第9話 ホームステイナイト

 ――結局。

 都子の鬼のような反対を押し切って、サシャはウチまで押しかけてきてしまった。

「……いいか。母親がダメだっつったらおとなしく帰れよ」

 俺自身は特に反対することもなく、完全に流れに身を任せるという形になってしまった。

「わかってマスよ。ステイツでもお姑さんには逆らわないものです。こんなジョークがあるくらいデスから。

 ボブは妻のジェーンに言いました。

『そうだ来週は母の誕生日なんだ。一緒に誕生日プレゼントを考えてくれないか』

『ええ。義母さんはどんなものが好きなのかしら』

『彼女はなかなかハイカラな人でね。よく最新の電化製品なんか買ったりしてるんだ』

 するとジェーンは言いました。

『そうねえ。それなら。電気椅子なんてどうかしら』」

「……嫁と姑の折り合いが悪いのはどこの国も一緒なんだな。おまえは俺の嫁じゃないが」

 ゆっくりと扉を開く。すると。

「おかえり~。おせえじゃねえか」

 すでに完全に出来上がった様子の母親がいかくんを口に咥えながら俺とサシャを出迎える。

「――んんん??」

 母は目を擦りながらサシャを五度見ぐらいした。

「や、やべえ。酒飲み過ぎて西洋人形の幻覚が見える」

「幻覚じゃないって。ホラこの間言ってただろ? 例の大統領の娘」

「ああ! そうか!」

「初めまして! サシャ・トリンクデス!」

「おお! ヨロシク! 私はこいつのマザーの渚邑子だ! しかしカワイイな! あの親父と嫁さんからどうやったらこんなのが産まれてくるんだ!?」

「さあ? もしかしてタネが違うのかもしれませんネ」

「なるほどな! ウチの昌太郎と同じパターンか! ガハハ!」

「おいおい……」

「そういえばこんなジョークがありマス!

 妻が陣痛に苦しんでいます。

 旦那はなんとかしてそれを和らげてやれないものかと産婦人科医に相談しました。

 すると、出産の痛みを父親に移す装置があるとのこと。

 妻思いの旦那はその装置を使ってくれ! と医師に頼みました。

 装置を使うと妻の痛みはキレイさっぱり無くなりました。

 それに旦那の方の痛みもほぼありません。

『ハハハ! やっぱり男の方が体が強いからね』

 妻は無事出産を終え帰宅。

 しかし家に帰ると。隣に住む男子大学生のジョージが死んでいました」

「うわ……」

「ハハハハハ! さすが洋物は違うねえ。ブラックジョークってヤツか? まあ飲みなよ。向うじゃ母乳卒業と同時に酒飲むんだろ?」

「イタダキマス」

「このご時世それはやめておけぃ……」

 二人は随分と打ち解けて片やビールを片やコーラを飲みながら、バカ話に花を咲かせていた。

 ――しかし。そろそろ本題に入らなくてはならない。

「なあお袋。それでさ」

「なんだ昌太郎」

「その……この子がウチにホームステイしたいって言ってるんだけど……」

「ホームステイ……?」

「いや突然で驚くのはもっともなんだけどいろいろ事情が……」

「ホームステイってなんだ? 難しい英語使うんじゃねえ。こちとら大学出てないんじゃ」

「中学生でも知ってると思うぞ。えーっと……」

 俺とサシャはホームステイという制度やこれまでの経緯について説明した。

「なるほど……要するに」

 母は顎に親指とひとさし指を当てて、ふうむと思案顔をした。

「おまえたちは結婚を前提に真剣にお付き合いをしていて、そのために一緒に生活をしたい。とそう言っているんだな?」

 俺とサシャは同時にコーラを噴出した。

「まァそういうことなら仕方ねえ。ここに住んでも構わないよ。私も高校のときにはすでにおまえの父親の家に転がりこんでたしな」

「おい! なにをどう聞いたらそういう風に解釈――むぐぐ!」

 サシャが俺の口を抑え、目でなにかを訴える。

 ……恐らく。それで許されるならこのまま勘違いをさせておけ。ということであろう。

 本当にそれで大丈夫なのだろうか?

