第12話 地獄のお笑い合宿 一日目

 三月二十五日。月曜日の朝。

 われわれお笑い研究会はなんとか期末試験を乗り切り、春休みを迎えていた。

 俺は昨晩あまり眠れなかった。しかし。

「ZZZZZZZZzzzzzzz」

 サシャは小さな体を『大』の字に広げ、涎を垂らして爆睡していた。

「見習いたいよ。その強靭なメンタル」

 ケープ型のパジャマにナイトキャップまで被って、まるでアメリカのアニメで某ネズミさんとかが寝ているスタイルそのものだ。

 俺はそのサッシャー・マウスの肩をゆさゆさと揺らした。

 だが。まったく起きない。

「ん……こぼれる……」

 なにやら寝言を言っている。……よく見ると右手を変な形にして上下に動かしつつ、口をもごもごさせている。

「ははあん。さては夢の中でまでラーメンを食べてるな」

 ホンモノのアホの子みたいでなかなか面白い。

 とりあえずその様子を動画に収めたのち、耳元で「ガシャン!」と叫んでやった。

 すると。体を一瞬ビクンとさせたのち、ゆっくりと目を開いた。

 目には大量の涙が溜まっている。

 上体を起き上がらせるとその涙がツーっと頬を伝った。

「おはよう」

「あっ。ショータロー。おはようデス」

「なんで泣いてるんだ?」

「それが。実は怖い夢を見てました」

「どんな?」

「サシャがラーメンを食べていたら、ショータローがGAHAHA! って笑いながらそのドンブリを持ち上げて、サシャの頭に叩きつける夢デス。ねえ。なんであんなヒドいことしたの?」

「そ、そんなこと言われても」

 俺はまあまあの罪悪感を抱きつつ、サシャに早く着替えるように促した。


 一緒にリビングに降りると――

「よお。二人ともおはよう」

 母親が仕事着姿で、新聞片手にコーヒーを飲んでいた。

 最近は仕事帰りでだらしなく酔っ払っているところしか見ていなかったが、こうしてキリっとしているところを見ると、やはりカッコイイとは思う。

「今日は朝から仕事? 珍しいね」

「ああ。おまえらも今日からいないんだろ? いつまでだっけ?」

「二十九日までだよ」

「そっか。ちょうどその間、お父さん帰ってくるからな。まあちょうどいいといえばちょうどいいな」

 ……なにがちょうどいいのだろうか? あまり深く考えるのはよそう。

「新幹線で行くんだっけ?」

「ああ」

「ということは。まずは新横浜か? そこまでトラックで乗せていってやろうか?」

「OH! いいんデスか!?」

「ああ。通り道だしな」


 新横浜駅に到着すると、すでに淳と都子も待ち合わせ場所で待っていた。

 都子は普通の黒のワンピース姿だが、淳はなぜかピッチリとした黄色のスラックスに上は同じ黄色のベストという格好をしていた。まるでバスガイドさんだ。さらに手には『西町川高校 お笑い研究会 御一行様』と書かれた旗を持っている。

「あっ。渚昌太郎さまー、サシャ・トリンクさまー。お待ちしておりましたー」

 俺は少々頭を抱えた。

「淳よ。今回はおまえプロデュースだからと張り切る気持ちはわかるが、いくらなんでもはしゃぎすぎだ」

「ええ? そうかなあ」

「おまえたちはまだあとから来たからいい。私は一対一でこれをやられたんだぞ。真剣に困った」都子は腕を組んで憮然顔である。

「うわー。アッチャンその格好なんかやらしいですねー。昌太郎がベッドの下に隠しているエッチなDVDに出てくる人みたいデス」

「コラ! 貴様! 俺の所有物を!」

 ちなみに。サシャは星条旗柄の長袖Tシャツに自由の女神キャップ、ダメージデニムのミニスカートという格好であった。相変わらずアメリカナイズされている。

「サシャおまえの格好も――」と都子がサシャの服装をジロジロと見つめる。

「スカートが短すぎだ。やらしいというかはしたない」

「都子チャンの格好の方がよっぽどやらしいです。清楚で本来カラダのラインが目立たないはずの格好なのに、胸がガンガンに主張してしまっていて、ギャップ的セクシャルバイオレットナンバーワンが半端じゃないデス」

