第17話 HS-1当日

 新宿の駅ビルの最上階にある『RMNホール』は東京のお笑い聖地と言われ、毎日なにかしらのお笑いのイベントが行われている。収容人数は一五〇人。

 本日の開催は学生大会の『HS-1』のしかも予選ということで『入り』は七割程度。開演前の客席には弛緩した空気が漂っていたらしい。が。

「な、なんかすげえな……ここ」

 控室は異様な緊迫感で満たされていた。

 現在時刻、十三時十五分。開園時間は十五時。

 すでにほとんどの出演者が控え室に集結している。

 本日、大会に出場するのは二十組四十一名。

 そいつらが全員同じ控え室に詰め込まれているから狭いのなんの。イスすらなく畳に全員じか座りという扱いである。

 我々西町川高校もそのすみっこに座っていた。

「……」

「……」

「……」

 いつもはクソやかましい我々が終始無言。

 都子はもともと自分からベラベラしゃべるほうではないが、サシャもこの雰囲気に呑まれて、昨日せっかく立て直したメンタルが元に戻ってしまっているようだ。――それに。

「淳のやつ。遅いなあ」

 ある意味ムードメーカーである淳が来ていないことも、この重苦しい雰囲気の要因となっていた。

「珍しいな。あいつが遅刻なんて」

 まあ最悪、スタンバイに間に合えば問題ないとは思うが、一応伝えられている集合時間の十三時はすでに周っている。

「ハッ! もしかして! アッチャンなにかあったんじゃ……!」

「――!! 俺電話して――」

 などと騒いでいると。

「おはようございまーす!」

 元気のよい声と共に入口のドアが開いた。

「あっ! みんなー! ごめんねー遅くなっちゃって」

 こっちを向いてブンブン手を振っているのは淳。

 謝罪の言葉を述べながらも大変よい笑顔。いつもながらマイペースなやつである。

 が。しかし。いつもと違う所がひとつ。

(珍しい格好だな)

 グレーのパーカーにダボダボのイージーパンツ、それにチャラチャラしたニット帽なんか被って、まるでラッパーみたいな格好だ。

「アッチャン! 遅かったじゃないデスか!」

「心配したんだぞ」

「いやー心配かけて申し訳ない! ちょっと準備に手間取っちゃって。昌太郎もごめんね」

 そういって俺に目配せをしてくる。

「それは別にいいんだけど。どうしたんだその格好? そんなニット帽なんか被っちゃって」

 すると淳はよくぞ聞いてくれましたとばかりにニヤリと笑った。

「実は。これを準備してて遅れちゃったんだ」

「ん? ニット帽を買いに行ってたってことか?」

「ふふーん。違うよー。ほりゃ! これを見よ!」

 そういうと淳は頭のニット帽を引っこ抜いて見せた。

「――――――――ああああああああ!?」

「おわああああああああああ!!!!」

「WHAAAAAAAAAAAT!?」

 三人同時に声を上げた。

 淳の頭が。見事なスキンヘッドに変化していたからだ。

「なぜ!? どうして!?」

「だって僕がやるのってお坊さんの役でしょ?」

「カツラが用意してあっただろう!」

「いやあ。やっぱりカツラじゃイマイチ気分がお坊さんにならなくてさー。ってゆーかぶっちゃけ一回お坊さんになってみたかったってゆうの? だってかっこいいじゃん」

 と淳がホザいたところで。

「ブッ!!! アハハハハハハハハ!」

「おめーすげーな!」

「そこまでやるか!?」

 控え室を爆笑が包んだ。

 この笑いは観客席にまで届いていたらしい。

「やべーこいつ本物のバカだ!」

「ある意味かっけえ!」

 俺たち三人もつられて笑ってしまった。

 淳も自分の頭をペチペチ叩いてこの笑顔である。

「はーウケる。こんなバカ初めて見た」

「あんたホントおもしれえな! かわいい顔してその間違った芸人魂!」

 みんな淳のことをスゲー馬鹿な面白いやつと捉えたらしいが、俺は違った。

 ヤツはみんなを鼓舞するためにやってくれたに違いない。

 そう確信していた。

「おいサシャ」

 俺はヤツのわき腹をつついた。

「やるしかねえぞ。こうなったら」

「OK。アッチャンのハゲは無駄にはシマセン! 全員ブチ笑わせマス!」


「エントリーナンバー三十一! 湘西高校のお二人でしたー。ありがとうございますー!」

 ――出番を待つことおよそ一時間。

(いよいよか……)

 前の奴らの漫才が終わり、舞台が暗転した瞬間。

(準備開始――!)