「但し昌太郎! 結婚するんだったら後腐れはしっかりなくしておけよ!」

「なんだよ後腐れって?」

「とぼけるんじゃねえ! ミヤちゃんのことだよ! おまえらそういう関係だっただろ!」

「はあ!?」

「ええええええ!? 付き合ってたんデスか! やっぱり!」

「違う! ウソだ!」

「それと! アツシとも肉体関係があるな!?」

「OH! ウスイホン! ジャパニーズ・ヤオイブック!」

「どこで覚えやがったそんな言葉!」


 そんなわけで。サシャのホームステイは許可されてしまった。

 母は酔いつぶれて、ちゃぶ台に突っ伏して寝ている。

 とりあえず毛布だけ掛けてやってそのままほっぽっておく。

「大丈夫なんデスかね?」

「平気だよ。いつものことだから」

「ソーナノ?」

 俺は上の空で会話をしながら、サシャの顔をチラチラ見ていた。

 普段は彼女の言動に振り回されっぱなしで殆ど顔を見る余裕もないくらいだが、改めて見るとやはりものすごくカワイイ。目の綺麗さなどちょっと人間離れしているようにすら思われた。

 いつもは人形的な可愛らしさが目立っているが、今日はなぜか表情や仕草から女性的な色気のようなものが感じられる。

 彼女と二人でこの家で夜を明かすのか? これからずっと?

 心臓の動きが速くなってゆくのを感じる。

 しかし。相手はそんなことはまったく考えていないようで。

「さて。どうしましょうか? まだ寝るには早いと思いマスけど」

 などと無邪気な笑顔で言ってくる。時刻は二十一時。

「……俺の部屋でDVDでも見るか?」

 鼓動がドンドン速くなってゆく。


 俺の部屋はベッドがひとつ、本棚がひとつ、テレビがひとつ、二人掛けのソファーがひとつというシンプルな構成。お笑いのDVDや書籍が本棚には収まりきらずに床に散乱している。

「HAHAHAHAHA!」

 サシャはソファーに座って、本人が見たいと言って選んだ『ガキの使い』のDVDを見ながら手を猿の人形みたいに叩いて笑い転げていた。こうなるともうさっきまでのドキドキもへったくれもあったもんじゃない。

「『ガキ使』はアメリカでも結構人気がありましてネ。よく友達とYoutubeに上がってる動画見たりしてましたよ」

 などと懐かしそうに言う。

「なあ。サシャってさ。むこうではどんな生活してたんだ? えーと。サイキックの養成所だったっけか?」

 設定忘れてんじゃねーかこいつと思ったのでイジワルな質問をしてやった。

 すると。サシャはこっちをチラッと一瞥してから、

「別に今の西町川高校での生活とそんなに変わりませんよ」

 と微笑んだ。

「朝起きて普通の勉強の授業受けて、休み時間にはおしゃべりして、昼ご飯食べて、午後はブカツをするような感覚でサイキックの訓練して。全寮制みたいなもんだから今日みたいに帰りに友達と夕飯食べて帰ったりはできませんでしたケドね。でもVIP扱いだからごはんは豪華でしたヨ」

「そうか。イメージとは違うな」

「どんなイメージだったノ?」

「なんつーかもっとギチギチに閉じ込められて、ムチでぶっ叩かれながら訓練するみたいな」

 サシャはクスっと笑った。

「外に出ることは許されてなかったので、閉じ込められてたといえば閉じ込められてたのかな? パパとママの養子になってからは訓練メッチャ厳しかったですしね」

 ――そういえば。なんでこいつは大統領の養子になんか取られたんだろう?

 そこまで立ち入ったことはちょっと聞きづらい。

 まあそもそも本当なのかもよくわからないが。

「サシャはずっと、早く外に出たくてたまらなかったデス。外の世界を見たかった」

 彼女の瞳にはうっすらと憂いの色が浮かんでいる。

「どうだ? 外の世界を見た感想は?」

「すごくタノシイ!」

 そういって俺の肩に頭をコツンと当ててきた。

「ショータローのおかげだよ。アリガトウ。あのとき話しかけてくれて。初対面のときはイキりまくってごめんね」

「……サシャ」

「でも。厳しさも感じています。サシャって甘チャンなのかなあ? 訓練通りやればすぐにうまくいくと思ってました」

 などと自分の額をペチっと叩いた。

「早くみんなを笑わせられるようになって、人の役に立ちたいな」

「人の役に……?」

「ええ。あなたたちの能力は人の役に立つ素晴らしい能力なんですよ。って。ずっとそう言われて育ってキマしたから。本当かなあとも思ったけど私にはそれが全てだったので」

 なんとなく反応しづらく、俺は黙って話を聞いていた。

 画面の中では落語家の男がグラサンをしたプロレスラーにしばき回されている。

「おっと。でもショータローにこんな話をしてもしょうがないでしたネ。だって信じてないんでしょう? 私の話」

「それは……」

 回答に窮する。俺はどう考えているのだろうか。自分でもよくわからなくなってくる。

「まァ。どっちでもいいデス。ちょっと変な、お笑い芸人目指している女の子だとでも思ってくれれば!」

 俺はとりあえず曖昧に頷いておいた。

「そういえば!」

 サシャはパチンと手を合わせる。

「ショータローはなんでゲイニンさんになりたいと思ったんデスか?」

 俺は遠い目をしながらその質問に答えた。

「死んだ親父が漫才師でな。尊敬してた。だっさい青いスーツ着て汗ダラダラたらしながらやって、それでもあんまり売れなかったな。だが俺の中ではヒーローだった。最高にかっこいいと思ってた」