 サシャと都子がいつものように痴話喧嘩を始める。

 すると淳はなぜか持っていた、バスガイドさん御用達の銀色のホイッスルを吹いた。

「はいはい。ケンカしないケンカしない。まずは駅弁を買いに行きましょう」

 駅弁と聞くや二人はすぐに機嫌を直した。

 都子はシウマイ弁当を三つに、ごま団子。

 サシャは横浜名物油そば弁当なるものを購入していた。


『新幹線のぞみ新大阪ゆき まもなく発車致します』

 われわれを乗せた列車が出発する。

 目的地の新大阪まではおよそ二時間半の道のりだ。

 俺は駅弁を食べながら呟く。

「しかし。淳がたまーに発揮するスーパー行動力には本当、驚かされるよ」

「そうかな?」

「うむ」都子もシウマイを次々と口に運びながら同意する。「今回の合宿もいつのまにか全部一人で手配してくれてたからなあ」

「まあ手配と言っても、新幹線のチケットをネットで取ったのと、父の会社のもう使ってないコテージを貸してくれるように頼んだだけなんだけどね」

「いやそれでも五日間の大阪への旅を一瞬で決めちゃう高校生ってなかなかいないと思うぞ」

「そーかなー」

「もしかして、アッチャンってすっごい大物になるかもしれませんね」

 以前漫才で淳に言わせた『僕は将来日本をしょって立つような男だから』というセリフ。あながちウソではないのかもしれない。

「ともかく。淳が用意してくれた機会、無駄にしないようにしよう。西町川高校お笑い研究会はこの合宿で生まれ変わる」

「うむ」

「だね」

「はいデス!」

 われわれ西町川高校お笑い研究会の命運をかけた、五日間の強化合宿がいよいよ始まる。


 新大阪駅からバスで三十分ほど北上したところにその『合宿所』はあった。

「なんだこれ……」

「ゴリゴリの山じゃねえか」

「マウンテンデスね」

 見渡す限り山、山、山。緑色の山肌と青い空がキレイなコントラストを成していた。

「この山は『西乃村山』っていってね。江戸時代に高名なお坊さんの『小塔斎』が建てた『倍王寺』っていうお寺があることで有名なんだって。ここを選んだ理由はね、あの『ネイチャージモン』こと寺門ジモンが山籠もりをしたときに使ったと言われている、お笑い的に由緒正しい山だからだよ」

 と淳は解説してくれた。なるほど。確かに『西乃村山ハイキングコース』と書かれた看板が設置され、見るだけでしんどそうな山道が続いているようだ。

「それって由緒正しいって言うか?」

「うん言うよ。とりあえず登ろう」

「寝る所とかは大丈夫なんデスか?」

「父の会社のもう使ってないコテージがあるっていったでしょ?」

「食料は?」

「山菜とか魚がいっぱい取れるらしいから大丈夫だよ」

「……サバイバルかえ?」

「たいへん不安デス」

 俺たちは一旦、町に戻り缶詰などの保存食品を大量に購入した。

 備えあれば憂いなし。備えなければ命がヤバイの精神である。

「え~サバイバルしたかったなあ」

 体弱いクセに妙なガッツを見せつけるのは辞めていただきたいものだ。


 西乃村山とやらを登ることおよそ二時間。

「おおコレは」

「キレイなところデスね!」

 淳が連れて来てくれた『合宿場』は確かに素晴らしいロケーションであった。

 周囲には美しいエメラルドグリーン色の木々が生い茂り、優しい木漏れ日が差し込んでくる。

「でしょでしょ?」

「こんないいところをもう使ってないなんて勿体ないな」

 コテージの目の前には底のジャリが見えるほど透明な川が静かに流れていた。ザーという心地よい流水音や、自然のままの清水の混じりっ気ない匂いは素晴らしい清涼感を与えてくれる。

 コテージの中も丸太作りで雰囲気バツグン。木製の二段ベッドが二つに、四人掛けの樫の木のテーブルがひとつ。今の季節には必要ないだろうが大きな暖炉も置いてある。

「WAAAAO! キレイなリバーデス! 都子チャン! 一緒に入りましょう!」

「わっバカ! はしゃぎ過ぎだろ!」

 サシャはさっそく靴を脱ぎ捨てて、川に入ってぱちゃぱちゃやっていった。

 都子もそれに手を引っ張られて一緒にぱちゃぱちゃ。ムリヤリ付き合わされているようでいて、その口元のゆるみっぷりからして、実はすげー楽しんでいることは明らかだ。

 ――とはいえ。

「お前らッッッツ!」

 俺は威厳に満ち溢れた声で部員達に言い放った。

「俺たちは遊びに来たんじゃないんだぞ! すぐに修行を始めるッッッツ!」

 声がやまびことなって帰ってきた。それくらいの太く大きな声であった。

「各々、行うべき修行内容は考えてきてあるな!? それらを順番に行うぞ! いいか。たったの五日しかないんだ! 気を引き締めろ!」

 するとサシャは。

「そんなこと言わずに。ちょっと遊びましょうヨ!」と俺の手をひっぱった。

 ――バシャーン!