 司会の人がトークで繋いでいてくれているスキに、俺たちはものすごいスピードで小道具たちを舞台に並べた。

(よしOK!)

 準備OKである旨をスタッフさんに伝える。すると。

「おっ。準備完了のようですね。えーお次はエントリーナンバー三十二! 今回唯一の四人コンビ! 西町川高校のみなさんです!」

 舞台が明転する。壇上の四人は全員、お坊さんが着るような袈裟を着ていた。

「南無妙法連華経……」

 淳は舞台の左端に横向きに座って、ポクポクと木魚を鳴らしながらお経を読んでいる。

 俺とサシャは客席のほうを向いて座布団に座り、目を閉じて座禅を組んでいた。

 都子はその後ろを警策を持ってうろうろと巡回している。

 舞台裏からは多くの出演者たちが覗き見ていた。淳の勇気ある行動により注目度が上がっているようだ。

(――さて。まず動くのは俺だ)

 俺はワザとグラっと姿勢を崩して見せた。すると。

 ――ビシッ!

 都子が警策で俺の肩を叩いた。

 これはもちろん笑いを取るためのものではない。見る側に対して、体勢を崩したりすると肩を叩かれるというルールですよ、ということを説明することを意図したものだ。

(――さて。本番はここからだ)

 次に動くのはサシャ。星条旗柄の袈裟を着て座禅を組んでいる絵面はとりあえず面白い。

 彼女は右手を口にあててウインクをしながら、ひそひそとつぶやくように――しかし会場全体に届くような音量でこのようにホザいた。

「修行の途中ですが、アメリカンジョークのお時間です」

 客席には笑いというよりもザワめきが発生した。

 サシャはいつもの調子でアメリカンジョークを紡ぐ。

「こういうのはいかがデスか?

 資産家の老人ブラウン氏が、若く美しい女性と結婚することになりました。

 ブラウン氏の友人が彼に疑問を呈します。

『いくら資産家とはいえ、よく七十歳のキミが二十代の娘と結婚なんかできたな』

『ふふふ。年齢を偽ったのさ。二十歳もね』

『ええ? 五十歳だって言ったのかい?』

 ブラウン氏はニヤリと笑いつつこう言いました。

『いいや。九十歳だって言ってやったのさ』」

 すると。

 ビシーーーーーー!

 会場全体に乾いた打撃音が響き渡った。

 剣道二段、露山都子による強烈な一撃である。

「ジーザス!!」

 サシャはお寺でキリスト教の教祖の名を叫びながら前方につんのめった。

「OH! GOD! 思ったよりイタタタですね」

(よしここだ!)

 俺はサシャの耳元でぼそぼそと、しかし客に聞こえるような音量でつぶやいた。

「HEY! お寺はアメリカンジョークを言うところじゃないぜ」

 淳に言われたとおりの素の言葉でのナチュラルなツッコミである。

 これに反応してぼんやりとだが笑いが発生。少々の手ごたえがあった。

(――よし)

 サシャはそれに対して「わかった」と手でOKサインを作る。

 ――が。次の瞬間。

「えーそれでは。お次のアメリカンジョークを発表致します」

 その一ミリも人の話を聞かない言動により、さきほどより大きな笑いが発生した。

(いいぞ! いけサシャ!)

