Avarice-03



 ミナの言葉は、1度ではヴィセに届かなかった。ヴィセが人の声を聞き取らなければ、ラヴァニにも伝わらない。1人と1匹は鋭い聴覚で心臓の音を確認しながら、まだ倒れた男達に威嚇を続けている。


 ドラゴンの習性として、敵だと認識した者を痛めつけた後、周囲への見せしめに使う事がある。こいつらのようになりたくなければ立ち去れ、そう伝えて戦意喪失させるためだ。


 ミナはそこまでの習性を知らない。正気を失ったヴィセ達から襲われる可能性も考えていた。それでも、ミナはこれ以上続けたならヴィセが自身を責めると思い、再度声を掛ける。


「止めなって言っとるだろ! あんたより……あんたより人らしい心を持った子が何処におるね!」


 ミナは涙を拭いもせずヴィセの背にしがみ付いた。老婆の力など、今のヴィセの前では無いに等しい。それも分かっていた。実際に、ヴィセはまだ引きずって並べた男2人の周囲を歩き続けている。


「女将さん!」


 そこにノスケとイサヨも駆け寄ってきた。その場の状況に絶句するも、イサヨは以前、バロンがドラゴン化した姿を見ている。すぐにヴィセだと気付き、ミナと共にしがみ付く。


 土を均されただけの道に、靴裏を擦る音がもう1つ加わった。


「ラヴァニさん! あんた、もういいだろう! ヴィセくんとバロンくんがこんな事を望んでいるか!? こんな事させたいのか!?」


 ノスケの言葉は、ヴィセが聞き取っていなければラヴァニには通じない。心臓の音を聞きながら、もしまた身じろぎをすれば襲い掛かるだろう。


 ドラゴンは獲物を1撃で仕留める事はあっても、敵を1撃では仕留めない。嬲る事で弱らせ、敵全体に後悔させる事が目的だからだ。


 ただし、ドラゴンには人の倫理観など存在しない。積極的にトドメは刺さないが、敵がその後で死んだとしても構わない。


「ヴィセくん! あなた正気に戻った時に必ず落ち込むよ! 状況は全然分からないけど、落ち着こう、ね?」


 イサヨが声を掛け、ヴィセの気を落ち着かせようとする。痺れを切らしたミナは、ヴィセの左耳に口を近づけ、大きく息を吸って大声で怒鳴った。


「ええ加減にしなさい!」


 イサヨとノスケが思わず耳を塞いだ。声が崖に反射しながら、坂の遥か上まで伝わっていくのが分かるくらいの大声だ。


 その瞬間、ラヴァニの動きが止まった。一瞬ビクッとして道から足を踏み外しそうになり、慌てて翼を数度はばたかせる。それと同時にヴィセの歩みも止まった。


 ヴィセの聞き取った言葉が、ラヴァニにも伝わったのだ。


 完全に正気を失った状態では、どんなにヴィセが止めようと思っても、ラヴァニの怒りには勝てない。ミナの大声がラヴァニの怒りを邪魔した事で、ようやくラヴァニは怒り以外の感情を取り戻した。


「ヴィセくん、ヴィセくん、聞こえる!?」


 イサヨの声がヴィセに届き、ヴィセの右半身からドラゴンの鱗が消えていく。ヴィセは男達を見下ろしながら、まだ悔しそうに睨んでいた。ラヴァニも先程より体が小さくなっている。


