Avarice-02
「バロン!」
ヴィセの大声が町中に聞こえる程響き渡った。ヴィセは何が起きたのか把握できないまま、気が付けば走り出していた。
波止場沿いの道までは50メルテ程。ヴィセが竿を放り出して駆けつけるのに10秒も掛からない。
「バロン、バロン!」
ヴィセがバロンを軽く揺さぶった時、腹部の下に血だまりが現れた。バロンはぐったりして動かない。ほどなくして発砲音とヴィセの声で人が集まってきた。
「どう……どうした!」
「わ、分からない! 多分撃たれた!」
ヴィセは自身がそう呟いてから、ようやくバロンが何者かに銃で撃たれた事を理解した。すぐに立ち上がって周囲を見回す。
「何で、何で……バロンが何で撃たれるんだ」
「銃で? 相手は子供よ!? なんてひどい……誰か、誰か見ていないの!?」
「どうして、何でボウズが」
「分からない、ああ、バロンに触らない方がいい! ドラゴンの血が体に入り込めば……まさか!」
ヴィセは、自分達が狙われる立場でもある事をすっかり忘れていた。
ミデレニスク地区ではひと騒動あったが、モニカでもブロヴニク地区でも、ヴィセ達は理解ある心優しい人々に囲まれていた。
ドラゴン、ドラゴンの血、浮遊鉱石、それらがどれだけ特別なのか。人の強欲はどこまで暴走するのか。知らないはずはないのに、気が弛んで考える事をやめてしまっていた。
これは通りすがりに撃たれたのではなく、バロンを狙ったもの。ヴィセはそう確信し、すぐさま状況の整理を始める。
「西に向いていて、右腹部を狙われたってことは」
「危ないぞ、君まで狙われたらどうする!」
左手の方角から1人の旅行客らしき男が駆け寄ってくれた。男は自身のハンカチで患部を押さえようとしてくれたが、薄手のハンカチでは間に合わない。
「き、君、俺は助けを呼びに行く! ここを離れないでくれ! タオルも必要だ、貰ってくる!」
男は血の付いたままのハンカチをどうするか悩んだ後、鞄に突っ込んで応援を呼びに行ってくれる。
「血、血は良く洗ってくれ! 絶対にそれ以上触るな!」
聞こえていないのか、男は振り返らない。
ドラゴンの血が他人にまで及んでは困る。だがヴィセはバロンの傍を動けない。動揺と興奮で手や膝が震えながらも、どこから狙われたのかを導き出していく。
バロンは港の目の前、通りに出たところで右腹部を撃たれている。ヴィセが見た時、バロンは背を向けていた。犯人は右前方、北西方向からバロンを狙撃した事になる。
だが北西は通り沿いに平屋が立ち並ぶ。屋根の上でもない限り狙撃できない。逃げる者の姿も見かけていない。
「どこだ、どこから……」
「ハギさんを呼べ! 弾が貫通してない、取り出さなにゃ鉛中毒を起こすぞ!」
近くの家に住んでいる女性が毛布を持ってきてくれた。別の者が医者を呼び、風よけにトタンなどを用意し始める。
(ラヴァニ! 聞こえるか! 港に来てくれ!)
ヴィセがラヴァニを呼びつけ、1分も経たないうちにラヴァニがやってくる。
≪……バロンはどうした、何があった≫
「誰かに狙撃された! チクショウ、空から何か分からないか! おそらく北西の方角だ!」
≪銃だと!? おのれ……八つ裂きにしてくれる!≫
ラヴァニが空から見下ろし、不審な人物を探す。その怒りがヴィセにも伝わり、体中がピリピリし始めた。
「頼む、目を開けてくれ、目を開けろ」
犯人探しとバロンの救助、ヴィセはそのどちらも出来ない自分を責めていた。
バロンがドラゴンの血を有していても、傷が塞がる前に失血すれば死んでしまう。弾を取り出す前に傷が塞がってしまえば鉛弾を取り除けない。
医者でないヴィセは内臓の状態など分からない。医者の到着を待つ事しか出来ない。
「おい、バロン! 大丈夫だ、大丈夫だからな!」
一刻も早い処置が必要な中、ヴィセはバロンに声を掛け、意識を取り戻させようとする。
「ハギさんが来た、ヴィセくん、ハギさんに任せろ!」
ハギと呼ばれた白髪で細身の男は医者だろう。白衣が血に濡れるのにも構わずにバロンのコートと服をめくり、腹部の状況を確認する。
「分厚いコートのお陰で深くはない。貫通しなかったのはまずいが、弾は多少の変形だけだ、潰れておらん」
