乗っていなさそうだが」

「そういや、他所のもくるんだっけか、東方の小大陸のに、一角獣の残党に」

「混沌渦の海賊と竜の巣の銀朱、教会の十字軍まで一緒にな」

「よくもまぁまとめたもんだよな、ええと、幽幻の血盟だっけか」

「大したものだ。その主は、いったいどんな傀儡回しなんだかな」


そうしてぐだぐだと駄弁りつつも、逸れることもなく皆ある建物の前につく。

石造りの、随分と新しく見えるその建物の前には褐色の少女が立っていた。


「よく来たな、鋼球走破団の諸君」


(随分と偉そうな態度だ、此処の領主の娘か?)


口には出さず、けれど私はその少女をいぶかしむ。

隊内でも前方の幾人かはざわついているようだが、理由は見当もつかない。


「雀蜂の魔境で顔を合わせていたものもいるが、改めて名乗らせてもらおう」

「我が名はソフィア・バルカ。この街と、幽玄の血盟を率いるものであり」

「貴様らの依頼主じゃ、精勤を期待する」


見透かしていたかのように、彼女は自らの名を示す。

それを聞かされたわたしたちが慌てて背筋を伸ばすのを見て、彼女は破顔していた。

慣れているのか、器が大きいのか、あるいは両方か。


「人は見かけによらぬものよ、若くして貴様らを束ねる彼のようにな」

「さて、この建物については管理人に任せておる。壊さぬ限りで好きにせよ」


そう言って彼女はその場を去っていった、あくまで顔見せが目的だったらしい。


「あれで三千人扶持だんしゃくは下らない聖印の持ち主なのか」

「あの結界を作り上げたんだ、その程度で済むかも分かんねぇよ」


彼女とは以前大陸北方で遭遇している、もっとも顔を合わせたのは隊長くらいだが。

そのとき彼女は結界により二所を入れ替え、魔境の発生を防ごうとしていたらしい。

あのときは事情を知らぬ異国の依頼で赴いたわたしたちに破壊されてしまったが。


「ま、あんときの魔境よりきついかは分かんねぇし」


結局、増大する混沌に対処するため、その時はあえて無人の海面で収束を促した。

その時現れたのが”雀蜂の魔境”であり、近海の領主らと共に浄化を果たしたのだ。

今回の依頼も、思えばその縁もあるのだろう。


「そうだな。とはいえ油断できるものじゃないだろう」

「お前は特にな、四年もここで生き残ったくせにどうにもよわっちい」

「言わないでくれ、分かってはいる」


軽口をたたきつつ、彼とは別な建物に移る。

相互の監視か交流の促進か、同じ敷地の中に複数の陣営の宿舎を宛がったらしい。

一方で、男女はおおむね分けることになったようだ。


(他所からも女戦士が来る……か、戦力より、浄化の資質を優先したのか?)

(ともすればいつか街の脅威になる異邦人に分け与えてでも浄化を急ぐ)

(ここは……本当に混沌こそが一番の脅威なのだな)


聖印、あるいは邪紋、そしてこの地では役に立たないが、魔法。

そうした力によって、男女いずれにせよ戦力となりうる。

だが、そうはいっても筋力などの差から、ただ戦うだけなら男を好む例も多い。


(あるいは、そう思わせることで多くの助力を狙ったか。推測するだけ無駄か)


そもそも、推測するための材料は全く足りない。

見た通りとは限らない、先程のことを思いだしたわたしは自身の部屋を目指した。


・・・・・・


わたしたちは3,4人に一つ、幾人かは倉庫番や誰何番に立つため個室を与えられた。

わたしは3人部屋だったはずだが、まだ他の二人の荷物はない。

一人が荷物持ちだったことを思えば、荷運びを手伝っているのだろうか。


(ま、そうはいっても今から探しても入れ違うだけか)


そう思い、わたしはいくらかの金と交換できそうな手ごろな品を持って隊舎を出た。

彼女らには、適当な土産でも見繕えばいいと思って。

そうして酒場で時間を過ごし、混沌戦線の初日は戦いもなく過ぎたのだった。


少なくとも、このときはまだ町は静かだったのだ。

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