「こんなのがあります。

 新婚夫婦のベッドの上での会話。夫がこんな話を切り出しました。

『僕たちもそろそろ夜のサインを決めようか』

『ええ……いいわよ』

 妻は少々恥じらいながらもコクリと頷きました。

『解りやすいところで、その気があるときは僕のアレを一回握るっていうのはどうだい?』

『うん……分かったわ。逆に疲れているときは?』

 夫は少し考えてこう答えました。

『僕のアレを……五十回握るっていうのはどうだい?』」

 ここでサシャが大好きな下ネタが炸裂。

 これに対して都子は。

 ビシ! バシ! パーーーーーン!

 左肩に一発、右肩に一発、さらにほっぺたにも一撃を見舞った。

 あまりに見事な早業にどよめきと笑いが同時発生した。

(計算どおり! 都子の『殺陣』が笑いを産み出した!)

 俺はすかさずサシャに耳打ちを入れる。

「あの人。シモネタ嫌いみたいだよ」

 サシャは頭を掻きつつ、ペロっと舌を出して見せた。

 ――だがもちろん。

「えー。めげることなくアメリカンジョークをご披露したいと思います」

(よし! どんどん笑いが大きくなってきている!)

「アメリカではブロンド=バカというのが通説でして、実際バカが多いのですが――」

 今度は得意の自虐ブロンドジョークだ。

「こういうのがあります。

 ブロンド女性のメアリーがワインを傾けながら、。

『私って天才だわぁ♪ 私は天才♪ 私は天才♪』

 などと悦に浸っていました。なぜかと尋ねると彼女はこう答えました。

『だって私ってば、この普通は三年かかるジグソーパズルをたったの三ヶ月で完成させちゃったのよ♪』

 そのジグソーパズルの箱にはこう書かれていました。『3Years(三歳児向け)』」

 都子は「ハッ!」などと気合の声を上げながら高くジャンプ。

 サシャの頭に思い切り警策を叩きつけた。

 すさまじい打撃音に、笑いとちょっとした悲鳴が漏れる。

 俺はすかさずサシャに耳打ち。

「本当にバカになっちゃうよ?」

 ――――――――ドッ!

(よし! もうドッカンドッカンきている! このまま無事に終われば!)

「えー命をかけて! お次のアメリカンジョークを披露させて頂きたいと思います!

 日本語勉強中のボブがタカシに尋ねました。

『死体と遺体ってどう違うんだい?』

 するとタカシは下品な笑いを浮かべながら答えました。

『そりゃあおまえ。初めてのときのオトコとオンナの違いだよ』

『どういうこと?』

『男はシタイ、女はイタイってね』」

 都子は一旦舞台袖にハケると、すさまじいスピードでサシャに向かって突進。

 前方宙返りをしながら警策でサシャをしばいた。

 笑いだけでなく、女性からのカッコイイ! などという声も聞こえてくる。

 俺はサシャに言った。

「お寺でそのネタは! サイアク!」

(よしあと二個……!)

「意識が朦朧として参りましたが、もうひとがんばりさせて頂きます。えー。こういうのがあります――」

 だが。

「えーっと――」

 サシャは放心した顔で口をパクパクさせている。

(げッ! こいつ! ネタ飛ばしやがった!)

 俺は気づいたら座布団から立ち上がっていた。

 そして。

「忘れてんじゃねええええよ!」

 とサシャを座布団でひっぱたきながら生の感情をぶつけた。

 その瞬間、今日一番の爆笑が巻き起こる。

 さらに。

「おまえが強く叩きすぎなんだよ!」

 都子の頭にも座布団をブチかまし素の怒りをぶつけてやった。

 すると都子はすまなそうな顔で警策で自分の額を叩いて見せる。

(おお! 都子のアドリブ!)

 ――なんとかごまかした(?)ところで俺は座布団に座りなおした。

(さあラストだ! いっちまえ!)

 とサシャに目で合図を送った。

「えーいよいよ最後となってしまいましたが――」

(今度は飛ばすなよ!)

「わが国アメリカの大統領のロナルド・トリンク氏。彼はなかなかユーモアがありますが、自分のカツラのことをヒタ隠しにするのはイタダケませんねえ。もっとオープンにするべきデス! そんな彼にはこんなジョークをお伝えしたい!