 うつ伏せで川にダイブしてしまう。

 サシャだけでなく淳や都子までそれを見て笑っていた。

 しかし。山登りで汗を掻いた後の川面ダイブは大変気持ちがよく、あまり怒る気にはなれなかった。


 ともあれ。第一の修行が始まる。

 まずはサシャが考えた修行からだ。

「コスチュームを用意してあるので順番にコテージを使って着替えまショウ。まずはオンナノコ組から」

 そういって都子の手を引いてコテージに入っていく。

 俺と淳は外で待機。

「被り物コントの練習でもするつもりなのかな?」

 首をかしげながら二人が戻って来るのを待つ。

 中からはいつものようにキャーキャーと仲良くケンカしている声が聞こえた。

 ――数分後。

「「ブッッッッッツ!」」

 コテージから出てきた二人を見た瞬間、俺と淳は同時に噴き出した。

 二人が水着姿だったからだ。

 サシャは赤と白のしましま+青地に☆マークの、毎度おなじみ星条旗柄水着。フリルがたくさんついた可愛らしいワンピースタイプのものであった。

 対して都子が着ているのはこれはもう完全なビキニ。色は赤と黒のツートンカラー。

 大変よく似合っているのだが、なんというか胸の部分の布があきらかに全然足りていない。そういう着こなしのものなのか、都子の胸が規格外すぎてそうなってしまっているのかは判断が難しい。

 彼女は可愛そうに両手で胸を隠して顔をリンゴのようにしていた。

 俺は生き物として感じた『ナイス!』という感情をどうにか押し殺し、サシャを怒鳴りつけた。

「サシャ! おまえ泳ぐ気満々じゃねえか! 遊びに来たんじゃねえって言ってるだろ!」

 そういうとサシャは心の底から心外だというような表情をしてみせた。

「なに言ってるんデスか! 泳ぐんじゃありませんよ! ものごっつ厳しい修行をするのです! いいから二人も着替えて! コテージの中に着替え置いてありますので!」

 疑問を感じつつも、とりあえずコテージに戻り水着に着替えた。


「えーっと確かこっちの方にあったんデスよねー」

 サシャが修行の場所に連れていくというので、みんなでそれについていく。

「本当に場所分かるんだろうなァ」

 都子はさすがに恥ずかしい、つーか寒いということで上にパーカーを着ていた。少々残念。でもこれはこれで嫌いじゃない。上半身は厚着だが、下半身は露出というファッションには着替え途中的スケベさがあってよいと個人的に思う。

「大丈夫デスよ。それにしても」

 サシャは三人の顔をぐるりと見回した。

「みなさん水着、よく似合ってマスね! 一生懸命選んだ甲斐があったデス!」

 サシャが俺のために用意してくれた水着は、黄色地に黒い文字ででっかく『バナナマン』と書かれたトランクス型の海パンであった。見ようによっては卑猥極まりない。

「なんでこれにしようと思ったの?」

「ショウタローバナナマン好きじゃないデスか。気に入らなかった?」

「いや。結構気にいったよ」

「デショ?」

 ――いっぽう。淳の水着はというと。

「これはいくらなんでも……」

 色は紺色。ビキニパンツの上から長いタンクトップを被せる形になっており、胸には「あつし」と書かれた名札。これはいわゆるスクール水着。しかも新型の十倍エロいとされる旧型のスクール水着である。

「サシャ。日本の文化について教えてやるとな、アレは女子向けの水着だぞ」

「ええ。それは知ってるんデスけど、またアッチャンの性別を間違えてしまって……」

「……似合ってはいるけどな」

 淳は恥ずかしそうに胸の辺りを隠しながら歩いているが、それもなんか違うという気がしないでもない。

 ――そうこうしている内に。

「あっ! 着きましたヨ!」

 サシャが我々を連れて来てくれたのは『滝』だった。

 川に落下する水の束がドドドドド! という水音と白い泡しぶきを作り出していた。

「修行と言えばやっぱり『滝行』デショウ! ショータローが持っているちょっとエッチなマンガで読みました!」

「おまえ! いつのまに俺の『たきぎょう!』を!?」

『たきぎょう!』は少年ジャンプで連載されていた、美少女たちが精神修行のために全国の山に籠り、エッチな水着を着て滝行をするというナンセンススケベギャグマンガだ。人気が振るわなかったためかわずか十週で連載が終了してしまったことが惜しまれる。

