第8話 反省会
イベントの終わった体育館の後片付けを行う。
たくさん並べてしまったパイプ椅子を全部体育倉庫に片付け、下に敷いていたシートを丸めてこれも倉庫にしまった。あとは座布団やマイクなどこまごまとしたものを職員室に返す。
皆、沈痛な面持ちでこれを行っていた。俺と淳、都子はもちろんのこと、サシャの顔にもいつものスマイルはない。
後片付けを終えて四人で学校を出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。
夜の風がコートを貫通し、肌を刺すように冷たい。
「なあ。昌太郎」都子が消え入るような声で呟いた。
「なんだ」
「私。無性にラーメンが食べたい」
われわれ幼馴染み三人は正直食の好みは合うとは言えないが、ラーメンだけはみんな大好きだ。少食な淳も軽く一杯食べてしまうくらい好物である。
「だな。こんな色んな意味で寒い夜はラーメンに限る。なあ淳」
「賛成。サシャちゃんも来るよね」
「イエス。行きたいデス」
「初挑戦?」
「うん」
「じゃあ四人で。『華丸』だよな」
「もちろん」
西町川高校近くにある『らーめん華丸』は、濃厚な豚骨スープが売りのいわゆる博多ラーメンの店だ。食いしん坊の都子が入学初日に見つけてきて以来、行きつけとなっている店である。
店に入るや否やあの香ばしい油が焼ける匂いがぷーんと漂い、強烈に食欲を刺激される。
さーて今日はなんにしようかなと食券の券売機を眺めていると。
「んんん??」
サシャが目を白黒させていた。どうやら券売機の買い方がわからないらしい。
親切な俺は使い方を教えてあげる。
「いいかサシャ。これはな、ここからお金を入れて食べたいヤツを選ぶんだ」
「オカネ……。もしかしてカード使えないの……?」
なるほど。カルチャーギャップというヤツらしい。
「現金持ってないのか?」
「ウン……」
「しょうがないなー。今日はおごってやるよ。日本ではまだけっこうカード使えない店あるからな。現金もっておいた方がいいぞ」
そういって財布から千円札を取り出す。すると。
「アレ!?」
サシャは俺が取り出した千円札を取り上げると、ひっくり返したり戻したりして、野口英世の顔と逆さ富士山を交互に見た。
「思てたんとチャウ……」
「んん? なにが?」
「センエンサツのデザインデス! たしか可愛い鶴さんが二匹いたような……」
「ああ。それは古い千円札の方だな。もう大分前に今のに変わったぞ」
『夏目漱石』ではなく『鶴』で覚えているヤツは初めてみた。
「あの可愛いのはもうないのデスか……?」
「古銭ショップとかにいけばあるんじゃないの?」
と淳がもう一方の券売機からおつりを受け取りながら助け船を出してくれた。
「そーなんだ! じゃあ今度買いに行こうかなー。ツルさんすきー」
(よくわからんセンスだな……)
と思ったが後で知った所によると、あの千円札のファンの外国人というのは結構いるそうな。
「ラーメン四丁お待ち!」
いつもはカウンター席で食べるのだが、本日は四人いるのでテーブル席に座った。
「どうだサシャ? うまいか?」
「んんんん! もごごごごご!」
サシャは目の中に☆マークを作りながら、すごい勢いでラーメンを口に運んでいる。相当に気に入ったらしいということは言葉にせずともわかる。
「ぷはっ! 日本に来て食べた中で一番美味しいです!」
それを聞いて、いつも不愛想な店主が珍しくニコっと笑ったのが偶然見えた。
「日本食と言うと味は薄口で口当たりもさっぱりというイメージがあったんですが、これは強烈ですね! こんなにオイリーで濃厚なものはステイツにもちょっとないかも! これを日本人が考えたとは信じられません!」
「元々は中国のものだけど、今の形のものはもはやメイドインジャパンと言っていいかな?」
俺はなんとなく誇らしい気持ちになってグダグダと解説を加えた。
「このラーメンの濃厚さ、しつこさ、強烈なコクは、日本人がつつましさや謙譲の心の裏側に持ちあわせている、強い意思、執念深さ、高い攻撃性を表しているといえる」
ワケのわからない解説を聞いて、淳、都子、それに店主までが噴き出して笑った。
非常に恥ずかしい。
だが。サシャは笑ってはいなかった。
箸で掴んだラーメンをじっと見つめている。
「なるほど。やはりサシャはまだ日本の文化のことをなにもわかっていなかったデスね」
と彼女らしくない小さな声で呟いた。
「だから。ウケなかったんデス……かね」
それを聞いて我々三人の表情が同時に暗くなる。
ゲリラライブのサシャ・ステージは、まったく受けなかったとは言わないが決して大成功とは言えない様子だった。
俺はフォロー、というより客観的な事実を教えてやる。