「もうええやろ、もう止めなさい」


「イサヨ、ハギさんのとこ行って担架を持ってくるぞ。何でこうなったか分かるまでとりあえず医院に運ぼう」


「分かった、女将さん、後はお願い!」


 イサヨとノスケが坂を下って町の中へ消えていく。ミナは掛ける言葉を選びながら、ヴィセに状況の説明を求めた。


「……こいつらが、こいつらがバロンを撃ったんだ」


「ああ、撃たれた話は聞いた。こいつらが犯人で間違いないんやね」


「間違いない。ラヴァニが銃口を向けて潜んでるこいつを確認してる」


 ヴィセはまだ男達を睨んでいた。涙交じりの鼻声ながら、まだ怒りが窺える。ミナは再びヴィセ達が暴走しないようにとヴィセの前に立つ。


「そっちの男が、バロンの血を持ち去ったんだ。バロンの血を狙うつもりで、助けるなんて嘘で……」


「坊やの血が目当てだったって事かい」


「バロンじゃなくて俺を撃てば良かったんだ! 何でバロンを狙った、あいつ今日は朝から釣りを楽しみにしてて……」


「違うよ。どっちも撃たれるべきではなかった」


「浮遊鉱石だって、ドラゴンの力だって、俺達はみんなのために使おうとしてる! バロンはまだ10歳だぞ、10歳の子が……親も普通の生活も我慢して生きてんのに!」


「落ち着きなさい、ドラゴンの鱗が浮かび始めてる」


「まだ耐えろとでも? 欲のために……10歳の子供まで狙う奴を助けたくはない!」


 ミナは男の脈を確かめ、生きている事を確認した。激しく殴られ、炎を浴び、男達は気を失っている。ラヴァニやヴィセはこのような状況でも全力ではなかった。


「あたしらは大人だ、何で大人のあたしらがいつもあんたらを守れない」


「守ってなんてくれなくていい、嫌われてもいい。せめて……そっとしておいて欲しい」


 背は高くとも、どれだけ体格が良くとも、ヴィセは20歳にも満たない。一人前に働けても、どれだけ力が強くても、心はまだ成長の途中だ。


 決して世界のために生き、感謝されようとは思っていない。称賛されたくて行動しているのではなく、ただ孤独から抜け出し、認められたいだけだった。ラヴァニとバロンの隣だけがヴィセの居場所だった。


「私達は、あんたらに感謝しとる。信じとる。誰よりも優しい、他人のために手を差し伸べられる、怒る事も出来る。それを知っとる。次はあたしらが手を差し伸べる番」


 ミナはそう言って立ち上がり、涙を流すヴィセをしっかりと見上げた。


「さあ、行きなさい。ラヴァニさん、あんたも坊やの所に」


 ミナはヴィセの背中を押し、すっかり小さくなったラヴァニを抱き上げる。


「ラヴァニさん。あんた、人と生きる覚悟が足りないようだね。報復は結構。でも次……この子らを泣かせるような事があれば、あたしが許さないよ」


 ≪バロンを狙ったのはこの者らだ。八つ裂きにしても気は済まぬ≫


「ラヴァニが……なんでって言ってます」


「やるならあんただけでやりな。この子達の意思じゃない行動をさせるなということだよ」


 ミナがラヴァニをヴィセに預け、早く行きなさいと言って追い払う。もうじきノスケとイサヨが人をかき集め、担架を持って戻って来るだろう。


「怒りを上手く抑えなさい。人の中に身を置いたんだ、ドラゴンだから仕方ないなんて通用しないよ」


 ラヴァニはミナの言葉を重く受け止めていた。ラヴァニはドラゴンである事を誇りに思っており、ドラゴンだから当然だと思っている事も多い。


 では、ヴィセはドラゴンなのか。ドラゴンの怒りは周囲に伝染し、敵への報復に手加減はしない。力を見せつけ震え上がらせる。ヴィセは一方では確かにドラゴンでもある。


 ヴィセとバロンは人でもある。ラヴァニがヴィセとバロンを引き摺ってしまえば、ヴィセ達から人としての生き方を奪ってしまう。


 分かっているはずなのに、ラヴァニは自身の怒りを優先し、ヴィセとバロンを巻き込んだ。ヴィセも怒りと復讐心を抱えていたとして、ここまで打ちのめしただろうか。


「まったく。あの子達を失望させるんじゃないよ。さて、あたしらもあの子達のように生きたい、そう思っていたんだけどねえ」


 ミナは呟き、戻って来たノスケ達に手招きをする。他にも大勢が揃っていた。


「ハギさん、あの子は」


「心配ない、夕方には目を覚ます」


「地区長はどうしとるね」


「もう準備を始めとるぞ。こいつら酷い有り様だが死んではおらんの」


「手加減はされとるらしい。そのまま死んだ方が幸せだったろうが、あの子達を人殺しにはできん」


 ミナの言葉に、全員の顔つきが変わる。ヴィセ達に見せた事のないような鋭い目だ。


「フン、お前さん達も運が悪い。この地区がなぜ数十年も海賊に抵抗できたか、考える頭がありゃ良かったのにねえ」

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