Rebirth-09



「死にかけてる、ってどういうこと?」


 ふいにバロンが口にした「死」という言葉に、エマとロイが驚く。先程まで和やかに過ごしていたのに、空気は一瞬で凍り付いた。


 エマはバロンがドラゴンと会話出来る事を知っている。ロイもそれは確認済みだった。


 ≪我が仲間、そなたらがアッカと呼ぶ同胞からの伝言だ。飛行艇がドラゴニアを襲い、ヴィセが守ろうとして傷付いたようだ≫


「え、えっ? ヴィセは、ヴィセどうなったの?」


 ≪飛行艇と戦う? 何故飛行艇が来れた、どこのどいつだ! まさか銃撃でもしたのではあるまいな!≫


 ラヴァニが怒りを露わにし、バロンの顔の左半分にドラゴンの鱗が浮き上がる。ロイはその姿に短く悲鳴を上げ固まった。


 ≪ドラゴニアに向けて兵器を喰らわせ、ヴィセがそれを阻止した。詳しい様子は見ておらぬようだ。ただ、墜落した飛行機と共に、ドラゴンとなったヴィセが倒れていたと≫


「ドラゴン……ヴィセ、ドラゴンになったの? 怪我したの?」


 バロンはまだヴィセがドラゴン化した様子を見た事がない。ドラゴン化で我を忘れた姿は見た事があっても、ドラゴンへ変身した事も、変身しようとした事もなかった。


 状況が上手く飲み込めず、ただヴィセが大変な状態にある事だけしか分からない。2年間ほぼ毎日一緒に過ごし、エマと同じか、むしろそれ以上に大切な家族だ。


 死にかけているという言葉の重みがじわじわと心に沈んでいき、バロンの目から涙が零れる。


 ≪詳しい事は分からぬ、かの者が命を落とすようならば、我は黙ってはおれぬ!≫


 ≪ヴィセはどこにおるのだ≫


 ≪おそらく同胞がドラゴニアの洞窟に≫


 エマとロイも、とんでもない事態になっている事を理解した。エマは放心状態のバロンの背中を強く叩き、バロンの顔を覗き込んだ。


「イワン、しっかりしなさい! ロイ、お金は後で渡すから、お肉を買ってきて!」


「……はっ? 肉?」


 突然飛来したドラゴンに、周囲は驚きながらも様子を窺っている。そこに突如肉を買って来いと言われたものだから、ロイと同じく、集まった者達も意味が分かっていないようだ。


「新鮮でいいやつを、1キロくらいどーんと買ってきて! 知らせに来てくれたドラゴンさん、飛び続けて来たんだから!」


「あ、ああ……そういう事か、分かった!」


 ロイが慌てて近くの肉屋へと走る。エマは声を出せないまま泣くバロンの頬を両手で優しく包み込み、ゆっくりと言い聞かせた。


「おおよその事は、イワンが喋った事で分かった。ヴィセくんが怪我して危ない状態なんだよね?」


「ヴィ、ヴィセ、ドラ……ゴニア、守ろうとっ、して、ドラゴン、へ、変身した……」


「ドラゴンに? それで?」


「ひ、飛行艇で、襲われて、飛行艇と、落ちて……」


 バロンが絞り出す言葉で、エマはヴィセの状態を把握した。バロンをゆっくりと抱き寄せて落ち着かせ、思いを伝える。


「私は……イワンに危ない事をして欲しくない。そんな危険なところ、行かせたくない。だけど人を見捨てるような人にもなって欲しくない」


「うん」


「行ってあげて。ドラゴンさん、ラヴァニさん、イワンをお願いできるかしら!」


 エマはバロンをその場に立たせ、ラヴァニ達に頭を下げる。家の鍵をバロンに持たせ、支度をさせるために「走れ!」告げると、バロンはようやく気が付いたように走り出した。ラヴァニもその後に続き、やがて見えなくなった。


「え、エマちゃん、何事だい?」


「イワンが兄のように慕ってる子が、瀕死の状態なんです。その子も特別な力があって、飛行艇からドラゴンを守ろうとしたって」


「へっ!?」


 ドラゴンを怒らせたらどうなるのか。ゴーンの者はよく知っている。またドナートの悪行が知れ渡った現在、ドラゴンが何に対し怒りを感じるのかも分かっている。


 空気の汚染、大地の汚染、そして仲間への危害。彼らが大切にしているものを尊重すれば、共存が出来る。ゴーンの町はこの1年間、それを実践してきた。


「誰か、水持って来てやれ! 喉も乾いただろう!」


「エマーッ! 買ってきた!」


 ロイが肉を抱え、息を切らしてベンチに置く。買ってきたのは牛肉のようだ。エマはその包みを開け、生でも大丈夫よねと言って差し出す。


 互いに言葉は分からない。けれど、ドラゴンは有難くそれを平らげる。エマはそれでいいと思っていた。このドラゴンは、仲間であるヴィセを危険に晒されてなお、理性的であろうとしている。


