第2話 スパイは組織に戻らない

 久しぶりの故郷は、相変わらず賑やかだった。


 共和国の中では南の地方にあり、海や山など自然が豊かで、観光地としても栄えている。

 そのため国中から様々な人間が集まっている。


「ねぇねぇ、今日、何食べたい? なんでもアンバーの好きなもの、わたしが作ってあげるよ」


「そうだな……」


 考えを巡らした直後、俺はこの街に似つかわしくない者の気配に気づいた。



 何者かに、尾行されている。



 スパイの手引き・その2。

 スパイとは、尾行されるものである。


 当然、これまでも幾度となく経験した状況だ。


 俺は周囲に立ち並ぶ街の風景を見渡し、次の行動を決めた。



「その前に、ちょっと服を見てみたいかな」


「服? ああ、確かにアンバーのそのスーツ、ここじゃちょっと堅苦しいもんね」


「ちょっと見てくれから、少しだけ待っててくれるか?」


「うん、もちろん」



 俺はエリスに言い、通りの服屋に入っていった。




 +++



 服屋の勝手口を抜けた先にある路地裏。



 そこで、黒ずくめの男が、一人の男を取り押さえていた。



 俺のスーツを着た、まったくの別人を。



「なっ……!?」



 騙されたことに気付いた黒づくめの男が狼狽して立ち上がる。

 


 だが、もう遅い。



 その背中に、俺は銃口を突き付けた。



「俺を尾けるには、経験が足りないな」


「……さすがは、伝説のスパイですね」



 黒づくめの男は歯がゆそうに呟いた。

 おそらく、《幽》の実働部隊。



「……貴方は英雄だが、しかし、我々のブラックリストの最上段に乗っている人物でもある」


「俺に何の用だ」



「どうか、我々の組織に戻ってきていただきたい。

 貴方がいれば、組織は再建できる」


「悪いけど、俺にはもう関係ない」


「抵抗しなければ、血は流れません」



 直後、いくつもの足音が俺を取り囲んだ。



 四方八方に同じく黒づくめの大柄な男たちが立っていた。



「10対1です。いくら貴方でも、全員が相手では――」



「足りると思ったか?」



 俺の言葉に、最初の黒づくめが息を呑む。



「……強がりですね」


「なら、試してみろ」


 全員が同時に俺に銃口を向ける。



 ――直後、そのすべての銃身が半ばから斬り落とされた。



「なっ……!?」


 俺の手には、特殊な鋼線を備えた手甲が装備されていた。



「《幽》の特務用暗器……。こんな物騒なものを持ち歩いてるような相手を、信用できると思うのか?」


「……まさか、いつの間に……!?」


 男が慌てて自分の懐をまさぐる。


 そう。この武器は先ほどこの男に後ろから銃口を突き付けた際にくすねたものだ。



 スパイの手引き・その3。

 スパイとは、手癖が悪い。



「動くな」



 俺の操る鋼糸は、全員の銃を切断しただけではなく、その首を締め付けていた。



「ここで首を斬り落とされたくなければ、大人しく組織に帰って上司に伝えろ。二度と、俺に関わるな、と」



 黒づくめが、冷や汗を垂らしながらこくりと頷いた。




 +++



 服屋の入り口から出てきた俺に気付くと、エリスが手を振った。



「あれ? 服、新しいの買ったんじゃないの?」


「買ったよ」


 俺は真新しいスーツに着替えていた。


「え、だって前と同じスーツ姿じゃない」


「いや、新調したよ。実はエリスの家に立ち寄る前に、ここでオーダーメイドのスーツを頼んでたんだ」


「それで、またスーツ? 他の服にすればいいのに。アロハシャツとか」


「そのうちな」



 俺はエリスを連れだって歩き出した。



「そういえば、さっきちょっと昔の知り合いとばったり会ったよ」


「あ、そうなんだ! ふふっ、私たちの地元だもんね」



 ここはいい街だ。

 引退したスパイがのんびりと暮らすにはちょうどいい。



「さて……じゃあ買い物の続きといこうか。食事の準備、俺も手伝うよ」



「え、アンバー料理できるの? 昔は全然できなかったのに」



「少しくらいは」



 スパイの手引き・その4。

 スパイは料理もお手の物だ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る