第16話 本番前日

 ――そして。

 連日夢中になって稽古に励んでいる内にあっという間に本番の前日を迎えてしまう。

 この日の稽古は午前中で終え、午後は本番に備えてゆっくり休む。という予定であった。

『こんばんは。THE美食遺産ナビゲーターの滝川カレンです』

『わあ、なんでしょう。このタッパーに詰め込まれた謎の白い粉。ちょっと法律に違反した調味料を食材にふりかけていきます』

「……」

「……」

 午前中の稽古を終えた後、俺は家でサシャと一緒に溜まったお笑い番組の録画を消化して過ごしていた。のだが――。

「なんか……落ち着きませんネ」

「うむ。まったく内容が頭に入ってこん」

 いつもはTHEゲラである両者に、このときばかりはまるで笑顔がなかった。

「――どこかお出掛けでもしましょうか」

「うん。そのほうがいいな」

「ハーイ。じゃあ着替えてきます」

 サシャは部屋をいそいそと出ていった。

 俺も着替えをしなくてはならない。

(そういえば。都子以外の女の子と二人でお出掛けなんて初めてだな)

 さっきよりもさらにそわそわした気分になりながら、俺が持っている中ではまあマシなシャツに袖を通した。


 最寄りの西町川駅から急行で一駅の新町川駅に繰り出す。

 立地は中途半端だがかなり栄えた町で、まあここに来ればだいたいのものは揃うし、一日遊ぶのに困ることはないと言っていい。

「OH! 人がいっぱい! シンヨコハマもすごかったけどココもなかなかですね」

 サシャはいつもの全身星条旗スタイルではなく、テンガロンハットに革のベストとデニムのミニスカート、ロングブーツという格好だった。カウガールスタイルというヤツだろうか。これもまたアメリカン要素が強いがよく似合っていた。

「ん? どうしたの? 顔になんかついてる? それとも可愛すぎて見とれてた?」

 こういうところは、本当に都子とは正反対である。

「その服似合うじゃんと思ってさ。いつもそういう感じにすればいいのに」

「……ショータローが星条旗やめろ星条旗やめろってうるさいから変えたの! でも似合ってるならよかった」

 そういって髪の毛を耳にかけながら照れくさそうに笑った。

 ……なんだか調子が狂うので話題を変えることにする。

「どうする? どっか行きたいところとかあるか?」

「ありマス! 買い物したい所が! えーっとね場所は――あっ! コッチコッチ!」

 そういうとサシャは俺の手首をつかんで引っ張っていった。

 ……ちょっと恥ずかしいけどまあいいか。


 ――買い物を終えて。俺たちはカフェのカウンター席に並んで座っていた。

「ぐふふ。手に入って良かったなあ。カワイイなあ」

 サシャが買い物をしたい場所とは『古銭ショップ』だった。

 外国人の女の子が選ぶショッピングスポットとしては大変珍しいチョイスである。

 しかも目玉商品として飾られている江戸時代の小判やら、和同開珎型の携帯ストラップやらには目もくれずに購入したのは――

「はあ。ツルさんってなんでこんなにカワイイんでしょ。それに表のソーセキサンもステキ。ゲンダイブンの授業で読んだ『こころ』面白かったですね。ねえねえ。あの話って結婚相手の女性の意向が全くムシされてて可哀想だと思いませんか?」

 このあいだラーメン屋で話していた旧千円札であった。お値段四千円。

 そんなもののどこがありがたいかねえ。と思ったが、こんなに喜んでいるのに水を差すこともあるまい。

「良かったな手に入って」

「うん! HS-1でのお守りにします! ふところに忍ばせておくデス!」

「ははは。現金がお守りとはエコノミックなことだ。まあ効果はあるかもしれないが」

「アハ! たしかにそうですね。そういえばこんなジョークがありますよ。

 ある商人が病気で亡くなった。

 葬儀に参列した仲間の商人たち三人の内の一人が、お金が大好きだった彼のために棺に一人百ドルずつお金を入れてやろうと提案。みんな賛成した。

 一人は『向こうでも元気でな』と百ドル札を投げ入れた。

 もう一人は『これを元手に向こうでも商売をやってくれや』と同じく百ドル札をほおった。

 そして最後の一人、仲間の内でも特にドケチだったヤツは、

『こいつを向こうの銀行で換金してくれ』

 そういって三〇〇ドルと書かれた小切手を投げ入れ、

『おつりは貰っておくぜ』

 と棺の中の二〇〇ドルを回収してしまいました」

 ――あまりのひどい話に思わず噴き出す。

「オッ! けっこう反応がいいですね! ……これも明日のコントに入れてみてもいいかな?」サシャがアゴに手を当てながら呟く。

「おいおい。直前にあんまりいろいろ考えないほうがいいぜ」

「……そうデスね。ゴメンナサイ。なんか不安で」

「おまえらしくもない」

 デスよね……。などと頭をポリポリと掻いてみせた。

「でも失敗したらどうしようって思っちゃって」

「いいんだよ失敗したって」

「ええ?」

「人を笑わせるってのは大変なことなんだ。芸人だって三十代までバイトしながらずっと下積み、四十代でようやくブレイクなんてヤツもいっぱいいるくらいなんだぜ。それに」

 ゴホンと咳払いをしてから言った。

「台本最初に見せたときも言ったけど。サシャなら絶対できると思ったから、ああいう台本を書いた。大丈夫に決まっている」

「うーん。キタイしてくれてるのは分かるのデスが――」

 サシャは弱々しくはにかんだ。

「そんなこと言われると、ショータローのためにますます失敗できない。とか思っちゃうナ」

 このとき俺は初めてサシャのナイーブな一面を目の当たりにした気がした。

 俺は肩をポンと叩きながら言ってやる。

「大丈夫だよ失敗しても必ずフォローするから」

「……ありがとう。そう言ってくれるとホッとします。すごく嬉しいデス」

「大袈裟な。仲間なんだからフォローするのは当たり前だろ?」

「それでも嬉しいんだモン」

 そう言うとサシャは、他の客が気づかないくらいほんの一瞬だけ、

「――なっ!」

 俺の頬に口をつけた。

「おまっ! そういうことを平気でオマエ!」

「へへへ。なに照れてるんデスか? 本場アメリカではこれくらい当たり前ですよ!」

 そういいながらも。サシャの真っ白な肌はほのかに桜色に染まっていた。

「よし! サシャ! やってみせマス!」

 彼女は両手の拳を握りしめて自らを鼓舞する。

「おお。頑張ってくれよ。楽しみにしてるぜ」

 それからこんなことも言った。

「このハードルを乗り切れば! 世界平和が一気に近づきマスね!」

 ……そういえばそんな話あったなあ。すっかり忘れていた。

 俺はそんなことよりも、このちょっと湿ったほっぺたを手元にあるおしぼりで拭くべきか拭かざるべきか。そればっかり考えていた。

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