 ドラゴンも人に歩み寄ろうとしている。


「ロイ、ごめん」


「……ああ、いいよ。後はこっちでやっとく」


 エマがドラゴンの額を優しく撫でる。ドラゴンは翼を広げ、頭を低く下げてそれに答えた。このゴーンにおいて、ドラゴンは恐怖の対象ではない。ゆでたまごが好きな事も広まっている。


 身振り手振りで霧毒症患者の存在を伝え、治療してもらった事もあった。エマが仲介する事も多いため、最近では「ドラゴン課」なる部署が新設される動きもある。


「……ヴィセくんはね、イワンと再会させてくれた人なんだ。あの子がドラゴンの力を持っていなかったら。イワンと出会わなかったら……私は今もイワンは死んだと思っていたはず」


「そうだったね。バロンと言う名前がスラムで付けられた名前だと言ってだけど」


「うん。ヴィセくんはスラムの出身じゃない。偶然立ち寄ったユジノクで、イワンと出会ったの。イワンの友達が霧の中で動けなくなっているのを救ってくれたんだ」


「そ、そうなのか」


 ロイはエマの話を聞き、笑顔ながらやや困った顔をしていた。ロイは勇敢でもなければ、聞く限り容姿でも敵わない。対してヴィセは若く容姿も良く、勇敢で、何より弟と再会させてくれた恩人だ。


 エマは自信をなくすロイを横目で見て楽しそうに笑う。


「ロイも感謝してよね。私、イワンが見つからなかったら恋人作る気なかったんだから」


「えっ?」


「イワンは見つかったし、もう私がいなくても大丈夫。私もあんな優しい人だったら……って思ってたところに来たのがロイよ。あの子達がいなかったら、私はロイに出会えなかった」


「そ、そう言う事か。ハハッ……コホン、さあ、行くんだろう?」


 ロイがエマを促し、肉の包み紙を袋に入れる。ロイはエマの事情を一切知らずに交際を申し込んだ。バロンを狙う者ではないか、浮遊鉱石やドラゴンを狙う者ではないか。当初は大いに警戒された。


 ロイは優しく、エマの全てを信じた。今もそうだ。おかげで彼女が何を大切にしているのか、よく分かっている。エマがロイを信じている事も分かっていた。


「ええ、お願いね!」


 エマが駆け出し、急いで家に戻る。ロイは「まったく……」と呟きながらも嬉しそうだった。


「兄ちゃん、大変だなあんたも」


「ええ……でも、そんなエマだから好きになって良かったと思えるんです」


 ロイは自身にとっても恩人となったヴィセの無事を祈りながら、ドラゴンに「君も心配だろう」と微笑んだ。





 * * * * * * * * *





「あ、姉ちゃん」


 エマが戻った時、バロンはもう出発の準備が出来ていた。後はラヴァニの封印を解き、鞍を取り付けるだけだ。


「ちょっと待って。どんな状態か知らないけど、お医者さんが必要よ。足りるか分からないけど……」


 エマは本棚の下から封筒を取り出した。ささやかな結婚パーティーをと、ロイと2人で貯めた金だ。


「……いいの?」


「させてちょうだい。ロイも分かってくれる。駄目なら私が全部出す。近い町に着いたら、信用できる人を」


「信用……あっ」


 バロンは封筒をエマに押し返し、代わりに小さな紙切れを渡す。


「博士に電話して! 博士、人とかドラゴンの事とか詳しい! お医者さんできる!」


 そう告げると、バロンはラヴァニと共に外へ出ていった。エマが封筒を仕舞い、慌てて外に出た頃、もうバロンは鞍をラヴァニに取り付け終わっていた。


「行ってくる!」


「……必ずまた連絡をちょうだい、必ずよ!」


 ラヴァニは猛スピードで東の空へと消えていった。エマは急いで電話の前に立ち、番号を確認して驚く。


「この局外番号……えっ、オムスカ? ……ううん、電話代くらいなによ!」


 エマは受話器を握りしめ、教えられた番号へと電話を掛け始めた。

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