ハギは薄手の手袋を装着した後、鞄からピンセットを取り出し、患部へ躊躇わずにピンセットの先端を沈ませる。ヴィセはその手元を見守っていた。
「消毒液を取ってくれ」
「は、はい! バロンが目を開けないんです、バロンはどうなる、助かるのか!?」
ヴィセが消毒液を手渡し、ハギが惜しみなくかけていく。1分ほどで弾が取り除かれると、周囲からは安堵のため息が漏れた。
ハギは細い針と糸を取り出し、局部麻酔を打ってから腸の一部の縫合を始めた。
「心配するな、兄ちゃん。この子は生きとるよ。むしろ今は目を覚まさん方がいい、痛みでショック死する」
声を掛けられるまで、ヴィセはずっと息を止めていた。いや、呼吸を忘れていた。
「これでとりあえずは様子見だ」
「あ、有難うございました。あの、俺とバロンの血は、みんなにとって毒なんです。お医者様、すぐに体についた血を洗い、血が付いたものは焼いて下さい」
「事情があるのは知っとるよ、そうさせてもらおう」
医者が白衣を脱いで丸め、ヴィセに捨ててくれと頼む。再度大丈夫だと言われ、ヴィセは少し落ち着きを取り戻した。ラヴァニに報告をし、自分も探すと伝える。
「私の家に運んで、すぐ目の前なの。ここに寝かせるより安心でしょ?」
「お願いします。すみません……」
「困った時はお互い様。若い子は気にしないの。さあ」
女性の有難い申し出に頭を下げ、ヴィセがバロンを抱え上げる。ドラゴンの回復力は人の何倍も強い。今は気を失っているが、数時間もすれば傷口は完全に塞がるだろう。
ハギや他の者が道を空けろと言って誘導を始める。包帯を巻き、バロンをベッドに寝かせたその時、ヴィセの右半身にピリッと鋭い痛みが走った。
≪見つけたぞ!≫
ヴィセにラヴァニの声が届く。その瞬間、ヴィセの右半身にドラゴンの鱗が広がった。
痛みの正体は、ラヴァニの怒りとヴィセ自身の怒りが促した、ドラゴン化だった。
「あ、あんた……」
ヴィセの変化に気付き、周囲の者が息を飲む。実際にドラゴン化した姿を知る者は少ない。異形のような雰囲気に、人々はヴィセが訳アリな身である事を思い出していた。
ヴィセもバロンも、ドラゴンのラヴァニでさえも、心優しく人助けの力を惜しまない。だが、彼らはドラゴンの力を持つ存在。ただ気の良いだけの若者達ではない事を、地区の人々もまた忘れていたのだ。
ラヴァニの怒りがヴィセを引きずる。バロンのためにも耐えなければ、そう思いつつも、バロンの仇を討とうとする心には抗えなかった。
僅かな理性を振り絞り、低く枯れた声で一言「バロンをお願いします」と言えただけ。その後のヴィセは、鬼も逃げる程の形相で歯を剥き出しにし、ラヴァニの後を追う。
「ウオォォーッ!」
ヴィセとラヴァニの咆哮が、家々の壁や窓ガラスをビリビリと鳴らす。怒りのあまり、封印を自ら打ち破ったラヴァニと、地上を猛スピードで駆けるヴィセ。両者が向かう先には、ミデレニスク地区へと伸びる崖の道があった。
坂の上り口付近で、2人の男が尻餅をついている。片方の男は黒いコートに、黒いニット帽、茶色いショルダーバッグ。先程応援を呼びに行ったはずの男だ。
もう1人はその数十メルテ先の坂道にいた。赤茶色のコートに長細い猟銃ケースを担いでいる。
「グオォォーッ!」
ラヴァニの咆哮が2人を失神そうなまでに脅し上げる。その咆哮から、ヴィセは猟銃を持った男が坂に潜み、黒いコートの男に手招きしている姿を読み取った。
男は助けるフリをしてバロンの血をハンカチに滲み込ませ、仲間に渡すつもりでいたのだ。
「貴様ァァァ!」
ラヴァニが炎を吐き、ヴィセがドラゴン化した右手で男を殴りつける。鈍い音が響き、男達の悲鳴と謝罪の声が次第に虫の息へと変わる。
けれどヴィセはもう自分で自分を止める事が出来なかった。ドラゴンの怒りは報復が終わるまで鎮まらない。
「止めな! 人殺しの仲間入りをするつもりかい!」
そんなヴィセを止めたのは、旅館から駆けつける途中のミナだった。
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