「まあなんとか三人で入れるくらいのスペースはありそうデスね」

 そういってサシャは俺たちを手招く。

「ただ滝に入って精神を鍛えるだけなのか? それに三人って?」

「フフフフ……」

 ニヤりと笑いながらサシャは持っていたトートバッグからなにかを取り出す。

 それはどうやらスケッチブックのようだった。

「なんだ? フリップ芸でもやるのか?」

「違いマスよ! えーっとねコレには『大喜利』のお題が書いてありマス」

「ははーん」

 どうやら話が見えてきた。

「一人がえーっとこの辺の位置でスケッチブックを開いてお題を出しマス! そして残りの三人が滝に入りながら大喜利の答えを考える! 面白い答えを言えた人から出てOK!」

「なるほど」

「一番最初に答えられた人は次回は出題者にまわることができマス。従って。いつまでも答えられないと、ずーっと滝に打たれっパナシ! これぞ『サバイバル滝行大喜利』です」

「ふむ。つまり極限状態でも当意即妙な回答を出すことのできる精神力を鍛えるというわけだな。悪くはない」都子が意外にもサシャ考案の修行に賛意を示した。

「うん! やろうやろう」

 淳も乗り気である。まあ俺も特に依存はない。

「でもよおサシャ。もし滝がなかったらどうするつもりだったんだ?」

「エッ! ニッポンの山って必ずシュギョウ用の滝があるんじゃないの? 『たきぎょう!』ではありとあらゆる山にエグい滝があってヒロインたちの水着が取れて――」

 我々は三時間ほどこの『サバイバル滝行大喜利』を実施した。


 そしてその日の夜。

 コテージのテーブルで夕食の缶詰を食べながら、我々は反省会を行っていた。

「えーーーー。初日の『サバイバル滝行大喜利』は見事失敗に終わってしまいました」

 俺の言葉に淳と都子は腕を組みながら頷く。

 サシャはシュンとした表情で小さい体をさらに縮めるようにしていた。

「滝の音がうるさくて回答する声が全然聞こえなかったな」

「途中から叫んで回答してたけど、それだとさすがに面白く感じなかったねー」

「そもそも滝の中からお題が見づらいのなんの」

「精神の修行にもならなかったな。季節柄、滝の水の冷たさがむしろ気持ち良かった」

「スイマセン……考えが足りませんでした」

 サシャがあまりにシュンとするので一応フォローすることにした。

「まあまあ。考え自体は悪くなかったと思うぞ。今回はちょっとロケーションが悪かっただけだ」

「ロケーションが悪いと言っても、よく考えれば滝があっただけでも殆ど奇跡だけどな」

「都子ちゃーん。まあいいじゃない。みんなでわちゃわちゃして楽しかったし」

 淳もポンポンと肩を叩いてサシャを慰める。サシャははにかむように笑った。

「まあ。明日は私が考えた修行をやるからなにも問題ない」と都子。

「おお! 頼もしいデス!」

 都子は自信満々な様子で五つ目の缶詰を手に取った。

 相変わらずよく食べることである。


 そして夜は更けて。

「さーてじゃあそろそろ寝るか。俺と淳がこっちの二段ベッドで、サシャと都子が窓際のでいいかな」

「あっでも」

 ここで淳がとんでもない爆弾発言をブチかました。

「一人外に見張りがいたほうがいいかもね。この辺、熊が出ることがあるらしいから」

 三人の絶叫が山中に響いた。

「おい! 見張りったって、熊が実際に来たらどうするんだよ!」

「都子チャンがいるから大丈夫デハ?」

「バカ言うな! 勝てるわけないだろ!」

「大丈夫大丈夫。熊撃退用のスプレーを持ってきてあるから」

 淳はカバンからかわいいクマさんのイラストが描かれたスプレー缶を取り出した。

「本当に大丈夫なのかそれは……」

「きっと大丈夫ですよ都子チャン。こんなジョークがあります。

 ジョージとボブが一緒に登山をしています。

 すると突然目の前に巨大な熊が現れました。

 ボブは慌てて、履いていた登山靴をカバンの中に入ったランニングシューズに履き替えて全速力で走り出します。それに対してジョージがこうツッコミました。

『そんなもの履いたって熊より速く走れるわけないだろう!』

 ボブは二ヤリと笑いながらこう答えました。

『キミより速く走れるから大丈夫!』」

「……ひとつも大丈夫じゃない! むしろ不安になるわ!」

 そんなわけで初日の夜はなんだかあまりよく眠れなかった。

 外で見張りをしたり、コテージの天井を見つめながら、HS-1用の新ネタを考えていたがちっとも冴えたアイディアは浮かばなかった。

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