 ボブは机に突っ伏して『はあ……』などと大きな溜息をついていました。

『HEY! ボブ! なにをそんなに悩んでいるんだい?』

『キミには関係ないことさ。深入りしないでくれよ』

『わかった。深入りはやめるよ。ところで。キミちょっとハゲた?』

『深入りしてるじゃねえか!!!』」

 最後のジョークが炸裂した瞬間、都子は頭上に警策を構えた。

 だが。それでサシャを打つかと思いきや、都子はそいつをポーンと舞台左方向にほおり投げた。そしてそれを突然走りこんできたカワイイ顔のお坊さんがキャッチ! そして。

「ハゲをバカにするな!」

 とサシャの頭を思い切り引っぱたいた。

 すると。彼女の頭から金髪のカツラが飛び、下からツルツルの頭が出てくる。

「オーノー! マイウィッグ!」

(決まった――! 大落ち――!)

 ――舞台は暗転。

 会場は大きな拍手と歓声に包まれた。

 暗闇の中、俺たちは汗まみれになった顔を見合わせる。

 そしてまったく同時に、大きな安堵の溜息をついた。


 夕方の十七時。イベントは終了。

 会場を出ると外はすっかり夕焼け空になっていた。

 俺たちは三位入賞の賞金五千円を手に家路につく。

「いやー終わった終わった!」

「うまくできたよね!」

「急遽変更した大オチも見事に決まったしな」

「ほんと。私も肩の荷が下りた。なんだか体が軽いようだよ」

「うん。ボクも頭がさっぱりした!」

「それは物理的なイミでか?」

 俺と淳、都子の三人はさわやかな笑顔を浮かべる。しかしサシャは。

「うううぅぅっぅぅぅ……」

「ったく。まだ気にしてるのかよ」

 サシャはいまだにネタを飛ばしたことを引きずっていた。

「だから言ってるじゃねえか。アレはむしろよかったって。客もそういうネタだと思ってくれたよ」

「でも。シンサインさんにはきっとマジのネタ飛ばしだとバレてましたよネ? あれがなければ一位だったかも……」

 ――まったく。こやつはときおりこういうナイーブさを発揮するから困る。

「あれだけの長いセリフがたくさんあったんだから仕方ないさ。たぶん今日出場した中で一番セリフ多かったんじゃないか? むしろよく他のところを間違えなかったよ」

「ウーン……そうかなあ?」

「それにさ。一位と二位のやつらの漫才はすごかったよ。俺たちみたいな変化球コントとは違う本物のべしゃりって感じだった。どっちにしろ一位はきつかったんじゃないか?」

「それは確かに思いましたケド……」

「なんにせよ。リベンジしてやりゃあいいさ。本戦は五月五日。まだ一ヶ月あるんだからさ。それにまた半年後、秋にもやるぜ。そのときはあんな風な漫才に挑戦してみてもいいな。俺といっしょにやるか?」

「う、うん。それはやってみたい」

「じゃあ。それに向けてがんばろうぜ」

 そこまでフォローしてようやくサシャは笑顔を見せてくれた。

 淳と都子が二人して「お前もたいへんだな」というようなことを言って笑った。

「しかし。予選で賞金が出るってのは太っ腹だけどさ。その賞金が五千円ってどうなのよ?」

 ペラペラの封筒をヒラヒラさせながら呟いた。

「たしかに。太っ腹なのかケチなのか分かりませんネ」

「どうするかあこの五千円。これで飯でも食って帰る? 豪華ディナーというわけにはいかないけど」

 俺がそういうと、都子が嬉しそうに提案する。

「それなら! ラーメンを食べに行こう!」

 俺、淳、サシャの三人は全く同時に叫んだ。

「賛成!」「いいね!」「ラーメン食いたい! めっちゃ食いたいデス!」

 俺たちは駅前のラーメン屋で、一人一二〇〇円ぐらいするちょっと豪華なラーメンを注文した。みんなまるで賞金一千万円でももらったかのように幸せそうな笑顔でそれを食べていた。

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