Rebirth-07
ヴィセは深呼吸をし、目を閉じた。自身に流れる血を感じながら、腕や足に力を入れて踏ん張る。ヴィセの手の甲と顔半分にドラゴンの鱗が浮かび上がり、コートの袖のボタンが弾け飛んだ。
「……行ける、大丈夫だ」
ヴィセは急いで小屋へと戻り、服を全て脱いだ。下着まで下ろすのは躊躇われたのか、干している替えを視界に入れるとパンツ1枚で飛び出す。
ドラゴン化し、飛行艇を追い払うつもりなのだ。
ヴィセはまだ完全なドラゴンに変化した事がない。完全に変身できるかはヴィセ自身にも分からなかった。
「さあむっ! 寒すぎる……よしっ!」
ヴィセが再び目を閉じる。体の半分がドラゴンの鱗に覆われ、徐々に太く変形していく。気合を入れるため低く声を出しながら、自身の更なるドラゴン化を促す。
「くっ……自発的に、変化なんて、できねえぞ……」
ヴィセは我を忘れてドラゴン化したことがあっても、ドラゴン化の方法を理解している訳ではない。どれだけ力んでも全身を鱗が覆うのが精いっぱいで、ドラゴンの姿とは程遠い。
洞窟ではアッカ達が卵を温めながら守っている。他のドラゴンはまだ気づいていない。ヴィセがドラゴン化できなければ、飛行艇は浮遊鉱石を大量に持ち去ってしまう。味を占め、更に大勢で来るかもしれない。
奪われたら、また海底から運べばいい……という話では終わらない。ドラゴン達はドラゴニアを破壊する者だけでなく、今度こそ人の存在を許さなくなる。人がドラゴンの敵と見做される。
またドラゴンと人による無意味な戦いが始まってしまう。
ヴィセは寒さよりも焦りによって体が震え始めていた。
「俺が……ここで俺が何とかしないと」
ヴィセがもう一度力んで、ドラゴンの姿をイメージする。その瞬間再び爆音がし、僅かに浮遊島とドラゴニアを繋ぐ橋が軋んだ。同時に黒い煙が上がってくる。
飛行艇がミサイルを発射したのだ。
「やめろォー!」
ヴィセが叫んだ瞬間、更に黒い煙が周囲に流れ込んできた。ヴィセの姿も見えない程の視界になった後、ふいに煙が四方に拡散される。
煙の中心に立っていたのはヴィセではなく、1匹の黒く小柄なドラゴンだった。
「グォォォォーッ!」
小屋の屋根がビリビリと鳴り、鶏や羊たちが悲鳴を上げる。
黒い体に首から背、尾の先まで白金色のラインが入ったそのドラゴンは、ヴィセが変身を成し得た姿だった。
「グオォォォッ!」
咆哮を再度響き渡らせ、ヴィセは背中に意識を集中させる。
翼を使った事はない。一度は飛び上がったものの、バランスを保てずに地面に落下した。
「クッソ!」
飛行艇は離れては近づき、浮遊鉱石を砕いて網で回収していく。こんな様子をドラゴン達に見せたなら、どれ程の怒りをぶつけるか分からない。
まっすぐ飛ぶことすらままならないが、もたもたしている時間はない。ヴィセは不安定ながらも飛び上がり、ドラゴニアの真下へ近づこうとする飛行艇へゆくりと羽ばたいて向かう。
「やめろっ!」
ヴィセのいつもの声よりも1オクターブ以上低い声が、ドラゴニアの岩盤に跳ね返る。飛行艇はドラゴンを追い払ったつもりだったのか、ヴィセの登場で僅かに向きを変えた。
一方のヴィセは、高度を保つことも、まっすぐ飛ぶことも出来ない。妨害は出来ても脅威にはなれずにいる。
炎を吐く方法も知らなければ、尻尾の使い方もぎこちない。それでもヴィセはドラゴニアを、ひいては人類を守るために妨害を続ける。
「ドラゴン達の怒りを買えば、お前どころか他の皆も死ぬことになる!」
ヴィセがヨレヨレと飛んで訴えても、飛行艇のパイロットには伝わっていない。素早い飛行艇は、動力や風を切る音で何も聞こえていないのだ。
「やめろっ!」
ヴィセはなんとか飛びながら翼を使い、ドラゴニアの剥き出しになった浮遊鉱石を狙わせない。炎を吐けない代わりに大きく口を開き、尻尾を使えない代わりに体当たりを喰らわせようとする。
その攻防は数分続いただろうか。
時折ドラゴニアの下部に体をぶつけながらも、ヴィセは懸命に進路を塞ぐ。ヴィセのぎこちない飛び方は、手負いだと勘違いするのに十分だ。飛行艇は一度ドラゴニアから離れていく。