 サシャは潤んだ目をこちらに向けた。

「親父に追いついて追い抜くこと。それが俺に出来るただ一つの親孝行。そう思っている」

「そうデスか……」

 俺は睫毛を濡らすサシャの顔を覗き込みながら――

「なーんてな! ウソだよーー!」

「ヘッ!?」

「親父は生きてるよ! しかも芸人でもなんでもない。家にいないのは中小の商社マンで一年中全国を飛び回っているからだ」

 サシャはぷくーっと頬を膨らませた。

「青いスーツ着て頑張ってて、尊敬してるってのは本当だけどな」

 サシャは「フキンシンです!」などと叫びながら俺の肩にゲンコツを振り下ろした。

「ホントウの理由は!?」

「別に大した理由なんかねえよ。ただただお笑いが、笑うことがスキだからだ」

「笑うことがスキ……」

「そう。そしてそのためには自分でやるのが一番だ。だって自分のツボを一番つけるのは自分しかいねえ。だろう?」

「ソウナノ……かな?」

「だから。誰よりも笑いたいから芸人になりたい。のかな」

 するとサシャはケラケラと笑った。

「……おかしいかな?」

「ベツにぃ。ただ随分ジコチューな理由だなーと思って」

 言われてみればごもっとももいいところだ。俺は頭を抱えた。

 するとサシャはその頭を撫でてくる。

「でもそれぐらいジコチューでもいいと思いますよ。日本人はみんな他人に気を遣いすぎデス。私はそのショータローのシボウドウキ、素敵だと思うな」

「あ、ありがとう。でも今のところその野望は全く果たせていねえがな……自分のネタで笑った試しがねえ……」

「そりゃバンジーツッコミじゃネ」

「う、うるせー」

「なんでアレをやろうと思ったノ?」

「いや、とにかくインパクトがあればなんでもいいかなーと思って……」

「いいわけないでショ!」

 これまたごもっとも過ぎてなにも反論できない。

 テレビ画面では小太りの男がなにやらホホホホホーイなどと騒ぎながら裸踊りを踊っている。

「そっかー。それじゃあショータローはサシャと真逆ですね」

 頭の後ろでウデを組みながらそんな風に呟く。

「ショータローは自分のために、サシャは世界中の人の役に立つために。まるで逆の理由で同じように、人を笑わせようとしている。それってなんか面白くないデスか?」

 ちょうどそのとき、DVDの再生が終わった。

「ああ面白かっ――ワッ! もうこんな時間」

 時計を見るとすでに時刻は十二時を周っている。

「寝るかー」

「サシャはどこで寝ればよいでしょうか?」

 都子に「絶対に別の部屋で寝ること!」という条件をつけられてしまったのでそれには従うものとする。

「もう使ってない、姉貴の部屋があるからそこで寝れば? ……ちなみに生きてるからな」

「そっか。アリガトウゴザイマス」

「風呂も入るだろう。沸かしてやるよ」

「センキュー。じゃあ一緒に入りマスか?」

 などと明らかに冗談だと分かる口調で言った。

 それでも俺にとっては非常に心臓に悪い。

「おまえなあ……冗談でもこういう状況でそういうことを言うなよ」

 俺が震えた声で言うと、サシャはひとさし指を口元に当てて体をちょこっとくねらせた。彼女にしては大人っぽい仕草だ。

「ねえショータロー。DVD見てるとき、ずっとサシャの顔チラチラ見てたでしょ?」

「うっ……」事実ではあるので反論できない。

「ステイツにいたころはちんちくりんでオッパイも皆無だから、全くモテなかったデスよ。でも。ショータローはサシャのことカワイイと思ってる?」

 などと俺の肩に頭を乗せてくる。

 髪の毛がフワっとなびいて、柑橘系の香水の匂いがした。

「ああ。カワイイと思う」と肯定の言葉が勝手に口をついて出てしまう。

「都子チャンとどっちが?」

「ええええ!? そ、それは……」

 するとサシャはワザとらしく怒った表情を作った。

「あーあ。ザンネン。今の即答してたらエッチなことさせてあげようと思ったのに!」

「マジで!?」

「冗談ですよ! サシャはそんなインランじゃありません! シモネタは好きですけどね」

 そういうとサシャは立ち上がり、かがみながら俺のオデコにちゅっと口をつけた。

「おやすみなさい!」

 ドアがバタンと閉まる。

(……これはアメリカではエッチなことに含まれねえのかな?)

 俺はそんな下らないことを考えて三十分ぐらい悶々としていた。

 そういえば風呂を沸かすのはすっかり忘れていた。

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