18・【Avarice】罪深き咎人
Avarice-01
18・【Avarice】罪深き咎人
漁船遭難事件から一夜明け、冬の空が青く晴れ渡っていた。風はやや強く感じるものの、波が捲られるほどではない。
トシオは船を修理所に預け、今日は仲間の船の手伝いに向かった。キクは漁師仲間の帰りを待ち、お礼も兼ねて港で汁物の炊き出しをするのだという。
ヴィセ達は少し遅い朝を迎えていた。エメナとは先に朝食を摂っていたため顔を合せなかったが、彼女は今日長旅の支度を済ませ、明日の船で他の町を経由して島に戻る予定だ。
「あー美味しい! 俺ね、寒い時の朝ごはんも好き!」
「この魚の出汁が効いた吸い物が本当に美味しい! 食べ物目当てなら、寒い時に来た方がいいな」
≪我は湯を沸かす事を覚えた、もう寒さなど気にならぬ。水溜まりを見つけ、炎で熱した石でも投げ入れたならよかろう≫
「ゆでたまごできるね!」
≪うむ。浸かるのは好かぬが、飲むのは良いな。問題はタマゴを掴めぬ事と、殻剥きを人に頼まなければならぬ事か≫
お湯の中で味噌を溶き、ぶつ切りの白身魚や貝を入れたシンプルな「魚介汁」に、昨日釣りあげられたサバの塩焼き。湯気の立つ麦飯と合わせたなら、寝起きの胃袋も動き出す。
今日のメニューに使うはずだったタマゴは、ラヴァニ用のゆでたまごになっていた。ブロヴニクの土地柄、入手出来るタマゴには限りがある。けれどヴィセとバロンにとって、メニューが魚に変更になった事はむしろ好都合だった。
危機が去り、今後の展望も明るい。
ラヴァニは明日浮遊鉱石に関する朗報を仲間に伝えに行く。その後で島にいる海竜と話をしたなら、もうアマン達を待つだけだ。海竜の協力も取り付けている。繰り広げられる会話もほのぼのと温かい。
「あー俺どうしよう!」
「ん? どうした?」
「いっつも肉食べられるところに住むのと、いっつも魚食べられるところ、どっちにしよう!」
「はははっ、そりゃ贅沢な悩みだな」
バロンは大好きなトメラ屋の食事にご機嫌だ。昨晩は漁師達からの差し入れの刺し盛りを頬張り、世間一般的な子供の3倍は食べただろうか。
寝る直前まで干しイカやホタテの紐を噛み続け、珍しくヴィセが早く歯磨きに行けと叱ったほどだ。
「これで本当に霧の消去ができたなら、その後は何をして暮らそうかな」
もうじき旅の目的は全て達成だ。バロンは器用で、物の知識はなくとも頭の回転が速い。姉を助けながら、すぐに得意な仕事を見つけられるはずだ。
ヴィセは旅をしながら稼ぎ、ゆくゆくはラヴァニ村に戻れたらと思っていた。ドラゴニアが再び移動を始めたなら、ラヴァニ村の付近を通る事もあるだろう。ラヴァニが遊びに来てくれる分には大歓迎だ。
ラヴァニはドラゴンとしての生き方を取り戻すだろう。仲間と大空を飛び回り、空気と大地の監視を続けて生きる。従来と違う点があるとすれば、ラヴァニ達が人への歩み寄りを覚えた事だ。
≪我は澄んだ空を思う存分飛び回るのだ。大地を掠める程低く飛び、時には山を越え……ああ、空が高かった頃を思い出す≫
「俺はね、えーっと……姉ちゃんの所に行くでしょ、ドーンファイブの演劇観るでしょ、それからジェニス婆ちゃんに会うでしょ、あとね、伯父さんにも会いに行く!」
「俺はいつかラヴァニ村に戻ろうと思う。でも、体がこのままだったら……いつかはドラゴニアで生きて行こうと決めるかも」
≪歓迎する、ヴィセもバロンも我の仲間だ。その時は是非ともニワトリを連れて来てくれ≫
午後にはブロヴニク地区の小さな役場で公衆電話を借り、オムスカで研究を続けているディットや、モニカのテレッサに近況を報告する。
元々の目的はラヴァニの悲願だったドラゴニアへの帰還。毒霧に覆われた世界を元に戻せなかったとして、誰に責められる訳でもなく、義務もない。
ドラゴニアに必要な浮遊石を確保する、それだけでも十分と言える。それ以上出来れば儲けもの。ヴィセ達は言い知れぬ使命感から解放され、ようやく未来の事を考えられるようになった。