「別に気にすることはないさ。あれは俺たちが先に会場を冷やし散らかしちまったのが悪い」
「……でも」
「それに。ああいうとくに仕掛けもなくマイクの前に一人で立つタイプの漫談っていうのは難しいんだ。日本のピン芸人の大会であるR-1ぐらんぷりでもああいう正統的な漫談で優勝したのはあべこうじとか濱田祐太郎ぐらいで、あとは結構エッジの聞いた仕掛けのある芸で優勝したヤツが多い。例えば、お盆でちんちんを隠す芸とかな」
サシャは納得いかない様子で俺の話に耳を傾けている。
「第一、別におまえは芸人でも芸人志望ってわけでもないだろう?」
「そうデスけど!」珍しく眉を吊り上げて俺を睨み付けた。「人を笑わせるコトが人生の目標なのはイッショです!」
あまりの大声に店内の客全員の箸が一瞬止まった。
「とにかく! サシャは改めて決心しましたヨ!」
と再びラーメンをすすりこむ。
「ニッポンのお笑いと文化をもっと勉強しまくって! 今度は絶対にみんなを笑わせまくってやるデス!」
それを聞いて淳は「エラい!」と隣に座ったサシャの肩を叩いた。
「ボクにも協力させてよ! ――ま、元々そのつもりだったけどねー」
サシャはニッコリ笑って淳と握手を交わす。
「アリガトウです。アッチャンの演技よかったですよ。いつもと全然違ってスゲーなって思いました!」
淳は照れくさそうに笑いながら、斜め向かいに座るヤツに話を振った。
「都子ちゃんも協力するよね?」
あんのじょう、都子は素直には答えない。
「なんでそんなこと……第一私なんてなんの役にもたたないぞ。見ただろうあのザマを」
「そんなことないデス。サシャは都子チャンとも一緒にやりたいです」
と対面に座る都子に握手の手を差し出す。
「なぜだ」
「都子チャンのラクゴ。よく聞こえなかったけど、気持ちが伝わってきました。一緒に頑張って、今度はちゃんと噺を聞いてみたいです」
「サシャ……」
都子は無言で手を握り返し、一瞬で離した。
「全くツンデレなんだから~。それで――」
サシャは俺を上目使いで見上げた。
「ショータローは?」
俺は今日のサシャのステージを思い出しながら、彼女の目をまっすぐに見て答えた。
「サシャ。今日のステージを見て気づいたんだよ。エラそうなこと言えるような立場じゃないが、おまえの『笑い』に対する真摯さってヤツにさ。あれだけ冷え切った観客の前に立って内心戸惑っただろう。逃げ出したくなっただろう。それでも最後までやりきった。滑っても滑っても逃げなかった」
「ショータロー……」
サシャの大量の汗を流しながらも決して笑顔を絶やさず、最後までやりきった姿――。
「さっきは芸人じゃねえんだからウケなくたっていいだろ? みたいなことを言ってすまなかったな。おまえが何故笑いをとりたいのか、おまえの目的がなにかはとりあえずいい。俺はおまえに協力する! 淳同様、元々そのつもりではあったが、損得関係なしに協力したいと今日思った! なぜなら俺は笑いに真摯なヤツが好きだからだ。以上!」
サシャはそれを聞いて目に涙を溜めた。
「ウレシイ。サシャ、そんな風に褒めてもらったことなかったデス」
「大袈裟なヤツだな」
頭を撫でてやる。都子がちょっとむっとした顔をしていた。
「協力できることがあればなんでもするよ。家にお笑いのDVDもいっぱいあるし、芸人関係の本も山ほど積んであるぞ。マンガの『べしゃり暮らし』なんかも日本のお笑いのことを知るにはオススメだ。ギャグマンガを読むのも勉強になるかもな。んーでもあとは日本の文化を学ぶにはどうしたらいいんだろうな?」
首を捻っているとサシャは――
「そうデス!」
突然立ち上がった。そしてとんでもないことを言ってのける。
「サシャ! ショータローの家にホームステイするデス!」
我々三人だけでなくカンケーない他の客たちまで目んたまをひん剥いてサシャを見た。
「そ、そ、そ、そ、そんなこと! ダメに決まってるだろ! なに考えてるんだ貴様!」
都子は立ち上がり、サシャを睨み付ける。
「ナンデー? ショータローの家でいっぱい勉強できるし、日本の文化や生活も実地で学べて一石二鳥じゃないデスか」
「おまおまおまおま! 昌太郎の家に泊まるってのがどういうアレか分かっているのか!? 私だって小学生以来そんな破廉恥なことはしてないのに!」
「ハレンチなんかじゃありませんよ。ムコウでは普通のことデス。もっとも。都子チャンの言う通りエッチな関係になっちゃう例も少なくないですけどね! HAHAHA!」
「このドエロアメリカメスギツネがあ! いますぐ息の根を止めてやる!」
もうちょっと静かにしてくんねえかなあ。と店主のおっちゃんは嘆息した。
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