「燃料切れ……だったらいいんだけどな」
そうヴィセが呟いた後すぐ、飛行艇が大きく旋回を始めた。青と白に染まった空間の中、茶褐色に光る機体は再びドラゴニアへと進路を戻す。
「こっちに来る! 諦めていないのか……」
音速を超えそうな程の性能を誇る小型の戦闘飛行艇。
対するは黒い体の背中に白金のラインが映える、ぎこちなくも美しいドラゴン。
両者が対峙した一瞬、僅かに時が止まったようだった。
しかし、瞬きの間にもその距離は明らかに縮まっていた。飛行艇が速いだけではない。ヴィセも飛行艇へと向かって行こうとしていたのだ。
高度を上げたり下げたり、体の向きと進行方向がずれていたりと、ヴィセの羽ばたきはお世辞にも威厳があるとは言い難い。今にもドラゴン化が解けてしまうのではないか、そんな危うささえも孕んでいる。
それでも彼は怯むことなく飛行艇へと襲い掛かった。
口を大きく開け、前足となった腕を大きく掻き、咆哮を浴びせる。飛行艇はヴィセのと僅か百メルテ程の距離で高度を上げ、再び旋回を始めた。
「追いつけない、ラヴァニやアッカは、こんな奴らを相手に戦ってきたのか」
ヴィセはドラゴン達がどれ程勇敢か、そしてどれ程ドラゴニアを守りたかったのか、その思いが身に沁みていた。
人として、ドラゴン達に何が出来るのか。
ヴィセはドラゴンの姿を借りながら、人を止めるのは人だと固く決意する。
「ヴオォォォォオオーッ!」
聞こえているかいないかは分からない。それでもヴィセは覚悟の咆哮を響かせた。なんとかドラゴニア付近まで戻った時、虚しくも飛行艇は再びヴィセへと向かって来ていた。
「炎……頼む、炎を!」
口を大きく開け、全身の血を口に溜めるつもりで炎をイメージする。そのまま咆哮を轟かせようとした瞬間、なんと火の玉が放たれた。
これで飛行艇は視界を遮られ、飛行艇はいったん進路を変えるしかない。
そう思ったヴィセが口を閉じ終わる前に、黒く変わりつつあった炎の中から茶褐色の塊が現れる。
「……!?」
一瞬だけ、驚くパイロットの男の顔が見えた。男は咄嗟に何かを探り、操縦桿に手を戻す。ヴィセにはその一連の挙動が、とてもゆっくりハッキリと見えていた。
「ぐっ……!?」
気付いた時、飛行艇はもうヴィセの目の前にあった。
体当たりを覚悟した時、ヴィセは飛行艇とぶつかるよりも先に、足の付け根を何かが掠めた事に気付く。
「くっ!」
それは見覚えのある金属塊。ドラゴニアの下部を狙っていた照準追尾型のミサイルだった。
男はまともにぶつかる事を避けるため、ミサイルでヴィセを殺そうとしたのだ。
幸いにも距離が近過ぎて、狙いは定まっていなかった。ミサイルはヴィセを掠めただけで遠くへ飛び去って行く。
しかし、もう撃ち落とされなかったヴィセを避ける事も出来なかった。
その場に大きな衝撃音が響き渡る。空の中で轢くという表現が適切かは分からない。ヴィセは飛行艇に体当たりされ、上へと弾き飛ばされた。
「こんの……野郎!」
傷みで羽ばたく事も忘れ、ヴィセはそのまま飛行艇の後方へと落下した。今まで上手く使えなかった尻尾が飛行艇の尾翼を捕え、飛行艇を道連れに落下を始める。
飛行艇のエンジンは大きく唸り、落下に抗おうとしていた。
「諦めろ! ドラゴン達を……放っておいてやれ!」
ヴィセはラーナ島の沖で飛行艇から乗組員が脱出した時を思い出した。そうはさせまいと飛行艇の前方へと這い上がる。
「お前は、許さない」
ヴィセの呟きが聞こえたのかいないのか。
ヴィセが睨みつけるまでもなく、男は血の気のない顔で放心状態になっていた。
間もなく地表という時、ヴィセは機体から尻尾を放した。飛ぼうと羽ばたくが上手くいかない。
機体が地面に落下し爆音を上げた数秒後。
幾ばくか衝撃を緩和出来ただけのヴィセもまた、地面へと叩きつけられた。
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