第7話 スパイは自分の意思で選ぶ
帝国兵士の残党を葬った俺たちは、エリスの待つ家の帰路についた。
暗い丘の道を下りながら、俺は隣に付き従う夜桜に言った。
「襲われたことは、エリスには言うな」
「それは、アンバー様からのご命令ですか?」
夜桜の言葉には感情がこもっていない。
もちろん、皮肉ではない。
純粋な疑問なのだろう。
人間にそれ以外の関係があることを、夜桜たちは経験していない。
「いや、お願いだ。友人として」
「……よくわかりませんが、承知しました」
夜桜は少しためらいながらも頷いた。
俺の命令であれば、夜桜はどんなことに従う。
だが、それはもはや不要だ。
「私は、これからどうすればいいのでしょう?」
夜桜の問いが暗闇にただよう。
俺はしばし沈黙した後、口を開いた。
「今日は、エリスの家に泊まっていけ。一晩だけだ。
……その後どこに行くかは、お前が決めろ。
お前自身の、意思で」
いつか、夜桜にもわかる日が来てほしいと俺は願った。
もう、戦争は終わったのだから。
+++
翌日。
エリスの家で目覚めた俺は、廊下に出て向かいにあるゲストルームに目を向けた。
夜桜を一晩だけ泊めた部屋だ。
だがそこに、もう夜桜はいない。
ベッドのシーツも綺麗に整えられ、まるでやって来たことそのものが幻であったかのような気がする。
こういうところは、やはり特課のスパイだ。
スパイの手引き・その11。
スパイは痕跡を残さない。
これでいい。
俺といれば、昨晩のように夜桜はこの世界から離れられない。
国家の手足としてのスパイという使命から。
だから、これでいい。
俺は一抹の郷愁とともに、階下に降りた。
+++
「アンバー様、おはようございます」
「……」
俺はまじまじと夜桜を眺めた。
いつもの軍服姿。そして眼帯。
間違いなく、夜桜本人だ。
「あ、アンバーおはよう。あのね、夜桜ちゃんが、今日の朝ごはん手伝ってくれたんだよ。夜桜ちゃんて、本当にしっかり者でいい子だね!」
エプロン姿のエリスが、夜桜の頭を撫でる。
その様子は仲の良い姉妹にしか見えない。
「アンバー様、目玉焼きの卵は何個にしましょう?」
「なぜ、まだいる?」
「目玉焼きは不要でしたでしょうか?」
「目玉焼きの話じゃない。お前の――」
俺はあまりに脱力し、言葉を逸した。
「アンバー様は、昨日仰りました。私の作戦行動は、私が決めろと。
ですので、私はアンバー様のお傍にいることにします」
俺は唖然とした。
勿論その言葉の内容そのものにも。
そして、夜桜が、初めて自分の個人的な意思を示したことに。
「私の任務は、アンバー様のお傍にいることです」
夜桜は俺をまっすぐな瞳で見上げた。
片方が眼帯に覆われたその視線に、俺が答えに窮していると、
「ねぇ、アンバー。私はべつにいいよ。部屋なら空いてるし、
夜桜ちゃんはいい子だし」
エリスはこういう性格だ。
俺などよりも、遥かに器の大きい。大物の素質がある。
状況は2対1。それに、ここは俺の家ではない。
決定権はなかった。
「……わかった」
こうして、かつての俺の部下の一人が、新たな同居人となった。
「ところで、アンバー様はただいま収入がないとのことで、私もこの街で仕事をしようと考えています」
「なに?」
「はい。すでに3件ほど高報酬の裏仕事を受注しています。
1つは暗殺、もう1つは政府施設の爆破でふが――」
俺は慌てて夜桜の口を抑えた。
エリスが目を丸くしている。
スパイの手引き・その12
スパイは暗殺も工作もお手の物である。
だが、それをやるかどうかは、べつの話だ。
この先、騒がしい日々が待っているような気がした。
追放されたスパイは世界最強 ~大戦が終結して用済みだと組織から追放されたので、故郷の幼馴染と気ままに暮らす~ @knight-one
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