「ドラゴンの血を薄くして、人に戻りたい……なんて、実は思わなくなってきたんだ」
≪何故だ≫
「ラヴァニ達と話をして、その意思を人に伝える役目って、カッコいいだろ?」
≪我らにとっては助かる事だが≫
長く生きるという事は、友人知人を多く見送るという事。エゴールは自身が他人と違う事に苦しんできた。ジェニスとの結婚を諦めたのも、元はと言えば血のせいだ。
ヴィセはテレッサの好意にも気づいていた。今のままでは恋人を作る事は出来ない。けれど、ヴィセにはまだその実感がなく、差し迫った危機感もない。
気が向いたら方法を考えると、なんとも呑気な考えのまま朝食を終える。
「ヴィセ、俺も釣りしてみたい。魚って竿で釣るんでしょ?」
「魚釣り、か。ダラダラしていても仕方がないし、やってみるか」
≪我は夕暮れに飛び立つ、それまで翼を休めよう。夜の方が目立たぬからな≫
ラヴァニは部屋に戻ってコタツで体を温めると言い、ヴィセとバロンは厚着をしてから玄関に立つ。
「あら、お出かけね?」
「うん! 俺ね、釣りしてくる!」
「やった事はあるのかい」
「俺はないけど、ヴィセが川でやったことあるよ」
ミナが心配する中、バロンは早く行きたくてソワソワと落ち着かない。
釣りならヴィセが要領を把握している。それなりな竿を手に入れたら、糸におもりと針を付け、餌を付けて海に垂らすだけだ。バロンはどんな竿でもどんな小魚でもきっと喜ぶ。
「それなら、防波堤の内側にしときなさい。それと、黒くて小さくて、トゲが沢山ある魚は触っちゃ駄目だよ。毒があるからね、手がパンパンに腫れる」
「えっ……」
「用品店の大将が写真を飾ってあるから、よく見て覚えるんだよ」
ミナに見送られ、ヴィセとバロンが寒い港町の通りを歩いていく。やがて用品店で一式を揃えたヴィセ達は、言いつけ通り防波堤の内側に腰を下ろすと、糸を垂らし、魚が掛かるのを待つ。
「竿をしっかり持っとけよ。魚が竿を持っていくぞ」
「うん!」
ヴィセとバロン、2人が並んで座り5分。先に魚が掛かったのはバロンだった。
「あーっ! 魚が引っ張る! ヴィセ、どうしよ、どうしたらいい!? あー暴れてる!」
「素早く竿をピッと立てろ、針がちゃんと魚に掛かるように」
バロンはおろおろし、分かんないを連呼する。ヴィセが手を貸し、素早く合わせた後、立ち上がって魚を引き上げた。リールを使ったり、遠投をするほど本格的な竿ではない。
それでも、白くキラキラとした手のひらサイズの姿を見た時、ヴィセもバロンも目を輝かせて喜んだ。バロンにとって初めての釣果だ。大きさなど問題ではない。
「魚! ねえヴィセ、魚!」
「待ってろ、今針を外してバケツに入れる」
「俺が釣った!」
ヴィセが跳ね回る魚を押さえつけ、口に引っ掛かった針を取る。海水を汲んだバケツに入れた時、バロンの尻尾が2倍に膨れ上がった。
「ぎゃーっ! この魚、目がない! 真っ白、怖い!」
「なんだろうなこれ。裏返したらこっちに目が2つある」
「え? あ、ほんとだ、変なの! こっち側は色がブツブツで茶色い」
ヴィセもバロンもカレイという魚の存在を知らない。ひとしきり観察した後、ヴィセもバロンも釣りを再開する。
「どうしよ、俺喉乾いた。水筒持ってきてない」
「そう言えば忘れてたな。竿は見ててやるから、近くの食堂でお茶かジュースか飲んで来い」
ヴィセが小銭を渡し、バロンが小走りで波止場から通りへ出て行く。ヴィセは餌を付け替えるため竿を2本並べて餌のミミズを掴もうとした。
「……ん?」
突如、乾いた音が耳に入った。短く、どこかで聞いたことがある音だった。
「え、銃声?」
ヴィセがふと顔を上げ、周囲を見回す。海は静かで、付近に音源はない。
視界の端にバロンの姿が見える。立ち止まっているバロンの背中へ視線を向けた時、バロンの体がぐらりと左に傾き、そのままその場に倒れた。
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